2015年1月25日日曜日

共鳴場をつくること

今週の行動を書くと、いつも以上に、何をやっているんだ?という印象を持たれると思いますが、いつも以上に、その体感などから、やっぱりそうかという確信にもなった週でした。

水曜日は、午後から、役を務めている盛和塾と京都経済同友会で立て続けに会議、夜東京へ入って木曜日はいくつかのミーティング後、夜京都へ戻り、翌金曜日は、午後からKYOCAで行なって頂いた経営実践塾に参加し、土曜日は朝一から再び東京へ日帰りで行ってきました。

金曜日の経営実践塾は、元JCメンバーを中心に、全国から京都に集まられた際、その師匠的存在の鬼澤さんを中心に人見さんがコーディネートされている経営の勉強会ですが、JCではなかった私も毎年参加させて頂いており、それを今回は、KYOCAで行なって頂くという事と、ゲストスピーカーが、いつもクオリアでご一緒させて頂いている京大大学院教授の山口先生であったので、何としても、と参加したのでした。

多分、特に他府県の経営者はご存知ない山口先生のお話と、図抜けたバランス感覚は、衝撃を与えられるであろうことと、尊敬する鬼澤さんとのあり得ない組み合わせは、両者を知る我々にとっては面白い事は見えていました。

しかも講演は二本立て。
原発問題と、ノーベル賞の裏側を、実際のデーターや関係者の証言に基づく分析から、経営者、リーダーとしての判断、イノベーションが生まれる仕組みなどを分かり易くお話頂き、参加者、大満足というか、”歓喜”という反応でした。

そして翌朝再び東京に向かったのは、鎌倉投資の方が中心に作られたNPO法人「いい会社をふやしましょう」が行われた”いい会社の理念経営塾”に出席する為でした。

通常は、帰って来て直ぐ行くなどという事はしないのですが、今回のゲストは矢島里佳さんと川人ゆかりさんで、この二人をコーディネーター役の大久保寛司さんに紹介していたのが私であったのと、別々に素晴らしいと思っていて、活動領域が全く違う二人が大久保さんの元で絡み合される所を見たいというのと、親心?的心配もあってのことでした。

矢島さんは、今や全国放送のコメンテーターとしても出演している様に、露出も多く、華々しい活躍をされていますが、川人さんは、それを目指さず、ある意味”職人的”に現在は地域興しや、それに関わる若者達のキャリア支援などを行っています。

川人さんの能力と特にバランス感覚は、今活躍しているソーシャルイノベーターと言われる中でも、
滅多に居ない存在なのですが、果たしてその”いぶし銀”的考えと、表面的には地域興しだけに見える彼女の活動から、その背景や、狙いが、経営者に理解してもらえるか?を心配しておりました。

しかしそこは、大久保さんの流石!のコーディネートもあり、見事にその凄さが引き出され、こちらも参加者に大きな衝撃を与えていました。

そして、ここで、何故そんな事やっているの?ということですが、それにはいくつもの理由があります。

・一つは単純に素晴らしいと思う人を多くの人に知って欲しいこと。
・そして、その活動が広まることによって、何かの解決、改善に繋がれば嬉しいこと。
・又、それが自分という存在が媒介となったことで実現できたら、自分自身の存在価値も発揮できること。 そして、それは意外と誰にでもできて、大きな効果があるということも示したいことなどからです。

この二つの勉強会でも、素晴らしい存在の方を知らない層があり、それを知ると、又、そこから価値が生まれる事もありますし、有能で、同じ様な事を行っている人同士が出会わなかったりすることが、大変勿体なく、大きな損失だと思うのです。
そしてそれが、自分という存在が媒介となって繋がり、ひょっとすると一生巡り合わなかった人や事柄が繋がって、新たな価値を生み出したり、存続できたりする事になれば、この上なく嬉しいし、凄いことだと思うのです。

昨日も私がこのセミナーに参加すると決めてから、それぞれの人に会って欲しい人、そこに来る人に紹介したい人などを何人もお誘いし、休憩時間などは、紹介で忙しかったです。

