2013年12月29日日曜日

激動の年、最後のブログです。

ウエダ本社は27日で激動の一年を終了しました。

いや、激動二年というべきかも知れません。

その最後の最後に、嬉しい事がありました。

うちの会社では、社員に求めるベーシック10という、クレド的なものがあり、毎月それに基づいて社員投票で一人が表彰される仕組みがあり、忘年会では年間MVPも選ばれます。

毎月の表彰でも思うのですが、いつも皆よく見てるよね〜と思う人が選ばれますし、この選ばれ方(選び方)の変遷を見ていると、組織としてや社員一人一人の成熟度も感じる事ができるのです。

今年最後の"ホスピタリティー"でも、今年定年で退職されたウエダ一筋42年の総務担当に代わって入社してもらった年配の男性が選ばれたり、年間MVPも、激変の中、全く文句も言わず、やるしかない、と取り組んでくれていた者が選ばれていました。

これらも、"確かに"と思う選定で、嬉しい事ではあったのですが、今年はその後にもっと嬉しい事もあったのです。

二次会に行っていると、先に帰ったベテラン営業から、今期抜擢した30代の営業リーダーに、表彰されているのは内務ばかりで営業から出ていないのが悔しい、来年は絶対営業から年間MVPを出そうというメールが入って来たのです。

ベーシック10というのは元々、ウエダ本社を再建するに当たり、銀行に事業計画を出す前に、そもそも社員に対して、私自身がどんな人間でどんな考えをし、どんな事を大事に経営をするのかを示さないといけないという事で作成した、10ページ程の"ウエダの指針"から、社員に求めるものとして10項目に落としたもので、私よりずっと以前から居るベテラン勢にとっては、ある意味途中から急に求められる様になった価値観です。

又、この指針や価値観は、ウエダ本社の場合、綺麗な夢から出ているお題目の様な理念ではなく、生き残りをかけた戦略にも紐づいたものなのですが、それがなかなか本業に絡んでいかないのがずっと取り組んでいる課題なのです。

つまり、外部からは色々取り上げて頂く事も多く、又、表面上は"いい会社"の様なのですが、それが実業には繋がらず、いわゆるCSR的にしかなっておらず、特に営業などは、理念を追いかけるのですか?数字を追いかけるのですか?という問いが出てくる様に、理念と事業の関連が腹落ちしない所でずっともがいてきたのです。

それが、私よりもずっと以前からウエダに居て、途中から価値観求められたベテラン勢、ハッキリ言えば酷な面も多々あったベテラン営業から、ベーシック10の表彰者を営業から出そうという意見を、抜擢したリーダーに言って来てくれたという事は、小さな出来事でありながら、私にとっては、これで完全に組織全体として前に進んで行くという確信を得た瞬間であり、この数年間でも最も嬉しい事でした。

この擦り合わせのペースを上げた為、この二年間は退職者もかなり出て、それ故、厳しい状況もありました。

ここでハッキリしておきたいのは、その間に辞めた人が悪い訳ではないという事です。

今の状態があるのは、退職した人達の存在もあって繋がってきたわけですし、社内ではしょっ中話していますが、私が正しいと言っているのではなく、私はこの価値観に基づいて経営していくので、それが合わないなら合うところでやらないと勿体ないという話で、退職した人自体に対しては、皆、それぞれの価値観に合う所でうまくいって欲しいと思っています。

プロ野球などで、それまでの球団で活躍できていなかった選手が、トレードされてそれぞれが活躍するというケースがありますが、私は一般のサラリーマンに対してもそんなイメージ持っており、退職者が出る事や、そして辞めていった人が、ウエダ本社に居た時より活躍する事は、悪い事ではなく、むしろ喜ばしい事だと思っています。

皆、自分の人生なのですから、ウエダ本社で燻るなら、他へ行って活躍した方が良いし、ウエダ本社に居ると決めたなら、そこで掲げられているベーシック10を目指して、吸収していった方が、その人自身がうまく行く事になるので、あくまで会社の為ではなく、自分の人生を無駄にしない事を求めているのです。

そして、ウエダ本社としては、長野県のあの会社の様に、履歴書で前職がウエダ本社と書かれているだけで、即、採用!となる様な、名実共に"いい会社"を目指して、来年からは前進していきたいと思いますので、何卒よろしくお願い致します。

という事で、週一に減らしながらも継続してきたブログも今年最後なります。

何も面白くないブログですが、それでも楽しみにしていると言って頂く方もあるので、来年も継続して参ります。

来年もどうぞよろしくお願い致します。

そして、皆様良いお年を!!











2013年12月21日土曜日

あたらしいフード会議と京果会館

20日夜、京果会館に向けてのイベント、"あたらしいフード会議"の第一回を行ないました。

京都青果合同(株)の執行役員であり、京野菜マイスターでもある松本部長と、フードデザイナーズネットワーク代表理事の中山さんという異色の顔合わせが良かったのか、当初25名定員にしていた所に50名の申し込みがあり、動線を変えてもらわないといけない盛況となりました。

中山さんと繋がる、或いは支持する人達は、京果会館に集まって欲しい層であるのと、京果会館の強みである、京都では100%のシェアであり、全国の産地ともネットワークを持つ業界大手の京果さんの存在を表す組み合わせでもあったのですが、今まで行なって来たセッションの中でも、指折りの面白さでした。

特に30数年、誇りと愛着を持って、農家と野菜流通に関わって来られた松本部長のお話は、お世辞抜きで格好良かったですね。

話の中身もさる事ながら、今回のセッションで私は二つの大きな問題を感じました。

一つは、物事は決して上辺だけではなく、その下の階層から全てをしっかり見て、判断しないといけないし、そういう目を養わなくてならないという事です。

有機、無農薬は、良いですし、それを広げていく事は重要ですが、だからと言って市場流通している物が悪く、直売の方が、新鮮で良い物という様に思わされていないでしょうか?

直売は逆に言えば、化学肥料などの基準は有りません。
又、責任も取れません。
それこそ、"有機"とうたっていても、基準に縛られない中の話ですから、全てが信用できる物とは限らないし、分からないのです。

中央市場の元締めという立場では、そういう事をしっかり守っているという自負、又、ちょっと基準をオーバーしただけで人体には影響がないと言われているのに、それまでの農家の苦労も全く水の泡となってしまう事への理不尽さ、市場を通さない物の方があたかも良いかのような流れに反発も持っておられました。

そして、自分は、仕事を続けられる限り、市場流通の良さをアピールし、この大切な機能を残す事に全てをかけます!とも仰っていました。

この様な、ある一方方向の流れで、他方の良さを見えなくしてしまっている事って、見渡せばたくさんあるのではないか?とハッとさせられました。

一つの流れがある時、その流れでは無いことがあたかも悪の様に言われ、目の敵扱いされてしまう事がよくありますが、この傾向はかなり危険だと思います。

そしてもう一つ感じた大きな問題は、仕事への対し方であり、仕事の尊さです。

何十年も一つの事を叩き上げていくと、人間が鍛えられ、あれだけ自負心や誇りを持てるまでになるのだと、改めて感心すると共に、昨今の働き方、スキルやマニュアルに頼った様な働き方で、ましてや負荷を嫌う働き方からは、あの様な格好良さは生まれないと思います。
そんな人間しか経験する事ができない、仕事を通して得られる、"熟練"という成長を自ら放棄する風潮に流れている様な気がします。

京果会館は、単なる飲食店が集まる商業ビルではなく、元々から有る講堂を、ワークショップやイベント会場に仕立てながら、"食"をテーマにした様々な情報を発信し、“食"を通して日本を豊かにしていく人、魅力溢れる人を輩出していく食文化の発信基地としていきたいと思います。

2013年12月14日土曜日

ウエダ本社はソーシャルビジネス?

先程、東京から戻りました。

昨日は10時半から、表参道のアポに始まり、夜8時半の食事の約束まで、今朝は9時のアポから午後のワールドシフト、その後打ち上げにも参加させて頂き、最終一本前の新幹線に飛び乗るまで、みっちりぎっしりの二日間でした。

この間の出来事も、一つ一つでブログの一話が書ける様な話であり、驚きの出会いや、新たな出会いもたくさんありました。

出張前の京都でも、スターリィマンの、はせがわファミリーが寄って頂いたり、ミラツク理事会でgreenz .jpの兼松さんが来てくれたり、昨日はFBで、ISFネットさんのソホラに居るのをUPすると、秘書の方が見て、「今、大久保寛司さんが来られてますよ」と、呼びに来て頂き、驚いて行くと、そこには又、以前からお目にかかりたかった方がおられたりで、交差しまくりでした。

大久保さんは翌日、鎌倉投信の鎌田さん達が行なっておられる、いい会社をふやしましょうのセミナーに出演されるとの事でしたが、そこに登壇される池内タオルの池内社長は、この日、京産大の大室先生が行われている100日間の学生との共創イベント"リリース"で、私が出張中のウエダ本社に来られていたのでした。

そして今日午後は、放送作家の谷崎テトラさんが毎年行われているワールドシフトにご招待頂き、参加しておりました。
テトラさんとは、信頼資本財団さんと、うちの会社で行っておられたソーシャルシネマダイアログからのお付き合いで、今年初めての参加だったのですが、会場では昨年、このワールドシフトの学生版イベントをうちのビルで開催していたとの事で、私の事を知ってくれている学生も居て驚きました。

コーディネーターの田坂広志さんにご挨拶すると、京都流議定書の事は覚えて頂いていたり、俳優の伊勢谷友介さんは流石にイベントはご存知なかったですが、それでも色々と繋がる所はあったりで、本当に最近、この種のイベント、集まりに行くと、面白い様に繋がったり、京都のソーシャルと言えばウエダ本社ですよね!などと言って頂ける事もよくあります。

確かに最近、イベントや何かの委員会で、うちだけが民間企業で他は全て行政や公的な機関というケースもよくあります。

何々といえば・・・と、言ってもらえるのは嬉しい事であり、そういう事を作ってきたという面もあり、それがソーシャルなどというカテゴリーでイメージ頂けるのは本当に有難いのですが、公的な所に混じって並べて頂いているというのは、儲けていない、儲かっていない様に見えているからなのでしょうか?

そうすると、"活動は良いけど、あんなに儲けている会社は、公的な並びには入れられない"
経営者としては、ある意味、そんな風にも言ってもらえる様にしないといけないですね。






2013年12月8日日曜日

多様性と幸福感

今週も怒涛の一週間でした。

ここ最近ずっと、読書や、ゆったりとしたインプットの時間が取れず、アウトプットばかりしている感じです。

そんな中、唯一のインプットと言えば、やはり色々な人と会う事でしょうか。

ある幸福学の研究によると、たくさんの友人を持っていても幸福感には繋がらず、多様な友人を持っている人は幸福感を感じる傾向にあるそうですが、この一週間でも、ソーシャルシネマダイアローグに集まる人、リリースでの学生達から、京果会館や他のプロジェクトやビジネスで関わる方々、大学、行政関係者など、多様な方々に出入りして頂けるのは本当に有難い事だと思います。

そんな中、今週は信頼資本財団さんが五回シリーズで行なっておられた、ソーシャルシネマダイアローグの最終回が有りましたが、その題名は、"幸せの経済学"というものでした。

グローバリゼーションに対するローカリゼーションを題材にしたドキュメンタリー映画で、主張しているポイントには全く同感なのですが、残念だったのは、その中で大企業は"悪"的なフレーズも有った所でした。

何故、人との繋がりや、環境や自然との共生、人類、生物の本質などを考えたり、地球や宇宙を守ろうという人達からでも、"悪"という発想が生まれるのでしょう?

何故、他の意見やポジションの人を認められないのでしょうか?

"〜すべき" という意識が強い人は、"〜すべき"正論以外は"悪い"となり、時には他を攻撃するケースを見かけます。

今、問題となっている特定秘密保護法案や、原発の問題など、国家や人類がどうなる?という話から、ちょっとした勉強会や、プロジェクトなどでも、そうしない、そうやらないのは、おかしい!と言う人も多いですが、同質の人達だけで集まっていくと、どんどん正論化し、先鋭化していく様になってしまうのだと思います。

ビジネスの世界では、うまく話を進められるかどうか?は、相手のポジションや背景を考え、ボールは何処にあるのか?を意識できているかどうか?に関わっていると思いますが、"〜すべき"という想いの強い人は、ボールが何処にあるのか?は関係なく、ボールは自分にないのに、シュートばかり考えている様なもので、得点には繋げられないのです。

同じ感覚、同じ種類の人達だけで繋がっていると、他への文句や、批判が生まれやすくなって、素晴らしい想いを持っている人なのに、何も生み出す事ができず、不満や批判ばかりという残念な姿になってしまう恐れもあると思います。

多様な人達との繋がりを持つ事は、違う意見が少なくとも"悪"という感覚にはならず、不満が少ないという事は、感謝するケースも多くなり、それが感謝の数とも相関性のある幸福感を感じ易くするのかも知れません。

まだまだ暫く、ゆったりとしたインプットの時間は取れそうにありませんが、多様な人々との付き合いを通して、幸福感を得られる人間性を養っていきたいと思います。





2013年12月1日日曜日

初! 社会イノベーター公志園

昨日は、ISLの野田さんが行なわれている社会イノベーター公志園に参加していました。

今回で三回目となるそうですが、私は初めての参加で、その中身を知らないまま行ったのですが、関わっている人達が、ビジネスバリバリの方が多いのに驚きました。

15人の選ばれしイノベーター達が約半年に渡って研鑽を重ねるのですが、よくあるビジネスプランコンテストや、昨今のソーシャルビジネスと持て囃したイベントではなく、それぞれに伴走者という人達がコーディネートされていたり、大企業のリーダー研修を数々行なって来られた野田さんが一つ一つが仕組み化されている点が、他とは似て非なるものだという印象でした。

