2011年3月31日木曜日

滅びて欲しくない民族

安藤忠雄さんの私の履歴書(日経新聞)が今日最終回でした。

最後の二回は、震災が起こった事により、急遽話を変えられたのだと思いますが、今朝の最終回で書かれている、日本の現状、日本人の素晴らしい点と課題、今後の日本人があるべき姿や、それを求める価値観など、私には100%その通り!という内容でした。


安藤さんは、日本人は、技術力やスケジュール、品質、安全衛生の管理能力は世界のトップレベルであるが、経済発展をする中で、子供達は過保護に育てられ、自分で考える体験が不足し、緊張感も判断力も自立心もないまま成人し社会を支える立場になってしまったと言われています。

又、芯の弱い今の若者や子供を見て、日本の将来に強い危惧の念を持たれており、必要なのは、自分で生きる力を身につける事だとも仰っています。

どうすればいいのですか? 

教えてもらってないのでできません。
~がないからできません。

分かる様に示してもらわないと・・

私のサラリーマン時代でも無かった感覚ですが、最近ではよく聞かれるフレーズだと思います。

これらって生きる力を感じないですよね

フランスのポールクローデルという詩人は、”私はこの民族だけは滅びて欲しくないと願う民族がある。それは日本民族だ”と言ったという話を紹介されていますが、そういう素晴らしさを生かして、日本人は生きる力を復活させていかなくてはならないと思います。

この大惨事を見て、被害を受けていない我々が奮起しないでどうする!!と思います。

2011年3月30日水曜日

ウエダ本社ビルから考える景観条例

以前もブログで載せていたのですが、当社北側のビルでは、京都市の景観条例により、”事務機のウエダ”とビルに表示しているのが、事務機は広告だからという事で撤去を求められています。

ある一定の高さや面積以上では、ビル名もしくは会社名しか表記できないという、後からできた条例によるものです。

当社の場合、事務機のウエダとして知られている事や、この文字も白字で派手なものではなく、全く納得いっておりませんが、京都市が長期的に考え、グランドデザインを持って臨むという事であれば、そこで事業をする法人としては協力しなければならないとは思っています。

一方、南側のビルは、耐震の問題があり、この一月には取り壊す予定でおりました。

ところが、あまりにも勿体ないので、いくつか当ったところ、耐震をしっかりした上で、企画を考えれば充分使えるという事となり、急遽残す事となりました。

私はこの体感を持って、今後は京都市にも、古いビルの活用に対して優遇制度を求めていきたいと思います。

杓子定規に、派手でもない、文字や看板の撤去を求めている間に、片側では古いビルが今のままでは、マンションか駐車場になっていくと思います。

現にこの南ビルも、利回りを考えるとマンションという話になり、マンション経営はまだ考えないとなると、暫定的にはコインパークという話で、殆どコインパークにしかけていたのです。

という事を考えると、これからドンドン出てくる古いビルが同じ選択を求められ、このままでいくと、京都市内も高さ制限どころか、平地の駐車場ばかりができるという事になり、文化都市としての資産を放棄する様なものだと思います。

何もせず、文句だけ言うのは良くないと思いますから、指摘されている所には協力しながら、その分、おかしいと思う事には発言していきたいと思います。

南ビルについては、夏以降に生まれ変わりますので、楽しみにしておいて下さい。

2011年3月28日月曜日

京都災害ボランティア支援センター

今朝は、京都災害ボランティア支援センターの開所式にお招き頂きました。

この場所は、京都府と京都市の災害ボランティアや、物資、募金などの後方支援の窓口として、府・市が一本化したという、場所でありますが、先日もブログで書いていた通り、できるだけ効率化や統合化していかなくてはいけないと思う中、京都府と京都市がこの様な窓口を一本化された事は、素晴らしい事だと思います。


ここに対して、当社では備品を提供したという事で、知事や市長と共に並ばせて頂き、特にこれも指示しただけの私としては、誠に面映い感じでした。

ただ良かったのは、先日から何とか実現に繋げようとしている、被災された方々に、単に避難してもらうだけではなく、仕事付きの避難をして頂ける様にできないか?という案について、直接山田知事、門川市長にもお話、お願いする事ができ、又、全国のボランティアとネットワークを持たれておられるスタッフの方々にもこの案について大変共感して頂き、今後、協力頂けるという事になった事です。

門川市長も挨拶で、マスコミなどから被災地の様子が消えていく頃から本当の被災地の試練が始まると仰っていましたが、正にその通りで、そこからがある意味、現実の問題が山積し、今後の人生においては一番大変な時期が始まるのですが、逆に他地域の人からはドンドン忘れられていくのです。

この問題は防ぐことはできないとは思いますが、低減する事に取り組んでいかないといけないと思います。

農業の担い手がない県や町で、避難された農業家の方がそこで農業を行なって頂けると、その県や町と、被災地が結ばれ、その関係性が継続されていくのです。
そしてそれが、もし全国的に広がっていれば、いつまでも全国で今回の災害を共有していけるのです。

もし、そんな全国で繋がりを持つ、日本になる事ができれば、海外メディアで賞賛される様な日本人の道徳感と相まって、凄く夢のある、新たな価値観を持った国にさえなる事ができると思うのですが。

私も、そんな夢を描いて、元気を出して、継続的に取り組んでいきたいと思います。

2011年3月27日日曜日

その支援、私心なかりしか?

