2015年6月28日日曜日

癌細胞になってないでしょうか?

今週は発生生命学の講演と、ビル経営サミットという、今までにはない毛色の違うセミナーでパネル登壇をさせて頂き、新たな刺激を受けました。

ビル経営サミットというのは関西で年に一度、ビルオーナーや不動産業界の方向けに開催されているそうで、違う切り口として展開しているビルオーナーとしての立場で話をさせて頂いたのですが、もう一方の発生生命学というのは、京都大学大学院理学部の高橋教授の”細胞の声を聞く”という講演を聞いて、陶芸美術作家の近藤高広さん、武庫川女子大名誉教授の高田公理さんと共に、ディスカッサントという役割でディスカッションを行うという、手ごわいものでした。

どんな話ができるのか?と思って聞いていましたが、「細胞は社会を作るという考え方」で、細胞の社会はオーケストラというお話は、組織の構造などと重ねて聞いていると、大変面白く、むしろ聞きたい事が沸沸と湧いてきました。


細胞というのは、本当に不思議で、分節というものを繰り返し、違うものが生まれていくのですが、正しい場所で正しい役割を、愚直にというのか、寸分違わず行わないと、異常をきたしてしまうのです。

発生生命学というのは、主に、生後16時間~3.5日の脊椎動物を使って研究するそうですが、それは、この期間は人間も鶏も、全ての脊椎動物が全く同じ決まった法則で分裂をするらしく、それがその後、全く違う部位を作り、全く違う種類の生き物になっていくので、その間の研究から、様々な事が分かってくるそうです。


オーケストラというのは、それぞれ全く別の楽器を受け持つ奏者が、それぞれは個の力を最大発揮しながら、楽曲の完成系を共有しながら、最高のものを創り出すという事で、細胞の活動と例えられるのでしょうが、企業経営、組織運営も全く同じ構図で、素晴らしいオーケストラが理想です。

癌というのは、細胞社会の破綻で、体をきちっと作っているのは、どの様な事が行われているのか?を研究する事で癌対策になったり、不幸にも、間違った認識の為に大きな差別にも繋がったハンセン病の原因となるレプレ菌というものの働きも、初期化するという役割だけで言えば、IPS細胞と同じ所もあり、有効に使う事ができないか?など、何時間あっても飽きそうもないお話でした。

私の興味が何処にあるか?

当然、組織になぞらえて考えると、個々がその場所でその役割をしっかり行なうと、しっかりハーモニーが生み出せるという体系と、その中で、個々がその力を最大化させようとする使命、モチベーションの生み方、そして、そこから分裂、分節を正しく生み出し、違う部位や違う組織を生み出し、その上で同じ個体として生きて行く為に、何が必要で、どの様にすべきか?というところですが、一見関係ない様に思う、細胞、発生生命学というものから、なるほど!と思わせて頂きました。

常々思っている事ですが、会社と言っても、この世に存在する限り、そこで働く人や、建物や備品も全て、分子、細胞からできているのですから、宇宙や自然界の一部であり、そこで行なわれる活動は、自然の摂理に則ったものでないと、おかしな事になるのです。

会社も、自然界や宇宙の中でいけば、単なる細胞の一つか、大きくても部位の一つなのですから、その中で、自社だけで利益を追求していって、目先、その周りで素晴らしいとされていても、地球や、宇宙全体から見れば、果たして正しいのか?と思ってしまうのです。

癌細胞も、自分達では悪いなどと思っていませんし、規則正しく、細胞としての役割を果たしていたところからちょっと逸脱しただけなのです。
しかも、その逸脱と、新たな部位を作り正しく変わっていくのとは紙一重で、その違いは、俯瞰的に宇宙から見るのか、数千年の未来から見るのか、もしくは、生命の起源からでも考えないと、見えてこない事だと思います。

グローバル展開での拡大、自社の数字上の大成功も、資本主義経済の中では正しい事なのですが、自然の摂理に則って考えたり、宇宙的視野で俯瞰的に見た時に、癌細胞と同じ事になっていないのか?

