2008年3月30日日曜日

ウエダ再興記(31)~ 株式の売却交渉

U社とは具体的に子会社の株式売却に向けての話を進める事になりました。
U社は、役員が担当として交渉役になりました。

最近はM&Aも一般的になり、小口の案件でも手掛ける所が多いのですが、この頃はまだ一般的ではなく、どこかに頼むという事も分からず、これも勉強しながらの交渉でした。
ただこの頃、私は上場を目指しているIT系企業の役員にもなっており、周りにもビジネスプランを立て、実像がないビジネスでありながら、高値で株式を売っていくというIT企業が多くありましたから、株の試算方式にもいくつかの方法があり、見方によっては、全然違う価値になるのだという知識はありました。

U社の担当役員には、ウエダグループの背景と、以下の様な、株を売却する理由と懸念点を話しました。

売却する理由としては

①グループでありながら全く統治されておらず、このままではウエダの改革が進まない事。
②グループ内では感情的や自分達の思惑ばかりの話で、”会社”としてのルールが通用していなかったので、却ってU社に入ってもらう事により、”会社”としてのルールは通じる様になると思った事。
③このままいけば子会社も分裂するであろうが、分裂後は残った方の業務に私も忙殺されるであろう事から、この場合もウエダ全体の改革には時間がかかるであろう事。
④株式を売却したお金で、物流事業の負債(ウエダの責任分)を一掃しようと考えた事。
そして、
⑤社員約100人という中途半端な規模のコンピュータ子会社や社員達にとっても、U社の傘下に入るという事はウエダの傘下でいるよりは、長い目で見た場合、この時点での選択肢としては得策であると考えた事。

などで、懸念としては、

①グループ連結で数字面の公表をしていたが、このコンピュータ子会社が殆ど利益を出していたので、これがなくなると一気に赤字になる事。
②借入金もグループ全体で行なっている形なので、その売上からすると低いが、実際は長年赤字のウエダ本社の借金で、単体になると、全く売上に対して多すぎる借金となる事とそれが皆に衆知になる事。
③一期が赤字になるだけではなく、グループでの今後の継続的な収益も見込めなくなる事。
④子会社から業務委託費的に上げていたウエダ本社の実際の収入もなくなる事。
⑤これらから銀行から、一気に貸し渋り、貸しはがしの対応をされる事が予想される事。
⑥唯一ウエダ本社の優位点であるXEROXの販売も、子会社が離れると、販売数が落ち、ウエダ本社の優位点は全くなくなってしまう事。

これらを話し、何度かの交渉の後、U社の条件の提示をもらう事になりました。

しかし、出て来た数字は、いくつかの評価の中で、この時の状況下では低くなる方式でのものでした。

2008年3月26日水曜日

Do you Kyoto? Do you kyotostyle?イベント 千宗屋氏

5月2日のお昼から、武者小路千家若宗匠の千宗屋氏にお話頂きます。

今回お願いに行った際、初めて官休庵に入らせて頂きました。
私は、”伝統文化、伝統産業を決してその価値を下げずとも、もっと色々な人々に知らしめる方法がある筈で、色々な立場の人々に草の根的に参加して頂けるイベントにしたい”そう説明させて頂いた時、若宗匠がすぐさま仰ったのが、私は、”伝統文化””伝統”と言われる事自体に、あまり心地よさを感じていないのです、という事でした。

これを聞いただけで、今回のイベントに是非ご参加頂きたいと思いました。
私などの様な不躾者が、それだからこそ、色々な事を気にせず、単純な問題意識から、京都流~そして今回のイベントまで展開してきたのですが、若の様な、本流のど真ん中におられる方が、自ら、伝統と言われていては駄目なんだという事を言われるのですから、大変心強く思ったわけです。

お茶も昔は、生活に密着していたもので、それが今では、別世界のものになってしまった。
本来文化というものは、生活に密着しているもので、祭り上げられるものではない。
かと言っても、今の茶道をそのまま生活に密着させるというのも無理があり、その辺りをどういう折り合いをつけていくのかが、茶道や、伝統文化と言われるものの、
考えていかなくてはいけないところだという事をお聞かせ頂きました。

