2013年5月26日日曜日

海賊と禅問答のリーダーシップ

大変時間かかりながら、漸く、海賊と呼ばれた男を読み終わりました。

心が揺さぶられるという感じで小説を読んだのは、高校時代に竜馬がゆくを読んで以来かも知れません。

これだけの逆境につぐ逆境の中、一人でも、その人が人格を備え、それだけの想いを持ち続けると、これだけの事ができてしまうということは、仮にもリーダーとして取り組んでいる者としては、言い訳の余地はなくなりますね。

ウエダ本社ベーシック10には、”原因を他人に求めず、できない理由を言うのではなく、どうしたらできるかを常に考える人”という項目がありますが、私自身もできていない理由を見つけ、自ら限界を作っていたようにも思います。

しかし、この本で感心するのは、どの分野にも、自分の立場や利益ではなく、国の為、公の為にリスクを張れる、気骨のある人物がおられたのだという事であり、それらが繋がって今の我々の生活があるのであって、どこかでパーツが繋がっていなければ、全然違う世の中になっていたであろうという事です。

という事は一人の想いでも、又それに共鳴して動く人や繋ぐ人のそれぞれ”一人”が、国を変えたり、後世の人々に大きな影響を与える事になるのです。

それがワクワクするところで、再度、想いを強めて頑張らないと!と力むところですが、が、これが又悩むところでもあります。

実はこの本と共に何冊か並行して読んでいたのですが、そのうちの一冊が、元ソニーの天外さんが書かれた”教えないから人が育つ 横田英毅のリーダー学”という本。

こちらは、ワクワク感ではなく、フリーフォールで落ちる際の、一瞬”ウッ”となる様な感覚とでも言うか、内蔵が何とも言えない苦しさを感じます。

一部の人にしか分からないと思いますが(笑)、横田さんは、人は自分自身で気づいた
り、納得した事でしか心底動かないし、教えたり、指示するという事では、本来の成長
はしないという考えで、徹底的に内省するのを待つ、まるで禅問答の様な対応で、こちらも又、そこまでやるか?というレベルです。

一見全く違いますが、この二人のリーダーに共通するのは、マニュアルや手法ではなく、徹底的に”人”を見て、”人”に対する想いだけで展開されていると言っても過言ではない所です。

自分では精一杯やっているつもりという限界や、何故こうならない?というギャップなど、全部、頭で考えている事ですが、シンプルに’人”と向き合い、仲間と共生していく事、それを目的にしていきたいと感じました。

再度、「宇宙を想え、人愛せ」という社是を自分自身に擦り込んでいきたいと思います。

2013年5月19日日曜日

出井さん、やはり大経営者です。

今週は、副部会長を務めさせて頂いている京都経済同友会の例会に元ソニーの出井さんにお越し頂きました。

1995年、ソニーの社長に創業メンバー以外で初めて大抜擢され、第二創業として、日本の経営では馴染みがなかったカンパニー制などを打ち出していかれた出井さんは、その直前に独立創業していた私にとっては、とても斬新に見えました。

ご自分でもお仰ってましたが、ソニー内部でも出井さんについては賛否両論あるところです。

しかし、先日もお話を伺っていて、当時20万人から15万人に減らしたという話など、日本で、いや世界でも、何人がそんな立場の経験があるでしょう?

その立場にならないと絶対に分からない事だらけだと思います。

まして、あのスティーブジョブズまでが憧れ目指した様に、世間からは素晴らしいと思われている中、それでは立ち行かないと改革を行っていくというのは、半端な精神では持たないし、その立場になった人しか、分からないのです。

規模やレベルは当然比べるにも厚かましいですが、私がウエダ本社に来た際も、中身は倒産寸前なのに、世間からは良く思われている中、改革を進める大変さ、割りが合わず、やってられない!という心境を何度も経験しましたが、あれだけの組織で、周りから素晴らしく思われていた会社を変革しようとされた事自体ができる事ではありません。

"守成は創業より難し"です。

しかしそれが道半ばで達成できずに、その後バッシング的な話への対応も、出井さんは格好いいと思いますし、あの様なスマートさ、しなやかさを持ちたいと思いました。

今、ある首長が、ある発言への反論を繰り返していますが、発言自体の是非は別として、もしくは正論であったとしても、あの立場としてはどうなのか?と思います。

それこそ、あの立場にならないと分からないのかもしれませんが、公の立場や、それだけの想いがある人は、誰に何と思われ様と、誤解を受けようと、そんな事は関係なく、公益の為に進むだけで、周りの評価は意に関せず、歴史が自分をいずれ評価するという位の対応をしてもらいたいものです。

こんな事を間近で感じながら、社員にいくら伝わらなくても、言い訳しない様にしよう!と、決意している私は、世界が小さいですね。

2013年5月12日日曜日

ホンマ物の経営者

またまた堀場最高顧問のお話に感服しきりでした。

今週は、いつも勉強させて頂いているクオリアに、新たなメンバーが加わったので、”クオリア”についてのお考えを改めて聞かせ頂きました。

難しい話もホントに分かりやすく、いつも、一瞬にして皆を引き込まれる話術と、深い見識には、いつも感服させられます。

クオリアの日本語訳は質感という事だけれど、私の訳(感覚)では、”グッとくる”ことで、ただ単に感激とか美しいなどと言うのは”クオリア”ではない。

このグッとくる感覚をキャッチして、それをどう行動に移すか?それが重要である。

この面白い!と思った事を行動に移す受容体の遺伝子はアングロサクソンでは100人中50人持っているのに対して日本人では2人しか持っておらず、ここがベンチャーやイノベーションを興していかなくてはならない今後にとって致命的なポイントである。
しかし、高級動物ほど後天的な環境で変えられるので、50対2の差を近づけていく事ができる。

