2011年12月21日水曜日

ちょっと染みました。

今日は、盛和塾塾長例会忘年会が東京で開かれました。

先週京都で西日本版が行なわれたのですが、私は、別会合で行けず、同じバージョンの東日本版に出席して来ました。

稲盛塾長の話も、実は、同じ話を何度も聞いています。
しかし、面白い事に、同じ話しでも、その時の自分の状況や感情などで、全く捉え方が違うのです。

今日聞いた話も以前聞いた事はありました。

しかし、今日は、何故か、全く違って、染入って来ました。

経営者の必要な三つの心得というお話で、それは①謙虚にして驕らず ②思念は業をつくる(思いは必ず実現する) ③宇宙の働く二つの力を得る というものでした。

ここではとても書ききれるものではありませんが、その中でも一番納得した話のみ紹介し、そして自分の戒めとしたいと思います。

それは謙虚にして驕らずという事ですが、これには成功したのは、自分に才能があるからだと過信してしまうからそれを戒めよという意味よりも、今回の気づきは、自分に才能がある、その才能は自分のものである、と思う事が傲慢であるのであって、そうではなく、その才能は、天から与えられたもので、自分のものではないという意味だったのです。

自分のものではないから、その才能を自分が凄いなどと驕らずに、皆の為に使いなさいという事なのです。

自分が生まれて来たのは、今の容姿で、今の国で、或いは人間で、生まれて来ようと誰か決めた人はありますか?

誰一人、自分で決めた人は居ない、という事は、この今の自分で生まれて来たのは、与えられたものであって、山、川、草、木、森羅万象 全ては同じ物であって、たまたま自分は、人として、今の姿、才能を持って生まれて来たのであって、それは貴方自身、私自身のものではないとの事なのです。

稲盛和夫は、ファインセラミックスの技術を開発する能力を与えられたのであって、それは稲盛和夫個人のものではなく、だから、その技術や才能を世の為に使わなくてはいけない、そこで驕ることなく、その才能を持っているのが偉いのではなく、ただ単に役割が違うだけなのだというお話でした。

思えば、私が自分の価値観を意識した最初は、小学二年生の時、先生が言っておられた、”大臣も社長も偉いのではなく、それは役割の違いだけで、人は皆平等なんです”という事でしたが、今日はそれが森羅万象、全て同じという話で、与えられた役割、その役割が違うだけというお話に、再び衝撃を受けました。

今まで、自分のサラリーマン時代や、独立創業した際、倒産の危機を逃れた経験など、その他にも同世代の社長でもしていない様な色々な経験をして来ただけに、それらからの学び、体感から得たものを、何とか社員達に伝えたい、これさえ分かれば、良くなるのに・・その思いが強くありました。

しかしある意味、自分のやって来た事、やって来れた事は、才能と捉えて、それを自分の物にするのではなく、少なくともまず、社員を幸福にする事に費やすのだという発想に、徹してみようと思いました。

自分の才能というと偉そうに聞こえますが、決してそうではなく、誰にも才能はあるのです。

それこそ、役割が違うだけで、私は、新規事業立ち上げや、赤字の立て直しなどのマネジメントにその才能を発揮するという役割であり、社員の幸福を追求を実現していく事がやるべき事なのです。

今も宿題を出していることもありますが、皆も再度、自分の才能、それをそれぞれの役割に充てて全うしていく、他の社員や、パートナー、お客様、地域社会に役に立てるにはどうすべきか?それを考えて欲しいと思いますし、皆でシンプルにそれを追いかけて行きたいと思いました。

0 件のコメント:

コメントを投稿