あちこちから、義援金や支援の要請が舞い込みます。

皆さん、どこの団体も、何とかしなければ、何とかしたい!という思いは良いと思います。

しかし、自分の所の団体は、どこにどの様に使う、使おうとしていると、公開している所は殆どありません。

集める側も、とりあえず集めて、というスタンスではなく、当たり前ですが、一円でも無駄なく、様々な人に有効に届く様にし
て欲しいと思います。
その為にも、各団体や企業も、もう少し連携して、うちの団体は、何県何市にこういう物を送る、こういう支援をすると、それ
ぞれが明確にして、少しでも重複する事が無い様にして欲しいと思います。

又、あえて苦言を呈したいのですが、各経済団体、NPO、ボランティア団体などで、実績争いの様な事はないでしょうか?
やはり正直、自分の所がどれだけ支援したかという様な、実績を目指しているところも少なからずあると思います。

自由主義経済では、皆が競争し、重複が起こっても、お互いが切磋琢磨する事によって、全体が伸びるという構造ですが、この場合は、お互いが切磋琢磨というのではなく、連携して、そちらが、そこの支援をするなら、うちは、ここに支援します、という様に、少しでも無駄を無くす様な連携をして欲しいものだと思います。

あの神戸の時ですら、場所によるバラつきはかなりあったのですから、今回などは、目を行き届かせるのは至難の技だと思いま
すから、的確に物が届く様に、それを送る側も集める側も意識して、協力すべきだと思います。


京セラフィロソフィーに「動機善なりや、私心なかりしか」 というものがあります。
盛和塾でも、稲盛さんから我々経営者は、常に、行おうとしている事に対して、動機は善ですか?そして、それには自分の私心はないのですか?と常に自分に問いかけなさいと教えられます。

私もこれは肝に銘じて日々経営しているつもりですが、なかなかできていませんし、大変難しい事だと思います。


今回、送る側、支援する側の団体も、動機は善でしょうが、そこに実績など、少しでも自分達の"私心" が入っていないのか?
を絶えず問いかけて、自分の所は隠れても一本化する、といった英断も行なって欲しいと思います。

2011年3月25日金曜日

仕事付きの受け入れ

京都府も福島県から、被災された方々の受け入れを開始しました。

何度もしつこいですが、私は神戸での体感からも、今回の方がもっと長期的に考えなければならないと思っています。

という事で、この受け入れについても、単に避難して頂くのではなく、できるだけそれぞれのお仕事に合わせた地域で受け入れを行ない、仕事をして頂ける様にできないか?と思うのです。

漁業を行なわれていた方々は、漁港近くで受け入れ、そこの漁業をお手伝い頂く、農業を営んでおられた方には、どこかの田畑をお任せするなど、そんな事ができれば、気分的、身体的にも
生活が全く違うものになると思うのです。

しかも、受け入れ側も厳しいので、安いかもしれませんが、バイト料、賃金を払って頂くと、被災された方々の今後の復旧に、多少なりとも役立つという一石三鳥ほどのメリットがあり、加えて、普段手が足らない業種、会社であれば、受け入れ側も助かるという構図も生まれると思います。

これを何とか全国的に拡げられれば、被災地とその他の地域の連携が、より生まれ、生きる力も湧いてくると思います。

私の方は、京都府の災害支援関係に微力ながら関わらせて頂いている事を利用?して、この案を京都府に働きかけていきたいと思っておりますので、是非、このアイデアが面白い!と思って頂けます方は、各県、各業界でこの様な動きを働きかけて頂きたいと思います。

もう、言うまでもない事ですが、決して今だけ、ムード的な支援にならない様、できるだけ多く方が、できるだけ長期的なスパンで関われる、関心を持つという事、それが被災された方にとっては一番助かる事だと思いますので、仕組み化する事が重要だと思います。

コミュニティー単位で受け入れるのも良いと思いますが、仕事ごと、業種ごとの受け入れを是非考えて欲しいと思います。

2011年3月23日水曜日

経済とボランティアのどちらかではなく

昨日、ブロックスの西川社長と話していました。
西川社長は素晴らしい思いの会社を取材し、知らしめる事によって日本を変えていこうとされている方ですが、地震以降、しっかりと仕事に向き合えないという心情を仰っていました。

私は、そんなに心優しくはないのですが、神戸で被災しているだけに、言われている心情がよく分かりました。

何も被害を受けていない人達が、テレビの娯楽番組の放送をする、しない、見る、見ない、プロ野球を開催する、しない、外食、旅行、イベントなど、遊び、贅沢なものをする、しない、それぞれ、どうあるべきかについては意見が分かれるところです。

いつまでも暗くしていては駄目で元気を出さないと!だから娯楽番組で明るくしないと・・正しい理屈です。
でも西川さんは見る気が起こらないと言われていました。
実は私もそうで、まだお笑い番組などは見る気がしないのです。

プロ野球のセリーグには腹立たしい思いがあります。
何故、パリーグが4月中旬開催にしているのに、それに合わせるくらいができないのだ、と。
そこには経済の理屈があるのでしょう。
そして、多分そちらの論理に立つ人は、しっかり稼いで、しっかり支援できる様にした方が良いでしょ?と言うでしょう。
それも正しいです。
しかし一方では、セリーグの運営は批判しながら、自分はどうなんだ。
被災地に手伝いに行くわけでもなく、京都で仕事しているって事は同じではないのか?という自暴自棄的な気にもなります。

ボランティアに行くべきではないのか?でもむやみに行っても混乱を起すだけではないか?

こんな色々な思いが、私にもずっと心の中にあって、しかもそれが、神戸から京都へ避難して来て、テレビで神戸の様子を見ていた時の罪悪感、その後神戸に物資を運んで大阪に電車を乗り継ぎ戻って来た時に、ほんの隣りの大阪では、何も無かった様に皆が楽しそうにしている光景を見た時の、神戸だけが、こんな事になったんだ、という何とも言えない物悲しい心境などが蘇ってきて、余計に何をすべきなのか?という気持ちを複雑にするのです。

そんな色々なものが混ざりきった気持ちを吹っ切るには、経済かボランティア(支援)かではなく、自分の仕事を思い切り行なえば、今回被災された方々の役に立つという構図を作れれば、すっきりと邁進できるのに・・と、西川社長と話していたのです。

各業界でそんなモデルを作れないか?

外食産業各社は売上の一部がしっかり現地の支援に役立つモデルを作れれば、むしろ、家で食べていないで、東日本の人達の為に、外食しよう!とか、旅行しよう!とか、そして同じ物なら、東日本の物を買おうとか、オフィスで言うと、全く被害を受けていない関西の企業は、リニューアルでお金を使って、入れ替えた備品類を東日本に送ろうとか、当然、そこでの売上の一部は東日本に寄付されるという様な仕組みを作ると、気持ちもすっきりと経済活動に打ち込めると思うのです。


被災後、神戸が復興にどれだけの時間が掛かったかも見てきたので、今回の災害がとんでもなく復興に時間を要する事が想像でき、それだけに余計、支援も一過性で、浮ついて行なうものではなく、腰を据えて考えていかないといけないと思うのです。

皆さんのおられる各業界でそんな事を考えていきませんか?

