2015年5月31日日曜日

50代 螺旋階段を登る様に 

今週は東京で、第四回の社会イノベーター公志園のキックオフが開催されました。

実行委員や伴走者、そしてこれまでの登壇者(フェロー)など、関係者のみという会でありながら160名もの人数で、17時~懇親会終了予定の22時半まで、基調講演、委員やフェロー、今年の出場者からの1分刻みのスピーチが数十名、その間に福島の歌い手aveさんの歌有りと、相変わらずビッシリと作り上げられていました。

そんな中、私も、オープニングで実行委員4人のスピーチの一人として、2分の枠で、その後には、武田薬品会長の長谷川実行委員長の開会宣言という、”気軽に話して下さい”と言われても、なかなか難しい状況で、話させて頂きました。

こんなスケジュール押しまくるだろうなと思いましたが、流石にスピーチも鍛えられた方が多いのか、ほぼ予定通りに進行し、大盛り上がりの内に終了したというか、時間的に終了せざるを得なかったという盛り上がりでした。

実際に各方面で活躍している熱い想いを持った実践者と、それを応援、伴走する人達の集まりですから、異様なエネルギーが充満していたと思います。

そんな中、基調講演で、アフガニスタンで30年に渡り、人道支援を行ってこられた医師でペシャワール会代表の中村哲さんのお話には感動しました。

異様なエネルギーとはまた違い、30年もの過酷な活動を行っている理由を聞かれ”自分は逃げ足が遅かったから”と答えられる冒頓(ぼくとつ)としたお話からは、長年、現地の人の為に、命をつぎ込んで来られて磨かれた言霊を感じました。

医者として現地に入られながら、干ばつ対策で、大手建築会社が行う様な、工事用水路や貯水池工事を行ってこられた中村さんは、どうしてそんな事までされるのか?という問いに、医者の仕事とは、①生命を守ること②より良い人間を作ること であり、できる事があるのに、その場から逃げ出していくのが気持ちが悪いから、と答えられ、自分の置かれた場所(役割)を大事にする事だと仰っていました。

いつの頃からか、大成功した大富豪という人より、中村さんの様な方を格好いいと思う様になり、自分の成功を追求してギラギラといている人や、スキルや能力があるからと自信満々な人を見ると引いてしまう様になっているのですが、一方では、それが自分の会社の停滞感にも繋がっている様にも感じます。

どんな事でもそうですが、0か1か、白か黒かのトレードオフの関係ではなく、両者のバランスの中で、動いていくものなのだと思います。

という事で、今年の京都流議定書は、”経済とソーシャルの交わるところ”というテーマであり、基調講演をお願いした田坂広志さんは、常々、世の中の全ての物事の進歩や発展は、一直線ではなく、あたかも螺旋階段を登る様に進歩・発展していくと仰っています。

一見、相反する様なものが交わり、元に戻ったかの様な状態が実は、上の段に居るという状態の進歩が、成熟社会の発展の仕方なのだと思います。

成熟と言えるのか、私も50代、再度?ビジネスをしっかり展開したいと思っています。

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