私などは想いだけで、京都流議定書というものを行なってきましたが、そんな私から見ても、最近のソーシャルビジネス、ソーシャルイノベーター達の取り上げ方や、取り上げたイベントなどには、その想いさえ希薄に感じるものも多く、危うさを感じていましたが、社会イノベーター公志園は、想いだけでもなく、それを実現していく為の仕組みが用意されている点が、なるほどなあ〜と
一人唸っていました。

大企業のリーダーだけを鍛えていっても、有能であるだけでは、今の日本では変革は起こせないと思います。

そこがソーシャルイノベーター達が期待される点なのですが、こちらには想いや、使命感は有っても、優しさ、人の良さだけではやはり改革は起こせません。

要素還元法で切り刻んで、分析し、体系化できる能力と、それを横断していく事、その為には、理屈ではない強い想いや、複雑系的な思考も必要なのだと思います。

それらを両側から一気に進めていく為に、熱く強い想いを持ったイノベーター達に要素還元で切り込み、ロジックで鍛えていく一方、大企業側にはイノベーター達の想いを感じてもらって、ソーシャルに向けていこうとされている仕組みとなっているのです。

こういう野田さんの完全プロデュースされた"舞台"を見せて頂くと、私自身も、自分の限界もよくわかり、何故かスッキリした気分でした。

来年から京都流議定書も、ソーシャルイノベーターのリクルーティングに徹して、優秀な人をイノベーター公志園へ送り込むという役割に変えた方がいいかもしれないですね。

打ち上げにも参加させて頂いていましたが、大人数の中でも、"ここ入れ替わって下さい"と、座る席、人の並び、繋ぎまで拘られる野田さんの姿からも、どの様な並びにすると場が良くなるかというプログラム的思考と、それぞれがメリットある繋がりを作って欲しいという気配りという両極の才能を感じました。

大仕掛けをするプロデューサーには、こういう能力が必要なのですね。

私は全く別の視点から勉強をさせて頂いた社会イノベーター公志園ですが、3月迄の最終プレゼンに向けて、どう展開していくのか、楽しみです。

2013年11月23日土曜日

勤労、仕事、働くを考える

今週もあっという間に一週間が過ぎました。

11月23日は勤労感謝の日ですが、勤労感謝の日とは、国民が勤労を尊び、生産を祝い、互いに感謝し合う日なのだそうです。

勤労を尊び・・・互いに感謝する。。

改めて元々の意味を見てみると、"勤労"についての意識が、尊ぶどころか、嫌なもの、できればやりたくないもの、何か悪いことかの様に、対極になっている様にすら感じます。

日本の働くの語源は、傍(はた)を楽にするということが言われ、この信憑性は分かりませんが、しっくりとくる話です。

それに対して英語のbusiness(仕事) の語源は busy(忙しい) であり、フランス語の travail (働く) はラテン語の トリパーリアーレ( 拷問する) が語源なのだそうですが、これらを見ると、いつしか日本もbusinessばかりをする様になり、そこで勤める人は、拷問までいかないまでも、働く事が辛いものになってきたのかも知れません。

今週はうちのプロジェクトオフィスにも入っておられるシンクアンドアクトさんから頼まれていた、働き方をテーマにして、就活前の学生にプレゼンを行ないました。

就活がスタートすると、じっくりと"働く"という事を考える機会もないであろうから、このタイミングで、就活対策ではなく、何の為に働くのか?を考えてもらえる様にしたいと設定されたものでした。

その様に考える機会を持てるなんて大変貴重な経験ですし、参加された学生さん達に、そんな気づきがあれば、これからの就活や就職、今後の人生にとっても意味ある事だと思います。

そんな話をしている私ですが、ずっと忙しくしており、これもよく言われる様に、忙しいというのは、心を亡くすと書くので、言葉に出すのは良くないですね。
これなどは正に、心を亡くして、忙しく=busyとなっており、私自身の"働く"もbusinessになっているのかもしれません。

時間が無くとも、心を亡くさず、傍を楽にする事をしっかり見据えて、勤労を尊んでいきたいと思います。

2013年11月17日日曜日

素晴らしい"変人"

今週は又、素晴らしい"変人"にお目にかかる事ができました。

私よりも先輩で、経歴も能力も図抜けて素晴らしい初対面だった方に、こういう表現をするなんて、と思われるかもしれませんが、"変人"と言われる者からすると、これは立派な褒め言葉なのです。

MITでMBA、ハーバードで経営学博士を取得、ハーバードビジネススクール研究員、ロンドン大学ビジネススクール助教授を歴任など、華々しいご経歴で、日本の大企業のリーダー養成研修を行なってこられながら、日本にとって一番欠けているアントレプレナー精神、イノベーターを養成していかないとと、イノベーター公志園http://koshien-online.jp/というイベントを作ってこられたISLの野田さんが、ある方の紹介でお越しになったのです。

勿論、このイベントの存在も知っていましたが、海外の経営学にも精通され、大企業に向けた独自プログラムで研修、コンサルを行なっておられる野田さんが、何故社会起業家と言われる様な人達の支援を行なわれているのかは知らず、正直、ちょっとイベント的に行なっておられるだけだろうと思っていました。

それが今回、京都でイノベーター公志園を開催されるとの事でお越しになったのですが、来られるや否や、"大変でしょう?" から始まり、どうしてそんな事を展開しているのか?幼少の頃から、何がそこに向かわせる切欠だったのか?事業との繋がりは?など、私に対する質問攻めで、その後は、流石に超一流のリーダーシップ研修を構築されておられる方ですから、数十年に渡る私の稚拙な経験や考えなど、簡単に把握して頂き、又アドバイスも頂き、まるで課題のヒアリングにお越し頂いた感じでした。

何故そんな事を行なっているのか?
何にそんなに忙しいのか?、
そんなに忙しいなら、どれかの付き合いを止めればいいじゃないか?

多くの"普通"の方から受けるこれらの質問に対して、いくら説明しても、なるほど!と理解してもらえる人は本当にごく少数なのですが、私などより、幅もレベルも数段上で展開しておられる野田さんから、"この世界へようこそ!でもこの世界は、どんどん広がって行って自分の時間が取れなくなり、自分のやりたい事業とのバランスをどう保つかがポイントですよ"と、正に、ここ最近の悩みであり、なかなか相談しても分かってもらえないところをズバリ理解して頂き、それだけでも少しモヤモヤ感が晴れた気分でした。

そんなバリバリの経験とスキルをお持ちの野田さんが、支援、指導もされるこのイベントは、起業家達にとってはこれ以上ない貴重な資産であり、プレゼントであると思います。

そして、大きな夢を持って、或いは使命感から大きな課題に向かっている人達の姿を見る事は、普段、生きる事、働く事に意味を感じず過ごしている"普通の人"に、様々な気づきを与えてくれると思います。

野田さんにも光栄にも"変人"と言ってお褒め頂きましたが、その私のブログを読んで頂いている皆さんもやっぱり"変人"だと思いますので、"普通"の方々に少しでも"変人"の世界を知って頂く為に、イノベーター公志園にも参加を呼びかけていって頂きたいと思います。

"変人"というのは、変な人ではなく、変える人、変わる人です。
"普通"という意味は、広く行き渡った事であり、一般に通じる事ですから、我々の感覚が"普通"になっていけば、世の中変わっているという事ですし、その頃には違う種類の"変人"が生まれているのでしょうね。

そんな時代になっても、又、変な爺さんと言われているのでしょうか?










2013年11月9日土曜日

一流って何なのでしょう?

産地偽装から、最近は食品偽装へと移り変わっていますね。

しかも、一流ホテル、デパートという、その信用、ブランドで高く売っていた所が、信じられない嘘をついていたのですから、これは不正競争防止法違反というレベルではなく、詐欺と言ってもいいようにさえ思います。

しかし、阪急・阪神から始まり、今週辺りは、ここぞとばかりに発表をしているのは、一体なんなのでしょう?
これだけ一気に出てくる事を見ても、確信犯であり、どこで出すのが一番傷が浅いかと見計らっているとしか考えられませんが、よくある、業界では常識、という類の話であったのではないか?とも疑いたくなります。

何故、こんな事になってしまうのでしょう?

日本人の真面目すぎる、細かすぎる面が、本来、日本人には向いていない、間違った方向に向かって来て、悪いスパイラルに陥っている様に思えてなりません。

勤勉で器用な手先で、様々なものを効率化して来た日本人は、スキルやマニュアルに翻弄され、目先の効率や利益に走らされ、本来向いていない、自分さえ良ければ、という価値観に向かっていってしまった様に思います。

お天道様に恥ずかしい、或いは、意味も無くダメなものはダメ(八重さん的には、ならぬものはならぬ、ですね)という道徳的な教えの方が、本来の日本人には合っていた様に思うのですが。

一方、この問題を批判しておきながら、賞味期限の期限内でも新しい方を選んだりする自分も居ます。

消費期限を過ぎて、何か問題が起きたりすると、蜂の巣を突ついた様に、過剰に問題視して、皆で騒ぎ立てたりもしますが、ルールにはめ込み、違うと責め立てる、そんな所から又、追い込まれた人達が、数字上のみの結果求めるようになるという構図になってはいないでしょうか?

別に、偽装していた人や企業を擁護しているのではありません。

ただ、どんな問題でも、これだけ現象として出てくるのは、皆にも同じ根が有る様に思うのです。

それを批判するなら、自分自身の根本も変えていかなければならないと思います。

今週はある勉強会で、ゴム、合成樹脂材料卸の小菅さんの、素晴らしい経営哲学を学びました。

厳しい環境の中、あえて売り上げを落として、社員を輝かせる事を一番に考えられる様に転換されたお話しは、同じ勉強会でご一緒させて頂いている伊那食品さんや沖縄教育出版さんの考え方と通づるものでした。

伊那食品の塚越会長は、年輪経営、48期連続増収増益というと、成績だけの話で誤解を受けるが、周りの人からあの会社は良くなったと思ってもらえるのも成長であり、売上、利益も成長の一つに過ぎないと仰っていました。

又、沖縄教育出版の川畑会長は、我々は、最大の企業を目指すのではなく最良の企業を目指すべきだと常々仰っています。

企業を見る評価が、売上や利益、そして効率経営に繋がる指標ばかりであり、その中で企業は競争していますが、そうさせているのは何なのか?を考えるべきだと思います。

確かにTOPは悪いですが、数字だけで評価されなければ、こんな風には進まないと思います。

そして、そんな方向に進んで行く中で、こういう偽装をやる事になる、真面目に間違った方向に進む社員さんのことを考えると、虚しいですね。

一流企業、一流ホテルの一流って何なのでしょう?

何の為に一流を目指し、それに向けて一流の大学目指し、何の為に勉強してきたのでしょうか?

偽装問題のニュース見て、怒っているあなたにとっての一流って何でしょうか?

最大を追いかけて、最良どころか、最悪に向かっていってないでしょうか?

何処に向かうのか?世の中全体で、何を評価するのか?

批判している要素の中に、自分自身が変えられる事はないのか?

一人一人が、根本的なところから考えていくべきだと思います。

2013年11月3日日曜日

色々な心境が交差した歓送迎会

今週は歓送迎会がありました。

9月末の退職者を含めて送別が4人、既に入社している人を含めて歓迎が4人+来年の新卒内定者1人という、うちの会社においては、かなりの入れ替わりであり、大きなターニングポイントだと思います。

ここ最近、涙腺も弱くなっていて、送別会の度に涙している気もしますが、今回は色々な意味で最も複雑な感情が入り混じり、最後の挨拶はボロボロでした。

最初はウエダ本社に非常勤で関わり、ある事があって身を引こうと思ったのですが、その時に、自分が身を引けば確実に倒産するだろうと思った所から、ある意味、自分のやりたい事というより、どうすれば会社を守れるか、又、自ら辞めるという人は別としても、ウエダに残る、ウエダと取引をすると思ってくれる社員や、関係先をどうすれば最低限守れるか?を優先して考えてきました。

その為には、悪者になったり、嫌われたりもたくさんあると思いますが、ウエダ本社に関わってくれた人が、最終的には良かったと思ってもらえる為に展開してきました。

ここ数年で退職していった理由は次の三つに分けられます。

一つは、ウエダ本社に来て、気づきが有り、自分の方向性を見つけて、それを追いかけたいと転職をした人で、これは、折角ウエダ本社での価値観を気にいってくれながら、違う道に行かれるのは複雑な心境ですが、私の目的からすれば、嬉しい事でもありました。

二つ目は、私などよりずっと以前から、ウエダを支え、ウエダ一筋に勤めて頂いた方の定年や、それに近い方の退職で、このケースでは、最低限の責任は果たせた感はあるものの、一番支えて頂いた方に大きく報いれる所まで挽回できなかった悔しさが残ります。

そして三つ目が、条件も含めて、ウエダの価値観に合わない、ついていけないという事での退職ですが、これには色々な想いがあります。

価値観に合わないと言っても、退職した人でも、大きく合わなかったという人は殆どいません。
又、その事自体で効果を発揮していなくとも、それに関連した事があるので、その人が抜ける事によってのマイナスもあります。

それを抱えておけないというのは、ひとえに余力の無さ、収益力の低さであり、私の責任です。

その想いと、しかし、その余力を生み出して行くためにも、ウエダ本社の価値観、目標に一つになって向かっていかなくてはならず、堂々巡りになるのですが、この二年程は、そのすり合わせを強めていく中での退職で、今回は、まだ定年まで数年あるベテランも辞める事になった事が、最終的にベテランに報いる為にも行なっている事でしたので、より複雑な想いになったのです。

