2008年12月29日月曜日

年明けまで更新できません。

先日、年末最後と入れておりましたのは、実は沖縄の東村という所に来ており、ちょっとネット環境の悪いも?と予想していたからですが、やっぱり駄目でした。

今はホテルのロビーで入れていますが、この後更新できませんので、とりあえず、皆様方におかれましては、どうぞ良いお年をお迎え下さい。

ちなみに沖縄の今日は21度でした。

今年は夏は北海道、冬は沖縄と、日本の四季に逆らった様な一年でした(笑)
来年はしっかり日本の四季を感じる一年にしたいと思います。

2008年12月27日土曜日

ウエダ本社大忘年会 in ハイアットリージェンシー

今日(26日)でウエダ本社も営業を終了しました。
18時~ハイアットリージェンシーで社員と一部家族、取引先担当者を交え行ないました。

今期は業績も芳しくなく、しかも来年を考えると、ハイアットさんの様な高級ホテルで忘年会という事もどうかな?と迷ったのですが、そんな状況であるだけに、今のマスコミが余計に状況を悪くしている様に、萎縮していても却って良くないと思う事、又、こういうイベントも社員や組織が成長していく事に繋がるとも思い、思い切って行ないました。

結果は、若手社員中心に企画を考えてくれて、ミニコンサートあり、クイズ、うちの学生スタッフの笙の演奏や、社員表彰ありの充実した中身で、大変楽しいパーティーとなりました。
正式決定してから、ほんの二ヶ月足らずでこれだけの内容に仕立ててくれた社員達には、本当に驚かされましたし、確実に成長していると思いました。

この企画力、行動力、チームワークが仕事に出れば・・ですが、折角なので今日のところは我慢しておきます。(笑)

最終週となった今週も、忘年会・パーティーがこれを含めて5件、会社以外で関わっている会議が朝食会も含め3件あり、合間をぬって年末の来客があったり、バタバタで寝不足の一週間でしたが、最後を締めてくれて疲れもふっとんだ気がします。

やはり、何でもかんでも、カット、カットで縮んでいるだけでは駄目だと思います。

来年は本当にもっと、もっと大変な一年になると思いますが、今日の忘年会も一つの教訓にウエダ本社としては
会社としてしっかりと体力を着け、中身の成長を図っていきたいと思います。

これが今年最後のブログになると思います。

京都流の皆様、ウエダ本社の関係の皆様、今年一年も色々お世話になりました。
どうぞ良いお年をお迎え下さいませ。

2008年12月20日土曜日

花街のここどこ?

皆さんには申し訳ないですが、昨日の忘年会はお茶屋さんでありました。







正解は祗園の一力さんです。

ある会で、夏は富美代さん、冬は一力さんに行くという、皆様からは妬まれる様な会ですが、その忘年会で行かせて頂いておりました。

この会は毎年人数も増えていくのですが、昨日も45名程が出席し、一力さんの部屋もほぼ満杯状態となっておりました。

富美代さん、一力さんで入れなくなると、それより大きい部屋を持つお茶屋さんなどありませんので、この会もどうなるのでしょうか?

2008年12月15日月曜日

京都流懇親会

昨日は本当に有難うございました。
私も皆さんとお会いし、大変楽しく過ごさせて頂きました。

又、毎年企画をお立て頂いている、ろぷ様には感謝、感謝です。
この企画のお陰で、京都流の意義、価値も確実にUPしていると思いますし、それは年々盛り上がりを見せている通りであると思います。
どんなことでもそうですが、行なっている人の思いで、良くもなり悪くもなるのだと改めて感じました。

皆さんからは口々に京都流があったから・・と言って頂いておりましたが、我々が用意できたとすれば、場を作っただけで、後は京都好きの皆さんが楽しんで盛り上げて頂いている賜物だと思います。

ただ、実際に参加させて頂き、全然関係ない方々が我々のサイトで知り合われ、素晴らしい交流をされている光景を見て、私も大変嬉しくなりました。

府外から受験しに来られた方々が、確かに、お知り合いもないまま地元に帰って行かれるという光景は、想像すると、何か寂しく感じます。

単なる観光でも、最も印象的で有意義であるのは、現地の方との触れ合いや、そこから得られるその地の慣習や考え方などであり、だからこそ、京都人のおもてなしの心を高めようと京都検定が始まった経緯を考えると、
京都検定の試験後にこういう会があるということは大変有意義であると思いました。

そういう意味でろぷさんは京都検定の広報大使にでも任命されるべきですね?

今後ともどうぞよろしくお願い致します。

2008年12月13日土曜日

ご健闘お祈りします!

皆さんにとって、明日は、正月?集大成という意味では大晦日?なのか分からないですが、この一年は京都流として、皆さんに殆ど貢献できなかった一年であったと思います。

その中で、皆さんの方で交流を深めて頂き、各自読み物企画を考えて頂き、楽しんで頂いていました。
それが、正に京都流としては本望であり、京都検定の元々の理念からすれば目的達成であり、その意味からすると
明日は結果関係なく、お正月を迎えるつもりで楽しんで下さい!

気安く言うな!と言われそうですが、せめてもの皆さんへのエールとお取り頂ければ幸いです。

ご健闘をお祈りします!

2008年12月11日木曜日

3R検定

京都検定直前に私がこんなことを言っていたら、皆さんからお叱りを受けそうですが、実は3R検定というものも実行委員になっており、今日は告知をさせて頂きたいのです。

実行委員と言っても殆ど働けておらず、本日久しぶりに会議に出席してきたのですが、もう申し込みの締め切りは終ったと思っていたら、今月17日まで、ネットでは受け付けてないが、電話では受け付けるという事で、少しばかりは役に立たなければと、最後の告知をさせて頂いている次第です。

来年1月11日、東京、大阪、京都の3都市で試験が行なわれます。
詳しくは以下サイトをご覧頂きたいのですが、色々な切り口がある環境という問題にとって、3Rが一番実際役に立つ動きだとも言われています。

又、検定マニア?の方はご存知かも知れませんが、検定というものは、第一回を受けるのが一番取りやすいという定説がありますから、京都検定終わった後、環境にもご興味ある方は、申し込んでおいて頂いたらどうでしょうか?

そんなどころじゃない!とのお声が聞こえそうですが、3Rも大事な運動ですので、受験する、しないに関わらず、注目だけはしておいて頂きたいと思います。

2008年12月6日土曜日

広島に行っていたけれど・・

昨日から広島に行っておりました。

考えてみると広島には、15年以上降り立ったことがありませんでした。
今や新幹線で行くと京都からは1時間半で行けるというのに。

これだけ振りに行ったのは思いもよらない展開で、実は北海道と京都の繋がりからなのです。
この夏に北海道に行った際、商工会連合会会長にお会いし、私の北海道について思う事、その参考に京都での活動などを話しした所、ご子息である広島の副知事を紹介して頂いていたのです。

というのも、このご子息は総務省からの出向で、広島に赴任されておられるのですが、京都府の山田知事とは自治省時代の先輩、後輩の関係で、”そんな縁もあるので一度会っておけばよい”ということで紹介して頂いたのでした。

今何がある、何をするというわけではありませんが、私の今までの展開というのはこの様に、繋がりが繋がりを生んだり、その時何も無くても何処かで繋がったり、そんなことで来た様に思います。

人と会ったりということはこんな風にマメに動けるのですが、実は京都流を運営しているのに、全く駄目なことがあります。
それは、折角15年以上ぶりに行っても、結局は人と会っているか、ホテルで仕事しているかで、何処にも行かず、そういう面では全く勿体ないことをしていると思います。

唯一広島で撮った写真がこれです。



広島駅前に、お好み焼き広場というのができており、15軒程のお好み焼き屋さんが集まっているのですが、
そこで広島焼きなるものを食べて来ました。

本場で広島風お好み焼きを食べたのは初めてでしたが、これは本当においしかったです。
昔、どっちの料理ショーのお好み焼き対決で、広島風が9対0で圧勝したとのことでしたが、関西人としても
納得してしまうほどでした。

しかし所詮、観光取材的な才能が無い私のいう事ですから、あくまで皆さん自己判断でお願いします。

2008年12月1日月曜日

12月社報~心をベースとして経営する

【 社      報 】
平成20年 12月 1日
《 心をベースとして経営する 》

ここ最近も毎日の様に、米国を中心にした金融対策が発表されています。
軽々しく、何十兆円という金額が飛び交っていますが、自分達が行なった損失を、全て後世、自分達の子供や孫達にしわ寄せしていくということなのです。
シティーグループへの支援が行なわれ、危機が囁かれていた金融大手には、一応全て対策が打たれたことになりますが、まだまだ来年に向けて、我々中小企業の現場では大変な不況になると思います。

しかしその中でウエダ本社としては、大きなチャンスであるとも思っています。
よく、逆境の時がチャンスだという意見がありますが、今のウエダ本社の状況と今回の不況では正に、会社を強くする、企業の格(レベル)を上げる大きなチャンスだと思っています。
状況が悪い中だからこそじっくりと、組織の体質、仕組みの強化、人材の育成を行う事ができ、次のタイミングで飛躍する力を蓄えられると思うからです。
それが分かっていても財務的に余裕がなければ、そんな事は言っていられないと思いますが、この数年間でウエダ本社は、財務的には心配のない会社になりました。
そのアドバンテージを利用し、これから突入していく苦境期に、徹底的に皆の意識を変え、価値観を変え、逆境に強い集団を目指したいと思いますが、その根幹には、「心をベースにして経営する」という項目を置きたいと思います。

これは、78項目に及ぶ京セラフィロソフィーの最初の項目にある言葉で、以下の様に述べられています。

「京セラは資金も信用も実績もない小さな町工場から出発しました。
頼れるものは、なけなしの技術と28人の信じあえる仲間だけでした。
会社発展のために一人一人が精一杯努力する、経営者も命をかけて皆の信頼にこたえる、働く仲間のそのような心を信じ、私利私欲のためではない、社員の皆が本当にこの会社で働いていてよかったと思う、素晴らしい会社でありたいと考えてやってきたのが京セラの経営です。
人の心はうつろいやすく変わりやすいものと言われますが、また同時にこれほど強固なものもないのです。
その強い心のつながりをベースにしてきたからこそ、今日までの京セラの発展があるのです。」

長い不況が予測される今だからこそ、今後の発展を目指すからこそ、ウエダ本社でもこの項目をベースに経営していきたいと思います。

2008年11月29日土曜日

京都市未来まちづくり100人委員会

先週の土曜日、京都市未来まちづくり100人委員会に初めて参加してきました。

これは、従来の行政の縦割りを拝し、京都のまちづくり全体に関するテーマを、市民自らの発想により大局的な観点から設定したうえで、今後のまちづくりの方向性や具体的な取組方策について、白紙の段階から議論する「市民組織」というもので、色々な立場の方々が自分達の思う京都市のあるべき姿、問題点について議題を出し、それに関心のある人々と議論し、具体的に行動していくというものです。

初めからお声掛け頂いていたのですが、前二回は都合がつかず、三回目の今回初めて参加させて頂きました。

会議の進行、議題も、上から与えたものではなく、全て参加者から出て来たまま進行していくので、色々な立場の人が居る中、どういう展開になるのか?とその事にも大変興味を持って参加しました。

