2011年5月12日木曜日

東京だから分かる事、東京だから分からない事

実は昨日から、震災後初めて東京へ行っておりました。

エスカレーターが止まっていたり、電灯が間引かれている事を除けば、昼間は思っていたより、正常に戻っている感じがしました。

ウエダ本社に来てからは、東京も本来は縁がなく、なかなか出て行けないのですが、いつも行くと、用事が無くても月一くらいは行かなくてはならないと痛感します。

やはり京都に篭っていては、感じられない事が色々あり、日本に閉じこもっていても、どうしようも無いという時代に、京都に閉じこもっていてどうするんだと焦ったりもします。

京都に閉じこもりながら、3・11以降、日本は価値観を大転換しないと・・と言っていますが、正直東京に行くと、価値観の転換は無理だと感じてしまいます。

何だかんだと言っても、やはり東京は拡大モデルしか選択できない様に思うからです。

東京に居ると、日本ではもう市場が縮小していくから、海外に出るしかない、世界に目を向ければ、これから金持ちになっていく人口がたくさんいて、そこをマーケットにすべきだという選択しかない様に思います。

それは拡大をしていかないと維持できない、或いは認められない構図になっているからで、特にICT関連では、まだまだ一攫千金で大成功を修めようというノリがあります。

東京は、ある意味特区の様なもので、別格で考えないと、これを日本全体と考えると、よく霞ヶ関だけで考えるから庶民感覚が分からないという話もある様に、日本の行く末を間違うのではないかと思います。


東京に行かないと、あの刺激感は有りませんし、東京に行かないと、萎縮した中だけで物事を考え、ドンドン発想が貧困になっていく様に思います。

ただ同時に、東京に居ると、東京が日本の全てと錯覚し、日本の本当の姿が見えなくなると思います。

以前は海外に憧れ、篭りがちで、経済的に負けているのにプライドが高い京都が嫌いだった私も、自分が京都に篭る様になってしまって、東京はおかしいという様になっているのは、私が京都人になってしまったのか?やはり東京(日本)が変わるべきになっているのか?どちらなのでしょうか?

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