2011年12月30日金曜日

2011年総括と決意に代えて

もうこれで、今年の仕事?は終了致します。

平日は、ほぼ毎日書いていたこのブログも、イベント終ったあたりから、UPを減らさせて頂き、ちょっとした事はフェイスブックに上げ、ブログ、社内掲示板、を使い分ける様にしました。

その理由は、想いを発信していく目的は色々あるのですが、それを少しでもそれぞれの対象の人に伝えたいという事と、もう一つは、現場で走り回らないといけない状態となり、ブログをゆっくり纏めて書くという時間が取れなくなったという事でした。

後者の理由に関連して、業績は最悪であり、一時期の明るい雰囲気は後退し、理由は様々ですが、退職者も数名出て、それが又、よりバタバタする状況に繋がり、より雰囲気も落ち込むという状況となっていました。

しかしこれら全て、目指している方向への段階であり、私自身は、後退しているという意識は全くなく、むしろしっかり向かって行っている証拠だと思っていました。

昨年の、三度目の京都流議定書辺りから、”凄く楽しそうな良い会社”と言われる事が増え、見かけは確かにその通りでしたが、あくまでそれは表面上であり、ベースは全くできていませんでした。

表面上だけでもそう見える会社というのも、簡単にはできません。
しかし、それだけでは継続的な良い会社にはなれるわけがなく、その為には、一旦、どうしても落ち込む時期や問題が頻発する時期を経験しないといけないのです。

実際やっている人は、表面上だけでも穏やかに過ごせる方が良いでしょうから、一旦落ちるという事は、動揺もしていたと思います。

しかし、ここを通らないと、ウエダ本社が目指している会社などできるわけがないし、そもそもウエダ本社の存在価値など作り得ないのです。

そういう私も、計算づくと言いつつも、正直、キツイ面もありましたが、漸く、年末あたりで、光が見え出して来た様に感じます。

表面的に盛り上がった時期、課題噴出して精神的にも落ち込んだ時期を経て、漸く、地に足着いて、”良い会社”に進み出した、までいかなくても、進み出そうとしている感じになったと思います。

数字は、以前の姿であり、まだ厳しい状況は続くでしょう。

ただ、ここからは確実に反転していくと思います。

我々の目指す、”良い会社”の定義は、共有化できたと思いますし、来年は、本物の”良い会社”へ向けて、歩みを進めて行きたいと思います。

今年の総括と決意に代えて。

今年一年お疲れ様でした。 そして、ウエダ本社や私に関わって頂いた皆様、有難うございました!

2011年12月24日土曜日

継続できたクリスマス、何も無いクリスマス

昨日FBに入れていましたが、クリスマスプレゼントの手配を忘れていたある施設に、何とかプレゼントを持って行く事ができました。

ここは、稲盛さんが自費で建てられた、虐待を受ける児童の養護施設ですが、出来て8年目、最初の年から、クリスマスプレゼントを送っていたのですが、これがうっかりしていて昨夜に思い出し、今年は間に合わないかと焦りました。

と言うのも、年代はバラバラ、状況もバラバラの子供達がたくさんいるので、通常の物では選定が難しいという事と、又、支援者などから物を貰えたりする事は、子供達にとって、甘えになってもいけないという施設長の考えもあり、皆で使える物、施設で使ってもらえる物で、子供達にも喜んでもらえる物を考えないといけないので、なかなか難しいのです。


考えた挙げ句、先日、月食もあったし、あれが切欠で興味を持つ子も居るかも?と天体望遠鏡を思いつき、買って届けに行きました。

スタッフの方に渡して帰ろうとしたのですが、名前を言うと、初めて会う方なのに、情報共有されているのか、知って頂いていた様で、リーダーの方を呼びに行って頂きました。

”今年は中学三年の子が多く、今受験でスタッフもピリピリしてます”と言われていました。

多分スタッフの方は一生懸命、何とか皆が独り立ちできる様に、しっかり大学までは行ける様にと考えられているのだと思います。

年に一度しか行かない者がとても偉そうに言える権利はないですが、でもそんな辛い経験をして来た子らには、私個人的には、何とか生きてるだけで、そのままで素晴らしいと思ってくれたらなという思いが有り、またまた沖縄教育出版さんの話をさせて頂きました。

I'm OK, You are OK, We are OK. 皆、そのままで素晴らしい。

沖縄教育出版さんのベースの精神で、障害を持った方もイキイキと信じられない働きをされる由縁です。

私が居る間にも、施設に預けられている子のお母さんが面会(一緒に暮らすと虐待をするので、普段は離れて生活させ、徐々に距離を縮めていくのです)に来ていましたが、やはり普通の親子の感じとは違っていて、横に居ても、心苦しい感じになりました。


皆それぞれ、子供との関係、親との関係など家庭内で問題は多かれ少なかれ持っていると思います。

クリスマス、何の予定も無いとか、ボヤいていませんか?

何もなく、過ごせているなんて素晴らしい事ですよ!

最後のフレーズだけは、何処へも連れて行かない、うちの家族へのメッセージです(笑)

2011年12月21日水曜日

ちょっと染みました。

今日は、盛和塾塾長例会忘年会が東京で開かれました。

先週京都で西日本版が行なわれたのですが、私は、別会合で行けず、同じバージョンの東日本版に出席して来ました。

稲盛塾長の話も、実は、同じ話を何度も聞いています。
しかし、面白い事に、同じ話しでも、その時の自分の状況や感情などで、全く捉え方が違うのです。

今日聞いた話も以前聞いた事はありました。

しかし、今日は、何故か、全く違って、染入って来ました。

経営者の必要な三つの心得というお話で、それは①謙虚にして驕らず ②思念は業をつくる(思いは必ず実現する) ③宇宙の働く二つの力を得る というものでした。

ここではとても書ききれるものではありませんが、その中でも一番納得した話のみ紹介し、そして自分の戒めとしたいと思います。

それは謙虚にして驕らずという事ですが、これには成功したのは、自分に才能があるからだと過信してしまうからそれを戒めよという意味よりも、今回の気づきは、自分に才能がある、その才能は自分のものである、と思う事が傲慢であるのであって、そうではなく、その才能は、天から与えられたもので、自分のものではないという意味だったのです。

自分のものではないから、その才能を自分が凄いなどと驕らずに、皆の為に使いなさいという事なのです。

自分が生まれて来たのは、今の容姿で、今の国で、或いは人間で、生まれて来ようと誰か決めた人はありますか?

誰一人、自分で決めた人は居ない、という事は、この今の自分で生まれて来たのは、与えられたものであって、山、川、草、木、森羅万象 全ては同じ物であって、たまたま自分は、人として、今の姿、才能を持って生まれて来たのであって、それは貴方自身、私自身のものではないとの事なのです。

稲盛和夫は、ファインセラミックスの技術を開発する能力を与えられたのであって、それは稲盛和夫個人のものではなく、だから、その技術や才能を世の為に使わなくてはいけない、そこで驕ることなく、その才能を持っているのが偉いのではなく、ただ単に役割が違うだけなのだというお話でした。

思えば、私が自分の価値観を意識した最初は、小学二年生の時、先生が言っておられた、”大臣も社長も偉いのではなく、それは役割の違いだけで、人は皆平等なんです”という事でしたが、今日はそれが森羅万象、全て同じという話で、与えられた役割、その役割が違うだけというお話に、再び衝撃を受けました。

今まで、自分のサラリーマン時代や、独立創業した際、倒産の危機を逃れた経験など、その他にも同世代の社長でもしていない様な色々な経験をして来ただけに、それらからの学び、体感から得たものを、何とか社員達に伝えたい、これさえ分かれば、良くなるのに・・その思いが強くありました。

しかしある意味、自分のやって来た事、やって来れた事は、才能と捉えて、それを自分の物にするのではなく、少なくともまず、社員を幸福にする事に費やすのだという発想に、徹してみようと思いました。

自分の才能というと偉そうに聞こえますが、決してそうではなく、誰にも才能はあるのです。

それこそ、役割が違うだけで、私は、新規事業立ち上げや、赤字の立て直しなどのマネジメントにその才能を発揮するという役割であり、社員の幸福を追求を実現していく事がやるべき事なのです。

今も宿題を出していることもありますが、皆も再度、自分の才能、それをそれぞれの役割に充てて全うしていく、他の社員や、パートナー、お客様、地域社会に役に立てるにはどうすべきか?それを考えて欲しいと思いますし、皆でシンプルにそれを追いかけて行きたいと思いました。

2011年12月15日木曜日

ルナシアさんの躾に学ぶ

先日、エステで素晴らしい経営をされているルナシアの取材を受けました。

ルナシアタイムズというお客様向けに出されている誌面に、何と、男性として初めて登場させて頂くのです。

それは、又、発行された際に、紹介させて頂きますが、そのルナシアさんを経営する吉野さんから以前聞いた事で、大変感心した事がありました。

それは、入社当時からスタッフには、注意されたり、怒られたりした時には、お礼を言いなさいと指導しているという事でした。

この事を教えるという事は凄く大切な事だと思います。

私は以前から不思議に思っている事があります。

殆どの日本のサラリーマンは、怒られたり、注意されたりする事を嫌がりますが、よくよく考えると、これは大変おかしいと思うのです。

学生時代のクラブ活動や、その後の趣味などでも、その事に興味のない人からすると、何故そんな、しんどい事するの?と思うようなトレーニングを行ったりしています。
しかも、特に学生時代などでは、その練習が何に繋がるかも分からないのに、鍛錬を繰り返しているのです。

ところが特にサラリーマンは、仕事でどれだけそんな練習、鍛錬をしているのか?と言われれば、あまりしていないと思います。

その中で怒られる事、注意される事は、仕事を上達させる上、同じ失敗を起こさない様にする為、又もっと重要な事は自分自身が成長する為に必要なことなのです。

しかも、仕事は趣味やクラブ活動とは違って、その事でお金を貰い、生活、人生をかけているのです。

それなのに、注意されたり、怒られたりする事を避けたり、逃げたりするという事、つまりは自分の成長から逃げる事って変だと思いませんか?

この構図が分かれば、本当は”注意して頂いて有難うございます”なんですが、それを躾けされている吉野社長と、それを素直に実践されているルナシアのスタッフの方々は、本当に素晴らしいと思います。

2011年12月13日火曜日

お知らせブログ

今日はお知らせです。

と言ってもご存知の方も多いのですが、最近ブログを少なくして、ちょっとした想いなどはフェイスブックで上げる様にしています。

フェイスブックではブログの案内というか、誘導を行なっていましたが、フェイスブックをご覧になられていない方には、案内ができていませんでした。

あまり更新しない中でもブログを見て頂いている方があるので、気づいたのですが、コンスタントにご覧頂ける方は、ウエダ本社のフェイスブックページにイイね!を押して頂くか、私のフェイスブックで友達申請を頂ければと思います。

ただ、基本的には、お会いした事が無く、メッセージなどを入れて頂いていない方は、申請をお受けしていませんので、ブログ見ていた・・など、メッセージは入れて頂けます様お願い致します。

ブログとフェイスブックを使い分けて、何らかの発信は毎日続けていきますので、今後ともお付き合い下さい。

2011年12月11日日曜日

縁と想いの大切さ

フェイスブックでも書いていましたが、昨日、法然院で尾角光美さんが、Pray for Tibet というイベントを行なっていました。

チベットでは自殺をすると、15代に渡って地獄に行くと伝えられている為、自殺する人など有り得ないという中で、僧侶が焼身自殺を謀っているという背景にあるチベット問題について、1ヶ月前、ダライラマ法王に会った事で深く知り、その問題意識から、このイベントを企画したそうです。

その彼女の行動力には、頭が下るばかりですが、この事から、強い想いや縁というものは凄いものだと、しみじみ思うのです。

実は、私がある人に紹介した事から、なんと私から数えてたった四人を経て、ダライラマ法王にまでたどり着いてしまったのです。

私などは大した役割ではなく、私が紹介した人が凄い方で、その方が、次々に凄い方に紹介された為、たった四人で法王にたどり着く事に至るのですが、それでも凄いと思いませんか?

強い想いと、素晴らしい人間性が伴うと、たった四人を介しただけで、ダライラマ法王にたどり着くという事実、そういう可能性を、我々もよーく考えるべきだと思います。

我々誰でもが、実は大きな可能性を秘めているという事なのです。

ダライラマ法王までとはいかないかも知れませんが、たった四人で凄い人に出会える、たどり着けるという事、何も特別な環境に恵まれなくとも、一生懸命、自分の思う事、世の中に対して必要であると思う事を粘り強く行なっていく事で、全然違うステージに出れる様になるのです。

殆どの人が生まれた環境や、持っている才能などで、成功する人は、ごく一部で自分には関係ないと思っている様に思います。

縁を大切にし、想いを持って日々自分を磨いていくと、誰にでも大きな可能性があるのだと思います。

かく言う私も、全然想いと、努力が足らないと思いますし、今後もより一層努力したいと思います。

2011年12月7日水曜日

今の風潮でいいのかな?

先日、FBでの躾けも必要という事を書いて、結構反響がありましたが、同じ事で、仕事上や、組織上でもどんどんフラット化が進み、垣根が無くなっていっています。

又、組織の風通しが言われ、話しやすい環境、それを作り出すのは上司の責任、傾聴し、本音を引き出し、上司(社長)は、ぐっと堪えて待つ、それが求められます。

我々の時代・・などと思うと、歳だという話になってしまいますが、こちらが正論でも反論の余地無しという事が多々ありましたし、結果(成果)も出せていない中、正論を言っても、負け犬の遠吠えで、言い訳にしか取られず、言った方が惨めな思いをしました。

上司やましてや社長など(と言っても、そこそこの規模の会社では社長と話する事や会う事、見る事すら無い)は、こちらが言ったある一言や、一面だけで、誤解も誤解、全く間違った解釈で、トンでもないレッテルを貼られたりしました。

何も、その時代、そんな上下関係が正しいと言っているのではないのですが、少なくとも、独立や、厳しい状況を経験してきた私からすれば、あの様な(教育であったのかは疑問ですが)経験ができて良かった、と心底思っています。

自分が正しい事を示す為に、言う事を聞いてもらう為に、ただ結果を出すしかなかった、という経験、それでも誤解を受け、悔しい思いをたくさんして、それでもそれ以上に又結果を出すしか、方法は無かったという経験が、何ものにも変えられない資産となっているのです。

フラット化や、上下関係の無い風通しの良い組織、物わかりの良い上司、それを当たり前の様に思っている風潮を感じてなりません。


"上司が分かってくれない" "聞く耳を持ってくれない"

私からすれば至って当たり前です。

何も今の自分の立場を擁護しているのではありません。

自分がサラリーマン時代に経験し、どうすれば好転するかを体感した事から言っているのです。

ある意味、甘やかし過ぎではないか?と思います。

仕事というのはお金を貰っている側であり、プロなのですから、そう考えると、職場に蔓延する、そんな感覚って、おかしいと思いませんか?


練習もろくにできない、設備も無い、市民ランナーがオリンピック候補になろうかとしていますが、陸連なり、強化選手は何をしているんだ!と思っていないでしょうか?

そう思うあなたは、お金を貰っている仕事や職場で、~が足らない、~をしてくれない、だからできない、と言っていないでしょうか?

2011年12月1日木曜日

11'12月ウエダ本社社報

《100周年を誇れる会社として迎える為に》

早いものでもう今年も最終の月になりました。

ビジネスにおいては、時間が重要で、いくら良い事を一生懸命行なっても、時間内にできなければそれは“仕事”ではない、とよく言っていますが、そういう意味では、我々はまだまだ“仕事”ができていません。

一生懸命やっている“つもり”、対策を考えている“つもり”なだけで、バタバタしながら、漫然と時間が過ぎていくという事を繰り返しています。

 ここから脱却する為には、やはり、遠くをはかる、理想や夢から考える、或いは逆にシンプルに、そもそも何をしたかったのか?どうあるべきなのか?を考える事、それを腹に据える事を徹底しないといけないと思います。

そういう私自身が、この数年は、未来図や、そもそもウエダ本社がどうあるべきなのか?について、しっかり考えられていなかったと思いますし、今ある厳しい状況は、私自身の思いが足らなかった事が原因だと反省しています。

来年は創業して75年目を迎えますが、再度、創業100周年には、ウエダ本社という会社は、どうありたいのか?どの様な状況を目指すのか?を考えてみたいと思います。

ここに来た際から言っている通り、ウエダ本社は、私や私の身内の会社ではありません。

皆の人生、皆の生活が掛かった場であり、皆や皆のご家族の方々も、誇りを持ってもらえる会社、周りから賞賛され、尊敬される様な素晴らしい会社に作り上げていかなくてはなりません。

私自身も100周年の際に居るのかは分かりませんし、その時点で居ない人も多いでしょう。


しかし、自分が居た会社に、家族や親戚、或いは知人が入り、繁栄していっている会社であって欲しいと思いませんか?

自分達の親族や知人が、誇りを持って安心して働ける会社を作りませんか?

100周年に向けて、日本人の仕事観や、職場環境を変革し、人々がイキイキと働く良い会社を広げていくこと、そんな、本業を通して日本を良くしていく事ができる、素晴らしい場であり、会社にしたいと思いますし、その思いから再度、下期、そして来年を考えていきたいと思います。

2011年11月30日水曜日

戦国の乱世を生き抜いた細川家の智恵

今日はメーカーの代理店会で熊本に来ておりました。

その中で、細川元首相夫人、細川佳代子さんによる表題の講演がありました。

どんな方なのか、どんな話をされるのか全く予備知識のないまま聞かせてもらったのですが、これが素晴らしいお話で、戦国時代、室町時代、信長、秀吉、家康の時代のお話を、臨場感溢れるお話で、ドキドキしながら聞かせて頂きました。

何故、その様なライブ感溢れるお話になるか?
それは細川家が源氏から足利、信長、秀吉、家康、そしてその間の明智光秀や石田三成などとの微妙なバランスの中で、生き抜いて来たという事に大いに関係があるのですが、情報収集能力に長け、その情報(記録)を大事にされていて、当時の手紙や日記が残されており、その内容などをリアルに語って頂いたからでした。

秀吉の血液型は何型か分かりますか?

これも細川家に残っていた秀吉の血判書を分析し、分かったそうですが、О型だそうです。

又、赤穂浪士の討ち入りは、ドラマなどで表される際には、雪が降っていますが、細川家の日記によるとこの日は曇りであったそうです。
ところが、その前日が大雪で、討ち入りの日は30センチ程の雪が積もっており、その為、夜でも少し明るかったそうです。

そんな話を1時間半みっちりして頂いたのですが、、あの様なワクワクする歴史の講演を聞いたのは初めてでした。

その内容は膨大過ぎて、とてもブログで纏められないですが、細川家が生き残って来たのは、この情報に長けていた点と、この先祖の一人一人の記録をしっかり伝えていくという事を大事にして来たからだというお話でした。

その事に気づかれたのは、細川護煕元総理は細川家では二十六代目になるそうですが、薬師寺の菅主であった高田好胤さんから、25代前に先祖は何人居るか分かるか?と問われたからだそうです。

1代前の親は2人、それを繰り返していって25代前の祖先は、何人居るか?

何と3355万4432人になるそうです。(検算はしてません) 
26代続いて来たという事は、それだけ多くの命のお陰で貴重な生命を与えられているのだという事を結びに仰っていました。

26代の祖先を持っているのは、細川家だけではありません。
私も、今居る誰もが皆、持っているのです。

細川家には、そういう記録があるだけで、普通の家にはありませんが、今、生きている人全てに細川家と同じく、祖先は居るのです。

そんな凄い人数の人達が生き残ってくれたお陰で、今、自分があるのです。

そんな命、人生を、自分だけの物と思っていないでしょうか?

自分さえ良ければ、或いは、自分はどうでも良いなどと思っていないでしょうか?

