2008年5月11日日曜日

ウエダ再興記(35)~ 経済同友会と青政研入会

イベントも終りましので、毎週日曜日のウエダ再興記復活させて頂きます。

2001年に文具卸をジョインテックスに移管しました。
そちらを選んだ社員は転籍し、定番に入る商品は原価に近い値段で買い取ってもらいました。
私の兄もこの時点でジョインテックスに転籍しました。
私が、代表権を持つ際に、”このままではウエダは倒産すると思う。それを防ぐには全面的に任せてもらうしかないがどうする?”という話で、この時から兄との間では、私が全面的にやり、その後ジョインテックスに文具卸を移管することになった際に、兄はそちらに移るという話もできていました。

勿論、任せてもらったからと言って、倒産が防げる保証はどこにもありませんでしたが、ただ言えるのは、私が思い切って手を打つしか、可能性はなかったのです。

その年10月の決算は約7200万円の赤字でした。
これは移管に伴う損などまだ言い訳できる面はありますが、この翌年は絶対赤字にはできません。
このリストラの成否を見つめる、銀行、仕入先からすると、リストラ後に赤字になる様であれば、まず強行な対応に変わるでしょう。
以前から、残ったウエダでの数字のシュミレーションはやり尽くしていましたので、残った事業が例年通りの数字を残してくれると黒字には転換する予定でした。
これは絶対死守しないといけない事でしたので、経費は勿論トコトン切り詰め、2002年10月の決算では2500万円の黒字にする事ができました。
多分、ウエダ本社独自の数字で黒字になったのは、10年近くぶりであったと思います。

この時期顧問で残られていた元役員二人から、”経済同友会だけは入られたらどうですか?あそこは一番まともですよ”と言われました。
勿論、ウエダは縮小して終りではなしに、これから再度、立ち上がっていく為にこの厳しい状況に入り込んでいるわけですから、実商売を考えても、顔を売っていかないと駄目である事は分かっていました。
しかし、数字に疎い私の父が足元を見ず、ロータリーや商工会議所の議員活動など身の丈以上の事をやって来たから、ウエダは倒産寸前の会社になり、社員にも多大な迷惑をかけ、私にしても、これだけの苦労を背負わなくてはならなくなったのだと、私は各種の会活動に対して大変悪い印象を持っていました。

ただ、たまたま二人が言われるので、2002年6月に経済同友会には入りました。
入会すると又たまたま瀧定時代の同期が、40歳以下には青年政策研究部会というのがあり、そこに入る様誘ってきました。
同友会の仕組みすら知らない私は、言われるまま入りましたが、そこは同友会所属の40歳以下の会で、多くは跡継ぎの人達でした。

当初私は、”どうせ老舗の坊ちゃん達が、会と称して遊んでるだけやろ”と色眼鏡で見ていました。
ところが、しばらくすると、このメンバーは、仕事でも私の比じゃなく凄い人が何人も居る事に気づき、自分は、ただひたすら切り詰めて展開してきただけで、彼らに全て負けていると思いました。
この青政研(青年政策研究部会)に入った事が、又私自身や考え方を大きく変えてくれたと思います。

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