そんな振り返りを、企業や組織のTOPは考えてほしいものです。

影響は極々小さいですが、私は常々、そんな事を振り返る経営をしていきたいと思っています。

2015年6月21日日曜日

京都流議定書の最大のピンチ

今月の日経新聞、私の履歴書は、理化学研究所の松本理事長です。

というよりも、まだ、前、京大総長と言った方が馴染みがあるかもしれません。

私は一度だけ、幸運にも、一対一でお話をさせて頂いた事があります。

厳密に言えば、お話をさせて頂いたというよりも、私がプレゼンをさせて頂いたと言った方が正確ですが、3年前の京都流議定書にご出演頂けないか?と30分のお時間を頂き、京都流議定書の目的から、今年のテーマ、そして松本総長にご出演頂きたい理由を、反応を伺いながら、初対面でお話させて頂くのですから、大袈裟ではなく、十年以上振りに、”勝負”のプレゼンをさせて頂きました。

その甲斐あって、ご理解頂き、ご出演頂く方向で調整して頂く事になったのですが、鼎談でご一緒頂く、門川市長が、全国制定指定都市の市長会で出演頂けなくなり、”市長が出ないなら、”止めときます”とのお断りを、一旦頂く事になったのです。

今年で8年目となる京都流議定書ですが、振り返ってもこの時が一番のピンチだったと思います。

その時既に、島津製作所の服部会長は、松本総長との絡みを楽しみに、ご出演を快諾して頂いておりましたので、その再調整が必要な事、そして何よりも、三日間の最初の鼎談のキャスティングが振出に戻るという事で、今年で京都流議定書も終わったか、と思った程でした。

市長の代行というのは、その方がどうという話ではなく、”京大総長と同じ板に乗せるのは失礼だ”と、ある大御所にもご指摘を頂きました。

想いだけで突っ走り、その主旨をご理解頂き、それまでは、各界の重鎮の方々にも、体裁や格というものを外してご参加頂いて来たのですが、私が抱いていた、京大総長のイメージとは全く違う強烈なリーダーシップをお持ちの松本総長は、やはり格を考えないといけないのか?と落胆もしました。

しかし、その強烈さとは裏腹に、直接、お電話頂いたり、私の稚拙なプレゼンもしっかりお聞き頂く姿勢からも、何か”権威”などと言われる感じではない温かさも感じていたのですが、結果的には、
その見方が正しく、”受けましょう!”と言って頂いたのでした。

少しお話させて頂いた中でも、今、の”教育”というもの、そして未来の日本に向けて改革すべき事、その中で、京大というものが果たすべき役割を、本当に、熱く、考えておられるのが分りましたのと、それこそ、名誉や私利私欲からではないという事も、よく分りました。

その時の印象から、強烈なリーダーシップとは裏腹な温かみを感じで来たのですが、今回の連載では、貧しい中で育って来られた事や、お子様が重度の障がいを持っておらた事などを知り、背景が分かった様で、一人で特別な想いで楽しませて頂いております。


心底、全体の為に大きな発想で改革を成し遂げようとすると、ある部分の人には不都合な事となり、ある部分では必ず悪者になります。

それが嫌だから、怖いからと、皆に良い顔、甘い言葉ばかり言っている人が、改革を起こせる筈がありませんし、結局はその方が、自らの保身で動いている人なのです。

又、表面上は同じ事であっても、単に偉そうにやっている人や、我欲や名誉でやっている人とは、必ず違いは出るものですから、その違いをしっかり見分ける様にしないといけないと思います。


日本人は、とかく、耳障りの悪い事を嫌うのと、批判を浴びてでもやろうとする人を悪者扱いし、追いやってしまいますが、これも教育を変えていかないといけない一つのポイントでしょうね。

京都流議定書も、こんなピンチも有りながら、本当に関わって頂いた全ての皆さまのお蔭で今年8年目を迎えます。

松本元総長は、宇宙を利用するという壮大な研究を行って来られ、人類が生きていく圏域全体をも研究していくという事で、生存圏研究所を作られましたが、できるだけ大きな所からの発想と、目の前の事、足元をしっかり見据えていく事が大切なのだと思います。