私は消極的なつもりはないのですが、実際、参加できる日が少ないので、自分が提案して議長になると、却って無責任になるとも思い、議題は出さず、京都のおもてなしについての議題に参加させて頂きました。

この議題を出された方は、京都検定1級の方で、参加者は企業経営者、環境NPOの代表、タクシー運転手、主婦と色々な立場の方でしたが、予想していた以上に、京都に対しての皆の思っている事、熱い思いは共通しているのだと感じました。

問題はそれなのに、現実とのギャップがあることですが、それを埋めていく為には、上からの目線でなく、こういう草の根的にボトムアップしていく事しかないと思いますし、京都流議定書として今年5月に行なったイベントも、主旨や目線は全く同じものでした。

門川市長もお忙しい中、駆けつけ、時間の許す間、色々な方に声がけされていましたが、利害関係無しで京都の事を思う人々が集う会議なので、何となく市長も楽しそうにされている感じがしました。

2008年11月22日土曜日

移住・交流セミナー

今週は又月曜日に札幌で開かれたセミナーにパネリストで出席していました。

今回は北海道大学と北洋銀行共催の移住・交流セミナーというもので、私以外には沖縄からラグナガーデンホテルの総支配人、高知県から県議員の方、広島県では経済同友会が移住プロジェクトを立ち上げたとのことで、それの立案推進者の常任幹事の方が出席されましたが、それぞれ各地で町おこし、移住プロジェクトを推進されている方々でした。

私はその中で今回実際北海道の移住体験をしたという北海道側の意見と、京都からの視点での意見を求められての立場であったと思います。

皆さんのお話を聞いて、人口減少、若者の流出による過疎化、高齢化の深刻さを改めて感じましたし、そこには医療の問題、福祉、年金や公的サービスの維持の問題など色々な問題が関係しており、それだけに地域再生という事が日本にとっての最重要な問題であると思いました。

そういう面からしても、京都は大変恵まれた都市であります。
学生は集積し、年間5千万にも届く観光客が訪れます。

それだけに考えてみれば、移住プロジェクトという様なことを考えたことはありませんでしたし、ホントに地域の事を何とかしなければならない、という危機感はやはり薄い様に感じました。

ただ、コメントさせて頂いたのですが、京都から吸収して頂けるとすればアイデンティティーというか、それこそ地域力を認識するという事で、各地の持っている資産を見直し、東京の価値観ではなく、独自のスタンダードで展開するという事が重要だと思います。

環境モデル都市を10都市選定するという事に対し、6都市しか決定されておらず、議定書発祥の地の京都は恥ずかしながら、まだ選定されていません。
その中で、都市ではない町で唯一選ばれた、下川町も北海道で、町長もこのセミナーでプレゼンを行なわれていましたが、町の90%以上が森林の町です。

従来感覚ではこれは完全に負の資産であったと思うのですが、環境という価値観に発想を切り替えると、これは大きな資産に変わるわけです。

各地が自分の地域を再評価し、地域の価値観を作り出し、それに沿った自治を行なっていくべきだと思います。

そういう方々に京都検定のホントの理念を説明すると、凄く関心してもらえるのですが、この価値も、京都においては再評価して欲しいと思いますね。

2008年11月15日土曜日

初オペラ

一昨日はうちでバイトしてくれているkatwo の晴れ姿を観に行ってきました。

オペラアンサンブル kyo2が、喜歌劇「こうもり」の公演を行なったのですが、そこに学生(院生)で抜擢をされたということで、それは観にいかなくては!と行った次第です。

実は私、これまでオペラも観たことがなく、今回も、しっかり観てられるかな?と不安を持って行きました。

ところが、大変面白く、休憩を入れながらではありますが、3時間近い公演も全く、ウトウト?することもなく(笑)、最後まで楽しませて頂きました。

katwoも、バックコーラス的に出てるのかと思いきや、結構の役柄で、台詞もしっかりあり、演技もしてました。
彼女がこういう道を目指しているのもずっと聞いていましたから、こんな晴れ舞台で輝いている姿を見て、大変
嬉しく、何か、娘を見る親の気持ちってこんなものかなとか、でもそんなに一気に老け込みたくない!などと思いながら見ていました。

恥ずかしながら、今回katwoが出ていなければ、私はオペラも一生観ていなかったかもしれません。
ところが、行ってみると大変面白く、やはり何でも機会があれば、ドンドン見にいかなくてはならないと改めて反省した次第でした。

京都のことに興味を持って・・という主旨でありながら、京都流の精神を再認識させてもらった体験でした。

今後のkatwoの活躍にも期待したいと思います!

2008年11月12日水曜日

京都流社説 ~TOPの見識と京都流

昨日は、二人のTOPの発言が注目を集めましたが、私もこれには、情けないというか、虚脱感さえ感じました。

今、教育が悪いとか、若者が云々とかといわれますが、昨日のお二人は、年配のしかも地位のある方々です。

まず、兵庫県知事。
私は以前このブログでも被災記を綴った様に、神戸であの震災を経験しています。
その兵庫県知事が、こともあろうに、関東大震災が起こればチャンスだなどと言うなんて事は信じられません。

私は本来はどちらかというとマスコミに批判的で、彼らは自分の伝えたい様に編集するので、事実が歪曲されることがよくありますが、昨日のニュースでのテープを聞くと、実際その通りに言われているし、それが知事が言われる様に、そんな意味で言ったのではないということだとすると、普通なら、自分のボキャブラリーの無さを恥じ、お詫びするという姿勢になると思うのですが、”何故その様に取られるのか分からない”と言った発言になるのは
それこそ、理解できませんし、これが震災を受けた兵庫県のTOPということが何とも言いようがなく、情けないところです。

又、もうお一人の幕僚長については、思想については、私がこの場で軽々しく言えることではないと思いますが、国を組織として見た場合、私の立場から言えるのは、組織(会社)を運営する立場としては、あの態度はおかしいと思います。
しかもあの方は、それこそ縦型社会のTOPであった訳であり、組織の論理、ルールという事を叩き込まれている筈である方が、何が問題なのかを分かっていないという事にも大きな問題を感じます。

何度もいいますが、思想自体を論じているではありません。
同じ思想であっても、立場や状況によって、言えなかったり、我慢しなくてはいけなかったりするのが、社会であり、組織であるのです。
それが、その思想を言ったのが何が悪いという感覚は、昨今の目に余る身勝手な犯罪でのコメントと同じ様な感じを受け、ある種恐ろしさも感じたという事です。

これもTOPとしては、私の思想はそうだが、”今の立場で自分がやるべき事ではなかった”という様な潔さを求めますし、彼の求める国粋的な考えには、その潔さはないのでしょうか?

企業の不祥事もそうですが、最近は若者だけではなく、TOPの見識の無さ、品格の無さを感じる事が多くなったと思います。
格闘家の佐竹さんなどは、だから”武士道精神を復活させないと日本は駄目だ”との思いで、活動されてますが、
私もだから”京都流の精神を広めないと・・”という様な事を思ってしまいます。

2008年11月8日土曜日

良い会社を作りましょう

今週、長野県の伊那食品という会社にベンチマークに行って来ました。
これは経営品質協議会が催したベンチマーク勉強会に、社員二名と共に参加し、バスで往復8時間かけ、日帰りで行ってきたものです。

この会社は経営品質で大変素晴らしいとされている会社ですが、その会社の社是は至ってシンプルで”良い会社を作りましょう”です。
それを掛け声だけでなく全てにおいて実践されています。
これが本社であり、



これは正面の駐車場ですが、見た感じはちょっと高級なゴルフ場の様です。



こんな会社にするのも、全て一番大事なことが従業員という姿勢からであり、急成長は悪というくらい、それを求めず末広がりの経営を目指されています。
この理由も急成長は、社員にも負荷をかけるからであり、いくら売れても工場をフル回転させる様な事はないのです。
しかし、成績は悪いどころか、最近まで48期連続で増収増益を達成されていたのです。

社員の方も、その経営者の意図を意気に感じられ、何故そんなに意識が高いの?と思うくらいの意識を持たれており、この広大な(敷地は3万坪)敷地も、毎朝始業30分前に来て、全員が掃除を行なわれているそうです。
これだけの木々が茂っているので、落ち葉を掃除するだけで大変な作業だと思いますが、訪問した際も大変綺麗に
整備されていました。

今回のベンチマークは大変有意義でしたが、同時に実はかなり落ち込みました。

ウエダ本社も多少は”良い会社ですね”、と言って頂けることが出て来たのですが、その違い、遠さをまざまざと見せ付けられ、その違いは社長(伊那食品さんでは会長)の差だという事が分かるからです。

そういう意味では会社であれ、京都であれ、日本であれ、要はTOPが社員や、京都の人や、国民のことを本当に考え、難しいことを言わず、シンプルに”良い会社、良い京都、良い日本、を作りましょう”という姿勢で行っていけば、必ず変わっていくのだと再認識しました。

京都検定も元々の理念は、良い京都を作りましょう、ということだと思いますし、商工会議所もその事を常に思い返してもらえると有りがたいのですが。。。


最後に長野の今週の紅葉です。

2008年11月1日土曜日

11月社報 松下幸之助さんとウエダ本社の仕事観

【 社      報 】
平成20年 11月 1日
《  松下幸之助さんとウエダ本社の“仕事”観 》

最近、私も原点に帰って、経営の神様と言われた松下幸之助さんを勉強しなおそうと思っていたのですが、一般的にもその流れがあるそうです。
それはすさんだ世の中になり、大企業、優良企業と思われていた会社が次々に不祥事を起こし、若い人が憧れたホリエモンは、金さえ儲かればというスタンスで逮捕までされ、何を信頼して良いか分からなくなってしまって、多くの人が何の為に生きるのか?何の為に働くのか?会社は何の為にあるのか?を考える様になった結果、松下幸之助さんに戻って行っているのだと思います。

その松下幸之助さんは、仕事について以下の様に述べられています。
「自分の仕事に生きがいが感じられるかどうかは、人生の幸不幸を左右するほどの大きな意味を持っている。
趣味を楽しむこと、家庭を大切にすること、その他いろいろな面で生活を多彩にしていくことも大切ではあるが、その根底には、仕事に打ちこみ、仕事に喜びと生きがいが感じられなければならない。
少なくとも仕事も一つの大きな生きがいとなることが、人生を幸せなものにしていくのに望ましい。」

私も全く同感ですし、現代の多くの日本人が、仕事を“ただ単に消化しているだけ”“毎日をただ過ごしているだけ”ということに大変腹立たしいとさえ思っています。
海外に目を向けると、仕事ができること、食べられること、そして生きていられることが凄いことであり、
それだけで大変幸せであるということをよく感じます。
日本に生まれただけで大変幸せなことなのに、それだけに、とんでもなく無駄な人生、無意味に過ごしている人が日本には多すぎる様に思います。
せめてウエダ本社の社員や、それに関わる人達は、自分の存在意義を認識し、人生の多くの時間を費やす仕事を、有意義なものにし、活き活きとした人生にして欲しいと思います。

