2008年1月31日木曜日

京都市長選

昨日、京都の経済界による、かどかわ大作氏を激励する総決起大会がありました。

山田知事、桝本市長、立石商工会議所会頭、渡部経済同友会代表幹事、他、経済各団体のTOP8人の激励がありました。

昨日参加されていたある方が、そのTOPの方々が殆ど、自分の言葉でスピーチされていたと仰っていました。

私は、それは、そのTOPの方々が、単に団体のTOPで立場上、役割で来られたのではなく、門川さんの人柄、実績、を知っておられて、本音で語られていた証拠だと思います。

何度も申しますが、京都流は政治を論じるサイトではありませんが、こと京都の首長に関しては、大きく関係するので、やはり京都流の理念に基づいて考えていかなくてはならないと思っています。

その意味で、最近気になるのは、役所の改革は、中に居た人ではできない、とか、相乗り候補の擁立は開かれた決定ではない、などという意見が聞かれる事です。

私は基本的に、自分の知らない事を偉そうには言いませんが、これら二点については、一般よりはかなり詳しく知っていると思います。

改革についていうと、門川さんは京都の公教育という大変難しいところで、堀川の奇跡を始め、日本中が注目する改革を次々に行い、いくつもの素晴らしい成果を上げられています。
それを知っていれば、あの成果を上げられるリーダーなんて滅多に居ないことなどは明白です。
又、相乗りについても、利権を守りたいからなどから行う、国民、市民不在の相乗りではなく、門川さんの実績から、これ以上の人は居ないという事で、結果、自民党も乗っかったというのが事実です。

京都を愛する、京都流に集っていく皆さんには、是非、こういう事実を知って
頂き、上辺ではなく、深いところを考え、深いところを知り、そして変えていける人、京都の価値を高めていける人、そういう人を選んで頂きたいと思います。

2008年1月29日火曜日

ウエダ本社で又ドラマ撮影!

今日、またまたウエダ本社でドラマの撮影がありました。

テレビ朝日系列で木曜20時~の”新・京都迷宮案内”というドラマで橋爪功さんが主演のものです。

まあ前回の浅野ゆう子さんのドラマでも、実際オンエアされたのは一瞬でしたので、
今回も期待はできませんが、女子社員も又映っているようです。

私は、このドラマを見た事がないのと、今日も出かけていましたので、先程、番組のホームページを見て、又奇遇だなと思いました。
ドラマには市田ひろみさんも出られている様なのですが、今日私は丁度、近くに寄ったので、ホントに数ヶ月ぶりに市田さんの所にふらっと寄ったのでした。

出張されていておられませんでしたが、全然知らずに、数ヶ月ぶりに寄った日に、市田さんも出演されているドラマを、うちの会社で撮影してるなんて、何か変な縁ですね。

放映は2月28日という事ですので、又是非ご覧下さい。

快適なオフィス環境を提供するウエダ本社としては、今後京都で撮影されるドラマでオフィスを映す際は、いつでもウエダ本社が使われるという存在になりたいもんです。

2008年1月27日日曜日

ウエダ再興記(22)~ 最大の危機

色々な問題で四面楚歌、八方塞がりという状況下、最大の危機が訪れました。

一番の仕入先であるU社がいきなり、支払日当日に来て、今まで手形で払っていたものを現金で払って下さい。と言ってきたのでした。
支払日当日に忘れもしませんが、その日の支払い8000万円を現金で支払ってくれ、それができないと出荷停止にすると言ってきたのです。

U社とは永年メインで取引して来た、切っても切れない仕入れ先で、オフィス部門がウエダ本社とコンピュータの子会社は情報システム部門と取引していたのですが、この時は子会社分の支払い日でした。

この頃は、貸し渋り、貸し剥がし真っ只中の時期であり、一部にウエダの不安説もある中、メインであるU社に現金でないと取引しないなどと言われた事が伝わると、一気に倒産に追い込まれるかもしれないという事を想像するのは、たやすい状況でした。

私はこの動きは、子会社代表などと連動したものである事は分かっていました。

勿論、こんな無謀な話を呑めるわけもなく、この日は交渉に来た、U社の部長を怒鳴りつけて追い返した後、外出する用事があったので、経理の担当者に、絶対子会社代表が文句を言ってくるから、その場合は連絡してくれと言って出かけました。

