2008年6月22日日曜日

ウエダ再興記(41)~ 良い会社にしたい

父が喜ぶ事を唯一できたのは、皮肉にも社葬を出せた事だと思います。
これより以前の”倒産”の危機の頃に亡くなっていたら、社葬どころではなかったですから、社葬を出せる様に立て直せた事で、一つ役割を果たせた様に思います。

サラリーマンからスタートし、有限会社で独立した頃は、自分の為だけに仕事をしていました。
その後、”公器”の役割もある株式会社の経営を担う事になり、身内の為、社員の為に仕事をする事になりました。
倒産寸前の会社で借金を背負い、文具業界、同業者の組合、グループ内、はたまた自社内でも悪役を担うなどという事を誰の為、何の為にやるのか?を理解してくれる人は殆どいませんでした。
”お父さんならそんな事はしないだろう”よくそんな事も言われました。

”そりゃ、お金(数字)の事や、社員の事を考えず、体裁ばかり考えていれば、良い格好もできるよ”
”大体、私が全面的に悪役をやらなければいけないのは、誰のせいだと思っているのだ”
何も知らない他人にはこんな事も言えず、余計に父の事を腹立たしく思いました。

赤字会社にして、社員達にもしわ寄せをしていたのは、紛れもなく父のせいであり、しかもこの時点では完全勇退もしておりましたので、社葬を行なう事についても初めは消極的でした。
しかし、幹部や関係する人達からも、”社長や今後のウエダにも関わる話ですよ”と言ってもらい、大勢の方々にお越し頂いて、社葬として送らせてもらう事ができ、これで私としても自分の気持ちに区切りをつけられた様に思います。

この時点では会社の危機は遠のき、負の遺産も処理をしていける様になっていましたので、この頃初めて、父が見栄、体裁で行なってきたことにより、京都の多くの方々に知って頂いている事も資産として捉えられるようになりました。

社葬に向けて、以前一度読んでいたのですが、祖父が書いた”ウエダ雑記”という本と、”わたしと事務機”という父が書いた本を再度それぞれ読みました。
以前読んだ時には、それ程感じなかったのですが、この時には、昔ウエダが輝いていて、素晴らしい会社であった様に感じました。
同時に、それだけ素晴らしい会社でありながら、倒産の危機に直面する様な会社になってしまい、長年昇給もされず、沈滞ムード漂う会社に成り下がってしまっていた事を大変悔しく思いました。

そしてこの頃から、株式会社は公器の役割があるから・・という様な形式的なものではなく、昔のウエダの様に輝きを取り戻したい、不遇の中残ってくれた社員達が、残って良かったと思える会社にしたい、社員達が自分の身内、知人に誇れる様な素晴らしい会社にしたい、そう強く思う様になったのでした。

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