2008年6月1日日曜日

ウエダ再興記(38)~ 合併と第二の創業

2002年10月期にウエダ本社は黒字転換しましたが、まだまだ勝負所は続きました。
子会社である、ウエダシセツがどんどんジリ貧になっていたのです。
この会社は、ゼネコンや工務店の下請け的な仕事で、オフィス内のレイアウト設計から、間仕切り、内装工事などを行っている会社で、長年、良く言えば堅実ですが、売上は約10億円で”少しだけ黒字”を続けていました。

前社長は、コンピュータ代表と共に親会社の”名誉ある撤退”を迫って来た人ですが、自分の意思というよりはその方が得策と踏んでいただけであろう事もあり、2002年1月に任期満了という形で退任してもらいました。

建築など又々、全く分からない世界でもあり、まだまだウエダ本社も立ち上がったばかりで他の事に時間を割く余裕もなかった事、この会社は別運営すべきと思っていた事もあり、後任は専務(現在、ウエダ本社専務)にお願いしました。
しかし、”現場は責任を持つが自分は社長はできない”との事で固辞された為、ウエダ本社の副社長兼、ウエダシセツの代表取締役社長に就任する事になりました。

この頃には長年10億と言っていた売上は7億に落ち込んでおり、その中身も粉飾や、不良債権も含まれていました。
建築業界では、受注時と中間期、完了時で3分の一づつ伝票を切るケースが多く、数字が苦しい際には、決まっているからと伝票を先切りし、それがその通りにならない事から、不良債権というよりは処理できずに、結果粉飾となっている債権がいくつか残っていました。
今後、”伝票の先切りはやらない”という事を徹底した事もあり、売上は5億に一気に萎んでしまいました。

10億で少しだけ黒字を”数字上”続けていた会社ですから、それが7億、5億と一気に萎むと、蓄えもある会社ではないので、こちらはこちらで一気に倒産か、廃業となる状況で、とても名前だけ社長で別運営などと悠長な事を言ってられる状況ではありませんでした。
私も正直な所、いつも自分の知らない事はやりたくないし、他にまだまだ問題に取り組んでいるので、誰かにやってもらいたいと考えるのですが、後退局面の時期は、強いリーダーシップで処理していかないと結局、傷を広げ手遅れになるので、自分で管理、指示できる様に、ウエダ本社と統合合併する事にしました。

この間、実際は2年前から全て舵取りは行なっていたウエダ本社の社長にも、2002年5月に正式に就任し、統合の準備を進めました。
決算期を変更する事もあり、合併後の新会社は創業と同じく5月1日からとすべく4月決算とし、2003年5月~本当に第二の創業というべき、新ウエダ本社をスタートさせる事にしました。
それ故、2002年に黒字展開したウエダ本社も、2003年4月の半期決算で又赤字では合併も認められにくくなるので、黒字は絶対の状況下で、何とか黒字を死守し、息つく間もなく、2003年5月~の新ウエダ本社はこれが失敗すると、今まで行なって来たリストラ計画全てがパーになると言っても過言ではない状況でスタートしたのでした。

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