2014年12月29日月曜日

自分の中に自分は居ない

色々あった一年が終わりました。

まず間違いなく、十数年前ウエダ本社に来て以来、倒産危機に直面して奔走していた頃以外では、最もハードで時間に追われていたi一年だったと思います。

倒産危機の時は、いくつも同時に考えて、対応しなくてはいけなく、又、潰そうとする圧力などと戦わないといけなかったりで、大変ではありましたが、今から思えば、課題はハッキリしていたので、時間とやるべき対策とその効果をどの様に見極めて進めるかという事だけでした。

それに比べると今年は、ある意味、精神的にはそれよりキツかったかも知れません。

以前から親しくさせて頂いている京都青果合同(通称:京果)の社長に、取り壊そうとされていたビルを勿体ないからと訴えてリノベーションをさせて頂くこととなり、プロデュースを任せて頂くことになったのですが、専門の方でも超難級と言われる物件に対して、全くの素人で臨んだので、その大きな責任と、興味本位も含めた周りの期待と、自分の知識不足、目指すべき価値を共有できるチームが作れず、そのギャップに苦しみました。

私などが任せて頂いたのだから、スキルや手法ではなく、京果さんの価値と人の繋がりを絡めて
専門の方では産む事ができない価値を創り出そうと、もがいているものの、足らない知識だらけで空回りしていました。

しかし、そんな苦しい状況を救ってくれたのもやはり人の繋がりでした。

それぞれ専門知識のある方が、ボランティアで相談にのってくれたり、事務所やイベントをKYOCAに持って来てくれたり、色々な方を紹介もしてくれました。
そして何より、ビルオーナーである京果の社長には、多分、内外から色々な駄目出し、クレームなどが入っていると思いますが、岡村に任したのだからと、全面的に庇って頂いていていました。

一方、私がKYOCAに関わることになる事を想定して、権限移譲してきたウエダ本社でも、少しづつですが、それぞれが成長し、何とかしようという意識も持ち出してくれています。

”自分の中に自分は居ない” 量子力学の相補性という考え方では、生命を構成する要素は単独で存在するのではなく、それを取り囲む要素との関係性の中で初めて存在するとなるのだそうです。

一人でいくら頑張っていても、そこには自分は存在せず、周りとの関係において自分は存在する、
要は自分の外で自分が決まるという事なのです。

この一年、そんな事を痛感させられた年でした。

構成成分が絶え間ない更新を繰り返しながらも生命体が全体のバランスを保ち得るのは、細胞間、分子間にこの相補性があるからだそうですが、来年は、私自身、外との関係においての自分を高める為にも、構成してくれるメンバーやパートナーとの相補性を意識していき、ウエダ本社という生命体も、バランスを保ちながら絶え間ない更新をし続けていきたいと思います。

最後は、難しい話になりましたが、この一年私と関わって頂いた皆様、私という構成を作って頂いて有難うございました。

2014年12月20日土曜日

盛和塾京都の代表として考えていた事

今週も色々なイベントが有り、色々な人が来てくれました。

オバマ大統領の選挙参謀でもあったガンツ博士、greenz.jp編集長の兼松さんの講演などから、ソーシャルビジネス、イノベーター達の会合、経済同友会、盛和塾など経営者の集まり、伝統産業、音楽、アートイベントの打合せなど、バラエティーさにかけては、なかなか負けないと思います(笑)

その中でもやはり今週は、任期として今月末で代表が終わる盛和塾について書きたいと思います。

FBでも触れましたが、実は、この間かなりきつい状況でした。

そもそもの話から言えば、倒産寸前というウエダ本社に入って来た際、3期連続赤字となる様であれば社長として失格であり、社長は辞めると皆にも宣言し、HPにも掲げて取り組んできました。

その後危機を脱出し7年で無借金に転じましたが、長年、売上、利益で3分の1程を上げていた得意先が倒産すると一転赤字に陥り、代表世話人の話が来た際は二期連続赤字で三期目の途中であり、とても代表などやっている場合ではありませんでした。

盛和塾京都の代表は二年任期で一年目はサブ、二年目にメインの代表となるのですが、一年目の代表の際に赤字になれば三期連続の赤字となり、メイン代表どころか盛和塾はおろかウエダ本社すら辞めなければならない状況でした。

