2012年12月29日土曜日

2012年 お世話になりました。

毎年バタバタとして年末を迎えていますが、今年も更に慌ただしく一年を終えました。

ここ数年、苦しい中、色々な事に取り組んできましたが、今年の後半あたりから、漸くそれらが繋がる様になってきて、バタバタの中身が違って来た様に思います。

社員の方もバラツキはあるものの、それぞれの役割を意識してくれる様になり、目に見えて成長してくれている人もいますし、少なくとも、以前より厳しい状況であっても、不平不満よりも何とかしようとする姿勢に変化してきてくれています。

会社の雰囲気は楽しい朝礼を行なっていた三年程前より、表面上はトーンダウンしてみえますが、これも変革へ向けての、組織としての段階で、上っ面と現実とのギャップを埋めていく為に、一旦落ちて地に足つけて上がって行っている状況だと思います。

ビル全体をリノベーションした南ビル、ウエダ本社として初めての自社ブランドである、北山材の"Waoffice(和オフィス)"のショールームを兼ねてのコワーキングスペースを設置した北ビル、それらが完成した事により、お客様や知人などから相談される内容が明らかに変わって来ています。

今年5回目であった京都流議定書が終わって以降、これも今までとは違うのは、何処へ行っても、"京都流議定書に参加してました"などと言って頂いたり、その存在を知って頂いて
いる方がおられ、継続する事の重要性と、人の縁の力を痛感させられました。

来年はこんな要素を結集させ、又新たなウエダ本社として生まれ変わっていきたいと思います。

皆様、本年も大変お世話になりました。
そして、来年もどうぞ宜しくお願い致します。






2012年12月27日木曜日

社報 廃刊 !

創業者の頃から続けられて来た社報を、この度止める事にしました。

というと大そうな話ですが、ここ最近は、社内向けの社報をそのままブログにもUPしており、ご覧頂いている方もありましたので、お知らせ致します。

私も社報については、社長になって自動的に引き継いでいましたので、かれこれ10年以上書いてきました。

この間、ブログは7年前から書く様になり、一時期はほぼ毎日書いていて現在では1000話を超えております。

1年半程前からはFBも行なう様になり、日々の発信についてはFBで行い、ブログについては週一ペースにして、FBとブログで、想いや活動などを発信しております。

それに加えて、4ヶ月程前からは、予ねてから望んでおりました社内新聞を社員の方で作ってくれる様になり、今後は、それを関係先に送らせて頂く事にもなりますので、この度、社報を廃刊する事にしました。

何でもそうですが、一つ一つは大した事がなくても、続けていくとそれなりの資産になるもので、社長就任当時の社報などを見ると、10年前の様子がビジュアルで浮かびます。

今のブログや社内新聞も、未来の資産となります様、発信を続けて参りますので、ご興味ある方は、
ご笑覧下さいませ。

2012年12月24日月曜日

様々な空気感

今東京からの帰りです。

最近、休みの日にしか東京にも行けていない感じもしますが、関わっている事も多くなって、休みの日に会合やイベントが行なわれる事も多いからだと思います。

休みの日と言っても、私などはそういう時でないとできない事をやるべきであり、という事は、これが優先度の高い仕事でもあります。

と、言いつつも、いつまでもベンチャー精神を持っていたいので、有能で、熱く、大きい想いを持っている若い人達との関わりは、趣味に近い話ですが。。

今回、二つの素晴らしい会に出席しておりましたが、主催している人が素晴らしいと、その想いに共鳴して、集まる人々も素晴らしいので、こういう空間に居ると、日本の未来も明るいと、いつも元気になります。

しかし不思議なことに、何かそれぞれの空気感は違います。

これは、それぞれが醸し出す空気感があるという事で、その"場"が素晴らしいという証明でもあるのですが、少し引いて見てみると、異質な人が居ない"場"となっているとも言えます。

同じ様に日本を良くしていこう、自分の利益のみを追いかけず、効率化よりもサステナビリティーに重きを置く考えである様な人ばかりなのに、何故か違う空気感となり、こういうそれぞれが混じりあうかな?と思うと、ちょっとどうかな?という感じもします。