そういう展開でしたので、欠員補充で、頭数を埋めるという中途採用ではなく、理念、価値観に合う人しか採用しないという事で何度も見送り、ギリギリ入れ替わるタイミングで間に合いましたが、残る人には、引継ぎがしっかりできる時間が無く、負担もかけてしまっています。

しかし、11月1日付入社で、先に歓迎会を受ける形になった者、来年の内定者などは、社員と会うのも初めての場で、イキナリ、涙、涙の濃い会で驚いたと思いますが、10月から入社している者も含め全員が、こういう会社に入れて良かった、と言ってくれるのは、採用も粘った甲斐もあり、
これからの展開に期待が持てるところです。

京果会館のプロデュースなど、ウエダ本社もドンドン違う形になっていきますし、新しい働き方も自ら実践していきたいと思っていますので、卒業していったり、違う道へ行ったりする人とも、又何かで、連携できれば良いと思いますし、それこそ、そんな余力を着けていきたいと思います。





2013年10月26日土曜日

Waoffice は、オフィスの考え方の提案です。

今週は金曜日から赤坂サカスで開催されているCool Kyotoという展示会に出展しておりました。

これは京都府や京都市そしてTBSも委員となって行われているイベントで、今年で3回目を迎えるものです。

昨年当社では北山杉を使ったオフィス向け家具を"Waoffice"(和オフィス)というブランドで発売しました。

卸として創業し、今年で創業75周年を迎えたウエダで、オリジナルで商品開発し、販売したのは初めての事だと思いますが、早々から京都大学さんや、ISFネットさんが青山で作られた450坪のシェアオフィスなどでも採用して頂いた他、京都でも、少し使うだけでオフィスや来客の場の雰囲気が変わったという事で、大変ご好評頂いております。

働き方の変革を唱えるウエダ本社としては、人にSPOTを当て、無機質なオフィスを変えていこうとされる企業を広げていく為に、今回出展する事にしました。

TBSさんからは、当社の考え方が"京都らしくCoolだとの事で、こちらに出して頂く事になったのですが、広くなり過ぎた為、段ボール家具や、全くの新製品であるマイボトル洗浄機なども、この展示会に試作を間に合わせて頂き、提案させて頂きました。


これらは、物というよりも、当社のオフィスの在り方、考え方を提案するもので、こういう"場"をオフィスに持つ事で、働く人がホッとする"場"、そして語らいコミュニケーションを生む"場"を作っていこうとするものです。

マイボトル洗浄機は、ペットボトルや紙コップを減らしていく事、段ボール家具はリサイクルの一環として、環境負荷の低減、循環型社会に少しでも貢献していく企業姿勢を表すものとして、展開して参ります。

何か最後はプレスリリースの様になりましたが、自分の想いに沿った事業展開ができるのって、清々しい気分になります。

台風一過の最終日、清々しく楽しんで参ります!

2013年10月19日土曜日

ISFネット沼津開所式で想いを改めて

今週金曜日は、ISFネットグループ沼津の開所式に行ってきました。

今回も青山での物件に引き続き、弊社で担当させて頂きましたが、そのスピード感には驚かされながらも、うちのスタッフはソツなくこなしてくれ、無事開所式を迎える事ができました。

渡邉代表とはポイントでしかお会いしませんが、いつお会いしても、自分の中途半端さに、複雑な心境になります。

使命感の高さ、事業構想力、実行力とそれを継続するだけでなく常に向上させていく意志の強さ、私の知る限りの大経営者と比べても一番ではないかと思います。

2000年に4人で創業された会社は、今やグループ3000人となるそうで、ニート、引きこもり、身体のハンディキャップなど、就労について困難とされる20数項目に当たる方々が約3割を占める中、思いだけではなく、成果も残していかれているのです。

算盤勘定で生きている人には全く意味が理解できないでしょう。

思いだけで頑張っている人には、どの様に壁を乗り越えているのか、不思議だと思います。

毎朝?2時半に起きて、未来ノートに向かって構想を練り、行動をチェックし、運動を兼ねて歩いての通勤時には、イヤホンで電話しながら幹部の方々と報告、指示の時間とされ、会社に着く頃には、社長としての会社の仕事は終わっているのだと思います。

日中は、講演なども含む、就労困難者を受け入れる世の中への啓蒙活動に奔走し、夜8時には就寝される生活で、365日休み無しですから、真似できる人、少なくとも、それに負けないでやろうとする人は居ないのではないでしょうか?

渡邉さんも数年間は盛和塾でみっちり学ばれたそうですが、これぞ明確な"誰にも負けない努力"ですよね。

ちなみに少し前までは5時起きだったのが、4時になり、少し聞いていない間に2時半になっていました(笑)

こんな生活、多くの人は、幾ら成功しても楽しくないと思われるでしょう?

実際、多くの成功者や経営者の方々も、たくさんのお金を稼いで、豪華な物も買い、銀座や新地や祇園で豪遊?という話も多いですし、大物になるには遊ばないと!と、飲まない私などにはアドバイス頂くケースもよくあります。

私もその考え方は間違いだとは思いませんが、それを目指す事自体が何か結局、自分が大きくなりたい為であり、私には全然羨ましく見えない、ハッキリ言えば、格好イイ生き方には見えないのです。

障がいやハンディキャップで就労できない人達に仕事を作る、それも補助があるから月1万円強という給料ではなく、人間の尊厳を持ってもらう為に、正当な給与を稼げる様にする、という強い想いで日本全国にこの様な場を作り、自社での雇用と、他社にも働きかけて、現在740万人とも言われる就労困難な方々が働ける世の中を目指すという使命に向かい、その為には遊びなどの時間は殆どないはずですが、人生楽しくてしょうがないと仰る渡邉さんの方が圧倒的に格好良く見える私は、やっぱり、おかしいのでしょうか?

たくさんのお金を稼いで、欲しい物は何でも手に入れる事が出来て、リタイアしてハワイかどこかでゆったりと過ごす、普通の人が羨む様な話、私の場合は何故かあまり惹かれず、渡邉さんのように、趣味は仕事というのか、使命に向かう事という方が、何の為に生まれてきたのか?という事を素直に展開されていて羨ましく思えるのです。

そういう想いはありながら、中途半端で結果も出せていない自分があぶり出され、複雑な心境になるのです。

中途半端では、単なる"面白みの無い奴"となってしまいますから、私も今考えている方向で絶対的に結果は出したいと思います。

伊那食品の塚越会長が、「長期雇用や年功序列など、徹底的に人を大切にする経営で、ちゃんと成績が出るという事を世の中に証明したかった」と仰っていた事がありましたが、私も中途半端で、単なる"無趣味で面白みの無い奴"とならない様、10年後には働く環境を変え、"人を大事にする会社が長期的には成功するという事を証明したかった!"と言える様に頑張っていきたいと思います。

その時に、誰にも聞いてもらえず、独り言の様になっていない様にしないといけないですね(笑)

2013年10月13日日曜日

大連にて、生物原理主義?

今週は水曜日の福井への日帰り出張の後、木曜から大連に来ています。

ネジ一本から全て内製化している事で有名な、ある仕入先の工場視察がメインでしたが、圧倒的な規模と量を目の当たりにし、我々の進むべき方向も再認識する事ができました。

昨日は、旅順の二百三高地に行きましたが、日露戦争時のそこでの日本軍の反転がなければ、今の日本はどうなっていたのだろうと思いを馳せていました。


あの時、乃木将軍が采配を続けていたら、反転は無く、日本は日露戦争に負け、全く違う国になっていたでしょう。

いや、ひょっとすれば、ロシアの支配下に置かれていたでしょうから、日本という国も無かったかもしれませんし、あったとしても共産主義国になっていた事でしょう。

太平洋戦争も起こっていないでしょうし、第二次世界大戦にも起こっていないとすれば、原爆投下もされていないし、戦後復興もないのですから、一体どんな日本、どんな世の中になっていたのでしょうか?

戦死された方、生き残った方、それぞれの組み合わせも違う訳ですから、私や、今居る人達も産まれてもいないかもしれないのです。

     (東鶏冠山  ロシア兵の宿舎跡)

そんな事を考えると、自分が生きている意味というのは、自分だけのものではないという事がよく分かります。

その途中、途中で、誰かが違う選択をしていたら、今とは全く違う世の中になっていたのです。

そんな中で、やはり会社というものも、儲けるのは手段であって、まずは、そもそも何の為に存在するのか、させるのか?からスタートしないといけないと思います。

こういう事においては、私はかなり原理主義的で、経営者の中でも、こんな所から考えている人は少なく、最近も自分が違うのかなあと思う事もあったのですが、このタイミングで、近代日本の言わば転換の地に来た事にも、意味を感じ、思いも新たにする事ができました。


今生きる我々は、敗戦後、奇跡の発展を遂げて来た日本が成功をしたと思っていますが、長〜いスパンで見た時、日露戦争に負けていた方が、良かったのだという事にもなってしまうかもしれません。
しかし、それは残念ながら誰にも分からないのです。

今、我々の思いや決断で、遠い将来の、国や地球や宇宙の姿が変わっていくのです。

こんな事を言うと、なかなか理解されないのですが、学生は意外と喜んでくれるので、又何処かで話します(^^)

2013年10月6日日曜日

ワークスタイルデザイナー

昨日、山崎亮さんのお話を聞く機会がありました。

以前も何度か聞いていますし、京都幸福会議では、パネルディスカッションもご一緒させて頂きましたが、京果会館のリノベーションに乗り出して、ビルだけではなく、京都駅西部エリアの街おこしをやらないといけないと、最近腹をくくった私にとっては、一つ一つがなるほど!という為になるお話ばかりでした。

そして、街づくり以外でも、山崎さんの働き方や仕事に対する考え方は大変参考になりました。

以前からスタジオLの全員が個人事業主という仕組みと考え方は、私も、人生の中での仕事のあり方において理想だと思っていましたが、仕事に対しての考え方も、山崎さんもそうだったのか!と嬉しくなりました。

"過疎地などの活性化の際には、徹底的に、地元の人の意見を聞き、地元の人の良い所を引き出して生かすという事をやっているので、社内でも、さぞかし温かく意見を拾って受け入れてくれる様に思われているが、実際は、ピリピリした厳しい雰囲気であり、一切拾い上げず徹底的に叩きます"との事でした。

それは街おこしは仕事であり、それを行なっていく為には、色々な人と向き合い、繋いでいかなくてはいけないのに、まずその本人のストレス耐性がなければ、プロとしての"仕事"ができないという考えからなのです。

インターンから始まる役割というのかグレードは、四段階に分かれており、それによって求められるスキル、役割も明確にされていて、直ぐに上がる人、落ちる人もあるそうですが、これらも全て自分次第なのです。

山崎さん曰く、欧米型の大学の仕組みと同じと、言われる様に、入るのは簡単に入れるが、残っていくのが大変という仕組みになっています。
誰でも入れるけれど、居れば給料が貰えるのではなく、自分ができる付加価値を上げていって自ら稼いでいかなくてはならないのです。

こんな事を言ったり、私がそれを理想などと言っていれば、何て厳しい!と多くの人は思うでしょうが、全く反対で、思い切り自主性を重んじていて、それぞれの人生を尊重した話だと思います。

日本のサラリーマンや会社勤めが、何か特別な事の様に思えてならないのですが、本来は自分が行きたい所に行き、やりたい事をやればいいのです。

その会社の考え方や目指している事が好き、賛同できる、という人には全員入ってもらい、しかし、その会社で"仕事"をする以上は、そこで果たすべき役割が有り、それができなければ叩かれる、ある意味、プロとして、仕事として、一番シンプルな話だと思います。

こんな働き方だと一見仕事に明け暮れている様に見えますが、実は、仕事に振り回されていないので仕事人間ではなく、仕事を適当にイヤイヤやっている人の方が、仕事に従属的で、私はその方が面白くない仕事人間だと思うのです。

又、その会社の中でイヤイヤやっている人からサービスを受けなければならないお客さんの立場を考えれば、そんなに失礼な話はないと思います。

皆が、働きたい所には自由に入って、そこで自らやりたい仕事を見つけ、自分の役割を果たしていける環境になれば、受験から教育から、行政や国に対してのあり方まで、全てが変わるのではないでしょうか?

ウエダ本社は、コミュニティーデザイナーならぬ、ワークスタイルデザイナーを目指して、全ての流れを変えていきたいと思います。

2013年9月29日日曜日

グローカルより、ユニバーカル?