そして、ウエダ本社は、その人生の多くの時間を費やす、“職場”を提供しているのです。
成人して以降、殆どの時間を過ごす職場環境を彩り、ウエダ本社が関わった“職場”で働かれる人々に、仕事を通して活き活きとした人生を送って頂くという、大きな使命感と自負心を持って臨んで欲しいと思います。

2008年10月31日金曜日

ウエダ本社 社報

社長に就任してから6年半程経ちますが、実は以前からの踏襲で、社報に毎月、社員に向けてメッセージを書いています。

以前ブログで綴っていたウエダ再興記が、元々は社員に向けたものであったのが、思いもよらず色々な方からご賛同頂いた事もあったので、来月分からこの社報も、ウエダ本社に関わる人々、興味を持ってもらう人々にも見て頂く為、公開していこうと思いますので、お興味もって頂く方は又御笑覧下さいませ。

2008年10月25日土曜日

札幌におります。

23日から札幌におりました。

23日にはホテルニューオオタニ札幌で総務省主催のテレワーク推進地域セミナーがあり、そこでパネリストとして
出させて頂いておりました。

これは8月に2週間北海道に行っていた事の、言わば事例紹介という様なもので、ワークライフバランスについて考えるウエダ本社としても、遠隔地での在宅勤務などの可能性を模索したものであった事などをお話させて頂きました。

しかし驚いたのは、もうお一人、体験者としてパネリストでパナソニックの方が参加されていたのですが、パナソニックさんでは今でも約3000名の在宅勤務をされておられる方があるという事でした。

社員数7万人の巨大企業は流石に違いますね。。

これは余談ですが、最近私は、原点回帰で松下幸之助さんを再度勉強しているのですが、社名を変えられたパナソニックさんでも、社名を変えた今だからこそ、原点回帰でやはり松下幸之助さんに学べという事になっているとの事でした。

来月にも北海道大学、北洋銀行の共催セミナーがあり、そこでもパネラーとして参加いたしますので、北海道の方でご興味ある方はお越し下さいませ。
詳細は又、ウエダ本社のHPでお知らせいたします。

2008年10月18日土曜日

リオデジャネイロでDO YOU KYOTO?

イグアスの滝の近くの、パラナ川とイグアス川が合流する地点は、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイの三国の国境になっています。
これはアルゼンチンから川を見たところです。



我々日本人からすると、三国国境なんて全くピンと来ませんが、とりあえず記念に一枚。



これは多分殆どの方がテレビなどで見られた事のあるリオデジャネイロのコルコバードの丘にあるキリスト像です。
よく見るキリストは処刑されている姿ばかりで、この様に普通に立っている像はなかなか珍しいとの事ですが、確かにそう思いました。



この日は天気が悪く、予報では雨であったので朝一のモノレールで丘を上ったのですが、暫くするとすぐ天候が崩れてきました。



翌日の帰る日は晴れで、リオの海岸も爽やかでした。



どうやって作るのでしょうか?



空港に向かうバスの中からは、皮肉にも晴天の中のキリスト像が見えてました。



リオに着いた日の夜、行っていたレストランに偶然、山田知事含め京都府議団が入って来られました。

この時知事に、先日日経新聞(関西版)に載せて頂いた、複合機のカーボンオフセットの展開について、少しお話をしたのですが、その際知事から”環境と言えばウエダさんですから”とまで言って頂いて恐縮しておりました。

5月に行なったDO YOU KYOTO?のイベントの効果を、4ヶ月後に地球の真裏で感じる事ができるなんて、やはりDO YOU KYOTO?は世界規模のメッセージでした!

2008年10月12日日曜日

ブラジルの市場

今回は、サンパウロの市場風景を少しばかり。。
ここは、全く現地の人が行く市場です。

これはチーズ屋さん。



これはオリーブオイルやビネガーですかね?



添乗員の人が居て、撮ってくれました。



果物屋さんも色とりどりで綺麗でした。



これ、分かります?ぜーんぶ、スイカです!



魚屋は割合でみると少なく、見た目も新鮮という感じは受けませんでした。



これらもその場でオーダーして前で食べていました。



市場前の光景です。
私は海外では、歩き回って、地元の人が通う店へ行ったり、地元の人が通う店で
食べたりするのが大好きですが、こういう視察でいくと、そういう経験ができないのは、
少し残念です。

2008年10月9日木曜日

気分を変えて・・ブラジル日記

米国の問題から世界がとんでもない状況になっていってますが、これは米国が作って来た金融の仕組み、価値観に1極集中して(させて)きたものが、弾けてしまったからで、この問題や政治や、ホントはこういう事は一杯書きたいのですが、嘆き、ぼやきになってしまうので、ちょっと価値観を変えて、価値観の違うブラジルの写真でも
UPしておきたいと思います。

以下は世界の三大滝と言われる、イグアスの滝です。



















約4キロ渡り、300以上もの滝が流れている光景はただ圧巻の一言です。



上の二枚はブラジル側から見た滝です。
下は翌日に行ったアルゼンチン側の写真で、悪魔の喉笛と名づけられた一番のポイントです。







これらの水量は殆ど年中変わらず、しかも昨今の温暖化の影響も関係なく、絶えず、毎分、毎秒、大量に流れ落ちているとの事です。
ここに立つと、本当に自然の力に圧倒されてしまいます。

お金だけを目的に、訳の分からない金融システムを開発し、それに皆が舞い上がり、今までエリートであった企業や人々が破綻していっていますが、こんな光景を目の当たりにすると、何か違うやろ?と感じますけどね。。

2008年10月5日日曜日

榎木孝明さんと中村半次郎

先日、以前にも何度かご紹介した桜橘庵で、俳優の榎木孝明さんにお目にかかりました。



京都流の皆さんの方がよくご存知かと思いますが、榎木さんは篤姫でも肝付兼善という、薩長同盟に大きな貢献をする事になる、肝付尚五郎(小松帯刀)の父親役で出演されておられます。

榎木さんは本当に多才な方で、榎木さんの水彩画を集めた美術館があったり、書も大変お上手である上、古武術にも明るく、その技を介護に利用していくことも啓蒙されておられます。

しかもこれ又本当に熱いハートを持った方で、時代劇には、日本人が忘れ去ってしまった美徳や礼節があり、しっかりとした時代劇を残していくべきだとの思いから、今度は、ご自分で映画もお作りになられます。

中村半次郎(桐野利秋)という西南の役で死した薩摩の志士を通して、日本人が残すべき美徳、礼節という精神を呼び覚ましたいとするこの映画では、幕末という事もありますが、薩摩と京都を舞台に繰り広げられるので、京都流としても今後この”半次郎”という映画についても、榎木さんの熱い思いと共に応援していきたいと思います。

2008年10月4日土曜日

ご不便についてのお詫び

京都流リニューアルにより、ご不便をお掛けしており、申し訳ございません。

特に心苦しいのは、busstop様始め、京都流を応援して頂いている方々にご不便をお掛けしているという事です。

又、私自身が、ウエダ再興記で告白した様に、実は、ソフトやWEBの知識には疎く、問題の本質を分かっていない事もご迷惑をお掛けしている原因であると思います。

京都流のシステムは自社スタッフでの開発ではなく、パートナー企業で行なっておりますが、色々な要素で切り替えざるを得ない面があり、開発企業自体を切り替えました。

それ故、以前の事が踏襲できていない事も多く、皆様にご迷惑をお掛けしているのですが、従来の所では、今後対応していけないという判断で変更致しましたので、先々を考えますと、リニューアル後の今後の方が向上していけるものと考えております。

今回は、技術的な問題もさる事ながら、私を含め事務局の対応も、どこまで真摯に受け止めていたのかという点で
問題があったと思います。
当然、できない事、費用的に無理な事は色々ありますが、今後はより、少しでもサイト価値向上に前向きに取り組んで参りますので、今後とも京都流をよろしくお願い申し上げます。

2008年9月27日土曜日

ブラジル視察団

先日ブラジルへ行っておりましたのは、山田知事御一行も一緒でした。

というよりも、移民100周年の今年、必ず行くとの事で以前から言われていたのですが、それに経済同友会も
代表幹事ミッションという形で乗っかったというものでした。

着いた翌日には、京都文化産業フェアなるものも開かれ、



経済同友会の副代表幹事でありますユーシン精機の小谷社長の日本舞踊や、ブラジル在住の方の尺八と日本から行かれた方のお琴のコラボ、新舞踊などもありました。



サンパウロは想像していたよりも大都会で、人口は約1000万人、都市の大きさも、大阪くらいかな?というイメージでした。



これだけ経済発展もしている国で、農業資産、バイオエタノール、鉱産物などの資産も豊富であるという事で、やはり絶対無視はできない国であるという事を、肌で感じる事ができました。

2008年9月21日日曜日

北海道、ブラジル、メリルリンチ・・そして京都流

8月の北海道生活と9月のブラジル視察は、私なりにテーマを関連付けていました。

それは一言で言えば、”違う価値観を見る”ということでした。
少し以前から、日本では農業を中心とした第一次産業が最も重要であり、そこを何とかしなければならないと考える様になり、観光では分からない北海道を知る事と、農業だけでなく、バイオエタノールというエネルギーについても大変な資産を持つブラジルを見てみたいというものでした。

北海道では200%という食料自給率を生み出している現場(?)を目の当たりにし、”北海道は独立すべきだと思います”と偉そうに、行政の方々に言っておりました。

ブラジルでは予想した以上の大都会の光景と、ガソリンには25%エタノールが含まれたものが標準になっている光景や、宝石や鉱産物まで豊富な資源を持つ姿を見て、日本が進んで来た価値観の限界をより感じるに様になっていました。

そして先週のリーマンブラザーズやメリルリンチ、AIGといった、ある意味今の金融の仕組みを作って来た会社の実質的な崩壊がありましたし、まだまだこれから今まで突っ走って来た反動が続くと思います。


アメリカを追いかけて来た価値観を見直す事が急務だと思います。
北海道も東京の価値観でなく、価値観を変えると、日本とは思えない資産を保有しているのです。

そんな大変な転換期を迎えている日本で、総理候補討論を聞いたり、選挙に向けた動き、農水省などの問題を見ていると、絶望感さえ感じます。

皆、日本の本来の価値観、道徳感、独自性(優位性)を忘れてないでしょうか?
正に今、京都流(日本流)の価値観に回帰すべきだと思います。

2008年9月14日日曜日

あとがき(最終回)~ 生物の原則から

ウエダ再興記を綴って伝えたかった事は、経験が強みになるという事以外にも、苦境に思う事の方が長い目で見ると、自分に取って役立つケースが多い事、今起こっている事は色々な事が繋がって起こってくるのだという事、何故ウエダ本社で、京都流という本業に関係ないサイトを運営したり、その他メセナ的な事に関わるのか、という事などですが、それら全てを突き詰めていくと、”何の為に生きるのか?”というキーワードに行き着くと思います。

この言葉を常に自分に問いかけると、これで良いのか?という事が見えてくるのではないか?と思いますし、特に今の日本人には一番欠けている視点ではないかと思います。

貧しい国ではそんな事を考えている暇はありませんし、そういう所ではもっと生物として、本質的に生きるという事に貪欲であると思います。
生きる事が大事であり、そんな国では自殺や、うつ病など有り得ません。