そんな、祖先を冒涜した様な、そんな生き方、考え方は、やはり間違っていると改めて思いましたし、歴史の話から、今が正に繋がっているというお話を頂き、祖先を知る、自分を知るという事の重要性を気づかせて頂いた、本当に貴重な講演でした。

2011年11月26日土曜日

繋がりを生む場と空間

今日、自死遺族支援やグリーフケアなどの活動を行なっている尾角光美さんが来てくれました。

今や色々な宗派のお坊さんに向けて講演(講話)をして回っているのですが、そんな事を出来る人はまず他に居ないと思います。

そんな彼女が、色々な事をたどれば京都流議定書に繋がっていると言ってくれた事は、イベントを行なっている者として、最高級のホメ言葉でした。

実際、ジャンル毎に整理している名刺ファイルには、京都流議定書のファイルがあるとの事で、知らない間に、そんな人の繋がりを生んでいるというのは、大変嬉しい事でした。

しかし、そんな場があるからと言って、誰もがそうなるわけではありません。

当たり前ですが、その本人がその場で、人を惹き付ける魅力、能力、強い思いがあるから、そうなるのであって、あくまでそれは本人の力なのです。

しかし、そんな人達が集まってくれると、その場自体がもっと強い力を持つ様になり、又色々な人達が引き寄せられていくのだと思います。

あのイベントを行なっている狙いの一つが、そんな場を作りたいという事なのですが、実は今回のJimukino‐Ueda bldg も同じ狙いを持っているのです。

今日も、ランチで1階のカフェに行くと、三々五々知っている人達が集まって来ていて、あのビルを起点に出会いがあったり、再会があったり、まだ全て入居されているわけではないのに、いつもそんな光景が起こっているのです。

そしてそんな場は、やはり雰囲気が良く、そこにいると、ワクワクとしてくるのです。

そんな場を作ったウエダ本社自体が、刺激を受け、会社全体、社員全体が、その場に来られた人々の力を頂き、イキイキワクワクした空間を作っていく事を目指していきたいと思います。

2011年11月23日水曜日

言葉の響き

先日、大久保寛司さんに教えて頂いたフレーズです。

人に浸透するかしないかは、その内容よりも、この言葉の響きに差があるというお話でした。
一番耳の痛い話でした。

この響きがないと一生懸命話せば話すほど、人は耳を閉ざしていく。
ひょっとして私の後ろから覗いてました?というお話です(笑)

しかし、この言葉の響きを身につけるには、直ぐできるという話ではなく、やはり人間力を磨くしかなく、日々精進という話だとすると、私も日々努力していこうと思います。

ただ、同時にこの手の話を聞く社員側には是非、だから伝える側が悪いという様には捉えないで欲しいと思います。
どうしても会社務めの人は、日々人生がかかっているという様な意識は無く、やり過ごしてしまうと思います。

私もサラリーマン時代には、"人生”までは考えていませんでしたが、全て自己責任という意識は持って仕事をしていました。

上司や会社が悪いからと言って結果を出せなければ、結局は自分が評価されないし、しかも上司が悪いとしても、自分の方が立場が弱いわけですから、悪条件である程、もっと頑張らないといけないのです。

遊びの場合は、できない理由を言って、納得してもらえば良いでしょうが、結果が求められる仕事では、幾ら自分が正しい事を言って納得してもらっても、誰も得をしないのです。

サラリーマンでも、この感覚を持って仕事に当ると、全く正反対と言ってもよい程見方が変わり、生き方が変わり、自分自身の人生が変わるのに・・と、自分自身の経験もあって、人より余計に強く思ってしまい、そして、何とかそのコツの様なポイントを分かって欲しい・・と、又、話してしまうのです。

すると又、社員からすると、響かない話になるのですね。

響かなければ結果が出ないわけですから、結局は、ここでも、正論を言っても誰も得をしないという事なんですね。。

日々葛藤です。

2011年11月19日土曜日

Vision & Work hard

先日、経済同友会の例会で、IPS細胞の山中教授のお話を聞きました。

有能な方は、難しい話も易しく話されるという事を感じましたが、ES細胞からIPS細胞についてのお話を分かり易く聞かせて頂きました。
そして、その可能性と、現状出ている研究費が終わっていくので、その為に作られた基金への呼びかけもされ、プレゼンとしても素晴らしいものでした。

ES細胞、IPS細胞については、私が説明するよりもネットで調べて頂いた方が、詳しいと思いますので、興味ある方は見ていただくとして、山中教授が留学されたブラッドストーン研究所で、"Vison and Work hard"という事を教えられたそうですが、その言葉を聞き、その後ずっと経験されて来られた中で、日本人はwork hard は行うけれども、visionがなく、米国人はvison はあるけれど、work hard がないと仰っていました。

日本人研究者は、夜遅くまでやっているが、5年後、10年後、何をしたいのか?が無く、その経験から、日本人には、visionは何かを問い、考えさせる事が必要だという事でした。

目の前の事をただ一生懸命・・日本人の特徴かもしれません。

素晴らしいが、それは何処に行こうとしているのか?が無いと、全くの無駄に終わる、結果として出ない、そんな事が周りにも多くないでしょうか?
うちの会社もそれが悩みでありますが、ただ、ちょっと考えてみると、もっと恐ろしい事が浮かびます。

最近の日本ではこのwork hard の感覚が大幅に低下している事です。

又、国を挙げて、これを減少させる方向に動いているのです。

当たり前の話ですが、これがセットでないといけません。

元々の気質で日本人はvisonを持つ事が得意ではありませんし、今の若い人たちはどんどん夢を持たなくなっていっています。

その上で、work hardを悪の様に誘導していけば、日本はどうなるのでしょうか?

そこが私はどうしても、納得できないところです。

そうではない!

work hardが良くないのは、機械の歯車的にただ作業として行う事が良くないのであって、自分で考え、自発的に行うworkhardはむしろ奨励すべきものだと思います。

そしてその為には、visionが必要で、それから始まらないと、自発的なwork hardは実現しません。
そこを間違えると、或いは一方方向から捉えると、取り返しのつかない事になってしまうと思います。

若者が悪いのではありません。

日本の政治家、TOPリーダー達から、全然vison が見えない事が最大の問題で、それが無い中で、TPPなども議論しても全く不毛で、お互いの一面的な主張をし合うだけの話です。

IPS細胞しかり。

一部の皮膚などからでも臓器が作り出せるなど、夢の様な話ですが、これは生物本来の姿、倫理的な事からすると、諸刃の剣でもあり、人間生き続ける事も可能になってくるのです。

それをどの様に扱うかには、大きなvisionが必要で、それ無しに扱うと、どちらにも有効でない中途半端で恐ろしい結果になりかねません。

山中教授が基金を設立されたのも、国などからの予算は、もう後二、三年で打ち切られ、そうなるとこれからこの技術で色々な展開を見せられる所で終わってしまうと、本当に、それさえあれば救われるという目の前の人も救えなくなってしまう。
そんな事になってしまうのです。

いつもそうですが、本当に日本の総理大臣や政治家達が一番、visionを持って欲しいですし、それを持たない中で、色々な表面だけの施策を打ち、visonを持たない方向に進んで来た国民が上辺だけの良し悪しで判断し、日本の良い所、良い技術を無くしてしまわない様にしなければならないと思いますし、そういう事をもっと考えていく雰囲気を作っていかなければならないと思います。

2011年11月16日水曜日

人が集まる事、動き回る事

今日は朝から福島の半田さんと、以前福島で訪問させて頂いた同業者の方が来られていました。

昼からも北海道からと、その後もある会社の大阪支社長、仕入先関連会社の社長さんが、それぞれ南ビル(Jimukino-Ueda bldg)を見に来て頂きました。

ビルを見に来て頂いた方からは異口同音に、面白い、ウエダ本社としての考え方がよく分かった(ようやく分かった)などと言って頂き、本当にビルを生まれ変わらせる事ができて良かったと思います。

又、今日初めて1階のカフェにランチを食べに行くと、今度入居される事になったテラルネッサンスのメンバーが食事をしており、思いもせぬ嬉しい面会でした。
多くの入居者の方が引っ越して来られるのは中旬以降ですが、もう既にこのビルでは、コンセプト的にも考えていた色々な融合も出てきており、良い感じです。

やはり人が集まるって良いですね。

人が集まると何かが生まれていく事もありますし、何よりもうちの会社を起点にして頂けるという事で、会社としての存在意義も感じる事ができます。

そして何かが動き出すと、今まで他で行なっていた事も、不思議と繋がっていったり動き出すもので、これからはかなり面白い展開になっていくと思います。

ホントに時間と体が足らない感じですが、それぞれ見える形にできるところまで、動き回りたいと思います。

朝から6時迄来客が続いた後は、IPSの山中教授が経済同友会でお話される事になっていたので、遅れながらも聞きに行きました。

通常多くても170〜180名程の出席なのに、何と300名以上来られており、マスコミ関係もたくさん入っていて、やはり注目度は凄かったです。

お話はなかなか面白く、しかも難しい話を大変分かりやすく話されて、本物は違うな〜と思いました。

興味あると思いますが、山中教授のお話は又後日UPします!

2011年11月12日土曜日

本物の有機

昨日は長野県の小布施で、完全なる有機農法で完全なる国産ワインに挑戦する小布施ワイナリーの曽我さんと、小布施の資産を見事に生かし、街づくりに成功されている市村町長のお話を聞きました。

まだ30歳代だと思いますが、本当に純国産で本物の有機栽培でのワイン作りに挑戦されている曽我さんのお話は、目から鱗の話ではありましたが、誠に本質を突いたお話でした。

本物の有機栽培の為には、化学品が含まれた肥料もやらない、糞を肥やしに使うと言ってもその家畜の餌が加工品であれば、それは有機ではないとの事で、痩せた土地で、自然のバクテリアなどが共生し絡み合って土壌を作り、その自然の力で育てていく事に拘りを持たれているのです。

農薬は当然使わないので、虫も一匹一匹殺していかなくてはならず、その作業は決して気持ちの良いものではないけれど、そんな殺生をしながら、それらの虫の命も頂きながら、育てた葡萄であるという事も分からなくてはいけないと仰っていました。

小布施町の街づくりのお話も、街の埋もれた資産を見出し、そこに光を当て、町民の力を引き出し、自分達の色々な力が絡み合って醸成されていく様な感じを受けました。

結局は一見全く違う話を聞いても、自治体であれ企業であれ、そして動物でも果物でも、そして土ですら、補助に頼ったり、肥料に頼ったりして、易きに流れた事は、そのもの自体の力を弱める事になり、最もやらなくてはならない事は、そのもの自体の力を強めていく事だと改めて感じました。

私も常々、何故か死生観が強く、何故この虫は生きているのか?という様な事から発想し、企業においても、この世に存在する限りは、その存在自体が、世の中の役に立たなければならないと考えていたりするのですが、その自然の摂理的な考えが、やはり正しいのだと腹に落ちた感がありました。

微生物が共生関係を生む土があれば、肥料などは要らないという話もありましたが、町であれ、組織であれ、人々が共生関係を生む土壌作りが重要なんですね。

良い土、良い葡萄を残すには、次の世代の為にという発想でかからないとできないとも仰っていましたが、人や組織を熟成させるにも、その位の覚悟を持って臨まないといけないのだと痛感しました。

2011年11月8日火曜日

as soon as possible

厳しい会社と、ゆるい会社の一番の違いは、「時間」の感覚だと思います。

又、仕事と、クラブやサークルなどのお金が掛かっていない事との差も、この「時間」が大きく関係します。

Time is money の通り、お金(数字)=時間と言っても良いくらい、密接に関係したものなので、ビジネスの世界でお金(数字)が掛かっている場合は、いくらきっちり行なっても間に合わなければ駄目なのです。

ここのポイントがなかなかうまく伝えられないところです。

日本では、おしなべて教育水準が高く、一定の倫理観を持っているので、殆どの人が一生懸命働いていて、うちの会社でも皆真面目にやってくれています。

しかし残念ながら、仕事においては、それでだけは駄目なんです。

それだけの時間がかかって、その結果、では、全く見合わない、という意識、逆に言えば、これだけの時間をかけたのだから、それだけの効果を得るという事に強い意識を持たないといけないのです。

そしてその意識を持った人が効率だけに走らず、他人の為に動くから価値があるのです。

その数字(時間)意識を持っていない人が、他人の為に時間を費やすのは、ボランティアで行なうべきであり、一見、素晴らしい事の様に見えますが、時間=お金を使うという事は、結果的に、皆の収益を減らす事になり、生活がかかっている仕事(ビジネス)上では、皆に迷惑を掛けていることになるのです。

仕事上では、甘いのは、誰の為にもならないどころか、実は、迷惑を掛けることになってしまう、それがビジネスなのです。

as soon as possible (可能な限り直ぐ)この可能な限り・・の差が、組織、個人の能力の差になるのです。

私も社長としての 「時間」に対する付加価値が低いのが課題ですね。

2011年11月7日月曜日

良い事でよかった。

うちの会社では、強制ではないのですが、毎朝清掃を行なっています。

会社周りの清掃も、全員で月一回、これは強制で行なっている以外は、数名が毎朝、自主的に行なってくれています。

今期から非常勤となられた元専務は数年間、毎朝、近所の清掃を行なってくれていたのですが、今期から来られない朝があり、その代わりと思って私も表を掃除する様にしていました。

丁度南ビルの工事も行なっていて、ご近所にご迷惑もお掛けしているので、工事を行なっていたビルの周りも掃除していました。

先日その南ビルの内覧会に来られていたご近所の方のお一人が、私の所にお越しになり、"毎朝掃除して頂いていて有難うございます”と言って頂きました。

そして又、同時に、近所のビルオーナーでもあるその方は、うちのメイン仕入先の子会社でも仕事されいている方で、そういう面でもうちの会社の事は以前からよくよくご存知だったそうです。

その方とは朝に会った覚えなどないのですが、どこかで見ていて下さったんだと、嬉しく思いました、が、同時に、これが悪い事だったとしたらと思うと、ぞっとしました。

我々の会社は、BtoBという、所謂、企業さん相手ですので、一般消費者を意識する事はないのですが、やはり、当たり前の事で、良い会社を目指すなら、少なくとも地域から尊敬される会社でなければいけないですし、一見ビジネスに関係のないと思う所でも、襟を正さなくてはいけないと改めて思いました。

殆どの社員のどこを切っても、素晴らしいと言われる様な会社に早くなりたいものです。

2011年11月3日木曜日

内覧会の位置づけ

Jimukino-Ueda bldg 内覧会はお陰様で、予定以上のご来場を頂き、又、お越し頂いた方々にも大変喜んで頂いた様で、良かったと思います。

こんな事なら、もっと、多くの方に案内し、ご覧頂いたら良かったと少し後悔?もしております。

今回はあえて、晴れがましくお披露目会などのご案内もせず、営業ベースというか、普段お取引頂いている先様中心に、営業が声がけでご案内しました。

京都流議定書も私自身は、ウエダ本社としての姿勢を表すイベントであり、あのイベントをうまく仕切れれば、プロジェクトの進め方、仕事の進め方を組織として体得し、成長できるという事で取り組んでいるのですが、イベントの評価とは裏腹に、まだまだ社員間では、本業に関係のないお祭りイベント的な感覚で、実際の営業や、業務のところではそのパフォーマンスが生かされていないところが課題です。

それだけに、今回はより本業に関わる、ひょっとすると、転換点になるかもしれないプロジェクトであったので、京都の経済界などの方々にお越し頂いて、形式的なイベントの様になり、社員達から乖離してしまっては意味がないので、この様な形を取らせて頂いたのです。

しかし、これだけお越し頂いた方々に喜んで頂き、しかもその反応から、ウエダ本社としての変化を
社員達が自ら体感していた様子を見ると、もっと多くの方々にご案内し、ご覧頂いた方が良かったか?と、欲を言えば思っています。

それとそのコンセプトから、特に不動産関係の方々から、有り得ないと言われる様に、テナントの22室が、オープン前に全室契約済みになるという状況で、大変有り難いのですが、残れば自社?自分?での使用を考えていた私としては、若干、しまった・・という思いもあります。

しかし、それは、”私”的な発想で、”動機善なりや私心なかりしか?”の教えからしても、考えてはいけない、贅沢な話ですね。。

2011年11月2日水曜日

11' 11月ウエダ本社社報

《Jimukino-Ueda bldg オープン》

1968年に建築された南ビルが、43年ぶりにJimukino-Ueda bldg としてリニューアルしました。

五条通りの南北にほぼ対面に立ち、ツインタワーと呼ばれて親しまれてきたビルも、耐震調査などから、一旦は取り壊して駐車
場にするという結論に至っておりました。

ところが一転、リノベーションで再生させる事ができ、むしろ発展的に、今後のウエダ本社の命運をかけるという程のシンボ
リックな存在として、残していく事となりました。

その役割は主に三つあると思います。

一つ目は、今後益々問題化していく古いビルの活用提案。
このままの状況が進んでいけば、京都市内もマンションと駐車場ばかりの町となってしまいます。
古いビルでもコンセプト次第では充分ニーズがあるという事を示し、高さ制限などの景観問題よりも、もっと深刻な問題である、古いビルの活用、空きビルの対策に、一石を投じるという事です。

二つ目は、スモールオフィス、ホームオフィスというSOHOの本来の意味に立ち返り、SOHOという働き方、暮し方を研究し、日本人の働き方、仕事観を変革したいというウエダ本社の目的に向かって、新たな働き方を研究していく事です。

そして三点目は、様々な人が面白がって出入りするビル、地域の人が立ち寄れるビルにする事によって、この地域の核となり、五条地区を盛り上げていく事です。

五条エリアは、京都駅エリアと四条エリアに挟まれ、単に通過する道であり、人が目的を持って訪れる地域とはなっていません。
国道一号線でもある五条通りを、ウエダ本社が核となって、人を呼び込み、発信していき、京都駅、四条エリアとは別の魅力を持つ地区に活性化させていきたいと思います。

ウエダ本社は、京都流議定書など、京都に向けて何ができるか?という姿勢で取り組んで来ましたが、この南ビルのリノベーションを機に、もっと足元を見て、生まれ育った五条に向けて何ができるか?を追求し、五条を基点に今後の京都のあり方を考えていきたいと思います。

2011年10月29日土曜日

素晴らしい学校見つけました。

五条の当社から徒歩2分というご近所に、3年半前から、つくば開成高等学校京都校という通信制の高校があるのですが、通信制と言いつつ、古いビルを改装した建物には、生徒らしき人が出入りしているし、何なのだろうと思っていました。

今週この京都校の校長さんの所に訪問して、お話をお聞かせ頂き、驚きと共に嬉しい気分になりました。

素晴らしい会社を追いかけているブロックスさんにも是非、紹介したいと思った程ですが、こんな学校がこんな隣りにあったとは・・ホントに灯台もと暗しでした。

通信制という事ですから、今の時代、学生の内の7割~8割が不登校経験者という事ですが、素晴らしいのは、勉強だけさせても、対人関係がしっかりできないと社会で通用しないので、人間的教育をする為にも通信制でありながら、登校して授業を受ける事を基本に行われているのです。

専門コースも単位認定され、そのコースも多彩で、ダンス、理美容、調理、ミュージックなど12コースあり、皆がやりたい事をやって、夢を見つける事、イキイキと生きる事を一番大事に考えているという感じでした。

校内で会う生徒さんも、挨拶してくれるし、気軽に話かけてくれるし、所謂、偏差値的に賢いと言われる様な学校の生徒よりもイキイキしている様に見えました。

又、凄いのは、97人の生徒でスタートしたのが、今では560人にも膨れ上がっているという事ですが、それ以上に、在校生
の親は勿論、卒業生や、卒業の親までもが、この学校のサポーター会を結成し、関わった人達皆で支えていこうとされている事です。

それだけこの学校が良かった、ここに行って良くなったという証の様なものですが、これで高校の間に自分の夢ややりたい事を
見つけた人と、幾ら偏差値的に高く、一般的に良いとされる大学まで行き、良いとされる会社に就職しても、目的なく無駄に生
きて行くのと、どちらが有意義かは明白ですよね?

私は人の価値はこの一点と言っても良いくらい、うちの社員や、関わった人、若い人達に、無駄にダラダラとやり過ごす様な生
き方だけはして欲しくないと思いますし、生き方に積極的になって欲しいと思います。

社員からすると、私は厳しいと思っている様です。
私からすると、私自身の経験からしても、今の対応などは、甘すぎて、ホントにこれで良いのか?と思う程なのですが、あると
すればこの一点で、ただダラダラと無意味に生きて欲しくないのです。

反対から言えば、生きている事に、無意味な事や人なんて無いのに、それに気づいて欲しいだけなんです。

そんな思いもあって、以前から教育にも結構関わっていたのですが、こんな人間性を一番大事にした学校があって、嬉しくなり
ましたし、今後又、ご近所付き合いをしながら、生き生きとした人の応援をしていきたいと思います。

2011年10月26日水曜日

本来はどうあるべきなのか?

本来はどうあるべきなのかを知っていること。

これが重要な事であり、どんどんそれが貴重な事になっている様に思います。

ソフトやシステムを組む場合でも、それを導入すれば良いのではなく、アナログで会社に合う仕組みなどを組み、それをシステム化しないとうまくいかないでしょう。

最近特に気になるのは、組織や、人の関係においてのフラットです。

良い会社にする為には、組織も階層を設けるのではなくフラット化しないといけない、人の付き合いもSNSに代表される様に、壁もなく、簡単に繋がる、確かに素晴らしい事です。

うちの会社でも、フラット化に努めているつもりです。

社員は、それでも、社長とは距離があると感じているであろうから、と、余計に又フラット化を意識していました。

しかし最近、ちょっと違う様な気がしています。

それは、本来は組織というものは、こういうもので、上司や社長というものとの関係もこういうものだという前提があれば、それをフラット化する効果は大きいのですが、考えてみると、うちの会社では、組織とはどんな形で動いていくものなのか?上司との関係で、そんな事を言えるのか?など、そんな”本来”の経験知がないので、フラット化が効果が無く、逆に管理面を強化する必要を感じています。

今日ある大企業の管理職の方とお話していました。

海外で20年以上実績を上げて来られた方で、やはりそういう方は、日本や日本人自体にかなりの危機感を持たれていました。

そんな甘いものではない、そんな感覚で生きていけるわけがない、私も持っている同じ感覚でした。

私が勤めていた瀧定の事もよくご存知で、”厳しい会社ですよね?でもめちゃくちゃ働きますよね?”と言われるのと同時に、同行していたうちの営業に”社長、厳しいでしょう?でもそれをよーく聞く事ですよ”と言って頂きました。

別に私の言う事を聞けと言ってもらって喜んでいるのではありません。
こういうポイントを何とか伝えたいのですが、なかなか浸透させられないので、他社の方から言って頂くと大変有難いのです。

本来仕事はどうあるべきでしょう?

