2014年3月15日土曜日

3・11の特集とJAPANESE ONLY

今週は3・11という事でマスコミは特集を組んでいました。

FBにも書いたのですが、いつもこういう報道を見ると、両面の自分を感じます。

一方は、やはり感情移入して見てしまっている自分と、他方では、何故、この何年目という時に、皆が集中して報道するのだろう、そこには、被災者の事をある意味ネタにして番組制作していないのか?などと冷めて見ている自分です。

マスコミは伝えるのが使命であり、どんどん他人事になっていく被害を受けていない人達に、忘れさせない役割があり、その為には何年目でと、多少ショーアップするのも仕方がないのかも知れませんが、悲しく、時に感動チックに仕立てられた報道に乗せられていないのだろうか?と思うのです。
その時だけ強く感情移入して見ている事って、被災された人の立場で考えるとどうなのだろうかと。

今週はウクライナ情勢や、Jリーグでの JAPANESE ONLYの横断幕問題など、国家や民族について考えさせられる問題もありました。

ある方がビジネス誌の記事を取り上げておられましたが、差別的発言を擁護する人が、残虐な感情を持っているのではなく、むしろ正義感や被害感情からであったりする事が多いとの事で、一般の、普段は温厚な市民が、被害者意識と正義の感情と集団のもたらす熱狂に駆られて残虐になっていく事への警笛を鳴らしておられました。

JAPANESE ONLYと書いた意図は分かりませんが、もし、外国人に排他的な感覚で書いたのだとすれば、そういう人って、同じ日本人の東北で被災された人達には、どれだけの想いを持っているのでしょうね。

人間とは勝手なもので、都合よく自分の所属している場所やイデオロギーを正当化し、そこから見ているだけなのではないでしょうか?

一般的には、素晴らしい考えでの活動であるのに、それが先鋭化していくと、それ以外が悪いという様になっていく事があります。
ネット上でも、イデオロギーの違う人を呼び捨てで、まるで犯罪者の様に言っているケースもよく見かけますが、それってJAPANESE ONLYの感覚と同じじゃないでしょうか?

同じ価値観の人が集まってその中に居ると、大変居心地が良いのですが、 そこで違う価値観の人を往々にして、人は分け隔てて考え、時には"悪"と考えるのです。

考えが違う事が悪いのではありません。

ましてや当たり前ですが、人種や国籍や、宗教や、イデオロギーや、見た目が違う事が悪いのではありません。

その違いと善悪を一緒に考えてしまう事が"悪"なのです。

みんな違ってみんなイイ。

被災地に向けても、何年目だけでなく、何時であろうと、何年経とうと、想いを寄せて行く事が大事だと思いますが、これはどんな問題に対しても同じなのだと思います。

以前は、年齢がバラバラな集団で遊んで来て、その中で色々な感情も経験したものですが、現在は
少子化で大事にされ、親が自分の子供だけに付きっきりで遊び、"個"で育って来た子供達が、SNSやネットでグループ化していく先には、他者を思いやる、慮るなどという感覚は、薄れていってしまうのは当然だと思います。

他者に配慮する為には関心持たないといけないですし、その為には、まずはショーアップされた報道でもしょうがないのか?(偏向報道は困りますが)とも思います。

関心を示されないのが被害や弱い立場になると一番辛い事だと思います。

神戸で被災後、何度も実家の京都と往復をしていた頃、不通の区間は瓦礫の中を歩いて、開通している所を乗り継いで着いた大阪梅田駅は、煌びやかで、皆が何も無かった様に家族や恋人や友人と楽しんでいる光景があり、その中に汚い格好をした被災者一行が、三々五々消えて行ってしまう光景がずっと脳裏に焼き付いているのですが、その時、何とも言えない悔しさと、普通に楽しんでいる人への驚きと、怒りの様なものさえ感じました。

全く関係ない、3・11の特集とJAPANESE ONLYの問題は、私的には全く違う問題ではない様に感じます。


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