2011年3月22日火曜日

平和ボケから目を覚まそう。

途上国で様々な苦労をされて来た山口さんから見られて、日本の若者に思われる事はどんな事ですか?という大久保さんの質問に対して、”日本人はアイデアが出ないですよね”との事。

先のブログでも書いた様に、又、大久保さんも評される様に山口さんは、良い意味で存在感が全くなく、お店におられても、山口さんのファンで来られたお客さんが気づかない程だそうです。
そんな社員・スタッフとの距離感も全くない雰囲気ですら、日本のスタッフはアイデアが出ないと言われていて、ある意味私はショックでした。

マザーハウスへ入社されている方などは、それこそお金や条件で来られているわけではなく、価値観に共鳴して入って来られ、しかも社長との距離も全くない中でもアイデアが出ないというのです。

これって、日本の行なって来た暗記型、偏差値教育の問題、日本人のよく言えば奥ゆかしさの問題、平和ボケした日本国家の問題、未来への希望が持てない不透明さの問題など、原因は色々考えられますが、詰まるところ、感じるところは、”生命力の弱さ”です。
言い換えれば、積極的に生きる、何としてでも生きていくという感覚が弱いと思うのです。


今朝も朝礼で、先週末に投げかけていたウエダ本社として被災地への関わり方についての意見に、意見が殆ど出ていなかったので、山口さんの教えも破って、注意?してしまいました。

何故こんな問題にでも、反応が薄いのだ?
もっと敏感に反応して、一所懸命に生きないと、被災された方々にも申し訳ないと思わないか?と。

この期に及んでまだ平和ボケしていて危機感がない状態の人、組織、そして日本では、それこそ夢や希望がないと思います。


皆で目を覚まし、新たな価値観で団結して東北の復活を目指していける様、日本を反転させて行きましょう!

2011年3月21日月曜日

本物の凄み

山口さんに驚かされた事はたくさんありますが、日々人の問題、もっと言えばどうすれば社員がやる気になってくれるか?仕事をイキイキとやってくれるか?という点について、悩んでいる私としましては、元々 社長業も、海外生産もやるつもりではなかった山口さんが、数年のうちに全くゼロから、お世辞にも労働意欲や、規律的にレベルが高くないバングラデシュでこれだけの成功を収められているお話を聞くと、原因はリーダーであるという事を宣告された様なもので、大反省しました。

驚く事にマザーハウスの工場では、始業が9時からにも関わらず、7時半頃から皆出勤し、夜も自分の仕事が終わった後でも縫製の練習を行ったりするそうなのです。

何故、そんな風になるのか?大変疑問に思いましたが、答えはお話の中にあった様に思います。

山口さんは、これだけ思いが強い人だけに、かなりせっかちで、他人とのギャップは激しい筈なのですが、途上国に出て、その点が我慢できる様になったとの事でした。

そして、必ず自分で考えさせ、答えは絶対に出さず、ずっと待つとの事でした。
せっかちであれば、人は育たないとまで仰っていましたが、何でもできない事はないとばかりに、自分で全て解決して来られて、人を育てる段階になると、ただ我慢して待つという事を、若干30歳にして、さらっと言われるのですから、同じ経営者としては打ちのめされるのは、分かって頂けると思います。

売上や利益を追いかけるのは、社員を道具に考えているのではないか?
人を大事にする事とは、人の能力を伸ばす事です。

こんな力強い言葉を一切高圧的なところはなく、どちらかと言えばおっとりとした感じさえ受ける印象でお話されるのですから、正に本物の凄みを感じました。

2011年3月20日日曜日

山口絵理子さんから思う、本質的な支援

2週間の予定でバングラディシュに行かれた山口さんは、その劣悪な環境に衝撃を受けられ、やはり国際援助は現地には届いていないと感じたそうです。

そこで彼女の発想がトンでもないのは、この問題を知るには2週間位で分かるわけがないと、その滞在中に現地の大学院に行く事を決め、学校も捜して手続きまで済ましてしまうのです。

そして断わられ続けて漸く見つけたアパートの直ぐ前で大洪水が起こり、正に日本で起きた津波の様に6000人が無くなるという光景を目の当たりにし、そこで何の為に生きているのか?何故ここに居るのか?を考えさせられたとの事でした。

その後バックの生産を行うのですが、1ドル程の下請け仕事をしている彼らを見て、そんな仕事で楽しいのか?そんな物を作りたいのか?と投げかけ、彼らに自国の誇り、自分達の誇りを持った仕事を作る事、そして彼らが自立する事が一番の支援だという事で、バングラディシュの産物であるジュート麻に目をつけ、それでバックを作る事にするのです。

これって、私は一番素晴らしい支援なのではないかと思います。

援助というと、どうしても送る側と受け取る側の立場は送る側が上位にありますが、それって、どこまでその人達の人権までを考えた事なのか?と考えると違う側面が見えてくる事もあります。

山口さんの場合、その国の人々のアイデンティティーを呼び醒まし、その国の人々の自立を願っておられるのですが、これこそが、支援の本質なのではないかと思います。

今回の震災でも、政府の復興プロジェクトに山口さんが参加してもらえないものかと、大袈裟でもなく思ってしまいました。

2011年3月18日金曜日

生で”裸でも生きる”

変な題名で、何?と思われた方もおられると思いますが、話は変などころか、凄い話です。

昨日は、大久保寛司さんからお声掛け頂き、マザーハウス代表の山口絵理子さんの講演を聞く為、福井へ行っておりました。

何せ、あの大久保寛司さんが、この二、三年で読んだ本の中で一番感動し、どうしても会ってみたいと仰っていた方であり、私も大久保さんから教えて頂いて、その著書「 裸でも生きる 」「 裸でも生きる2」 を一気に読み、同じくどうしても会ってみたいと思っていた方です。

