2016年11月27日日曜日

満足ではなく仕事の幸せとは?

FBでも書いたのですが、土曜日はウエダ本社にとっても嬉しい日となりましたので、改めて触れたいと思います。

シライ電子工業さんという上場企業の、50周年事業の全てを当社で取り仕切らせて頂いていたのですが、その式典と懇親会が行われ、スタッフ達が見事にやり切ってくれたのです。

毎年、京都流議定書という三日間のイベントを社員だけで行い、いつも、これだけの事をやれるという強みを生かせられないのか?これだけの事ができるなら、こういう事を仕事にしたら?という投げかけを行っていたのですが、それを今回実現してくれたのでした。

京都ではどうしても”事務機のウエダ”というイメージが強いので、ここ数年のウエダ本社は一体何をやっているの? と、多くの経営者からもご理解頂けなかったり、逆に昔をご存知ない新しい層からは、CSR活動に熱心な会社ですね?などと言って頂けるのですが、あくまでこれら活動も、真っ当に仕事として追求しているものなのです。

スタッフも含めて、京都流議定書を始めとした一見収益を生まない活動や関わりと、皆が本業と思っている付加価値の低い”モノ”の販売が結びつかず、現場力や、対応力などの人的な価値を生かしていく領域を創っていく事が我々の課題でした。

というと難しいですが、単純に、もっと役に立つ会社、無くてはならない存在になりたい!という話で、スタッフにも、多くの人から”無くてはならないと思われている会社”のスタッフになって欲しいという事を目指してきたのです。

勿論、事務機器の販売も立派な仕事です。

ただ、どうせやるなら、他の会社で代替えが利く仕事より、他ではできない仕事、これがコケたらどうしようもないという仕事を、一緒に担わせて頂ける方が、存在する意味、生きている意味があるではないか?会社もスタッフもそういう存在にしたいと思ってきました。

よく、利他と利己の話がありますが、これらの活動も、利他的に見えて、私自身の、そういう存在にしたい!という利己なのかも知れません。

でもどこまでいっても利他と利己の問題は絡み合って出てくるものですし、利他的な事をしたい!という利己で、それもレベルを上げていきたいと思います。

今週行なわれた知恵の場のゲストは、ネッツトヨタ南国の横田相談役でした。

”教えないから人が育つ”という事を実践して来られ、実績を示しておられる横田さんのお話しは、今までは、”教えて”頂けるスタイルではなかったのですが、今回は大変分かり易く、目的と目標の違い、満足と幸せの違い、知識とできる(行動)の間の壁など、人を育てる事について、体系立ててお話し頂けて、私などでもよく分かりました。

中でも、満足と幸せの違いを体系化されたお話しは、こういう分析自体が今までなかったのではないか?と思いますが、大変分かり易く、しかも、条件に絡む”満足”項目ではなく、目的に紐づく”幸せ”項目を増やしていく事という、やるべき事も明確になりました。

ウエダ本社でも私だけが会社の目的を唱えてそこに進めたがっている事が、皆には目標しか見えず(見せられておらず)そのギャップに苦しんで来たのだと思います。

シライ電子さんの式典では、一代で上場までされた間の壮絶な浮き沈みの裏話もお聞かせ頂きましたが、そんな会社を創って来られた方々の様々な想いを凝縮した式典、記念事業を任せて頂いて仕事しているスタッフ達の姿を見て、格好よく見えましたし、そんな意味有る仕事をもっと増やして行きたいと思いました。

自分の成長を実感できるという働きがい=幸せを感じられる”いい会社”、それを目指して、明日、明後日(28日、29日)は、私がウエダ本社に来て初めて、社員研修旅行に行かせてもらいます。

その行先は、伊那食品工業。

目指す方向にある最高峰の会社に行って、働きがいを感じる風土と、それが作られる様々な差を感じてくれれば嬉しいですね。

勿論TOPの差が大きいですが、、それも含めて、皆で感じて来たいと思います。




2016年11月20日日曜日

信頼の仕組づくり

今週は安倍首相が、世界の首脳として初めてトランプ次期大統領に会うという事で注目されました。

大統領就任前に会うという事、それも自宅で、家族も同席し、日本側は同行者無しという異例ずくめでしたが、日本が真っ先にという動きの早さも異例だった気がします。

日本はどうやら、トランプ氏に決まったから慌ててという事ではなく、クリントンさんでも、この安倍首相が米国に行くタイミングでの会談を準備していたようですが、選挙直前になってクリントン一本被りではマズイと、トランプ氏の繋がりをありとあらゆる所から探した様で、最初にメッセージを届けた日本には印象が良かった様です。

こんな事を見ても、会談時間が延長された事からして友好的には進んだであろう事を見ても、やはり、人は繋がりを感じたり、面と向かって話する事が如何に大事かという事も感じました。

しかし、トランプさんというのは、改革者か暴君か、いずれにしても並外れた自信家ですね。

いくらビジネスで大成功を収めているからと言っても、全てを網羅した国家、しかも世界を動かす国家のTOPに就任するのに、今の所、側近に現状を理解したベテランや、気脈に通じた人を置こうという感じはなく、あまり意見を聞く感じに見えないのですが、その重圧に怖ろしくなるという事はないのでしょうか?