決してお金の為だけではないでしょう。
だけど、お金を貰っているのも、それで生活しているのも事実です。

という事は、その責任を果たさないといけないですし、厳しくないと、スキルアップもできないですよね。
厳しいことを楽しめるか、楽しい好きな事を仕事にしていれば苦しくないという事はありますが、楽なこと、簡単なことなどあり得ません。

色々なツール、環境などで、簡単に繋がり、皆が気を使い、優しく接しないといけない世の中、何かそれが良いというだけではなく、そうでないと悪という様な感覚になっている世の中や組織は、大変危険だと思います。

うちの会社では、まず、本来、組織というものは、上司というものは、そして仕事というものは、という事をこの期に及んでですが、改めて考えていきたいと思います。

2011年10月22日土曜日

アップルに学ぶ日本的経営

昨日は、東陽理化学研究所という会社の前社長、本合邦彦氏のお話を聞きました。

この会社は、何と、あのアップルが探し求めて訪ねて来たという会社で、I pod の大ヒットしたデザインに繋がる鏡面の金属外装技術を行なった会社なのです。

又、私は知らなかったのですが、アップルの現副社長であるジョナサン・アイブという人が、デザイン面を一手に担当する人らしいのですが、その人が日本に来ると必ず本合さんの元を訪ね、3・11の際も、本合さんの身元を確認しろと命を出した程、本合さんへの信頼は大変なものであったそうです。

そんな本合さんだけに、勿論、スティーブジョブスもよくご存知ですし、アップルという会社のお話も大変興味深くお聞かせ頂きました。

アップルを一言で表すと、イノベーションであり、イノベーションを正確に訳すと、”挑戦する心”ではないか?との事でした。

このイノベーションという例で、本合さんは、サンルーフを開発したホンダの話、野茂選手の野球へ取組姿勢、そしてスティーブジョブスの復帰後の話を上げられていました。

ジョブス氏が亡くなった翌日、私もブログで、野茂さんの話を書いていたので驚きましたが、やはり私もイノベーションとは、誰もが考えなかった全くない事、従来発想とは対極くらいの発想から生み出されるものではないかと思います。

アップルの考えはまずデザインであり、究極のデザインはシンプルで本物の素材にあり、本物の素材とは自然界に存在するものであるという事でした。

そして、本合さんがアップルと付き合って大変驚かれた事、それは、日本人、日本企業以上に日本的経営というのか、人と人の縁や恩を大事にする事だそうです。

やはりこれも、マルコムボルドリッジ賞と日本の経営品質賞の生まれて来た背景と同じく、日本がアメリカばかりを追いかけて来て、忘れてしまい、再度、勉強しなおさなくてはならなくなった、日本の価値観ではないでしょうか?

2011年10月18日火曜日

Jimukino-Ueda bldg に生まれ変わります。

私がウエダ本社に入って来た頃は、南ビルには、”売る”という選択肢がありました。

知って頂いている方も多い様に、元々引き継ぐ前提ではなく、倒産もちらついた状況で、その立て直しの為に入って来たわけですから、不要不急の資産は”売る”のが前提でした。

その後、折角、国道一号線である五条通りに面して、しかも南北両側のほぼ斜め向いの位置にあるビルの価値、創業者を含めた先人達の事を考えると、何とか残したいという思いになっていきました。

再び、ウエダ本社として、この両側のビルを自社でフルに使える会社にする事を目指し、マンション経営というものではなく、できるだけ事業として使う事を考えてきました。

ところが、今後の活用を考えるに当って耐震調査をかけると、結果は、新築と同じくらいの費用がかかるとの事で、一旦は、壊してコイン駐車にするしかないという結論となっていました。

しかし、あまりにも勿体無いとの思いから、リノベーションをいくつか手掛けられている設計事務所さんに相談し、デザイン、コンセプトを纏め、再度そのデザインに沿って耐震調査をかけ、何とか残し、しかも面白いコンセプトで、色々な人が集まるビルに生まれ変わることができそうです。

この南ビルで40数年、会社としては70数年、五条で商売させて頂いてきた歴史を消すことにならず、私としてもホッとしています。
今後は、この生まれ変わるビルを基点に新展開を図り、京都に向けては勿論ですが、創業から今まで活動させて頂いてきた五条を活性化させていく事にも、力を注いでいきたいと思います。

ビルの内覧会は、11月1日、2日です。
是非、生まれ変わったJimukino-Ueda bldg を見に来て下さい!

2011年10月15日土曜日

現状報告

ここ最近ずっと、会社で席にもついていないという状況が続いています。

社内で居る時間は全て、営業活動に回るようにしているからです。

しかも、同行とかではなく、一営業担当として大学を回っているのです。

会社としては、社長が本来考えていかないといけない事などに時間がさけず、良くない傾向ではありますが、なかなか営業改革
ができていない事や、厳しい状況下で、一致団結して取り掛かるという姿勢を示す為にも、今は現業優先で考えております。

考えてみると、ウエダ本社において、自分が営業担当となったことなどはなく、やはり自分で回ってみると、私が言っている事
は、こういう事が伝わっていないのではないか?とか、目線の違いというものを感じました。

やはり答えは現場にしかないのですね。

そんな事で、私のブログなどでも楽しみにして頂いている方には、申し訳ないのですが、ちょっと疎かになってもどうかご容赦下さい!

本当は、外部の方に喜んで頂く為ではなく、まずは社員に向けてのメッセージや、共有したい事などを綴っているのですが。

ブログ更新を促す声が、外部の方ではなく、社員から上がってくる様な会社になると、その時には、私が営業などしなくても、
良い感じの会社に成長できていると思います。


社長が広報やブランディングの為に、ブログなどをゆっくり書いていられる様な会社にまずはなりたいですね。

でもその状態になっても、私は色々動いていると思いますが。

2011年10月8日土曜日

日本を元気にするセミナー②

セブンプラザ山口社長は、鹿児島でパパママストアと言われる様な電気店で、しかも赤字や債務超過となった店を加盟店にし、経営指導を行ない、今やFC加盟店61店のフランチャイズ経営を行なっておられます。

その精神は、”小さくてもお客様が支援してくれると大手に勝てる”という所にあり、”価格に勝る面倒見活動”で、100%離れなければ売上は落ちないとの考えから、買って頂いたお客様にどの様に喜んで頂くか?を追求されておられます。

しかし、どうしたら儲かるか?どうしたら売れるか?という仕入れて売るだけの”商売”ではなく、その間の管理をしっかり行ない、パパママストアのオーナーに徹底的に”経営”を求めていかれるのですが、そのベースには人が一番であり、幸せな人生をどう送るか?が先で、その為に、家電店を営んでいるのだという考えに基づいている様に思います。
 
戦術は目先の事ばかりで、戦略は長期的な展開を考えることとの定義も明快で、店づくり、客づくり、人づくり、は戦略である為、お客様の管理費、人件費は、費用として捉えないとの事でした。


でんかのヤマグチ山口社長は13年前、2年程の間にそれまで全く無かった家電量販店が6店も出店してきた事により、通常では諦めてしまう様な状況の中、全く逆張りの”高売り”をしようと決意され、やはり徹底的に顧客接点の強化に努められたのです。

その仕組み化の一つとして、売上評価を無くし、粗利評価に切り替えられたのですが、その事で、お客様に徹底的に尽くしても、必ずそれは成績に結びつくという構図となり、社員さん達も関係性強化を目標とされ、見事にお客さんに喜んで頂く事に向けて一丸となっておられるのです。

”旅行に行くからペットを預かって””雨が降って買い物にいけないから、調味料を買って来て”など、ありとあらゆるお客様の要望に応えられ、粗利40%を達成されているのです。

驚くべき話は、"旅行に行くから、泊まっておいて”という要望まであったそうですが、社長曰く、”これは究極の顧客からの信頼なので、これが理想です”とサラッと仰っていました。

そして、”変わった電気屋でいいんじゃないか?”この山口社長の言葉、良かったですね。

近代ホームの松本会長も、住宅業界の常識を全く覆した展開をされ、ここに至るまでは苦労の連続、邪魔や脅しもあったが、”ピンチの中にしかチャンスはない””苦手なものにこそ強みを見つけられる”との事で、住宅業界では有り得ない、お客様スタンスを追求されておられます。

そのベースには、毎日、今日が最後だと思って生きていたら、どれだけの差ができるか?という様な死生観がを強くある様に思います。

しかし、この三人の方に共通するのが、計数感覚を磨かれているところですが、松本会長も、その人間味溢れるお人柄と同時に、社内では数字でしか会話をしないという事で、これ又他にはあまり例のない、正社員として雇われている自社の大工さんにも、決算書を読める様に徹底教育されているのです。

という様に、纏めるのに、大変苦労する、学びだらけのセミナーでありました。

従来のブロックスさんのセミナーでも、たくさんの気づきや感動を頂きますが、かなり出来上がった理想に近い企業スタイル、又、何よりも社長の人間性を見せられるので、社長が自ら輝かないといけないのに、あまりにも遠すぎて、結構落ち込んでしまう面もありました。

そういう面においては、この三人の皆さんも素晴らしい人間力をお持ちなのですが、凄い逆境からの具体的なお話を聞く事ができ、私などでも、大変だと思っていた状況も、全然大した事がないと思えた事や、それに対して、対策と言える程の事が、できていない事だらけであり、本気度が全く足りていなかったと気づかせて頂く事ができ、私自身、本当に晴れやかな気持ちになる事ができました。

ウエダ本社として考えている方向性も、大いに自信を持つ事ができましたし、後は、再度、皆で役割を明確にして、シャカリキにやるだけです。

日本を元気にするセミナー①

今日は、ブロックスさん主催の第12回日本を元気にするセミナーに参加してきました。

京都流議定書でも大変お世話になっているブロックスさんの最大のイベントですから、そりゃ、参加しないと!という事もあるのですが、今回スピーカーで登場された、セブンプラザの山口社長、でんかのヤマグチの山口社長、近代ホームの松本会長のお三方のお話は、是非、聞いてみたかったのです。

そのお三方の講演前には、勿体なくも大久保寛司さんの、たった15分しかないという基調講演があり、そして皆さんの講演後は、大久保さんファシリテートのパネルディスカッションという、内容濃すぎの贅沢なものでした。

このお三方の説明をしていると、それだけで一杯になってしまいますので、ご存知ない方は、調べて頂くとして、共通するのは大変な逆境の中、通常であれば、できない理由ばかりになりそうな事に対して、逆転の発想で、並大抵ではない努力をされ、成功して来られた創業者であるという事です。

そして、皆さん、その逆境の中考え抜いてこられたので、着眼点が素晴らしい事、社員さん、お客さんを徹底的に大事にされておられる事、スティーブジョブズさんではないですが、今日一日であれば、という思いで一所懸命という言葉がピッタリの生き方をされている事、そこから来る理念をしっかり持たれている事、そして、それら想いと共に、計数管理を徹底的に行なわれている事などなど、あまりにも共通点が多く、しかも具体的なお話も多かったので、大変参考になりました。

又、我々中小企業の経営者にとって有り難たかったのは、三社とも、近代ホームの松本会長が標榜されている”グレートスモールカンパニー”という感じそのもので、規模は大きくないが、それぞれが他では真似できない顧客との関係を築かれている点など、こんな逆境の中、小さい会社でもここまでの事ができるのかと、勇気付けられる事がたくさんありました。

書き出すとやはり、内容があり過ぎて、纏め切れないので、それぞれについては次回に回させて頂きますが、私自身は、最近本当に忙しいと思っていたのが、皆さんのお話を聞いていると、まだまだ全然努力が足りなかったと痛感しましたし、そう考えると、やれていない事だらけで、改善できる事ばかりじゃないかと、変な?勇気も湧いてきました。

と、いう事で、早速ブログもこの時間まで起きて書いているのですが、とても纏め切れず、明日も早いので、今日はこの辺で寝る事にします。

続きは、連休中にでも。

2011年10月7日金曜日

誰を一番評価しますか?

ニュースでも大々的に取り上げられ、多くの方がコメント、話題にしておられますが、スティーブ・ジョブズ氏が亡くなられました。

同じ時代に生きていた中では、一番の改革者であったと言っても過言ではないと思います。

しかし、日本の若い人でも、ジョブズ氏のコメントに勇気付けられたという人が多いのには驚きました。

アメリカではあの様な0から生み出した人、初めに行なった人が、何と言っても偉い!という価値観が圧倒的に強いですが、日本では未だに、0から1を生むという事についての評価が全然低いと思うからです。

あれだけの大きな振れ幅の浮沈を経験されながら、亡くなる際には、時価総額世界一を達成されていたのですから、違う所で評価しているのかもしれません。

皆さんは、アメリカ大リーグで活躍した日本人野球選手で、最も貢献度が高い人は誰だと思われますか?

多くの人はイチロー選手と思われるのではないでしょうか?

勿論、イチロー選手が日本のプロ野球のレベルが高い事を証明した様なもので、その貢献度は文句無く高いと思います。

しかし私は、誰を一番評価しなくてはいけないか?については、圧倒的に野茂選手だと思っています。

やはり、0から1を作った人、それを最大評価すべきだと思います。
それがないと、ずっと0で何も始まっていなかったかもしれないからです。

仕事や、特に営業などにおいて、この点はよーく肝に銘じておくべきだと思います。

その仕組みを分かっていないと、いつか壁に当ったり、酷い目にあう事もあると思うからです。

仕事などがうまくいっていたり、物が売れたり、自分でバンバン仕事をしていたりすると、どうしても錯覚を起してしまいます。

でも、よく考えなければならないのは、誰がそのシュチュエーションを作っているのか?お膳立てをしているのは誰なのか?何故売れる様になっているのか?そんな事を意識できていないといけないのです。

蛇口を捻れば水が出るのは当たり前ですが、蛇口を捻って、自分はたくさん水を出したと良い気になっていたりしている人は、多いのではないでしょうか?

そんな例えであれば、誰でも分かる話ですが、蛇口を捻って水を出すのは誰でもできるのです。

多少、力の大小があり、たくさん出せる人と少ししか出せない人の差はあるでしょうが、そんな事は大きな差ではなく、誰が蛇口を捻れば水が出る様に仕立ててくれたか?が一番見るべきところなのです。

この仕事をした人が偉大なのです。

その水源を見つけ(作り)出し、水道管を引っ張って来て、捻れば水が出るという、全く0からインフラとなる様な仕組みをジョブズ氏はいくつも生み出したのです。

あの様な天才を生み出すには、天才までいかなくとも、付加価値の高い事を生み出していくには、0から1を生み出す人を評価する、その背景や元を見る事ができる人を生み出していかないといけないのだと思います。

日本は早く、目に見えない価値を、もっと評価できる様にならないと、生きていけなくなるでしょうね。

2011年10月4日火曜日

見ていてくれる事

なかなかブログを書いている時間がない状況です。

そんな中、昨日、凄く嬉しい事がありました。

東北の方が、私のブログを見て励みになったとコメント下さったのです。

東日本に対して、何ができるのか?と言っても細かい支援しかできず、自分の見た事、聞いた事を広めていく事、そしてそれぞれの課題に少しでも役に立つ人を繋いでいく事しかできないと思っていました。

それが全く知らない所で、大変なご苦労をされておられる方が、私のブログで励みになったと言って頂けるという事は、それこそ、私にとっても、ブログもそうですが、東日本への思いも持ち続けていかないといけないというモチベーションにも繋がりました。

以前にも書いた事があるのですが、私がNPOや社会企業家的な人を応援するのは、自分では到底できない事を行っている彼らに、託している面があるのです。
しかしその反面、直接的に、大変な人を救ったり、状況を改善したり、寄り添ったりしている姿を見て、羨ましく思っている面もありました。

自分ではそこまでできなくて、間接的な支援しかできないと思っていただけに、自分自身のブログで励みになったと言ってもらえたのが、凄く嬉しい事でした。

やはり人は、誰かの為、何かの役に立つという事が一番大きなモチベーションになるのだと思います。

又、同時に、私などですら、見ていてくれたという事を心強く感じるわけですから、被災地でまだまだ苦労されておられる方々の事は、皆がいつまでも思い続けて、伝えていくだけでも大きな支援になるのだと改めて感じました。

2011年10月1日土曜日

11'10月ウエダ本社社報

《原則に従って考える》

昨日、ベストセラーとなった“デフレの正体”の著者でもある、日本政策投資銀行参事役の藻谷浩介氏のセミナーがありました。

藻谷さんの理論も特徴的で、マクロ経済の専門家の中には、異論をお持ちの方もおられる様ですが、そこで使われるデーター、特に15歳から64歳までの人口統計の推移は異論を挟む余地がないところです。

誰もがこの年代層が減っていき、65歳以上、その中でも75歳以上という方々が急激に増えていく事は、想像するに容易い事ですが、問題は、その当たり前となっている事実を、言葉だけで捉えず、想像してみる、その中で自分は、どの様な状況でありたいのかを考えるという事が必要だと思います。

 ウエダ本社としても同じ事で、この人口推移を想像するだけで、オフィスという箱が、いかに要らなくなってくるかという事が想像できると思います。

その様な人口構成の世の中になるのは避けられないのですから、その中で我々は、どの様な人向けに、どの様なサービス、特徴を持っていくのか?それを考えないといけないのです。

又、個人においても、その様な状況に向かっていく中、それぞれが理想とする仕事や人生にしていく為には、どの様にすべきなのか?それをウエダ本社で実現できる事なのか?実現していく為にはどの様な事が必要なのか?を考えなくてはいけないと思うのです。

その必ず起こってくる事象に対して、できるだけ早くから、深く、考える様にして欲しいと思いますし、それができれば、どんな時代になろうとも、ウエダ本社のメンバーは、生きていけるという事になると思います。

そのどんな時代になっても生きていける人達が集い、ウエダ本社として、理念、使命から落としこんだ展開の中で、自己実現を果たしていく事、それがこれから、我々の目指すべき姿です。

オフィスという箱は大幅に減っていくでしょうが、仕事はなくなる事はあり得ません。
我々の目指すべき事は、社会人となって、起きている間の殆どの時間を費やす職場の環境を豊かにする事、仕事観を変革し、殆どの時間を費やす仕事をイキイキとしたものにする事です。

人口分布が変わろうとも、ウエダ本社としては、この原則に沿って考えていくのみです。

2011年9月30日金曜日

原子力の問題

昨日、京大のエネルギー研究所で、ある先生とお話させて頂いておりました。

その先生は福島にも国などの調査で入られておられた方です。

原発問題は、時間軸も考え合わせ現実的、マクロ的に考えるべきだというご意見ですが、あまり論じられていない事で大きな問題であるのが、原子力全体を悪者にする事により、それを目指して勉強する人がいなくなる事だと仰っていました。

原発の問題、自然エネルギーを増やしていく事、消費量を抑えていく事と、原子力自体の技術の問題を別で捉えるべきで、原子力技術の研究がここで衰退していく事になると、この先数十年かかるかもしれない、福島の放射能問題や、今現存する原子力発電所の問題なども解決できなくなるという事にも繋がるのです。

私自身、この視点は持てていなかったのですが、特に大きな問題を解決していきたければ、本当にある意味冷静に、感情論と事実分析を分け、大きな視野で考えていかなくてはならないと思いました。

日本人は特にこの点は苦手な事だと思います。

どうしても耳障りの悪い言葉などを聞くと、その下に隠れている意味を読み取れないというところがあるので、本当は必要な耳障りの悪い、厳しい話を皆口にせず、先送りや、皆から睨まれない様な結論に流されてしまうのです。

これでは、危機は乗り切れません。

我々の会社でも同じ構図はあると思います。

耳障りのの悪い言葉、厳しい話を受け入れ、広い視野で本質を考える努力をしていきましょう!