お誘いを頂いた時から予定を調整し、それだけの為に、行ったのですが、やはり行って良かったというレベルではない程、いくつかの気づきと、納得と決心する事がありました。

これは福井県経営品質賞表彰式での講演会だったのですが、観客で行かれる筈だった大久保さんの講演後のファシリテーションの時間も含め、2時間では全く足らない内容でした。

素晴らしい方の話は、さんざん聞かせて頂き、勉強もしていて、その都度、凄いと思わされるのですが、山口さんは、全てゼロから自分で行なって来られた点、しかもある意味、計画があったわけではなく、思いだけで全て頭を打ち、困難だらけの中乗り越え、それが人を動かし、しっかり結果となって表れているという点において、今の私にとっては最も良かったお話でした。

とても一回のブログで纏められないので、何回かに分けて書いていきますが、まずは簡単に言っても、イジメで一度も給食を食べた事がなく、四年間学校に行ってなかったという小学校時代、その反動で中学では非行に走って、ここでも学校に行かなかった。
中三からは喧嘩に強くなりたいからという理由で柔道を始め、柔チャンの階級でジュニアオリンピックで7位、しかし柔道への達成感からか、大学で勉強したいと、偏差値40から3ヶ月で慶応大学に合格、大学では勉強しまくり、4年の春に途上国の開発援助を行なうワシントンの国際機関でインターンとして働き、その後、途上国にも行かずに開発援助という事に違和感を覚え、ネット検索でアジア最貧国として出て来たバングラディシュに行き、そこで受けた衝撃から二週間の滞在では何も分からないと、その滞在中に現地の大学院に行くことを決めた・・・

という様に、これだけ一言づつで聞いただけでもトンでもない人生、どういう人?という方なのです。

という事で、興味ある方は、HPやユーチューブをご覧頂くとして、次回以降で、私の気づきや反省、納得と決心、そして日本の若い人に言いたい事などを纏めたいと思います。

2011年3月17日木曜日

最も大きな貢献

今日は朝礼で話だけして、福井に来ています。

福井は雪で寒いですが、東北はもっと寒く、福島周辺では雪にあたる事にも恐怖感を持たれているのだろうかと思うと、何とも言えません。

朝礼では再度、自分達の仕事のあり方を災害について関連づけて話しました。

我々も微力ながら、支援をするのは当然ですが、ボランティアのあり方や、善意について色々な論議がある中で、関西では殆ど影響を受けずに生活をし、仕事ができるという事に感謝し、自分達の生き方、働き方を見直して、価値ある人生、仕事にして欲しいと話しました。

あの状況をみて、それでも尚、ダラダラと無意味に時間をやり過ごす様では、本当に被災された方々に申し訳ないと思います。
そんな意識もなく、ボランティアや支援などというのも、私は何か違っている様に思うのです。

支援は大事で、各自、何ができるかを考えるのは当然として、まずは被災していない、有難い人達は、自分達がしっかりとした
生き方を見出し、しっかりと働く事だと思います。

そんな人が増えれば、経済もそして国自体が良くなるので、結果的に被災地に対しても大きな支援を行なう事になると思います。

今回の災害は、とても短期スパンで考えていてもどうしようもないレベルなのですから、被災していない人の底力をUPさせる
事が一番大きな問題解決への対策だと思います。

2011年3月16日水曜日

頑張って下さい!ではなく、”又、来ます!”

阪神大震災の時、被災者に対しての”頑張って下さい”という言葉は冷たく聞こえると、ある方が言われているのを見た事があります。

やはり私もその時、被災者として、言っている方の気持ちはよく分かると思い、その後、この”頑張って下さい”の使う状況を考える様になりました。

当然”頑張って下さい”と言っている側は、可哀相とか、本心から何とか頑張って欲しいというつもりで言われているので、それが悪いのではないのですが、ただ、被災している人からすると、この言葉が使われる状況で、裏側から感じ取ってしまうのは、”私はこれで帰りますけど、あなた方は頑張って下さいね”という様に、離れてしまう、帰ってしまう、あえて悪い言い方をすると、私は元の平穏な所に戻りますが、あなた達は頑張って下さいね。”という様に、突き放された感覚に聞こえてしまう、という事なのです。

神戸の場合などは、以前に書いた被災記でも書いていましたが、すぐ隣りの大阪でも、何もなかったかの様な平穏な生活があり、そういう所から来られた方が帰られる際や別れ際に、戦時中の様な焼け野原になった所に残る被災者に”頑張って下さい”と言葉をかけられても、”有難う”と素直に思えない場合もあるという事なのです。

そういう感覚は、ああいう光景を経験した人しか分からないと思いますし、今回、これだけの被害があり、長期化するであろう中で、たくさんの人がたくさんの被災者に会われる事もあると思いますので、是非知っておいて欲しいと思いました。

”頑張って下さい”と言えなければ、かける言葉は難しいですが、一番良いのは、”又来ますね”
だと私は思います。
勿論、この場合、その場だけ言うのでは駄目であり、本当に継続的に”又来る”と言ってもらうのが、一番心強い事だと思いますし、一過性のボランティアよりも役に立つ事だと思います。

しかし皆が本心から”又来る”と言えないとも思いますし、そうできない人も多いと思いますが、その場合は何が重要か?それは目線を合わすという事だと思います。

"頑張って下さい”と言ってる側はそんな気持ちは無いにしろ、状況的には、大丈夫な人から弱い立場の人に言う言葉であるので、そういう言葉ではなく、同じ目線、同じ立場にたった言葉をできるだけ使う様にするべきだと思いますし、この言葉は、暗に”上から"言われているという感覚を与えている事もある、という事を知っておくだけでも、被災者へ向けた心の問題などにおいては、役立つ事だと思います。

偉そうに言っていますが、これは私がそれこそ上から言っている話ではなく、6千数百人亡くなられた阪神大震災を経験した者として、経験したからこそ言える事を広めていく事が、今回できる事の一つだと思っておりますので、その面はどうかご容赦下さい。

私も長期的に支援できる様に”頑張ります!”

