2013年10月26日土曜日

Waoffice は、オフィスの考え方の提案です。

今週は金曜日から赤坂サカスで開催されているCool Kyotoという展示会に出展しておりました。

これは京都府や京都市そしてTBSも委員となって行われているイベントで、今年で3回目を迎えるものです。

昨年当社では北山杉を使ったオフィス向け家具を"Waoffice"(和オフィス)というブランドで発売しました。

卸として創業し、今年で創業75周年を迎えたウエダで、オリジナルで商品開発し、販売したのは初めての事だと思いますが、早々から京都大学さんや、ISFネットさんが青山で作られた450坪のシェアオフィスなどでも採用して頂いた他、京都でも、少し使うだけでオフィスや来客の場の雰囲気が変わったという事で、大変ご好評頂いております。

働き方の変革を唱えるウエダ本社としては、人にSPOTを当て、無機質なオフィスを変えていこうとされる企業を広げていく為に、今回出展する事にしました。

TBSさんからは、当社の考え方が"京都らしくCoolだとの事で、こちらに出して頂く事になったのですが、広くなり過ぎた為、段ボール家具や、全くの新製品であるマイボトル洗浄機なども、この展示会に試作を間に合わせて頂き、提案させて頂きました。


これらは、物というよりも、当社のオフィスの在り方、考え方を提案するもので、こういう"場"をオフィスに持つ事で、働く人がホッとする"場"、そして語らいコミュニケーションを生む"場"を作っていこうとするものです。

マイボトル洗浄機は、ペットボトルや紙コップを減らしていく事、段ボール家具はリサイクルの一環として、環境負荷の低減、循環型社会に少しでも貢献していく企業姿勢を表すものとして、展開して参ります。

何か最後はプレスリリースの様になりましたが、自分の想いに沿った事業展開ができるのって、清々しい気分になります。

台風一過の最終日、清々しく楽しんで参ります!

2013年10月19日土曜日

ISFネット沼津開所式で想いを改めて

今週金曜日は、ISFネットグループ沼津の開所式に行ってきました。

今回も青山での物件に引き続き、弊社で担当させて頂きましたが、そのスピード感には驚かされながらも、うちのスタッフはソツなくこなしてくれ、無事開所式を迎える事ができました。

渡邉代表とはポイントでしかお会いしませんが、いつお会いしても、自分の中途半端さに、複雑な心境になります。

使命感の高さ、事業構想力、実行力とそれを継続するだけでなく常に向上させていく意志の強さ、私の知る限りの大経営者と比べても一番ではないかと思います。

2000年に4人で創業された会社は、今やグループ3000人となるそうで、ニート、引きこもり、身体のハンディキャップなど、就労について困難とされる20数項目に当たる方々が約3割を占める中、思いだけではなく、成果も残していかれているのです。

算盤勘定で生きている人には全く意味が理解できないでしょう。

思いだけで頑張っている人には、どの様に壁を乗り越えているのか、不思議だと思います。

毎朝?2時半に起きて、未来ノートに向かって構想を練り、行動をチェックし、運動を兼ねて歩いての通勤時には、イヤホンで電話しながら幹部の方々と報告、指示の時間とされ、会社に着く頃には、社長としての会社の仕事は終わっているのだと思います。

日中は、講演なども含む、就労困難者を受け入れる世の中への啓蒙活動に奔走し、夜8時には就寝される生活で、365日休み無しですから、真似できる人、少なくとも、それに負けないでやろうとする人は居ないのではないでしょうか?

渡邉さんも数年間は盛和塾でみっちり学ばれたそうですが、これぞ明確な"誰にも負けない努力"ですよね。

ちなみに少し前までは5時起きだったのが、4時になり、少し聞いていない間に2時半になっていました(笑)

こんな生活、多くの人は、幾ら成功しても楽しくないと思われるでしょう?