まず、生きる事自体に意味があり、更に生きていく限りは、より成長、進化して行こうとするのが、生物としての原則又は定めであると思います。
生物はその存在自体、地球にとって、他の生物にとって、意味を持っていると思います。
そうでないと、何故花は咲くのか?何故直ぐ死んでしまう様な昆虫も生まれてくるのか?という説明がつきません。

その上で人間は唯一と言っても良い、知能を持った生物です。
それが、何の考えも持たず生きていくのは、権利を冒涜しているとさえ思います。

私は生きている以上は、できるだけ大きな貢献をしたいと思いますし、会社経営もその為にしていると言っても過言ではありません。

会社も又、法人という人格を有したものである以上、存在する意味、意義を持たないと駄目だと思います。
だから会社も、自社だけが儲かれば良いというスタンスではなく、世の中の為に貢献しないといけないと思っています。
ウエダ本社が、自社の身の丈以上に色々な事に関わっているのは、勿論会社価値を高めるという目的はありますが、この考えが全てのベースになっているのです。

私自身まだまだこれから、成長、進化して行きたいと考えていますし、ウエダ本社の社員や、関係する人々にも、何の為に生きるのか?を常に考えて生きていって欲しいと思いますし、人格を有したウエダ本社という法人も、存在する意義を持った会社であり続けたいと思います。

創業の背景から、”京都の為に何ができるか?””オフィスを通して何ができるか?”という事から発想し、今後も常に社会にとって意味のある存在で進化し続ける法人でありたいと思っています。

なかなか普段から、これだけの背景、繋がりを説明する事ができなかったのですが、今回、70周年イベントを機にウエダ再興記として纏めさせて頂きました。

京都流の皆様にも一見関係ないような話に長い間お付き合い頂きまして、誠に有難うございました。

~地球の裏側のブラジルから帰国して~

2008年9月13日土曜日

ご不便お掛け致しますが

実は私、又々海外に出かけており、12日朝に帰国しました。

今回はブラジル移民100周年という事で、京都府から山田知事を先頭に、議員団が大勢行かれていたのですが、
20名強の経済同友会のメンバーもそれにのっかり、私もそこに参加しておりました。

又、そんな事で少し綴りたいと思いますが、その間に、サイトリニューアルで、皆様には色々ご不便お掛けして申し訳ございません。

私もまだ何がどうなっているのか、詳細を把握しておりませんが、今後の対応などを考えると、切り替えが必要でありましたので、どうぞご理解を賜ります様お願い致します。

ただ、ご意見、お問い合わせ等はご遠慮なくお寄せ頂きまして、今後とも末永く京都流とお付き合い頂けましたら幸いに存じます。

2008年9月7日日曜日

あとがき②~ 原理原則とプロ社長

よくあれだけの事を思い切ってやったね?とか、どういう考えで行なったのか?と聞かれる事があります。

それについては、考え、能力などという事ではなく、ただ必死であったという事と、私が業界外の人間で、しがらみや業界独特の考えを持っていなかった事がラッキーであったと思います。
そしてその事で、シンプルにビジネスの原則に従って正しいと思う方向に展開していっただけだと思います。

又、元々継ぐ前提ではなかった事と、自分で創業していた経験もあったので、グループで50億強という売上数字も、それを死守しようという発想はなく、どんなに小さくなってもまず採算を合わすという発想を持てた事も大きな要因だと思います。

普通は50億強の規模から10億強にまで、世間の目を気にしたり、小さくなる事への恐怖があってできないのですが、私の場合は、全てゼロベースから考えられる事ができ、実体のある数字が10億あって、70年もの歴史を持つ会社が、その上に新規展開をしていけば、ゼロから起業していくというより、大変面白い会社になるではないか?
そういう発想で再構築をして来れたという事であって、能力の問題ではないと思います。

又、私は瀧定という厳しい会社で、梯子を外されたりした経験も、後から考えると大変良かったと思っています。
それだけの経験をなかなかできないからです。

結果を出さないと、自分がいくら正しいことを主張しても、他人は聞いてくれない事を経験し、その後は、仕事において全て自己責任と考えられる様になりました。

仕入先がミスをした、得意先がいい加減、相手の話が途中から変わった、景気が悪くなった、色々な事がありますが、それで文句を言っていても何も得をしません。
要は結果を出さないと、誰が悪いと言っていた所で、誰も聞いてくれないし、誰も得をしないのです。

そんな事もあってか、私は仕事というものに対して、プロ意識を持っているつもりです。
私の中のプロの定義は、お金を貰う以上の効果を出す人であり、例え月給10万円であっても10万円のプロでないと駄目だと思っています。
与えられた仕事、求められた仕事で常に期待以上の結果を出さないと駄目だと思っています。

その感覚が日本人には希薄である様に思いますし、言い訳をさせて頂くとすると、私のその感覚がなかなか情緒的な日本人には理解してもらえないところだと思います。

ウエダ本社の取締役になれば、何と思われようと、ウエダ本社の経営を守る、良い方向に舵を取るという事が求められる仕事であり、私としてはそれを追求してきただけでした。

社長になってからは、負債の処理も含めて、会社価値を高める事が、最大の仕事だと思っていますし、そういう意味で私は、プロの社長という事を意識して経営を考えているつもりですが、この点については、常に大企業の社長さんにも負けないつもりは持っていると思います。

2008年9月3日水曜日

清里町~ 知られていないことが強み

清里町の町長さんとも面談させて頂きましたが、素晴らしいと思ったのは、
”清里の良い点は知られていない事だ”と言われる様に、観光客には来ていらない
という戦略をとられている事です。

手付かずの自然が売りの清里ですから、観光客が押し寄せるとその自然が壊れ、
そうなると清里の大事な資産が一気に無くなってしまうという事です。

それと大変羨ましく思ったのは、私が行った翌日、歓迎のバーベキューを開いて頂いたのですが、そこには町長、町議会議長、商工会会長、副会長、事務局長、観光協会会長という様に勢ぞろいして頂き、そこで町の今後についても一枚岩で話ができてしまうというところです。

5000人規模だからという面はあるにしろ、官民一体となって・・なんて掛け声で言わなくても、熱い思いを同じにされているメンバーが集まって、自分達で良い町にしていくという構図に、日本での地方自治のあり方を考えさせられました。

以下の二点は、神の子池とさくらの滝です。





神の子池は本当に声を上げるくらい綺麗なブルーですし、さくらの滝では、さくらマスがピョンピョン滝を上っています。
これらは決して崩されたくはないし、勝手ですが、2週間でも住んだ人間としたら、あまり知られたくないですね・・

全く知られないのは困るが、短期移住などを通じて、ホントの良さを理解して、荒らされたくないと思う人が少しづつでも拡がっていけば良い、それが清里町の望む姿だと思います。

2008年9月1日月曜日

40代後半

8月30日は誕生日でした。

その前日の29日、朝から終日、少し前にスピード違反で捕まっていた為の短期講習を受けておりました。
その講習の中で、動体視力は40代後半から確実に落ちるという話があり、誕生日で45歳になる私は、少しショックを受けておりました。

夕方会社に出社すると、女子社員が待ち構えていて、翌日が休みの為、”お誕生日おめでとうございます”と言って、お茶とお菓子とこれを持って来てくれました。



女子社員のコメント入りです。
なかなか心温まるプレゼントでしょ?
お陰で”老化”という様なショックは吹き飛びました。

ちょっと喜んでますが、でもひょっとして年寄りの社長扱い??でしょうか?(笑)

2008年8月31日日曜日

あとがき①~ 全ては必然、経験に勝るものは無し

社員を含め若い人達に、私自身の経験から知って欲しい事はたくさんあり、それをこのブログで読み取って欲しかったのですが、その中でも特に伝えたい事を何週かに分け、あとがきに変えて書かせて頂きます。

まず一点目は、何が幸いするか、災いするかは分からないという事、経験が何にも勝る強みになるという事です。

誰でも苦労は嫌だし、嫌な事からは逃れたいと思います。
しかし長い人生、それで通せるわけはないので、そうすると、苦労や嫌な事にぶち当たって行った事は、全て勉強になり、これ程強いものはなく、どんなに机上で勉強した所で、実際やった事には勝てません。

私は、ウエダ本社で社長だから皆に偉そうに言っているのではありません。
厳しい瀧定という会社で、いきなり梯子を外される様な酷い経験もした事、それを逃げずに乗り越えて来た事が大きな自信となりました。
いきなり梯子を外され、悔しくて辞めようと思った時、そのまま辞めていたら、自分はどうなっていたか?
まず、全く違う人生になっていたと思います。

仮に、同じ様にウエダ本社に入る事になっていたとしても、そういう経験もなければ、とてもあの厳しい局面には向かえなかったと思います。
又あの時に辞めなかったから、その後独立した際にでも、実績を見てもらって伊藤忠商事に契約してもらう事ができたと思いますし、それを基点に拡げていく事もできたのです。

自分のお金で事業を立ち上げた経験は、創業するからには倒産や、失敗して路頭に迷う事も覚悟して立ち上げたので、腹を据えて物事を行う事の経験も積んでいました。
又1円の重み、大切さを感じる事ができたので、事業でお金を使う場合には、絶対に死に金にしないという意識もこの頃必然的に身に着けられたと思います。

倒産の危機に面したウエダ本社に入ってからも、大げさではなく命懸けで改革に取り組んでいましたが、大企業であれ、賢こい人であれ、サラリーマン感覚で命が懸かっていない人には、絶対に負ける訳がないとも思っていまいしたので、厳しい交渉などに向かう事ができました。

中、高でのヤンキーグループとの付き合いでも、それなりの修羅場もあり、そういう面でも、多分真面目な人生を歩んで来た大企業のエリート達に負ける訳がないとも思ってましたし、その付き合いの中から、地位などで偉そうにするのは格好悪い、本物は謙虚で、実力で勝負するものだという事を感じる事ができたり、その後の考え方にも大きな影響を与えられました。

IT系の会社の役員になり、ウエダ本社に持ち込んだ商材は、失敗しましたが、ネットバブルの頃にIT系のビジネスや、考え方を見れた事は、その後の私の考え、展開に大変役立っています。

今回ブログで、小学校二年の時の気持ちから綴っていったのは、物事は全て繋がっていて今がある事、それだけに私は、自分に起こる事は必然なのだと思って、向かっていく様にしていますが、そうすれば、必ず良い方向へ行くし、その時は良い結果ではなくても、それ自体が大変な経験となり、いずれ何処かで繋がり、机上では考えつかなかった展開になっていくのだという事を分かって欲しかったからです。

若い人が、自分に合う仕事が分からないと言って、ろくに何もしていない姿をよく見ます。
そんな事は当たり前で、そんな事を言っている人は、いつまでも何かしたいと言いつつ、ずっとその場に居る人生になってしまうのだと思うのです。

2008年8月29日金曜日

北海道移住プロジェクト

先日素晴らしい風景と共に少し書いておりましたが、8月5日~19日までの
二週間、以下の<a href="#">プロジェクト</a>にのって、清里町という所に行っておりました。


ビジネス的に北海道で考えている事があるのですが、ある方からこのプロジェクトのお誘いを受け、盆を絡めると空けるのは実質1週間だけなので、観光では分からない北海道を知る為にも無理をしても行くことにしました。

