2015年7月28日火曜日

ウエダ本社にとっての実業とソーシャルの交わるところ

先週末の金曜日~日曜日は、第8回目となった京都流議定書でした。

ここでも何度か言って来ましたが、京都流議定書で訴える根本的な想いは、目に見えない(数値化されない)価値こそが日本の強みであり、日本の縮図である京都を研究し、見出し、再構築し、発信していかなくてはならないという事と、変革を起こしていく為には、多様な立場、層の人達が混じり合っていかなくてはならないという二点でした。

毎年三日間開催しているのも、それぞれ近い未来像を描きながらも、バラバラで動いている人達が一つのイベントで集まれないか?との事からでした。

それがこれまでなかなか混じり合わなかったのですが、漸く今年混じり合う形が生まれた事や、毎年一緒に開催している京都フォーラムのゲストが、”いい会社を増やしましょう”を社是に、数字だけで判断しない投資で最優秀ファンドマネージャーまで取られている鎌倉投信の新井さんでもあった事もあり、テーマを、「経済とソーシャルの交わるところ」とし、三日間を貫く基調講演には、田坂広志さんにお願いしました。

いみじくも田坂さんにも指摘頂きましたが、経済とソーシャルという言葉が分れている事がおかしく、私自身も本来、企業というものは、世の中の役に立つ存在であり、ソーシャルビジネスという考え方はおかしいと思っているのですが、企業が自社の利益のみを追求する形になってしまった事により、世の中の為の活動をするソーシャルビジネスという呼び方が生まれ、それを融合させないといけないということこそが、これまでの資本主義の末期的な状態なのだと思います。

世の中は螺旋階段上に発展し、一見、復古した様な事が実は一段上に上って進んでいると仰る田坂さんは、ボランタリー経済とマネタリー経済が融合した新たな資本主義の時代を迎えるというお話をされ、初っ端から、今年の京都流議定書は良かった!という声を頂く程の講演となりました。

三日目のイノベーションを取り上げたセッションでも、今だけを変える様な薄っぺらいイノベーションではなく、歴史や文脈に沿った上で、長期的な視点で、しかし地道に鍛錬した事から生まれるイノベーションという様な事が見え、東京ではないイノベーションの形がある様に感じました。

今年のテーマは、ウエダ本社としての課題でもあり、今まで、会社の存在価値を作る為に行っている京都流議定書を始めとしたCSR的な活動が、スタッフの腹落ちのないまま、実業(経済)と全く交わらず、遊離したものでした。

それが田坂さんや新井さんのご講演を始めとする三日間の構成で、うちのスタッフが少し腹落ちしてくれた感があった事と、今年は、ご協力頂く方々と摺り合わせをしてキャスティングなどを決めた後は、その調整含めて私は殆どタッチせず、当日も何もしなくて良い状況で対応してくれた事が大変な収穫でした。

臨機応変に対応する姿を見て、ハイアットリージェンシーのスタッフの方もお世辞抜きで感心して頂いていた程でした。

京都流議定書は、ウエダ本社の70周年の際に第1回を始めたのですが、先日亡くなった堀場最高顧問には、その70周年パーティーの懇親会で基調講演をお願いした他、第2回でもクオリア時代として基調講演や、第4回では門川市長との鼎談にもご出演頂いており、正に、京都流議定書に対しても多大なご協力を頂いておりました。

堀場最高顧問に報いる為にも、理想とも言える、”おもしろおかしく”という働き方、生き方を、働く環境の総合商社として広げていく事、そして、今回の京都流議定書を、ウエダ本社自身にとって、実業とソーシャルの交わる元年としたいと思います。

2015年7月19日日曜日

堀場最高顧問に頂いた深いご縁

今週も色々ありましたが、何と言っても大ショックの訃報が入ってきましたので、堀場最高顧問について、綴りたいと思います。

今まで何度も堀場最高顧問の事は書いておりますが、改めて、感謝と共に振り返りたいと思います。


私の親父は、堀場最高顧問から、”社会人になってからの初めての友人”と言って頂いたのをずっと誇りに思っていました。

堀場製作所の前身、堀場無線研究所が烏丸五条で創業したての頃、飛び込みセールスをかけて、意気投合したのが私の親父だそうです。

まだ終戦後の食糧事情もよくなかった頃には、最高顧問の奥様のご実家から送られてくるお米をお家で一緒に食べさせて頂いていたそうで、この事は、三年程前に奥様にお目にかかった際、奥様も鮮明に覚えておられたほどでした。

