2011年11月30日水曜日

戦国の乱世を生き抜いた細川家の智恵

今日はメーカーの代理店会で熊本に来ておりました。

その中で、細川元首相夫人、細川佳代子さんによる表題の講演がありました。

どんな方なのか、どんな話をされるのか全く予備知識のないまま聞かせてもらったのですが、これが素晴らしいお話で、戦国時代、室町時代、信長、秀吉、家康の時代のお話を、臨場感溢れるお話で、ドキドキしながら聞かせて頂きました。

何故、その様なライブ感溢れるお話になるか?
それは細川家が源氏から足利、信長、秀吉、家康、そしてその間の明智光秀や石田三成などとの微妙なバランスの中で、生き抜いて来たという事に大いに関係があるのですが、情報収集能力に長け、その情報(記録)を大事にされていて、当時の手紙や日記が残されており、その内容などをリアルに語って頂いたからでした。

秀吉の血液型は何型か分かりますか?

これも細川家に残っていた秀吉の血判書を分析し、分かったそうですが、О型だそうです。

又、赤穂浪士の討ち入りは、ドラマなどで表される際には、雪が降っていますが、細川家の日記によるとこの日は曇りであったそうです。
ところが、その前日が大雪で、討ち入りの日は30センチ程の雪が積もっており、その為、夜でも少し明るかったそうです。

そんな話を1時間半みっちりして頂いたのですが、、あの様なワクワクする歴史の講演を聞いたのは初めてでした。

その内容は膨大過ぎて、とてもブログで纏められないですが、細川家が生き残って来たのは、この情報に長けていた点と、この先祖の一人一人の記録をしっかり伝えていくという事を大事にして来たからだというお話でした。

その事に気づかれたのは、細川護煕元総理は細川家では二十六代目になるそうですが、薬師寺の菅主であった高田好胤さんから、25代前に先祖は何人居るか分かるか?と問われたからだそうです。

1代前の親は2人、それを繰り返していって25代前の祖先は、何人居るか?

何と3355万4432人になるそうです。(検算はしてません) 
26代続いて来たという事は、それだけ多くの命のお陰で貴重な生命を与えられているのだという事を結びに仰っていました。

26代の祖先を持っているのは、細川家だけではありません。
私も、今居る誰もが皆、持っているのです。

細川家には、そういう記録があるだけで、普通の家にはありませんが、今、生きている人全てに細川家と同じく、祖先は居るのです。

そんな凄い人数の人達が生き残ってくれたお陰で、今、自分があるのです。

そんな命、人生を、自分だけの物と思っていないでしょうか?

自分さえ良ければ、或いは、自分はどうでも良いなどと思っていないでしょうか?

そんな、祖先を冒涜した様な、そんな生き方、考え方は、やはり間違っていると改めて思いましたし、歴史の話から、今が正に繋がっているというお話を頂き、祖先を知る、自分を知るという事の重要性を気づかせて頂いた、本当に貴重な講演でした。

2011年11月26日土曜日

繋がりを生む場と空間

今日、自死遺族支援やグリーフケアなどの活動を行なっている尾角光美さんが来てくれました。

今や色々な宗派のお坊さんに向けて講演(講話)をして回っているのですが、そんな事を出来る人はまず他に居ないと思います。

そんな彼女が、色々な事をたどれば京都流議定書に繋がっていると言ってくれた事は、イベントを行なっている者として、最高級のホメ言葉でした。

実際、ジャンル毎に整理している名刺ファイルには、京都流議定書のファイルがあるとの事で、知らない間に、そんな人の繋がりを生んでいるというのは、大変嬉しい事でした。

しかし、そんな場があるからと言って、誰もがそうなるわけではありません。

当たり前ですが、その本人がその場で、人を惹き付ける魅力、能力、強い思いがあるから、そうなるのであって、あくまでそれは本人の力なのです。

しかし、そんな人達が集まってくれると、その場自体がもっと強い力を持つ様になり、又色々な人達が引き寄せられていくのだと思います。

あのイベントを行なっている狙いの一つが、そんな場を作りたいという事なのですが、実は今回のJimukino‐Ueda bldg も同じ狙いを持っているのです。

今日も、ランチで1階のカフェに行くと、三々五々知っている人達が集まって来ていて、あのビルを起点に出会いがあったり、再会があったり、まだ全て入居されているわけではないのに、いつもそんな光景が起こっているのです。