実際、多くの成功者や経営者の方々も、たくさんのお金を稼いで、豪華な物も買い、銀座や新地や祇園で豪遊?という話も多いですし、大物になるには遊ばないと!と、飲まない私などにはアドバイス頂くケースもよくあります。

私もその考え方は間違いだとは思いませんが、それを目指す事自体が何か結局、自分が大きくなりたい為であり、私には全然羨ましく見えない、ハッキリ言えば、格好イイ生き方には見えないのです。

障がいやハンディキャップで就労できない人達に仕事を作る、それも補助があるから月1万円強という給料ではなく、人間の尊厳を持ってもらう為に、正当な給与を稼げる様にする、という強い想いで日本全国にこの様な場を作り、自社での雇用と、他社にも働きかけて、現在740万人とも言われる就労困難な方々が働ける世の中を目指すという使命に向かい、その為には遊びなどの時間は殆どないはずですが、人生楽しくてしょうがないと仰る渡邉さんの方が圧倒的に格好良く見える私は、やっぱり、おかしいのでしょうか?

たくさんのお金を稼いで、欲しい物は何でも手に入れる事が出来て、リタイアしてハワイかどこかでゆったりと過ごす、普通の人が羨む様な話、私の場合は何故かあまり惹かれず、渡邉さんのように、趣味は仕事というのか、使命に向かう事という方が、何の為に生まれてきたのか?という事を素直に展開されていて羨ましく思えるのです。

そういう想いはありながら、中途半端で結果も出せていない自分があぶり出され、複雑な心境になるのです。

中途半端では、単なる"面白みの無い奴"となってしまいますから、私も今考えている方向で絶対的に結果は出したいと思います。

伊那食品の塚越会長が、「長期雇用や年功序列など、徹底的に人を大切にする経営で、ちゃんと成績が出るという事を世の中に証明したかった」と仰っていた事がありましたが、私も中途半端で、単なる"無趣味で面白みの無い奴"とならない様、10年後には働く環境を変え、"人を大事にする会社が長期的には成功するという事を証明したかった!"と言える様に頑張っていきたいと思います。

その時に、誰にも聞いてもらえず、独り言の様になっていない様にしないといけないですね(笑)

2013年10月13日日曜日

大連にて、生物原理主義?

今週は水曜日の福井への日帰り出張の後、木曜から大連に来ています。

ネジ一本から全て内製化している事で有名な、ある仕入先の工場視察がメインでしたが、圧倒的な規模と量を目の当たりにし、我々の進むべき方向も再認識する事ができました。

昨日は、旅順の二百三高地に行きましたが、日露戦争時のそこでの日本軍の反転がなければ、今の日本はどうなっていたのだろうと思いを馳せていました。


あの時、乃木将軍が采配を続けていたら、反転は無く、日本は日露戦争に負け、全く違う国になっていたでしょう。

いや、ひょっとすれば、ロシアの支配下に置かれていたでしょうから、日本という国も無かったかもしれませんし、あったとしても共産主義国になっていた事でしょう。

太平洋戦争も起こっていないでしょうし、第二次世界大戦にも起こっていないとすれば、原爆投下もされていないし、戦後復興もないのですから、一体どんな日本、どんな世の中になっていたのでしょうか?

戦死された方、生き残った方、それぞれの組み合わせも違う訳ですから、私や、今居る人達も産まれてもいないかもしれないのです。

     (東鶏冠山  ロシア兵の宿舎跡)

そんな事を考えると、自分が生きている意味というのは、自分だけのものではないという事がよく分かります。

その途中、途中で、誰かが違う選択をしていたら、今とは全く違う世の中になっていたのです。

そんな中で、やはり会社というものも、儲けるのは手段であって、まずは、そもそも何の為に存在するのか、させるのか?からスタートしないといけないと思います。

こういう事においては、私はかなり原理主義的で、経営者の中でも、こんな所から考えている人は少なく、最近も自分が違うのかなあと思う事もあったのですが、このタイミングで、近代日本の言わば転換の地に来た事にも、意味を感じ、思いも新たにする事ができました。


