2016年1月24日日曜日

野心と志の差

今週京都では、この時期恒例のJC(日本青年会議所)京都会議が開かれており、全国のJCメンバーが京都に集まっておられました。

と言っても、私はJCメンバーではありませんでしたので関係ないのですが、今年は、色々と便乗させて頂いておりました。

毎年、それに合わせてOBを中心に開催される鬼澤さんの勉強会には参加させて頂いているのですが、その勉強会も昨年からはKYOCAで行なって頂いている事もあり、役得で勉強させて頂いております。
今年はそれに加えて、国際会館で行なわれているフォーラムにも、基調講演には昨年の京都流議定書にご登壇頂いた田坂広志さん、国際貢献のフォーラムには、昨年ご紹介頂いていた”アフリカの花屋”として展開する萩生田愛さんが登壇される事になっていましたので、挨拶も含めて、本丸のイベントにも「潜入」させて頂いておりました。

国際会館全体で全国から集結した数千人ものJCメンバーが、三日間フルに使って様々な催しを行われている場ですので、JCを経験していない者からすれば、その独特な雰囲気も、なかなか興味深い体験でした。

田坂さんのお話はいつも、何となくボやっとながら思い続けている方向性、目指すべき未来像を分り易くご説明頂き、クリアにして頂けるのと、この方向は正しかったのだと、お墨付きを頂いた気になり、勇気づけられて、スッとした気持ちになります。

この日は、田坂さんのお話の後、元サッカー日本代表監督の岡田さんとの対談もあり、岡田さんのサッカーを通した日本や、次世代への想い、そしてそれに向けた挑戦のお話も聴く事ができました。

J1チームからも全権を任せるというお話がいくつもありながら、日本のサッカーの”教育”を抜本的に変える必要を感じておられた事から、全く教育されていない社会人チームで一から挑戦しておられるお話、そして田坂さんと共に、40歳以下のJCメンバーに、自ら行動を起こす必要性を語られる姿を見て、自分自身、反省すると共に、焦燥感にかられました。

いみじくも田坂さんが、物理は大きな物は動かしにくいが、心理は大きな方が動かし易いというお話をしておられましたが、ここ最近の停滞感は、私自身の想いが小さかった事が原因だと思いました。

岡田さんは、自由奔放にやっていると思っていたスペインの一流選手達にも型があり、16歳までは徹底的にその型を教えて、後は自由に考えるというスタイルを知り、抜本的に日本の教育、指導を変える為に、プロではない社会人チームのオーナーとなり、”生物的組織”を作り上げる事を目指しておられるのです。
人間の体は、毎日細胞が作り変えられていますが、それは脳が指令するのではなく、細胞同士が折り合いを成して同じ体を作っているという事で、その様な組織、個々の関係性がサッカーにおいては重要との想いからなのですが、私も、会社と社員の関係、働き方の理想は、同じイメージを持ちながら、停滞感を感じる結果になっていました。

田坂さんは”野心”と”志”の違いを、己一代で成し遂げようとするものが”野心”で、”志”は、己一代では形にできるものではなく次世代に引き継がれていくものとお話されていました。

自分の地位や物質的な物を追っていたつもりはなく、使命感で動いてきたつもりでしたが、野心の域を越えられず、志にはなってなかったのだと思います。

帰宅後、何と、田坂さんから携帯にお電話頂きました。

講演が始まる前に、ご挨拶に伺ったのですが、大きい会で担当が細分化されており、全体的把握している人がおらず、田坂さんには会えずに名刺だけを置いていったのですが、”入ってくれれば良かったのに、悪かったね、”との事でわざわざお電話頂いたのでした。

こんな細やかな配慮も、謙虚なお人柄というだけではく、”野心”と”志”の差から生まれてくるものなのかも知れません。

今年の京都会議は、大変、勉強させて頂きました。

実践塾でお世話になった、鬼澤さん、人見さん、大江さん始め、京都会議を運営されたJCの皆さん、有益な会に参加させて頂き、ありがとうございました。

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