案の定、子会社代表者は、こともあろうに親会社の経理に対して、何てことをしてくれるのだ、直ぐ払ってくれ、と怒鳴りつけてきたそうです。

永年メインで取引して来た会社が、いきなり支払日に来て、8000万もの額を現金で支払ってくれ、という理不尽な話であるにもかかわらず、身内である筈の子会社代表が、親会社の経理部長に向けて払ってやれと怒鳴りつけてくるのですから、ホントにあなたはどこの社員?という情けない話でしたが、これが当時の、ウエダグループの実体でした。

私はこの時までにも、悔しい思いを何度もしていましたが、この時の悔しさに勝るものはありません。
U社に対して、腹が立って、腹が立ってどうしようもない気持ちでしたが、同時に
”このままでは潰されてしまう”そう強く感じました。

2008年1月26日土曜日

サイゴン日記②

今回のベトナムでは工場視察が多いので、あまりここで上げる事が少ないのですが、
同行して頂いた、京都の会社の工場を2社をご紹介します。

まずはワタベウエディングさん



こんな感じで縫製されていて、



これがベトナム製ウエディングドレスです。



とんでもなく広く、立派で綺麗な工場でした。



これはパールトーン加工で御馴染みのパールトーンさんの工場です。



これは着物の縫製風景です。
今では結構、着物もベトナムで縫われているようです。


両社とも流石、京都の優良会社だけあって、従業員の方を大切にされているという事がよくわかりました。
実際、韓国の会社や、現地の会社などより、賃金も高く、食堂なども充実させておられ、同じ京都の会社として、誇らしく思いました。



 丁度帰る頃は、工場の終り時間と重なり、帰宅ラッシュでした。



これは帰宅ラッシュではないのですが、こんな3人乗りもよく見ましたし、4人乗りも
居ました。



これは街角で撮ったスナップです。

今回はサイゴン日記というより、サイゴンの風景ブログですね。。

2008年1月24日木曜日

XEROXで2年連続の全国1位達成!

ホントは色々ブログに書きたい事もあり、書かなくてはいけないサイゴン日記もあるのですが、相変わらず、なかなかブログにゆっくり向かう時間がなく、書けてないのですが、今日は、既存ビジネスで嬉しい事がありました。

富士ゼロックスの代理店の中で、昨年の年間販売数の全国1位が確定したとの知らせが入りました。
一昨年も1位を獲得しており、これで二年連続の全国1位となりました。

最近、既存ビジネスでは、あまり嬉しい事がなかったので、これは久しぶりに嬉しいニュースでした。

京都流には関係ないのですが、少し宣伝させてもらいました。

2008年1月20日日曜日

ウエダ再興記(21) ~何の為、誰の為に経営するのか?

見栄・体裁を重んじていた父親は、私に任せていると分裂、解体が行なわれていき自分に傷がつくことをを嫌ったのだと思います。

元々入るつもりがなかった会社に、子会社代表達から何とか建て直して欲しいとの事で、身内の会社だから少しでも役に立てばという想いで入り、私の役割は悪役になり、シビアな交渉をする事だと思って進めて来た事を、あっさり撤回しているのですから、情けないやら、腹立たしいやらで、”誰のせいでこうなったと思っているのだ、馬鹿らしい、もう辞めよう”そう思いました。
しかし、私が辞めた場合ウエダ本社は、子会社を切り離して廃業するのか、切り離れていった後も父親達がそのままやって倒産していくのかのどちらかしかないのは明白でした。

この時父親は80歳、それまでに二度脳梗塞で倒れた後遺症もあり、まともな判断もできる筈がないながら代表取締役会長という最高決定権者のまま居たのですから、これが最大の問題でした。
私は兄と母に話し、父を外して私が代表権を持つ事、私がやるなら全権を委任してもらわないとできない事、又そうしない限りウエダは存続できない事を認めてもらい、2000年1月代表取締役副社長に就任しました。

社員達はそこまで重く考えていなかったかもしれませんが、ウエダを辞めて自分の会社に戻り、ウエダは消滅して社員達は路頭に迷うという様な、皆を放って自分だけ”逃亡する”という事は、もうこの時点ではできませんでした。

ウエダに残って、再興していく事を決めました。
しかし一方で私が加わる事で、経費も増やす余裕はありません。
まして私が経費カット、リストラを行なっていくのに、自分が良い給料を取れるわけもありません。
代表を外すという事で、父の年収を600万円減らし、その600万円を私の年収としスタートしました。
20代の、瀧定でのサラリーマン時代よりも安い給料で、この時点での借入金8億8千万円を代表として引き継ぐ事を考えると、自分の損得勘定を考えていれば割りの合う仕事ではありませんでした。