消費税UPは予定通り、来年4月には8%になる様です。

景気腰折れの懸念もありますが、オリンピックの東京開催もあり、2020年に向けてはインフレに転換していく事は間違いないでしょう。

ここ最近、私はどんな問題に関しても、どちらでもなく、両方必要だという考えなのですが、この問題もインフレへ転換して良い展開と困る点があり、やはり両方の視点が必要だと思います。

景気低迷から抜ける、所謂デフレからの脱却は、カンフル剤的には必要だと思いますが、失われた20年で低迷し、漸く、今までの価値観から変わりかけていただけに、上昇気流に乗って、又忘れ去られてしまう危険も感じます。

インフレで景気を良くするという事は、あくまで物中心の考えであり、人口減少が変わらない日本では、物中心の考えでは回る筈がありません。

そこで、海外、特に人口が増えていく、アジア、南米、アフリカに出ていかなければならない、となり、グローバルで活躍できる企業、人材が求められるのは、シンプルで当たり前の話です。

しかし、折角変わりかけていた、物を追いかけて来た反省からの価値観、そこにはパラダイムが変わる要素があり、日本の強みがそこにある筈なのです。

昨日、前期報告会が行われていたグローカル人材育成事業というのは、正にどちらでもなく両方必要という素晴らしい方向性だと思います。

アメリカを追いかけ、真似して、それ自分のものにして来た日本は、欧米が作ったモノ、まず他人が作ったスタンダードに合わせる事が正しいという感覚から、脱却しなくてはなりません。

お・も・て・な・し  は、目の前の人を考えて行ないますが、決して、相手に合わせて盲目的に従属して喜んでもらうのではありません。

相手の事を思い、自分の強みを最大限に生かして、その重なる所に最高のパフォーマンスを持っていく事だと思います。

インフレをカンフル剤にしながら、一時的に潤う従来の資産で、今までと違う価値観創出にその資産を投じて、モノではない資産を築く方向に転じなければならないと思います。

その為には、グローバルというよりも、もっと大きく、地球規模、宇宙規模で考え、地域の強み、日本の強みを使って動ける人材が必要ですので、グローカルではなく、ユニバーカルの方がイイかもです。

でも、あまり良い名前ではないですね。。

2013年9月21日土曜日

Cool Kyoto な ウエダ本社です。

来月25日〜赤坂サカスで開かれるCool Kyoto http://cool-kyoto.jp/に出展します。

これは卸業として創業して来たウエダ本社としては多分初めて、自社オリジナル商品として開発した独自ブランド、"Wa office"(和オフィス) http://www.ueda-h.co.jp/waoffice/index.htmlを出すのですが、既に大変嬉しい事が起こっています。

このイベントをプロデュースされているTBSさんが、うちが唱えている事に共鳴して頂いて、TBSさんのブースで今年の顔として出て欲しいとお誘い頂いたのです。

その様に取り上げられるのは勿論嬉しいのですが、何が一番嬉しいか?と言えば、東京の中心も中心と言えるマスコミの方が、"モノ"だけで見れば、木材で作った空間や机であり、どこかの森林組合か、木製のメーカーなどと変わらないのですが、うちが唱えている、それを展開するオフィスの在り方や、オフィスに対するこれからの考え方、ひいては働き方の変革という、その見えない価値や、考え方に共鳴して下さり、正にそれが京都らしい考えで、Coolですよね?とまで言っていただき、ご理解頂いている点なのです。

ある意味、東京一極集中では持たない事、その象徴的な効率追求、売上の最大化、規模での優劣という事へのアンチテーゼで唱えている事を、東京のど真ん中の方が響いて頂いた事に、嬉しいのと共に、この方向でも理解してくれる層はあると、自信を持つ事ができました。

京都でも、いや、社内ですら、手を替え品を替え、理解してもらおうとしてもなかなか伝わらないのですが、考えてみれば、これイイ!とか、これ好き!っていう感覚は、説明するものでないですから、それを説明して分かってもらおうとするのが間違っているのでしょうね。

もう今や、モノは有り余る程、何でもある時代、それ故又、判断、選別ができなくなり、格付けや評価や、一つの物差しで優劣を付けて来たのですが、そこにも限界がきている様に思います。

今だから、そしてこれからは、感覚、感性を研ぎ澄ませていって、これイイ!これ好き!という者同士が結びつく様にしていく事が重要なんじゃないかと思います。

企業であれ、学校であれ、偏差値や規模などで選ぶのではなく、又、企業側も学生を出身校などで選ぶのではなく、ここイイ!とか、この人イイ!という感覚で結びついていくべきだと思います。

という事で、10月25日から27日には赤坂サカスに出ておりますので、ウエダ本社の感覚がイイ!とか、好き!と思えるかどうか、試しに来て下さい!

そう感じれる人や企業だけで集まって、面白く、やって行きましょう!

2013年9月15日日曜日

Peace Day

今週は、プロジェクトオフィスに入って頂いている、信頼資本財団  http://www.shinrai.or.jp/さんが主催されるソーシャルシネマダイアローグがありました。

これは社会的課題を取り上げた映画を観て語ろうという企画で、五回シリーズの二回目の今月は、ザ・デイ・アフター・ピースという、一年に一日でも、戦争や紛争を止める日を作ろうと立ち上がった男性のドキュメンタリー映画でした。

こんな素晴らしい映画が日本未公開であった事、ピースデーというものを国連で定めていた事、それを一人の思いから実現していた事、又ミーハー的にはジュード・ロウやアンジェリーナ・ジョリーという有名俳優が協力していて、ジュード・ロウに至っては、一緒にアフガニスタンにも行ってドキュメンタリー(活動)の主人公にまでなっていた事など、驚きばかりでした。

たった一日でも止められないか?という事は、逆に言えば常に世界の何処かで争いがあるという事であり、話し合いにも着かない組織、入り組んだ思惑と感情が渦巻く中、そんな事が成立できる筈がない、又一日だけやって何の意味があるのだという反応の中、有名人を動かし、国連を動かし。タリバンまでも動かしてしまっている事実がそこにありました。

この映画を観ていて、こちらも当社の南ビルに入居して頂いているテラルネッサンスhttp://www.terra-r.jp/の鬼丸さんから聞かされていた話を思い出しました。

彼も大学時代に、何故世界は平和ではないのだろうという疑問から活動を始め、我々は微力だが決して無力ではないといつも言っていますし、彼に教えられたのは、世の中の全ての問題は繋がっていて、それを解決に向かわせる第一歩は無関心を無くすという事でした。

無関心からは何も始まりません。
たった一日、一見全く意味がない様にも感じますが、0と1は全く違いますし、ふと手を止めて、少し引いて見てみると、何故戦っているのだろう?とか、相手にばかり向けていた矛先が、他に目を向ける時間を作るという事において、大変有効だと思います。

これは自分自身でも応用したい話かもしれません。。(笑)

オリンピックの東京開催が決まったこのタイミングで、この映画というのも凄い話ですが、紀元前の古代ギリシャでのオリンピックでも期間中は争いを休んでいたそうですし、近代オリンピックはそもそも世界平和を目指したものです。

それが東京開催になったという事においては、色々思うところはあるにしろ、日本人としては喜ばしい事だと思いますし、少なくとも、その事と安倍首相の発言を一緒に論議すべきではないと思います。

この話をし出すと、長くなってしまうので、ここでは止めておきますが、"完全にコントロールしている"発言も、もう言っちゃったのですから、その様にやってもらうしかないのと、批判もたくさんあるでしょうが、オリンピックですから、皆が、自分ごととして成功させ、あの発言も結果オーライで嘘にはならなかった、としなくてはいけないと思います。

しかし、うちの会社には、信頼資本財団さん、テラルネッサンスが入って頂いていて、この催しには、アミタホーディングスの熊野会長、放送作家の谷崎テトラさんがホスト役で来られ、スワンべーカリーの海津社長も観客で来られるのですから、ソーシャルビジネスのオリンピックでも目指そうかと思います。

World  Shiftの主催者でもある谷崎テトラさんは、このPEACE DAYを広めていかれるとの事でしたが、それこそ来年9月21日の京都開催を目指していきたいですね。

2013年9月7日土曜日

企業の長編プロデューサー

第三創業と位置づけ、決算期も変更して臨んだ第一期が終わり、今週から新年度がスタートしました。

社員に向けての今年度事業説明も行いましたが、自分の中では、向かう先、自分がやるべき事、皆に望む事、そして課題が、この十年強、ウエダ本社に来てから一番明確になっています。
いや、初めて、漸く色々行なってきた事が揃って来たと言えるでしょう。

後ろ向きな変化としては、最終形になると思いますが、これから人の入れ替わりもあり、現場はまだまだ大変で、一番明確になったと言っても、現場からすれば俄かに信じられないかも知れません。

しかし、係数管理だけではなく、切った張ったという中で経営をしていると、作品が完成形に向かっているのを皮膚感覚で感じます。

以前から私は、経営というものは、最高のアートだという感じがしています。

様々な要素が組み合わさり、その総合値の最大化を図るのですが、その為には、世の中の変化、先行きの予測、取り巻く人々の感情や行動などがそれぞれ変化して絡み合っていく中で、それらを感じ、対応しながら、作品を描いていかなければならないのです。

つまり、自分のインスピレーションだけで描いて行く静的なアートではなく、周りの状況が相互作用しながら激変していく中で、動的で、最も複雑なアートだと思うのです。

昨夜オムロンの方から、オムロン創業者の立石一真氏も、経営は最高芸術だと仰っていたという事をお聞きし、ずっと思っていた事が正解だと言われた気がして嬉しかったのですが、この感覚は、経営コンサルタントやアナリスト、数字や効率だけの成果を求めている経営者でも分からないと思います。

生き物である企業、そしてその価値を最大化していく経営、しかもその価値というものは、目に見えない、数字では表す事ができない価値を含んだものが重要となっていく時代では、経営は最高の芸術だと思うのです。

立石一真氏が、40数年前にこれだけの未来を体系化して予測されておられたのか、と驚くべきSINIC理論によれば、工業社会の最終段階に情報社会があり、その後、最適化社会、自律社会、自然社会と向かっていく事になります。

その理論に当てはめていけば、日本人の働き方の変革を目指していくウエダ本社では、自律した働き方、自律した企業を広めていく事、それを目指しながら、事業である以上、実際の数字成果も上げていくという最高芸術を創っていかなくてはならないのですが、そこに向っていける段階に漸く入っていくのです。

そして、"企業は舞台だ"と堀場最高顧問も仰る様に、社員という役者達が、それぞれが自律した最高のパフォーマンスを発揮してくれる様、これから舞台を整えていきたいと思います。

宮崎駿さんも長編から引退される事だし、長編プロデューサーでも目指していこうかな。。

2013年8月31日土曜日

シンプルに楽しんで

ついに大台に突入してしまいました。

たくさんの方からお祝いメッセージ、社員や、他何人もの方からもサプライズプレゼントを頂き、本当に有難うございました。

10年というのは一つの節目で、思い返してみれば、いつも大きな転換期になっています。

がむしゃらに働いた20代、厳しい会社でしたが、その中で誰も経験していない事や、色々な経験をした事は、誰に対しても自信の持てる資産となりました。

30歳の時、一生居たいか、居たくないかを考え、自分の理想のライフスタイルを目指して会社創業し、30代後半は、倒産の危機に直面した家業であるウエダ本社に関わる事となり、自分の夢だけを追いかけていれば良かったところから、倒産すると皆に迷惑をかけるという、自分の退路は絶って取り組まなければならない立場となりました。

そして私が40歳の時、ウエダを継いでいた兄は個人創業し、気付けば、私の方が反対にウエダ本社の代表となっており、10年というスパンは、予想もしない展開になるのだと痛感しました。

その後は、色々ありましたが、ウエダ本社を元の誇れる良い会社に戻す為にはどうすれば良いか、
そこに以前から残ってくれている社員、途中から参加した社員を、どの様に向けていくのか、どうすれば、自分達の会社と思って、自分達の大事な人生をかけた仕事と捉えてくれる様になるのか、そういう事に明け暮れて、あっち行ったり、こっち行ったりして頭を打ちながら、もがいて来た40代であった様に思います。

言わば自分の事、自分の成功のみを考えて独立した30歳から、40代は会社の事、人の事ばかりで、
自分自身の目に見える成果という点においては、停滞していた10年であった様に思います。

しかしそれは正に、この期間に勉強して来た事であり、京都流議定書などを通しても訴えている、目に見える成果だけが成長か?というポイントであり、自分自身もウエダ本社としても幅を広げる期間であり、中身の成長をした期間だったのだと思います。

そして次の10年に向けてのダッシュが切れる様に、その前には業績的にも組織的にも底を脱しておく必要がありましたが、新たな展開に入るべく(それが理由ではありませんが)、私の誕生月の8月に決算期も変更して迎えた第一期、丁度50歳を迎える年に皆で黒字転換もしてくれました。

ウエダ本社も今年、切りの良い75周年です。
9月からの新年度は、次の10年に向けて、そして100周年を、内実ともにいい会社に成長した姿で迎えられる様、新たな展開をしていきます。

この曲折を経てきたこれからの私自身の想いは、決して自分の為だけにあらず、世の為にもなる位置づけとなっていると思いますので、再度、自分自身が楽しんで、シンプルに、夢と想いに向かっていきたいと思います。

2013年8月23日金曜日

盛和塾30周年と、改めて思うこと

今週は、ほぼ盛和塾だけで終わった一週間でした。

何度か書いておりますが、盛和塾とは、今から30年前、京都の若手経営者が、経営を教えて欲しいと、当時京セラ社長であった稲盛氏に懇願してスタートしたものですが、今では海外含む70塾、約8500名の経営者が稲盛哲学を学ぶ組織となっているものです。

今週はその京都塾の30周年の例会とそれを記念しての一泊二日の海水浴ツアーがあり、最終打ち合わせ含めて、ほぼ今週は盛和塾のみの一週間でした。

そんなビックイベントがある年に、サブではあるとは言え代表世話人を受けるに当たってはかなり悩みました。

12年前、倒産寸前の会社に入る事になった時から、3期連続赤字の会社などは存在する意味が無い、そんな事にでもなれば社長を辞めると社内外に公言して経営に邁進し、その後無借金にもしてきました。
それが3年前、メイン顧客の倒産によって赤字転落となり、今期はその3期目で、この8月が勝負のかかった決算月でした。

そんなタイミングでしたので、"自分には実質の、必要以上に費やせる時間がない" と代表については固辞していました。

しかし、今期メインの代表となる永田さんから、"その為の二人代表であり、今年は自分がメインだから、岡村さんはできるところをやってくれれば良い"と言ってもらった事や、業績はまだ底でしたが、組織的には底を打っている手応えも持っていた事、そして何よりも、会社を良くする為に、私自身が一からどっぷりと稲盛哲学を学ぶ必要性を感じていた事から、最終的に代表を受ける事にしました。