かなり悩みましたが、今や海外も含め1万人にも迫る盛和塾の発祥でもある京都塾の代表など成れるものではない事、代表を機に改めて稲盛フィロソフィーを学び直そうとした事、本来、利他を第一に学ぶ盛和塾では、お役立ちについては、望んででもやるべきである事から受ける事にしました。
勿論、赤字を出せばその時点で終わりではありましたが、色々な意味で底を打っている感覚も持っていたという事が前提ではありました。

ところが受けた年は、盛和塾京都は30周年であり、イコール盛和塾の歴史でもある京都の30周年は趣向を凝らすとの事から、世話人中心に出し物をやる事となり、和太鼓チーム、コーラスチームが結成され、代表は両方に参加することになりました。

会社でもやらないといけない事が山積し、代表世話人以外にも仕事にも関係する他の会や繋がりでの役など、それだけで目一杯であるのに加えて、コーラスや和太鼓の練習まで入り、正直、やってられないという気持ちでした。

その年のメイン代表には事情は説明していましたが、代表でありながら、かなり練習も欠席していたので、私の関わり方への批判も耳に入ってきていました。

結果的に30周年は催しも含めて大成功に収まり、私がメイン代表となる31周年目に入りました。

皆が稲盛塾長を尊敬し、勉強したいから入った筈の盛和塾も京都では出席率が30%という状況であり、来ている人だけが熱く、仲良く結束しているという状況もあったので、もっと、色々な状況の人も来られる様にすべきだと思い、特にイベントも無い今年は拘束を弱めました。

拘束を強めるとそれに対応できる人しか来れず、それに対応できない人にとっては居心地の悪いものになってしまいます。

昨年きつい想いで参加していた私が代表になったのだから、勉強はしたいけどそこまで参加できない人も参加しやすい様にする事を意識しました。

それぞれが一国一城の主であり、それぞれの状況は他の人では分からないし、軽々しく、他所の会社の社員を抱えた社長に対して、ああしろ、こうしろなどと言える筈がないのです。

利他というのは、相手の状況を慮ることでないと生まれる筈はないと思います。

又、世の中の課題の解決には、多様性を認める事が最も重要だと思うのですが、利他を唱え、世の中を良くしようと思う経営者の集まりの盛和塾が、一方だけの価値観で他を認めない様なものではおかしいというのが、私の考えであり、私の代表時代に少しでも違う流れができないか?と思ってきた事でした。

来られてなかった方も少し来てもらう様にはなっていましたが、出席率自体は殆ど変らず、成果を生み出すという程には至っておりませんし、元々来られていた熱い方々からは、不満足であっただけかも知れません。

それでも、その役をやるなら、自分がやれる役割を果たすべきと思っているので、悪役?に慣れている事もあり、違う流れを作ろうとして来ました。


京セラフィロソフィーの中でも、私は”動機善なりや私心なかりしか”という項目が好きです。

何かを行う際、特に、それが波紋を起こす可能性がある場合ほど、それは自分が目立ちたいから、或は、自分に利益があるから行なうのではないのか?とこの項目を問いかけます。

盛和塾代表も、受ける時から、何度かこれを自分に問いかけて行なってきていたのですが、今年は面白くなかった!と思っておられた熱い塾生の皆さんには、申し訳なかったですが、最後にそんなご理解を頂ければ幸いです。

来年は、楽しんで勉強させて頂こうと思います。

2014年12月14日日曜日

R-SIC  恐るべき20代

今週はリディラバhttp://ridilover.jp/という団体が主催するR-SICというイベントに参加していました。

ミラツクの関係から代表の安部さんと知り合い、あまりの能力の高さに驚くと共に、社会的事業を強固にしていくという目的にも共鳴し、一気に京都流議定書もパートナーイベントとしようとなって、今週二日間に渡るイベントにもご招待を頂いていました。

二日間に渡る八つのセッションのテーマ性、登壇者の選定、休憩、懇親会などの作り方、インターンでの運営などを通して、安部さんの頭の中が見えた様で、参りました。

まだ26歳?だったかと思いますが、今回の登壇者でも恐ろしい20代が何人か居て、若い世代の免疫を持っているつもりの私ですが、今の30代とは又違う、より分からない、凄い能力を感じました。

全く力みはなく、ひょっとすれば世の中に対して良い事をしているという感覚もないかも?と思う程、当たり前の様に、この世界おかしいから直そうよってノリで展開している感じでした。