しかし又そこで、お前の役に何か立つのか?という声も聞こえてきそうですが、山口先生のお話で、イノベーションには共鳴場を作るという事が大きな要因となっているという事がありましたが、これは、全てに共通することだと思いますし、どんな事にもこの共鳴場を作る事がないと駄目なのだと思います。

矢島さんも、川人さんも、伝統や地域というそれぞれの世界で共鳴場を作って行かれているのであり、しかし、この共鳴場を作るという事は、その規模、インパクトの差こそあれ、誰にでもできる事なのです。

それを組織、企業に持ち込む、それがウエダ本社としての狙いであり、”物理”の考えに従えば、一瞬、一瞬の再現性が無く、見過ごしてしまえば、一生出会う事もなかった繋がりを、自分達が繋げられる事やできる役割を見出す事が、働き方の変革を目指す我々の存在意義だと思っています。

我々が媒介となって、”いい会社をふやしましょう” 

2015年1月18日日曜日

100年先を見据えて、私の役割

今週は、どうしても阪神大震災から20年という話題に触れないわけにはいきません。

何度も話していますので、知って頂いている方も多いですが、私は正に震度7の、ど真ん中で被災しましたので、事あるごとに、色々な光景を思い出します。
(ご興味ある方は、以前まとめたこちらをご覧ください)

マスコミなどでは”区切りの年”などと言う表現を使います。

何が区切りなのか分かりませんがそれでも、20年という年月は、その時に生まれた赤ちゃんが成人するのですから、明らかに時代は変わっていっていると思います。

これを機に、NPOやボランティアが日本に根付く様になったとも言われた流れは、今のソーシャルビジネス、ソーシャルイノベーターという流れに繋がってきており、課題先進国と言われる日本を、今後救っていく力になっていくことでしょう。

今週初めの三連休には、長野で高野さんが始められた百年塾(こちらをご参照下さい)に参加していました。

今回は、地域と人を大切にされる長野の代表企業である伊那食品工業の塚越専務、中央タクシーの宇都宮社長、小布施堂の市村社長の講演とサプライズゲストの大久保寛司さんのコーディネートでのパネルディスカッションという内容でした。

中央タクシーさんの話を聞きたいと言っていたので、有り難い事に高野さんからお誘いを頂いて参加させて頂いたのですが、前回は、この立ち上げの時に参加させて頂いていたものが、今では10か所以上の地域に広がっているとの事でした。

高野さんが百年先を見据えて、地域に”想い”を植え付けていこうと始められた百年塾は、、各地に、この様な素晴らしい企業と、それを目指し、応援する人達に広がっており、高野さんの植林活動が若い芽を出していっている様でした。

昨日は、盛和塾京都の新旧世話人会でしたが、12月末までの代表世話人であった私は、他の旧世話人と共に送り出されました。

昨年度実施した、昔の塾長講話のDVDを使った勉強会では、丁度20年前、震災後のものも二度あり、昨年は、震災当時からを振り返る機会も何度かありました。

稲盛塾長はよく、稲盛和夫の才能は稲盛和夫個人のものではなく、その才能を世の中に役立てる為にあるのだと仰います。

とても比べられる話ではありませんが、私もこの考え方がしっくりと来るところがあり、単に利益を上げて、自分は楽しく生きるという事では満足できず、才能などはないですが、自分の果たせる役割、自分が役に立つ事には、積極的に臨んでいきたいと思っています。

会社が儲かって、沢山の雇用を作り、沢山の税金を納めるという事業家として本来の貢献だというのが、真っ当な意見だとは思うのですが、そもそも会社は何の為に存在するのか?、会社が社会にどの様な役割を果たすのか?など、そんな哲学を、物が売れなくなった頃から、経営者も見失ってしまった様に思います。