そんな中で、京都塾の30周年=盛和塾の30周年とも言える例会と翌日からある一泊ツアーには、想いを持った全国からの塾生が集まられるので、どの様におもてなしするか?どんな出し物をして、どんなお土産にするか?記念の映像や記念誌などはどうするか?などが話され、そんな中から、コーラスや和太鼓も自分達で行なうと事が決まっていきました。

やってくれるのはいいけど、代表なんだから自ら率先してやるべき!と思う気持ちと、その状況下で必要以上の事に時間を費やしている場合ではないという気持ちで悶々とした数ヶ月でしたし、実際の所、練習にもあまり参加できませんでした。

そんな状況も永田代表と共に事務局世話人の藤本さんが理解して、他の準備も自分達で進めてくれ、コーラス、和太鼓については隙間時間に、スマホで自主練をしました。

そして迎えた例会当日、遠くはブラジルからも含めて約1200名の塾生が全国から集まり、二人の経営体験発表と塾長の問答が行われた後、懇親会が始まりました。

私の仕事はここでの挨拶だったのですが、今まで色々挨拶も行なってきた中で、恐いという気持ちになったのは初めてでした。

それは1200名を前にしてという事、稲盛塾長が目の前で聞いておられる事だけでも大緊張ものですが、その稲盛塾長に30数年前、数人の社長が頼み込んで指導を仰がれ、その後、25名のメンバーで設立された勉強会に、時間など全く取れないと言いながらも、一回一回塾長が皆の想いに応えていかれた積み重ねが、30年経ってこれだけの人数に広がり、その繋がりの中で、その発祥の地の周年の挨拶を、塾長とチャーターメンバーや諸先輩方の前で、学びも少ない、しかもそのイベントでろくな働きもできていない私が偉そうに話せない、本当にそんな気持ちになったのでした。

考えていた内容を変えて自分の気持ちで話させて頂きましたが、挨拶の大きな意味、役割を考えさせられました。

その後の難関は京都塾生70名でのコーラス。

70名もの経営者が4ヶ月の間に十数回の練習を重ねて、と言いたい所ですが、皆忙しいですから、全員集まる事はなく、まともにはできない中、それぞれ自主練も重ね、指導をして頂いた同じ塾生の吉野さんの、見事な、褒め、なだめのリードで、結果、替え歌"塾長に会えて良かった"を熱唱し、想いを感じて頂いた事もあるでしょうし、大変な労をかけて行なってこられた事を思い出された事もあるのか、塾長も感極まられるというシーンもあり、我々も声をつまらせました。

そんな感動の例会の翌朝は、バス7台を連ねての宮津へのツアーでした。

これも旅行会社さながら、綿密な打ち合わせと詳細な台本までを作ってくれた藤本世話人の数ヶ月に渡る獅子奮迅の活躍で、280名もの方々を引率し、海岸での屋台設営、各種アトラクション、翌日の観光、それぞれの帰路まで、全て問題なく終わらせる事ができました。

この日も、海水浴終わって皆さんが休憩されている間にも、我々は太鼓の直前リハを行ない、そのまま夜の懇親会に突入という、運営から出演からの目まぐるしい状態で、懇親会の初っ端、和太鼓の披露となりました。

こちらは、日曜日夜に4時間の練習を3回だけという状況でしたので、これも専ら各自が映像を見ての自主練を重ね、これも指導して頂いた塾生であり、太鼓センターの東社長の見事な作曲、演出、指導のお陰で、東さん自身、こんな拍手はなかなか無いと言われる程、皆さんに喜んで頂けるものとなりました。

懇親会最後は又、締めの挨拶でしたが、ここではもう殆ど終わった気分で、前日の挨拶とは打って変わって、リラックスして、自分の気持ちそのまま話させて頂きました。

その後は会場を移して稲盛塾長もお付き合い頂いて、ほぼ全員参加での二次会、京都塾だけでの打ち上げ、それでも感激は治まらず?の、部屋に集まっての会は3時まで続きました。

どんな勉強でもそうですが、その事以外が大変勉強になります。
特に経営などは、机上で勉強できるものではなく、経営者が如何に人間力を高められるかだと思います。

近くで見ていると、稲盛塾長が、騒がしくなった会場の中でも、アトラクションであったり、我々のスピーチなどに対しても一番真剣に耳を傾けておられる姿や、80歳を越えられて、大変疲れておられるにも関わらず、全ての行程にも参加され、遊泳においては自ら率先して泳いで行かれる姿などを見ると、一発で魅了され、だから人はついて行くだろうなと感じました。

決して言葉だけではないのですね。。

あの巨艦JALまでもが、二年で変わったのは、まやかしでも何でもない事も良く分かった気がしました。

他の塾生さんや、一緒に動いてもらう世話人の考え、取り組み方も勉強になりましたし、本当に実りと心地よい緊張感と疲労感に包まれ、最終日は天橋立、伊根町の観光の道中、帰り道もずっと、バスの中では爆睡状態でした。

次年度に向けては、私自身が腹落ちした盛和塾の素晴らしさを、あまり出席されていない盛和塾生に浸透させる事、そして 塾生である社長が、各社に稲盛哲学を浸透させてもらうフォローをして、良い会社を広げていく事に尽力していきたいと思いました。

またまた、お前が言うな!と言われない様に、自分から精進致します。

2013年8月18日日曜日

無駄時間のススメ

今回、休暇ではありましたがNYに行って、刺激を受ける事もたくさんありました。

その中でもひょっとすると一番有効であった事は、無駄時間だったかもしれません。

今回、成田経由だったのですが、成田から片道12時間半の飛行機は、如何にも長いなあと思っていました。

以前から積んだままになっている本も数冊持って行ってましたが、結果的には、行き帰りで映画5本と、読書した切欠から、堰を切ったよう様に考えが出てきて、今後の展開などを考える、有意義な時間となりました。

考えてみれば、最近それこそ本を読む時間さえとれていないという状態を続けていたので、じっくり考える時間など全くとれていませんでした。

ただ、ここ最近の、時間に追われた感の中で"考えなきゃ"、と机に向かって考えていても、良い考えは出なかったと思います。
しかし今回は、無駄だなあと思う中、この際、映画も思い切りみてやろうと思って見ながら、その合間に本を読み出すと、ふと考えが出てきて、その後はノートに向かい、改めての今後の展望から、盆明け直ぐの自分自身のやるべき事まで明確になり、これが一番、休暇を取った中で、リフレッシュできた事となりました。

何でもそうですが、一見、無駄な事が、重要な要素となっていたり、効率ばかり追いかけていても、結果非効率になっていたりする事はよくあると思います。
正に、今の日本はそんな所で詰まっているのだと思いますし、オフィスにおいても、一見、無駄なスペースが、有効な"場"となり、価値を生む、そんな方向を目指している私自身が、無駄時間を持てていないというのは、逆行した話になっていました。

こんな話をすると必ず、"そうそう、だから無駄時間や遊びは必要なんだ"、と、自分を慰める人も出てきますが(笑)、あくまで、前提は普段詰め切った状態があるから無駄が効くのであって、その為には、やるべき事、必要な能力、機能を備えなければなりません。

そういう意味でも、分かってはいるのですが、うちの会社で何が足らないかも再度明確にする事ができましたし、どの様な状態が良い循環をもたらすのかも良く分かりました。

私自身が無駄時間を持つ事、つまり、現場にいない事、やっぱりこれが、一番うまくいく形でしょうね。

大きく頷くうちの社員や、会社や組織に勤める方も多いと思いますが、肝心なのは、その為にはどうする?です。





2013年8月14日水曜日

JFKで独り言

今、NYのJFK空港で、書いてます。

二日休ませてもらって、四泊六日で行っていました。

NYは二十年近く振りだったのですが、その街の変貌ぶりには驚きました。

何せ、街が綺麗で、全く、危険な感じがしないのですから、聞いてはいましたが体感すると驚きでした。

実際には、色々な策があったのでしょうが、そのベースとなっているのは、90年半ばに登場したジュリアーノ市長で、就任当時から、NYを安全な街にする!と宣言され、割れ窓理論を用いての、地下鉄などの落書き消しを徹底されました。

前回行ったのが、丁度その前であったので、その話を聞いた際、理屈は分かるけど、そんなの理想の話だと、私などでも思った程です。

ところが、できるもんですね。

本当に、落書き一つなく、子供も一人で放ったらかしでも大丈夫か?と思う程、全く危険な雰囲気がありませんでした。

やはり、無理だと思って諦めてしまう事、皆がやっているから自分もルールを乱してもいいのだ、とか、或いは、誰もやっていなから自分だけがやってもしょうがないとか、自分は関係ないとか、そんな人々の心理が、集団になっていくと、恐ろしくもなり、素晴らしくもなるのだと、目の当たりに感じた気がします。

又、安全な感じは好景気が人々の心理を穏やかにしている面もあるのかもしれません。

やっぱり、海外はイイですね。

狭い日本、小さい業界だけで考えていると、どうしても発想が貧困になるし、明るい方向に行かなくなりますが、やはり、うちメンバーや若い人達にも、海外に出て、発想を広げて欲しいと思います。

ちょっと年寄り臭くなりましたが、20年前には、年間の内、半分くらいは海外で過ごしたい!そんなライフスタイルを夢見て独立したのに、何か、小さい世界で閉じこもり、勝手にもがいている様にも感じました。

そういう意味では、リゾート地でゆったりという休暇ではありませんが、気持ち的には、リフレッシュという感じではないですが、少し転換できた様な気がします。

そんな事をつらつら書いている間に搭乗時刻なのですが、とりあえず40分遅れです。

これくらいは、しょうがないですかね。

2013年8月3日土曜日

コペルニクス的転回

決算期を変更しての第一期も今月で最終となりました。

約一年前、皆には底打ち宣言をしたとは言え、まだまだ3歩進んで、2、5歩下がるといった日々を送っています。

しかし今期は、うちの会社にとっては、大転換期となりました。

長年に渡り、いや、ウエダ本社に来た時から、自社が全国に向けて発信していく事、自社が頭に立ってプロジェクトをコーディネートする事、そして、企業とも単なる物売りではなく、パートナーとして継続的に取り組んでいく事を目指してきました。
それが漸く、いくつか目に見える形として手掛けられる様になったのです。

当社主導で全体の絵を描いた国立大学の新設案件、青山での大規模なシェアオフィスビルの全面施工管理、そして今朝日経新聞にも載っていた、関西で最大級となるリノベーション物件のプロデュース。
これらは計上される数字面でのプラスどころではなく、ウエダ本社にとっては、天地がひっくり返る程の、正にコペルニクス的転回なのです。

ここのポジションに持って来ないと、激減していく卸や下請けとしての付加価値や存在意義が、消え失せていくのは見えていました。

ここのポジションに立つ為に色々な活動も行なって来たと言っても過言ではありません。

この間の変化で、方向が違うと辞めて行く人も居ましたし、これからも有りますが、それは止むを得ない事だと思います。

しかし、でき得るならば、ずっと苦労して来てくれた旧体制からのメンバーも、最終的には羨ましがられる企業の社員、もしくは幹部、そして社長とまでなってもらいたいと思ってきました。

先日来、中途採用の面接を行なっています。
辞める人の補充もあるのですが、ここからは人員の補強も、少しは余裕の持てる様に、以前から居るメンバーとうまく連携してくれる様に、積極的に進めていきたいと思います。

これも昨日発表されていましたが、一昨年、昨年と続けてリニューアルした当社の南ビル、北ビルが合わせてノミネートされていた日経ニューオフィス賞では優秀賞とはいきませんでしたが、近畿ブロックでの特別賞として、リノベーション賞を頂きました。

来期は、ビルも組織もリノベーションする会社としていこうと思います。


2013年7月24日水曜日

今年最後?の京都流議定書

第6回目の京都流議定書も無事終了する事ができました。

参加して頂いた皆さん、そして、丸投げにも近い形でご出演頂いた皆様、本当にありがとうございました。

実は今回のイベントについては、かなり心配しておりました。

毎年、テーマとキャスティングを決めるところまで、色々な絡みの中で構成しているので、私一人で行なっているのですが、今年は最終的にFIXできるのが遅れた事、そして実際イベント準備と当日運営を行なう当社の社員が、かなり入れ替わっており、経験の少ない人が多かったからです。

このイベントは、勿論、日本の価値観を変えないと・・、その為には京都が、こう在らないと・・
そして、我々が意識を変えないと・・というところから始まっているのですが、周り(社員も含めて)から思われている程、CSRや、ボランティア的な事で行なっているものではありません。

今回御登壇頂いたアミタホールディングスの熊野会長のお言葉を借りれば、日本は人口減少で縮小していくのではなく、濃縮していかなくてはならないし、上質化していかなくてはなりません。
その課題と、我々の様なモノも技術もないディーラーが存在価値を示していけるポイントは合致しているのです。

つまり、数量を追いかけるから、安い方が良いし、大きい方が良いとなるのですが、数は縮小していく日本において、そして我々中小企業で、しかもディーラーという存在では、そこの意識を皆さんに変えて頂かないと生きていけないのです。

それを訴えていっているのであって、実は自社自身の為でもあるわけです。

我々はイベント屋でもなければ、見せかけのCSRで行なっているのではないので、数を目的とした集客は一貫して行なわず、あくまで営業行為の中で共感して頂ける方を見つけて行くという事に拘っているのですが、そこの腹落ち感がまだ社員にも無いところが最大の課題で、毎回、イベント自体は本当に素晴らしく見事に行なってくれるのに、何かお祭り的に本業とは別物になっていたのでした。

自社にとっての強みとして、京都流議定書を挙げる社員も多くなってきた割に、それをしっかり自分の大事なお客様、これから取り組んでいきたいお客様に伝えているのか?と言えば、全く、そんな感じではなかったので、「この形(私一人で企画をする)で行なうのは今年で最後、来年から開催も含めて、自分達でどうするのか?を考えて今回のイベントに臨んで欲しい」、直前の四、五日前に、そう皆に言っていました。

その最後通告?も功をそうしてか、最後の二日ほどで集客にも本気になってくれた様にも思いますし、イベントが始まると、明らかに、人数、習熟度は昨年までより落ちている筈なのに、全く問題なく、当日起こる色々な事もその場で臨機応変に対応してくれました。

来場者の方からも数々の対応、雰囲気に関してのお褒めの言葉を頂きましたが、二年目からずっと関わってくれている嘉村氏が、「運営が肩に力が入らず、凄くスムーズにできてますね」と言ってくれたのですが、実はその通り私も感じていました。

そして何よりも、場とつながりラボという、"場"を考える専門家が、その様に感じてくれたのですから、大変嬉しい評価でした。

今年のテーマは、"人をつなぐ、人を生かす、地域、町、未来"でしたが、これも縮小する日本で、人を生かし、それを繋いでいけば、そのグループが力を発揮し、 そしてそれぞれの独自性が生かされていけば、それぞれの地域で生きていける、との想いからなのですが、今回のイベント運営で、当社自体もそれを正に体感した様に感じました。

本業とイベントを行なう意味の乖離について、今年初めて、少し現場に落ちた感じがありましたので、来年は、ちょっと違う形の、新たな京都流議定書にしていきたいと思います!