清里町という所については全く知らず、今回初めて聞いた名前でした。

今回テレワークという事で総務省が行なった意味は、ブロードバンドを利用してお父さんさえ仕事ができれば、東京本社に勤めなくても、地元で生活できる、今荒んだ世の中、北海道という特に子供達には環境のい良い所で、家族揃って住めるじゃないですか?という、ワークライフバランスの意味合いも大きくあるものでした。

私は、会社の存在意義や価値を考えていくと、日本の場合は特に、農業を中心とした第一次産業を推進していかなくてはいけないのではないか?何かいずれ関われないか?と考えていました。
そういう意味で北海道には興味を持っていたのですが、今回その思いを強く持ちました。

清里町に着いてまず、あの農村風景に驚きました。
まるでヨーロッパの様な農村風景で、しかし、農作業をしている姿を見受けませんでした。
日本の農業と言えば、高齢化が進み、小規模農家が多いイメージを持っていましたが、そこには全くその姿はありませんでした。

それもその筈で、清里町の農家の一軒の平均作付け面積は40haとの事で、これはEUでも25~26ha程だったと思いますが、ヨーロッパを遥かに凌ぐ数字なのです。

今回この二週間の滞在での日記も少し綴ってみたいと思います。
これは二週間滞在した家の近くから見た斜里岳です。



こんな風景を毎日見ながら生活していました。

2008年8月26日火曜日

ウエダ再興記~ 終わりに

ウエダ再興記を書き始めてから丁度1年が経ちました。

書き始めた頃は、5月の式典までに、何故この様なイベントを行ったのか?何故ウエダ本社が京都流を運営するのか?
DO YOU KYOTO? DO YOU KYOTO-STYLE?の意味合いは?などを書き綴り、イベントまでに書き終わるつもりでした。

しかし思わぬ反応で、取引先、新規に訪問される方などの他、周りの経営者達や、驚く様な大企業TOPの方々にも見て頂いていることが分かり、お陰様で週一ではありますが、継続する事ができました。

当初から全体の構成があったわけではなく、各週で考えて書いており、正直時間の捻出に困る事もありました。
そんな調子で書いていたのと、途中から、丁度1年に当たる50話で終了しようと思い書いていたので、起承転結のメリハリがついたものにはなっておりませんが、一つ一つの話題で、もっと書ける話を、かなり端折って書いていましたので、中身は有ったのではないかと思います。
そう言えるのも、多くの方から、”生々しく書いていますね”と言って頂いていた様に、全てが実録であったからです。
それでも、当然公開する事ですので、書けない事が多かったですが。

この後は少し、いくつか頂いた質問に答える事と、本編で書けなった、ウエダ本社の社員には勿論、若い人達にも伝えたい事を、
あとがきに代えて書かせて頂こうと思います。

2008年8月24日日曜日

ウエダ再興記(最終回)~ DO YOU KYOTO?イベントと粋な会社

5月1日ウエダ本社70周年記念式典。
GWの合間という事もあり、残念ながらご出席頂けなかった方もおられましたが、それでも京都の重鎮が皆集まられたのではない?と言って頂ける様な方々総勢220名に、会費制でご出席頂きました。

ご祝辞を頂いた山田知事、門川市長、前原民主党副代表、ご講演を頂いた堀場雅夫氏(堀場製作所最高顧問)、同じくパーティーでご祝辞を頂いた京都商工会議所副会頭の柏原康夫氏(京都銀行頭取)、渡部隆夫京都経済同友会代表幹事(ワタベウエディング社長)、、参議院議員の福山哲郎氏、これだけの方々が挨拶だけでなく、長時間ご参加頂くという、奇跡にも近いスケジュール調整をして頂く事ができました。

その中で、粗相がないかと終始ひやひやものでしたが、目だった問題もなく、東儀秀樹さんの心に染入るコンサートもあり、皆さん満足して帰って頂けたと思います。

息つく間もなく、終了後は2日伝統文化・伝統産業、3日教育テーマの一般向けイベントに向けて数人が泊り込みで用意を行なってくれました。
普段企業相手の我々が、一般の方々相手にしっかり対応できるのか?講演にお越し頂いた方々に粗相なく対応ができるか?
しかもたくさんのプログラムがあり、その時間調整は大丈夫か?
終日に渡り、緊張が続きました。

又、各分野で人気のある方々にセミナーをお願いしていながら、私の主旨で宣伝も自前で行なった事により、集客でききれなかった面があり、大変心配しましたが、出演者の皆様からは、”よく自前でこれだけの事をされました”と労いの言葉を頂く事ができました。

社員達は皆本当によくやってくれ、3日間、滞りなく終了しました。
社員達に求めた事で、最も期待以上の結果を残してくれたものとなりました。

お手伝い頂いた宅間氏の提案もあり、イベント終了後に打ち上げをする事にしました。
ハイアットの方には、当日朝にお願いしたにも関わらず、そうとは思えない料理を揃えて頂き、最高のおもてなしをして頂きました。

冒頭の挨拶では、
厳しい状況のウエダに入る腹を決めた事、このままでは倒産すると思った瞬間、何と思われようと立て直す事が自分の使命と思ってやって来た事、悔しい事の数々、その事で強まっていった、輝いていた頃のウエダへの思い、社員に自主性を発揮させる、難題に挑戦する経験をさせる為、このイベントに大きな賭けをして来た緊張感からの開放と、それに応えてくれた社員達、初めてこれでウエダも大丈夫だと思えた事、京都を知っていくにつれ、その素晴らしさと共に出てくる問題意識と、それらに対して発信して来た事、多くの人が賛同し、協力してくれた事、そして何よりも、社員達の頑張りでこの時点でも大成功と言える結果であった事、これらのたくさんの思いが錯綜し、不覚にも言葉に詰まってしまいました。

そしてこのイベントで、ウエダで経験して来た多くの問題に対して漸く、自分の中で一区切りが打てた様に思います。
初めに非常勤で関わってから9年が経っていました。
赤字脱却に必死だった当初からは、想像することもできない70周年イベントを盛大に行う事ができ、”現在の”ウエダ本社の為に知事、市長始め皆さんに駆けつけて頂き、事務機のウエダから京都におけるウエダ本社、京都に発信するウエダ本社を見て頂く事ができたと思います。

難局を乗り越え70周年を迎えたウエダ本社は、次のステージに入って行きますが、今後さらに京都流の価値観を学び、京都流の考え方で、京都流的に粋(すい)な会社を目指して参ります。

2008年8月17日日曜日

ウエダ再興記(49)~ イベントの葛藤と意義

各方面の方々に協力と支持を得ていかなくてはなりませんでしたので、初めは一人で動きまわりました。
我々の主旨と熱意に賛同して頂き、殆どの方に二つ返事で協力をして頂けました。
ある程度の出演、後援の協力が得られた段階から、運営は社員達に任せました。

ウエダ本社での営業上の課題は、指示待ち型から脱却し、自ら切り開いていく社員の養成と、ホスピタリティーを持った社員の養成でしたので、自分達で考え、一流のホスピタリティーを持たれたハイアットの方々と、協業させて頂く事は、お金では換えられない貴重な実地体験になると考えていました。

しかし、実際初めから動いてくれていた数人のメンバー達も、私の意図を諮りかねていたのと、やらされ感で動いているだけの社員との板ばさみに合い、苦労していました。

これだけのイベントを素人だけでは無理だから、うちで仕切りましょうか?そう言ってきてくれる専門の会社もありました。
”社長の考えが分かりません”そう社員にも言われました。

”これだけの方々の協力を得ていて、失敗したら、とんでもない事になる”その恐ろしさはずっと持っていましたが、私もイベントなどはやった事がないからこそ、私が仕切るのではなく皆の力でやってもらう事、社員達が分からない、やれそうにないと
いう事に対して、皆で力を合わせて達成するという経験をしてもらう為、ずっと我慢していました。

しかし同時に、協力して頂いた方々に迷惑は掛けられない事もあり、当日の仕切りなどは、いずれ依頼しようと考えていました。
ただ、それを初めからやってしまうと、皆が当てにしてしまうので、残り1ヶ月半程になった頃、社員達で全体像を作ってから、以前から面識のあった宅間氏にその部分の仕切りを頼みました。
そこから皆が、自分達だけで動いてくれた様に思います。

動いていく内に思わぬ副産物もありました。
DO YOU KYOTO?という言葉が、欧米の環境に取り組む人々の間で共通語になっているのに対して、肝心の京都人が知らないというお話を、門川教育長(現京都市長)から教えて頂き、そんな馬鹿な話はないとイベントのテーマに取り上げました。

ところがイベントの後援申請を行ううちに、何と京都府が早くからその言葉の商標登録を持っているという笑えない話が判明しました。
この事は山田知事もご存知なく、こんな馬鹿げた勿体無い話はないので、是非再発信して下さいとお願いしたのですが、これなどは、縦割りになっている京都を、民間の立場で草の根的に動き、色々な融合を興していこうとした、イベントの主旨に沿う効果の一つであったと思います。

2008年8月12日火曜日

実は・・

実は1週間前から京都を離れ、こんな所に来ています。



フランスの片田舎・・・・と、言うのは嘘で、この風景は何と日本です。

どこか分かる方はおられますか?

こんな風景は多分北海道にしかないでしょうから、北海道は間違いないのですが、
北海道でもこんな風景はなかなかないと思います。

こんな風景を持っているのは、清里町という町で、又詳しくレポートしますが、
あるプロジェクトに乗っかり、1週間前から来ています。

皆さん暑い夏をお過ごしでしょうが、2,3日前こちらは、最高気温が18度という
涼しさで、殆ど半袖しか持って来ていない様な状態ですので、夜には思わずストーブをつけようとしたぐらいです。
嫌味でしょ?(笑)

では又!