倒産の危機に直面したウエダ本社に入り、八方塞がりで誰にも相談できず、悩みに悩んだ私は、それまでに多くの経営者の本を読んだ中で、殆ど全てという程、考え方がバッチリ合うと思っていた堀場会長(当時)がどの様に考えられるかを知りたくて、相談に行った事もありました。

倒産の危機に直面した中では、決断のミスが即刻命取りにもなります。

しかし、そんな中、机上論では100人中99人が正解と言うであろう選択が、どう考えても良いとは思えず、堀場会長にアポ取りをさせて頂き、1時間、思いのたけを話させて頂いたのです。

”全くの部外者に、会社の秘密情報も相談するなど、私は経営者としては失格ですが、それでも、どうしようもなく、今まで、ほぼ全て、そのお考えを納得する事ができた会長が、どの様に判断されるか知りたくてご相談に上りました”と、約1時間話させて頂きました。

会長はその間ずっと集中して聞いて頂き、その後、”1時間の話だけでは分からないが、この話だけでワシが判断するとしたら、こっちを選ぶな”と、100人中99人が選ばないだろうと思う、私がそちらにしたいと思っている方でした。

その一言で私は、”ありがとうございます、これで腹が決まりました!”と言って立ち去り、その後の難局に思い切り臨めたのです。

あの時会長が、私と違う方を言われていたら、どうしていたか?想像した事もありませんが、後にして思えば、私の説明ぶりで、私が決断を下している方は会長からすれば手に取る様に分り、その背中を押して頂いたのだと思います。

しかし、そのお蔭で、危機も乗り越える事が出来、その後も、 ちょこちょことアイデアを持ち込んだりする内に、”けったいな(変わった)奴や”と堀場会長から最大級の”賛辞”でご紹介を頂ける様になり、会長の所に相談に行かれた方が、”岡村に会え”と言われたのでと、こちらに来られる事もしばしばありました。

10年前に親父が亡くなった際、その頃には会社も一息つける様になっていたので社葬を行い、最高顧問に葬儀委員長もお願いできた事は、ウエダ本社で、私が親父に対して喜んでもらえる唯一の事だったと思います。

そんな親父の時代から60年以上にも渡るご縁の堀場最高顧問のご逝去は、私にとっても、勝手に親父の様な存在に思っていた事もあり、親族以外の死で、一番ショックなものでした。

お教え頂いた事で、私の考えや展開には大変影響を与えて頂いたと思いますし、ある意味、ウエダ本社を救っても頂いたのですから、皆とも共有する意味も込めて、あと少し、後日、続けたいと思います。

2015年7月12日日曜日

ギラギラとキラキラの交わるところ

今週も一週間を振り返ってみると、幅広い人と会っているものだなと改めて思います。

色々とロスもあるのですが、これが私自身の特徴でもあり、自分でも好きな事なのだと思います。

決して、”つるむ”のは好きではないのに、色々な会にも出たりして、人付き合いが良いのか、悪いのか、よく分からないね、とも言われたりするのですが、自分でも不思議です。

ただ、自分に無い感覚を持っている人、知らない事をやっている人、しかもそれが、自分の欲や利益の事ばかり考えて行なっているのではない人に興味を持つのと、そういう人と会って刺激を受けるのが好きなのだと思います。

幅広い人とお付き合いをしていると、人の事はよく見えてきます。

同じやる気を持って精力的に動く人でも、自分の為に動いている人と、所謂ソーシャルと言われる人では同じ目の輝きでも、ギラギラとキラキラの違いがあります。

最近はソーシャルというのも一般的になって、その中にも色々な人が出入りしますが、まず決定的に違うのは、ギラギラの人は、食い散らかしていくというか、都合の良い時だけ寄ってきて、その後なしのつぶてで、違う所に行ったりしています。

又、我々の様に、しょっちゅうイベントなどを開催していると、興味があるからではなく、メリットがある時だけ現れて、自分の人脈形成だけに都合よく利用して、自分のビジネスを広げている人も、よーく見えます。

あと、ソーシャルビジネスとか、ソーシャル課題に向かっていっているのに、自分の意見、話ばかりでヒアリングができない人も、それではソーシャル課題は解決できないと思います。