つくづく私は、色々な所に首を突っ込んでいるもんだと思いますが、それだけに、それぞれの素晴らしい人達が混じり合って欲しいなと思います。

とか、言っているから、色々お誘いも増えるのだと思うのですが。

年末年始は何も予定を入れず、内省の時を過ごしたいと思います。

2012年12月22日土曜日

多様性を認める事と野合は違います

16日の総選挙に始まり、今週も色々な事がありました。

自民党の大勝は、望まれてのものではなく、あくまで消去法でのものだと思います。

第三極という事で新たな政党にも期待がありましたが、それらも理念がなく、手段だけで結びついていたところが残念でした。

民主党がこけた原因は、寄り合い所帯で決められなかった事と,,野党時代には威勢が良かった面も政権を担うと、世界全体で考えなくてはならず、感情論だけでは動かせない現実に直面し、手も足も出なくなっていた所だと思います。

その失敗を突いていこうとする第三極が、また、数合わせのみ、原発の一点のみで結びついたのは、戦略としても失敗だったと思います。

 今週、招待制で行なったダイアログバー京都は、行政、経済界のTOP、ソーシャルビジネス、環境など、色々な”筋”で活躍されたり、注目されている方々が集まって頂き、小規模ですが、他では有り得なかった”場”となりました。

全然反対の意見も出ますし、立場も全く違いますが、こういう場に来ようとする人は、必ず、どこかのベースは合う筈で、その最大公約数を見つけていく事が大事なのです。

この場合は、表面に出ている事よりも、深い所で合う層を見つけていく、もしくは、何の為にという、そもそもの大きい所から発想していく事が必要だと思います。

それは、政権をとる為に、或いは、人気を取る為に結びつくという様な”野合”とは似て非なるものです。

又、同時に、同じ主義主張の人、同質の人ばかりでは、何の解決もできないと思います。

大変素晴らしい想いで、素晴らしい活動なのに、先鋭化していくと、そうではない考えの人を糾弾する残念なケースをよく見受けますが、それは本末転倒な話で、ただ考えが違うというだけで、その”人”自体を責め立てる様な言動、行動をする人では問題解決などできる筈などありません。

原発問題であれ、TPPであれ、ある一面から見た事が正解という事はありません。

意見、イデオロギーが違うからと言って、その”人間”が悪いという事にはなりません。

意見が違うからと言ってその”人間”自体を認める事ができなくて、人間の多様性を認められない人が、環境や地球の為に!というのは、おかしな話に思えてなりません。

深い深い所から考えていかなくてはならないし、その為には、国のリーダーや政治家は、批判や反対を浴びてもやっていける人を選んでいかなくてはなりません、表面上の甘い言葉に釣られるのではなく、深い所を見れる国民になっていかなくてはなりません。

その為にも、違う意見を持った人達が集まり、話していく”場”、他の”人”を認めながら話を積み重ねるダイアログというものを広げていくべきだと思います。

明日は、そんな活動を行なっているミラツクフォーラムが東京であります。

色々な立場の人を巻き込んでいける人達の輪が、広がっていく姿を見てきたいと思います。

2012年12月15日土曜日

”いいちこ”な考え方

先週勉強会でお話をお聞きした三和酒類さん、あの”いいちこ”を製造されている会社です。

経営品質、ブロックスさんのDVD、坂本教授の日本で一番大切にしたい会社など、それらで取り上げられていなくても、まだまだ凄い、素晴らしい会社は日本にはたくさんありますね。

”大きくなることが目的ではなく、継続することが目的”

”継続するには、どうするか?それはおいしいお酒を造ることの一点のみ、そうでなければ会社の存在意義は無い” 

”品格のある会社をどう作るか?社員全員が品格を持たなければならない”

”営業マンは本社の価値観のシャワーを浴びないといけない、だから支店は作らない”
また、この支店を作らないのは、単身赴任という家族にとって負担のある事をしない為とも。

まるで伊那食品の塚越会長のお話を聞いている様ですが、ここもまた、こういう事を言われていながら業績も素晴らしく、売上500億円で経常利益約70億円、しかも、社員数は300名という、とんでもない好業績なのです。

たくさんの成功要因はあるのでしょうが、西会長は、その一つに、広報、宣伝部を持たず、川北秀也さんというデザイナーに全てを任せておられる点も上げられていました。

競合先の想定において、サントリー、キリンや、アルコール飲料メーカーを上げられる西会長に対して、川北さんは、そんなちっぽけな考えでは駄目だと言われたそうです。

三和酒類にとっての真のライバルは、ベンツ、BMW,トヨタという考えをもつべきである。
それは、お酒を飲む為には、車には乗れないわけで、車を乗らずして飲んでもらう様にしなければならないからとの事でした。

