2008年7月28日月曜日

ウエダ再興記(46)~ 身内の話と人生って?

私は30歳の時、独立しました。
会社という程ではなく個人事業といった方が近いものでした。
その頃ウエダの社長であった兄は、その後、ウエダの文具卸の部門と共にジョインテックスへ移り、合併が落ち着いた頃、独立する事になりました。

人生というものは10年も経てばどうなっているのか分からないものだと思います。
私が30歳で独立した際、兄はウエダの社長であったのが、10年後の40歳の時には、私は入らないと言っていたウエダの社長になっていて、継ぐ事前提で来た兄は、有限会社で独立をするという様に、10年の間に立場が全く反対になっていました。

兄は自営となって時間的に自由が利くこともあり、父の病院への送り迎えをやってくれていましたが、その時に感じた、介護をされる側の身内の気持ちから、今では介護タクシーを自営で行ない、忙しい日々を送っています。

堀場最高顧問にも言って頂いたのですが、どちらが偉いという話ではなく、結果我々兄弟間では適材適所に落ち着いたのだと思います。

一昨年の11月、母も亡くしましたが、福岡に出張で行っていた私は、父に続けて母の死に目にも会えませんでした。
ウエダの立て直しについて、一番喜んでくれていたのは母ではあると思いますが、その仕事をやっていった結果、両親の死に目にも会えなかったのは、どうだったのか?という想いは残っています。

私達兄弟からすると親戚は年の離れた人ばかりだったという事もあり、親戚の付き合いや世話なども全て、母が一人でおこなっていてくれていました。
その為、自分のルーツ的な事も殆ど知らなかったのですが、京都流でジュニア京都検定の主旨などを知るにつれ、自分の背景にも遅まきながら興味を持つようになった頃、両親が続けて亡くなり、変な話ですが、その関係の法事で殆ど会った事もなかった親戚に会い、全然知らない話も聞く事ができました。

これなども人生って何なんだろう?と考える機会になりました。
親の死というものは全てに意味があって、自分の子供に何か伝えるべきメッセージがある時に、又伝えたい時期に亡くなるのだという話を以前聞いたことがあります。

私の場合、両親の死は、”自分の背景的なものを考える様にしろ”というメッセージだと受け取るのと共に、自分の事、地域の事、日本の事を知って興味を持つという、京都流の主旨をより強く大事に思うようになりました。

又、その様な気持ちになっていくにつれ、京都に対して、色々な方面に対して問題意識を強く持つようになっていきました。

ウエダ再興記~ お詫びと残り

毎週日曜日にアップしておりました、ウエダ再興記が昨日アップできておりません。
イベント前を除いては、ずっと継続して来ただけに残念です。

取引先関係や、新規で来られる方々、こちらが恐縮するようなTOPの方々、懐かしい人々、それと小さいレベルですが、実体験ですので、それを参考にして頂いている経営者の方々など、色々な方々がご覧頂いておりますが、今朝までに更新を見ようとして頂いた方、誠に申し訳ございません。

色々な状況が重なっていたのと、土日に引越しをし、まだネットに繋げていないという状況ですので、どうかご容赦下さい。
通常はあまり、日中にアップしないのですが、後でアップさせて頂きます。

毎週ネタを整理しながら続けて参りましたウエダ再興記は、第50話をもって終了させて頂こうと思います。
その後は少し、あとがきに代えて、今まで直接頂いたご質問などに少し答えさせて頂こうと思いますので、もう少しよろしくお願い致します。

2008年7月20日日曜日

ウエダ再興記(45)~ バランスシートの改善

自分で創業をしていたとは言え個人事業の様なものでしたので、ウエダに来た頃は、経営について全く何も知識がない状態でした。
難題山積している中、誰にも相談できませんでしたので、ビジネス書は読み漁っていたという状況でした。
倒産を防ぐ為には即刻の黒字化をしなければいけませんでしたので、中でも会計に関する本は十冊以上まとめて読んだ様に思います。

お陰でバランスシート(貸借対照表)が読めない経営者が多い中、ある程度バランスシートを見て判断を下せる様になったと思います。
会社価値を高める事を別にすれば、第二の創業後の私は、黒字転換をして、バランスシートを改善する事に専念していたと言っても過言ではありません。