世の中の課題を解決していくのですから、一つ一つ、絡んだ糸を解いていかなくてはならないですし、そこには、それぞれの立場からの、思惑、利権なども絡んでいます。

その立場も知ったり、理解していけないと、こちらスタンスの課題解決を唱えても、独りよがりの域を出ないのです。

それだけにむしろ、ソーシャル課題に向き合っていく人は、より、他者(違う立場の人)を配慮できる必要があると思います。

特に、ビジネス領域どっぷりの人と接するには、時間をしっかり守る、報告などをしっかりするという事が大事で、それをやらない人(何等かの障がいで、できない人は違います)を受け入れるというのは、多様性とは全く違います。

ソーシャルビジネスを、ビジネスを絡めて社会の課題解決をしていくものという様に言っていますが、逆に今、世の中の課題と繋がっていない仕事や会社などあり得るのでしょうか?

或は、課題解決できない様な会社が、この先、特に日本という先進国において、残っていけるでしょうか?

世間や市場の声や課題を拾って、それを紐解いて解決していく事が、ビジネスの基本であり、その為にお客様の声をしっかり聞ける人を育て、聞ける会社になっていかないといけないと思います。

人口が増える新たなマーケットを求めてのグローバル化が危険なのは、いつまでも、モノを良くすれば、足らない所に持っていけば売れるという、自分スタンスが通用していくので、そのままの発想で、これから人口が増えていく後進国を浸食し、その発想を広めていく事だと思います。

市場の声や課題に真摯に向き合わないと生きていけなくなった日本から、真のソーシャルビジネスを生み出し、その会社がグローバルで活躍する様にしなくてはならないと思います。

今年の京都流議定書は、経済とソーシャルの交わるところというテーマで開催しますが、皆が、その交わるところに向かっていってほしいものです。

2015年7月5日日曜日

顧客スタンスの穴

先週辺りから、コピー機ビジネスにおいて、従来無かった発想で展開しています。

一般的に考えれば全然大した話ではないのですが、それでも、ここで詳しく書く事は止めておこうと思う様に、業界的には画期的な事だと思います。

しかしこの展開、もう十年程前から、ずっと、うちの会社ではやるべきだと言い続け、その理由も語り続けて、漸く、スタッフがやる気になって展開してくれる事になりました。

興味持って頂ける方は、”別途”ご説明させて頂きますが、単純に言えば、ただ、真にお客様スタンスを追求するだけの話なのです。

「お客様スタンスに立って」、どの業界でも、散々言ってきたフレーズです。

ただ、本当にそうでしょうか?

多くの業界、いや、ほぼ全ての業界で、自社の利益の為に、お客様スタンスというフレーズを利用しているだけではないでしょうか?

メーカーは以前は、望まれる商品を世に生み出し、それを買ったり、使ったりするだけで、人々を便利にしたり、満足感を与えたりしていたので、物を販売すればお客様スタンスは成り立っていました。

しかし、物が行きわたって溢れる様になり、他社との差別化ができない中では、メーカーのお客様スタンスは、あり得なくなってしまっています。

メーカーは自社と同様の他社商品を販売するなどできないのですから、お客様スタンスではなく、自社発信でのアピールをするしかないのです。


ましてや、我々の様な、物も技術もない小規模ディーラーが、自社スタンスに立って、自社が儲かる事を優先してやっていては、存在価値など生まれる筈がありません。

それを唱え続けて来て、まだまだながら、漸く、そういう考えを持ち始めて、動いてくれる様になってきました。

今週は、リノベーション、町づくり、ある選定委員など、様々な相談を持ち掛けられました。

建築でも不動産でも、デベロッパーでもない中で、相談を持ちかけて頂けるのは、今一番に求められているのは、自社スタンスや、偉い先生の作品の押しつけでもなく、真に顧客の声を聞いて、それを具現化してくれる所なのだと思います。

先月末から、土日は勉強会に行っており、ブログにじっくり向かえていませんが、そこからも、顧客スタンスの穴が大きく見えてきます。

そして、コピー機の展開に、顧客スタンスを感じない方は是非お声掛け下さい。

最後は宣伝になってしまいましたが、これは自社スタンスでの”押し”ではなく、有益な情報提供ですのでご容赦下さい(笑)