これからは、一日24時間の時間の取り合いであり、どの様にして、自分の商品に時間を使ってもらえるか?が勝負だと。

鋭い話ですね。

私は、他業界から来たせいもあるのか、あまり同業者に競合という意識を普段から持っていません。
事務機や家具の販売、または、オフィスの内装工事屋とは思っていないからです。

もっと、基というのか川上というのか、働き方を構成する要素に関わる会社が、我々の考えるべき”相手”だと思いますし、これからの時代、モノではなくて、時間やライフスタイル、生活シーンでの比較をするべきだと思います。

逆に、世の中の課題に向かって、それを変革していこうとする様な場合は、自分の居る位置で見えている事で考え、違う意見の人を批判するのではなく、その基か、川上の所で、一つ深い所では組めるという発想で考えていかないと、何も問題解決はできないと思います。

よく、誠に正しい事を行なったり唱えている人が、先鋭化していくと、他を認めず、他を中傷さえしていく言動や行動をされる姿を見ますが、幾ら正しい事であっても、これでは解決できないと思います。

もっと大きな視野で、深いところからの発想で、見えている表面上での敵や、意見の違いで考えるのではなく、”いいちこ”な世の中を作っていきたいですね。

あ、”いいちこ”というのは、大分の方言で ”いいですね”という事らしいのです。

三和酒類さん、正に、”いいちこ”な企業でした。

2012年12月9日日曜日

全ての問題解決の第一歩

先日、FBでも少しふれましたが、パタゴニア京都店でのオープンの際、パタゴニアという会社の存在意義、スタンスを知り、感銘を受けました。

「環境保全・保護こそがミッションであり、ビジネスはその方法論」売れていてもそれが環境に悪影響を及ぼしているからと販売を中止したり、綿栽培で、枯れ葉剤なども農薬として使われている状況からオーガニックコットンに進出された経緯など、全くそのミッションをお題目ではなく、その通りに実践されているのですから、そんな企業など、世界で一体どの位あるのだろう?と、尊敬と共に驚嘆しました。


私が初めてパタゴニアの名前を知ったのは、20数年前の繊維商社時代でしたが、それも、その当時には世の中に普及していなかったフリースという素材を、世界で初めて、消費者から回収したペットボトルで生産していたのでした。


しかしその繊維商社出身の私も、恥ずかしながら先日まで、綿栽培でそれだけ強烈な農薬を使用していたという事は全く知りませんでした。


私が勤めていたのは、繊維商社では最大手でしたし、私も綿素材を使っていましたが、そんな事は一切知りませんでした。


今では日本も環境意識は高まり、その頃の状況とは違うと思いますが、それでも日本の商社やメーカーでは、世界で起こっている他の問題も含めて、知らないか、あえて知ろうとせず、調達していると思います。


極端な安さ追求の先には、発展途上国、貧国に、無用な貨幣経済を押し付けたり、不法労働や紛争に繋がっていたり、誰かの負担の上に成り立っているのです。


その反対側のフェアトレードやソーシャルビジネスも広がりを見せており、それ自体は素晴らしい事なのですが、こちら側では、言われた価格で買ってもらえるのを良い事に、原価積み上げで甘い仕入れやプランになっているケースも多いと思います。


これはこれで、買う人に必要以上の不利益を与えてしまう事にもなっていたり、やはりビジネスとしてしっかり自立できない為に、存続できなくなり、結果的には、その活動を当てにしている人々に迷惑を掛ける事になってしまうのです。


だからこそこのパタゴニアさんのミッションは素晴らしく、しかもそれでいてTOPブランドを作り上げられている"本物の素晴らしい企業"を賞賛していかなくてはならないと思うのです。


一部上場の超優良企業でも、その仕入れスタンスを見ると、いくら素晴らしい理念を掲げていても、結局は自社の利益しか考えていないじゃないか!と思う企業も多いですが、それだけに良い会社を増やしていく事無しに、環境、貧困など、世の中の課題解決はできないと思うのです。