そしてそんな場は、やはり雰囲気が良く、そこにいると、ワクワクとしてくるのです。

そんな場を作ったウエダ本社自体が、刺激を受け、会社全体、社員全体が、その場に来られた人々の力を頂き、イキイキワクワクした空間を作っていく事を目指していきたいと思います。

2011年11月23日水曜日

言葉の響き

先日、大久保寛司さんに教えて頂いたフレーズです。

人に浸透するかしないかは、その内容よりも、この言葉の響きに差があるというお話でした。
一番耳の痛い話でした。

この響きがないと一生懸命話せば話すほど、人は耳を閉ざしていく。
ひょっとして私の後ろから覗いてました?というお話です(笑)

しかし、この言葉の響きを身につけるには、直ぐできるという話ではなく、やはり人間力を磨くしかなく、日々精進という話だとすると、私も日々努力していこうと思います。

ただ、同時にこの手の話を聞く社員側には是非、だから伝える側が悪いという様には捉えないで欲しいと思います。
どうしても会社務めの人は、日々人生がかかっているという様な意識は無く、やり過ごしてしまうと思います。

私もサラリーマン時代には、"人生”までは考えていませんでしたが、全て自己責任という意識は持って仕事をしていました。

上司や会社が悪いからと言って結果を出せなければ、結局は自分が評価されないし、しかも上司が悪いとしても、自分の方が立場が弱いわけですから、悪条件である程、もっと頑張らないといけないのです。

遊びの場合は、できない理由を言って、納得してもらえば良いでしょうが、結果が求められる仕事では、幾ら自分が正しい事を言って納得してもらっても、誰も得をしないのです。

サラリーマンでも、この感覚を持って仕事に当ると、全く正反対と言ってもよい程見方が変わり、生き方が変わり、自分自身の人生が変わるのに・・と、自分自身の経験もあって、人より余計に強く思ってしまい、そして、何とかそのコツの様なポイントを分かって欲しい・・と、又、話してしまうのです。

すると又、社員からすると、響かない話になるのですね。

響かなければ結果が出ないわけですから、結局は、ここでも、正論を言っても誰も得をしないという事なんですね。。

日々葛藤です。

2011年11月19日土曜日

Vision & Work hard

先日、経済同友会の例会で、IPS細胞の山中教授のお話を聞きました。

有能な方は、難しい話も易しく話されるという事を感じましたが、ES細胞からIPS細胞についてのお話を分かり易く聞かせて頂きました。
そして、その可能性と、現状出ている研究費が終わっていくので、その為に作られた基金への呼びかけもされ、プレゼンとしても素晴らしいものでした。

ES細胞、IPS細胞については、私が説明するよりもネットで調べて頂いた方が、詳しいと思いますので、興味ある方は見ていただくとして、山中教授が留学されたブラッドストーン研究所で、"Vison and Work hard"という事を教えられたそうですが、その言葉を聞き、その後ずっと経験されて来られた中で、日本人はwork hard は行うけれども、visionがなく、米国人はvison はあるけれど、work hard がないと仰っていました。

日本人研究者は、夜遅くまでやっているが、5年後、10年後、何をしたいのか?が無く、その経験から、日本人には、visionは何かを問い、考えさせる事が必要だという事でした。

目の前の事をただ一生懸命・・日本人の特徴かもしれません。

素晴らしいが、それは何処に行こうとしているのか?が無いと、全くの無駄に終わる、結果として出ない、そんな事が周りにも多くないでしょうか?
うちの会社もそれが悩みでありますが、ただ、ちょっと考えてみると、もっと恐ろしい事が浮かびます。

最近の日本ではこのwork hard の感覚が大幅に低下している事です。

又、国を挙げて、これを減少させる方向に動いているのです。

当たり前の話ですが、これがセットでないといけません。

元々の気質で日本人はvisonを持つ事が得意ではありませんし、今の若い人たちはどんどん夢を持たなくなっていっています。

その上で、work hardを悪の様に誘導していけば、日本はどうなるのでしょうか?