そういえば、ウエダ本社の社是は、”宇宙を想え、人愛せ”でした。

普遍的で、イケてますね。


松本総長に、”出ない”と言われ、困りながらも、お詫びかたがた、それでもの出演依頼に、”私は気にしてもらわなくていい”と二つ返事で快諾して頂いた服部会長にも、人の縁というものを教えて頂いた気がします。

今年の京都流議定書も、そんな縁を繋いでいきたいと思いますので、沢山の方が、又、その縁を繋ぎにお越し頂きたいと思います。



2015年6月13日土曜日

次回ミラノへ行く際には

先週はミラノ出張の為、ブログを休みましたが、11日に無事帰国しております。

FBでミラノ万博が期待外れと書いた事に反響が大きく、少し驚きましたが、1年近く前から、この、”食”の万博に行こうとしていた私としては、期待外れ以外言いようがありませんでした。

食の万博という事で、各国の農産物や食材の紹介があり、それについて味わえたり、学べたりするものと思っていた事と、万博というものに対して、他国は日本ほどの位置づけではないのかもしれませんが、歴史博物館ならまだしも、郷土資料館という感じのパビリオンにはガッカリしかありませんでした。

考えて見れば、日本は大阪万博が、その後の輝かしい発展のスタートであったので、万博というものを特別視しているのかも知れません。

日本館だけが真面目に一所懸命構成している姿を見て、そんな風にも感じました。

20年近く振りに訪れたミラノの街は、全くその風貌を変えず、繊維商社に勤めていた頃、入社三年目か四年目で、営業が商品企画をしているのに行かないのはおかしいと、パリ、ミラノの展示会に行く事を直訴し、結果を見せないと何を言われるか分からないと、安ホテルに泊まりながら、朝から晩まで、店頭調査で歩き回った事を思って感慨深いものがありました。

ただ、その頃は、店にしか向かっていなかったので、リノベーションに関わっている今、改めて見るミラノの街は、面白い建物や風景だらけで、以前とは違って、俯瞰的に見ながら、同じ歩き回るのでも、楽しく、ワクワクしたものでした。

今回の出張は、三年に一度行なわれる京都商工会議所の会頭ミッションという視察にミラノの所だけご一緒させて頂き、その後、一人ミラノに残ったのですが、錚々たる方々に交じって、ホテルも”かなり”ランクダウンした所を取ってもらい、飛行機もエコノミーで行きました。

一年前から行く事も決め、まして、ミラノだけにしたので、予算的には十分余っていましたし、参加する社長の中で、ほぼ一人だけエコノミーで、ホテルも別というのは、恥ずかしく思う事もあるのですが、今回は、私自身も新たな展開へ向けてのものでしたので、ベンチャーを立ち上げる気持ちになって参加しました。

昨今のソーシャルイノベーター界隈では、この経費感覚(やる事と、時間と、お金がリンクして考えられていない)を持ち合わせていない事が危惧されますが、一方、隆々としていた企業が潰れていく大きな要因は、見栄、体裁から恰好悪さを受け入れらない事だと思いますので、新たな展開をしていくに向けて、成功祈願も含めて、その様に臨みました。

欧州は多くがそうである様に、建て替えなどができないミラノの中心地は、以前と全く同じ表情でしたが、周辺部では、数年前から、新たな街の広がりを見せている様で、特に京都などは、街づくりにおいては、大変参考になる、モデルにすべきものだと感じました。

20年近くの歳月を経て、全く変わらない街の様子を見て、ベンチャースピリットも改めて呼び戻された今回ですが、一日では疲れが取れず、時差ボケも治らず、体力だけはその歳月を感じています。

50代、ベンチャースピリットを持ちながら、再度、ミラノ、イタリアに戻って行く時には、新たな展開でも成果を出して、体力だけはカバーできる様に、良いホテルで、飛行機もゆったりとした席で行きたいものです。