2009年10月14日水曜日

京都検定とよそさん、そして京都流

明日から商工会議所の会頭ミッションで中国に行きますので、”社長の日報”は不定期になると思います。

だからでもないのですが、今日は、最近話題にして頂いていた、京都検定と”よそさん”そして京都流について再確認したいと思います。


京都流は元々、京都検定の、京都人が京都を知る事によってホスピタリティーを高めていくという理念に賛同し、
その理念を応援していくという事でスタートしました。

という事で考えると、論議されている様に”よそさん”の存在はどうなるの?という事ですが、京都流を始めるに
至った段階から現在までずっと、元々京都の”排他的”な部分が大嫌いであった京都人の私自身の問題意識から
展開しているので、京都流にとっては、”よそさん”の視点が大変重要です。

又、京都検定の為の京都流というのではなく、京都に対して何かできないか?という考えから、京都検定の理念を応援しようとしていたのが京都流ですので、そういう意味から言っても、京都流では”よそさん”も京都人も関係なく、京都を良くしたいという人が対象です。


元々京都検定に興味を持ったのも、京都に対して問題を感じていたからですが、その大きな一つは、この京都人と
”よそさん”の問題で、町家保存の問題でも何でも、京都の真ん中に居る人達は、”よそさん”のやる事に対して
”邪道だ”的な事を言われます。
しかし、かと言って京都の真ん中の人達だけでは、”京都”が守れないのですが、ずっとこの二者択一、つまり
邪道だという物でも、それを受け入れて形だけでも残すのか?、精神性を貫いて受け入れず、ドンドン衰退していくのか?で来ている事が京都の最大の問題だと思います。

そんな所から京都流を始め、何とか京都を融合していけないか?という思いから京都流議定書というイベントまで
行なう様になったというのがこれまでの経緯です。

草の根的に色々な人達を繋ぎ、それをオール京都で認めて頂き、その事によって何か融合が生まれないか?
京都の真ん中の人と、よそさんに加えて、私の様な京都人の一軍半の様な人間をもっと巻き込んでいかないと
いけないのではないか?その他色々あるのですが、そんな事に繋がるなら、場は用意するので、京都府、京都市、
商工会議所など、それぞれが自分達のイベントとして利用してくれれば良い、それが京都流議定書のミッションでした。

そんな流れから今回京都市が共催となったわけですが、私的には、こういう考えに至った元は、京都検定があったからであって、京都検定の担当部門には、せいぜい京都検定のイベントとして利用してください、とも言ったのですが、残念ながら、乗っては頂けませんでした。

京都流(サイトというだけの意味ではありません)としては今後も、京都に対してフリーハンドで問題提起し、
京都の真ん中の人であれ、”よそさん”であれ、皆の融合を生み出し、京都の価値を高め、京都スタンダードを
発信していく事を目指していきたいと思います。

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