この局面になると、累積損失があるという事は大変有り難く、利益を上げても税金は納めなくて良いので、意識して展開していくと面白い様に財務の中身が良くなっていきました。

創業の文具卸を外に出したのも、先行きを考えると厳しい状況だったからという事でしたが、バランスシートの改善という意味も大きくありました。
当時は2億円強の在庫を持っていましたから、文具卸部門がなくなると、その2億円が丸々浮いてくるので、これも(不良在庫もありますから、額面通りではありませんが)借入金返済に回す事ができました。

毎年、利益の様子を見ながら、順に不良資産を整理していきました。
厳しい状況下で救って頂いた際の、京都信用金庫の本店長は代わられていましたが、その後の本店長には、”これだけ言った通りに改善計画を実行して来た会社は珍しい”又、その次の本店長にも同じ様に、”改善の仕方は京信本店の取り引き企業の中でも3本の指に入る”とまで言って頂ける様になりました。

私は人の能力は、”やる気”のみと考えていますが、これらの事でも証明される様に、切羽詰まった局面で逃げずに集中して取り組めば、中途半端な専門家よりも詳しくなれると思います。

引き継いだ当初、最大借入金が8億8千万、自己資本比率が約17%という状態から、これら財務体質の改善に強烈な意志を持って取り組んだ結果、終に2008年4月期には自己資本比率50%で、現預金が借入金を上回る、実質無借金企業の仲間入りをする事ができました。
当初は、毎年の返済額からして、いつになったら完済できるのだろうと、気が遠くなった借入金も、考え方が変わり、取り組み方が変わると、ほんの6年程でできてしまったのです。

一人の人間でも会社でも、良いスパイラルに入るのか、悪いスパイラルに入るのかが、大きな分かれ目だと思いますし、そのポイントをウエダの社員を含め特に若い人達には、理解して欲しいと思います。

2008年7月18日金曜日

盛和塾全国大会と、くじ改め

祗園祭りだというのに、京都流主催者の私は、京都におりませんでした。

京都通の皆様からは”何て奴だ”て事になるかと思います。

実は、私も勉強させてもらっております盛和塾(京セラ稲盛名誉会長がボランティアで指導されているもの)の全国大会が横浜パシフィコで行なわれ、そちらに参加していました。
これは、経営者の甲子園といわれる様に、8人の発表者が2日間に渡って、経営体験発表をするというもので、今年は過去最大の2555名が参加しておりました。
海外からも、中国、アメリカ、ブラジルからも合計100名近い方々が来られていました。

それは大変刺激を受け、経営者としては参考になるもので、有意義でしたが、16,17日を空けるのは、京都流主催者としては若干後ろめたい気持ちもありました。

ところが、今年のくじ改めは、私の友人のお子さんが務められ、写真の掲載許可をもらったので、東京から今年のくじ改めの画像をUPさせて頂きます。



門川市長も今年初のご体験ですね。









これが今年のくじ改めを務めた親子です。
これは占出山ですよね?
占出山の粽は安産のお守りとして人気があるそうです。

2008年7月13日日曜日

ウエダ再興記(44)~ 企業のミッションと価値観

今まで知らなかった京都を知っていくと、その奥深さに感服しました。
排他的に思っていた事が、実は奥ゆかしさであったり、相手を慮るところから行なわれている事であったり、文化や伝統産業などにある教えは、それぞれが今正に日本が失ってしまった心を持っている事に気づきました。

日本が世界に誇れる物は、何も半導体や精密機械などだけではないのだ、こういう精神文化こそ、日本が欧米にも堂々と誇れるものなのだという事に気づいたのです。
しかも、技術は真似されますが、この日本独特の精神文化は基本的には日本人でしか伝えられないものです。
京都の心は京都人でないとDNAに刻まれたところは伝えられないのと同じ様に。

そうすると、正に日本の文化を日本人が知っていく事が最も大事であり、日本の文化のイコールにも近い”京都”が凄いと初めて思いました。

会社の展開としても、ウエダ本社は京都の価値観でいかないと駄目だと思いました。
日本は欧米の資本主義を追いかけてきて、その価値観は、京都以外は全て東京の価値観と言っても過言ではないと思います。
大阪であれ、名古屋、福岡であれ、地域性はあっても、こと資本主義においては、皆東京の価値観です。
分かりやすく言えば、皆、売上が大きい方が”凄い”と認められます。
ところが、京都だけは、ポッと出の会社で幾ら売上が大きくても、”へー”って感じで、全く”凄い”と感じてもらえません。
それよりも、老舗というか、格というものが重要なのであり、売上が大きくても格上にはならないのです。
そういう皮膚感覚を皆が知らず知らずに持っているのです。

