2014年6月29日日曜日

プロセス思考と1対1

ワールドカップの話も、色々な方がされていると思いますし、日本についての評論についても様々な意見があります。

振り返ると、私がウエダ本社の社長になったのは12年前の5月であり、創業者から続けていた社報での社長コメントも6月から引継ぎ、7月には、その年、日韓共同開催されたワールドカップの話を書いていました。

"代表チームはその国を映す鏡" と言われるという話から、日本サッカーは1対1が弱いという事を書いていたのですが、12年経った今回も同じ様な印象があったのではないでしょうか?

マスコミなどの開催前の持ち上げ方から、負けた後の掌をかえした酷評や、全く正反対に、検討を讃えて温かく空港で迎える姿も日本を表していると思います。

結果を出せなかったアスリートにとって、慰められるのは決して嬉しくなかったりするそうですが、外国では同情的に検討を讃えるという事は少ない様に思います。

シュートで終わるとか、枠にシュートを蹴っているとか、どうベストを尽くしたのか?どう役割を果たしたのか?に対して厳しく、できていなかったり疎かにしていた事に対しての同情は無い様に思います。

対して日本は、結果だけでの上げ下げが極端で、中身とは関係なく、結果良ければ凄く持ち上げ、悪い場合は酷評と、逆に、感情的に可哀想と、同情するところもある様に思います。

この辺りは、実はうちの会社内でもずっと感じてきた所であり、このポイントを何とか掴んでくれないかとずっと取り組ながら、うまくいっていません。

企業にとって、毎期、毎月の成績は得点であり、勝敗という結果です。
お金をもらっているプロである以上、結果は残さないといけません。

ただ、何とか数字を上げろと、精神論で結果だけを追っても無駄であるのと、逆に、精神論だけで結果関係なく、頑張ったんだからと慰めるのも、プロとしてはナンセンスだと思います。

プロセス思考とでも言うのか、その目標を達成する為に、どの様に考え、どの様に行動するのか、そしてそのプロセスに対してどれだけ厳しいかが重要なのです。

パスやドリブルを繋いで、毎回シュートで終わったのか?は、やるべき事はやったのか?という問題であり、サッカー先進国のファンは、まずそこを見ている様に思います。

そこができていないとそれこそ日本の比ではない酷評も受けるのですが、シュートで終わると外しても一定の評価を受けるのはそういう理由で、日本の場合は、そのプロセスは関係なく、入ったかどうかで賞賛と酷評を決め、酷評がきついと、今度は同じプロセス、結果なのに、判官贔屓ともいうべき感情で、頑張ったんだからという同情論が出てくるのです。

勿論、ここに日本人の良さもあるのですが、この点が、最後には1対1の勝負時での弱さに繋がっている様に感じてなりません。

結果だけで一喜一憂、上げ下げしていたのでは長い目で見た成長はできないと思います。
しかし、プロセスには厳しい会社、仲間でありたいと思いますし、それが1対1を磨いてく事にも繋がると思います。

2014年6月22日日曜日

ウエダ本社もグローバルに?

京都流議定書まで一ヶ月を切りました。

今年は初めての事も多く、凄い違和感を感じながらも、私自身も初めて?の試みを行なっています。

そもそも昨年の京都流議定書直前に、来年、私はやらないので、皆でやるのか?やらないなら、今年で終わりになるが、それも考えてやって欲しいと言っていました。

そこには二つの大きな意図があり、一つは、京都流議定書という外部からは評価もされるイベントになっているにも関わらず、社員が自分のモノにしていない事が最大の課題であり、それを自分達のモノにしてもらう事と、もう一つは更に大きく、私自身が今年の時点以降はKYOCAに関わらなければならない事も分かっていたので、ウエダ本社自体も自分達の会社だという意識で、自分達で運営してもらわないといけないという想いからでした。

それ故数ヶ月に渡り、ウエダ本社の強みなどについて手を変え品を変え考えてもらう機会を作り、その度に強みとして出てくる京都流議定書を、それなら皆でやらないと、となるのを待ち、その後、それならどんな企画?という事を、私の想いからするとほぼ一年がかりで行なってきたのです。

その間、今年は会場もKYOCAで開催する事となり、これ以上遅れると色々ご迷惑もおかけするので、最終キャスティングなどは決めましたが、ギリギリまで皆に考えてもらいました。

新しいメンバーも多く、経験した事ないメンバーも多い中、場所も出来たばかりのKYOCAでどの様になるのか?今の調子で良いのか?違和感だらけですが、会社運営も含めて、皆で考える、自分達が自分達の事としてやる、それを経験し、掴んでもらわないといけないのです。

組織運営も一球一球サインで動く野球型ではなく、瞬時に皆が判断して動くサッカー型でないとやっていけないと言われる様になって久しいですが、それが生命線になってくると思います。

今、ワールドカップが行われており、日本は決勝リーグに残るのがかなり厳しい状況にありますが、今や世界で活躍している選手がたくさん並んだ全日本でも、自分が決めてやる!という力強さの差が大きく出ているのではないかと感じます。