2008年8月10日日曜日

ウエダ再興記(48)~ 70周年イベントへの思い

70周年のイベントを考えたのは、11月になってからだったと思います。

それまでは式典なども何も考えていませんでした。
ただ、京都流を運営する様になってから、自社のルーツ、成り立ちなどには興味を持つようになっていましたし、以前輝いていた時代に行なっていた様なウエダ独自のイベントは、いつか行いたいと思うようになっていました。

又、京都流サイトを展開していくにつれ、伝統文化や伝統産業、教育など、それぞれでイベントの必要性を感じていたり、それぞれに対して問題を感じる様にもなっていました。

それなら70周年のイベントを開催し、京都の政財界の方々にお越し頂き、そこでそれぞれに関するイベントを行えば、来て頂いた方々に問題提起を行なえるのではないか?
そう考えてみると、政財界の方々と、伝統文化、伝統産業の方々、それに教育関係者が一同に関わるイベントなど今までなかったのではないか?
それを民間の立場で行う事により、何か融合を生んでいけないか?
その様な事をできる立場にある会社は、無いであろうし、それを行う事は会社の存在価値を見出す事に繋がるのではないか?そう考える様になりました。

以前から、考え方のスマートさに共感を持っていたハイアットリージェンシー京都の総支配人に話をしました。
総支配人は、即座に”是非協力しましょう。”ただ、大変面白い企画なので、一般の方も回遊できるイベントにしませんか?”と言われました。
一般と言われても、70周年のイベントも行わなくてはならない・・という様な事から、結果今や京都で一番とも言われるハイアットリジェンシー京都で、3日間行うという大イベントとなったのです。

この時点で決めた事は、環境、文化、伝統産業、教育という別々のテーマを一同に集める事、それぞれの分野で、格という事を考えず、本当に良いと思う人、団体に声がけするという京都流の主旨を通す事、これら各分野の方々が集まったイベントを
京都府、京都市、商工会議所、経済同友会という、オール京都が認めるというものにする事、又それらを広告代理店なども入れず、自分達の手で行なっていくという事でした。

普通の周年イベントでさえ、1年前から企画したりするものを、とんでもないスケールで、一般の人も回遊するイベントで、しかも仕切り役のプロも入れずに半年で行おうとしたので、、色々な方から無謀だ、無理だと言われました。
しかし、経営をしていると、無謀と分かっていてもやらなくてはいけない時はあるのと共に、これ位の壁を破れない様では、ウエダ本社としても次のレベルには行けないと思い、賭けてみることにしたのです。

又京都を変える為にも、色々な素晴らしいコンテンツを融合させていかなくてはならないし、その為には我々の様な下のレベルの人達が草の根的に行なっていかなくてはいけない、そう頑なに思い、自分達で行う事に拘ったのでした。

2008年8月3日日曜日

ウエダ再興記(47)~ 盛和塾と経営品質

元々ウエダに対しての愛着というものは持っていませんでしたが、昔は輝いていて良い会社であったことが分かるにつれ、又ウエダに入って悔しい思いも数々経験するにつれ、良い会社にしたいという思いが強くなりました。

初めは自分の為に会社を創業した私が、ウエダに入ってからは、せめてウエダに残った社員や、その後待遇も良くない中、ウエダにかけて入って来てくれた社員達が誇れる会社にしたいと思う様になりました。

負債の処理も落ち着いた頃、京セラ創業者である稲盛氏がボランティアで指導されている盛和塾に入れて頂きました。
そこではたくさんの教えがありますが、その中でもまず経営者は、”全従業員の物心両面の幸福を追求しなければならない”とあります。
経営者は例え小さい会社でも、社員の人生を預かっているわけですから、”誰にも負けない努力をしなさい”など、自分を厳しく見つめる事を求められます。

その後経営品質という考え方にも出会いました。
これは、製品やサービスそのものの品質ではなく、経営の質に注目した考え方であり、そのベースは、社員満足、顧客満足、独自性、社会との調和というものです。

思えば、社長は偉いものではないと言って、父親に反発した小学二年生の時からそのベースはあったのかも知れませんが、ウエダという株式会社に入ってからは、存在意義も含めて”社会との調和”を考え、その後の数々の経験から、心底どうすれば社員が生き生きとした人生を過ごせるか?という”社員満足”を目指す様になりました。
瀧定時代の経験から、独立した際には、小さくても”独自性”のあるビジネスを心がけていましたので、これら経営品質の考え方は、自分でも分かっていなかった私の考えを、明確化してくれたと思います。

成績は黒字転換し、会社の雰囲気はよくなり、挨拶などは訪問された方から褒めて頂ける様になりました。
しかし、これら成績はウエダの独自性で生み出せたものではなく、卸や下請けで身についてしまった受け身体質から、なかなか脱却できませんでした。
挨拶などはできるのですが、何故か、その割に一体感が乏しい組織でした。

ここから脱却できないと、私の考える良い会社などというものには到底成りえません。
どうすれば自主的に動いてくれるのだろうか?自分達の会社、自分の人生として捉えてくれる様になるのだろう?
これらずっと悩み続けている問題も、何とか払拭できないかと思い、Do you Kyoto? Do you Kyotostyle?イベントにかけてみる事にしたのです。

2008年7月28日月曜日

ウエダ再興記(46)~ 身内の話と人生って?

私は30歳の時、独立しました。
会社という程ではなく個人事業といった方が近いものでした。
その頃ウエダの社長であった兄は、その後、ウエダの文具卸の部門と共にジョインテックスへ移り、合併が落ち着いた頃、独立する事になりました。

人生というものは10年も経てばどうなっているのか分からないものだと思います。
私が30歳で独立した際、兄はウエダの社長であったのが、10年後の40歳の時には、私は入らないと言っていたウエダの社長になっていて、継ぐ事前提で来た兄は、有限会社で独立をするという様に、10年の間に立場が全く反対になっていました。

兄は自営となって時間的に自由が利くこともあり、父の病院への送り迎えをやってくれていましたが、その時に感じた、介護をされる側の身内の気持ちから、今では介護タクシーを自営で行ない、忙しい日々を送っています。

堀場最高顧問にも言って頂いたのですが、どちらが偉いという話ではなく、結果我々兄弟間では適材適所に落ち着いたのだと思います。

一昨年の11月、母も亡くしましたが、福岡に出張で行っていた私は、父に続けて母の死に目にも会えませんでした。
ウエダの立て直しについて、一番喜んでくれていたのは母ではあると思いますが、その仕事をやっていった結果、両親の死に目にも会えなかったのは、どうだったのか?という想いは残っています。

私達兄弟からすると親戚は年の離れた人ばかりだったという事もあり、親戚の付き合いや世話なども全て、母が一人でおこなっていてくれていました。
その為、自分のルーツ的な事も殆ど知らなかったのですが、京都流でジュニア京都検定の主旨などを知るにつれ、自分の背景にも遅まきながら興味を持つようになった頃、両親が続けて亡くなり、変な話ですが、その関係の法事で殆ど会った事もなかった親戚に会い、全然知らない話も聞く事ができました。

これなども人生って何なんだろう?と考える機会になりました。
親の死というものは全てに意味があって、自分の子供に何か伝えるべきメッセージがある時に、又伝えたい時期に亡くなるのだという話を以前聞いたことがあります。

私の場合、両親の死は、”自分の背景的なものを考える様にしろ”というメッセージだと受け取るのと共に、自分の事、地域の事、日本の事を知って興味を持つという、京都流の主旨をより強く大事に思うようになりました。

又、その様な気持ちになっていくにつれ、京都に対して、色々な方面に対して問題意識を強く持つようになっていきました。

ウエダ再興記~ お詫びと残り

毎週日曜日にアップしておりました、ウエダ再興記が昨日アップできておりません。
イベント前を除いては、ずっと継続して来ただけに残念です。

取引先関係や、新規で来られる方々、こちらが恐縮するようなTOPの方々、懐かしい人々、それと小さいレベルですが、実体験ですので、それを参考にして頂いている経営者の方々など、色々な方々がご覧頂いておりますが、今朝までに更新を見ようとして頂いた方、誠に申し訳ございません。

色々な状況が重なっていたのと、土日に引越しをし、まだネットに繋げていないという状況ですので、どうかご容赦下さい。
通常はあまり、日中にアップしないのですが、後でアップさせて頂きます。

毎週ネタを整理しながら続けて参りましたウエダ再興記は、第50話をもって終了させて頂こうと思います。
その後は少し、あとがきに代えて、今まで直接頂いたご質問などに少し答えさせて頂こうと思いますので、もう少しよろしくお願い致します。

2008年7月20日日曜日

ウエダ再興記(45)~ バランスシートの改善

自分で創業をしていたとは言え個人事業の様なものでしたので、ウエダに来た頃は、経営について全く何も知識がない状態でした。
難題山積している中、誰にも相談できませんでしたので、ビジネス書は読み漁っていたという状況でした。
倒産を防ぐ為には即刻の黒字化をしなければいけませんでしたので、中でも会計に関する本は十冊以上まとめて読んだ様に思います。

お陰でバランスシート(貸借対照表)が読めない経営者が多い中、ある程度バランスシートを見て判断を下せる様になったと思います。
会社価値を高める事を別にすれば、第二の創業後の私は、黒字転換をして、バランスシートを改善する事に専念していたと言っても過言ではありません。

この局面になると、累積損失があるという事は大変有り難く、利益を上げても税金は納めなくて良いので、意識して展開していくと面白い様に財務の中身が良くなっていきました。

創業の文具卸を外に出したのも、先行きを考えると厳しい状況だったからという事でしたが、バランスシートの改善という意味も大きくありました。
当時は2億円強の在庫を持っていましたから、文具卸部門がなくなると、その2億円が丸々浮いてくるので、これも(不良在庫もありますから、額面通りではありませんが)借入金返済に回す事ができました。

毎年、利益の様子を見ながら、順に不良資産を整理していきました。
厳しい状況下で救って頂いた際の、京都信用金庫の本店長は代わられていましたが、その後の本店長には、”これだけ言った通りに改善計画を実行して来た会社は珍しい”又、その次の本店長にも同じ様に、”改善の仕方は京信本店の取り引き企業の中でも3本の指に入る”とまで言って頂ける様になりました。

私は人の能力は、”やる気”のみと考えていますが、これらの事でも証明される様に、切羽詰まった局面で逃げずに集中して取り組めば、中途半端な専門家よりも詳しくなれると思います。

引き継いだ当初、最大借入金が8億8千万、自己資本比率が約17%という状態から、これら財務体質の改善に強烈な意志を持って取り組んだ結果、終に2008年4月期には自己資本比率50%で、現預金が借入金を上回る、実質無借金企業の仲間入りをする事ができました。
当初は、毎年の返済額からして、いつになったら完済できるのだろうと、気が遠くなった借入金も、考え方が変わり、取り組み方が変わると、ほんの6年程でできてしまったのです。

一人の人間でも会社でも、良いスパイラルに入るのか、悪いスパイラルに入るのかが、大きな分かれ目だと思いますし、そのポイントをウエダの社員を含め特に若い人達には、理解して欲しいと思います。

2008年7月18日金曜日

盛和塾全国大会と、くじ改め

祗園祭りだというのに、京都流主催者の私は、京都におりませんでした。

京都通の皆様からは”何て奴だ”て事になるかと思います。

実は、私も勉強させてもらっております盛和塾(京セラ稲盛名誉会長がボランティアで指導されているもの)の全国大会が横浜パシフィコで行なわれ、そちらに参加していました。
これは、経営者の甲子園といわれる様に、8人の発表者が2日間に渡って、経営体験発表をするというもので、今年は過去最大の2555名が参加しておりました。
海外からも、中国、アメリカ、ブラジルからも合計100名近い方々が来られていました。

それは大変刺激を受け、経営者としては参考になるもので、有意義でしたが、16,17日を空けるのは、京都流主催者としては若干後ろめたい気持ちもありました。

ところが、今年のくじ改めは、私の友人のお子さんが務められ、写真の掲載許可をもらったので、東京から今年のくじ改めの画像をUPさせて頂きます。



門川市長も今年初のご体験ですね。









これが今年のくじ改めを務めた親子です。
これは占出山ですよね?
占出山の粽は安産のお守りとして人気があるそうです。

2008年7月13日日曜日

ウエダ再興記(44)~ 企業のミッションと価値観

今まで知らなかった京都を知っていくと、その奥深さに感服しました。
排他的に思っていた事が、実は奥ゆかしさであったり、相手を慮るところから行なわれている事であったり、文化や伝統産業などにある教えは、それぞれが今正に日本が失ってしまった心を持っている事に気づきました。