本流の真ん中におられて、この様なお考えで、展開していこうとされている方々が、垣根無しで集まっていく事ができると、面白いと思いますし、このイベントがそういう切欠になればと思っています。

若宗匠を評しては、大変博学な方で、どんな話でもお話頂けるという事でしたが、今回はまず三千家の成り立ちから、お話して頂く事になるかと思いますので、皆様どうぞお楽しみにして下さい。

2008年3月23日日曜日

ウエダ再興記(30)~ それぞれの選択

具体的に話が進んでいくと、最初の話とは違う事も出てきました。

全員受け入れてもらうという社員も、営業は地元に残れますが、仕入れや営業サポートなどは、東京に一本化される為、女性社員はこの時点で辞めなければないのが、実質的な話でした。

途中から、営業譲渡ではなく、あくまで商品を買い取り、各社で契約を終えた社員を引き継ぐだけという事になっていましたので、移行する社員にはその時点で、退職金を用意しなければなりませんでした。

社員達に話しても良いとなったのは、移行する社員の名前を提出しなくてはならない
1週間前でした。
全社員を集め、この間の経緯、P社が作る新会社の概容、残るウエダ本社のこれからの方針を説明しました。
社員達に酷であったのは、その時初めて説明を聞かされ、人生のかかった決断を1週間以内に、結論を出してもらわなくてはならなかった事、東京でしかポストがない業務についている人は、その時点で、東京に行くのか、辞めるかの選択しかできなかった事です。

私の方もきつい事はありました。
退職金については、遅かれ早かれ払わないといけないので、大きな問題ではありませんでしたが、残るウエダ本社も、順風どころか、いばらの道でした。

大幅な規模縮小と、今までグループ経営などと言ってベールに覆われていた(隠していた)数字が表に出るので、瞬時に立て直さないと、倒産に追い込まれるであろう事は予測できました。

しかしそういう状況の中でも後の体制を全く組めませんでした。
ホントは、こちらから何人かに向けて、ウエダに残ってくれと言って、その人達を起点に早急に組織、運営を考えていかなくてはならないのですが、皆にとっても大きな人生がかかっているので、変に勧誘などせず、自分の考えだけで選んでもらう様にしました。
1週間しか、選択の余地を与えられなかった、せめてもの償いでもないのですが、こちらの希望など言える権利はないと我慢しました。
ただ、猶予はありませんから、この1週間の内には、誰が残った場合はどうする、という何十種類ものシュミレーションを考えていました。

何も策の打てない1週間というのは大変長く感じました。
その間に、東京でしか受け入れのない、設計を担当している社員と、営業サポートをやっている女子社員が付き合っていて、しかも結婚を考えているという事を聞き、この二人が行くというなら東京で採用してくれる様交渉したり、P社には一人でも多くの人が良い形でいける様にいくつかの交渉をしていました。
文具担当の中堅社員が新会社には行かず、辞めようとしている事を聞き、よく考える様に説得したり、この間は社員の行く先の事で奔走していました。

金曜日夜だったと思います、皆の希望が出揃いました。
新ウエダ本社では残す人数も言っていた事もあり、人数についてはほぼ予定通りでした。
残る事を希望した名前を並べ体制を考え出していた頃、事業部を統括していたS部長から電話がありました。
彼は”自分は上司として失格です。皆に期限を切っておきながら、自分は新会社に希望を出しましたが、まだぐらついています。
自分だけ抜け駆けしている様で心苦しいですが、もう一日だけ待ってもらえませんか?”というものでした。

私は特例という事が嫌いですが、文具業界の常識は知らないと言って展開していく私と、文具屋さんの間に入って、辛い役割もやってくれていた事、私の何倍もウエダへの愛着を持っていてくれていた事などを考えると、”Sさんは特例ではなく
ウエダへの貢献を考えると、一日長くする事は不公平ではないと思いますから、明日まで考えて下さい”そう言いました。