私は自分でも創業していましたらから、体で感じている所がありますが、いくら大企業でもサラリーマン社長と創業した社長は全く違うと思います。
オーナー系の社長では、事業が失敗すると、本当に死に追い込まれる事などたくさんありますし、自分で創業した多くの社長は、それ位の覚悟を持って創業しています。
ましてや、倒産一歩手前の会社を引き継ぐわけですから、この代表になった時点で、大げさではなく命賭けで行う腹を決めました。

それと同時に、自分だけが良ければ・・という発想で興した有限会社から、本来は、公の立場もあり、社会貢献なども考える必要のある株式会社という組織を引き継いだこの時に、会社は誰のものか?何の為に会社を営むのか?について発想が変わったと思います。

負け癖がついていて沈滞ムードが蔓延している社員に向けて私は、”ウエダの代表を引き継いだ以上、京都の同族の中小企業として経営するつもりはない、上場も視野にいれた、いつでも上場もできうる会社にしたい”そう宣言したのでした。

2008年1月16日水曜日

日本ドリームプロジェクト

いろは出版、日本ドリームプロジェクト、きむ、これらをご存知ですか?
もしくは一歳から百歳の夢、中学生の夢、高校生の夢、先生の夢、これらを見られた事はありますか?

これも門川前教育長から教えて頂いたのですが、それまで私は知りませんでしたし、見た事もありませんでした。
(ご存知ない方はこちら

まだ20代のきむという青年が路上で自分の書いた詞で感動、共鳴してくれる人を見て、日本の全ての人に夢を持ってもらおうとするプロジェクトであり、~の夢という本を出版しているのが、きむさんが社長を務めるいろは出版です。


今日、このいろは出版さんにお邪魔し、”きむ”こと木村社長にお目にかかってきました。
一歳から百歳の夢を始め、全く素人である他人の夢を綴った本が売れている事は大きな驚きですが、この”きむ”さんの詞(メッセージ)を書いたあるポストカードはなんと100万枚売れているとの事でした。

京都流でもよく、草の根的に活動していくからこそ、色々な事を動かしていけるのだという事を言っておりますが、このいろは出版さんなどは8年前に設立されて、ホントにキムさんの想いを追及して来た、それもそんな重い話ではなく、目の前の人を皆笑顔にするという事を追及されて来た事が、ビジネスにもなり現在50数名の正社員を抱える立派な会社になっているという、驚きと、感心と、我々もやっている事は間違いではないという想いや、私は、まだできていないことばかりだという反省と悔しさなど、色々な事を感じさせて頂きました。

私も今の日本、これからの日本で心配なのは、多くの人が元気がない事です。
何故そんなに元気がないの?覇気がないの?という問題について、私も単に夢がないからだと思います。

丁度今朝の朝礼でも話していたところだったのですが、昨年行ったベトナムやその前に行ったインド、中国などは国や多くの人が豊かになっていくことが分かっているので、多くの人が夢を持っています。
日本では、机上論で考えると暗いことばかりで特に若い人が夢が持てないのだと思います。

ところが、私は夢というのは、どういう人生を歩みたいか?、どう生きたいか?という事だと思いますので、豊かになるかどうかという事とは別の話だと思います。

”きむ”さんの夢が実現し、今の子供達が全て夢を持つ事になれば、本当の意味で世直しになるし、私も今後ドリームプロジェクトについては応援していきたいと思います。

でもまず足元を見て、自社の社員に夢を持ってもらわないと始まりませんね。

2008年1月13日日曜日

ウエダ再興記⑳~ ウエダ取締役としての仕事

ウエダの中でも揉め事ばかりでした。

今までの経営陣が悪いので、こうなったわけですから、心情的には本社を廃業させて自分達は切り離して欲しいという子会社代表達の気持ちも分からなくもなかったですし、部外者であった私は彼らがやってくれるならそれでも良かったのです。

しかし、私は常に仕事というものに対して、お金を貰う以上はプロであり、プロであれば与えられた役割以上の結果を残さないといけないと思っています。
いきさつはどうであれウエダの取締役になってからは、ウエダの為になる事に全力を尽くさなければなりません。
それがウエダの取締役としての仕事です。

又、私は口だけで何もやらない人というのを信用しません。
世の中にはこの手の人は多いですが、言うのは簡単、批判するのは簡単なのですが、それをどうするか?、実際やる事が難しいのです。
これらの感覚からすると、廃業させて欲しいと言っていた代表者達は、口では色々言うのですが、ウエダの為に自分達が何とかしようとする姿勢はなく、ルール上はおかしな事だらけでした。

