2011年9月19日月曜日

社会に出て活躍できる人材育成を

最近、何年かぶりに、大学に営業で出入りする様になりました。

実は、私は以前から独特な繋がりがいくつもあり、教育業界?には、少し精通したところがあって説明しきれない意外な関わりを持っております。

大学だけではありませんが、学校に出入りする度に、今の学生は本当に恵まれていると思います。

授業やクラブ活動以外にもプロジェクト的な活動、ボランティア、社会貢献的な活動を学校もサポートしている面もあり、詰め込み教育だけではない、人間性を豊かにする様な取組もされている様に思います。

しかしそれだけ恵まれているにも関わらず、今尚、企業に入って、活躍できる人材とのギャップは埋まるどころか広がっている様に感じます。

こうなった原因は、イデオロギー的なものも絡んで、何の為の教育なのか?という事が永年抜け落ちてきた、もしくは歪んでしまった事だと思います。

一部の研究者は別として、社会に出て働いていく為、もっと言えば生きていく為に勉強し、教育を受けていく筈であるのに、道徳や宗教、産業や経済というものを排除していった為に、実社会や生きていく上での教育ではなく、大学へ行く為、良い(一般的には有名であって大きい)会社に入る事が目的の知識だけの勉強となってしまったのです。

知識だけの教育が実践で無意味な事は、日本の英語教育を見れば、証明されていると思います。

一方、学生側はデジタル化により、表面的に判断を下し、言葉の真意や深いところを読めない傾向が進み、地域との関係が薄れ、核家族化していく中で、”個”が強まって、他者への配慮や心情を読むという様な事ができなくなっている様に思います。

簡単に言えば、わがままで我慢できない(打たれ弱い)という特長であるのに、知識は豊富で自分は賢いと思っているので、素直に従う、兎に角まずやってみるという事ができない中、自分探し、夢探しをしている人が多いのです。

グローバル化は何も英語だけを覚えれば良いのはありません。
世界で戦っていく為に、もっと重要なのは、生きていく力だと思います。

教育だけではありませんが、社会の環境全てが、今後活躍できる人材とのギャップを広げていっている様に思います。

そう考えると、大学(教育)改革は、思い切りやれる事があり、従来の偏差値だけでのランキングでは下位であった様な学校が、大逆転していける要素が大いにあると思います。

折角、又、大学へ出入りしていく事になるので、社会に出てから活躍できる人材育成、それを進めていく一助となる様、動いていきたいと思います。

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