2011年3月14日月曜日

皆ができる事

昨日もずっとテレビを見ていました。

マスコミは協調して、担当を分けられないものか?フジは宮城で、テレ朝は福島で・・という様に。

神戸の時ですら、皆、同じ様な場所を報道するので、支援が重なり、ある地域ではダブつき、ある地域では全く届かないという事ありましたので、今回などは、全く報じられていない地域も多々あると思います。

そんな所の情報を何とか集められないものか?と思います。

今朝の朝礼で、うちの会社として何ができるのか?何が役に立てるのか?を考えて欲しいと話しました。


会社としても何ができるか?を考えてみて、改めて存在価値や仕事について考えさせられました。

あれだけ困った状況になって一番喜ばれるのは、やはり生死に関わる飲み物、食べ物、そしてティッシュなど、生活に関わる物です。

それに対して我々のビジネスである、オフィスでのOA機器や家具などは、こんな時、何の役にも立ちません。

考えてみると、人々が生活の基盤を取り戻し、それから働く様になり、事務所や機器類が必要になるのです。
という事は、普段当たり前の様にお取引をさせて頂いていますが、働ける様になった会社さんがたくさんある中で、オフィス向けの商売をできているという事が、平和で大変幸せな事なのだと感じました。


そして同じく、仕事について。
常々私は、日本人の仕事観や職場観を変革したい!、いや、変革すべきだと思っていますが、”働ける”という感覚を皆持つべきだと思います。


食べる物の確保、住む所の確保があって、生活の基盤を作り、そしてその次に漸く、その基盤を維持、発展させる為に働かないといけないとなります。

そう考えると、”働ける”という事は、かなり欲求レベルにおいて高位にあるのではないでしょうか?
それを我々、普段、特に今の日本人は、当たり前の様に思っていないでしょうか?

食べる為にしょうがないから働く、土日の趣味の為に、月~金はとりあえず適当にやり過ごす。

そんな感じの人が日本には多い様に思います。


フェイスブックなどで見ていると、電気が通って助かったという話もありますが、私も神戸で、電気、ガス、水道、それぞれが復旧した際の嬉しさは、言い表し様のないものでした。

そこから生活が復旧していき、”働ける”様になるのです。

私が住んでいて半壊となった神戸のマンションは、修繕には地震発生から2年以上かかりました。

酷かった地域では、倒壊したビルを撤去して更地になった所に、建物が建ち、人々が戻ったのには、5年以上かかったと思います。


今回はそれ以上かかると思います。

普通に屋根の下で生活し、家族が揃い、働き、学校に行く、そんな通常の生活に戻るのに、かなりの時間を要すると思います。

被災していない人達のできる事は、今、何かを送る事だけではありません。

今ある自分や自分の境遇に感謝し、自分自身がしっかりと生き、長期的なスパンで関われる様にする事が、被災した方にとって一番有り難い事だと思います。

2011年3月13日日曜日

神戸での経験から思う事

余りにも悲惨な状況で多くの人が何とかしたいという思いを持たれている思います。

ただマスコミも含めて、今何が必要かの情報を掴み、できるだけ纏めて行なう様にして欲しいと思います。

これから、被災地では必要な物が刻々と変わっていきます。
こちら側から、皆が同じ様に何とかしたいと思って、しかし行動はそれぞれで行うと、現地では同じ物が、マスコミで中継されている場所に集中したり、そして、それはその時点では無駄になって、あえて言うならば邪魔になってしまう事などもあるのです。

今回は、神戸の経験がかなり生きていると思いますが、ボランティアにしても個人レベルで動く事によっての、渋滞や混乱を引き起こしてしまう事もあるのです。

と、いう事で、是非今何処で何が要るという事を、被災地におられる方は伝えて欲しいと思いますし、その情報を生で聞いた人は伝えて欲しいと思います。

それと、これ程の災害ですから、長期的なスパンで考えていかなくてはならないと思います。
支援する側の人も、色々な形の支援がありますので、一時的なある一面だけに集中しない様に考えなければならないと思います。


勿論私は、神戸で現地で見たり経験した事から、発信も含めて行動したいと思います。

2011年3月12日土曜日

フェイスブックの効用

ツイッターは頑なにやらず、フェイスブックは様子見で登録だけしていたのですが、この地震以降、ずっとフェイスブックでチェックしています。

被災している人の状況も分かりませんから、こちらから電話やメールをむやみに送ってもバッテッリーの問題で、迷惑になるかもしれないからです。

神戸の震災の時は、携帯は持っていたのですが、その頃の携帯などバッテッリーはすぐなくなるので、私の方から家族に定期連絡、それも必要事項のみを手短に話して、電源を切っていました。

もう後戻りする事はあり得ませんが、それでもツイッター、フェイスブックの問題点を懸念している私ですが、今回はメリットだらけだと思います。

そんな中でも、面白がったチェーンメールもある様ですが、絶対に止めて欲しいと思います。

複雑な心境

大変な地震が起こりました。

一体どれ程の影響が出るのか、まだ全く分かりませんが、現在では二次災害による被害拡大をしない事をまずは祈ります。

大地震が起こる度に、複雑な心境になります。

以前、ブログにも書いていましたが、私は神戸大震災を経験しているのです。

当然、戦争は知りませんが、多分こんな感じだったのだろうと思う様な、一面焼け野原になった光景、大きな建物がぺしゃんこになった光景、普段なら野次馬だらけになりそうなのに、悲惨な光景ばかりでなので、普通にその横を通り過ぎていく光景など、そんな悲惨な記憶が蘇ってくるのです。

電気、ガス、水道などの生活インフラはストップしているでしょうから、時間とともに、必要な物も変わってきますし、欲求も変わっていきます。

その辺りの体験を思い出し、何かお役に立つ動きができればと思います。

2011年3月10日木曜日

理念そのものの会社

昨日も紹介した飯尾醸造さん。

ちょっと衝撃を受けてしまいました。

今まで感動経営を行っている会社のDVDを見たり、研修を受けたりして、その都度打ちひしがれて来ましたが、ある意味それ以上のダメージを受けたかもしれません。

まず、商品名が富士酢なのは、日本一のお酢を造ろうとされたから。

一番おいしい酢を造る為には、おいしいお酒を造らないといけない、おいしいお酒を造る為には、おいしいお米を作らないといけない、その為には無農薬であるべきだと、三代目が48年前、世間では全く逆に大量生産に向い、農薬を使っていこうとした時代に、農家を説得して廻られたとの事。