私はウエダに来て、経済界において、常に規模よりも上のランクの扱いを受ける事に違和感を持っていました。
又、ずっとこれが何故なのか理解できませんでした。
ウエダ本社は今年70周年を迎えましたが、京都には何百年という会社はたくさんあり、70年なんて大した事はありません。
ところが、京都が分かっていくにつれ、自分なりに納得したことがありました。
それは、事務機とか、OA機器なのか、そういう分野でいうと、言い方を変えると、ウエダがそういう分野を始めたという事で、ウエダ本社が一番老舗なのです。

それを皆机上論で理解しているではなく、皮膚感覚で感じているのです。
だから他府県の人が京都に入り込めない、難しいという事になるのだと思いますが、これはうちの様な小さい会社では大変大きな資産であり、真似はできないものです。

という事は、折角そういう様に見て頂けるウエダ本社としては、”その価値観を全面に吸収して、展開して行こう”
これが、世の中のニーズや社会に向けてやるべきミッションとウエダ本社の価値観が繋がった瞬間でした。

2008年7月8日火曜日

Live Do you Kyotoと3R検定

先週土曜日に円山音楽堂でLive Do you Kyoto?という音楽イベントがあり、参加して来ました。



京都流議定書を行なったものとして、Do you Kyoto?と名のつくものには顔を出さねば!と思ったわけではないのですが、でも京都流議定書を行なった事から、環境という問題にも関わる事になり、実は3R検定の実行委員にも就く事になっていたのです。
その3R検定が、環境メッセージを募り、3R検定のPRも兼ねてテントを張っていましたので、そこでのお手伝いに行っていたという事だったのです。



3R検定というのは、リデュース、リユース、リサイクルの活動を広めていく為に
来年1月、東京、大阪、京都で開催され、中国など海外にも広げていこうとされています。

どうして私が委員??なのですが、京都流サイトや、先日の京都流議定書のイベントを認めて頂いた様で、我々のイベントでDo you Kyoto?にも火を付ける形になったわけだし、環境についても避けて通れないので、微力ながらお受けすることになった次第です。

又、京都の本来の無くなりつつある教え、暮らし向きには、環境にとって負荷が少なく済む事も多く、そういう意味でも京都流の考えは環境問題とも密接に繋がっていると思います。

という事で今後は、3R検定、環境問題も少しづつ取り上げることになると思います。

Do you Kyoto?と聞けば、という事で言うと、門川市長も忙しい中、このイベントにも駆けつけて来られました。
8月6日に新宿高島屋で3R検定のイベントがあり、そこに環境大臣が来られるそうなのですが、そこで大臣にDo you Kyoto?を言って頂く様に、急遽市長にもお願いをしておりましたが、それはどうなるでしょうか。

2008年7月6日日曜日

ウエダ再興記(43)~ 京都への思いと、京都の価値観

私は元々、京都が好きどころか、嫌いでした。

それは他府県の方がよく言われる様に、排他的であるとか、閉鎖的であるとかという特殊性が、白黒ハッキリさせたい私の性格には合わなかったのです。

しかし京都で会社を経営してみると、”京都で商売するにはどうしたら良いですか?”と聞かれる事がよくありましたが、という事は、京都で何かを進めるには、我々京都人にはアドバンテージがあるのだと思う様になりました。

京都に少し興味を持つと、40歳を迎えるまで京都人でありながら、京都について殆ど知らずに育って来た事、しかし一方で、伝統産業では引継ぎ手がなく、その技術が途絶える危機にあるという事を知り、その馬鹿げた構図に、大きな問題意識を持ちました。
又、文化というと格式ばって入りづらいものになっているが、本来はそういうものではなく、その本質を知らしめる事が重要であるのに、中心におられる方々は、枠から出る事は難しいので、本当に大事な所が伝わってない様に思いました。

それなら、色々な所に出入りできる自分の立場を利用して、何か京都にできる事があるのではないか?
折角京都で70年近くも営業して来た会社なので、会社としても京都に向けて何かできないか?と考えたのが、京都流を興したもう一つの理由でした。