一事業30年と言われる様に同じ事業は30年が限界というくらい、同じビジネスで未来永劫繁栄するという事は難しいと思います。
それ故、新たなビジネスを生み出し、有望なものは子会社として展開し、次々とスクラップ&ビルトを行なっていくわけですが、それをグループ内で、黒字になってから独立させた子会社が、自分の所は儲かったから、斜陽の元々の親会社から切り離して欲しいなんていう事は、親会社側の取締役として認められる話ではありませんでした。

上げればきりが無い程、食い違いがあり毎日揉めている状態で、その内には、コンピュータ部門の子会社では皆を引き連れて出て行くという話まで持ち上がり、又その間に実際、子会社が親会社の役員が誰も知らない間に自分達の子会社を作っているという始末でした。

勿論、法律的には、その代表者達を辞めさす事はできましたし、何も問題はないのですが、不毛な分裂をしても意味がないので、逆にその代表者を本社の副会長に据えて、全て共同運営する事まで提案し、進めようとしていました。
勿論、この間の揉めている話、その対策は全て、会長である父、社長である兄には相談しながら、実行は私が行っていました。

ところがある日、会社に言ってみると、私の居ない間に、父である本社会長が、私以外の関係者を集め、その話を撤回していました。
何のつもりなのか訳が分かりませんでしたし、父親にも激怒しました。

思えばこの時が人生で大きく梯子を外された二度目の経験だったと思います。
ただしかしこの時は、父親から梯子を外されたわけで、この時程人間不信になる思いをしたことがありませんでした。

2008年1月8日火曜日

今更ですが・・サイゴン日記①

昨年11月ベトナム視察に行っておりました。

今回は工場視察が殆どで、散策的な時間も殆どなかったので、
以前の様に視察日記を入れられないまま年を越しましたが、
折角ですので何回かに分けてサイゴン(ホーチミン)日記として入れさせて頂きます。

まず行くまでに持っていた印象ではフランスの影響を受けているので、町並みは
もっと綺麗かと思っていたのですが、実際は他のアジアの都市と同じ風景で、
排気ガス(バイク)だらけでした。



ガイドの話によると、彼らは何か目的があるわけではなく、
単に毎朝起きて、とりあえずバイクに乗って出掛けるという話でした。
行く先もなくただ一日中バイクに乗って走り、食事は全て外で食べ、
夜に寝る為だけに帰ってくるという生活だという事です。
ホーチミンは南部という事で住民の気質も明日は明日の風が吹く的な考えらしいのですが、
背景的には稲作も普通にしていても年三回できるという食料には困らないという事もあるようです。

着いた翌日には、新しくできた証券取引所とホーチミン一のエリート校ルホンホン高校に行きました。
証券取引所は日本の一企業のコールセンターよりも小規模であり、まだ、自国内での取引が活発に行なわれているとは言えない状況でした。



ルホンホン高校では、そのレベルの高さもさることながら、そのイメージに対して
生徒達の無邪気な感じが非常に印象的でした。
日本だと、高校生でしかもエリート校の生徒が、授業を覗きに来た外国人に向けて
人懐っこい笑顔を振りまくなど考えられないことで、教育において、日本が今後
考えていかない問題がそこにある様に感じました。



私では分かりませんでしたが同行していた、あるメーカーの社長さん曰く、行なわれていた物理の授業も相当レベルの高いものだという事でした。

2008年1月6日日曜日

ウエダ再興記⑲~ 文具業界の常識とウエダの意識

どの問題も絡みあっているので実際は同時に進めていったのですが、ここではできるだけ一つ一つ書いていきます。

創業の文具卸はその事業自体ではこの時点でも7年程赤字であり、この時期にはロイヤリティー収入のある本社に入ってからも二年程赤字という状態でした。

他業界から入った私からすると文具業界というのは、不思議な事だらけでした。
まず、ウエダは卸で、文具屋さんは小売というのですが、小売と言っても実際の売上を上げているのは納品というスタイルで、企業などに毎日出入りして注文を聞き、それを届けるというものであり、私からするとこのスタイルも卸じゃないの?と思いました。

そうであるにも関わらずメーカー、卸、小売という区分けが強く存在し、卸であるウエダは企業に直接出入りするだけでも小売である文具屋さんからバッシングを受け、取引停止など突き上げを受けるという事がまかり通っていました。