あんな災害は生きている間には起こらないだろうと思っていましたが、不幸にもこの間に、東日本大震災が起こってしまいました。

”災難に合うのは、自分が過去(前世)から積んできたカルマ(悪い業)が消える時なので、喜びなさい” 阪神大震災で被災された経営者に稲盛塾長がDVDの中でアドバイスされていました。

そして土地にもカルマがあり、それを清算した所が発展するものなのだと仰っていましたが、阪神地区、そしてまだまだ復興などとはほど遠い東北は、それこそ百年先には、あの災害があったからこそ、素晴らしい地域になったのだという様にしなくてはなりません。

その為には、区切りなどはあり得なく、百年先を見据えて、自分の役割を意識し、行動し、繋いでいく人を広げていく事が必要だと思いますし、ボランティア元年と言われた年に生まれて成人となっていく人達が、カルマが取り去られた地域、そして日本で、新たな価値を作っていってくれると思います。

そんな新たな価値観を持って、自分の役割を持ち、自ら行動していく人達を応援していける風土、土壌を作っていく事、それがもう五十代に突入してしまった私の役割かと思っています。



2015年1月10日土曜日

2015年から考えるバックトゥーザフューチャー

2015年の第一週が終わりました。

堀場最高顧問とご一緒させて頂いているクオリア朝食会も新年第一回目がありましたが、最高顧問が風邪をひかれてご欠席となり、急遽、現在、同志社大学学長である村田晃嗣さんにお越し頂いての勉強会となりましたが、30分程の題材提供でのお話は、切れ味抜群でした。

我々世代だと殆どが観たのではないか?というバックトゥーザフューチャーパート2という映画は、1985年の30年後の未来である正に今年(2015年)が舞台となっており、そこには車は空を飛んでいるが、今や無くてはならない携帯電話の様な物は全く存在しておらず、人間の想像力というものは、それ程先の世界を読めるものではないという事でした。

その掴みの話は、ファンタジーとして面白いですが、同時に、その主人公であるマイケルJフォックスが首にされる会社の社長は日本人であったらしく、今描かれるとすれば、多分、中国人になるのでは?と続けられた話は、ファンタジーでは済まされない話でした。

日本も、こぞってグローバル化を叫んでいるが、そもそも国単位の話である国際化と、国のボーダーを越えて考えるグローバル化の違いもしっかり認識できていない日本で、この波に乗っていけるのだろうか?世界に出ていく事しかないのだろうか?という問題提起であった様に思います。

米国では、ヒスパニック系移民が流入するフロリダの人口が3位となり、今後は中南米志向が強まっていくであろう。
その考えに基づくと、米国における日系人は4世、5世となっており、日本との繋がりも無くなっているのに対して、インドやベトナムなどは2世も多く、アジア系も図式が変わっていっており、日本の存在感が薄れていく事や、グローバルを考えるにおいては、国単位の国際化ではなく、この様な民族性や宗教というボーダーレスな目で見ていかないと読み取れないと仰っていました。

又、イノベーションというものは、異質なものに多様な都市でないと起こらないというお話から考えても、少子高齢化に加速度的に向かっている日本は、移民受け入れという問題を避けて通る事はできないと思います。

しかし同時に村田学長は、多様性というのは、海外や外国人にだけに目を向ける事なのか?という事も提示されていて、日本国内の多様性という事、そこに目を向けられる人というのが、英語を話せるという事よりももっと重要なグローバル人材であり、日本国内のそれぞれの地方でそれぞれの価値を見出して活躍する事もグローバル(ボーダーレス)な感覚であり、日本にとってはもっと重要な事かもしれないとも仰っていました。

このベースの考えは、全く同感で、私自身もウエダ本社という会社を通して、日本の職場(企業)の変革と、京都という日本の縮図の様な場所から、日本の変革に繋げたいと思っています。

バックトゥーザフューチャーに描かれた年でもあるターニングポイントになるかもしれない今年、色々な意味でリソースも揃って来たウエダ本社も、皆に大きく意識変革してもらわなければなりません。

