2012年4月28日土曜日

螺旋階段で上がる

昨日は月末、しかもうちにとっては決算月の最終金曜日というのに、何故か夕方方の会合が三件重なっておりました。

その中でも先約でもありましたのと、やはり今の私には、学びが大事であるので、京都で開かれた盛和塾の関西塾長例会を優先させて頂きました。

最近は毎回そうですが、米国、ブラジルなどからも含め全国から1030名もの方が集まり、二名の経営体験発表を聞きました。

二名の方それぞれのお話を聞いていても、まだまだ自分の想いなど足らないなあと考えさせられる事や、具体的に自社での展開を思いつく事もあり、いつもながら良い気づきを頂きました。

又、それぞれの発表について、稲盛塾長がコメントされるのですが、その中に、JAL再生のお話もあり、これらが又、迷っている事への後押しなどになるのです。

JAL再生に向けて、持ち込んだのは、フィロソフィーとアメーバー経営の二つのみである。
フィロソフィーを使って、皆で会社を守ってくれる様に説いてきたと仰っておられました。

要はフィロソフィーで、自社の価値観や目指すべき山をハッキリとさせ、そこに向けて、皆が自主的に考えて行動できる様に、しかもそれが正しい結果を生んでいるのかを見える様にしていけば、どんな業種であれ、どんな状況からでも、会社は良くなるという事を証明されたわけですから、
我々の様な会社など、やるべき事をしっかりやれば、何とでもなるという気になります。

稲盛塾長はJALを通して、日本の企業が、フィロソフィーとアメーバ経営をしっかり行なうだけで、いくらでも再生し、しかも発展していける事を示す事ができれば、自信を失っている日本にとって、大変大きな事だという想いからも取り組んで来られたそうです。

私は幸運にもその大きな会場の演台の横で、本当に稲盛塾長の真横で聞かせて頂いていたのですが、聞いていて、自社のレベルでも厳しくて大変だなどと思っていた事自体が恥ずかしく、穴があれば入りたいという想いにもなりました。

又、常々、経常利益率は10%を出さないといけないという事を言われているのですが、サブプライムや震災という様な不慮の事があった際にも、その利益率を確保していれば、相当売り上げが落ち込んでも赤字にはならず、しかも、それだけの体質を確保できている会社であれば、少し売上が戻っただけで格段に利益が上がる体質となるという事であり、だからこそ、社員やその家族を守る会社としては、経常利益10%を目指さなければならないというお話には、いつも以上に納得しました。

良い会社の為に、社員やその家族を守り、その幸福を追求する為に、うちの会社もまだまだ、全体に落ちきらないフィロソフィーを徹底し、厳しく楽しい会社にしたいと改めて思いました。

こんな事を想うのも何度目なんだろう?

でもいいんです。

こういう事も直線的には上がって行かず、螺旋階段の様に上がっていくのですから。



2012年4月21日土曜日

信用資産

以前と違って、週一ペースでブログアップしていると、逆に書く事があり過ぎて纏めきれず、かえって書くのが難しいですね。

そんな事を言っていると、じゃあ、毎日書けよ!という声が聞こえて来そうですので、最近共通して感じる事を、一週間のまとめとして書く事にします。

共通して感じる事、それは”信用資産”とでもいうべきものです。

最近色々な事がどんどん繋がって来て、新たな人に会う事も多くなっているのですが、その際、初めて会った方や会社の背景を聞いていくと、共通した人物が出て来たりします。

お互いその人の事を尊敬していたり、目指していたり。
するとそれだけで、お互いが何を大事にしているのかが直ぐ分かり、一から説明しなくてもよくなってしまいます。

それどころか、一挙に距離と時間が縮まり、以前から知っていたかの様な身近な関係になってしまうのです。

先日もある所に行って、そこの展開を聞いていると、鎌倉投信さんにも関わってもらっているという話が出てきました。

私も驚き、”実は、明日行くんです”と言い、それは大久保寛司さんに紹介を受けて、、というと、その方は、今、一番、大久保さんの著書"考えてみる”にはまっていると仰るのです。

初対面で話出して5分くらいでしょうか、もうそれだけで、同志の様な感覚を持ち、自然と一緒にやっていきましょう!という感じになるのです。

勿論、大久保さんや鎌倉投信さんの”信用”は前提ですが、大事なのは、その方向性であり、それに共感できる人(企業)かどうかという事なのです。

それが共感できている人であれば、間違いないと直ぐに信頼(それこそ共感ですが)できるわけで、色々な事が繋がって来たという事は、この資産が増えて来たという事なのです。