翌日S部長は、”一日頂きましたが、やはり新会社の方へ行かせて頂きます”と連絡がありました。

”ウエダの都合で行なった事であり、それぞれの人生だから、やむを得ない、ウエダを選択してくれたメンバーで考えよう”と思っていましたが、やはり皆が去っていくという事を目の当たりにするのには、寂しい思いがありました。

2008年3月19日水曜日

Do you Kyoto? Do you kyotostyle?イベント 山折哲雄氏

今回のイベントでご出演、ご協力頂く方々の横顔について、イベントに向けて綴っていきたいと思います。

まず、第一回目は、5月2日の伝統文化、地域産業の日に基調講演をお願いします、山折哲雄先生です。

今回のイベントでご出演頂く方の共通項は、凄い方なのに、決して権威を振りかざさず、我々にも目線を合わせて頂ける方という事ですが、これは、私自身の、人を尊敬できるかどうかのポイントで、いくら凄いという人でも権威ぶって、偉そうにしている人は、尊敬できません。

京都流のベースは、権威かどうか、格がどうかという事ではなく、真に京都や、文化、伝統産業、そして日本について、自分の私心からではなく、考えておられる方々を支持するというもので、そんな方々ですので、今回のイベントも二つ返事でご協力頂いたのだと思います。

山折先生などはその代表で、あのお立場でありながら、色々な事に対して、寛容に受け入れられる度量を持たれた方だと思います。

以前、先生のご講演で聞いて、深いなあと思った話があります。

それは、先生が”私は京都タワーに上るのが好きでね・・”と仰ったのです。
色々景観で言われる京都タワーがお好き??と思って皆が不思議に思った後、先生は
”京都タワーに上ると京都の景色から京都タワーが消えるのです”と言われました。
思わず、うまいブラックユーモアだなと思ったのですが、続けて”京都タワーに上ると、これだけの人が住む都市で、山に囲まれ、川が街中を流れ、これだけ風光明媚な都市は世界でもここしかないという事に気づかされるのです”と続けられ、思わわず、”深い!”と感嘆の声を上げたくなる様なお話しをされました。

このイベントのご説明に上った際も、Do you Kyoto?の話をご存知なかった様で、環境に取り組まれている人の間でKyotoが動詞的に使われているという説明をさせて頂くと、先生は、”これは今日は勉強になった”とホントに気さくに
仰っておられました。

2日はどんなお話をして頂けるのか?今から楽しみです。

2008年3月16日日曜日

ウエダ再興記(29)~ 極秘裏での準備

P社に行くと確かに、その様な動きがあるとの事でした。
それは簡単に言うと、インフラはアスクルと同じく、物流、受注センターなどを全国で一本化するものですが、アスクルと違うのは、営業を地元の各卸が行い、フェーストゥフェースで展開すると言うものでした。

当然、ウエダには声をかけたがったが、U社と密接な関係なので、最初から諦めていたとの事で、大変驚きと共に喜んで頂きました。
既にこの時点では、近畿エリアで二社が話を進めているとの事で、ウエダが入れば、近畿地区はこれで募集するのは終りになるだろうとの事でした。

条件的には、合併ではなく、営業譲渡であり、全面的に譲渡しても良いが、自社で残したい事業は残してもらっても良い、最低文具部門だけを持ち込んでもらいたいというものでした。
合併ではないので、負債は引き継いでもらえませんが、持っている在庫の内、新会社でも扱う商品は、買い取ってもらえる事、文具に関わる人は皆取ってくれるという事で、リストラのポイントの一つである、文具卸を外に出し、小さくなっても
採算を合わせ、その地盤、ネットワークを生かして、新たに構築して行こうとしていた私に取っては、大変良い条件でした。

”これしかない”、そう思い、二回目か三回目かの話の際に、この新会社に入るという事を意思表示しました。
その後、新会社入りの表明をしている会社を集めたミーティングが行なわれ、そこで初めて、全国の卸でどこが参加するのかを知りました。
ウエダとも大変馴染みのある会社、ウエダと同じくU社と大変深い付き合いをして来た卸もありました。