またまた持論の展開になりますが、グローバルに通用するって、英語教育ではありませんし、ディベートができるというだけもありません。

グローバルで重要なことは、どんな状況でも、自分達が経験したり習ったりした事が無い状況でも
その中でどの様に対処するか、どの様な事を生み出し、成果を上げていくのか?という事だと思います。
簡単に言えば自立していける事だと思います。

ウエダ本社の皆には、ここで自分達が経験した事のないグローバルな世界を経験してもらいたいですし、そう言う私自身もKYOCAで全く知らない世界でグローバルに向かっていきたいと思います。



2014年6月15日日曜日

ないものはない!から逆流する価値

今週始めは、島根県隠岐諸島の海士町、隠岐の島町に行っていました。

それには二つの理由があります。

一つは、以前から山崎亮さん始め色々な方が入り込まれ、離島で唯一人口が増えている、しかも若い人が増えているという注目の島に行ってみたかった事と、もう一つは、尊敬する大久保寛司さんからお誘いを受け、奇跡的にも調整がついたので、行くしかないでしょう?との事からでした。

という状況で内容も知らぬまま参加すると、それは何と、高野登さんが、海士町、隠岐から招待され、二日間みっちり、町民、高校生、隠岐汽船及び商工会などへの講演会が組まれているところに、大久保さんからお声がけ頂いた7名も同行するというものでした。

全国の大久保さんや高野さんのファン、師事している人からすると、当たり前だ!と妬みに近い突っ込みを受けるでしょうが、こんな贅沢な旅はないというくらい濃密なものでした。

高野さん、大久保さんがWで行われる講演自体、滅多に見れないものを、違う層に向けて、違う内容、違う伝え方で行われる三部作を見せて頂けるのですから、当たり前ではありますが。
加えて一緒に参加されていた方々が、凄い方ばかりなので、これも贅沢感を増幅させるものでした。

沢山あり過ぎて、とても書ききれないですが、印象に残ったフレーズをいくつか上げると、高野さんの、
何故売れないか?それは買う理由がないから、
何故行かないか?行く理由がないから。
というお話と、モチベーションは上げるものではなく、心の底に掘り下げるものであり、自分と向き合って何ができるかを考える事がモチベーションであるというお話、
大久保さんの、心は表情や言葉や見える事で伝わるもので、どう思われるかが全て。
あるべき姿を語るのではなく、あるべき姿を実現する事が大事、というお話は、自分自身の大きな課題としても刺さりました。

いくら語っても、どう伝えられるか?が重要であり、あるべき姿の実現に向けては、心に届かせないといけないという事も、大久保さんの講演で、目の当たりにした感じです。

言葉の響き、トーン、テンポ、そんな事を整えていくと、伝わり方が全然違っていく様に、個人も組織も、雰囲気を整えていく事が重要なのだと感じました。

あとは、海士町にしても、先日訪れた智頭町も、熱く強い想いを持ったリーダーと実際の現場リーダーが揃うと、どんな課題があっても動き出すのだという事も見せつけられた気がします。

「ないものはない」フェリーで入った海士町のゲートにたくさん貼られたポスターは、町長の強いメッセージを表しています。

無いもの、足らないもの、を嘆いていても何もならないし、その姿勢はどこか依存している気持ちがありますが、ないものはない!とすると、有るものを探すしかなくなり、自分で何とかしないとという自立に向かうのです。

求める人、しかも自分の条件のみを考える人では、力を結集していけません。
要は条件に群がり、スキルで勝負する人ばかりになるので、それは結局、大手や資金力のある力の勝負になるのです。

ないものはない、と有るものを見つけ、高野さんも仰る、コップ半分の水で、文句を言っているのではなく、半分有る事に感謝できる人を集め、繋がっていった時、計算できなかった価値が生まれていくのだと思います。

古ビルの再生、町おこし、社会的ハンディキャップを持った人達に優しい社会の実現など、実は全部同じで、ないものはない!と多くの人が、腹決めする事から始まるのではないでしょうか?

2014年6月7日土曜日

今後の本業

今週も殆どKYOCAにかかり切りの一週間でした。

7月20日にオープンという事で当たり前ですが、私としては今後、この古ビルを活用していくこと、そしてその町、地域を元気にしていくことに重点を置いていきたいと考えていますので、これが本業なのです。

今まで、どれだけ、何をやっているのか分からない?とか、本業を放ったらかしにして、とか色々と言われて来ましたが、これからは、私自身の動きは本業そのものですから、説明するのも楽になりそうです(笑)

今週は、雑誌やテレビの取材があったり、スピーチさせて頂く機会があったりで、今行なっている事を自分で整理することができました。

改めて振り返ってみると、今まで行ってきたこと、経験してきたことが、全部繋がっていることや、私自身が考えていることって、色々違うことを行っている様に見えて、同じ価値観の線上に並んでいることに気づきます。 