2011年9月28日水曜日

沖縄と京都、なかなかいい感じです。

最近、フェイスブックの方で松下幸之助さんの話を書いているのは、先日松下資料館でお話を伺ったからですが、これ実は、沖縄教育出版の世話人の方々が、研修旅行として来られていた所に参加させて頂いたものでした。

松下幸之助さんの話は、また、フェイスブックの方に上げていきますが、その夜も食事会、二次会に参加させて頂き、松下幸之助さんの話以外でも川畑社長のお話、社員さん達の対応や言動など、勉強になる事ばかりで、私が一番堪能させて頂いておりました。

しかも勉強とは別に、食事会は私にとって大変嬉しい光景でした。

まず京都流議定書に毎年協力してくれている嘉村氏も来ていたのですが、彼は一週間沖縄教育出版さんに行っていたのです。

有能な彼を紹介した事を、社員の方も大変感謝してくれたのですが、実は、この縁は元々、沖縄教育出版さんから始まったのです。

私が以前、沖縄教育出版さんを訪問した際、幹部ミーティング中だったのですが、川畑社長のご好意で、ミーティングが行われている横で待たせて頂きました。

するとその会議の内容を一人の女性がホワイトボードに見事に見える化していかれていたのです。

それがファシリテーショングラフィックというものだと教えて頂いた私は、京都に帰ってから嘉村氏に
うちの会社向けに行ってもらったのです。

海外の研修手法を研究している嘉村氏に、先日見せて頂いたファシグラを行ってもらったという報告を川畑社長にさせて頂くと、又、川畑社長は直ぐ、そんな人なら是非紹介してくれとなり、嘉村氏が1週間も沖縄教育出版さんに行く事となったので
す。

面白い繋がりでしょ?全ては沖縄教育出版さんで、ファシグラを見せて頂いた事からなのです。

そして又、この嘉村氏は、この食事会に来る前は、彼がファシリテーターを務めている京都市の100
人委員会で門川市長と一緒だったそうなのですが、その際、川畑社長が来られている事を言うと、是非会いに行くということで、遅がけにわざわざ市長がお越し頂いたのでした。

これも先日の京都流議定書の鼎談で、コーディネイトさせて頂いたご縁で、京都市長が沖縄の会社の社員旅行に顔を出してもらうという事に繋がったのです。
京都市長と沖縄教育出版の社員さんとが話されている光景を見て、私達の関係から沖縄と京都がどんどん絡み合っていっている事に大変嬉しくなりました。

喜んでいたと言えば、この日のコーディネートを行ってくれた人見社長は二次会で、川畑社長の言われている事が分からないという事が分かったと言って喜んでいました(笑)

何でも理論的、体系的に物事を考える能力が卓越している彼には、全く分からないという事が新鮮であった様ですが、こんな滅多にない激論?もできる縁に、本当に感謝の一日でした。

2011年9月25日日曜日

不況また良し

最近、ブログをかなりサボっておりました。

サボっていたというよりも正確には、書けなかったのです。

珍しくというか、この何ヶ月か、悩んでおります。

経営者ですから年中悩みはありますし、私も独立した時から数えると、社長ももう18年やっている事になり、ゼロからの創業期、倒産の危機に直面して必死に動いていた時期、今より大変な事も一杯ありました。

しかし最近感じていた様な悩みは、初めてというか、禅問答の様な深みにはまっておりました。

それを書いて行こうとすると、又、はまっていくので止めておきますが、昨日、昨年の京都流議定書にもお越し頂いた、松下資料館の川越前館長のお話を聞く機会を頂き、少し気が楽になりました。

”不況また良し”不況や厳しい状況こそ、人であれ、組織であれ、成長する事ができる。

そういう事を改めて聞くと、ゼロから創業した事の事を思えば、倒産の危機に直面して七転八倒しながら行なってきた事を考えれば、全然大した事はなく、今後の展開に向けた壁なのだと感じる事ができました。

厳しい状況が続く中、思っている方向に向けての展開がなかなか進まず、焦っている面もあったのですが、今出ている状況は過去に問題があったからであり、先々をしっかり見据えて、今後成長していく為の試練を与えてもらっているのだと捉えると、不況また良しという事を心底思えると思います。

という事でブログはまたボチボチと。

2011年9月19日月曜日

社会に出て活躍できる人材育成を

最近、何年かぶりに、大学に営業で出入りする様になりました。

実は、私は以前から独特な繋がりがいくつもあり、教育業界?には、少し精通したところがあって説明しきれない意外な関わりを持っております。

大学だけではありませんが、学校に出入りする度に、今の学生は本当に恵まれていると思います。

授業やクラブ活動以外にもプロジェクト的な活動、ボランティア、社会貢献的な活動を学校もサポートしている面もあり、詰め込み教育だけではない、人間性を豊かにする様な取組もされている様に思います。

しかしそれだけ恵まれているにも関わらず、今尚、企業に入って、活躍できる人材とのギャップは埋まるどころか広がっている様に感じます。

こうなった原因は、イデオロギー的なものも絡んで、何の為の教育なのか?という事が永年抜け落ちてきた、もしくは歪んでしまった事だと思います。

一部の研究者は別として、社会に出て働いていく為、もっと言えば生きていく為に勉強し、教育を受けていく筈であるのに、道徳や宗教、産業や経済というものを排除していった為に、実社会や生きていく上での教育ではなく、大学へ行く為、良い(一般的には有名であって大きい)会社に入る事が目的の知識だけの勉強となってしまったのです。

知識だけの教育が実践で無意味な事は、日本の英語教育を見れば、証明されていると思います。

一方、学生側はデジタル化により、表面的に判断を下し、言葉の真意や深いところを読めない傾向が進み、地域との関係が薄れ、核家族化していく中で、”個”が強まって、他者への配慮や心情を読むという様な事ができなくなっている様に思います。

簡単に言えば、わがままで我慢できない(打たれ弱い)という特長であるのに、知識は豊富で自分は賢いと思っているので、素直に従う、兎に角まずやってみるという事ができない中、自分探し、夢探しをしている人が多いのです。

グローバル化は何も英語だけを覚えれば良いのはありません。
世界で戦っていく為に、もっと重要なのは、生きていく力だと思います。

教育だけではありませんが、社会の環境全てが、今後活躍できる人材とのギャップを広げていっている様に思います。

そう考えると、大学(教育)改革は、思い切りやれる事があり、従来の偏差値だけでのランキングでは下位であった様な学校が、大逆転していける要素が大いにあると思います。

折角、又、大学へ出入りしていく事になるので、社会に出てから活躍できる人材育成、それを進めていく一助となる様、動いていきたいと思います。

2011年9月14日水曜日

JAL提携の裏でのイイ話

先日の盛和塾で聞いた深イイ話(番組は無くなりますかね?)です。

JALは米国では15年以上も2社とアライアンスを組んでいたが、再建計画の中、社内では新たに提携オファーをして来た、デルタ航空と組む方がメリットがあるとの事で、2社とのアライアンスから切り換えようとしていたそうです。

稲盛さんは、長年のパートナーとトコトン話し合いもせず、そんな事で良いのかもう一度全役員で考える様指示され、一週間の再検討の末、従来のアライアンスを維持するという結論を役員で決めたとのでした。

このニュースは新聞で見ていましたが、裏ではこんな話があった様で興味深く聞かせて頂きました。

又、この事に気をよくされたアメリカン航空のアーピー会長が、是非稲盛さんに挨拶したいと来られたそうなのですが、素晴らしい話はなお続き、日本への機中で、稲盛さんの事を知る為に、”生き方”の英語版を読まれた会長はその考え方に大変感激され、その後の提携交渉はお互いを尊重するものとなり、以前よりも強固なパートナー関係を築く事ができたとの事でした。

それだけTOPの考えというものが重要なのだと再認識すると共に、アメリカ人に対しても、その様な”価値観”が効果的であった事に驚きました。

しかもこの本に感激されたアーピー会長は、帰国後、全役員にこの本をプレゼントされたそうです。

稲盛さんは経営者たる者、自分の心に規範を持たなくてはならなず、それは人間として何が正しいのか?で考えていかなくてはいけないと言われるのですが、原理原則に基づいた事は、人種や国籍なども関係なく、全世界で通用する事だと言われます。

崇高な思い、強い信念があると、確かにそうなのかも知れません。

日本人同士、少人数でも伝えきれていないのは、やはりTOPの思いの高さと強さの差という事なんでしょうね。

JAL提携の裏で繰り広げられた、ちょっとではなく、かなりイイ話でした。

が、私も含めた経営者には、大変厳しい話ですね?

今ここに生きている

チーム福島のメンバーがある所に集まっているからと、ホテルに荷物だけ置いてすぐ向かいました。

チーム福島というのは、福島をよくしていこうと若手経営者を中心に集まっていたグループですが、大震災が起こって考えてみると、この復興の為に結成していたのではないか?と言われていました。

本当に皆さん、志の高い方ばかりで、初対面なのに、初めから打ち解けて突っ込んだ話もさせて頂きました。

話していて、何故皆さんから力強さを感じるのかを考えていたのですが、それは大変な事だらけ、やってられない事だらけの中、使命観に燃え、"今ここに生きている"という感覚をお持ちだったからではないかと思いました。

団塊の世代以降か、少なくとも私の少し上の年代の方では、この様な"今ここに生きる"的な感覚を持った方などおられないと思いますし、私はそんな雰囲気を感じさせられる方にお目にかかったのは初めてでした。

不謹慎と思われるかも知れませんし、ご批判は大いにあると思いますが、今の日本では、人間として生きているという事を無駄に、浪費している様な人が多い事を考えると、トンでもなく大変だと思いますが、毎日を戦っていて、"生きている"感覚を持たれているこの方々の方が凄く濃い人生を歩まれている様にさえ感じました。


また、必ず復興していくと思いますし、そうしないといけないのですが、復興を遂げていく中で、この今の日本において、その様に毎日を張った状態で生きて来られた方々は、凄い人物になっていかれると思いますし、今後の日本の救世主になっていかれるのではないかと思います。


その為にも、被災していない地域の人々は、絶対的に思いを寄せ続けていかないといけないと思います。

その為にも、もう本当に下らない論議は止めましょう!

そして、本当に私利私欲なく、国の為、被災地の為に自分が批判を浴びようとも、考え、行動できる人を、皆で応援していく様に変えていきませんか?

2011年9月11日日曜日

福島の光

福島にも希望があります。

今回会った人々は、ひょっとすると極端に凄い人ばかりだったのかも知れませんが、それでもこれだけ素晴らしい志を持った人々がおられるのには、ある意味衝撃を受けました。

まず初めに郡山に入り、ある方と会食する事になっていたのですが、その場所となっていた、しゃぶしゃぶ温野菜という店に、いきなり驚かされました。

ここも福島ひまわり里親プロジェクトの半田氏が採用と教育に関わる店ですが、半田氏が次々と私の元に高校生、大学生のアルバイト、新入社員、二年目の社員などを呼び、何故ここで働いているのか?働いてからの気持ちの変化などを話させるのです。
いきなり呼ばれて難しいフリをするなあと思っていると、彼らは臆することなく、それぞれが、しっかりと自分の考えを持っていて、ここで働く意味、生き方を見つけたという様な事を熱く語ってくれるのです。

しかし、初めから雄弁な人を採っているのではなく、むしろどちらかと言えば、コミュニケーションは問題もあったという人で
あったらしく、今でも、話し方がうまいという事ではないのですが、自分の考えを腹から話をしていて、ずっしりとこちらに伝わってくるのです。

この高校生達は何?と驚くのですが、そう思っていると瞬間的に又、この光景は社長の差?と、自分が落とされてしまいます。

いくつか彼らに質問をしていくと、たかだかと言うと失礼ですが、この店を率いる29歳の社長に、自分を変えてもらった、生き方を教えてもらったなど、皆が異口同音に社長への感謝や思いを語るのです。

しかも、ほんの3年程でここまでの状況、"イマドキ"の学生や、卒業したての若者達をここまで意識改革させている姿を目の当
たりにすると、TOPの差をつくづく思い知らされました。

食事がほぼ終わった頃、店内の電気が消され、カーテンが開けられると窓の外の駐車場には扮装した店員さんが数人居て、音楽にノリながら、花火を持って踊っていました。

こんなショーをやっているのか?と思っていると、何やら誰かの誕生日で行っている様子でした。
すると、私のテーブルにケーキが運ばれ、お客さんもこちらを見ていたので漸く気づいたのですが、このお店から私への、1週間遅れの誕生日お祝いだったのです。

1週間前にもサプライズで祝ってくれた半田氏が、店に情報を入れてくれていて、このホスピタリティー豊かに育った店のスタッフ達がやらされ感なくホントに楽しそうに行ってくれるのです。

一度福島の現状を見に来てくださいと言われて、街全体が暗く、意気消沈しているイメージを持ちながら、初めて降り立って入った店がこんな状態だったのですから、この状況をどう捉えたらいいのか、全く頭の整理がつかなくなりました。

という状況でしたので、当日のフェイスブックには、福島は熱い!と入れる事になったのですが、これだけでは終わらず、この後、チーム福島のメンバーが夜な夜な集まる所に合流し、福島の熱い人達の思いや、課題を聞かせてもらいました。

これはまた次回に書きます。

2011年9月9日金曜日

福島に向けて誰もができる事

一昨日夜と昨日だけでしたが、初めて福島に行ってきました。

震災後という意味ではなく、生まれて初めての福島だったのですが、まず下り立った郡山駅周辺は、あまりにも普通の光景である事に驚きました。

福島にいる間、大人でマスクをしている人を一人も見ませんでしたし、ショッピングや外食などもこちらでの様子と全く変わらない光景でした。

しかも初日に会った面々は、何とか福島を再興しようとする素晴らしい志を持った人達ばかりで、想像していた被災地の光景とのギャップに面くらいました。

しかし実際深く話しをしてみると、やはり各家庭、各個人に凄まじいドラマがあるのです。

9歳のお子さんと人生や、生死についてトコトン話合い、そのお子さん自身の結論で、避難せず残る事を決断したが、5年後、10年後に、もしその子が癌にでもなれば、自分は一生悔やんでも悔やみきれないだろうと仰る方や、どこの家庭でも、夫婦
や、親子や、親戚で、震災、いや原発問題が無ければ、揉める必要もなかった身内が喧嘩ばかりしたり、いがみ合ってしまったりしたとの事でした。

一人もマスク姿を見なかったという大人たちの異常?な姿とは反対に、通学時には自治体から支給された放射能測定器を首から掛け、マスクをした子供達の姿に出会います。

ただ、これはとても子供達を守るという主旨とは思えるものではないのです。

自分達では数値が見れず、3ヶ月後に役所に届けると、基準値以下か以上かの結果だけが知らされるという、データー取りが目的?としか思えない様内容なのです。


そう、親達も疑いながらも、3ヶ月後で、数値自体を教えてもらえなくとも、子供達の為に何も分からないよりもマシだと、すがる思いで着けさせているのです。

一見どころか、どう見ても震災前と全く変わりのない光景でありながら、こんな状況が、いつまで続き、その先にどの様な事が待っているのか?分からない中で生活をされている姿は、岩手で見た、全て無くなったしまったという光景とは又違って、胸が締め付けられる思いがしました。

昨日は半田さんが車で、ガイガーカウンターを乗せ、福島市から飯館村まで案内してくれました。

ダッシュボードにカウンターを載せて走っているだけでも、数値が高まる所も多く、しかも原発への距離や、周りが小高く囲まれているか、開けているかなどが数値に影響するという規則性はなく、測っていないと、何処が高いのかは分かりません。

飯館村は原発から40キロ辺りに位置し、避難命令が出て立ち入り禁止となっている20キロ地区とは違って、住むべきではないという地区で、それは、危ないけれど保証はしませんという意味なのです。

そこは立ち入り禁止ではないだけに車は往来しているのですが、両側の店、会社、家はほぼ全部閉鎖されているという、異様な状況でした。

こんな状況に対して我々が何ができるのか?頭の整理がつきません。

又、岩手の時もそうでしたが、たかが一日か二日、しかも見に行くだけという様な事で良いのか?そんな思いもずっと持っていました。

しかし、やはり現地へ行ってみないと分からない事だらけでもあり、多くの人が、その現状を知ってくれているだけでも、現地の方にとっては大きな力添えになると思いますので、行ける人は少しでも現地へ行き、一人でも多くの人に伝えていく事、それだけでも大きな力になると思います。

"この時期によく福島に来てくれた " そう言って喜んで頂いた様子を見て、モヤモヤが取れた様な気がしました。

誰でもができる大きな貢献は、その人や、その場所に思いを寄せる事、寄り添う事なのだと思います。

2011年9月7日水曜日

いい会社( オフィス)を作りましょう!

今東京です。

最近ブログはサボり気味で、今日も寝ようとしたのですが、色々考え事をしていたら、寝れなくなったので、想いの一つを書くことにします。

今日は、ある大企業のオフィスを特別に見せて頂きました。
考え方が素晴らしいという事で、ある方から紹介して頂いたのです。

確かに今まで見たオフィスの中で、最も素晴らしいと思いました。

一言で言えば、オフィスに明確な意図があるのです。
しかもそれは人間をベースに考えてあり、しかし単に楽しいでだけではない、仕事は成果を出すものだという、そんなメッセージを感じました。

殆どがフリーアドレスで、あちらこちらにミーティングスペースがあり、それも画一的ではなく、それぞれに違う意味を持っており、休憩スペースや集中スペースなどもしっかりあり、全てにメリハリが効いています。

社員の方は事務も含めて全員が、いつ、どれだけ休憩していようと構わないし、どこの場所で仕事をするのも、自分で決めているのです。

私の理想とするのは、正にこういう事で、日本が最大に遅れている部分は、このポイントだと思うのです。

工場は、カンバン方式を代表する様に、日本式は最高だと思いますが、一つのパーツを右で取るのか、左で取るのかまで、追求して工程を組んでいる様な会社でも、オフィスは、みすぼらしかったり、そこまでいかなくても、従来の日本式の事務所的な所が殆どです。

事務所はバックヤードであり、出来るだけお金をかけないというのが、日本では超優良企業でもスタンダードな姿です。

これ自体がまだ日本はプロダクトアウト型のモデルで動いているのです。
要は商品を安く良い物を作れば、勝手に売れて行くという時代のままなのです。

マーケットインどころか、コンシューマイン、要はお客さんに聞け!と言われる時代、お客さんには誰が聞くのでしょうか?
自社で働く社員さん達です。
そこが生産性が悪ければ、マーケットで残っていけない時代に、日本の大多数の会社は、そこで働く人のモチベーションを考えていないのです。

そこが分からないのに、色々制度だけ導入したところで、効果が上がらないのは当然の話だと思うのです。

私は何とか日本人の仕事観を変えたい、それができないと、日本はどうしようもない国に成り下がってしまうという危機感を持っているのですが、その為には、今日お邪魔した様なオフィスにメッセージを込める、しかも人をベースに考える様な会社を増やしていかなくてはなりません。

そんな会社が増えれば、ウエダ本社も儲かって、素晴らしい会社になれると思います。

よく出来た話でしょ?


でもこれがうちの会社の、存在価値であり、事業を通しての社会貢献であり、理念とミッションが一致したところなのです。

いい会社(オフィス)を作りましょう!

2011年9月5日月曜日

厳しいながらの・・予感

実は、今月末に四人もの退職者が出ます。

今年に入って既に辞めた人もあり、良くない傾向にも見えると思います。

しかし、退職者が出るという事自体については、うちの会社の今の段階において、私は決して悪い事ではないと思っています。

今までが、誤解を恐れず言うと、離職率が低すぎたというのか、違う山、違う方向を目指しているにも関わらず、同じパーティーで山に登っているという感じもあり、それではお互いにとって、良い関係は築けないと思いますし、毎年、入社したいと思ってくれる人に入ってもらう事ができないという問題もありました。

別にウエダ本社のスタンスが正しいと言っているわけでもなく、その価値観に合わない人が悪いと言っているわけでもありません。
価値観が違うだけの話ですから、二度と戻って来ない人生、やはり自分の価値観に合う所、或いは、合わせていける所で、働くべきだと思うのです。

私が思う、一番つまらない人生は、社会人になってからの殆どの時間を費やす仕事を、イヤイヤ行なっている事ですから、自分に合うところで、イキイキと輝いて欲しいと思います。

しかし、そんな中で残念な事は、価値観が問題ではなく、仕事もやる気があるというのに、家庭の事情や、個人的な事情で辞めていかなくてはならない人で、特に介護などの家庭の事情という人などに対しては、今後益々増加する問題ですから、何とか良い策がないものか?を考えていきたいと思っています。

一時期であっても人数が減る事は、厳しい面はありますが、少しづつ連携の芽が出てきたり、今までになかった良い感触も出てきており、漸くウエダ本社も雰囲気だけはほんの少しですが、反転の兆しを見せていける様に思います。

今出ている成績は厳しい、そして社内的な課題も山積する中、人数も減り、なかなか大変な筈ですが、残ったメンバーの多くは、むしろ、今まで無かった、”やるしかない"的な感覚、そしてそれぞれの行なっている事、役割が見え出しているという事で、何となく良い感じがしてきています。

ブログをご覧頂いている、お得意先様や仕入先様、そして色々なステークホルダーの皆様、この芽を大事に育てていける様、是非ともご協力お願い致します!

2011年9月2日金曜日

素晴らしい研修後の悩み

研修を行なうとよく落ち込みます。

昨日も全員研修を行なっていて、来て頂いている素晴らしい先生のお話は、すーっと皆に入っていくのです。

落ち込むというか、モヤモヤする理由は二点あります。

まずは、自分の問題で、何を言うのかではなく、誰が言うのかである。とよく言われる通りで、私がずっと言い続けている事でも、ある人が言うと、初めて聞いたかの様に、皆に入っていくと、それを浸透させられない自分自身の人間力の無さを痛感させられるところです。

よく、営業については、"商品を売り込むのではない、相手のスタンス、ニーズを引き出し、それに最大に対応できる事を考えるのだ"と、偉そうに言っている私ですが、社員に向けては、"考え"を売り込んでいる形になっているのだと気づかされます。

それでは相手の心に入っていかないですよね。

結局は、こちらから言っている間、そして相手が聞く気にならないと、売込みになるわけですから、それじゃ、もう言わない様にしようか?とも思ったりする事もあります。

しかしもう一方で、お客様と違って、社員には、やはり駄目と思う事は、何と思われようと本人の為にも言うべきだと思います。

又、研修だから、先生の話し方がソフトでうまいから、入ってくるという、相手依存の事ではなく、日々の中でも、自分から吸収していく様にならないと、本質的な生きる力が備わらないと思うのです。

自分自身も経験があるのですが、これが分からなければ成長できない、うまく進まない、というポイントがあるのですが、それが理解できない間は、言われる事に対して、何でそんな事を言われるの?と反発こそあっても、腹に落ちる事はありません。

しかしそれは又、見えなければ一生見えないかもしれず、逆にそこさえ分かれば全く違う世界が見え、私自身、その体感があるので、社員には、何とかそこを分かって欲しいと思うのです。


素晴らしいお話や、研修を聞いて、単に良かったーと言うだけではなく、その研修が行われている背景や現状を考え、お話で納得したポイントを、どの様に自分や自社に生かし、改善していけるのか?を考えていく事ができれば、そこから漸く本物に向かっていけると思います。

2011年9月1日木曜日

11’9月ウエダ本社社報

《 変化しない事が悪 》

野田新首相が誕生しました。

失われた二十年、サブプライム問題後、ようやく明かりが見えかけてきた段階での大震災、原発問題という大変な状況下であるにも関わらず、その危機感が全く感じられない選挙でした。

首相を決めるに当たり、ほんの三日間の政策論争、国民の意向は全く通らない、民主党国会議員のみで、数の論理、自分達だけの思惑、私利私欲で決めるという、情けない限りの攻防が、繰り広げられました。

しかし、今までがあまりにも酷かったので、少しは動くのではないか?という期待は持ちたいと思います。


一昨年は総選挙、昨年は民主党の代表選と、振り返ってみると毎年9月には、首相が代わるという異常な状態が続いており、世界から見て、まともに相手される状況ではないだけに、一刻も早く狭い了見ではなく、先々を考えた国家運営を行ってほしいと思います。

しかし、国会議員が狭い了見ではなく・・というのも変な話ですが、どうしてこの様に、大局からモノを見る人、考え、行動できる人が居なくなってしまったのでしょう?