それだけにこの、グッとくるという”クオリア”が重要なのであって、皆も、自社の事業は勿論だが、それだけでは駄目で、世の為、地球の為、日本の為に”クオリア”という感覚を身に着け、そして行動して欲しい”そんなお話をされていました。

そして私が最も驚いたのは、80歳までは好きな事をやって来られて、いつ死んでも良いと思って
来られたそうですが、80歳を越えてから、まだまだ知らない事だらけだと思われてから、時間が惜しくてたまらなくなったとの事で、今でも貪欲に知らない事を正に探求しておられる事でした。

視力の低下というのは、見える見えないの低下ではなく、読んでいても理解できるスピードが落ちる事であり、まだまだ勉強したい岩波書店の全15巻の哲学書や、宇宙物理の全18巻を読んでいくには、全く時間が足らず、110歳くらいまで生かして欲しいと仰っていました。

ここ最近、実はこの視力について、全く同じ感覚を持っていて、読書に対しての集中力(スピード)の低下を私も感じていたのですが、今年89歳になられての知識欲、探究心、生命力を前に、私など全然ひよっこのなのに、衰え的な事を感じていた事に、情けないやら恥ずかしいやら、後頭部を殴られた気分でした。

私なりのクオリアの理解は、五感プラスαの感覚ともいうべきモノであり、これは京都流議定書で重要だと言っている価値観にも繋がっているモノです。

所謂、目に見えない価値であり、数値化できないモノです。

最高顧問曰く、本物とホンマ物は違う。

本物は正しい物であり、本物の反対は偽物である。

東京は本物志向であり、それに対して京都はホンマ物志向。

ホンマ物の反対は、モドキであり、故に本物とホンマ物は違う。

この差、この感覚、この価値がクオリアであり、これからの日本が最も重要視しないといけないモノだと思うのですが、堀場最高顧問は正に京都が生んだホンマ物の経営者だと思いますし、我々は、少しでもそのホンマ物を学び、継承していかなくてはならないと思います。

2013年5月6日月曜日

”海賊と呼ばれた男”が居た時代

今年に入ってからも、より時間が無くなっており、本を読む時間も取れていない状況でしたが、連休前に、せめて話題の本くらいはと、"海賊と呼ばれた男"を買い、今読みながら、色々な事を考えさせられています。

出光興産創業者の出光佐三氏の、壮絶としか言い様のない、生き様、使命感、などについては、読まれる方それぞれに感じる事があると思いますので、ここでは触れませんが、率直な感想として、何故もっとこんな素晴らしい企業の話が広く伝わっていないのか?という事と、こういう壮絶な”戦い”をして来られた人や企業などがあったから、現在の営みがあるのだと改めて感じました。

その頃の”戦い”とは、何も、戦争自体の話ではなく、日露戦争で世界の列強国に肩を並べ、第二次世界大戦で敗戦し復興を遂げていくという過程では、日本人全体がそれぞれの立場で戦っていたのだと思います。

戦後教育から、イデオロギーの問題などで、我々は近代史をしっかり教えられずに来ましたが、どういう思想であれ、その歴史、自分達のルーツを知る事は、そもそも今の自分達を肯定するにも必要だと思います。

戦争は悪いし、人を殺すなどあってはならない事ですが、その背景も知らずに、現在の様な、生きていく上においての苦労をしていない人達が、今の状況においての判断で、軽々しく当時の是非を言う事などできないと思います。

勿論、戦争を肯定しているのではありません。

色々な意味で、”戦い”を経験していない今の日本人が、これから大転換していく中で、色々な決断をしていけるのか?と、上っ面の論議を聞く度に不安を感じるのです。

堀場最高顧問が、人間が本当にパニックになるのは、今日から食べる物が無いという状況と、死にたくないのに殺されるという事しかないと仰られますが、生死を分けた判断を繰り返して来た人達の事を、平和で物が余った時代に生まれ育った我々が、その判断の是非を考えられる筈がないのです。

良いも悪いも、今、有るのは、その歴史が有ったからであり、イデオロギーが歴史を変えられるわけではないので、しっかりとその事実は伝えていかなくてはならないと思います。


ウエダ本社も、5月1日で75周年を迎えましたが、この本とも重なる時代を潜り抜けて、戦って来たから今を迎えられるのだと思いますし、そんな歴史が刻まれた組織は、決して我々だけのものではないので、やはり、先の時代に繋げていかなくてはならないと改めて感じました。

最後に、こんな素晴らしい精神で創業された企業が、それだけの評価をされているのか?については疑問のあるところであり、戦後の高度成長の中では、二番手、三番手であっても、極端に言えば、素晴らしい”精神”が無くとも、仕組み化がうまい方が、売上、利益を上げ、拡大し、賞賛されて来たのではないかと思います。

今後の日本においては、こんな歴史や、精神を持っている所を、もっともっと賞賛し、そんな企業が実際、好業績になるという社会を形成していく事、それがこれだけの歴史や背景を持ち、少子高齢化社会に向かっていく我々が、示すべき未来像なのではないでしょうか?