昨日、KYOCAのオープンより先行してマイファームさんが一階に八百屋をオープンされました。

昨日、今日と売り場に居ると、まだそんなに宣伝していないのに、切れ目なく近所のお年寄りなども興味深く買って行かれる姿が有り、食材(農産物)の持つ魅力を感じました。

生き物としての生命維持に関わるものであり、良い食材を選ぶ楽しさや、美味しいものに出会った時の嬉しさなど、人間に根源的に関わり、喜んでもらったり、役に立てるのですから、食に関わる仕事って本当にやり甲斐があると思います。

振り返った時、20代の頃はやっぱり、お金や成り上がり的な成功に憧れていましたが、いつからか、それができるだけ大きな貢献をしたいと思う様になっていました。

企業の貢献は規模を拡大して、できるだけ大きな雇用を生み、できるだけ多くの税金を納めることだという意見も多いでしょうし、間違いではないでしょう。

しかしそれを自社の利益、規模拡大を追求する為に、及ぼすマイナス影響を相殺すると、地球(宇宙)全体では、どうなのか分かりません。

売上、規模も貢献の一つですが、そればかりではなく、生命に関わる食というもので、多くの人々の役に立ち、喜んでもらうというのは、素晴らしい貢献だと思います。

これから1階にも色々な店が出来てきます。
2階、3階では、イベント、ワークショップ、セミナーなどを通して、食、食材の情報、学び、体験
があるビルとなっていきます。

そんな光景を見ていくと、又、ふつふつと、やりたい事が湧き上がってきそうです。

古ビル活用が本業に向かっていった頃、又、新たな展開に向かって行っていて、訳わからんことやってますね?と、いつまで経っても同じ様に言われているのかも知れませんね。


2014年6月1日日曜日

頑固で柔軟に

人の意見をどこまで聞くのか?自分の意思を押し通すのか?
この判断は非常に難しい問題です。

私自身、非常に頑固と言われる場合と、人の意見を柔軟に聞き入れますねと、全く反対の事を言われる場合とがありますが、この頑固と柔軟は、全く違う論点で、自分の中ではハッキリしています。

受け入れる、柔軟、という事に関しては、特に若手で想いを持って活動しているイノベーター達は、単純に尊敬するし、刺激も含めて勉強させてもらえる事が多々あると思っており、そういう事が、既存価値のオジサン方からは柔軟に受け入れる様に映るのでしょう。

一方、頑固と言われるのは、自分が責任を負わないといけない事ほど、簡単には人の意見を聞かないところですが、アドバイスは聞きますし、良い事は取り入れるのですが、無責任に、ああしろ、こうしろ的に言われることに対しては、責任を負う自分が判断しないと、ひどい目にあうという経験則から、他の人よりも頑固に聞かないと思います。 

その人の置かれている状況や、考えなども知りもせず、自分の尺度で、簡単に、ああすべき、こうすべきと言うのですから、それが責任ある発言なわけがありません。

自分が責任を負わないといけなければ、アドバイスはできたとしても軽々しく言える筈などありませんし、それが言える人は修羅場を経験した事が無いのだと思います。

修羅場というのは、机上論では考えられない事が起こります。

例えは不適切ですが、大惨事の際に、賢い人達が考え抜いた想定は役に立たなかった様に、その状況にならなければ、その立場に立ってみなければ分からないのです。

かつては日本の誇りとされたS社が苦しんでおり、その元凶には、私も何度もご一緒させて頂いている経営者が上げられますが、そういう批判も私は嫌いです。

何故なら、その立場を経験しないと分からない事だらけであり、20万人ものTOPになってみないと、どんな風景なのか、内部に居てもましてや外部からでは想像もできない状況があるのです。

でも残念ながら、世の中がワイドショー化し、無責任に、人の事を責任も負えないのに、ああすべき、こうすべきと軽々しく言う傾向があり、この点が諸悪の根源とさえ思っているので、頑固と言われるのも当然だと思います。

又、ああしろ、こうしろと、上から言っていくスタイルでは、これからの世の中は変えられませんし、中央(政府)から、決めつけて分配していくやり方では、もはや日本は持たないのは明白です。

そうではなく、土壌を耕すこと、組織や企業で言えば人を育てることですが、その場合、スキルではなく人間として、生き物として育てることが重要で、土壌を耕しながら、芽が出てきたら育っていく場を作り、あとは、自然の力、それぞれの生き物の力に任せていく、そんなことでないとこの国は変わっていけないと思っています。

と言うと、私もこうすべき!と言っている様に聞こえるかもしれませんが、ハッキリと違うのは、自分の会社など、自分が責任負う所に対しては頑固に、自分が責任負えない所では、その会社、その人、それぞれの立場を尊重していくべき!だと考えているのです。

多様性を認め、それぞれが尊重される社会にならないと、東京一極集中からも脱出していけません。

そんな考えに基づいて、これからも無責任な"べき論"には頑固に、分からない潮流には柔軟に対応していきたいと思います。