政治家の世界だけではなくどの世界でも、所謂リーダータイプが減少していると思いますが、それには教育の問題が大きく影響している事と、社会的な環境も大きい様に思います。

少しでも失敗したり、行き届いてない事があれば、鬼の首を取った様に責め立てる風潮が世の中を歪めている様に思えてなりません。

そんな中では失敗しない様に安全な道を選ぶ様になり、そんな事では危機を乗り切る変革などできるわけがありません。

ここ数年の日本の政治を見ていても、現在の日本では、批判を恐れて従来通りに継続していく事や、何もしない事の方が状況を悪化させていくと思います。


 ウエダ本社でも以前から積極的な失敗は奨励すると言ってきましたが、何もしない、変わらない事は悪だ!くらいの感覚で、是非、再度、思い切った意識変革を図っていきましょう!

半田さんから学ぶ

福島ひまわり里親プロジェクトの半田氏から、6枚の手の込んだお祝いメッセージを頂きました。

まだほんの二ヶ月程の付き合いですが、不思議と何年も前から思いを同じくして来た同志の様な気がします。

意外と深く付き合っている人というのは、年数とは関係なく、如何に表面的ではなく深いところで繋がっているのか?で決っていると思います。

半田氏は支援者をどんどんひきつけていく魅力を持っていますが、そのベースは常に与える事を先に考えているところにあると思います。

原発問題発生後、会社放ったらかしで奔走されていますが、その姿勢も大変な状況だから、”下さい”ではなく、支援を必要としている彼の方が、会った人達に、感謝や、笑顔、そしてパワーまでもを与えているのです。

この姿勢は、なかなかできるものではないし、私よりもかなり年下ではありますが、凄い!と心底尊敬します。

よく寄付などを集めに来られて困るケースは、良い事やっているんだから、こんなくらいは協力してくれて当然でしょう?という姿勢で来られる事です。

又そこまでいかないまでも、御礼も何もないというケースは結構あります。

世の中に良い事をしているかもしれませんが、それに協力を求める姿勢としてはおかしく、そういう基本的な事ができない人では、やはり、最終的にはうまくいかず、結局は世の中の為になる活動にはできないのではないかと思います。

会社での寄付であれば、額が小さいものであっても、それはそこで働いた人々の努力の結集であり、そこに関わる仕入先さんなどの協力があったからできたことかもしれません。

そう考えると、どれだけ多くの人が関わって上げた利益なのだという事を思うべきだと思いますし、紹介などにしても、その紹介ができる背景には、どれだけの信用の積み重ねがあったのか、そんな事が分かれば、必然的に態度には表れるし、そんな重みを分かる人にはどんどん支援が集まるのではないかと思います。

私も少なくとも、もらって当然、”下さい”から始まるのではなく、先に役に立てないか?と考えられる人でありたいと思います。


2011年8月28日日曜日

リーダーシップとマネジメント

以前、鬼澤さんのブログで紹介されていた、”リーダーシップの旅”という本を読んで、いくつも参考になるところはあったのですが、うちの内部で整理しなければならないのは、リーダーシップとマネジメントの違いだと思います。

その違いは三点挙げられていて、まず一点目は、リーダーは見えないものを見て新しい世界をつくり出すのに対し、マネージャーは見えるものを分析して問題解決を図り、二点目の人としての働きかけでは、リーダーは人々の感情や価値観に訴え、マネージャーは地位に基づく権限で働きかける。
そして三点目は、リーダーは人々の内在的な意欲に基づく自発的な行動を誘発し、マネージャーは飴とムチを使って行動をコントロールし、ある方向へ向わせようとする。との事です。

これらが、しっかり共通認識できておらず、ごっちゃになっている感じですので、まずもって、私と社内のリーダーとの役割を再度明確にし、社内のリーダー達には、ここで言うマネージャー役に徹してもらい、私はリーダー役に専念したいと思います。

しかしそんな目で民主党の首相候補を見た際、誰がリーダーに向いていると思いますか?
日本のTOPになって、国民が情けない思いになる様な人では、それ自体がリーダーの資質がないという事だと思うのですが。








2011年8月25日木曜日

大人が行きたがる職場に

昨日は、”日本一楽しい歯医者さん”ヨリタ歯科クリニックさんが年二回開かれている”カムカムフェスタ”にお邪魔して来ました。

何をしているの?と思われるかも知れませんが、実はこれも京都流議定書からの流れです。

京都流議定書で話を聞いて頂いたヨリタ歯科の新谷さんが、このカムカムフェスタで福島ひまわり里親プロジェクトの話を紹介して頂けるという事となり、それをひまわりプロジェクトの半田さんに言うと、噂には聞いていたヨリタ歯科さんなら、むしろ行きたいという事になり、福島から来て頂いたのです。

わざわざ福島から来て頂き、元々はうちのイベントでの話しでもあり、これは責任上、私も同行して紹介しないと、と行った・・・というより実は、紹介という口実で私もヨリタ歯科さん、しかもDO ITで見ていたカムカムフェスタを見てみたいというのがホンネでした。

半田さんと半田さんの顧問先でもある、のぞみ鍼灸整骨院(ここも素晴らしい所でしたので、又、書きたいと思います)のスタッフの方々と行ってきたのですが、やはり、本物は違うという感じを受けました。

イベント用に、一見、保育園?という様に飾られている設えも、凄いと思いますが、やはりスタッフの方々が、何の為に?をしっかり持たれていて、その思いのレベル差(温度差)が無い所に凄さを感じました。

子供達相手に、皆さんがNHKの”お母さんといっしょ”のお兄さんとお姉さんという様な感じで演技、対応をされていましたが、やらされ感などはなく、楽しそうに、そしてそれが嫌味が無いのです。

この嫌味が無いという点が一番難しく、大きな差なのだと感じました。

嫌味なくという意味は、自然体であるという事です。

ポーズや、形式だけでやっていたり、狙いでやっていたりという域を超えて、自然に力む事なく出来るので嫌味なくとなるのです。
そしてそれは、居心地の良さになるのだと思います。

これを一部ではなく、30~40人おられる皆さんがそんな感じなのですから、やはり遠いなあと感じるわけです。

そんな医院に通っているお子さん達ですから、歯のケアについての意識は高く、コント内で、”歯を守る為には何を塗れば良いのかな?”と問いかけられると、皆、口々に”フッ素ー!!”と叫んでいました。

子供が行きたがる歯医者さんを作り上げられた寄田先生とヨリタ歯科の皆さんですから、大人が行きたがる職場(会社)などを作るのは、わけないでしょうね?

教えて頂く為にも、歯の治療に東大阪まで通おうかな。。



2011年8月22日月曜日

我々も意識変化を!

実は今日、前原さんの後援会がありました。

この凄いタイミングで・・ と思って行ったのですが、どうしても今晩東京で仲間と相談しないといけないので、とのことでドタキャンになりました。

何せこの時期ですから、しょうがないですね。

民主党の議員だけ、全く国民の意思の届かない中で決める代表選は、ホントに情けない事に、小沢さんや鳩山さんの数にすがる人達が日本の総理候補として数多く立候補しています。

確かに数を取らなければ意味がないという政治の世界でしょうが、プライドや、使命感や、国家観などはどうしているのでしょうか?

この激動下の世界環境の中で、3・11後の日本は、私利私欲を捨てて、先々の大きな展望を描け、いくら批判を浴びようとも未来の日本、世界を考えて、正しいと思う事に向けて立ち向かって行ける人が、どうしても必要なのです。

私が直接知る限りでは、前原さんはそれができる唯一の政治家だと思います。

本当はここで出てもらうのではなく、もっとしっかり長期的に展開できるタイミングで出てもらいたいですが、今回出られるとしたら、民主党の議員さんは、党内の数や自分達の利益で考えるのではなく、是非国民の事、被災された方々の事を考えて行動して欲しいと思いますし、我々国民はその点をしっかり見極め、ワイドショー的に表面的な下世話な論議に振り回されないという強い姿勢を見せなければならないと思います。

責任も取らない人が批判や足を引っ張る事ばかりやっていたら、当然、やれば損という社会になり、沈んでいくのを待つだけとなってしまいます。
そういう構図に、国民一人一人がもういい加減気づいて、今回は大きな意識変化を見せつけませんか?


2011年8月19日金曜日

仕事が趣味では駄目ですか?

先日、朝礼で新入社員がこんな事を言ってました。

お盆休みに友達と会っていたが、ついつい仕事の話をしてしまうと、”お前面白くなくなった”、”仕事の話は良いから、もっと楽しい話をしよう”と言われてしまったと。

私はこの話を聞いて、凄く嬉しく思いました。
ある意味この新入社員は友達よりも大きく成長してくれているという事ですから。

現に、今まで本など殆ど読まなかったという彼が、休みの間にビジネス本ばかり、しかも自分の課題だと思うテーマで6冊も本を買ったというのです。

半年も経たない内にこれだけの変化を見せてくれるというのは、本当に嬉しい事です。

しかし、何故、日本ではこの様な、仕事を一生懸命やる事に対して、マイナスイメージの様な風潮が
あるのでしょうか?

これは意外と経営者の間でもあるのです。

私自身、趣味と聞かれていつも困るのですが、”仕事”が一番興味のある事であり、あまりそれ以外に興味が沸かないのです。

以前、今や世界的アーティストになられた堀木エリ子さんと、趣味が仕事と言うと、面白くない人間と言われけれど、でもそれしか興味ないからしょうがないですよね!と意気投合した事があります。

あれだけの実績を収められている堀木さんなら分かるが、お前が言うな!という声も聞こえてきそうですが、私が言いたいのは、日本では、やはり仕事=辛いもの的な考えがあるからこの様な感覚になるのではないか思います。

独立創業した人は、元々好きでやったわけですから、一番興味がある、或いはそれしか興味が
無いというものが仕事の筈で、堀場さんではないですが、仕事が”おもしろおかしく”であり、仕事なのか趣味なのか分からないというのが本当で、それしかなくても平気なんです。


それを仕事=面白くないもの、としてしまう、日本のその感覚自体、大きく変換しないといけないと
思います。

2011年8月16日火曜日

明日会社に行きたいですか?

お盆休みで、ゆっくりさせて頂きました。

明日から出勤ですが、多くの人は嫌だなという気分なのではないでしょうか?

私は早く行きたいと思うのですが、実はこれ、今だからそうなのではなく、サラリーマン時代のほぼ全期間、月曜日が嬉しかったし、長期休暇の際は、早く会社に行きたいと思っていました。

独立後は又、休みなどは無い方が良い位に思ってましたから、考えてみると、ずっと早く休みが明けてくれと思ってきた様に思います。

日本人の一般的な仕事観からすると、相当おかしいと思いますが、ある意味幸せだと思っています。

社内でよく言っているのですが、社会人になって、起きている間の殆どを占めるのが仕事の時間であり、そこを充実する事は、人生において最も有意義であると思います。
それが私の場合、早く仕事の時間になって欲しいなどと思えて来たのですから、凄く、恵まれてきたと思います。

会社で皆に言う多くの事は、社長だから言っているのではなく、かなり貴重な経験をさせて貰ったサラリーマン時代の体感からなのですが、一般的な日本人的感覚(サラリーマン的感覚)ではないので、社員はなかなか大変だとは思います。

ただ、少なくともリーダーやそれを目指す人には、必須条件としてこの感覚は持って欲しいと思います。

身体は休むべきだが、気持ちと頭は休むべきではないというか、休んでいようと、遊んでいようと、一番の関心事は仕事においてもらわないといけません。

何故なら、それについていく人やその家族、そして、会社に関わる人々の生活が掛かっているのですから。

プロスポーツ選手など、一番分かりやすいですが、彼らは、休みも遊びも全て、本職の事に繋げて、或いは本職を優先して考えています。

それで生活が掛かっていて、身体を壊せば終りなのですから、ある意味当たり前の事です。

ところが、何故か日本のサラリーマンは、お金を貰っているその”プロ"部分の感覚が、どうもおかしいと思うのです。

そして又、これも社内でよく言うのですが、これは能力の問題ではありません。

自分のお金で独立して、それに全ての生活が掛かればどんな人でも、休んでいても頭から離れない、一番の関心事が仕事になるのです。

リーダーの必須条件っていくつもあるでしょうが、他人の人生に影響を与えるという事から考えても、この感覚は絶対条件だと思います。

さてあなたは、明日会社へ行きたいでしょうか?

2011年8月14日日曜日

今年のお盆は

昨日まで、淡路島でゆっくり過ごしておりました。

淡路島は近場の沖縄とでもいう感じで、ちょっと遠出した気分にさせてくれるお気に入りの場所です。

今日はお墓参りと105歳になるお婆ちゃんに面会に行きます。
施設に入っているのでゆっくりは会えず、子供達の成長を見てもらうだけになりますが、かえってこちらがーパワーを貰っているのかもしれません。

京都では大文字の送り火があるので、お盆と言えば16日までですが、今年は変な形で注目されてしまいましたね。

私はこの件は全く知らないので、どうすべきなのか?については、コメントはしませんが、元々は良かれと思ってされたであろう事が、変な形になってしまって大変残念に思います。

どんな問題にしろ、皆が本質を見れる様にしないと余計に複雑化するのに対して、表面的な対処しかできなくなるという悪循環に陥るのですが、同じ問題の構図を感じます。

単に反対や、批判だけする様な人が減っていく事、皆が自分に指を向ける様な世の中を作っていく事、それが抜本的な解決だと思います。


今年の終戦記念日は、復興を果たしてきた日本が3・11と絡めて、今後どの様に変革していくのか?を考えていければいいですね。

2011年8月7日日曜日

あの空間に居たい

今日もできれば、肝高の阿麻和利を観に行きたくてうずうずしています。

昨日観たばかりで、しかも内容は同じなのに。

何故、そんな気になるのか?を考えてみると、素晴らしいパフォーマンスもさる事ながら、あの中高生達のイキイキ感が充満した空間の中に居たい、ずっと浸って居たいのだと思います。

今回の狭山公演は、八年前から肝高を呼びたいと狭山の中高生が練習を重ね、引き継いで来た事が漸く形になった、しかも、先日、平田さんに聞いたのは、しゃべらなければ、沖縄の子か、狭山の子か、区別がつかない程レベルが高いとの事で、その狭山の中高生50名と、沖縄から来た60名程?が合体、融合したパフォーマンスは、その背景も思いながら観るので、又、本場沖縄でのものとは違った感動がありました。

帰りの電車では、肝高プロジェクトを追いかけて書かれた、"やる気スイッチはいつ入る?"を読みながら帰りましたが、これがまた、後から読むと余計に、こんな事を経て、こんな想いが集まって、繋がって、このパフォーマンスとなっているのだと思うと、一人、電車の中で又、ヤバかったです(笑)

しかし、色々な人が同じ目標に向かって集っている空間というものは、気持ちの良いものです。

京都流議定書にお越し頂いた方々が、良かったと言って頂ける理由の幾らかは、実はここにあり、全国から、会社を良くしたい、自分達の人生を良くしたい、素晴らしい人達と触れ合いたいという方々が集まると、何とも言えない気が流れ、それが心地良いのです。


私はお陰様で、伊那フォーラム始め、ブロックスセミナーなど、そんな気を感じられる場面に参加させて頂ける事が多いのですが、あの場に又行きたい、あの場に居たい、という集団、そんな職場を作る事が私の夢であり、ミッションだと思っています。

だからこそ、伊那食品さん、沖縄教育出版さんに憧れるのですが、それにしても、それを間近で感じられるパフォーマンスが今日も行なわれると思うと、行きたいなあ〜。

2011年8月5日金曜日

毎日は諦めます。

いつからでしたか、ブログもできるだけ毎日を目指して書いて来ましたが、方針転換したいと思います。

端的に言えば、ちょっとブログを減らして、その分、フェイスブックの発信を増やす様にさせて頂こうと思います。

当社の様な中間のディーラーでは、会社の存在価値を高めていく為に、会社の方針、考え方を発信していき、それに賛同して頂ける方々を集めていく事、そしてその価値観に向かう社員の人間力を高めていく事しかないと思っておりますので、ブログなどでの発信は、社長としての役割だと思って続けてきています。

ただ毎日を目指すと、かなり負担が大きく、最近は本を読む時間すらない状態で、家に夜遅く帰ってただブログを書いて寝るだけの日々を送っており、ちょっと本末転倒にもなりかけているので、ちょっと一旦減らして時間を確保しようと思います。


何故、こんな事もブログに書いているかと言うと、こんなブログでも楽しみにして頂いている方や、、いくら飲んで帰っても、必ずブログ更新される鬼澤さんや、毎日継続を続けている鬼丸さんへの言い訳でもあります。

と、言うより、完全な言い訳ですね。 すいません!

2011年8月2日火曜日

知足と経済

先日の医療と宗教を考える研究会での、同志社大学の篠原先生のお話で、留めておきたい言葉は、経済の核心は「分業」と「交換」であるという事でした。

経済は分業と交換の仕組みがうまく機能しているかを考え、もし機能していなければ、どうあるべきかを考えるというお話は、自分なりに納得のいく話でした。

付加価値、存在価値がないと駄目だと社内でも話をしますが、これは個人においても全く同じで、私が日本人の仕事がおかしいと言うのも、この原則に基づいていないからです。

経済の元は物々交換、お互いの必要な物を、釣りあいが取れるから交換しようとした所にありますが、経済活動の中にあるものは全てはこの原理の中にあるのです。

給料だって例外ではありません。
本来は、会社側もこの人なら、この能力、仕事なら、月10万円であれば交換しても良いと考えるのか、100万円でも等しいと考えるのか?と考えるべき所が、終身雇用、年功序列の弊害で、この様な本来の原理を隠してしまったと思います。

又、この原理に従うと、その分業とそれを欲しいと思う人がその価値を交換するという事が成り立つので、色々な役割の人が認められるのですが、効率追求の中、ある面だけで優劣をつけるという様に歪んでしまったと思います。

この「効率」という概念も、本来は、社会の持っている資源を無駄なく使うというというものであったのが、利己主義と物欲だ
けを反映する満足感を追求してきて、効率という言葉も全く違う意味で使われる様になったという事でした。

しかし、今後は「効率」と「公正」という概念が重要になってきて、価値観が大きく変化しているとの事でした。

西村先生のお話でも知足と経済は成り立つか?というテーマがあり、その手の話になると、いつもブータンの話題となり、他の場面でもそうなのですが、凄い学者や宗教家や経済人が、ああでもない、こうでもないという論議をするのです。

この点について言えば、経営品質系を勉強している人からすれば、皆、明確な答えを持っているのではないかと思います。

伊那に行けば答えがありますと。

何せ、そのブータンの国王と親交が深かった元世銀副総裁の西水美恵子さんが、一度行きたいと言われ、そこに入った際、ブータンに下り立った時と同じ雰囲気を感じたと言わしめた会社があるのですから。

その真髄は年輪経営だと思います。

成長はすべきだが、過度な成長はどこかに必ず歪を生むからそれを目指すべきではなく、一年一年しっかり成長をする、それが全ての摂理だと言われるのです。

動物はお腹が満たされれば必要以上に狩をしません。

欲に目がくらんだ人間だけが必要以上に、自分だけ儲けて・・という活動をするのですが、世界競争の中では、それは必要だと言う人も多いでしょう。

ただ、必要以上の安さ追求や、規模拡大は、必ずどこかで、不正な労働や、紛争や、環境破壊などを起こしていて、地球規模、宇宙規模でみれば、やはり自分勝手な論理で動いている事となると思います。

知足と経済は成り立つか?については、伊那食品さんを見ればはっきり成り立つと言えます。

伊那食品さんの社員さんは、自分がホームセンターに買い物に行った際にでも、後から入ってこられるかも知れない、お年寄りや体の不自由な方の為に、自分達は、一番遠い所から駐車をしなさいという所まで徹底的に教育されています。

それだけ他の人には迷惑を掛けないでおこうとされる社員さんばかりで仕事をされ、48期連続増収増益を成し遂げられていたのです。

日本には既に知足と経済のモデル様な会社があるのですから、こういう会社が最も尊敬される会社になるべきであり、そんな国を目指していくべきだと思います。

2011年8月1日月曜日

11'8月ウエダ本社社報

《強みと課題》

京都流議定書2011は、皆さんのお陰で、イベント自体は大成功に終ったと思います。

アンケート集計を見ていても、スタッフの対応が素晴らしい評価であり、5段階評価で3段階の普通が1%もなく、悪い評価は全くのゼロ、そして約95%が最高の評価という、驚異的な数字でした。

何が凄いかというと、マニュアル通りではなく臨機応変に対応してくれる力がついており、それが多くの来場者から、温かい雰囲気だと言って頂ける要因になっていると思います。

しかし一方で、去年でも反省で、集客ができていなかった、自分のお客さんを呼び込めていなかったと上げていた筈ですが、今年もそれだけが改善されなかった様に思います。

このイベントにおける対応の素晴らしさと、肝心の自分達のお客様にしっかりアプローチできていない、お客様と正しい絆が結べていない事が、今のウエダ本社の強みと課題です。