本当に有りがたい事に、最近、この外部資産が増えて来ているのですが、本来は、社内での内部資産を高めなければいけないと思います。

社長にとって最も大事な仕事は、企業文化を創る事、そしてそれを浸透させる事だと思います。

松下幸之助さんも、会社経営の成否は50%は経営理念の浸透度で決ると仰っていたそうですが、この”信用資産”を内部で増やしていく事、それに再度、注力していきたいと思います。

2012年4月14日土曜日

正論ではなく、事実として正しい結果

大飯原発再稼動を容認するという方向になりました。

ここでは原発の是非については、感情は別として、私は公開できる様な知識を持ち合わせておりませんので、コメントは控えたいと思いますが、ただ、結論ありきで、進められている様に感じる点はおおいに問題であると思います。

原発がなくて電力が足りるのか?、原発の電力が本当に安いのか?太陽光などを生産するのに掛かる、電力はどの様に計算されているのか?CO2はどうなのか?その電力量、価格で、日本企業は競争力を失うのか?などなど、全てが公開されていない情報の中で、全体を見渡さず、誰もがそれぞれの立場から言っているだけで、どの様に正しい判断ができるのでしょう?

原発問題に限らず、何か問題に対する時、危険だと思う事があります。

それは正論は、現実としては正しくない事を引き起こすという事です。

人を救うべき、人を思いやるべき宗教が、時に戦争を引き起こし、人を殺す事になってきた歴史がある様に、正論は、時に先鋭的になり、他を認めなくなり、根本的な解決には程遠くなってしまうのです。

そしてもう一点、心情、感情と、問題への対処を一緒にすべきではないという事です。

この点は日本人は特に、感情と問題を混在して論議するので、批判で課題解決が見えにくくなってしまうと思います。

原子力についても、その発電の是非は別としても、大変気になる事があります。

一つは、原発が悪者となってしまって、原子力技術そのものの研究を目指す人が極端に減ってしまっている事と、原発の是非を、技術と教育水準の高い日本国内だけの視野で無くす論議をしていて良いのか?という事です。

その間にも中国沿岸部では建設が進められていくのですから、世界全体の枠組みの中で捉えていかないといけないという事です。

どんな事でもそうですが、0か1のデジタル式では問題解決は図れません。

考えるべきは、相手の主張が違っても、自らの利益ではなく、良い世の中を作ろうとする違う立場の人々が、お互いの立場を認めながら連携していく事、これからの世界は、それしか、問題解決は図れないと思います。

相手の立場を理解しない正論は、事実としては正しくない結果に繋がります。

批判しているより、事実として正しい結果を生み出す様、考えていけないでしょうか?

正論ではなく、事実として正しい結果

2012年4月7日土曜日

宝塚デビュー??

先日、元タカラジェンヌの方の講習に参加させて頂きました。

宝塚の厳しさはテレビでも見た事はありましたが、お話を聞いて衝撃を受けるのと共に、今なお、それが守られ、通用している事に、やはりそうか、と思うところもありました。

小さい頃から憧れて来て難関を突破したという事はありますが、音楽院の1年目は、1、2時間しか寝ていなかった、笑っている時間すらなかったという状況下、廊下は壁づたいに歩く(真ん中は先輩が通る)、先輩にはドアを開けさせない(どんな状況でも走っていって下級生がドアを開ける)、先輩が何か行なっている際には、用事があっても話かけず、先輩の様子を見ながらタイミングを見て、話に行く、などなど、先輩の言う事に対しては、絶対服従を求められます。
正に、カラスは白いです!の世界なのです。

そして、先輩などに対してのミスも全て連帯責任、一人の失敗は皆の失敗という事を徹底させるのです。

たくさんの規則は、忍耐力のある人間へ、上級生への規則は、敬い、心配りのできる人間へ、同期内での規則は、信頼感、結束力のある人間へ、という事を求めてのものだという事でした。

上級生は、下級生の一つ一つの行動をチェックし、厳しく指導するのですが、一人の先輩が仮に可哀相と思って注意の仕方が甘くなると、その上級生は又、あなた一人が甘く注意したら、今までの先輩方が自分を律して厳しく指導して来た事が全てパーになるとして、上級生に対しては、その厳しさを求められるとの事で、こういう経験を経て来ると、あの一年目の厳しい状況、怒られ続けた状況の時が一番楽だったと皆思うという事でした。