その意味で、新年初日の営業会議では、ちょっと厳しく話をしましたが、今週はほぼ毎日、各チームが自主的に、自分達の役割について話あってくれていた様子には、成長を感じました。

今、うちのメンバーも若返って、中心は30代ですので、30年前という事は、殆ど人生やり直せる所から考えても、ウエダ本社に入りたいという会社にする事、そして、この仕事がしたいと言えるものにしていく事、それが皆への新年からの宿題です。


2015年1月3日土曜日

2015年 働く人の資本主義~いい会社をふやしましょう

明けましておめでとうございます。

元旦の日経新聞社説は、今年が戦後70年、自民党結党60年、日韓国交正常化50年、先進国サミットがスタートして40年、プラザ合意30年、世界貿易機関の発足から20年、京都議定書が発効してから10年と、内政、外交、経済の枠組みを形作ってきた事柄の節目の年であると書かれていました。

正に戦後70年間、自民党一党支配は弊害もあったとは言え、これまでの日本の繁栄をもたらせました。

ニクソンショック後の先進国サミットにも参加した日本は、プラザ合意以降バブルに突入し、その後失われた20年を経験、その間、温暖化対策の大きな指針となる京都議定書が発効されたCOP3の議長国を務めました。

そんな数々の節目となる2015年は与党が3分の2を占める中、今後の日本にとって大きな岐路になると思います。

同じ日経の一面には、働きかたNextという特集が組まれ、”変えるのはあなた”という見出しがついていました。

様々な節目と共に今年は阪神・淡路大震災からも20年となります。

ボランティア元年と言われた年に生まれた人が二十歳を迎え、衣食住足りた中、失われた二十年も、それが当たり前で育った世代が社会に飛び出していくのですから、絶対安定の与党は、従来の価値観ではなく、新たな価値観を捉えて、そちらを向いて、それらをサポートしていってもらいたいものです。

豊田章男社長も教えを請われる伊那食品工業の塚越会長から、昨年直接伺った話ですが、年輪経営などを掲げて来られた起源が何処にあるのか?をつい最近思い出されたそうです。

それは20年以上前に、あの”海賊と呼ばれた男”のモデルであった、出光佐三氏のインタビューが編纂された”働く人の資本主義”という本にあったそうで、私も早速買って読みました。

驚く事にそれは1968年のインタビューで、アポロ11号が月に降り、科学技術が華々しい未来を開く一方、米ソが対立する東西冷戦時代という時代に、”出光では資本主義、社会主義、共産主義の良い所を取り入れた”、「働く人の資本主義」を目指していると仰っているのでした。

又、福祉とはお互いに仲良くすることであり、日本は心の福祉、外国は物の福祉を第一としており、日本民族が祖先から教えられ、数千年実行してきた心の福祉、和の在り方を外国人に教える事が大事とも仰っているのです。

そして、事業においては、清廉潔白、責任感を重んずるということは、一生懸命働いて自分の為のみではなく、人の為、国の為に尽くす、そして命がけで公共性を発揮するという事で、今日の言葉で言えば事業の社会性が大事だと、この時点で仰っているのです。

昨今のソーシャルビジネスという事に、違和感を感じ、事業と直接的に繋がっていない様に見える活動を何の為に行なうのか?という質問に辟易としている私にも、我が意を得たりの内容も多くありました。

漸く外国からも首相の名前を覚えてもらえる様になった政権で、数的にも安定した運営をできるからこそ、その力を、出光氏が唱えておられる様に、日本民族が本当の姿に帰って、フィロソファー(哲学者)となっていける様に向けて欲しいと思います。

ウエダ本社としても改めて、出光氏の意思を引き継がれた様な塚越会長や、”いい会社”を目指しておられる経営者や会社から勉強させて頂いて、日本こそが、世界平和、人類の福祉を教える存在となっていけるという出光氏の意思に則って、働く人の資本主義を広めていく使命を持っていきたいと思います。

またまた大風呂敷を、、と思われるでしょうが、新年の所信としてお許し下さい。