又普段から、会社の雰囲気が良いと言って頂けるけれど、皆が腹を割って話しているのか、激論を交わしていか?というと、そんな事はなく、淡々と上辺とまでは言いませんが、形だけは綺麗に整えているという感じがしています。

この傾向は数年前からずっとあったもので、これらが、イベントなどの対応は素晴らしいが、業績が伴っていないという原因で、これを打破していかないと、まだまだ本物にはなれません。

成功を収めたイベントと並行して、リーダー達には、今のままで良いのか?ゼロベースで考える様指示を出しており、又、全体に向けても、本当に価値観があっているのか?という投げかけを行なってきました。

それ故、まだまだこれから大きなゆらぎが起こっていくと思います。
逆に言えば、起こらないとおかしいし、今までは、波風を立てない様にと、表面で取り繕ってうまくやっていただけなのです。

だから、何か淡々とした雰囲気で経過してきたのですが、今回のイベントを機に、この素晴らしい対応への評価と、業績を近づけ、連動された組織にしたいと思います。

あれだけの対応をして、お客さんが喜んで頂く、その反応がビジネスに繋がる様になれば、最高に嬉しいと思いませんか?
それを目指して、全員で、お客様スタンスに立つという事を抜本的に考えていきましょう。
 

2011年7月31日日曜日

分からない事に耐えられる力

昨日は、医療と宗教を考える研究会というものに出席しておりました。

清水寺の大講堂(この存在も知りませんでしたが)にある、洗心洞という部屋で、宗教家、大学の先生、経済人が集まって、論議するという、それだけでも面白いものでした。

今回は、クオリアでご一緒させて頂いている、現在は国立社会保障・人口問題研究所所長で、前京都大学副学長の西村先生と、同志社大学の篠原先生の対談と、それを聞いての討論で、テーマは
知足と経済学というものでした。

初めの西村先生のお話で私が最も印象に残り、ノートにぐるぐるに印をしたフレーズは、”分からない事に耐える力”という言葉で、それがずっと弱っていっており、今後の日本人には、これが重要ではないか?というお話でした。

この分からない事があるという事を宗教家が説いていかなくてはならないのでは?という事も仰っていましたが、その通りだと思います。

今起こっている現象は、最終的に良かったのか、悪かったのか、何の為に生きているのか?そんなに辛くて、嫌な事なら、何故やらなくてはいけないのか?又、反対に、嫌な事から逃れて、楽しい事だけしようとするなら、生きている意味はあるのか?など、色々な事を考えてしまいます。

私自身、不思議でしょうがないのですが、何故か宗教心が強いというか、死生観が強く、何の為に生きているのか?何の為に会社経営を行なうのか?何の為の仕事なのか?など全ての発想はそこから来ているのです。


所詮、誰にも、1秒先はどうなるのか、いつ死ぬのか、そして死んだらどうなるのか、は一切分かりません。
その中で人は、何故か当たり前の様に、自分には天災などは降りかからず、何故か平均的な寿命まで生きると勝手に思っているのです。

そこが最も大きな誤解?で、ここの教育(宗教観なのか死生観)をしっかり行なえば、自分だけの利益や損得を考えて行動する事が如何に意味がない事か、ましてや他人の事を妬みなども絡んで、自分はできもしないのに批判したりする事が、如何に下らない事か、不平不満ばかり口にして生きている事が如何に勿体無い事であるかが分かると思うのです。

そして、死んでからどうなるかなどは、予測すらできないのですから、大きな枠の事などは分からない事だらけなのです。

参加されておられた、私が最もその感性が好きな堀場最高顧問もやはり、西村先生に、"このフレーズは貰う"と言われる位、気に入っておられました。

学生時代からずっと原子物理学の研究一筋で来られ、世の中に証明できない物は無いと考えてこられた堀場氏が、36歳で医学を勉強され、分からない事だらけの人間を前にし、世の中には分からない事だらけなのだという事が分かって、それが自分の全ての原点だと仰っていましたが、それが堀場最高顧問の人間的な幅と深さとなっているのだと思います。

分からない事に耐える力が弱いから、不安になって分析していき、証明できないとより不安になり、それは時には悪い事とされてしまうのです。

分からないという事へ耐えうる力を持つには、必ず死ぬ、必ず壊れるという無情を受け入れる事だと思いますが、それが知足にも繋がっていくと思います。


この話も深いので、また、続きは書きたいと思いますが、だからこそ、こう生きるべきと目指す方向は私なりには持っているつもりなので、その辺りも是非又書かせて頂きます。

2011年7月30日土曜日

京都流議定書こぼれ話② イベントの続き

京都流議定書初日は、田中優さんにエネルギー問題を中心としたお話をして頂きましたが、その前のプログラムでは堀場最高顧問、前原前大臣もご出演して頂いており、こと原発問題については、
三者三様の見解を示されていました。

田中優さんは勿論、原発反対ですから、目先は再開やむなしとされる前原さんの発言や、広島、長崎にも原爆投下の数日後に入られ、実際に測定もされた経験をお持ちで、そのデーターや、中国の原爆実験など、今よりも酷い数値データーも見てこられた堀場最高顧問のご意見は、食い違う事は予想しておりました。

全体を考えるとどうなるかな?とも思いましたが、むしろこれが、フリーの立場だからこそできる京都流議定書のやるべき事だと思い、そのまま実行していたのです。

ずっと見て頂いた方は、原発においての見解は何を信じればいいの?と思われたり、それは違うと思われる方もあったかと思いますが、この問題は、分からない事、知らされていない事だらけで、ある一面的な、マスコミの論調だけで乗っかってしまう事は危険だとも思いますので、違うと思う意見、
良いと思う意見もそれぞれ、そのプラスマイナスも含めて聞くべきだと思います。

それだけに、ずっと放射能も測定されて来られた堀場さんのお話は紛れもない事実であり、その話を聞くと俄かに登場し、恐怖心のみを煽る評論家?の様な人達は、問題があると思います。

その中で、田中優さんのお話は、正に価値観や考え方の転換で、今までの論議ではない事を考えていくべきだと考えさせられるので、是非、京都の経済界TOPの方々にお聞き頂きたいと、初日にお越し頂いたのでした。

残念ながら、所謂、重鎮の方々には直接お聞き頂けませんでしたが、今年は、ユーストリーム中継を行なっておりましたので、いつでもアーカイブでご覧頂く事だできます。

実は私にはまだまだイベント(問題提起)は終っておらず、この映像をご覧頂きながら、私なりの問題提起を訴えていきたいと思っております。

イベント中は、中国にご出張であった立石会頭、来週もお目にかかる門川市長にもご覧頂く様お願いして回りますが、今日も堀場最高顧問にも直接ご覧頂く様お願いしました。

データー数値については、絶対的な意見をお持ちの堀場最高顧問が、田中優さんの考え方をお聞きになって、どの様な感想を持たれるのか?、個人的には大変興味があるところですが、日本の活路を見出すに為にも、この堀場最高顧問と田中優さんの見解のマッチングは、実はかなり重要なヒントになるのかも知れません。

2011年7月29日金曜日

京都流議定書2011こぼれ話

今回は、それぞれに注目の講演だったのですが、一般的にはやはり前原さんの講演が一番注目されていたと思います。

実際、前日などはマスコミ対応で大変でした。

東京のキー局各局から、カメラを入れさせて欲しいとの話が相次いだのです。

当然、京都流議定書は政治に関するイベントではありませんので、全てお断りしたのですが、ユーストリームがOkなら、その画像をテレビカメラで撮るのは良いか?などと食い下がる局もありました。

ユーストリームがOKで、テレビのニュースが駄目だというのは、多分、全体をそのまま流してくれるなら良いが、ある一部分をしかも意図ありきで流されるのが困るという事だと認識していましたので、これもお断りしました。

今回のイベントアンケートを見ていると、前原さんの講演への期待から、もう少し踏み込んだ話が欲しかったという様な評価もありましたが、こんな事情もあり、私は、しょうがないと思います。

イベント直前の日にも、菅首相批判としてニュースに取り上げられていたらしいので、地元での発言は、狙い撃ちしていた様ですから、私としても、うちのイベントで、変に揚げ足を取られる事となって、いつも首相候補とされる方に、傷でも付けてしまったら私としても立場がないので、あれで良かったと思っています。

ユーストリームの画像をテレビで流す事をお断りすると、”他局がもし、勝手に流す様な事があればその局を訴えて頂けますか?”と問い詰められました。
自分だけが言う通りにして、他局に出し抜かれると困るという立場なのでしょうが、こんな所にも競争の原理を見ました。

京都流議定書では、そんな相手を蹴落として・・という感覚での経済、その価値観の変換を訴えているので、そういう意味でも、趣旨にそぐわない話でした。

2011年7月27日水曜日

ボランティアではなく

今回の京都流議定書2011は、皆様からかなりの高評価を頂き、今から来年が恐ろしくなる程です。

良かったというより、感動したという反応の方が多く、嬉しい限りなのですが、実は、今回の出演者からして、ここまででは想像できていないものの、ある程度の高評価を頂くのは想像ができておりました。

それだけに、できるだけ多くの方にお越し頂きたかったですし、折角、うちの会社が行っている事ですから、うちと取引があったり、知っている会社の経営者のみならず、社員さんにも是非聞いて頂きたいと思っておりました。

それを強く呼びかけていたつもりですが、社内でもそれが徹底しきれず、うちのお客様に呼び込みを掛けきれていなかった点が、反省点であり、大きな課題であります。

こういうイベントを行うと、人の様子(人となり)や会社の様子がよく分かるものです。

私の事など無視しても当然である様な凄い方で、とてつもなく忙しい筈なのに、しっかりと返信を頂ける方、後輩であったり、きっちりとすべきなのに返事すらして来ない人、黙って協力してくれている人、良い顔はするが協力はしたがらない人、凄い人なのに、尚、好奇心旺盛で参加して来られる方、勉強した方が良いのに、興味を示さない人など、色々な事が見えてしまいま
す。

又、今回改めて感じたのは、意外に社員さんを研修に行かせたがらない、というより、そういう考えを持っていない会社も多いという事です。

全ては人が行う事なのに、何故社員さんの人間的成長を図ろうとしないのか? 不思議な話だと思います。

と偉そうに言う、うちの会社は業績が悪く、そんな事を考えず、効率追求、売上最大、他社や他国をを打ち負かしていく会社の方が業績もよく、現状は立派な会社なのです。

しかし、特にこれから長いスパンで見ると、私は、自社の存在意義を考えていない会社、社員や、取引先などを大事にしない会社は厳しくなっていくと思います。

逆に、社員の成長や、社会での存在意義を考える様な会社がもっと評価されて、そういう企業が主流を占める様になれば、我々の様なディーラーも存在価値を発揮できるのです。

という構図なので、うちのお客様や、今後お客様になって頂きたい方々にしっかりお越し頂ける様になると、イベントも事業と
結びついたものとなるのですが、現状では、ボランティアであんなイベントを行なって偉い!と、お祭り的になっている所が課題なのです。

ただ嬉しい兆しがあったのは、一部の営業が、”ボランティアであの様なイベントを行って凄い”と賞賛して頂いている事に対して、”悔しい”と言っている事です。

来年は是非、だからウエダ本社は、こういうイベントを行なってきたのか、と、皆さんに分かって頂ける様にしたいと思いますし、その様になれば、自ずと業績も良くなると思います。

そして、その様な事を賞賛する企業が増えていけば、これからの日本は新たな価値観で、再び夢を持てる国になれると思います。

2011年7月25日月曜日

感謝・感謝・感謝です!

京都流議定書イベントが全て終了しました。

毎年、少しづつの進化を感じてきましたが、今年ほどの充実観を持ったのは初めてです。

本当に色々な人の思いや、気遣いや、頑張りなどが結集して、三日間の素晴らしいイベントになったと思いますし、色々な立場の人に感謝です。

こちらが考えた企画に心良く応じて頂いた、門川市長、堀場最高顧問、微妙な状況の中でも、ご参加や、ユーストリーム配信などにも心良く応じて頂いた、前原前大臣、ある意味、価値観の変革と言うテーマの目玉的な要素であった田中優さん、少ない時間や、私の思いだけのいい加減なフリにも、真剣に形にしようと取り組んで頂いた西川社長、今回の最大の衝撃と言っても良い、経営品質協議会という団体の中で、京都フォーラムを仕切り、京都流議定書とうまく接点を図ってくれた人見社長、そして今日、日曜日で集客の条件が悪い中、協力頂いた深尾さんとトータルフィットの梅田さん、これも無理なフリにスマートな頭で、見事に対応してくれた鬼丸さん、色々な関係を調整し、新しい手法も見事に仕切ってくれた嘉村さん、そして、今日だけではなく、何回にも渡って、よせ鍋企画を考え、長い間関わってくれた、尾角さん、深田さん、尾形さん、廣岡さん、三田さん、彼らのサポーターの仲間達、そしてそして、ウエダ本社の成長を期待し、駆けつけて頂いた、川畑社長と、今年も又、ほぼ三日間関わって頂き、感動を最大化して頂いた大久保さん。

ご出演関係だけでもこれだけですが、一観客として来て頂いた鬼澤さんや、他にも全国からお越し頂いた良い経営を目指す同志の皆さん。

そして、最後になりましたが、当日だけではなく、何ヶ月にも渡ってミーティング、準備を重ねてきてくれたイベント実行委員のみんな、お客さんが喜んで頂く様な素晴らしい対応を見せてくれたみんな、あれだけのイベントの殆ど全てを、自分達だけでやりきったみんな、本当に有難うございました!!

途中何度か注意する事もありましたが、それへの対応力も今回格段に組織として成長したと思います。

そんな多くの人に協力してもらい、多くの人に喜んでもらう事ができるウエダ本社という会社に、皆自身がもっと誇りを持って、周りの評価、期待に実力で応えられる会社を目指していきましょう!

社員の皆、とにかく今日は、お疲れ様でした。

2011年7月24日日曜日

京都流議定書二日目(京都フォーラム)終了!

イベント二日目が終わって先ほど帰宅しました。

はっきり言いますが、ヤバイほど、凄かったです。

来れなかった人を悔しがらせるつもりは・・多少ありますが(笑)、本当に自分が行っていて言うと、宣伝と思われるでしょうが、経営者や育てて行こうとする社員さんには絶対聞いてもらうべきだったと思います。

まず午前中はブロックスの西川社長にワールドカフェを行って頂きました。

時間が短くて、西川さんには、本来のやり方ではない形でかなり無理を言って行って頂いたのですが、最初から皆さん、かなり積極的に、”働く人の人間力を育てるというテーマについて話合われており、いきなり楽しい空気が充満していました。

そして午後は、京都経営品質協議会主催の京都フォーラムですが、こちらは、我々はゲストの立場
で参加できるので、社員もほぼ全員入らせて頂きましたが、これがハッキリ言って、ヤバかったです。

リッツーカールトン元日本支社長の高野さんのお話は、実践的な話を分かりやすくお話頂き、ほぼ全員が出ている我々には大変有難いお話でした。

-自分はこの仕事で、何を以って何を成すのか?これが、もてなすの意味である。
-リーダーとして、何を以って、何を成すのか?それを考えるリーダーを育てる。
-誰もができる事を誰もができない位やる。
-トップとスタッフの重心が同じ。
-相手が降りる戦略

などなど、まだまだありますが、直ぐ使えそうなお話を頂きました。
問題は、それを徹底する事です。

そして、高野さんの後は、以前から何度か書いたこともある、肝高の阿麻和利のプロデューサーで
現在は、沖縄県の文化観光スポーツ部長に大抜擢されました、平田大一さんのお話でしたが、これが、凄かったです。

まだこんな凄い人が居たのだ!話の内容、やってこられた事、話の構成、話し方など見せ方、パフォーマンスまであるのですから、完璧でした。

内容などもまだ書きたいのですが、ちょっと疲れが溜まっており、今日はこの辺で休ませて頂きます。

ちょっと締めで行われた、唄のみ、勉強仲間である、鯉田さんのブログでご覧下さい。

すいません!

2011年7月23日土曜日

初日終了しました!

京都流議定書イベント、初日が終了し、先ほど帰宅しました。

必ず懇親会後でもブログ更新を続けておられる鬼澤さんを見習って、頑張って書きます!

というか、実は疲れてはいるのですが、色々な意味で興奮していてまだ寝れないという事もあります。

興奮している理由は、まずは朝から気も張り詰めていて、先ほどまでぶっ続きであった事、先程までご一緒頂いた、川畑社長や、明日ご出演頂く大久保寛司さん、一般客でお越し頂いた鬼澤さんやインフィニティーの田原さん、福島ひまわり里親プロジェクトの方と、京都の濃い仲間達と楽しい時間を過ごせた事、お食事にご一緒頂いた、川畑社長、大久保さん、田中優さんが本当に喜んで頂いた事、ご出演頂いた皆様のお陰で、それぞれ良かったという声を頂く事、そして、とりあえず大きな混乱なく行ってくれたスタッフに対して、皆さんからお褒めの言葉を頂いた事などです。

肝心の内容については?とお思いの方もおられるでしょうが、私の場合全部中途半端でしかお話を聞けていなかったり、聞いていてもいつもの勉強会とは違って、あちこちに気が行っていて、集中して聞けていなかった事もあり、ここでは触れずにおきます。

ただ基本的に、私が好きで、尊敬できる人ばかりに出て頂いておりますので、その好きで尊敬している方同士がコラボしてもらっている事が、私にとっては贅沢で一番嬉しい事でした。

又、堀場最高顧問や、前原さん、そして田中優さんでは、原発の問題においては、少なくとも表面上、全く見解は異なります。

それを何故、並んで頂くのか?と思われた方もおられると思います。

それは正に、このイベントの目的である、民間レベルでフリーハンドでというスタンスを表すものであり、今年は特に、3・11以降の日本の幸福とは?どの様なものなのかを一から考えようという事や、全てにおいて自立がキーワードになる為、色々な考え方を聞いて頂き、各自がまず考えてもらおうという事だったのです。

しかし、実は、それぞれの本質的な考えを押さえていくと、表面上で聞いている程、実は差はないと思います。

堀場さんが仰るお話も、そのベースにあるのは、人間は強く、素晴らしいものであり、どんな状況でも順応していけるという事なのです。

と書き出すと色々ある割りに、やはり眠くなってきて、文章が纏まらないと思いますので、今日はこの辺にしておきます。

明日は、午前中はブロックスさんにワールドカフェを行って頂きますが、午後は京都フォーラムで、
この枠では私は観客に回れるので、明日は精一杯楽しませて頂きます!

まずは、本日、ご来場頂いた皆様、出演者の皆様、そしてスタッフの皆、ありがとうございました。

2011年7月21日木曜日

良い繋がり

昨日は京都経済四団体が合同で主催する地球環境シンポジウムの中での、パネルディスカッションに出演させて頂きました。

定員150人で参加も丁度150人という盛会で、やはり関心の高さを表していると思います。

いつもこういう場面では困るのですが、うちの会社は環境ありきで行っているわけではないのと、
昨日の場合、四団体の中でも工業会の方が多く、一番前では島津製作所の会長と日新電機の会長が並んでおられる前で、偉そうにも自社の環境の取り組みを説明するのですから、一種の修行?でしょうか。

ただ幸いな事に、先日NHKニュースで取り上げられた弊社の最近の取り組みである、電力測定サービスの映像を流す事ができたのと、技術力の無い当社では、存在価値を作る為に、世の中の課題にどの様にアプローチできるか?という考えで取り組んでいるという話から、イベントの話もさせて頂いたので、煙に巻いた様な話で、ボロは出さなかったと思います。

でも、こういう所に出させて頂くと嬉しい事もあり、昨日も、初めてお目にかかる方が、”ブログを読んでます”と挨拶に来て頂きました。

こういう事が自分の意見、スタンスを発信していて良かったと思える瞬間です。

何せ自分の考えに共鳴して頂く方と、繋がれるのですから、そんな気分の良い事はありません。

明後日から京都流議定書イベントが始まりますが、ここでも又、どんな出会い、繋がりを持てるのか?私や私達の会社が関わらなくとも、ここで出会う人や会社同士が共鳴して、良い気を生んで頂く事になれば、そんな場が作れたとしたら、そんな嬉しい事はありません。

是非、多くの方がご参加頂き、この場で良い繋がり、良い気を生んで下さい。
それが各地に広がると(結構広がってると思いますが)、日本も良い国であり続けられると思います。

2011年7月18日月曜日

尾角光美さんから感じる、生きている意味

一昨日尾角光美さんが大阪の應典院というお寺で行なった講演に参加して来ました。

尾角さんは、幼少の頃の裕福な家庭から、二度に渡るお父さんの事業の失敗、そのお父さんが郵便局強盗を起こすにまで至り、長年うつ状態であったお母さんは、尾角さんの大学入学直前に自殺されるという凄まじい経験をされて来られました。

そんな彼女の経歴は知っており、彼女が自死遺族のケアや、元々は亡くなったお母さんにメッセージを伝えるという事であった母の日に、お母さんへの思いを寄せた母の日の手紙プロジェクトなど、
Live on として行なっている活動も知っていて、何とか協力できないか?と関わってきておりました。

ただ、今回初めて、彼女が行なっている活動と、考えを体系的に聞いて、全体の繋がりが良く分かったのと共に、改めて彼女が元々持っていたのであろう能力と、ひょっとして彼女に課せられた過酷な体験は、能力ある彼女に、この役割をさせる為に与えられた事ではないのか?とさえ感じました。

たまに、"若い人の面倒を見ていて偉いね”などと言われる事もあるのですが、私はこの様な若くて頑張っている人が大好きで、自分が何らかの役に立てばと思っているだけなのです。

と言うと何か、格好良い感じでそれも嫌なのですが、実は”やってあげてる”などという感覚ではなく、むしろ、本当は彼ら、彼女らの様に自分自身がやりたいけれど、そこまでやる勇気も度量もないので、それを託しているというか、自分ではできない事をやっている彼らに憧れ、ある意味、羨ましがっている面さえある様に思うのです。

そんな事を考えていると、私も自分自身の事が分かってきました。

今まで他人から質問されて一番困っていたのは、趣味は何ですか?という事でした。

本当に無趣味というか、しいて言えば仕事なのですが、それを言うと面白みの無い人と思われますし、しかし、趣味で日々の生活が充実したとしても、何か物足りなさを感じるので、それに没頭して・・という気にならなかったのです。

イベントしかり、世間でいうCSR的な事しかり、もっと言えば会社運営もそうなのだと思いますが、全ては、生きている意味というのか、生きていたからには、自分が存在したという意味を求めて行なっていた様にも思います。
そして、自分でできない様な凄い事を行なっている若者達を見て、彼らの熱い情熱と、能力を羨ましくも思い、そこに関わる事で、自分自身の生きている意味を求めていたのかも知れません。

尾角さんの話を聞いていて、そんな自分なりに求めて来た事が初めて分かった様な気がしました。

そう考えると、益々、尾角さんの存在や役割は凄く大きいものだと思いますし、という事は、誰よりも”生きている意味”を持った凄い人生を歩んでいる人なのだと感じました。

そんな今まで自分でも分かっていなかった事を分からせてくれたのも、彼女の役割だったのかも知れません。

充分には彼女の凄さは紹介できませんが、京都流議定書三日目、来られる方は是非、直接感じて下さい!

