2008年5月18日日曜日

ウエダ再興記(36)~ 本当の強み

青政研は30人程の会でしたが、頑張っている人が多く、今までずっと一人で悩んで来た事がまだまだ小さいなと感じる事ができたり、実際に皆同じ悩みを持つ社長であったりするので、業種や規模が違えど、腹を割って話する事ができ、大変刺激を受ける事ができました。

しかしこの頃は、経費は最大限に切り詰め絶対黒字転換を図らなくてはならない時期であり、しかも年収600万円の代表取締役社長としては、付き合いも大変でしたが、自分への投資だと思って、貯金を食いつぶして付き合っていました。
私は、特に若い間は自分への投資にお金をかけるべきだと思っていますが、まだまだ厳しい状況下でもあり、私はお酒も殆ど飲めないのですが、この時期に彼らと交流できたのは大変有意義でした。

先日の70周年式典では、多くの青政研関係のメンバーが会場の中ほどで集ってくれていた事も、嬉しい光景でした。

2002年の10月期に黒字転換しましたが、全く猶予はありませんでした。
リストラ前、ウエダはずっと連結で決算を出しており、売上は50億強でした。
大雑把に言って、ウエダ本社が約22億、コンピュータ子会社が約20億、ウエダシセツという子会社が約10億という構図でした。
売上50億で借入金が約8億で一応黒字の会社から、一気に、コンピュータ子会社は連結から外れ、本社内で約14億程あった文具卸を外に出したので、一時的にしろ、ウエダ本社の決算としては売上8億で借入金8億にもなりました。
まして世の中は貸し渋りの状況ですから、まず、リストラ後の黒字という事は最低限であって、そこからも目に見えて改善を図る必要はずっと続いていたわけです。

青政研に入るまでは、8億という借入も、”こんなの何時返せるのだろう?”と思っていましたが、凄い会社、同年代の凄い連中を目の当たりにしてからは、”頑張れば大した事はないな”と思える様になりました。

残ったウエダ本社での強みを構築していく事は急務でしたが、この時点でウエダで誇れる事と言えば、ゼロックスの販売が毎年全国で3位や4位であるという事くらいでした。
通常、これだけ売っていれば、儲かっていても良いのですが、ウエダには全く喜べない特殊事情がありました。
コピーというのは本来、メンテ部隊を自社に持ち、販売した後の保守メンテで儲かる仕組みであるのですが、ウエダの場合これも、30年程前、創業者の時代に、ウエダ本社は売る会社、メンテ部隊は事務機サービスとして独立しており、社長は叔父に当たる人ですが、法人的には全く別会社でした。

当初は、機械だけでも儲かったので、販売する会社と、メンテする会社の線引きが成り立ったのでしょうが、ドンドン機械では儲からなくなり、その線引きの交渉が長年、仕入先を巻き込んでずっと懸案になっていました。
仕入先を巻き込んでと言っても、仕入先からすると、卸売りで売っているだけの販売会社と、メンテをしっかりやってくれている会社では、メンテをやってくれている会社の方が重要であり、全く交渉になりませんでした。

唯一の販売上位のメーカーと言ってもこんな状況であり、上辺の強みから本当の強みに仕立てていかなくてはなりませんでした。
文具卸に入って来た時と同じく、私は”コピー機業界の常識は知りません”そう、内外に話していました。

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