そして、人を怒るという事がどれだけ力の要る事で、どれだけ自分の事を見ていてくれないとできないかが分かり、怒られる事の有難みが分かったという事で、先輩は後輩を教え導く責任を持ち、後輩は先輩から学ぶ素直さを持つ事を求められるのです。

予科生という下級生時代の通学は、歩き方からカバンの持ち方まで決められているそうですが、ある時通学中に虫が飛んで来たのをはらった姿を見られていて、それも連帯責任を取らされたそうですが、それは、舞台は、毎回本番であり、その時来られているお客様は、一回限りかも知れない中、公演中に虫が飛んで来ても集中していなくてはいけないというプロ意識を植え付けているのです。

そんなタカラジェンヌ達が、SMAP×SMAPで共演し、一緒に踊る収録をしていて、彼らがNGを出した際、”すいませーん、もう一回”などと言っている姿を見て、”芸能界って、こんなので許されるのか”と驚いたそうです。

そんな厳しい状況、教育は、人間性を養う為のものであり、感性を磨く為のものであるという事で、
先輩の動き、雰囲気を見て、察して行動が取れるという感性を磨かないと、そしてそんな人達の集団であり、その人達が結束した形でないと、最高の舞台は作れないという事なのです。

当然、小さい時から憧れ続けて入ってきたという違いが圧倒的に大きいですが、それでも今の一般的な風潮はどうでしょう?

簡単に反論、言い訳をする、教えてもらわないとできない、しかも、それを見える化、マニュアル化できていない事のせいにする、怒られる事、注意される事に慣れていない、又、先輩や上司達は、
嫌われたり、表面上の関係が壊れるのを怖がって、怒らない、人前で怒ってはいけない、注意するのではなく、褒めて、良い所を引き出して育てないといけない、そして、その方向が如何にも正しいという風潮、この様な事に人間としての本質として、根本的には納得し切れていない私としては、
やはりそうなのか、と納得しました。

人の弱みを分かったり、多様性や違いを受け入れる事は重要ですが、短所もハンデも全て受け入れる事と、甘い事は違います。

何か、やはり、優しいという言葉を、はき違えていないでしょうか?
何か、優しいというのが、表面的や偽善的になっていないでしょうか?

98年もの間、全くその思想、指導を変えず、今の若者にも通用している宝塚のお話は、忘れ去られていくというより、そんな対し方は駄目だとさえ思われる今の感覚に一石を投じるお話だと思いました。

全く興味なかったですが、そんな舞台を観てみたくなりました。

この年になって、宝塚デビューでもしようかな(笑)

2012年4月2日月曜日

12'4月 ウエダ本社社報

《 同じ山を目指しましょう 》

今年も新入社員を迎える事になりました。
この厳しい状況下において、人を採用するという事は、大変な想いと大きな決断が必要です。

今年の場合は、一人だけの新入社員ですから、人を人材、すなわち“材”と考える会社からすれば、たった一人入るだけで、大げさな話だと思われるかもしれません。

しかし、新入社員を雇うという事は、その人のこれからの人生に責任を負っていく事になり、結婚や、子供を持ったりしていくと、その家族の生活、成長にも責任が発生するのです。

例え一人であっても、果たして今後何十年、自分はそんな責任を持てるのか?そう思うと、恐ろしくもなります。

働く側はそんな事まで求めていないのかも知れませんし、特に、若い世代は、ずっとその会社で働こうという事は考えていないケースが多い中、取り越し苦労かもしれません。
しかし、日本人の働き方や職場環境をイキイキとしたものに変えていこうとしているウエダ本社では、やはり社員と価値観を共有していく為には、そこまでの覚悟が必要だと思っています。

ただ、同じ価値観を持って、同じ方向を向いているからと言って、同じタイプの人ばかりでないといけないという事ではありません。

むしろ、色々なタイプの人が居て、得意な事が違って、表現の仕方も違う、しかし、同じ山を目指している人達が絡み合う事で、パワーを生み、より強固な組織になると思います。

この一年、ウエダ本社では、今までになかった様な、人の流動化が起こりました。
何人かが去り、何人かが来てくれました。

折角、同じ時期に働いた仲間が辞めていく事は大変残念ではあります。

しかし、目指している方向が違うのなら、やむを得ないと思いますし、ウエダ本社としては同じ山を目指している人の集団にしていきたいと思います。

その価値観を気に入って、今日入社してくれた新入社員にも、是非、自分の役を見つけて、自分の特長を生かして同じ山を目指して欲しいと思いますし、先輩の皆さんには、そのバックアップをよろしくお願いしたいと思います。