日本が世界に誇れる物は、何も半導体や精密機械などだけではないのだ、こういう精神文化こそ、日本が欧米にも堂々と誇れるものなのだという事に気づいたのです。
しかも、技術は真似されますが、この日本独特の精神文化は基本的には日本人でしか伝えられないものです。
京都の心は京都人でないとDNAに刻まれたところは伝えられないのと同じ様に。

そうすると、正に日本の文化を日本人が知っていく事が最も大事であり、日本の文化のイコールにも近い”京都”が凄いと初めて思いました。

会社の展開としても、ウエダ本社は京都の価値観でいかないと駄目だと思いました。
日本は欧米の資本主義を追いかけてきて、その価値観は、京都以外は全て東京の価値観と言っても過言ではないと思います。
大阪であれ、名古屋、福岡であれ、地域性はあっても、こと資本主義においては、皆東京の価値観です。
分かりやすく言えば、皆、売上が大きい方が”凄い”と認められます。
ところが、京都だけは、ポッと出の会社で幾ら売上が大きくても、”へー”って感じで、全く”凄い”と感じてもらえません。
それよりも、老舗というか、格というものが重要なのであり、売上が大きくても格上にはならないのです。
そういう皮膚感覚を皆が知らず知らずに持っているのです。

私はウエダに来て、経済界において、常に規模よりも上のランクの扱いを受ける事に違和感を持っていました。
又、ずっとこれが何故なのか理解できませんでした。
ウエダ本社は今年70周年を迎えましたが、京都には何百年という会社はたくさんあり、70年なんて大した事はありません。
ところが、京都が分かっていくにつれ、自分なりに納得したことがありました。
それは、事務機とか、OA機器なのか、そういう分野でいうと、言い方を変えると、ウエダがそういう分野を始めたという事で、ウエダ本社が一番老舗なのです。

それを皆机上論で理解しているではなく、皮膚感覚で感じているのです。
だから他府県の人が京都に入り込めない、難しいという事になるのだと思いますが、これはうちの様な小さい会社では大変大きな資産であり、真似はできないものです。

という事は、折角そういう様に見て頂けるウエダ本社としては、”その価値観を全面に吸収して、展開して行こう”
これが、世の中のニーズや社会に向けてやるべきミッションとウエダ本社の価値観が繋がった瞬間でした。

2008年7月8日火曜日

Live Do you Kyotoと3R検定

先週土曜日に円山音楽堂でLive Do you Kyoto?という音楽イベントがあり、参加して来ました。



京都流議定書を行なったものとして、Do you Kyoto?と名のつくものには顔を出さねば!と思ったわけではないのですが、でも京都流議定書を行なった事から、環境という問題にも関わる事になり、実は3R検定の実行委員にも就く事になっていたのです。
その3R検定が、環境メッセージを募り、3R検定のPRも兼ねてテントを張っていましたので、そこでのお手伝いに行っていたという事だったのです。



3R検定というのは、リデュース、リユース、リサイクルの活動を広めていく為に
来年1月、東京、大阪、京都で開催され、中国など海外にも広げていこうとされています。

どうして私が委員??なのですが、京都流サイトや、先日の京都流議定書のイベントを認めて頂いた様で、我々のイベントでDo you Kyoto?にも火を付ける形になったわけだし、環境についても避けて通れないので、微力ながらお受けすることになった次第です。

又、京都の本来の無くなりつつある教え、暮らし向きには、環境にとって負荷が少なく済む事も多く、そういう意味でも京都流の考えは環境問題とも密接に繋がっていると思います。

という事で今後は、3R検定、環境問題も少しづつ取り上げることになると思います。

Do you Kyoto?と聞けば、という事で言うと、門川市長も忙しい中、このイベントにも駆けつけて来られました。
8月6日に新宿高島屋で3R検定のイベントがあり、そこに環境大臣が来られるそうなのですが、そこで大臣にDo you Kyoto?を言って頂く様に、急遽市長にもお願いをしておりましたが、それはどうなるでしょうか。

2008年7月6日日曜日

ウエダ再興記(43)~ 京都への思いと、京都の価値観

私は元々、京都が好きどころか、嫌いでした。

それは他府県の方がよく言われる様に、排他的であるとか、閉鎖的であるとかという特殊性が、白黒ハッキリさせたい私の性格には合わなかったのです。

しかし京都で会社を経営してみると、”京都で商売するにはどうしたら良いですか?”と聞かれる事がよくありましたが、という事は、京都で何かを進めるには、我々京都人にはアドバンテージがあるのだと思う様になりました。

京都に少し興味を持つと、40歳を迎えるまで京都人でありながら、京都について殆ど知らずに育って来た事、しかし一方で、伝統産業では引継ぎ手がなく、その技術が途絶える危機にあるという事を知り、その馬鹿げた構図に、大きな問題意識を持ちました。
又、文化というと格式ばって入りづらいものになっているが、本来はそういうものではなく、その本質を知らしめる事が重要であるのに、中心におられる方々は、枠から出る事は難しいので、本当に大事な所が伝わってない様に思いました。

それなら、色々な所に出入りできる自分の立場を利用して、何か京都にできる事があるのではないか?
折角京都で70年近くも営業して来た会社なので、会社としても京都に向けて何かできないか?と考えたのが、京都流を興したもう一つの理由でした。

会社を再興するに当たっても、私は単にコストカットして黒字転換して終りではなく、あくまでウエダ本社を再び輝く会社にする為に入ってきたわけですから、黒字転換した後は、会社の付加価値、社会に対しての存在意義を作っていかなくてはなりませんでした。
その為には、京都の会社であるという事を何かに生かせないかと、ずっと考えていました。

会社の価値観を作る為に、私はよく、世の中のニーズに会社をどう合わせていくか、という事を考えます。
そういう方向を模索していくと、その展開が世の中の為にもなり、会社の為にもなるのです。
京都流も全く収益を得ず行っていますが、単なるボランティアではなく、会社の為に行なっていると言うのは、そういう理由からです。

サイトを展開していくと又、問題意識は膨らむばかりでした。
何故もっと早くから京都の背景的な事を教えないのか?という事については、京都市教育委員会が、ジュニア京都検定というものを作り、小学生から地元の事を教えて行く様にされました。
私は、大変素晴らしいと思い、当時の門川教育長の所に、是非ジュニア京都検定も応援するという立場を取らせて下さい、とお願いに行ったのですが、これが初めて現市長にお目にかかった時でした。
以来、本当に熱く、自分の損得抜きに、行動される当時の教育長に触れ、全ての問題の根元には、教育があり、それを何とかしていかないといけないのだと、教育にも大きな問題意識を持つ様になりました。

そんな展開をしていくうちに、京都の価値観というものが少しづつわかってきて、我々の様な中小企業こそが、その価値観を学び、京都の価値観で展開していくべきだと思うようになっていったのです。

2008年7月3日木曜日

上七軒感謝の夕べ

今週の月曜日(6月30日)に、上七軒ビアガーデン前夜祭~上七軒感謝の夕べという企画にお誘いを受けて行って来ました。

これは、7月1日より上七軒ではビアガーデンが開かれますが、その前夜祭として開かれ、今年が3回目との事でした。

5時半より、歌舞練場で長唄を見せて頂いた後、ビアガーデン



で6時~お弁当



などを頂き、7時~9時迄の間は、上七軒の、
中里、大たか、藤幾、大市、さくら、大文字、梅乃、市、というお茶屋さんが開放され、この日に限っては、この時間内でどこに行っても良いという楽しい企画です。

ご存知の様に、通常花街では、自分がホスト役として行けるお店は各花街で一軒なので、花街上級者の方でも、他の店はあまりご存知ないのです。
それだけにこの日は、大人の地蔵盆の様に、10分や20分刻みで、皆さん徘徊されていました。

料金は5万円なのですが、コストパフォーマンスはかなりあると思います。
そして、この上七軒全体のイベントは、お茶屋さん、芸鼓さん舞妓さんも全て無償協力されているそうで、この集まったお金は、歌舞練場の修復資金にされるそうです。

以前は、単に修復費がかかるから、という事で、寄付集めに回られていたのですが、
自分達の街の事なのだから、自分達も御奉仕をして集めようという事で始まったらしく、その考え方、姿勢には大変感銘を受けました。

特に伝統文化の世界では、タニマチの存在もなくなって来ていると思いますので、
単に支援してもらう、支えてもらうという所から、少しでも自分達でできる事を行い、自立型の仕組みを構築していくべきだと改めて感じましたし、そういう姿を見せていかれると、支援する人も広がっていくのではないかと思いました。

又、逆に花街にはトンと疎い私に、ある社長さんから、”岡村君、これは上七軒が御奉仕で行なわれている事なんだから、この日だけ来てなんて事は駄目だよ。今後はもっと来て実際お金を落としてもらわないと・・”と言われましたが、実際京都では名だたる企業さん、社長さんが、寄付もされて花街を支えておられるのだという事を再認識しましたが、そういう所に京都の”粋”というものがあるのだなという事が、おぼれげながら、分かってきました。

しかしまだまだ、私などはそんな世界にどっぷり行ける様な立場でもなく、足元をしっかりしないといけませんが。
ちなみに、ウエダ再興記をご覧頂いている方に向けては、言っておかないといけないですが、この5万円は、勿論会社のお金ではなく、自分のお金ですのでご安心下さい。

2008年6月29日日曜日

ウエダ再興記(42)~ 京都流の成り立ち

”良い会社”にするという事については、ずっと悩んでいましたし、現在も悩み続けています。

ウエダに来た頃は、やる気ないムードが蔓延し、空気が澱んでいるという事を体験しました。
挨拶はしっかりできない、電話は、10回か15回かの呼び出しで、出なければ警告音に変わるのですが、これが普通に鳴っている光景でした。
電話に出るという事は、仕事が増えるわけですから、皆出たくないのです。
通常に営業をしている会社で、10回も15回もコールしても出ないということは、異常な事ですが、長年昇給もなく抑えられていて、どこに向かうのかハッキリしない
経営の下では、社員にしてみれば、余分な仕事などやってられないという心境だったのだと思います。

倒産の危機もある中、時間をかけている余裕はありませんでしたが、まずは挨拶について厳しく言いました。
今でも、挨拶については絶えず言っているつもりですが、最近では来られるお客様から、”よく教育ができてますね””皆さん気持ちの良い対応をされますね”と言って頂くケースも出てきました。
電話においては、まず3回以上のコールをする事はないと思いますし、1度も鳴っていないのに、電話に出るので、外からかけて驚く時もあります。

しかし、レベルが高い会社からすると、まだまだだと思います。
私は今では、その対応力の差は、社員の会社に対する誇りと、ホスピタリティーにつきると確信していますが、以前からも何となく、そう感じていました。

うちの会社でも形式的な挨拶はできる様になったかなと思った頃、京都検定の話を聞きました。
京都検定の元々の理念は、観光を生業としている京都が、まず京都人のホスピタリティーを高めないと駄目じゃないか?という稲盛商工会議所会頭(当時)の言われた事が源となっているという事でした。
京都を良くする為に、まずは京都の人が京都を知り、興味を持ち、自分達が住んでいる京都を好きになり、誇りを持つ事、これが京都検定の元々の理念であるという話を、当時の京都検定担当者から聞き、会社を良くする為に、考えていた事と全く同じだと思いました。
それなら、京都人のホスピタリティーを高めていく事を、目の当たりにして勉強しよう、そう思いました。

