2008年8月3日日曜日

ウエダ再興記(47)~ 盛和塾と経営品質

元々ウエダに対しての愛着というものは持っていませんでしたが、昔は輝いていて良い会社であったことが分かるにつれ、又ウエダに入って悔しい思いも数々経験するにつれ、良い会社にしたいという思いが強くなりました。

初めは自分の為に会社を創業した私が、ウエダに入ってからは、せめてウエダに残った社員や、その後待遇も良くない中、ウエダにかけて入って来てくれた社員達が誇れる会社にしたいと思う様になりました。

負債の処理も落ち着いた頃、京セラ創業者である稲盛氏がボランティアで指導されている盛和塾に入れて頂きました。
そこではたくさんの教えがありますが、その中でもまず経営者は、”全従業員の物心両面の幸福を追求しなければならない”とあります。
経営者は例え小さい会社でも、社員の人生を預かっているわけですから、”誰にも負けない努力をしなさい”など、自分を厳しく見つめる事を求められます。

その後経営品質という考え方にも出会いました。
これは、製品やサービスそのものの品質ではなく、経営の質に注目した考え方であり、そのベースは、社員満足、顧客満足、独自性、社会との調和というものです。

思えば、社長は偉いものではないと言って、父親に反発した小学二年生の時からそのベースはあったのかも知れませんが、ウエダという株式会社に入ってからは、存在意義も含めて”社会との調和”を考え、その後の数々の経験から、心底どうすれば社員が生き生きとした人生を過ごせるか?という”社員満足”を目指す様になりました。
瀧定時代の経験から、独立した際には、小さくても”独自性”のあるビジネスを心がけていましたので、これら経営品質の考え方は、自分でも分かっていなかった私の考えを、明確化してくれたと思います。

成績は黒字転換し、会社の雰囲気はよくなり、挨拶などは訪問された方から褒めて頂ける様になりました。
しかし、これら成績はウエダの独自性で生み出せたものではなく、卸や下請けで身についてしまった受け身体質から、なかなか脱却できませんでした。
挨拶などはできるのですが、何故か、その割に一体感が乏しい組織でした。

ここから脱却できないと、私の考える良い会社などというものには到底成りえません。
どうすれば自主的に動いてくれるのだろうか?自分達の会社、自分の人生として捉えてくれる様になるのだろう?
これらずっと悩み続けている問題も、何とか払拭できないかと思い、Do you Kyoto? Do you Kyotostyle?イベントにかけてみる事にしたのです。

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