社員の皆さん、と、いう事です(^o^)




2013年7月14日日曜日

商いの原点

今週は、シスコシステムズの平井社長のお陰で有り難いことがありました。

経済同友会の例会で講演頂いたのですが、そのお話が素晴らしかったと、あるTOPの方から、お電話頂き、”あんな素晴らしい人を呼んで来る岡村君の感覚が鋭いね”と、人を例会で紹介しただけなのに、大変お褒め頂いたのです。 

お褒め頂ける事は勿論嬉しいのですが、実はその事よりも、私自身が、知って欲しいことや知って欲しい人を紹介しているので、それが思った様に気に入って頂けると大変嬉しいのです。
コーディネーター?冥利につきるというか、自分でも、何屋さんなのだろうと思う時もあります(笑)

今週、greenz.jp  http://greenz.jp/2013/07/12/imukino-ueda/という若者に人気のWEBマガジンに、インタビューをうまく纏めて頂いていたのを見て、考えてみれば、ずっとこんな事をやっていたのだと納得していました。

繊維業界で最大手に居ながら、その会社とは取引しないというアンチの会社への切り込み役を、一人で命じられていたり、独立して創業してからは、逆にたった一人の会社でありながら、総合商社に対して、”あなた方の知らない物を持ってきます”という事を売りに出入りしていたり、又、商社に出入りできるところを期待され、反対に、メーカーや販社の営業代行として動いていたり、考えてみれば、自分が良いと思う物を、そうは思っていない人に知ってもらう事、そしてその価値が見出されて陽の目を見る事が、ずっとやって来た事であり、好きな事だったのだと気づきました。
それが今は”人”に向いているだけで、この”人”素晴らしいと思った人が、他の層では全然知られていなかったりすると、何とか知って欲しい、特に、私自身が、素晴らしいと思う人や層が繋がって欲しい、それだけなのだと思います。 
この記事で書いてもらっている通り、これがそもそも、商いの原点であり、それを行なっていただけなのだと思います。

何でこんな事やっているの?そんな役ばかりやっていて、何になるの?どこで儲けるの?これらの質問を受けて、いつも答えに困るというか、何となく違和感を覚えていたのも、私自身は、決してボランティアや、仕事と別枠で考えているわけではなく、”商い”と一緒というのか、”商い”の一環で行なっている感じなのです。 

元々、ビジネスは物々交換から始まり、ある人から見れば全然価値の無い物を、価値があると思う人と、それぞれ交換していたわけですから、ひょっとすると、貨幣で考えると100円の物と100万円の物を交換した事だってあったかも知れません。 

貨幣というものができたから、100円と100万円を交換する事など有り得なくなって、そんな事をする人は馬鹿じゃないか、何故そんな損な事(役)をするのか?という感覚になるのです。 










自分が素晴らしいと思う人が、その人の事を知らない層で素晴らしいと認識してもらえれば嬉しいじゃないですか? 
自分が良いと思う商品が、それを知らなかったお客様で喜んでもらえれば嬉しいし、それができれば、自分は、商品を作る技術も無く、 大きな課題に立ち向かう能力が無くても、人の役に立てるのですから、そこに存在価値が生まれると思うのです。 
そして会社の場合、存在価値が生まれれば残っていけるわけですし、その存在価値を見出してくれる人が多ければ多い程、
会社は永続できるのだと思います。
 今週は、それこそ、こんな素晴らしい人をもっと知って欲しい、違う層に理解して欲しいという方々を集めた
京都流議定書があります。 
ウエダ本社の社員は、是非、その価値を自分のお客様に届ける、もしくは、お越し頂いて感じて頂くという事に全精力を
注いで、自社、そして自分自身の存在価値を高めて欲しいと思います。

2013年7月8日月曜日

日本を変革する夫婦誕生!

昨日はテラルネッサンスの鬼丸さんの披露宴に出席してきました。

色々な方が書いておられますので、まずは元リッツ日本支社長の高野さんのFBhttps://www.facebook.com/noboru.takano.31     では凄い出席者のお名前と、宴自体の様子は、
鬼澤さんのブログ http://ameblo.jp/onikko-nikki/entry-11567949079.html  をご覧下さい。
(楽をするな!と怒られそうですが、内容被ってしまうという事で・・笑)

今回改めて、一人の強い想いがここまでの力を生み出すのだという事と、それを通して大袈裟でも
なく、生きていく上で何が大事なのか?という事、人生って何だろう?という様な事まで
考えさせられました。

披露宴なのに出席者である私の方が、特に最近時間に忙殺されていたので、やっぱりそうか!と大
きな気付を与えてもらいました。

お父さんを早くに亡くし、長男である彼は、高校から親元を離れ、新聞配達や深夜のバイトをしな
がら、世界から紛争を無くしたいと、本で見ただけの岡田多母さんを訪ね、その岡田さん
が、着る物食べる物の世話まで続けて来られた事が、ここまで凄い方々が全国から集まる
存在となり、良い世の中を作っていく為の大きなうねりを起こしていく中心となるのです
から、人の縁、信頼が一番大事な物だと目の当たりにした気分でしたし、何かを行なって
いくのには、目的ではなく、使命から考えないといけないと再認識しました。

幾らお金や地位を持っていても、これだけの方々が、スケジュールを合わせて集まるなてあり得
ないし、もし、権力で集めたとしても、ホテルの人もあんな経験は無いと言われる様な、200人が
一つなる雰囲気は絶対に作り出せません。

物質的な富は常に変動しますし、その繋がりは、はかない淋しいものです。

又、自分達が楽しんでいるだけの繋がりも、折角この世に生まれて来た、もうこの瞬間瞬間は二度と
ない人生を歩んでいる人間として、まして、何でも手に入り、全て自分の意思で決めて
いけるという恵まれた日本に生まれている者としては、本望を果たしていないのではない
か?もっと大きな使命を果たすべきではないか?と思うのです。

そんな想いを持ちながらも、俗世間で過ごしていくと、つい忘れがちになるのですよね。

しかしそれにしても、これだけの実践者を集めながら、それぞれの方の活動を紹介しながら、見事に
がり示していかれた、大久保寛司さんのライブ感溢れるファシリテーターぶりには脱帽
でした。

こんなイベント見た事ない!と堪能していると、三時間近く経過してからのケーキ入刀で、これが
披露宴だっと思い出しました(笑)

鬼丸君、暢子さん、本当におめでとうございました。

初めて会った時から数ヶ月、ずっと、如何に貴女は自分と結婚すべきか?を説き続けて、目標を達成
した鬼丸君、こんな素晴らしい女性を口説き落として、思い込みは”奇跡”を起こす事証明
してくれました。

これも是非、今後の自分自身の活動の大きな糧として欲しいと思います。

暢子さん、昨日参加していた以外にも全国に大勢居る鬼丸君支援者は皆、よくぞ受けてくれた、と
大感謝していると思います。

"岡村さんにも是非会って欲しいんです"と素晴らしい方を何人か紹介してくれた暢子さんの強烈な
巻き込み、きっと鬼丸君、テラルネッサンスにも今後大きな力をもたらしていくと思います。

昨日はそんな、日本を変革する事になるかもしれない夫婦誕生の場に、位合わすことができた幸せな
一日した。

2013年6月29日土曜日

今年は、京都流議定書の”答え”です。

今年で6回目を迎える京都流議定書ですが、今年のテーマは、「人をつなぐ、人を生かす、地域、町、未来」として、今後の日本、少なくとも一部の大企業を除いての日本企業や、お金が幸せを計る指標ではないと考える日本人にとって、ここに答えがあるという構成となっています。

一般的には企業も、縮小する日本市場だけを相手にしていけば、落ちていくしかないので、逆に人口が増えるアジア、そしてアフリカに出て行くべきだ、グローバルに展開しないと、という考えがそれこそスタンダードの様に言われています。

果たしてそうでしょうか?

私は全くそうは思いません。

数を追いかけるビジネスは、産業革命から続いて来たモデルであり、大量生産で発展を遂げてきました。

インターネットが開放され、その後、マイクロソフトの囲い込み戦略から、リナックスなどオープンソース型のモデルとなり、SNSで知らぬ間にネットワークが張り巡らされるという時代になっています。

意図的に囲い込んだりするのではなく、最終図は予想できないが、面白そうな物や場を与えて、そこに人や情報が集まり、繋がる事が価値を生んでいく様になった時代に、足元や日本国内を見ていけば、生かされていないどころか、利用を考えた事もなかったというものや、数や効率のみを追いかけるモデルの中、置き去りにされた素晴らしいものが沢山あると思います。

中央一極集中して、それを割り振るというモデルは、大量生産時代にはそれこそ効率が良いのですが、数を追いかけず、それぞれの個性を生かしていく時代には、適応できるわけがありません。

東京のど真ん中で、東京が特殊であるのに、それが標準と思って、そこから分配していっても、間違いだらけになるのは、誰でも想像がつく筈です。

少子高齢化で人口減少するから、と言うけれど、日本の社会は、女性すら活用できていないのです。

高齢者って、単純に実年齢で考えますが、その経験や知識をこのまま埋没させていくのでしょうか?

健常者と障がい者という様な分け方をしていますが、そんな区別しかできないのでしょうか?
健常者と言われる人でおかしな人も沢山いますし、身体は健常なのに不満ばかりで惰性で生きている様な人と、身体には何らかの障がいがあっても、凄い能力を持っていて、一所懸命働き、生きている人と、どちらが健常なのだろう?と思います。

そんな事を考えても、やっていない事だらけで、やれる事だらけです。
そして日本や日本人本来の良さ、強みは、次から次と新品を買って消費していったり、その場所を食い尽くして、新たな領地を求めていくというスタイルでは無い筈なのです。

”Mottainai”精神が日本のベースであり、それは明らかに、次から次へのモデルではありません。

縦割りでそれぞれでやっているのではなく、横や斜めの繋がりを持つだけで価値は生まれたり、それぞれの地域が自分達の独自性を磨いて、それぞれの良さを生かしていく様になれば、四季折々、風光明媚な資産は、世界でも類の無い、そして賞賛されるべき価値だと思います。

少なくともこれからの日本は、中央(国)から分配されてやっていく時代ではありませんし、それでは持たない事は明白です。

人や、その場所の特徴を生かして繋がっていく事、各地域が独自性を持っていく事、これができれば、
日本は元気になっていきます。

価値観の変革を唱えて行なってきた京都流議定書も、言わばその答えを出しているのが第6回を迎える今年であり、今年の初日は、独自性を発揮する”地域”としての京都を考えていきます。
その中での企業とは何を指針とすべきか?その中での金融のあり方は?人の繋がり、こころの繋がり、そう考えていく中で宗教都市京都の大きな役割などを考えます。

二日目は、就労についてハンディを背負う人の積極採用を掲げるISFネット代表の渡邊社長の講に、
毎年行なって頂くブロックスさんのワールドカフェもテーマを合わせて頂き、”働く”事や、”人”を考えていきます。
又、一見関係なく見えるアフリカの問題も、先進国の利益、効率追求のしわ寄せから紛争問題が引き起こされており、人口増のアジア、アフリカを求めていくモデルの警告をテラルネッサンスさんの活動などから学び、三日目は、”女性力”として、活躍する女性起業家と山田知事のコラボの後、午後は、ソーシャルイノベーター、それを応援するサポーター達が集まって、未来へ向けてのダイアログを開催するという内容で綴っています。

是非是非、日本の大転換期を京都流議定書で感じて頂きたいと思います。

2013年6月23日日曜日

生命体としての考え

昨日もミラツクギャザリングというワークショップでスピーカーというのか、話題提供者として京都流議定書を行っている理由について話させてもらいました。

売上最大、効率追求、そんな評価だけではなく、目に見えないものを評価する価値観の重要性を唱えておりますが、言ってみればこれは反金融工学社会と言える様に思います。

お金、数字でしか考えられない人には、何故、ウエダ本社でこんなイベントを行なっているのか?を説明しても全く理解してもらえません。

何処で儲かるの?とか、お金にならないなら、何が目的?という話です。

そんな視点で人の動きを見てみると、よく見えてきます。

相手の立場で全然態度が違う人、要は、目先の商売のメリットなどがあれば擦り寄り、メリットがなければ、良い歳しながら挨拶すらしない?できない?社長さんも結構おられます。

又、自分の楽な事、楽しい事ばかりに明け暮れている経営者やリーダー達も、ある意味、損得的な感覚で行動するからそうなるのだと思います。
(本能の欲求のまま動いている人も居ますが・笑)

こちらのタイプの人は、他人の為に汗をかいたり、しんどい事を行なうなんて理解できな
いですから、やはり何が目的?となるのです。

先日、田坂広志さんは、機械論パラダイムは20世紀の考え方で、便利になった結果、全てを機械的に見てしまい、便利な物は我々の世界観を変えてしまった。
と、仰っていましたが、数値化してしまう事、感性ですら工学として見える化していく事が賢く、しかも便利だという感覚を見直していかなくてはならないと思います。

最適化は人間の持ちたがる幻想であり、デザインよりも現実の方が進んでしまうものだとも仰ってました。

企業も社会も市場の生命体だという考えは私も全面同意!で、生き物である市場をコントロールしようとした金融工学から、感性までをコントロールしようとする感性工学というものは、考えてみれば恐ろしい、尊大な話です。

企業も生命体であり、そうであれば、まずは存在する意義、価値が無いと、そもそも自然界では生きていけないのです。

自分が目先儲かる、メリットがある、という事より、面白くないかもしれないし、しんどいかも知れないけれど、自分の役割、使命を果たすこと、まずはそれが生命体としてのあるべき姿ですから、そんな発想からすれば、ウエダ本社が京都流議定書というイベントを行なうなんて、何も不思議な事なんてないでしょう?