そして又そこで驚きですが、自分達があるのは、良いお米を作る農家があってこそとのことで、農協の買取価格の2.5倍で買取られたとの事でした。
しかも、農家が高い機械を購入できなく、買ったところで常時使うわけではないのが分かると、自分の所で機械を買ってそれを農家に貸し出したり、農家に負担がかかる事は自社でそれを担って無農薬のお米を調達して来られたとの事でした。

現在でもお米とお酢の醸造設備を両方持っているお酢屋さんは飯尾醸造さんのみと言われていましたが、40gがJAS規定で米酢と言えるにも関わらず、その5倍や8倍のお米を使用し、お酒の杜氏さんが良いお酒を造り、通常は発酵させるのに1日でできるところを自然発酵で100日かけてお酢を造り出されるという、とてつもない拘りを、”そうあるべきだ”という感覚で行っておられるのです。

農家が高齢化で継続できないと見ると、自社でお米作りを、それも社長も事務の人も全員総出で行われる様になり、現在では地域の人も、協力業者の人達もがお米造りを手伝われる上、全国からツアーで来られる様になっているという話で、そこまで徹底して、人の為、地域の為、仕入先さんの為を考えて来られると、皆が助けてくれる様になるという構図も見せつけられた思いでした。

そしてそれを5代目予定の若旦那さんが淡々と15分位の話で、ごく当たり前の様に説明されるのですが、多分、この会社は、経営品質だとか、良い会社にする為に、とか、その為の社員教育だとか、挨拶がどうだとか、そんなことから入られているのではないだけに、経営者の思い、考えが重要なのだと思い知らされ、いつもより更に落ち込まされたのでした。

良い会社にしたい、という思いを持ち、どうすれば社員が・・、お客様が・・、地域が・・と考えていると思っていましたが、私の考えていた事なんて、手法や勉強の域を越えていないのです。

それを又、淡々とした15分程の話で思い知らされたのが、余計に利きました。

帰りには、皆電車の時間を気にしながらも、思い切り日本一の酢を買い込んでいたのですから、商売の本質も勉強させて頂きました。

買う気になれば、勝手に買ってくれるもんなんですよね。参りました。

こんな会社がまだまだあるのですね。

こんな会社を見つけた時のH社長の驚きと共に、やってやった感の表情が想像できました(笑)

昨日からの激しい時間

昨日はこちらに移って直ぐ、ブログを休んでしまいましたが、さぼったというより、先程まで色々な事があり過ぎて、かけませんでした。

昨日は門川市長とイベントの件で面談し、夕方は社内勉強会、とそこにH社長から、食事待ってますけど?の電話、"ええ〜
一日間違ってた〜!" と、ある方々との食事に慌てて出掛け、夜中に帰宅。

今朝は朝食会で松栄堂の畑社長のお香のお話を聞き、そのままH社長コーディネイトによる、宮津への日帰りベンチマークに10名プラス贅沢にもオブザーバーにO氏を加えて行っておりました。

そんな状況でブログも書けなかったのですが、このベンチマークが大変な収穫で、こんな凄い会社があったんだ!というものでした。

その会社は飯尾醸造さん。

怖るべし会社ですが、何が凄いのか?は、勿体つけてるわけではないのですが、明日にさせて下さい。

ちょっと、疲れたので、その酢を飲んで、今日はもう寝る事にします。

2011年3月7日月曜日

京都流から移転してきました。

5年前より運営して参りましたSNSサイトの京都流は、本日3月7日をもって停止(閲覧は3月31日まで)する事とさせて頂きました。

今後も私自身の思い、京都の課題に対しての我々のスタンスは変わる事なく、その精神は、京都流議定書イベントを通じて継続して発信して参りますのと共に、これまでのブログも全て移転し、今後も京都流ブログとしてこちらで継続して参りますので、引き続きご覧頂けましたら幸いです。

ウエダ本社のホームページでもフェイスブックなどと連携する様になっておりますので、ブログとフェイスブックの使い分けも考えながら、ブログの更新頻度も再検討してみます。

毎日はなかなか、厳しいので。

京都流サイトについて

ご案内させて頂いておりますが、本日3月7日をもってSNSとしての京都流を停止(閲覧は3月31日まで)する事とさせて頂きました。

今後ブログにつきましては、以下(http://okamura-kyotostyle.blogspot.com/)に移転し継続して参りますが、SNSやコミュニティーという機能は停止する事となりました。

特に旧京都流からのユーザーの皆様には、システムダウンの際には大変ご不便をお掛け致しました。
又、皆様方の期待に沿う事ができず大変申し訳ございませんでした。

旧京都流停止後、ネット上で全く根拠の無い誹謗中傷などもあり、その頃から私共の方向性と期待されている方向とのズレは感じておりましたが、最低限の責任として、ユーザーの方々が戻られなくとも、その”場”は用意すべきとの事で、サイト復旧を行ないました。

利益を求めなければならない企業の論理からすれば、ましてこのサイトで収益を上げる事を行なわない私共のスタンスから致しますと、早急に撤退という結論の方が正しかったのかも知れませんが、それであれば、効率追求の価値観となり、私がもっとも吸収していこうと思った京都の価値観に反する事にもなり、復旧させる事と致しました。

しかし復旧後は、殆どブログのみの使用状況であり、その間、ツイッター、フェイスブックなど、新たなコミュニケーションツールも主流になってきた事もあり、この際SNSやコミュニティーを停止させて頂く事となった次第でございます。

今後このURLは、京都流議定書イベントのお知らせ、報告のページとさせて頂きます。

又、私自身の思い、京都の課題に対しての我々のスタンスは変わる事なく、その精神は、今後も京都流議定書イベントを通じて継続して発信して参りますのと共に、今までのブログも全て移転し、今後も京都流ブログとして継続して参りますので、ご覧頂いておりました皆様には、今後も引き続きご覧頂けましたら幸いです。

休止期間も含めますと約5年間、色々な事があり、ご批判も頂きましたが、京都流のお陰で、京都をこれだけ深く思われている方々がおられる事を知り、その事で京都の価値を再認識し、それだけに、より京都への課題を感じる事となりました。
この点は、現在の、良い会社を作っていこうとする私共の会社運営にも大きく影響しているところでありますので、その意味でも京都流に関わって頂いた皆様方には大変感謝しております。