2011年7月14日木曜日

危機感の無い危機感

以前、福山内閣官房副長官にお話を聞いて、そんな事情があったのか?と今後は偏った報道のみで、批判をしたりする事は止めようと思いましたが、やはりそれでも、政府というより、総理のやる事は中途半端であると言わざるを得ないと思います。


原発に頼らないエネルギー政策、耳障りは良いですが、具体的な事は何も言わないでは、余計に白か黒かの二極の論議を助長させるだけになってしまいます。

メリット、デメリットを説明し、それに掛かるコストの見通しと、その調達方法が全てセットになって初めて、良いか、悪いかの判断ができるのであって、この点については、国の事は分からなくとも、リーダーとして決定を下すという事においては、私も意見を言わせて頂けると思います。


私は単に批判する事は嫌いです。
ですから、普段でも心がけている事は、人がやっている事に対して違うと思っても、自分がその事をやれないのであれば批判する権利はないと思っています。

又、何でもそうですが、お金(具体的数字)の問題をセットで考えなければ、良い事ばかり何とでも言えるのです。

原発の問題は、東電始め電力会社が独占的になっている事で、今回初めて知った事も多いですが、まだまだ知らない事、知らされていない事だらけの状態で、原発を止めると、産業が成り立たないという論議も、おかしいのではないかと思います。

原発を再開すべきという主に産業界側の論理では、風力や太陽光などクリーンエネルギーは、まだ全体の1%ほどしか賄えず、主に実用できるレベルには30年程かかるという事ですが、これも本当にそうでしょうか?

日本の最高の技術や頭脳を集中して、30年もかかるのでしょうか?
今までは、色々な事が隠され、或いは、知らないフリをして国全体としては片手間に開発しているレベルだったのではないでしょうか?

たかだか年間20時間のピークに合わせて、発電設備を造って来たのですが、働き方を変えるだけでも必要な電力は違っていく様に、できる事もまだまだたくさんあると思います。

又、同じ原子力でもトリウム炉という安全性の高いものも研究されているそうです。

一方、クリーンエネルギーと言われているものは、どういう面から見ても素晴らしいものなのでしょうか?

これも以前書きましたが、太陽光発電が良いと言っても、太陽光パネルを増産していく電力は、風力や水力で得れるのですか?という事や、リチウム電池を廃棄するという事は大きな問題なのだそうですが、それは地球に優しい事なのでしょうか?

要は、その様な事全てのプラス、マイナス情報を開示し、そこに掛かるであろうコストも考え、先々の時代を見据えて国民に説明しないと、前提条件が違うので、判断できる筈がないのです。

そんな断片的な情報で、思いつきの様に発表したりすれば、原発再開派も反対派もどんどんお互いの立場にとって都合の良い事を唱えていく事になり、混乱を大きくするだけだと思うのですが。

こういう事を想定したわけではありませんが、原発という事のみにおいては、今回の京都流議定書でご登壇頂く前原誠司さんと、田中優さんは、全く反対の立場だと思います。

行政なり、ある種の団体であれば、こんな並びにする事は有り得ないと思います。

民間で、ある意味勝手に行なっている面白さだと思いますが、こんな時代だからこそ、ある情報のみに基づいて一方だけで論理付けるのではなく、反対側の情報も聞いた上で、自分自身が判断を下すという事が益々重要になってくると思います。

そういう意味でも、今年の京都流議定書は、絶対面白い!というより、本当に皆が今後を考えていく意味でもお越し頂いて、各自考えて頂きたいと思います。

2011年7月13日水曜日

毎年の事ですが

又ブログの間隔が開いてしまいました。

イベント前という事なのでしょうか?最近は、更新できていなくてもアクセスが多いので、毎日更新しないといけないのですが、申し訳ありません。

イベント前はいつもそうなのですが、お願いや相談があって、いつも以上に会合にも出席することとなり、オーバーワーク気味になってしまいます。

今日も経済同友会の常任幹事会と、来週に出演する事になっている経済四団体のシンポジウムの打ち合わせがあり、それもさる事ながら、それぞれで来週に行われるシンポジウム、セミナー時にチラシを撒かせて頂くお願いをしておりました。

イベントまであと10日。

まだまだ思っている様に、うちのメンバー自体がイベントの意味、価値を理解し切っていない感じもしますので、最終追い込みで、いつも以上に意味のある今年の京都流議定書を皆で良かった~と言えるものにしたいと思います。

ちょっと今日は、お茶を濁しただけですが・・この辺で。

2011年7月8日金曜日

テラルネッサンスが東北を支援する理由

先日、私が岩手に入って短時間で回れたのは、テラルネッサンスの遠野事務所の方に案内してもらっていたからでした。

テラルネッサンスは、ご存知の方も多いと思いますが、カンボジアの地雷撤去とコンゴ、ウガンダの子供兵を社会復帰させる為の職業訓練校設立の活動を行なっているNPOです。

我々には分からない話ですが、国内の支援と海外の支援は全くノウハウも違うとの事で、テラルネッサンスでは今までも国内の災害などの支援は行なっておらず、今回も、中途半端に行なっても・・との事で、やるつもりは無かったそうです。

ところが、今まで彼らが設立した学校で勉強して、今では立派に稼いでいる卒業生に、”我々はあなた方日本人、そして日本に助けてもらった。その日本があれだけの災害に見舞われたのに、あなた方は支援しないのか? 今度は日本の為に動いて欲しい”と後押ししてくれたそうなのです。

泣けるイイ話でしょ?

テラルネッサンスが10年以上にも渡って支援していた国の人、それも内戦を繰り返し、壮絶な経験をして来た人達から、感謝され、日本を救うべきだと言われるなどという活動を続けて来た、テラルネッサンは本当に素晴らしいと思います。

そして、彼らが東北支援を決意し、しかし、何をどうすれば??と思っていると、鬼丸氏とは旧知であった吉野氏が、仕事を辞めて被災地で活動していたので、それならテラルネッサンスの東北として動いて欲しいとなったそうです。

これも凄いタイミングですが、素晴らしい思いの人が繋がっていくと、パワーを生んでいくのだなと感じますし、コンゴ、ウガンダの方々の後押しがなければ、テラは東北に入っていなかったでしょうし、テラがコンゴ、ウガンダを支援して来なければ、この様な後押しは無かったという事で、世界はしっかり繋がっているんだと感じます。


そして、短期間の支援で終わる団体が多い中、テラルネッサンスは東北の支援も10年は続けるという事です。

そんな素晴らしいテラルネッサンスを皆で応援しましょう!

今回の京都流議定書では皆様からの寄付を集めさせて頂きますが、その半分をテラルネッサンス、そして残りの半分を地域創造基金に対して、東北支援活動費として寄付させて頂きます。


その面におきましても、どうぞ宜しくお願いします!

報告と相談は自分の為

報告と相談、これがなかなか身につかず、もがいています。

経営品質などでは、報告できない様な雰囲気を出している上司が問題という話になるのでしょうが、ハッキリ言いますが、私はそうだとは思いません。

当然、言いやすい雰囲気であれば、報告も増えるのかもしれませんが、という事は、そもそも報告や相談というものは、上司の為にやるという事でしょうか?

あくまで、自分の仕事をうまく回す為、そして自分の仕事の成果を上げる為に行うのであって、実は自分の為に行うものだと私は思います。

このポイントがうちの会社でも身につかず、その事による問題も多いのですが、日本の一般的なサラリーマンでも、この感覚の人は多いと思います。

雰囲気がどうだとか、そんな事は本来は関係なく、自分の行おうとしている事が組織としてコンセンサスが得られるのか?或いは行っていく為の根回しでもあり、上司に相談して、摺り合わせを行うのです。

そして最初の段階で摺り合わせしておけば、堂々と自分の思う様に物事を進め、その経過報告をしながら又、方向性を摺り合わせるのです。

反対にクレームなど悪い状況になった際も、会社に怒られるとか、そんな事は関係なく、やはり自分の仕事として、どの様にすれば最小限で食い止められるのか?という話なのです。

これは今、社長だから言うのではなく、サラリーマン時代にも、この様な考えで取り組んできました。

何故か?自分の仕事だからです。
自分の仕事に対して、どの様な成果、結果をだすべきか?という事なので(それを仕事というのだと思います)、上司に怒られるとか、言い易いというのは、関係の無い話なのです。

ただ、うちの現状では、言いにくいという問題よりも、それぞれについて何をやるべきなのか?何を求められているのか?という事を分からず行っているので、何を相談し、報告しないといけないのか?が分かっていないのだと思います。

物質的な物については、他人の為に行う事が素晴らしいですが、経験というものは自分の為として考えれば良いのです。

これも教えてできるものではありませんが、プロになろう!とするのか、同じ事ですが、仕事に対してのプライド、お客さんに対しては、徹底的に役に立つ存在を心底目指せば、誰でもできる事だと思うのですが。

今月は、報告、相談徹底月間にしてみようかな?

2011年7月5日火曜日

課題山積でもできる事

当然課題だらけですが、我々でもできる事から追いかけたいと思います。


今回入った陸前高田だけでも、行ってみると半島になっていて入り組んでいる所が多く、しかも広域なので、とてもまだ全体を見れていないであろうと感じました。

半島の方では、かなり険しい、熊の出る道を通り抜けて(実際私が行った際には、鹿が横切りました)行かなくてはいけない集落もたくさんある様で、私が行った所も20軒あるかないかの集落でした。

そういう所ではティッッシュなど生活用品でも喜ばれますが、家は残っているので配給や保障はありません。
避難所では、配給や食料も出て、お金はかかりませんが、避難所におられる方からすると、家が残っている人は恵まれているとの思いなどもあり、避難所におられる方と、自宅に残られている方との間には、悲しい事ですが交わらない壁もできてしまっている様です。

ただ、言えるのは、物質が足りているかどうか、何が困っているかは、欲しいかなどは全部の場所でそれぞれ違い、マスコミなどを通して一概に今は〜は足りているとか、どういう段階だとか軽々しく言うことは危険だと思います。


課題だらけの中で、一番足らなく、あれば効果的な事は、各地区でボランティアや物資や要望など全ての事を、現場に居て割り振る人です。
しかもポイントは長期的に居座ってという事です。

ここが残念ながら行政では人が変わっていくので、被災者からすると同じことを人が変わる度に一から説明せねばならず、改善されていかない思いがするのです。


そう言う意味では、テラルネッサンスの様なNPO、長期的に活動をするNPOを窓口にして、そこの活動を資金面で支援していく事、これが一番有効ではないかと思います。


先日、福山内閣副官房長官には、全国のNPOがそれぞれ、どこの県や自治体のどんな支援をしているかを明確にすると、寄付する側もピンポイントで支援をする事ができるので、是非考えて欲しいと言っていたのですが、それだけでかなり効果的だと思います。

実際、現地にはたくさんのボランティアが入って来ているのですが、お金が続かない為に、意思があって行動してくれる人が活躍できていないという現実もある様です。

それとやはり、被災地で最も心配している事は、被害にあっていない人が忘れていく事です。

今回行ってみても、何十年かかるのだろう?と思いましたが、それだけに皆が自分でできる事を継続していく事、どんな小さいことでも、それが一番重要だと思いました。

うまくマッチングさえさせれば、ティッッシュやトイレットペーパーでも喜ばれるのです。


高飛車な大臣が分かるわけないんだから、有能なNPOに任せるとか、そんな事を考えて欲しいですね。

その人の問題

昨日から一泊で、しかも今日の夕方には京都に戻って来ないといけなかったという強行軍で、岩手の大槌町、陸前高田に行ってきました。

何から書けば良いのか、大槌も酷い状況でしたが、陸前高田は規模的にも町の殆ど全てが壊滅したと思う程、恐ろしい面積が瓦礫の山、もしくは、整理されて平地になっていました。

何度も言いますが、私は阪神大震災時には神戸に居て被災していますので、戦後の焼け野原になった様な光景も見た経験はあるのですが、その規模の違いに、声も無くしました。

写真は才能がない事もありますが、これも神戸の経験から、もし、そこの土地の所有者だったら、潰れた自分の土地を写真撮っている人を何と思うかと考えると、あまり撮る事ができませんでした。

思う事、書くべき事はたくさんあり、順次書いていきたいと思いますが、今日はまず一点のみ伝えたいと思います。

私も今回、一泊二日で、何もできず、見るだけで良いのか?とも思いましたし、震災後も今行っても迷惑がかかるだけでは?とか、実際ニュースなどでも、今は来て欲しくないという被災地の声を聞いた事もありました。

ただ、今回行って、向こうでもお話を聞きましたが、何であれ、いつであれ、行く人自体がどうするのか?という事にかかっているのだと思いました。

迷惑な人は何時行っても迷惑だし、役に立つ、有りがたい人は、何時であれ有りがたいのです。

見るだけでは?というのも、その人がそれでどうするのか?が問題であって、しっかり何かをやろうと思う人は、時間が無くて少しだけになっても、そういう人であればこそ、逆に見に行くべきだと思いました。

やはり少しであれ、現地で見て、自分で感じないと、本当の所は分からないと思いますから。

今回同行してくれた、テラルネッサンスの吉野さんは、震災時にはまだ東京の会社に勤めていたそうですが、直ぐに物資を持って現地に入り、情報も無いまま、車で行き当たりばったり物資を届けて回ったそうです。
その際に、何故か被災された方々が家族の様に思え、この人達と一緒に居たいと思う様になって、会社を辞めて岩手に来たそうです。

そんな人なら、そりゃ何時であれ、大変有りがたいと思いますし、少しでも何かしたいという思いのある方は、遠慮されず、是非行って欲しいと思います。

これも行ってみて、初めて明確に思えた事でした。

明日も又横浜へ出張なので、今日はこの辺で。

2011年7月3日日曜日

初めての東北行き

明日朝一で岩手に行きます。

実は私、東北地方には全く縁がなく、震災後どころか、生まれてから今まで行った事がないのです。

震災後暫くは、目的をしっかり持たず行く事は、迷惑にもなるという思いもあり、又、足元でできる事もたくさんあるとの思いから、現地へは向かいませんでした。

又、何十年スパンで考えないといけない様な被害ですから、じっくり腰を据えて考える事も必要だとも思っていました。

いくつかの団体へのお金や物資の寄付、京都での被災された方への協力など、こちらでできる事は微力ながら行なってきたつもりです。

そして、京都流議定書では、これで日本の価値観が変わらない様では、日本も駄目だという強い危機感から、価値観の変革を訴えていこうとしています。

ただ、ずっと悶々としていました。

平日では行きづらい中、土日両日空いている日がなく、ここまできたのですが、一度も現地を見ていなくて、何が分かるのか?と。
机上で言っているだけではないか?と。

という事で、たかだか一泊ではあるのですが、明日、明後日のしかも夜には会社に戻って来ないといけないので、そんな短時間で何ができるの?という話ですが、まずは自分の眼で見て、体感して、直接現地で話しを聞いて、今後長い取組になるであろう復興に向けて、自分達に何ができるのかを考えたいと思います。

一人で短時間で行きますので、今回はテラルネッサンスさんの遠野事務所の方にご同行頂いて、
少しでも情報を得て来ようと思います。

行けば問題だらけでしょうから、又、ここで書く事も多くなると思いますが、まだまだ何かしたいと思っておられる方には、見て頂ける様にしたいと思います。

という事で、明日は早いので、この辺で。

2011年7月1日金曜日

11'7月 ウエダ本社社報

3.11後の京都流議定書》

今月は、今年で四回目となった京都流議定書イベントがあります。

“今年は、ワークライフバランスからワークライフマネジメントへの転換という方向性で考えています”と、門川市長に説明させて頂いた数日後に大震災が起こりました。

売上、利益の最大化、それを目指す効率追求、それのみを追いかけ、賞賛してきた社会を見直していかないといけない、その為には京都の価値観を研究し、日本の価値観として、発信していく事を考えていくべきである、それが京都流議定書としてずっと唱えて来たベースの考えでした。

それだけに震災後も、従来の価値観に基づいて復旧していく様では、日本は終ってしまうのではないか?との強い危機感から、今年は3・11後の日本を考えていく方向に変更しました。

そもそも今後の日本が求める幸福はどんなイメージなのだろう?という幸福論から始まり、前原前大臣には世界の中で日本がどの様な立場にあるのか?をお話頂き、その後、価値観の変革や、その中での人づくり、街づくり、そしてそこから生まれてくるベンチャーや、それを支える人々の循環を興していく事、自分達が自主、自立して行動していく事が重要である。そんな形で構成する三日間です。

しかし、我々はこのイベントをボランティアとして行なっているわけではありません。

ウエダ本社の基本的なスタンスは、企業は世の中の役に立つ存在でないと、存在する意味がないという事であり、如何にその役に立つ存在に成りえるのか?を目指さなければならないというものです。

我々の様なディーラーが、役に立つ存在になる為には、世の中の課題に自社のスタンスからどの様にアプローチできるのか?を考えるべきだと思いますし、単に自社だけが儲かりさえずれば良いという考えや、売上、利益の大きさだけで判断する価値観を見直していく事は、我々自身の存在価値においても、重要な事なのです。

その様な意味合いですので、単なるお祭り的なイベントではなく、ウエダ本社として、何を大事にしているのか?どの様な世の中を目指して、その中でどの様に活動していくのか?を発信し、問いかけ、見出していく為だと認識してもらって、お得意先さん、仕入先さん、今後お取引頂きたいと考えている方々には必ずお越し頂ける様、案内して欲しいと思います。

2011年6月30日木曜日

福島ひまわり里親プロジェクト

今日は福島ひまわり里親プロジェクトhttp://www.sunflower-fukushima.com/ の代表をされている半田さんが来てくれました。

2週間程前に一旦はアポがあったのが延期になり、先に話を聞いていた人見社長からも話を聞いていたり、半田さんとも電話でも話していた事、又、私も素晴らしいと思っている方々がサポートされている事もあって、とても初めて会ったとも思えず、色々話し込みました。

単純には、ひまわりが放射線を吸収する効果があるとの事で、福島にひまわりを植えていこうとするものなのですが、まだ現在は、植える作業にもリスクがある事、しかし、その安全を待っている間に他の地区では、福島への関心が薄れ風化していってしまう事から、日本各地で福島とつながりを持ち、忘れない様にする為に、まず500円で種を購入してもらい、それぞれの土地でひまわりを育ててもらって、できた種を福島に送ってもらおうとするプロジェクトです。

又、風評被害などで仕事が無くなっている福島の中で、この袋詰め作業を、特に弱い立場の障がい者の方に、少しでもお金が回る様に、仕事として行なってもらっているとの事です。

広島県出身で、行きがかり上、会社経営を行なう様になったという彼は若干30歳過ぎ。
広島におられるご両親には、親不孝だが、福島の為に、命も賭けるという程の活動や、マスコミでは報道されない、信じられない色々な問題、やはり当事者でしか分からない感情などを聞き、稚拙ながらも普段感じている被災地復興への自分の思いなどを話していると、何故か涙が溢れてしまう場面もありました。

ひまわりの後は菜の花プロジェクトも行なうそうですが、是非、多くの方にこれらのプロジェクトを広めて頂き、少しでも風化をさせない様に、協力して欲しいと思います。
その位は誰にでもできる事ですから。

京都フォーラムを含む京都流議定書イベントには、三日とも来て頂けるとの事ですので、是非、各出演者の方にも、ご紹介したいと思います。

2011年6月28日火曜日

おもしろおかしくの事業継承

今日、商工会議所で堀場製作所の会長兼社長である、堀場厚氏の講演を聞きました。

私は恵まれた事に、堀場最高顧問には、ウエダ本社に来て、八方塞、四面楚歌の状況で悩みに悩んだ際にも、相談に行かせて頂くなど、以前から、しょっちゅうお話を伺う機会を頂いております。