参加する会社に向けて構想がドンドン明かされて行き、作業も具体的に行なっていかなくてはならない状態になりました。
各社の移行する売上、在庫(商品)を登録し、想定される社員の年収など色々な数字資料を提出していかなければなりません。
これらの作業になってくると、現場のメンバーに関わってもらわなければ進まない為、この時点で、営業部長と経理部長の二人に事情を説明し、極秘でP社移行への準備を行いました。

私の方でも残るウエダ本社のシュミレーションをしました。
勿論、今までこんな事を勉強した事はありません。
いつもカバンの中には、色々な数字資料を入れ、移動中は殆ど、売上、利益、経費などのシュミレーションを自分なりに色々な角度で考えていました。

当時ウエダ本社にはまだ50名程の社員がいましたが、私が考えた計画では、残る新ウエダ本社は、営業8名、営業事務の女性1名に経理などを加え計15名程のものでした。

果たして皆が理解してくれるか?
後に誰が残ってくれるか?
残ったメンバーでどう構築していくのか?
これだけ一気に規模を縮小する事(グループ全体だと、4分の1程の規模になる)について、銀行、仕入先は本当に理解してくれるのか?
何から何まで誰にも相談できない事ばかり、一人で決断を下さなくてはいけない事ばかりでした。

2008年3月9日日曜日

ウエダ再興記(28)~ 合併先の模索

全てが難題ではありましたが、リストラ計画も何も、全てはウエダ本社を再生する為ですから、その根幹は永年続いていた赤字から、脱却させる事です。

ウエダに来た頃は、ウエダ本社単体の売上は約22億円程でしたが、子会社からのロイヤリティー等を除いた本業では、最大時には2億円弱の赤字でした。
以前にも書きましたが、文具卸では、数十円のものも多くある中で、在庫も2億円程あり、時代遅れのオフコンで管理していて、在庫数字は合わなくて当然という状況でした。
倉庫などにある机の引き出しを開けると、いつの物か分からない伝票が出てきたり、処理されていない返品があったり、在庫が合わない事をしょうがない等としていると、全てがルーズになり、初めは悪気のない行為から、不正などにも繋がっていくのだと思います。

会社には沈滞ムードが蔓延していて,”皆こんな所で仕事してると健康な人でも体悪くなるやろ?”と、社員達に言いましたが、ホントにそう思った程、実際、空気が ”よどんでいる”という状況を、生まれて初めて経験しました。

そんな状況から脱却する、しかも、時間をかけている余裕はないとなると、私は文具卸は合併させるしかないと思いました。
世の中は卸不要論が叫ばれ、業界ではアスクルが登場し、文具卸を単独でやって行っても生きていけない、そう思いました。

初めは、物流事業を行なっている5社で合併するのが、一番実体にも合い、良いと思いましたが、後に2社が倒産した様に、それぞれの懐事情もかなり違っていましたから、5社が一緒になるというのは、早々に無理だと分かりました。
この頃は、全国的にも色々な再編の動きがあり、永年守られて来た流通三段階も崩れようとしていました。

その頃、子会社株の売却の交渉に行っていたU社会長から、色々な動きがあるが、ウエダは物流事業のお荷物があるので、それを含めても面倒を見てもらえる可能性があるのは、一つのグループしかないのではないか?というアドバイスを受けました。
と、当時に、もしくはP社が全国の卸を束ねる様な新業態を考えているらしいので、それ位しかないであろうと言われました。

P社というのはこのU社とは、仲が良くないのは業界では皆知っている会社です。
しかし、この話が面白そうだと感じた私は、瞬間的にU社会長に対して、ウエダ(業界ではU社の昔からの代理店として知られている)がそんなP社が立ち上げる事業に参加して良いのですか?と聞きました。
すると、U社会長は、”そりゃまず、ウエダが生き残れる事が先決だろう”と言われました。

後から聞くと、このP社の動きに参画したU社と懇意の他の卸は、これに参画する為にU社の上層部に相当根回しに通われたそうですが、私の場合、この瞬間の話で、根回しは一切行う事もありませんでした。