でも、私の様な考えをする方が異端だとは分かっていますが(笑)

2013年6月16日日曜日

我利⇔利他

今週は東京で、未来をつくるデザイン展最終日セッションで、田坂広志さんの講演や、野村さんのフューチャーセッションに参加させて頂いた話や、ISFネットさんが青山で作られた、託児所付き、色々な支援メニューが満載されたシェアオフィス、匠ソホラの開所式への出席と、そこでの坂本光司先生や渡邊代表についての話、そして昨日、往復7時間かけて日帰りで行って来た伊那フォーラムの話と、
話題満載なのですが、逆に絞りきれず、心に残ったことや気づきは、合間をぬって、FBで入れていく様にしたいと思います。

昨日の伊那フォーラムは、塚越会長と、元世界銀行副総裁の西水美恵子さんがゲストとの事でしたので、そりゃ行かなきゃ!という事と、今年入った新人が行きたいと言ってくれたので、リーダー1名含む4人で参加して来ました。

昨年までは主催が分かれて二日に跨っていたのが、今年から一本化されたのは良かったのですが、参加者からすると、翌日の伊那食品さんでのセミナーが無くなったのがちょっと残念で、日帰り強行軍での参加でした。

愛知のある親しい方が、皆、同じ話をされる、しかも同じ事ばかり話されるのに、何故わざわざそれを聞きに全国から集まるのか?という様な事をFBで言っておられましたが、正にその通り!で、何故かわざわざ強行軍でも行くのですよね?

そして今回も又、同じ話、しかも、塚越会長でも西水さんでも、大事だと仰るポイントは同じである話を聞き、できていない自分、足らない自分を見つめなおすのです。

しかし同時に、話としては同じでも、直接触れる、その場の雰囲気を感じるという事は重要で、やはりその為には行かないと体験できないですね。

手段と目的を間違わない事、リーダーの本気、普遍的な幸せなどがキーワードですが、世の中、これらの逆方向に動いてきた事が、今の歪みを生んでいるのだと思います。

つまり、目的を見失って手段ばかりに追われている現状、そこにはリーダーの本気度の欠如もそれを助長する一因でもあり、皆が、自分の為の目先の利益ばかりを追い求め、又、その手段ばかりを講じるという悪循環に陥っているのだと思います。

塚越会長は、世の中を良くするにも、自分を良くするにも、利他しかなく、利他は普遍的で、究極の幸せなのだと仰っていました。

西水さんは、人類、世の中を変えていくのは、よそ者、若者、変わり者、だと仰っていました。

もう若者では行けない私は、何の為にこんな事やってるの?意味分からん、と言われる変わり者で行こうと思っています。

日帰りでしたので懇親会には出ず、厚かましくも鬼澤さんにチラシを渡して帰ってきたのですが、伊那フォーラムの集まりで、京都フォーラム(京都流議定書)の案内をして頂くという、これって一見、我利の様に見えますが、京都流議定書に参加して頂く方々同士が、より良くなれば、という利他心からでしたので、鬼澤さん、参加者の皆様、どうかご容赦下さい!そして7月の京都流議定書には是非ご参加下さい!

人間は、やはり、我利と利他を行きかうのでしょうね。。

2013年6月8日土曜日

大人な会社

先月卒業していった女性の代わりに、新たに事務が入りました。

この女性、ある老舗料亭で勤めていたのですが、最終面接で話を聞かせてもらった私自身が、大変勉強になりました。

老舗料亭ですから、徒弟制という料理の世界で、事務でも何も教えられない中、色々な事をやらなくてはならないという事、しかも、事務所や、事務などにはお金をかけないという、厳しい環境でありながら、その話が決して不満ではないのです。

それどころか、お客様のお出迎えなど、事務と関係ない仕事でも、やらなくてはならないという事や、自分の対応が悪いと、折角おいしい料理で満足してもらった事が台無しになってしまう、とか、何故、そんな風にできるの?という質問にも、お客様の為、お客様が喜ばれる事が嬉しい、などという意識を持っているのです。

多分、我々の会社の方が、経営品質など、社員満足、顧客満足、社会との調和などについても圧倒的に”勉強”していると思います。

ましてこの女性は、決して誇張する様なタイプではなく、事実を淡々と話すタイプだけに、余計に考えさえられました。

何故、決して環境が良いと言えない中で、不満にならないどころか、事務でありながら、お客様の事を考えて、向かって行く様になるのか?
それも教えられたり、マニュアルでもなく自主的に行うのか?と。

そこには、やはりブランド力、ロイヤリティー、誇りというものが強く作用しているのだと思います。

そしてもう一点は、高級店だけに、お客様が自ずとターゲッティングされていて、事務の人まで含めて皆が同じお客様に向いているのです。

これは強いですね。

我々の様なところは、この自社に誇りを持ってもらう事と、自社のお客様を明確にする事にずっと悪戦苦闘しているのですから。

やっぱり勉強だけ幾ら一所懸命やっても駄目だと思い知らされた気分でした。

やはり本質的な、誇りを持てる会社にする事、それを良いと思ってもらうお客様をしっかり作っていく事、それが普通に備わっている会社、そんな大人な会社がイイですね。





2013年6月1日土曜日

働いて美しくなる!

昨日、12年強勤めてくれた事務の女性が退職しました。

先日、皆での卒業式は行いましたが、最終日の昨日は、内務メンバーで送別会を行なっており、私も会合が終わってから参加しました。

最後の挨拶でも、彼女自身が、「ウエダベーシック10で色々勉強できた。これからの人生でもこれを思い出して糧としていきたい」と言ってくれた通り、ある意味、ウエダ本社での教えを忠実に吸収し、一番変化をしてくれた社員でもあり、それだけに、自分の人生に踏み出して行く事なので、会社としては痛いのですが、嬉しい”卒業”だったのです。

彼女は私がウエダ本社に関わって、まだ社長にもなっていなかった頃に入社した、私にとってはウエダ本社での最初の後輩でもありました。

本当に真面目な子でしたが、仕事はずっとやっていきたいと言っていたので、面談の度に、やりたい事は無いのか?話し合いました。
事務という職種は、一生続けていく事を考えると、色々と競争にもさらされて厳しいので、自分の在りたい姿からやりたい事を考えていくべきだと、話し合ってきたのです。

ある時から、秘書的な素養を身につけたいと勉強したり、「漸くやりたい事が見つかりました!」と、ある時からアートフラワーやガーデニングを勉強する様になり、ウエダ本社の今では広告塔的な位置づけともなる屋上緑化も、毎朝始業前に一人ででも手入れしてくれていました。

人格が磨かれれば女性は内面から美しくなるんだな、と感じさせてくれたのも彼女でした。

女性に限らず、考えてみれば当り前の話ですが、不満ばかりか、やる気なくダラーっとして仕事をしているのと、大変な中でも文句言わず、積極的に向かっていくのと、どちらが美しく格好いいでしょう?

それが恐ろしい事に仕事の場合、毎日、しかも起きている間の殆どの時間をその姿で過ごすのですから、元々の姿から、美しもなったり、醜くもなったりするのは当然の事ですが、意外とそんな風にはとらえられていないのは不思議な事だと思います。

そこの内面を磨こうともせずに、上辺ばかり化けようとしたり、エステに通ったりするのって、何か勿体無い気もします(笑)

働くという事は、そういう意味では、趣味や生活の糧となるお金ももらいながら、自分自身が成長し、その事によって自分が綺麗に、格好良くなっていく為の、そしてそうなれば、当然、自分の人生が豊かになるという、最強、最幸の手段なのです。

そしてウエダ本社では、この女性の様な社員を増やしていって、働いていて美しくなっていく職場環境と、仕事観を広めていきたいと思います。

イキイキとして格好よく働く、女性、男性を日本企業に溢れさせていきたものです。

皆、仕事観を変えて、美しくなりましょう!


2013年5月26日日曜日

海賊と禅問答のリーダーシップ

大変時間かかりながら、漸く、海賊と呼ばれた男を読み終わりました。

心が揺さぶられるという感じで小説を読んだのは、高校時代に竜馬がゆくを読んで以来かも知れません。

これだけの逆境につぐ逆境の中、一人でも、その人が人格を備え、それだけの想いを持ち続けると、これだけの事ができてしまうということは、仮にもリーダーとして取り組んでいる者としては、言い訳の余地はなくなりますね。

ウエダ本社ベーシック10には、”原因を他人に求めず、できない理由を言うのではなく、どうしたらできるかを常に考える人”という項目がありますが、私自身もできていない理由を見つけ、自ら限界を作っていたようにも思います。

しかし、この本で感心するのは、どの分野にも、自分の立場や利益ではなく、国の為、公の為にリスクを張れる、気骨のある人物がおられたのだという事であり、それらが繋がって今の我々の生活があるのであって、どこかでパーツが繋がっていなければ、全然違う世の中になっていたであろうという事です。

という事は一人の想いでも、又それに共鳴して動く人や繋ぐ人のそれぞれ”一人”が、国を変えたり、後世の人々に大きな影響を与える事になるのです。

それがワクワクするところで、再度、想いを強めて頑張らないと!と力むところですが、が、これが又悩むところでもあります。

実はこの本と共に何冊か並行して読んでいたのですが、そのうちの一冊が、元ソニーの天外さんが書かれた”教えないから人が育つ 横田英毅のリーダー学”という本。

こちらは、ワクワク感ではなく、フリーフォールで落ちる際の、一瞬”ウッ”となる様な感覚とでも言うか、内蔵が何とも言えない苦しさを感じます。

一部の人にしか分からないと思いますが(笑)、横田さんは、人は自分自身で気づいた
り、納得した事でしか心底動かないし、教えたり、指示するという事では、本来の成長
はしないという考えで、徹底的に内省するのを待つ、まるで禅問答の様な対応で、こちらも又、そこまでやるか?というレベルです。

一見全く違いますが、この二人のリーダーに共通するのは、マニュアルや手法ではなく、徹底的に”人”を見て、”人”に対する想いだけで展開されていると言っても過言ではない所です。

自分では精一杯やっているつもりという限界や、何故こうならない?というギャップなど、全部、頭で考えている事ですが、シンプルに’人”と向き合い、仲間と共生していく事、それを目的にしていきたいと感じました。

再度、「宇宙を想え、人愛せ」という社是を自分自身に擦り込んでいきたいと思います。

2013年5月19日日曜日

出井さん、やはり大経営者です。

今週は、副部会長を務めさせて頂いている京都経済同友会の例会に元ソニーの出井さんにお越し頂きました。

1995年、ソニーの社長に創業メンバー以外で初めて大抜擢され、第二創業として、日本の経営では馴染みがなかったカンパニー制などを打ち出していかれた出井さんは、その直前に独立創業していた私にとっては、とても斬新に見えました。

ご自分でもお仰ってましたが、ソニー内部でも出井さんについては賛否両論あるところです。

しかし、先日もお話を伺っていて、当時20万人から15万人に減らしたという話など、日本で、いや世界でも、何人がそんな立場の経験があるでしょう?