ただ、厚社長は以前からよく存じ上げていますが、講演としてお話を聞かせて頂いたのは一度しかなかったので、楽しみに参加させて頂きました。

原発の問題についても、自然エネルギー一辺倒の様な論議になっている事の危うさも指摘されていました。
太陽光発電については良い事ばかり言っていて、太陽電池を作る為に必要な電気の論議は誰もしないが、現状では太陽電池を作る際に必要な電力と、その電池が生み出す電力はほぼイコールであるという問題や、電気自動車にしていく場合でも、リチウム電池の廃棄、処理が大問題である事を誰も話題にせず、始めから、意図的に誘導しているという所が問題であるとの事でした。

本当のリーダーとは、メリット、デメリット、先々の形、それらトータルの絵を見せて語れる人であるとも仰っていました。

以前、最高顧問にも直接言った事があるのですが、私は堀場製作所さんほど、親子での継承がうまく行った例は少ないのではないかと思います。

終戦後研究を続けたいからと会社を創業され、当初から決められていた50歳での社長退任を少しオーバーされたものの、すっぱりと降りられ、ご子息の厚社長(3代目)が海外戦略など、先代とは違う形で見事に発展させられて来られたのです。

厚社長に引き継がれた時、どの様に引き継がれたのですか?と聞いた際、この答えが何とも堀場最高顧問らしいお言葉でした。

”ワシと同じ事をすんなよ!と言っただけや””ワシと同じ事するくらいなら、ワシがやった方がマシやから”との事でした。

自分で創業しながら、引き継ぐ際はキッパリと、そして言葉だけはなくその通りに行われ、しかも引き継いだ人が見事に、独自カラーで拡大発展させて来られたという、ホントに滅多にあり得ない形です。

日本国のリーダー(と呼べる人が居るのか分かりませんが)は、少しくらい見習って欲しいですし、
政治家も、堀場さんの社是の様に、深ーい意味の”おもしろおかしく”で、夢中で国政に取り組んで欲しいものです。

その堀場最高顧問と、門川市長、そこに川畑社長を交えての”幸福論”今から楽しみです。

2011年6月25日土曜日

性格の良い人、ビジネス上で良い人

昨日は、以前にクレームを頂いたお客様の所に訪問しておりました。

最近、当社としての課題だと以前から考えて来た事が原因の問題が連発しています。

それは簡単に言ってしまうと感度の問題なのですが、その問題に対しての対策を色々取り組んでいるつもりではいるのですが、色々出てくると、結局は効果を生んでいないという事であり、どうしたものか?と悩みは深いです。

感度って、言ってできるものではないのですが、問題があった際に、元々は大した問題ではなかったものが、少しづつの掛け違いや、考えずに行っていた為に、大変な事になってしまうという事がよくあるのです。


私はよく、以下の話も社内で言います。

一つは日本語的表現が嫌いであるということと、性格の良い人がビジネス上とんでもない悪人になり、性格が悪い人?が、ビジネス上信頼を得る人になるという事です。


日本語的というのは、頑張ります!や努力します!できるだけ、などの表現ですが、日本の社会においては、何もやっていないのに、或いはやるつもりがないのに、これらの表現で文章を構成すると、さも" 頑張っている"様に感じますし、多くはできていない時に、それで通ってしまい、問題が隠されるのです。


その表現を用いて、あまりキツイ事を言えない、ハッキリNOと言えない人が話すとどうなるか?中身が無いのに、さもやっている文章になり、悪い事を言えないから、良い表現にしてしまうのです。

最も象徴的だったのは、前首相の米軍沖縄県外移設についての対応でした。

あれなどは、仕事上でも"できない"社員の典型の様な話でしたが、その後も、堂々と出てこられるというのは、余程感度に問題があると思います。

私はこれらの対策としても、質問に対して答えから先に言う事を練習する様に言っています。

或いは、英語的発想の仕方とでもいうか、S+Vの文型をベースに話するという事です。

" あなたはそれをやったのですか?"
の問いには、"はい、やりました。"か、"いいえ、やっていません。"が答えです。

その上で、なぜならば、〜だったから、などという
修飾する言葉を付けていくのです。

これが、日本の会話では、この型を使わない事や、何か、その言い方はキツく感じたりするので、余計な修飾語を一杯付けるのです。

そして、問題なのは、話し方だけなら良いのですが、こういう考え方になり、こういう考え方の人同士で話をしていると、何も問題が深堀されず、問題に気づかなかったり、或いはお互いがお互いにとって都合の良い解釈をしていて、分かった時には、相当両者の間には溝が出来ていて大きな問題となるのです。

それが、キツイ言い方をする事ができる、性格が悪い?人だと、 "それはできない"とか、"私はやる"とか、ハッキリ言うの
で、ビジネス上では結果、嘘をつく事がなく、ビジネス上では良い人となるのです。

うちの会社でも、良い人ばかりという根本的な問題は、当初から分かっていたので、以前は話し方なども注意していたのですが、それでは、皆が萎縮するだけなので、最近はずっと聞く様にしてきました。

しかし考えてみれば問題は変わらず、ただ言いやすくなって、問題が出やすくなっただけなのかもしれません。

早くもっと "悪い人"を増やさないと。と、同時にキツイ言葉を聞ける人を育てないと。

京セラフィロソフィーでは、"小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり"という項目がありますが、本当にその人の事を思う深い思いは、表面上は非情な、大変冷たい、キツイものに似ているものなのです。

2011年6月24日金曜日

日本には本当の営業はいない?

うちの会社の課題の一つは営業改革です。

卸営業やルート営業というものの最大の問題は、本来の市場価格という感覚がなく商売するので、値段を決めるという、ビジネスの一番基本的な事が分かっていない事です。

私は、独立して色々な商社に出入りして、企画を持ち込むという事も行っていましたが、そういう事を行っている内に、日本の営業って、ただ商品説明をしていたり、手配などをしているだけで、日本には本当の営業がないと気づいて、”営業代行”と名刺に入れて動いていました。

その頃、ソフトブレーン創業者の宋さんが、”やっぱり変だよ日本の営業”という本で、”日本には本当の営業がない”と全く同じ言葉で書かれていて驚いた事がありました。

よく話しますが、有難い事に大変厳しい会社で、営業のスタートを切った私は、まだ、商品の事も何も分からない中、これは幾らで売ってくれば良いのですか?と当時の課長代理に聞くと、即座に
”売れる値段の一番高い目”という答えが返ってきました。

優しいでしょ?全く何も分からない新人に、それだけで終わりなんですから。
あとは考えろという事ですから。

でも私は、未だにこの言葉は、深い言葉だと思っています。

先日も営業はアートと書いていましたが、売れる値段の一番高い目とは、暴利を取るという事ではありません。
お客さんが納得して買って頂く、最大値で売るのだという事であり、営業の能力としては、その最大値をいかに高められるか?という事なのです。

という事はそれを実現する為には、色々な要素があるので、アートだという話になるのですが、まず
その為にも、お客さんの反応や、状況など、全てはお客さんから始まらないと分からないのです。

ところが、卸やルートというのは、こういう経験がなく、原価が幾らで、自社の規定マージンが幾らだから幾らで売らないと・・という様に、全くお客さんや、市場原理は関係なく、自社のスタンスのみで考えるのです。

私はやった事がないのですが、先日女子社員に聞いていると、ネットオークションでは、意外と中古品でもよく売れて、それだけに気軽に買い替えなどを行えると言っていましたが、これがビジネスの原則です。

要は、中古であれ、汚れていたとして、それでも良い、それが良いという人が居て、買い手と売り手の思いが合致した所が販売価格になるわけで、株や相場物の全てがそうですが、それで値段は決まるのです。

という事は、相手が欲しいのか欲しくないのか?他に買う道はあるのか?などなどの状況と、こちらの背景で値段は初めて決められるのですが、うちの場合、この辺りのお客さんの事を聞いても、殆ど把握できていないのが現状です。

おかしいですよね?高等技術でも何でもありません。
だって、皆、個人の物をネットで売る際には、そういう行為をしっかり行っているのですから。

今日聞いたセミナーの中に、同じことを100回言って漸く変わるという話がありましたが、皆に100回言うつもりで続けていきます。

2011年6月23日木曜日

面白い"縁"

今日は、朝、昨年のイベントでお世話になった井筒八ツ橋の津田社長の所に訪問した後、今年も三日目に社会起業家メンバーと絡んでもらう嘉村君と会社で打ち合わせ、午後は京都JCの人間力大賞の担当委員長と、副理事長の訪問がありました。

これも特にイベント三日目のメンバーは、JCさんが選ばれた、人間力大賞受賞者ばかりなので、うまく連携して頂けないか?との相談をさせて頂いていたのです。

そして何とこの委員長が、京都に経営品質を広めたと言ってもいい、人見さんの弟氏。

という事もあり、今後も色々連携させて頂けそうな感じでした。

その間にも、うちのセミナールームでは、今晩行われた寄せ鍋講座の打ち合わせが勝手に行われており、チラッと顔出しして、私は、経済同友会のハピネス委員会へ行きました。

その委員会とその後スタッフ会議があり、今日は寄せ鍋講座には出れず、一旦会社に戻ってから、今日は何と鬼澤さんがわざわ
ざ、人見兄が、講師を務める経営品質協議会の講座に受講生として出席される為、京都に来られていたので、その二次会に合流させて頂き、先程帰宅しました。


という、一日でしたが、これを見ても、人の縁ばかりで繋がっている事を感じます。

人見兄が広めてくれた事に私も乗っかり、イベントも行ない、そのイベントで関わってくれた連中との絡みで、又、人見弟が、会社に寄ってくれる様になり、イベントに関わってくれている人達はそれぞれで繋がって話し合いが行われ、元はと言えば、人
見兄に火を点けた鬼澤さんが、京都入りされて、先程まで一緒に居たという、この何年もで出来た繋がりが一日に集まった様な、面白い一日でした。

私はJCではなかったのに、一挙にこんな関わりを持たせて頂いて、有難い話だと思います。

ただ、この繋がりにも時代を感じるのは、FBでそれぞれの動きを見ていたりする事です。

鬼澤さんの京都入りも、私は今朝FBで知って、自分の会合終了後駆けつけたという事ですから、不思議な縁だけではなく、気
持ちがあれば、縁も作れる時代なんだと思いますね。

しかし、人見兄氏は、鬼澤さんを受講生に迎えるのですから、もはや先生ですかね?

2011年6月21日火曜日

営業はアートです。

今日は仕入先さんにお集まり頂いて、半期に一度の事業報告会を行ないました。

悪い状況の話をするのは、なかなか大変ではありますが、一番支えて頂いている仕入先さんですから、正直に私の原因分析と対策、今後の可能性、そしてまだある懸念点など、一般的には話しない様な事まで共有させて頂きました。

我々など、分析してみても、本当にまだまだなっていない事だらけで、やはり各仕入先さんに助けて頂きながら、タイアップしていけないと、お客様に向けても、メリットを感じて頂ける存在になどなり得ないと思います。

新年度に入ってから、一つの事業部長を兼務しておりますので、見積などの相談を受けるのですが、本質的に”営業”とはどういうものか?何をしなくてはいけないのか?がまだまだ分かっていない様に思いますし、そこが最大の課題です。

私の持つ営業のイメージは、実はアートにも近いものなのです。

お客様の望む事、顕在化していないニーズを引き出し、それを作り上げていく事、その為には自分達の強みや、利用できるリーソースをフルに発揮し、お客様の喜ばれる形で提示でき、しかも自社もしっかりと利益を取りながら、お客様も満足して頂く価格で提供するという、色々な要素の最大公約数を導き出すという作業なのです。

そして、それができると、当然仕入先さんを泣かして自社だけ儲けるという事ではなく、仕入先さんにも喜んで頂くという構図ができるのです。

それが営業の醍醐味で面白さだと思うのですが。

なかなかこの辺りまでを理解してもらうには、まだ時間がかかると思います。

ただ、新年度に入ってから、各自役割を明確にし、行動目標に落としこむ作業を徹底的に行なっておりますので、かなり意識の変化も見られて来て、楽しみな面もあります。

先日、参加させて頂いた、日本再生プログラム推進フォーラムの基調講演で、堀場最高顧問が仰っていたお話の中で、20世紀と21世紀の違いは、集団から個の時代というお話がありました。

国であれば、国民一人ひとりがしっかり自立していかないと国も良くならないし、同じ事が会社でも言え、社員一人ひとりがしっかりとしないと、これからは生きていけない時代であり、しっかりとした個が、皆でよってたかって目標に向かっていく組織でないと駄目というお話でした。

その事を考えても、今、大変厳しい状況である中、皆がそれぞれ初めてと言って良いほど、自分の役割、行動を考えている今期は、漸く21世紀に向かっていく作業を行なっているのだと思いますし、まだ先の長い21世紀を渡っていく為の試練だと思います。

その為には、しょうがないですね。大変な事も楽しみましょう!

2011年6月18日土曜日

過保護な会社?

今週はなかなかハードでした。

出張もあり、会合もあるのですが、今期に入ってトコトン皆に考えてもらう様にしているので、会社に居る時間は、その報告、相談などもあり、自分の仕事に集中できませんでした。

と言っても、社員の話しを聞く、皆に考える事を癖付けるという事を行なっている以上、その考えの組み立てに付き合うという事は、現状では一番優先度の高い私の仕事でありますので、やむを得ない話です。

しかし一方で、昨日、ある機関が行なっているインターン生と面談したのですが、その内の一人は、ある大手不動産で1年弱働いていたという人でしたが、驚いた事に仕事は夜中の1時、2時まで毎日の様にあったとの事でした。

それは、既にある顧客は、全て先輩社員が持っていて、売り先がない為、新人は全て新規開拓を行なっていかないと全く数字が上がらないから、自分で飛び込みセールスをかけ、案内チラシなどを作ったり、その準備に追われるからとの事でした。

こういう話を聞くといつも、普段押さえ込んでいる心境が出てきてしまいます。

私が育った環境からすると、今のうちの会社でも、至れり尽くせりで、こんな過保護で良いのか?と思ってしまうのです。

私自身、研修制度や教育なんて受けた事がなく、社長とのコミュニケーションなど、そこそこの規模の会社だったのである筈もなく、”聞いてもらえない”などという不満を持っている事自体が、駄目社員と評価される様な環境で育ったのです。

単純に、自ら何とかしようとしない人は、放っていかれるだけで、全ては自己責任なのです。

しかし私は、それが悪かったかと言えば、特に事業をしていきたい、或いは成長をしていきたい、という人にとっては、非常に良かったと思っています。

ただ、今の時代はもうそんなのは通用しないとも思っていたのですが、去年でもまだそんな事があるのだ、と思うと、安心した様な感もありますし、時代には関係ないのかと思いました。

やはり、特に新人や若い間は、そして成長を求めるのであれば、本人の為にも、厳しい経験をさせるべきだと思います。

仕事はずっとしていかなくてはなりません。
そして長い人生、嫌な事、厳しい事だらけです。
それらから一生逃れていけることなど有り得ません。

それなら少しでも早く、そして早い内に多く、厳しい経験をした方が、間違いなく身になるのです。

若い内に、毎晩夜中の1時、2時までやった・・という様な経験、売り先も与えられないので、全て自分でやらないといけないという経験、そんな経験を吸収していれば、ベテランになってから、考える癖付けの練習という様な事をやらなくても良いと思うのですが・・・

長いスパンで見た時に、どちらが良いと思いますか?

2011年6月17日金曜日

京都グリーン購入ネットワーク総会

今日は、この総会後のセミナーでパネルディスカッションに出演させて頂きました。

うちの会社もこの組織には参加しており、ウエダ本社の環境大臣のT本君が幹事を務めています。
今日も総会後のパネルに出席する為、少し早く行って総会にも入ると、そのT本君は幹事として前に並んでいました。

"偉くなったもんやな〜"と思いながらも、うちの会社に期待して頂いているという事もよくわかり、幹事のT本君にも迷惑はかけられないと思いました(笑)

来られている方は、環境に取り組まれておられる方であり、まして今日は、その前にNPO法人KES環境機構の専務理事と、京グリーン電力証書運営協議会の構成企業の方のお話を受けて、それについてのコメントをしてくれとの、何ともハードルの高いお話でした。

しかし、お二人のお話を聞いてみると、仰っている事は、環境という切り口ではありますが、効率追求の価値観の限界、地域との共生、自立、省エネなどの日本モデルを構築すべき、単に値段だけで選ばない様な消費者の在り方、などなど、私も感じていて、今回の京都流議定書の骨子にしている様な事ばかりで、助かったのと共に、お陰で又イベントのPRもできました。

やはり、問題の根は同じで、価値観を変えなくてはいけないと思っている方々は、たくさんおられると改めて感じました。

この中で、企業は、消費者が3・11以降に変化を見せているのに、その変化についていけていないという話がありましたが、
せめて我々中小企業は、元の価値観に戻らぬ様、思い切って舵を切るべきだと思いました。

2011年6月16日木曜日

二つの有益な空振り

先程、沖縄から帰ってきました。

当然、沖縄に行っているのですから、いつものごとく、沖縄教育出版さんへ。

ところが、川畑社長とは入れ違いで今回は会えず、と、実は分かっていたのですが、川畑社長のおられない沖縄教育出版さんも、ある意味大変勉強になるので、幹部のお二人と、昨日から、いやその前日の京都からずっと一緒の御馴染み、ライバルである熊谷社長と共に、四人でランチに行きました。

沖縄教育出版さんも、そのレベルにおいて、次の段階へ進まれている感じで、私が、”うちの会社も研修などが皆、恵まれ過ぎていて、手法に走りすぎている感がある。京都の老舗などはそんな事を勉強していなくとも、日々の教えなどで自然と身についている所が多く、そちらの方が強さを感じる”という話をしていると、全く同感と頷いてくれていたのですが、悩みは同じでも悩んでいる階層が違うと思います。

多分、沖縄教育出版さんは一巡か二巡、上のレベルでの悩みなのですが、再度、足元を固めようと、朝礼の見学さえ今年は断られておられるのです。

我々の後輩である、京都経済同友会の青政研メンバーは、そんな中、来週特別に朝礼参加させてもらうのですから、是非、多くの気づきを持って帰って欲しいと思います。

昼食の後は、昨日、ラッキーにも会う事ができた、平田大一さんのおられる沖縄県庁にタイミングが合えばお邪魔するという事になっていたのですが、こちらもタイミングが合わず、お邪魔する事はできませんでした。

しかし元々はお目にかかる予定などなかったのに、昨日思いがけず会う事ができ、来月のイベントにお越し頂く、ご挨拶はさせてもらう事ができたのですから、超ラッキーで、今日の二件の予定の空振りは、目的を持った思い切り有益な空振りでありました。

今回、沖縄でお会いできなかったお二人ですが、7月22日には川畑社長、23日には平田大一さんに、何とハイアットリージェンシーでお目にかかれるんです。
私だけではなく、来て頂いた皆さんもですから、どうぞこぞってお越し下さい!

と、最後は必ず宣伝でした。

2011年6月15日水曜日

肝高の阿麻和利 in 盛和塾

ちょっと二日、ブログをサボってしまいました。

フェイスブックで見て頂いている方には、速報をご覧頂いた様に、昨日から盛和塾例会で沖縄に来ています。

経営問答の例会、その後の懇親会と二次会、そして京都からも約20名の参加があったそうですが、京都メンバーとその後の懇親?があり、ホテルに戻ったのは、午前2時前、という事で、ブログ書く気力がありませんでした。

という言い訳はさておき、その速報でもお伝えした様に、盛和塾の懇親会の余興で、何と肝高の阿麻和利が出演しました。

沖縄の塾生に聞くと、やはり、県外の方に知って欲しいと企画したとの事で、4月から県の部長に抜擢され、そして、京都経営品質協議会の主催となる京都フォーラム(京都流議定書二日目)にご出演頂く、プロデューサーの平田大一さんも挨拶に駆けつけて来られました。

30分程で20名強のメンバーでのホントにダイジェスト版ではありましたが、約500人程の全国から来られた塾生達も、驚きと共に感動されていました。

余興ですから、宴会が盛り上がって、正直、ざわついた中で始まり、内容を知る私としては、もっと注目される様にうまく説明すれば良いのに・・とヒヤヒヤしましたが、その心配も直ぐに吹き飛ばす様に、彼らのパフォーマンスが始まると一瞬にして静まり、その後は皆さんドンドン引き込まれていた様でした。

経営品質の方では、大久保さんや鬼澤さん、川畑社長など、皆さんが応援され絶賛されておられますので、かなり有名になったと思いますが、盛和塾のメンバーは、沖縄の方以外は殆どご存知なかったのではないかと思います。

稲盛塾長を始め、その塾長から、利他や、全従業員とその家族の物心両面の幸福を追求すべきなど、常に指導を頂き、経営品質ともほぼ同じ方向性を目指している塾生の方々にも、今回、肝高の阿麻和利を知って頂いたのは大きいと思います。

”良かった”と言われる皆さんに対して、私は何故か関係ないのに、心の中で、”してやったり”とニンマリし、”ホントは2時間半ビッシリと沖縄で見て欲しいんです”と完全優越感に浸っていました。

でも先に、完全版を観ている者からすると、あの抜粋版で初めての人に感動させられる彼らは本当に凄いと思いましたし、それを手掛けられて来られた平田大一さん、改めて凄いです!

そして、その平田さんはイベント二日目の京都フォーラムに来られます!・・また宣伝