今後も私共では、私共なりに京都を良くする事を追求して参りますので、又、それぞれで違う立場から、京都の価値観を探求していく事で連携させて頂ければと思っております。

本当に有難うございました。 そして又、よろしくお願い致します。

2011年3月5日土曜日

ユーストリームのライブ配信を見ての懸念

今日は、以前ブログでも紹介した事がある、山口絵理子さんのマザーハウスの5周年イベントが東京でありました。

と言っても東京に行ったわけではなく、ユーストリームでライブ配信されていたので、会社のセミナールームで社員数名と見ていたのです。
ライブ映像を見ながら、ツイッターやフェイスブックでセッションにも参加できるのですが、これが無料でできてしまうというのは、凄い話ですね。

チュニジアから始まり、エジプトから中東アラブに広がっていった民主化運動。
今まで考えられなかった事が、これらツイッターやフェイスブックで簡単に起こってしまうという時代ですから、一人でも凄い事が起せる時代になってしまったようです。

それはどんな人にもチャンスがあるという良い面は当然ですが、その反面大きな副作用もはらんでいると思います。

片側では、個人情報やプライバシーを神経質なくらいうるさく言いながら、片側では有名人のプライバシーなどあっ
たものではない状態にドンドンなっていきます。

誰がどこで何を食べている、誰と一緒だった、あの二枚目がこんなダサイ事をしていた、などなど、有名人は外では
何もできないという状況になってしまいます。

そして少しでも違う事や、おかしな事があると、皆が鬼の首を取った様に騒ぎ立て、悪者にする世の中、果たしてそ
んな世の中で幸せに向かうのでしょうか?

少しでも外れた事があると、それを見られ、指摘されるのですから、各世界、各業界でリスクを冒さない、面白い事を行なわないという様に、小さく小さくなっていってしまうと思います。

政治の世界を見ると顕著ですが、一体誰がやるの?と言うくらい、人材不足、いや、リーダー不足、役者不足なのです。

しかしこれは政治の世界だけではなく、経済界でも芸能界でも芸術家の世界でも全てに言える話だと思います。

壁が無くなり、一瞬にして凄い人と繋がり、世界の様子が分かる、以前なら一生掛けても会えない様な人と、友達検索でもして、直ぐに繋がり会えてしまうという凄さは感じながらも、そんな事が当たり前になった人々ばかりになっ
た世界は、一体どうなるのだろうと恐ろしくなってしまいます。

ネットの話ではありませんが、先日もここでその人となりについて触れた前原大臣が、袋叩きにあっています。
思い切り、足を引っ張りたい勢力からの動きなのでしょうが、報告書に書かれていなかったとか、外国人からお金を
得ていたとか、それぞれ悪いのでしょうが、従来の政治と金の問題とは明らかに違う話を、あたかも同じ様に感じる
報道をし、間違いではないのでしょうが、その感覚で捉えていけば、一体どうなるでしょう?

この厳しい日本、大改革をしなければいけない日本において、力のある、思いきったリーダーシップを発揮できる政治家は今後ますます出なくなり、という事はドンドン改革などできなくなってしまう、という構図が、皆何故分から
ないのか?と情けなくなってしまうのです。

そして、そこにこの急激なネットの発達が絡んでいくのですから、空恐ろしい気がするのは私だけでしょうか?

今日はあっさり。

今日も早く終わろうと思っていながら、そういうわけにいかず、遅くまで営業会議を行ない、社員とホントにご飯だけ食べて、先程帰宅しました。

既に出ております様に、ブログのみ、場所を移して継続致しますが、京都流サイトは閉鎖致しますので、それについても書きたいのですが、又明日以降にさせて頂きます。

明日も仕事ですので今日の所は、この辺で。すいません。

ちょっと寝不足ぎみです。。

2011年3月3日木曜日

客家(はっか)の掟

先日、川畑社長に教えてもらった話です。

客家では受けた恩を返してはいけないとの事でした。

一つには、恩を返してしまうと、その人との関係は終わってしまうから、という理由であり、その恩は隣の人に回していくと、ちゃんと自分に戻ってくる、という事だそうです。

客家は、独特の円形の建物での集団生活を行なっていますので、しっかり戻ってくるでしょ?という事で人生を教えていたのでしょうが、日本では、情けは人の為ならずというところでしょうか。

これ又深い話でしょ?

実際、私も色々素晴らしい方々にお世話になっていますが、そんな方々に恩返しといっても、簡単にできるものではないですし、そういう方々が一番喜ばれるのは、その恩を受けた我々が又、下の世代であったり、自分の力を必要としてくれる人達の役に立つ事だと思います。

そんな関係が循環していけば、世の中は良くなって行くわけですから、まずは自分の居る集団から、その循環を浸透させていきたいですし、その為には強固な関係性を築いていくべきだと思います。

何の為に仕事をするのですか?

社員の方に再度、何の為に働くのか?を社内で共有しようと思いましたが、日本全体においての大きな課題、しかも私は深刻な問題だと思いますので、WEBで公開させて頂く事にしました。

日本の場合、仕事というものを、やらされ感や生活する為に、しょうがなくという感覚が非常に多い様に思いますが、そもそも皆さんは何の為に働いていますか?

そこから考えないと仕事への対し方の本質が見えてこないと思います。
そこを考えないと誰でも、しんどい事、怒られる事、クレイム、同じ給料で余分な仕事など、嫌な事だと思います。

しかし、こんな事は何十年も仕事をしていく中で、避けて通れる話ではなく、その中でやらされ感で
仕事をしていると誰でも疲弊すると思います。
もしくは、そんな仕事中心では人生がつまらないから、趣味に生きようという人も多いと思います。
価値観の違いだから、良さそうにも思いますが、果たしてそうでしょうか?