それで堂々とP社の門を叩いたのでした。

2008年3月6日木曜日

Do you Kyoto? Do you kyotostyle? イベント

各界のTOPの方々を集めて、京都流議定書として京都流とウエダ本社が、問題提起として行うイベントですが、現在確定しているイベント(ゲスト)だけでも以下の通りです。

1日はウエダ本社の周年イベントを行いますので、これはご案内させて頂いた方のみですが、この日の午前中からは、雑誌ソトコトさんによる環境セミナーなどが開催され、これについてはどなたでも参加して頂けます。

この周年イベントは、従来の会社周年事業とは全く異なり、山田知事、門川新市長を始めとした行政の方々、商工会議所、経済同友会などの経済界の方々にお集まり頂き、このイベントの問題提起を知って頂こうとするものです。
又、ゲストには基調講演で堀場雅夫氏、
パーティーでのショーには東儀秀樹氏と、
ご案内させて頂けない方からはお叱りを受ける様な素晴らしい方々にお越し頂き、
花を添えて頂きます。

しかし、一般の方向けの2,3日のイベントも大変豪華で、2日は伝統文化、地域産業のテーマですが、この日の基調講演は山折哲雄氏、
講座では武者小路若宗匠の千宗屋氏、
松栄堂の畑正高氏、
京都検定の岩上力氏にお話頂きます。
又、和紙アーティストの堀木エリ子氏には、素晴らしい方との対談を予定しております。
イベントでは、茂山正邦氏による狂言ワークショップ、
今様謌舞楽会グループによる、今様源氏物語なども行なわれます。
又、職人さんによる技の実演、映像コンテンツやお茶席なども用意し、”普段縁のない人や京都を知らない人にも京都を感じてもらう日”をコンセプトに行ないます。

3日は教育(親子)をテーマに門川大作京都市新市長に、前教育長としてのお立場から、基調講演を行なって頂きます。
この日は親子でそれぞれで楽しんで頂く事もコンセプトに、
お父さんには格闘家の佐竹雅昭氏のセミナー、
お母さんには、教育テレビでエクセサイズなどを担当されている梅田陽子氏のセミナーを開催致します。
イベントでは、英語で遊ぼうで御馴染みのエリックジェイコブセン氏による
エリックショー、
マンガミュージアムで人気の紙芝居の第一人者安野侑志氏による紙芝居ショーも行なわれます。
又、漢検、英検などのDSを含めた紹介や、DSを使った教育事例紹介など、民と官、公立と私立、府と市が一体となり、”子供達が教育や文化、環境に触れる事をサポートする日”です。


これらはそれぞれ一日券として、大人3000円、中学生以上1000円、小学生500円
の有料イベントですが、この料金にはエコバックが含まれ、決定ではありませんが、バスの一日券もつけようかと考えています。

ハイアットさんでは、小学生未満のお子様はランチ無料にして頂く企画もあります。
これだけのイベントですので、有料でも黒字になる事は無いと思いますが、もし黒字となった場合は、その全額を京都の森林保全活動に寄付させて頂きます。

伝統文化や産業、教育を考えるイベントに参加する事が、エコバックを持つ運動を広げる、森林保全に興味を持って頂くという環境運動にも繋がり、その事が自然豊かな京都のコンテンツを守り、観光に繋がるという循環を考えておりますので、そういう意味でも多くの方にご参加頂きたいと考えております。

この他、この日に合わせて、同時開催して頂く、体験学習講座など、まだまだご協力頂いているところ、企画はたくさんありますがとても書き切れません。

今後逐一、京都流とウエダ本社HPなどでも発信して参りますので、是非チェックして頂きたいと思います。

2008年3月5日水曜日

京都流議定書

ウエダ本社では、創業70周年イベントと併設して、
Do you Kyoto? Do you kyotostyle? イベントを、平成20年5月1日~3日の3日間
ハイアットリージェンシー京都で開催致します。

周年事業を絡めることにより京都の経済界の方々にお集まり頂くのと共に、京都流の関係から、伝統文化、伝統産業、そしてスポーツも含めた教育関係の方々が、草の根的に関わって頂くという、他には類のないイベントです。

今年に入ってから、このイベントの件で、駆けずり回っており、実は大変忙しい日々を送っております。

ホントは、このイベントの事で、色々な方々にお会いしておりますので、ブログにも書けることはたくさんあるのですが、時間がないのと、決定事項ではないので、書けませんでした。

各界の方々のご協力により、大変凄いイベントになって来ましたので、どうぞ楽しみにして下さい。

1日はウエダ本社の周年事業と環境セミナーなどですが、2日は伝統文化、地域産業、3日は教育というテーマで、有料ですが、一般の方々も入って頂き、大いに楽しんで頂けるイベントですので、是非、京都流の皆さんはお越し下さい!