会社を再興するに当たっても、私は単にコストカットして黒字転換して終りではなく、あくまでウエダ本社を再び輝く会社にする為に入ってきたわけですから、黒字転換した後は、会社の付加価値、社会に対しての存在意義を作っていかなくてはなりませんでした。
その為には、京都の会社であるという事を何かに生かせないかと、ずっと考えていました。

会社の価値観を作る為に、私はよく、世の中のニーズに会社をどう合わせていくか、という事を考えます。
そういう方向を模索していくと、その展開が世の中の為にもなり、会社の為にもなるのです。
京都流も全く収益を得ず行っていますが、単なるボランティアではなく、会社の為に行なっていると言うのは、そういう理由からです。

サイトを展開していくと又、問題意識は膨らむばかりでした。
何故もっと早くから京都の背景的な事を教えないのか?という事については、京都市教育委員会が、ジュニア京都検定というものを作り、小学生から地元の事を教えて行く様にされました。
私は、大変素晴らしいと思い、当時の門川教育長の所に、是非ジュニア京都検定も応援するという立場を取らせて下さい、とお願いに行ったのですが、これが初めて現市長にお目にかかった時でした。
以来、本当に熱く、自分の損得抜きに、行動される当時の教育長に触れ、全ての問題の根元には、教育があり、それを何とかしていかないといけないのだと、教育にも大きな問題意識を持つ様になりました。

そんな展開をしていくうちに、京都の価値観というものが少しづつわかってきて、我々の様な中小企業こそが、その価値観を学び、京都の価値観で展開していくべきだと思うようになっていったのです。

2008年7月3日木曜日

上七軒感謝の夕べ

今週の月曜日(6月30日)に、上七軒ビアガーデン前夜祭~上七軒感謝の夕べという企画にお誘いを受けて行って来ました。

これは、7月1日より上七軒ではビアガーデンが開かれますが、その前夜祭として開かれ、今年が3回目との事でした。

5時半より、歌舞練場で長唄を見せて頂いた後、ビアガーデン



で6時~お弁当



などを頂き、7時~9時迄の間は、上七軒の、
中里、大たか、藤幾、大市、さくら、大文字、梅乃、市、というお茶屋さんが開放され、この日に限っては、この時間内でどこに行っても良いという楽しい企画です。

ご存知の様に、通常花街では、自分がホスト役として行けるお店は各花街で一軒なので、花街上級者の方でも、他の店はあまりご存知ないのです。
それだけにこの日は、大人の地蔵盆の様に、10分や20分刻みで、皆さん徘徊されていました。

料金は5万円なのですが、コストパフォーマンスはかなりあると思います。
そして、この上七軒全体のイベントは、お茶屋さん、芸鼓さん舞妓さんも全て無償協力されているそうで、この集まったお金は、歌舞練場の修復資金にされるそうです。

以前は、単に修復費がかかるから、という事で、寄付集めに回られていたのですが、
自分達の街の事なのだから、自分達も御奉仕をして集めようという事で始まったらしく、その考え方、姿勢には大変感銘を受けました。

特に伝統文化の世界では、タニマチの存在もなくなって来ていると思いますので、
単に支援してもらう、支えてもらうという所から、少しでも自分達でできる事を行い、自立型の仕組みを構築していくべきだと改めて感じましたし、そういう姿を見せていかれると、支援する人も広がっていくのではないかと思いました。

又、逆に花街にはトンと疎い私に、ある社長さんから、”岡村君、これは上七軒が御奉仕で行なわれている事なんだから、この日だけ来てなんて事は駄目だよ。今後はもっと来て実際お金を落としてもらわないと・・”と言われましたが、実際京都では名だたる企業さん、社長さんが、寄付もされて花街を支えておられるのだという事を再認識しましたが、そういう所に京都の”粋”というものがあるのだなという事が、おぼれげながら、分かってきました。

しかしまだまだ、私などはそんな世界にどっぷり行ける様な立場でもなく、足元をしっかりしないといけませんが。
ちなみに、ウエダ再興記をご覧頂いている方に向けては、言っておかないといけないですが、この5万円は、勿論会社のお金ではなく、自分のお金ですのでご安心下さい。