私は、趣味に生きるというのは、今の日本の状況、そして今後は、成り立たなくなると思います。
この感覚は、今まで日本は高度成長してきて裕福になったから、あり得たのであって、今後世界で
埋没していく日本の中で、この感覚を持っていてはその人自身がかなり厳しい状況になると思います。

そしてそんな感覚、ひ弱になった日本人が、ワークライフバランスなどと言って、全体を見ずに
取り入れていく事も、私は大変恐ろしく思っています。

島田紳助さんが売れ出した頃、会社に”休みを下さい”と言ったら、”じゃあ一生休め”と言われたと
いう話を以前されていましたが、この吉本興業のバランス感覚は正しいと思います。
現在の紳助さんが、休みを要求されれば簡単に通ると思いますが、若手で売れ出しただけなのに、何を一人前の事を言っているの?そんなに休みたければ休んでいれば良いですよ。という事ですが、国力が弱まっていく日本や、ひ弱な日本人が、そんな事を言っていれば、世界からすればずっと休めば?という事になると思います。

会社内でも同じ構図なのです。
今の紳助さんの地位を築けば、何でも通るのが、そこまで行かない人が、そんな事を求めるのは
大変、滑稽な話で、”好きなだけ休めば良いですよ”、という話になるのです。
そんな良い状況を得たいのであれば、それだけの経験をし、鍛錬していかないといけないのです。

イチロー選手は小学校6年の際に、メジャーを目指すので、これからは360日練習すると決意したそうですが、スポーツや自分の趣味などでは、厳しい練習や、改善を行なうのに、何故、お金を貰う仕事で、嫌な事、苦しい事から避けようとするのでしょうか?
この多くの日本人の感覚が、私にはよく分からないのと共に、この日本人の感覚をウエダ本社としても変革させたい、それができると、我々の存在価値もでき、事業を通して、社会の役に立つ存在になり得ると考えているのです。

何十年スパンで、自分の人生を考えていく中で、仕事はその根幹をなす部分であり、そこを充実させる事が人生を最も豊かにする事になるのですが、その為には当然、スポーツと同じく、厳しい練習に耐え、鍛錬、精進していかなくてはならない筈です。

そう考えると、日々の問題、課題や嫌な事も、全部、自分を鍛える為のものであり、喜んで向かって
いけると思うのですが。
まずは職場をイキイキさせる事を目指す我々が、そのモデルになるべきなのですが。。
何の為に生きるのですか?そして何の為に働くのですか?うちの社員は、そこから考え直して欲しいと思います。

2011年3月1日火曜日

誘う人の問題

日曜の夜には、先週から連続で川畑社長にお目にかかる事ができました。

翌日大阪でパネルディスカッションに出られるのに合わせて京都入りするので、食事でも、とお誘いを頂いたのでした。
何名か誘って・・との事でしたので、お互い切磋琢磨している人見社長と熊谷社長を誘い、食事を取りながらの、楽しい、しかし、中身豊富なレクチャーを受けました。


雑に行なうから雑用で 仕事には雑用はなく、どんな仕事も、精魂込めて行なうべきである。
相手の事を聞く為には、自分の事を開示しなければならない、や、私は先週も聞かせて頂きながら、まだここに書ききれていないお話などなど、盛りだくさんでした。

社員とのコミュニケーションの話で、最近の人は突然誘っても平気で断るので、誘うのを迷ってしまうという話をしていた際、人見社長に、”それはね、誘う人の問題もあるんですよ””今日も我々三人は、いきなり呼ばれても川畑社長に会えるので万難を排して来ているでしょ?”と言われてしまいました。

なるほどねぇ~。言われて見ればその通り、川畑社長にお誘い頂いたら、ハイか、イエスしかないですからね。

翌日は”成長する会社の人材育成とは?”という事で、川畑社長に寄田先生という凄い組み合わせのパネルディスカッションが、何とJOBカフェ大阪という、人材支援事業で行なわれました。
いつもの経営品質系の聴衆者ではなかったので、反応も全く違い、多くの人が、聞いた事がないタイプの話を聞かれている様で、驚かれていた感じがしました。

この翌日も川畑社長に言って頂けるまま、ハイかイエスしかなく付いて行くと面白い展開になるのですが、これもやはり、誘う人の力なんでしょうか?

詳しい話は又、後日。

11'3月ウエダ本社社報

《 誰の為? 》

相変わらず政治が混迷を極めており、年度末というのに、一体どうなるの?という状況です。
与党も野党も、そして与党の中でも、党の決定には従わないが党は出て行かないと公然と言っている様な人達も居て、それぞれが、“国民の為に”と自分達に都合の良い様に言っています。
中には真剣にそう思っている人も居るのかもしれませんが、いずれにしても国民から見たら、“よく言うよ”と、白けるだけなのに、そんな感情もホントに分からないのかなと情けなくなってしまいます。

~の為・・という言葉は注意が必要だと思います。

言っている本人も錯覚を起してしまっているケース、聞こえが良い言葉なので、それを分かっていて利用しているケース、いずれにしても、その対象者の為にはなっていないケースが殆どではないでしょうか?
そういう私も、気づかず使っているケースがよくあります。

しかし、言っている時にはその人の為と思いつつも、冷静にその時にシュチュエーションを分析してみると、自分の為が混ざっていたり、勝っていたりするケースはあると思います。

親が子供に勉強しなさいという時に、“お前の為を思っていっている”という際も、親が勝手に思っている理想の姿があり、それに向かう為には・・という、自分の感覚からであって、それが子供にとって良いのか?というと本質ではないという事もよくあります。

それは、自分の子供が生死に関わる様な状況になってしまったとしたら、勉強なんてどうでも良いから、と、殆どの親は考えると思うからです。

イトーヨーカ堂やセブンイレブンを率いる鈴木会長は常々、お客様の為に・・ではなく、お客様の立場に立って、でないといけないと仰っていますが、~の為にという言葉は、実は、こちらが勝手に相手にとってこの方が良いと決め付けて、相手の為に・・を押し付けていたりする場合があるのです。

それぞれが国民の為に・・と言っている話を聞いて、“よく言うよ”と白けてしまうのもその為で、“全然そんな事嬉しくないよ”という事になってしまうのです。
我々も、お客様の為に・・と勝手に思っているケースが多いと思いますが、本当に、お客様の立場に立ってと思える様な集団にならないと、ウエダ本社としての存在価値は作れないと思います。