現状を踏襲した様な感覚では改革は起こせないですから、その姿勢から、”変える”という事には期待が持てますが、現状を徹底的に分析して、分かった上で知らないフリをして変えないと、ホントに知らないで変えるのは、一か八かのバクチになってしまいます。

トランプさんが安倍首相の言葉通り、”信頼できる指導者”であれば、学ぶ姿勢は持っておられる筈ですから、この”信頼”を切り口に、安倍首相や日本が、行き詰った資本主義の新たな形の先導役になっていかなくてはならないと思います。

昨日は、私も理事を務めさせて頂いている信頼資本財団の最大のイベント「信頼デイ」がありました。

信頼は資本となるのか?

人は信じられるのか?

人間は助けるものである筈なのに、その本能が封じ込められている世の中とは、人ではなく、仕組が誤作動をしてしまっているのではないか?

その誤作動を無くせば、人は豊かになるのではないか?

その基盤づくりに我々一人一人が参加していくこと。

そんなテーマと構成だった様に思います(内容、参加者、想いなどが濃すぎてなかなか整理できてないですが)。

来年は、世界(歴史)が大きく変わる起点になる事は間違いありません。

日本では、更に2020年に向けて行き詰った従来型資本主義と、世界の軍事、民族、宗教などが絡んでの潮流が入り混じってきて、濁流に飲み込まれる可能性もあります。

その中でやはり日本は、改めて信頼をベースにした仕組作りを積み重ねていく事が役割なのだと思います。



昨日は、信頼資本財団の熊野理事長と京都地域創造基金の深尾理事長の対談もありましたが、この二つの財団が連携するだけでもできる事は広がりますし、この動きに京都では、京都信用金庫さんも連動して頂いています。


金融庁も評価基準を抜本的に変えていっている様ですし、お金の流れがまず、信頼と連動した形になれば大きく変わっていくと思います。


昨日のイベントで、PaKT(パクト)というマナビノバで集まる学生や、アショカジャパンのユースメンバーなどが、会場準備から後片付けまでを行ってくれていたのですが、その動きや、そもそもの取り組み(参加)姿勢、それぞれの人間性が素晴らしくて感心しました。

悪い事ばかりではなく、希望を持てる変化も着実に広がっていっていると思います。

昨日の目を輝かせていた若者達が信頼をし、その信頼が裏切られず増幅していく様な仕組を、一つ一つそれぞれの立場から作っていく事、これから二、三年に課せられた命題です。



2016年11月13日日曜日

トランプ大統領を生み出す「長波」とは

米国大統領選の感想について、今までFBでも何も書いていなかったのですが、その事に気づかれて、『待ってます』と言って頂く、マニアックな方もおられました(笑)ので、今週は、思っていた事から書きたいと思います。

意図的なマスコミの報道があると言いつつも、私もやはりクリントンさんが勝つと思っていましたし、その方が”マシ”だと直前まで思っていました。

しかしギリギリになって、拮抗しそうになってからは、これはどちらにしても今回の溝や、内向きさ、人権に関した過激な発言などへの流れは止まらないので、クリントンさんが勝ったとしても、かなりマズイ状況だと思う様になり、トランプ氏が勝った頃には、かえって思い切り変わらざるを得ないので、劇薬とも言われる様に、長期的に見ればズルズルと変わり切れないよりは良かったのかも?と思う様になりました。

当選してから、暴言を控えているところを見て、あれは戦略だったとか、マスコミが助長していたとして、トランプ氏を擁護する様な人もおられますが、どう割り引いても、ある発言を一部だけ切り取ってマスコミが偏向報道したものとは全く違って、人格からストレートに出ているものだと思いますし、何せ米国の大統領ですから、やはりその頂に座る人の人格としては、物分りよく認めるべきものではないと思います。

しかし同時に、それでもそこに流れつかなくてはならない、従来型の仕組、力、そしてそれで選ばれるリーダーに対しての批判である状況と、そこまでの状況に気づかなかった、或は、気づきながらそれを又、従来型の力で覆ってしまおうとした勢力の、大きなギャップを目の当たりにした事の方が恐ろしく感じました。