そこが私はどうしても、納得できないところです。

そうではない!

work hardが良くないのは、機械の歯車的にただ作業として行う事が良くないのであって、自分で考え、自発的に行うworkhardはむしろ奨励すべきものだと思います。

そしてその為には、visionが必要で、それから始まらないと、自発的なwork hardは実現しません。
そこを間違えると、或いは一方方向から捉えると、取り返しのつかない事になってしまうと思います。

若者が悪いのではありません。

日本の政治家、TOPリーダー達から、全然vison が見えない事が最大の問題で、それが無い中で、TPPなども議論しても全く不毛で、お互いの一面的な主張をし合うだけの話です。

IPS細胞しかり。

一部の皮膚などからでも臓器が作り出せるなど、夢の様な話ですが、これは生物本来の姿、倫理的な事からすると、諸刃の剣でもあり、人間生き続ける事も可能になってくるのです。

それをどの様に扱うかには、大きなvisionが必要で、それ無しに扱うと、どちらにも有効でない中途半端で恐ろしい結果になりかねません。

山中教授が基金を設立されたのも、国などからの予算は、もう後二、三年で打ち切られ、そうなるとこれからこの技術で色々な展開を見せられる所で終わってしまうと、本当に、それさえあれば救われるという目の前の人も救えなくなってしまう。
そんな事になってしまうのです。

いつもそうですが、本当に日本の総理大臣や政治家達が一番、visionを持って欲しいですし、それを持たない中で、色々な表面だけの施策を打ち、visonを持たない方向に進んで来た国民が上辺だけの良し悪しで判断し、日本の良い所、良い技術を無くしてしまわない様にしなければならないと思いますし、そういう事をもっと考えていく雰囲気を作っていかなければならないと思います。

2011年11月16日水曜日

人が集まる事、動き回る事

今日は朝から福島の半田さんと、以前福島で訪問させて頂いた同業者の方が来られていました。

昼からも北海道からと、その後もある会社の大阪支社長、仕入先関連会社の社長さんが、それぞれ南ビル(Jimukino-Ueda bldg)を見に来て頂きました。

ビルを見に来て頂いた方からは異口同音に、面白い、ウエダ本社としての考え方がよく分かった(ようやく分かった)などと言って頂き、本当にビルを生まれ変わらせる事ができて良かったと思います。

又、今日初めて1階のカフェにランチを食べに行くと、今度入居される事になったテラルネッサンスのメンバーが食事をしており、思いもせぬ嬉しい面会でした。
多くの入居者の方が引っ越して来られるのは中旬以降ですが、もう既にこのビルでは、コンセプト的にも考えていた色々な融合も出てきており、良い感じです。

やはり人が集まるって良いですね。

人が集まると何かが生まれていく事もありますし、何よりもうちの会社を起点にして頂けるという事で、会社としての存在意義も感じる事ができます。

そして何かが動き出すと、今まで他で行なっていた事も、不思議と繋がっていったり動き出すもので、これからはかなり面白い展開になっていくと思います。

ホントに時間と体が足らない感じですが、それぞれ見える形にできるところまで、動き回りたいと思います。

朝から6時迄来客が続いた後は、IPSの山中教授が経済同友会でお話される事になっていたので、遅れながらも聞きに行きました。

通常多くても170〜180名程の出席なのに、何と300名以上来られており、マスコミ関係もたくさん入っていて、やはり注目度は凄かったです。

お話はなかなか面白く、しかも難しい話を大変分かりやすく話されて、本物は違うな〜と思いました。

興味あると思いますが、山中教授のお話は又後日UPします!

2011年11月12日土曜日

本物の有機

昨日は長野県の小布施で、完全なる有機農法で完全なる国産ワインに挑戦する小布施ワイナリーの曽我さんと、小布施の資産を見事に生かし、街づくりに成功されている市村町長のお話を聞きました。

まだ30歳代だと思いますが、本当に純国産で本物の有機栽培でのワイン作りに挑戦されている曽我さんのお話は、目から鱗の話ではありましたが、誠に本質を突いたお話でした。

本物の有機栽培の為には、化学品が含まれた肥料もやらない、糞を肥やしに使うと言ってもその家畜の餌が加工品であれば、それは有機ではないとの事で、痩せた土地で、自然のバクテリアなどが共生し絡み合って土壌を作り、その自然の力で育てていく事に拘りを持たれているのです。