私もやる事が山積していて直ぐに帰るつもりでしたが、初日は午後から最後まで、翌日も出られるだけ居て、後ろ髪引かれながら帰りました。

その後、向かった先は盛和塾京都のフィロソフィ勉強会。

今年、私が代表となって行った勉強会の最終回でしたが、JALの役員の方にお越し頂いて、たった二年弱で倒産した巨大企業が、全く違う会社という程の激変を、フィロソフィとアメーバ会計で遂げていかれた様子をお聞かせ頂きました。

こちらの肝は、やっぱりTOPの想いと行動の差で、TOPが覚悟を決めて死ぬ気で動かないと、あそこまでにはならないという事を感じさせられて、頭が大混乱を起こしてます。

でもハッキリ言えるのは、私自身全然できていないという事であり、中途半端だという事。

安部さん始め、20代の有能な人達には勝てっこないし、私も含めて40代、50代のオジサン方は、邪魔をせず、ただ、ともすればソーシャルがファッションになりかけている所を修正する事だけを考え、自分達は愚直に、誰にも負けない努力をしていくべきだと思いました。

NPOだけでは社会課題が解決できないとの事で、ソーシャルビジネスが持てはやされていたり、逆に、自社がうまく行くためにCSRや、利他を利用している会社というのは、従来感覚からの発想なのだと思います。

”道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である”二宮尊徳の言葉も、彼ら20代にはどの様に聞こえているのでしょう?


選挙速報では、自民圧勝を伝えています。

有能な新感覚の若者達が、存分に活躍できる世の中に向かう事を切に願います。

2014年12月7日日曜日

TOPとしてのおもてなし

今週も色々な事がありましたが、その中でもKYOCAで開かれる事になった第一回の知恵の場は、遠方からも沢山お越し頂き、当初70名定員から椅子席のみに変えて110名参加にするという大盛況で終わる事ができました。

知恵の場とは、サービス産業の経営者や幹部の経営力を高める為に行なわれる経産省の委託事業で、全体を日本ホスピタリティー推進協会さん、関西事務局をブロックスさん、そして関西会場をKYOCAで開催という事で、ウエダ本社も協力という形で関わらせて頂いているものです。

東京から来られていた経産省の方も、人数もさる事ながら、雰囲気が全然違うという事で驚かれていましたが、講演者、場の設定、そして何よりも集まる方の”気”で、その様な事になるのだと思います。

今回はゲストである元リッツカールトン日本支社長の高野さんのファンや、純粋に学びたいと思って来られた方と、ブロックスさんのファンの方が殆どでしたので、必然的に暖かな雰囲気になったのでしょう。

高野さんのお話は、いつ聞いても分かりやすく、”おもてなし”について、その語源から、最後は個人が身に着けていく為の具体的行動までお話頂きました。

自分にとって、その仕事にとって、相手との関係においてのセンターピンは何か?

高野さんが良く話される事ですが、リッツカールトンは、その地にリッツができた後、町が変わったか?そうでないと出る意味が無いというところから考えられるそうですが、それが出店においてのセンターピンなのだと思います。

又、TOPにしかできないおもてなしは、自社の社員にここで働く働き甲斐を感じさせる事、とありましたが、そういう意味では、うちの会社ではまだまだ私のおもてなしができていないですね。

この日は、知恵の場の第三回目のゲストでもあるヨリタ歯科クリニックの寄田院長と新谷さんも来られていました。
実はこの日、京都大学の経営管理大学院に授業で来られていたのですが、こちらには、うちの会社は撮影の仕事で入らせて頂いており、その後、うちの会社にも立ち寄って頂いていたのでした。

高野さん、西川さん、寄田さん、今週は別件でル・クロの黒岩さんにもお越し頂いていた他、今週もNPO,ソーシャルビジネスなど、日本を変えていこうとしておられる方々が、ウエダ本社、そしてKYOCAには集まって来て頂いていました。

その価値をまだまだ社員達に伝えきれていないところが、もてなしができていない所ですが、この価値を持って、KYOCAがあの場所で色々な人を集めていった事で、あのエリアが変わった、或は、農業や、食品業界が変わったと言われる様にして、KYOCAでのおもてなしも高めていきたいと思います。

*KYOCAの狙いについてご興味もって頂ける方は、greenz.jpの記事http://greenz.jp/2014/12/03/kyoca/ もご覧ください。