そういう意味で、そのギャップ、亀裂を生んだまま、クリントンさんが従来型のモデルで展開するよりも、トランプさんが、そのギャップ感をあぶり出し、従来型のリーダーではできない新たな展開をした方が、長期的に見れば良かったのか?となる事を期待したいと思います。

ただ一点だけ期待を感じたのは、スピーチなどを聞いて、彼が”やる”と言った際の感じ方が、あれだけの実業家だけに、従来の頭だけのエリートが言った際とは違って、ホントにやるかも?という気になる所です。

勿論、それが悪い方向で行かれたら、どうしようもないのですが、何とかそれが、良い方向に向かわせてくれる事、それを願うばかりです。

「仕事に効く教養としての世界史Ⅱ」で著者の出口さんは、アメリカ大陸を舞台に交流が始まった16世紀を取り上げた二人の学者を紹介されています。

一人は歴史を、表層に登場する出来事を「短波」、王朝の興亡や宗教の発展や戦争などの「中波」、自然環境や、地理的条件、死生観や人情など、ゆっくりとした変化しか起こさない「長波」に分け、中波と短波が重なり合って、変化を生み出す様に見えているけれど、時代が大きく変化する時には、その深層にある長波を見なければならないとしたブローデルと、世界を中央、半周辺、周辺と区分し、それらの分業体制によって世界が成立しているとしたウォーラーステインが、共に16世紀を中心に自らの学説を展開したのは、16世紀が激動の時代であったからだと書かれています。

コロンブスがアメリカ大陸を発見(正確には到達)した事により、世界が繋がり、大きく世界システムが動いた16世紀から、その後世界の中央に君臨するアメリカが、今回の大統領選挙から21世紀をどの様に進んで行くのか?

トランプ大統領誕生という「短波」がアメリカの興亡や、紛争などの「中波」とどう重なっていくのか、
我々が生きている時代に、不名誉な戦争を起こさない為に、トランプ現象を生み出す自然環境や、気候、日常生活を支える死生観などの「長波」から見直さなければならないと思います。



2016年11月6日日曜日

微力だけれど無力ではない

韓国では現職大統領の疑惑で大変な状況となってます。

来週には米国の大統領選挙が行われますが、直前になっても、FBI捜査をされる候補と、下世話なワイドショーばりのネタを提供する候補の一騎打ちという状況で、世界の警察と公言していた国のTOPを決める選挙と思うと、背筋がゾッとします。

これら全て、権力、金、蹴落とす競争というものが共通していて、資本主義の最終形が世界を蝕んでいる様にも感じます。

国富論で有名なアダムスミスは、市場経済を提唱しながら、それより以前に、道徳感情論という著書を1759年に出していたそうです。

そこでは、利己心の追求を肯定しつつも、道徳的歯止めをかけていく為の方法を説いていて、それによって初めてこの競争社会をうまくいきぬいていけると説いていたそうです。

そんな事を見てみると、時代とか主義というものではなく、人間とは?を考えていかないといけない所に来ている様に感じます。

人間とは元々、利己心の強いものであるので、同時に道徳観や倫理というもの、更には生き物として、自然の摂理に則ったものから併せて考えていかないといけないのではないでしょうか。

正に、論語と算盤の両輪で展開しないといけないものを、人間として、生き物としての本来を見失い、利己心ばかりで蹴落として来た人達がTOPに立つ世の中になってしまっている状況を変えていかなくてはなりません。

先程まで、テラルネッサンスの15周年イベントに参加していました。

何故世界は平和にならないのか?
大学生であった鬼丸さんが、”自分達は微力だが無力ではない”と一人から始めた活動が、沢山の人を巻き込み、15年で世界6ヶ国にも及ぶ活動となっているのですが、金や権力にまみれてのし上がってきた世界のリーダー達とは反対に、世界的にもこんな若者達が沢山現れてきています。

小川理事長の奥さんでもあるトシャさんは、7歳の時に生まれたブルンジの紛争で家族全員を殺され、路上生活を経験しながらも英語を覚えて仕事に就き、自分と同じ様なストリートチルドレンを何人も自分の子供として育てられたのですが、アフリカに居た頃、豊かで皆が幸せに暮らしていると思っていた日本が、若者までが自殺をするという蝕まれた現実を知った時大きなショックを受けたそうです。

皮肉な事に、日本を蝕んだ原因も、アフリカなどで殺戮が繰り返されるのも、日本を含めた先進国が金や権力だけを追いかけて来た結果であり、問題の根元は同じなのです。

トシャさんは、肌の色、国籍など、何人(なにじん)など関係なく、人間自体が大事、”See humanbeing”と語りかけていました。

肩書き、資産、人種などに捉われず、人の存在自体を見ていけるリーダーを輩出していく事に向けて、”微力だけれど無力ではない”世界全体でそんな意識を持っていきたいものです。