文具屋さんの間でも縄張りがしっかり存在していて、”あそこはうちの客だ”という意識があり、どこの企業というだけで出入りしている文具屋さんも、競争がなく決まっている状態でした。
しかし、”あそこはうちの客”と売り手側で勝手に言っているだけで、買い手側は全くそんな意識を持っていないケースがほとんどでした。
そんな中アスクルというものが登場したのですから、”何という事をするんだ”と文具屋さんの間では大騒ぎになっていたのです。

私は育ったのが、全くの自由競争である繊維業界であり、しかも再興記でも書いた瀧定という、大変厳しい会社でしたので、アスクルの展開など至極当たり前で、何故皆が文句を言っているのかが分からなく、むしろ滑稽にさえ感じました。
アスクルというのは、今まで文具屋さんが毎日出入りしていた先に、カタログを届け、運送で商品が届くというスタイルで、一応文具屋さんはアスクルに登録すると、飛ばされる事はないのですが、納品というスタイルがなくなり、顧客との接点がなくなるので正に危機、そんな仕組みを作ったプラスというメーカーは、とんでもない悪者だという事でした。

私も社内や業界内で、”文具業界の常識は一切知りません、あくまで一般ビジネスの常識で展開していきます”と言い続けていましたので、文具屋さんの中でも、完全に”悪者”でした。

社内では時代遅れのオフコンが使われており、単価が何十円の物が多い文具という商品で、2億円もの在庫があるわけですから合う筈もなく、数十万円位の在庫が合わないのは、誤差の範囲内という部長の説明でした。
又オフコンで管理している在庫は合っていない事が多いので、10個を切ると結局電話を受けた女子社員は、倉庫に在庫を確認しに行ってから、お客さんに返事をするという、何の為のソフトであり、コンピューター?という笑えない話であり、経理でも現金出納ですら合っていないという、皆が全く何の意識も持っていない末期的状況でした。

この状況から脱却していく為には、ウエダの強みを作っていく事、1円でも合わない事は駄目、挨拶など基本的な事を何でもきっちり行うという意識を植えつける事から始めていかなくてはなりませんでした。

しかし、業界自体は衰退に向かっており、そこに向けてオフコンからパソコンの仕組みに入れ替えるなど多大な投資をしていくのは無駄に終るので、これらと並行して卸部門の合併を模索していく事を決意しました。

2008年1月1日火曜日

2008年 年頭所感

明けましておめでとうございます。

京都流で年頭所感を書かせてもらうのも二回目を迎えました。
まずもって、その事自体が大変嬉しい事だと思います。
これは色々な方々の力がないとできない事だと思います。

今年ウエダ本社は70周年を迎えます。
再興記を綴っておりますが、母体のウエダ本社に余裕がなければ、いくら想いがあっても京都流の運営などは出来ません。
そういう意味では社員を含め、ウエダ本社に関わってもらっている人々のお陰がまずあります。

今まで古都技やおやかまっさんなどの企画にご協力頂いた皆さんにも助けて頂きました。
特に古都技にご登場頂いた各界の重鎮の方々には、厚かましくも京都流の主旨をご理解頂き、無報酬でご協力頂きました。
とんでもない事だと思います。
本当に有難うございました。

そして、何よりも京都流に参加して頂いている方々、参加はしてもらってないけれど、密かにずっと見続けて頂いている方々(この方が意外に多いんですが)、色々京都の関連サイト、ブログもある中で、お金ない、企画ない、
人手ないという京都流をよりによって好んで頂き(笑)、本当に有難うございます。
皆さんがおられなければ、とっくの前にこのサイトは消滅していたでしょう。

殆ど想いだけで運営しているこのサイトが皆さんのお陰で、二年近く経った
今でも、”京都検定”で検索しても、グーグルでは5位、ヤフーでは2位で表示される
(07年12月現在)様な、密かに注目され続けるサイトでいれています。

私はこの事が、今の時代を表しているというか、今の時代で何かが変わる、何かを動かすのはこういう方式ではないかと思います。
決して、上から作ったものでない、格式や形に拘ったものではない、しかし想いがあり、その想いに色々な立場の人が集まり、草の根的に活動していく、その形が本物の動きではないか、特に京都を動かすのは、そういう事でしか無理なのではないかと思います。

今年、5月1日京都流は二周年を迎えます。
と同時にウエダ本社は70周年を迎えます。
京都流で行ってきた同じ主旨、同じ想い、草の根的な集まりで、周年イベントも交え3日間、ハイアットリージェンシー京都で ”Do you Kyoto?
Do you Kyotostyle? " イベント開催します。

詳しくは順次お知らせして参りますので、是非京都流の皆さんも、その際にはご参加下さい!