農薬は当然使わないので、虫も一匹一匹殺していかなくてはならず、その作業は決して気持ちの良いものではないけれど、そんな殺生をしながら、それらの虫の命も頂きながら、育てた葡萄であるという事も分からなくてはいけないと仰っていました。

小布施町の街づくりのお話も、街の埋もれた資産を見出し、そこに光を当て、町民の力を引き出し、自分達の色々な力が絡み合って醸成されていく様な感じを受けました。

結局は一見全く違う話を聞いても、自治体であれ企業であれ、そして動物でも果物でも、そして土ですら、補助に頼ったり、肥料に頼ったりして、易きに流れた事は、そのもの自体の力を弱める事になり、最もやらなくてはならない事は、そのもの自体の力を強めていく事だと改めて感じました。

私も常々、何故か死生観が強く、何故この虫は生きているのか?という様な事から発想し、企業においても、この世に存在する限りは、その存在自体が、世の中の役に立たなければならないと考えていたりするのですが、その自然の摂理的な考えが、やはり正しいのだと腹に落ちた感がありました。

微生物が共生関係を生む土があれば、肥料などは要らないという話もありましたが、町であれ、組織であれ、人々が共生関係を生む土壌作りが重要なんですね。

良い土、良い葡萄を残すには、次の世代の為にという発想でかからないとできないとも仰っていましたが、人や組織を熟成させるにも、その位の覚悟を持って臨まないといけないのだと痛感しました。

2011年11月8日火曜日

as soon as possible

厳しい会社と、ゆるい会社の一番の違いは、「時間」の感覚だと思います。

又、仕事と、クラブやサークルなどのお金が掛かっていない事との差も、この「時間」が大きく関係します。

Time is money の通り、お金(数字)=時間と言っても良いくらい、密接に関係したものなので、ビジネスの世界でお金(数字)が掛かっている場合は、いくらきっちり行なっても間に合わなければ駄目なのです。

ここのポイントがなかなかうまく伝えられないところです。

日本では、おしなべて教育水準が高く、一定の倫理観を持っているので、殆どの人が一生懸命働いていて、うちの会社でも皆真面目にやってくれています。

しかし残念ながら、仕事においては、それでだけは駄目なんです。

それだけの時間がかかって、その結果、では、全く見合わない、という意識、逆に言えば、これだけの時間をかけたのだから、それだけの効果を得るという事に強い意識を持たないといけないのです。

そしてその意識を持った人が効率だけに走らず、他人の為に動くから価値があるのです。

その数字(時間)意識を持っていない人が、他人の為に時間を費やすのは、ボランティアで行なうべきであり、一見、素晴らしい事の様に見えますが、時間=お金を使うという事は、結果的に、皆の収益を減らす事になり、生活がかかっている仕事(ビジネス)上では、皆に迷惑を掛けていることになるのです。

仕事上では、甘いのは、誰の為にもならないどころか、実は、迷惑を掛けることになってしまう、それがビジネスなのです。

as soon as possible (可能な限り直ぐ)この可能な限り・・の差が、組織、個人の能力の差になるのです。

私も社長としての 「時間」に対する付加価値が低いのが課題ですね。

2011年11月7日月曜日

良い事でよかった。

うちの会社では、強制ではないのですが、毎朝清掃を行なっています。

会社周りの清掃も、全員で月一回、これは強制で行なっている以外は、数名が毎朝、自主的に行なってくれています。

今期から非常勤となられた元専務は数年間、毎朝、近所の清掃を行なってくれていたのですが、今期から来られない朝があり、その代わりと思って私も表を掃除する様にしていました。

丁度南ビルの工事も行なっていて、ご近所にご迷惑もお掛けしているので、工事を行なっていたビルの周りも掃除していました。

先日その南ビルの内覧会に来られていたご近所の方のお一人が、私の所にお越しになり、"毎朝掃除して頂いていて有難うございます”と言って頂きました。

そして又、同時に、近所のビルオーナーでもあるその方は、うちのメイン仕入先の子会社でも仕事されいている方で、そういう面でもうちの会社の事は以前からよくよくご存知だったそうです。

その方とは朝に会った覚えなどないのですが、どこかで見ていて下さったんだと、嬉しく思いました、が、同時に、これが悪い事だったとしたらと思うと、ぞっとしました。

我々の会社は、BtoBという、所謂、企業さん相手ですので、一般消費者を意識する事はないのですが、やはり、当たり前の事で、良い会社を目指すなら、少なくとも地域から尊敬される会社でなければいけないですし、一見ビジネスに関係のないと思う所でも、襟を正さなくてはいけないと改めて思いました。