今の企画全体を書いた方がインパクトがあると思いますので、参加メンバーなどにつきましては、次回まとめて書かせて頂きます。

じらしているのではないのですが、今から書く元気がありません。すいません。

2008年3月2日日曜日

ウエダ再興記(27)~ 退路を断っての筈が

私はよく、綺麗ごとを言う人を信用しないと言います。
口では何とでも言えるのですが、実際にやる事が大変であり、口だけの人は大抵、自分が困ると人を裏切ります。
又、人間的に良い人がビジネス上悪い人になるケースが多いと言うのも私の持論です。

この物流事業脱退交渉の中でも、忘れられないワンシーンがあります。

前回も書いた様に、他の4社からすると、心情的にも、実質的にもウエダが脱退するなど認められるわけはありませんでした。
その立場は、私にも理解できていましたが、私の仕事は、ウエダを再生させる事であり、まずは会社と社員を守る事です。

4社の内、組合の理事長も務められた社長が、”我々5社は、退路を断ってこの事業を行なって来た、それなのにその中心であるウエダが、それを脱退するとは何事だ”と言われました。
私はその瞬間に非常に腹が立って、言いました。
”あなた方が、ご自身の退路を断って行うのは勝手です。
しかし、それぞれの会社には社員が居るのに、会社の退路までを絶つという権利は、いくら社長でも 無い筈です”

一番の若僧に言われ、憎憎しかったと思いますが、誰も反論はありませんでした。

その後、中心のもう一社(S社)の社長が、ウエダの立場を認めてくれて、ウエダの負担分を払い脱退させてもらう事になるのですが、ウエダが抜けてから、1社は倒産し、1社は廃業しました。

倒産した1社の社長は、中心であったS社社長には散々世話になっていたと思いますが、前日の夜まで普通にS社社長と会って話していたのに、一言の相談もなく、別れた後直ぐ、倒産手続きをしたそうです。

廃業したもう1社は、創業が奈良時代とも言われる老舗の会社で、私に”退路を断って”と言った社長です。
その”退路を断って”とまで言った社長は、自分は海外に持つ個人資産を残して、創業千年以上とも言われる会社をあっさり廃業させて逃げて行ったのです。
ウエダ以外の4社は退路を断って、一心同体で結束していた筈なのに、連携していた残りの2社に迷惑をかけてあっさり逃げて行ったのです。

これなどは本当に綺麗ごとを言う人は、信用できないという典型だと思います。

S社社長が認めてくれた事から、ウエダはその時点までの責任分とウエダが撤退して事業縮小になる事に対しての補填金を含め、億を優に超える違約金を払う事で、ウエダの連帯責任を外し、脱退をさせてもらう事になりました。

私は、キツイ事をはっきり言いますが、それは特にビジネス上では、裏切りたくない、嘘をつきたくないから言うのです。
この問題では、皆からは嫌われていたでしょうが、最低限、裏切らない為には、会社を潰さない事、その為には多大な違約金を払ってでも、脱退させてもらう事が損失が少ないと判断したのです。
(実際、倒産すると、その会社の負債も、残りの会社に割り振られる事になるのですから。)

ただ、これが出来たのは、同時に進めていた、コンピュータ子会社の株式の、売却交渉の目処が立ってきていたからではありました。

残られた2社については、ウエダは責任分を払ったのだからと、違約金を払った後は不問にしてくれましたので、感謝もしておりますし、その後うまく縮小化され、設備も貸しながら返済もされておられるので、本当に良かったと思っています。