その立場にならないと絶対に分からない事だらけだと思います。

まして、あのスティーブジョブズまでが憧れ目指した様に、世間からは素晴らしいと思われている中、それでは立ち行かないと改革を行っていくというのは、半端な精神では持たないし、その立場になった人しか、分からないのです。

規模やレベルは当然比べるにも厚かましいですが、私がウエダ本社に来た際も、中身は倒産寸前なのに、世間からは良く思われている中、改革を進める大変さ、割りが合わず、やってられない!という心境を何度も経験しましたが、あれだけの組織で、周りから素晴らしく思われていた会社を変革しようとされた事自体ができる事ではありません。

"守成は創業より難し"です。

しかしそれが道半ばで達成できずに、その後バッシング的な話への対応も、出井さんは格好いいと思いますし、あの様なスマートさ、しなやかさを持ちたいと思いました。

今、ある首長が、ある発言への反論を繰り返していますが、発言自体の是非は別として、もしくは正論であったとしても、あの立場としてはどうなのか?と思います。

それこそ、あの立場にならないと分からないのかもしれませんが、公の立場や、それだけの想いがある人は、誰に何と思われ様と、誤解を受けようと、そんな事は関係なく、公益の為に進むだけで、周りの評価は意に関せず、歴史が自分をいずれ評価するという位の対応をしてもらいたいものです。

こんな事を間近で感じながら、社員にいくら伝わらなくても、言い訳しない様にしよう!と、決意している私は、世界が小さいですね。

2013年5月12日日曜日

ホンマ物の経営者

またまた堀場最高顧問のお話に感服しきりでした。

今週は、いつも勉強させて頂いているクオリアに、新たなメンバーが加わったので、”クオリア”についてのお考えを改めて聞かせ頂きました。

難しい話もホントに分かりやすく、いつも、一瞬にして皆を引き込まれる話術と、深い見識には、いつも感服させられます。

クオリアの日本語訳は質感という事だけれど、私の訳(感覚)では、”グッとくる”ことで、ただ単に感激とか美しいなどと言うのは”クオリア”ではない。

このグッとくる感覚をキャッチして、それをどう行動に移すか?それが重要である。

この面白い!と思った事を行動に移す受容体の遺伝子はアングロサクソンでは100人中50人持っているのに対して日本人では2人しか持っておらず、ここがベンチャーやイノベーションを興していかなくてはならない今後にとって致命的なポイントである。
しかし、高級動物ほど後天的な環境で変えられるので、50対2の差を近づけていく事ができる。

それだけにこの、グッとくるという”クオリア”が重要なのであって、皆も、自社の事業は勿論だが、それだけでは駄目で、世の為、地球の為、日本の為に”クオリア”という感覚を身に着け、そして行動して欲しい”そんなお話をされていました。

そして私が最も驚いたのは、80歳までは好きな事をやって来られて、いつ死んでも良いと思って
来られたそうですが、80歳を越えてから、まだまだ知らない事だらけだと思われてから、時間が惜しくてたまらなくなったとの事で、今でも貪欲に知らない事を正に探求しておられる事でした。

視力の低下というのは、見える見えないの低下ではなく、読んでいても理解できるスピードが落ちる事であり、まだまだ勉強したい岩波書店の全15巻の哲学書や、宇宙物理の全18巻を読んでいくには、全く時間が足らず、110歳くらいまで生かして欲しいと仰っていました。

ここ最近、実はこの視力について、全く同じ感覚を持っていて、読書に対しての集中力(スピード)の低下を私も感じていたのですが、今年89歳になられての知識欲、探究心、生命力を前に、私など全然ひよっこのなのに、衰え的な事を感じていた事に、情けないやら恥ずかしいやら、後頭部を殴られた気分でした。

私なりのクオリアの理解は、五感プラスαの感覚ともいうべきモノであり、これは京都流議定書で重要だと言っている価値観にも繋がっているモノです。

所謂、目に見えない価値であり、数値化できないモノです。

最高顧問曰く、本物とホンマ物は違う。

本物は正しい物であり、本物の反対は偽物である。

東京は本物志向であり、それに対して京都はホンマ物志向。

ホンマ物の反対は、モドキであり、故に本物とホンマ物は違う。

この差、この感覚、この価値がクオリアであり、これからの日本が最も重要視しないといけないモノだと思うのですが、堀場最高顧問は正に京都が生んだホンマ物の経営者だと思いますし、我々は、少しでもそのホンマ物を学び、継承していかなくてはならないと思います。

2013年5月6日月曜日

”海賊と呼ばれた男”が居た時代

今年に入ってからも、より時間が無くなっており、本を読む時間も取れていない状況でしたが、連休前に、せめて話題の本くらいはと、"海賊と呼ばれた男"を買い、今読みながら、色々な事を考えさせられています。

出光興産創業者の出光佐三氏の、壮絶としか言い様のない、生き様、使命感、などについては、読まれる方それぞれに感じる事があると思いますので、ここでは触れませんが、率直な感想として、何故もっとこんな素晴らしい企業の話が広く伝わっていないのか?という事と、こういう壮絶な”戦い”をして来られた人や企業などがあったから、現在の営みがあるのだと改めて感じました。

その頃の”戦い”とは、何も、戦争自体の話ではなく、日露戦争で世界の列強国に肩を並べ、第二次世界大戦で敗戦し復興を遂げていくという過程では、日本人全体がそれぞれの立場で戦っていたのだと思います。

戦後教育から、イデオロギーの問題などで、我々は近代史をしっかり教えられずに来ましたが、どういう思想であれ、その歴史、自分達のルーツを知る事は、そもそも今の自分達を肯定するにも必要だと思います。

戦争は悪いし、人を殺すなどあってはならない事ですが、その背景も知らずに、現在の様な、生きていく上においての苦労をしていない人達が、今の状況においての判断で、軽々しく当時の是非を言う事などできないと思います。

勿論、戦争を肯定しているのではありません。

色々な意味で、”戦い”を経験していない今の日本人が、これから大転換していく中で、色々な決断をしていけるのか?と、上っ面の論議を聞く度に不安を感じるのです。

堀場最高顧問が、人間が本当にパニックになるのは、今日から食べる物が無いという状況と、死にたくないのに殺されるという事しかないと仰られますが、生死を分けた判断を繰り返して来た人達の事を、平和で物が余った時代に生まれ育った我々が、その判断の是非を考えられる筈がないのです。

良いも悪いも、今、有るのは、その歴史が有ったからであり、イデオロギーが歴史を変えられるわけではないので、しっかりとその事実は伝えていかなくてはならないと思います。


ウエダ本社も、5月1日で75周年を迎えましたが、この本とも重なる時代を潜り抜けて、戦って来たから今を迎えられるのだと思いますし、そんな歴史が刻まれた組織は、決して我々だけのものではないので、やはり、先の時代に繋げていかなくてはならないと改めて感じました。

最後に、こんな素晴らしい精神で創業された企業が、それだけの評価をされているのか?については疑問のあるところであり、戦後の高度成長の中では、二番手、三番手であっても、極端に言えば、素晴らしい”精神”が無くとも、仕組み化がうまい方が、売上、利益を上げ、拡大し、賞賛されて来たのではないかと思います。

今後の日本においては、こんな歴史や、精神を持っている所を、もっともっと賞賛し、そんな企業が実際、好業績になるという社会を形成していく事、それがこれだけの歴史や背景を持ち、少子高齢化社会に向かっていく我々が、示すべき未来像なのではないでしょうか?


2013年4月29日月曜日

最年少と最年長?の理事

先週は京都経済同友会とNPO法人ミラツクの総会に出席しました。

一般社団法人に移行した経済同友会では常任幹事からの移行で、ミラツクではこの総会で新しく、それぞれ理事に就任しておりました。

こういう会合も時間は取られるのですが、大変勉強になりますし、逆にその様にしないといけないとも思います。

京都経済同友会では、まだ私が一番年少の理事でもあり、他は名だたる経営者ばかりですので、そこに名前を連ねているだけでも面映いのですが、会議などでの皆さんの発言を聞いているだけでも、企業としてそういう考えをされるのか?とか、そういうポイントを見ないといけないのかなど、大企業、有能な経営者の考え方に触れる、貴重な機会になっています。

一方のミラツクは、自分が"未来をつくる"という意志を持った人の集まりであり、こちらでは最年長に近い存在ですので、何故、その若い間から、そんな想いになって、そこまでするのか?と、一人一人背景や育った環境まで聞きたくなるくらい刺激を受ける若者に出会えます。

最年少と最年長の連日の総会を見て、やはりこれが、私の役割なのかなあとも思います。

ミラツク総会で聞く様々な問題も、結局は消費者であり、国民の意識が変わらないと解決に繋がらないという話にも出ていましたが、その通りだと思います。

NPOだけではダメでしょう。

企業をソーシャルに向かわせた方が早いかも知れません。

国、行政は、今までのお金の使い方、決定と執行の在り方を見直さないと話にはなりません。

消費行動で意思を示していく事のできる国民は、企業、商品、勿論政治家を選別していかなければなりません。

全ての問題は、国民が変わらないと根本的解決にはつながらないでしょう。

それだけに、NPOが、企業が、行政が、という話ではなく、それぞれの立場で活動していかなくてはならないですし、それらが混じり合っていかないといけないと思います。

その中で私は、最年少であり、最年長であるという立場で繋いでいきたいと思いますし、オフィスに関わるウエダ本社として、多くを占めるサラリーマンの国民としての意識を変えていきたいと思います。

その最初の壁は自社内ですが。

2013年4月21日日曜日

数十年後のビデオレター

4月20日付けで、ウエダ一筋に42年務めて頂いた元管理部長が退任されました。

またまたウエダにとって、精神的に大きな穴が開いた感じでもあり、淋しい限りです、

私が入る事となってから、貸し渋り、貸し剥がしと言われた頃の銀行との怒鳴り合いの交渉や、仕入先から、力づくでの現金支払いへの変更要求とそれに関しての出荷停止措置、又、それに絡んだグループ内での不明瞭な資金流出などなど、当時、四面楚歌状態で正に”戦って来た”経緯を、唯一知っておられる方でした。

正直、そんな苦境を乗り切っていく戦略を練ってもらえる、”切れ者”ではありませんでしたし、誠に失礼ながら、関わり上からも、一番怒った回数もある方でした。

しかし、内心は腹立たしかったと思いますが、一度も反論される事なく、ずっと堪えて頂いていた様に、正に”実直”という言葉がピッタリの、会社の事を誰よりも思って頂いていた方でしたので、定年も関係なく居て頂きたかったのですが、介護の問題もあり、定年を機に退職される事となったのでした。

先日、その方の送別会で、社員達がサプライズで用意してくれた、お嬢さんからのビデオレターには、
長年、苦しい事にも愚痴をこぼさず、家族の為に頑張ってくれたお父さんへの感謝が述べられていました。
それと共に、「社長の事を助けて欲しいと、千恵子(亡くなった私の母)さんに言われているから、自分にはその使命がある」と、ご家族に言っておられたとの話もされていました。

この話は私自身も、元部長から数ヶ月前に初めて聞かされたのですが、お嬢さんの感謝の言葉だけでも涙腺がやられてるのに、そんな事まで家族に話されて勤められて頂いていたと思うと、涙を拭いきれませんでした。

創業者の娘である私の母は、自分が小さい頃から手伝い、言わば青春も捧げて来たウエダを残したいという想いは誰よりも強かったと思います。
その会社こに”入らざるを得なくなった”私への協力を、自分では何もできないので、この方の実直さにかけていたのだと思います。

他の社員からすれば、”社長も涙もろくなったなあ”くらいの感覚だったかもしれませんが、インタビューを見ながら、色々な人の想いを感じると共に、業績が悪かったせいで、社員の人生や家族など、どれだけの人に歪みをもたらしていたのか?という申し訳ない気持ちと、そんな中でも毎朝早くから文句も言わず、出勤されていた事への感謝など、実は、感動だけではない、入り混じった心境だったのです。

やはり会社は、良い成績を上げないと誰の為にもなりません。

今、まだまだ結果が出ていないという事においては、やはり私の責任であり、その能力不足から、十分報いる事ができず、負担を強いている状況であるのですが、そんな中、ウエダ本社では結婚や、出産が続いています。

大変嬉しいオメデタイ話なのですが、その反面、大きな責任を感じます。

これから生まれて来る子供達が数十年後、今居る社員達も、このお嬢さんの様に、立派に成長されたお子さんから感謝を述べられたり、家族の方から、良い生活を送れたと言ってもらえる様な会社を築いていきたいと思います。

そして、数十年後にも、その子供達が、”お父さん(お母さん)、良い会社で勤められて良かったね”と言っているビデオレター(形は変わっているでしょうが)を、皆で見たいものです。


2013年4月14日日曜日

リヴオンの入社式と、寺ルネッサンス

尾角光美さんのリヴオンの入社式が、うちの会社で行なわれました。

初めての事であり、それらしくもしたいので、応援してくれる人にも集まってもらい、”働く”ってなんだろうを皆で考える、温かい会にしたいという事でした。

その最後に、贈るメッセージを頼まれていたのですが、この新入の女性も含めて、参加者の半数が僧侶という中での挨拶でしたので、社員や、家族にすら話していなかった様な、死生観を話させて頂きました。

私も含め多くの経営者は、関わりのある人に対して責任を負って経営していく中で、宗教観~哲学と、どんどん深い所に入っていって、漸くそんな心境になる所を、20代の若い僧侶達は、必然的に身につけているので、一般的な働き方を話しても意味無く思え、もっと深い所から話をしないとと思った事と、普段では、重く受け止められるので遠慮する所を、ここでは安心して?深い所から話させてもらったのです。

働くという事については、役割を果たす事、役に立つ事、生きる事である、という話が当たり前に出てきて、普段、社員や、多くのサラリーマンにも考えて欲しいポイントが、呼吸をするかの様に出てくる姿を見ると、やはり宗教観が備わっていれば、人の考えも的を外す事はあまり無い様に思いましたし、今の日本に足らないのは正にこの点だとも痛感しました。

働き方を考える為には、生き方を考えないといけないですし、”生きる”を考えるには、”死ぬ”という事から考えないと、その意味はなかなか出て来ないと思います。

つまり死生観がないと、働くというものも、しっかり捉えられないのです。

何故、勉強しないといけないのですか?

何故良い学校に行かなくてはならないのですか?

そもそも良い学校って何ですか?

良い会社ってどんな会社でしょう?

何の為に働くのでしょう?

何故、お金が必要なのでしょう?

楽してお金を儲けて、楽しく過ごしても死んだら何か残るのでしょうか?

そもそも必ず死ぬのに何の為に生きるのでしょう?

私の場合、実は、そんな所から全て考えているので、やっている事は、その時々の役割で変わっていますが、生き方、方向性は、ずっと変わっていない様に思います。

安心して思い切り話をすると、ある僧侶から、是非、僧侶達に話をしに来て下さいと言われました(笑)

僧侶の方も迷われているのでしょうが、混迷の時代、社会との繋がりを期待したいと思いますし、リヴオンの行なっている、お寺の復興”寺ルネッサンス”は今後の日本にとって、本当に重要なプロジェクトだと思います。