いくら世界で競争に勝って、凄い業績を残していても、必要以上に人々や環境を犠牲にしている企業と、本物の企業をうまく見分けていきたいものですし、それが世界平和も含めて、全ての問題解決に繋げる第一歩だと思います。

2012年12月7日金曜日

長かったです。

3キロ辺りでは雨も小ぶりとなり、国際通りの沖縄教育出版さんの前では、毎年、応援で立っておられる川畑会長にも元気に挨拶できていました。

これで雨が止めばと思いましたが、7キロ前から雨、しかしその辺りでは大音量でバンドがYMCAの演奏で盛り上げてくれました。

ここでも勿論、YMCAの振り付けをしながら走りました。

週一で10キロは走っていたので、雨であっても10キロまでは平気で、一番後方のJブロックからのスタートでしたが、ゼッケンのJ集団からK集団、H集団と上げていくのを楽しんでいました。

ところが、練習では15キロ以上走った際も足は大丈夫であったのが、スタート1時間以上渋滞して待っていたせいか、雨のせいなのか、14キロ地点から既に足に来ました。

その頃から、距離表示はずっと1キロ刻みなのが結構苦痛で、毎度毎度、”これだけ走ったのに、やっと1キロ?”という精神的ダメージがきつく、この思いは結局最後まで続きました。

その上、16キロ頃~中間地点の平和記念公園まで、ずっとの坂道で、この間が又、雨が強く、どこもきつかったですが、今回、特にキツイ所は全て雨でした。

沿道はずっと、水、スポンジ、飴、みかん、バナナ、黒糖、塩などを、持って応援して頂いていたので、ホントにこの頃からは、走りながら次は何を貰おう、何があれば、貰いに行くか?という事を考えて走っていました。

これは聞いていましたが、沖縄の方のお陰で、本当に飲み物、食べ物、又、エアサロンパスなど何も持たず、全部、沿道の方からの支援だけでやっていけました。

ただ、何処でも沿道で何かを配って頂いているので、いつでも横切って取りに行く人が居て、接触や走りにくさはありました。
と言う私も横切りましたから、お互い様ですが。

20キロを過ぎ、未知の世界に入った後も、1キロ1キロが長く、残り距離は、練習で走った所をイメージし、あと、あそこまで行く距離か、と思いながら走りました。

あと7キロ地点に来ると、その辺りは土地勘もあり、競技場との位置関係が分かったので一瞬元気が出たのですが、これが又裏目。

場所は分かっているのに、距離はまだ残っているから、真っ直ぐ行くわけではないので、どこまで回るの?という思いで、この最後の3キロ程が又キツかったです。

漸く競技場に入り、最後の力を振り絞って感動のゴール!と思いきや、どしゃ降りの雨で競技場は田んぼ状態、普通に歩く事さえできませんでした。

一歩一歩足を進め、ゴールも、雨の中、そっと入ったという感じで、ヤッターという感じ
は一切ありませんでした
結果は皆に約束していた5時間半を23秒オーバーしましたが、こんな状況だったので、
実質は3分程前に入っていたと思います。以下は、ゴールしてから撮った、ほぼ唯一のマ
ラソン参加写真です。
  と、こんな感じで、太陽と海!というイメージとは真逆の淋しい感じ初マラソンでした
が、社員達が喜んでくれていたのが本当に嬉しかったです。
またこのあたりは、おいおい書きます!


2012年12月3日月曜日

那覇マラソンの意味づけ

全くマラソンなんて走るつもりはなかった自分が、28回の歴史の中で初めてという、どしゃ降りの雨の中、那覇マラソンに出ている事自体、不思議な気持ちでした。

週一で走り出したのが、5月くらいからだと思いますが、朝のウォーキングを始めたのは、3月頃だったと思います。

もともとはこの二年程、本業で苦しんで来た事への願掛け的な事から、生活スタイルを変える事と、朝の時間を自己投資に使う為、5時に起きる事にしました。

その内に、毎朝のウォーキングになり、週一のランニングとなり、それならと、二年前に応援に来て、その和やかな雰囲気から、”マラソンする事になれば那覇マラソン”と思っていたこともあり、申し込みだけは行なっていました。

社内の価値観の擦り合わせ、役割の明確化を進めてきて、漸く、光が見えてきたタイミングでもあったので、自分の中で、このマラソンを浮上の切欠としようと思う様になりました。