殆どの社員のどこを切っても、素晴らしいと言われる様な会社に早くなりたいものです。

2011年11月3日木曜日

内覧会の位置づけ

Jimukino-Ueda bldg 内覧会はお陰様で、予定以上のご来場を頂き、又、お越し頂いた方々にも大変喜んで頂いた様で、良かったと思います。

こんな事なら、もっと、多くの方に案内し、ご覧頂いたら良かったと少し後悔?もしております。

今回はあえて、晴れがましくお披露目会などのご案内もせず、営業ベースというか、普段お取引頂いている先様中心に、営業が声がけでご案内しました。

京都流議定書も私自身は、ウエダ本社としての姿勢を表すイベントであり、あのイベントをうまく仕切れれば、プロジェクトの進め方、仕事の進め方を組織として体得し、成長できるという事で取り組んでいるのですが、イベントの評価とは裏腹に、まだまだ社員間では、本業に関係のないお祭りイベント的な感覚で、実際の営業や、業務のところではそのパフォーマンスが生かされていないところが課題です。

それだけに、今回はより本業に関わる、ひょっとすると、転換点になるかもしれないプロジェクトであったので、京都の経済界などの方々にお越し頂いて、形式的なイベントの様になり、社員達から乖離してしまっては意味がないので、この様な形を取らせて頂いたのです。

しかし、これだけお越し頂いた方々に喜んで頂き、しかもその反応から、ウエダ本社としての変化を
社員達が自ら体感していた様子を見ると、もっと多くの方々にご案内し、ご覧頂いた方が良かったか?と、欲を言えば思っています。

それとそのコンセプトから、特に不動産関係の方々から、有り得ないと言われる様に、テナントの22室が、オープン前に全室契約済みになるという状況で、大変有り難いのですが、残れば自社?自分?での使用を考えていた私としては、若干、しまった・・という思いもあります。

しかし、それは、”私”的な発想で、”動機善なりや私心なかりしか?”の教えからしても、考えてはいけない、贅沢な話ですね。。

2011年11月2日水曜日

11' 11月ウエダ本社社報

《Jimukino-Ueda bldg オープン》

1968年に建築された南ビルが、43年ぶりにJimukino-Ueda bldg としてリニューアルしました。

五条通りの南北にほぼ対面に立ち、ツインタワーと呼ばれて親しまれてきたビルも、耐震調査などから、一旦は取り壊して駐車
場にするという結論に至っておりました。

ところが一転、リノベーションで再生させる事ができ、むしろ発展的に、今後のウエダ本社の命運をかけるという程のシンボ
リックな存在として、残していく事となりました。

その役割は主に三つあると思います。

一つ目は、今後益々問題化していく古いビルの活用提案。
このままの状況が進んでいけば、京都市内もマンションと駐車場ばかりの町となってしまいます。
古いビルでもコンセプト次第では充分ニーズがあるという事を示し、高さ制限などの景観問題よりも、もっと深刻な問題である、古いビルの活用、空きビルの対策に、一石を投じるという事です。

二つ目は、スモールオフィス、ホームオフィスというSOHOの本来の意味に立ち返り、SOHOという働き方、暮し方を研究し、日本人の働き方、仕事観を変革したいというウエダ本社の目的に向かって、新たな働き方を研究していく事です。

そして三点目は、様々な人が面白がって出入りするビル、地域の人が立ち寄れるビルにする事によって、この地域の核となり、五条地区を盛り上げていく事です。

五条エリアは、京都駅エリアと四条エリアに挟まれ、単に通過する道であり、人が目的を持って訪れる地域とはなっていません。
国道一号線でもある五条通りを、ウエダ本社が核となって、人を呼び込み、発信していき、京都駅、四条エリアとは別の魅力を持つ地区に活性化させていきたいと思います。

ウエダ本社は、京都流議定書など、京都に向けて何ができるか?という姿勢で取り組んで来ましたが、この南ビルのリノベーションを機に、もっと足元を見て、生まれ育った五条に向けて何ができるか?を追求し、五条を基点に今後の京都のあり方を考えていきたいと思います。