今生きる我々は、敗戦後、奇跡の発展を遂げて来た日本が成功をしたと思っていますが、長〜いスパンで見た時、日露戦争に負けていた方が、良かったのだという事にもなってしまうかもしれません。
しかし、それは残念ながら誰にも分からないのです。

今、我々の思いや決断で、遠い将来の、国や地球や宇宙の姿が変わっていくのです。

こんな事を言うと、なかなか理解されないのですが、学生は意外と喜んでくれるので、又何処かで話します(^^)

2013年10月6日日曜日

ワークスタイルデザイナー

昨日、山崎亮さんのお話を聞く機会がありました。

以前も何度か聞いていますし、京都幸福会議では、パネルディスカッションもご一緒させて頂きましたが、京果会館のリノベーションに乗り出して、ビルだけではなく、京都駅西部エリアの街おこしをやらないといけないと、最近腹をくくった私にとっては、一つ一つがなるほど!という為になるお話ばかりでした。

そして、街づくり以外でも、山崎さんの働き方や仕事に対する考え方は大変参考になりました。

以前からスタジオLの全員が個人事業主という仕組みと考え方は、私も、人生の中での仕事のあり方において理想だと思っていましたが、仕事に対しての考え方も、山崎さんもそうだったのか!と嬉しくなりました。

"過疎地などの活性化の際には、徹底的に、地元の人の意見を聞き、地元の人の良い所を引き出して生かすという事をやっているので、社内でも、さぞかし温かく意見を拾って受け入れてくれる様に思われているが、実際は、ピリピリした厳しい雰囲気であり、一切拾い上げず徹底的に叩きます"との事でした。

それは街おこしは仕事であり、それを行なっていく為には、色々な人と向き合い、繋いでいかなくてはいけないのに、まずその本人のストレス耐性がなければ、プロとしての"仕事"ができないという考えからなのです。

インターンから始まる役割というのかグレードは、四段階に分かれており、それによって求められるスキル、役割も明確にされていて、直ぐに上がる人、落ちる人もあるそうですが、これらも全て自分次第なのです。

山崎さん曰く、欧米型の大学の仕組みと同じと、言われる様に、入るのは簡単に入れるが、残っていくのが大変という仕組みになっています。
誰でも入れるけれど、居れば給料が貰えるのではなく、自分ができる付加価値を上げていって自ら稼いでいかなくてはならないのです。

こんな事を言ったり、私がそれを理想などと言っていれば、何て厳しい!と多くの人は思うでしょうが、全く反対で、思い切り自主性を重んじていて、それぞれの人生を尊重した話だと思います。

日本のサラリーマンや会社勤めが、何か特別な事の様に思えてならないのですが、本来は自分が行きたい所に行き、やりたい事をやればいいのです。

その会社の考え方や目指している事が好き、賛同できる、という人には全員入ってもらい、しかし、その会社で"仕事"をする以上は、そこで果たすべき役割が有り、それができなければ叩かれる、ある意味、プロとして、仕事として、一番シンプルな話だと思います。

こんな働き方だと一見仕事に明け暮れている様に見えますが、実は、仕事に振り回されていないので仕事人間ではなく、仕事を適当にイヤイヤやっている人の方が、仕事に従属的で、私はその方が面白くない仕事人間だと思うのです。

又、その会社の中でイヤイヤやっている人からサービスを受けなければならないお客さんの立場を考えれば、そんなに失礼な話はないと思います。

皆が、働きたい所には自由に入って、そこで自らやりたい仕事を見つけ、自分の役割を果たしていける環境になれば、受験から教育から、行政や国に対してのあり方まで、全てが変わるのではないでしょうか?

ウエダ本社は、コミュニティーデザイナーならぬ、ワークスタイルデザイナーを目指して、全ての流れを変えていきたいと思います。