それだけに、完走しないと浮上はない、と、勝手に言い聞かせ、根拠も自信もありませんでしたが、”完走する”と言って、逃れられない様にしてきたのです。

長男に対しても、完走できなければ、今まで反対していたある物を買ってやると約束したのですが、沖縄が雨という週間予報で喜んでいる姿を見て、教育上、間違ったと大反省しました。

しかし、それくらい自分の中で、これを今の状況と重ね合わせて絶対完走と、追い込んで臨んだのでした。

ところが、当日朝起きると、どしゃ降り。
しかも現場で合流するつもりだった沖縄教育出版の皆さんとは連絡が取れず、要領を得ないまま、ゼッケン順で2万5千人の最後尾のブロックに一人で並びました。

約1km、どしゃ降りの中、殆ど動かず、24分後に漸くスタート位置に立てるという、正に最悪からのスタートでした。

このマラソンを勝手に会社の切欠に考えていたからでしょうか、考えてみると、ウエダ本社に来た時も、本当に四面楚歌であり、どしゃ降り状況の中、一人だったよな〜などと考えながら、そう
思うと、今は社員全員で寄せ書きでタスキを作ってくれる様な会社になっているのだからと、最悪からのスタートは、後は良くなるだけだと、スタート位置を過ぎて、走り出す頃には、変な勇気も湧いて来ていました。

華やかな雰囲気を気に入って、初マラソンは那覇でと思って来たのですが、どしゃ降りでお祭りムードもあまり無く、"太陽と海"の祭典というのには程遠いものでしたが、そんな雨の中でも、ボランティアで様々な支援をして下さる沖縄の方には、本当に有難く思いました。
二年前、うちの女子社員が那覇マラソンに挑戦する際、ブロックスの西川社長が、自分しんどい時ほど、他の人に声をかけるのがコツだと言われていたのを実践するべく、沿道で手を出してくれる人、特に子供にはできる限り手を合わせていきました。

手を合わしてその時声をかけていくと、一瞬ですが、力が出るのです。

特に一人で参加している私などには、凄い力となりましたし、この事も人との関係において、大きな学びがある様に思いました。
この後の道中については次回にさせて頂きます。

勿体つけているのではありませんが、今日はもう休ませてもらいます。

2012年12月1日土曜日

12'12月 ウエダ本社社報

《次のステージに向けて》

明日、那覇マラソンに挑戦してきます。

皆に温かく送り出してもらって、是が非でも完走してきます!

何故、出るに至ったか?については、先日話した通りですが、私自身は、ようやく良い兆しが見えて来たこのタイミングで、浮上していく切欠にしたいと思っています。

業績自体は勿論ですが、ここからウエダ本社は、大人の企業にステップアップしていきたいのです。

大人の企業とは何か?

それは皆が自立した組織です。
自立した個々が同じ目標に向かって協力していく組織です。

自立した組織とはどんなイメージか?

端的に言えば、説明してくれない、教えてくれないなど、~してくれないという思考から脱する事です。

良い、悪いは別として、大企業では、社長やTOPなどと話もできないし、できたとしても一瞬で判断されたりする中で、実行する社員側が、展開や上の人の想いを読み取って考えていかなくてはなりません。

対して我々を含めて中小企業では、社長やTOPがさんざん話をしていても、説明してくれない、制度がない、教育がないという話が蔓延しています。

教育というものは、カリキュラムや目標管理などの制度設計がされているものというイメージなので、教育制度がない、教えてくれない、となるのです。

実は毎日、次から次へと全く同じシュチュエーションの無い中、考え、それに向かって対応していく事が、スキル以外に人間性から自分自身を成長させる、一番良い実地なのです。

そんな風に捉えて、仕事に対していくと、会社や上司、周りの環境がどんな状況であれ、その中で、自分はどうするか?何を求められ、その状況下で最大のパフォーマンスを発揮するにはどの様にすれば良いか?という自立型人間になります。

ここからは、そんな人々の集団を目指して、次のステージに向かっていきたいと思います。

明日は雨の予報が出ていますが、マラソンは雨であろうと、何処かを傷めようと、急な腹痛に襲われようと、その中でどうしたか?という結果だけです。

言い放しにならない様、状況に応じて、結果を出して来たいと思います。