又、商工会議所という半分公的な機関では、その理念通りには行かず、歴史試験的になるであろうという事はこの時点でも想像できましたので、我々が民間の立場で、どこにも遠慮せず、その理念部分を応援して行きましょう、と話しました。

これが、京都流の成り立ちであり、京都流を始める全ての切欠でした。

2008年6月27日金曜日

小笠原敬承斎さん

昨日、ある会で、小笠原流礼法宗家の小笠原敬承斎さんのお話を伺いました。

宗家であり、このお名前ですので、年配男性を想像しますが、実際は綺麗な女性であり、それ自体が驚きですが、その小笠原礼法とビジネスマナーという事で、結構企業向け研修なども行われている様で、京都流の運営者という事と、企業向けビジネスを展開するウエダ本社の立場としても、大変興味深く参加させて頂きました。

又、私はいつも自分自身が、どうしてこうラッキーなのだろう?と思うのですが、行った際に空いていた席が、懇親会での講師のお隣の席で、多くの方の羨望の眼差しの中、かなり色々お話させて頂くことができました。

京都流や私共の活動についても、ご興味を持って頂けたと思いますので、又、コンタクトを取らせて頂けると思います。

小笠原流というのは、武家礼法からくる礼作法だそうですが、それが現在に立派に生かせるのだという事で、企業向け、学生向けにも広めて行かれている様で、京都流から私が教育に関わる様になった背景も、特別な話ではなく自然な事なのだと、再認識しました。

いくつも琴線に触れるフレーズがありましたが、”遠慮”というのは、現在使われている意味でいうと、少し消極的なイメージがありますが、本来はそうではなく、
その字の通り、遠くから慮る(おもんぱかる)という意味であり、自分のした行為で次の人がどうなるかを慮る、という事であるとの事でした。

この感覚は、京都だけのものではなく、武家礼法でも同じで、これが日本の心なのだという事なんですね。
何でも主張すれば良いという、これも悪い意味での欧米化が過ぎて、日本の文化が失われていくのは勿体ないという事を仰っていましたが、正に同感であります。

ウエダ本社でも、最近よく言っているのは、次の人の事を考えて(慮って)、
皆がバントで繋いでいく様な、集団にしようという事ですが、皆が本来の意味での
”遠慮”をできる様にしていきたいと思います。

2008年6月22日日曜日

ウエダ再興記(41)~ 良い会社にしたい

父が喜ぶ事を唯一できたのは、皮肉にも社葬を出せた事だと思います。
これより以前の”倒産”の危機の頃に亡くなっていたら、社葬どころではなかったですから、社葬を出せる様に立て直せた事で、一つ役割を果たせた様に思います。

サラリーマンからスタートし、有限会社で独立した頃は、自分の為だけに仕事をしていました。
その後、”公器”の役割もある株式会社の経営を担う事になり、身内の為、社員の為に仕事をする事になりました。
倒産寸前の会社で借金を背負い、文具業界、同業者の組合、グループ内、はたまた自社内でも悪役を担うなどという事を誰の為、何の為にやるのか?を理解してくれる人は殆どいませんでした。
”お父さんならそんな事はしないだろう”よくそんな事も言われました。

”そりゃ、お金(数字)の事や、社員の事を考えず、体裁ばかり考えていれば、良い格好もできるよ”
”大体、私が全面的に悪役をやらなければいけないのは、誰のせいだと思っているのだ”
何も知らない他人にはこんな事も言えず、余計に父の事を腹立たしく思いました。

赤字会社にして、社員達にもしわ寄せをしていたのは、紛れもなく父のせいであり、しかもこの時点では完全勇退もしておりましたので、社葬を行なう事についても初めは消極的でした。
しかし、幹部や関係する人達からも、”社長や今後のウエダにも関わる話ですよ”と言ってもらい、大勢の方々にお越し頂いて、社葬として送らせてもらう事ができ、これで私としても自分の気持ちに区切りをつけられた様に思います。

この時点では会社の危機は遠のき、負の遺産も処理をしていける様になっていましたので、この頃初めて、父が見栄、体裁で行なってきたことにより、京都の多くの方々に知って頂いている事も資産として捉えられるようになりました。

社葬に向けて、以前一度読んでいたのですが、祖父が書いた”ウエダ雑記”という本と、”わたしと事務機”という父が書いた本を再度それぞれ読みました。
以前読んだ時には、それ程感じなかったのですが、この時には、昔ウエダが輝いていて、素晴らしい会社であった様に感じました。
同時に、それだけ素晴らしい会社でありながら、倒産の危機に直面する様な会社になってしまい、長年昇給もされず、沈滞ムード漂う会社に成り下がってしまっていた事を大変悔しく思いました。

そしてこの頃から、株式会社は公器の役割があるから・・という様な形式的なものではなく、昔のウエダの様に輝きを取り戻したい、不遇の中残ってくれた社員達が、残って良かったと思える会社にしたい、社員達が自分の身内、知人に誇れる様な素晴らしい会社にしたい、そう強く思う様になったのでした。

2008年6月15日日曜日

ウエダ再興記(40)~ 新ウエダ本社と父の死

ウエダシセツという子会社は、ゼネコン等の下請けで、自前で設計チームを持ち、オフィス内の設計・施工を行なっていました。
ウエダ本社は、事務機だけを残してスタートしましたが、ネットワーク・通信、それにWEB関連など、ソリューションビジネスも手掛けておりました。
それらを合体させると、オフィスの事が設計から、工事、備品販売、通信・ネットワークからWEBまでを一社でサポートできるディーラーになるのです。

又IT系の会社に関わった際の人脈から持ち込んで来られる商材もあり、これらを組み合わせていくと、他にはないオフィス向けディーラーとなっていけると確信していました。

数字面においては、ずっと勝負所の連続でしたが、合併前の2003年4月の半期決算で、ウエダ本社は1500万、2期連続赤字に陥っていたウエダシセツも500万程の
黒字となり、合併後の新ウエダ本社第一期目の2004年4月には、経常利益6200万円
を上げる事ができ、ここで初めて”倒産”という文字を遠ざける事ができました。

その翌期に当たる2005年3月、前会長である父が亡くなりました。
死という事では全く突然でした。
父は脳梗塞で3度も倒れ、少し手足に不自由が残っていたものの、命は問題がなかったのですが、少しボケもあり、代表を降りた後、完全勇退をして自宅におりました。
と、言うより、それも私が決断し、そうさせました。

これも大変辛い決断でした。
黒字転換したとは言え、それは経費などを切り詰めて、出来た黒字転換であるので、まだまだ余裕などありませんでした。
そこに、中小企業でよくある様に、オーナーだから、同族だからという理由で、何もしていない人に給料を払うという事は私にはできませんでした。
というよりも、リストラ役で入って来た私はそんな事はしてはいけないと思っていました。

しかし、片側では、息子として、ろくに世話ができるわけでもない負い目もありました。
母は芯が強い人で、”私ら何とでもなるから、あんたは仕事に専念してウエダの事を立て直してくれるのが一番や”そういつも言ってくれていました。
悪いけれど、もう父にも辞めてもらので、給料は払えない、後は退職金で生活してくれるか?この問いかけにも母は快く応じてくれました。

この退職金も顧問税理士が言われる、常識範囲の5分の1程度にしました。
厳しい様ですが、”実際倒産していたら退職金どころか、責任追及をされている立場であるので当然だ”、父親の失政の処理をして来たウエダ本社の代表取締役として、ろくに世話をできない息子としての負い目を、振り払う様に言い聞かせていました。

晩年ボケもあって昼夜が逆転し、毎晩夜中に起きてはテレビを見ていたのですが、ある早朝、リビングのソファーからずり落ちて亡くなっているのを母が発見しました。
朝、5時半頃だったと思います。
電話を受けて病院へ行きましたが、私が駆けつけた頃には全て終っていました。
何とか倒産という局面は防げましたが、父にとっては、私の行ってきた対応は良かったのか、一度も聞く事はありませんでした。

2008年6月12日木曜日

瓢亭 朝がゆ

今年はイベントに掛かりきりでしたので、イベントとウエダ再興記以外のブログを殆ど書いておらず、ちょっと書きづらくなっています。

という事で、久しぶりに京都ネタを軽く入れさせて頂きます。

昨日、ある会の朝食会で、瓢亭さんの朝がゆを頂いて来ました。



朝がゆと言っても、お粥だけではなく、このたまごが又名物らしいですね。



お粥はダシを入れて頂くのですが、上品な味で大変おいしゅうございました。

朝からこんなものを頂くと、気分もゆったりとして、いつもと違う意欲というか、
良い感じの一日のスタートができました。

それにしても通常は10名強しか参加していない朝食会ですが、今回は瓢亭さんという事で23名の参加でした。

2008年6月8日日曜日

ウエダ再興記(39)~ 再起業計画書

第二の創業と言っている会社はよくありますが、私からすると、単に危機意識を訴える為に言っている所や、今儲かっているけれどそこから変革をしていかなくてはいけないという意味で使っている所が多い様に思います。

ウエダの場合、私の場合は、本当に第二の創業でした。
売上50億円強あったグループを解体し、10年近く実質赤字であったウエダ本社と、2期連続赤字で売上も半減してしまった、ウエダシセツという子会社を統合し、全体では四分の一の規模からスタートするわけですから、掛け声だけで言っていれる
状態ではありません。

長年赤字のウエダ本社に来た時から、やる事はシンプルに、経費を洗い出し、得意、不得意、強み、弱みを分析し、少しでも得意、強みを見つけ、そこにウエイトをかけていく、それだけの事でした。
”オフィスに向けての総合的なコンサルを目指す”そう掲げて、どういう業態にもチャネルを持っているという文具や事務機業界の強みを生かし、そこに独特の繋がりのあるIT系のネタを持ち込んで提案していけば、相手の無い存在になれる、そう確信していました。

しかし一番苦心したこと、今でも苦心していることは人の問題です。
そういう意味ではベンチャー企業などは羨ましく思う時がよくありますが、私の価値観、方向性を示し、それに賛同してくれるやる気のある人々が集まってくれれば、どれ程精神的なストレスもなく、やりすいか?と思います。

しかし一方では、今居るメンバー達が、やる気のない状態、考えない状況にしたのは、今までの経営が悪いのであり、それを行なって来た私の身内に責任があるので、今居るメンバーが駄目だから、辞めさせて新たな人を採るという事は、責任逃れであると思います。
今居るメンバーの価値観、考え方、やる気を変えて行って、会社を変えて行かなくてはならないという事が、最も大変な事であり、この問題にずっと取り組んで来たと言っても過言ではありません。

2001年5月、文具卸をジョインテックスに移管した後、残ったメンバー全員に、再起業計画書というものを作って配りました。
それは、まずは厳しい状況で一緒に頑張ってくれる社員達に、私の考え、どこに向かおうとしているのかを示すべきだと思い、それらに対しての現状分析と課題、今後の予測などを綴りました。

独立した頃は、自分の利益だけを考え、会社も大きくするつもりはなく、拘って有限会社にしていた私が、その後考えてもいなかったウエダに入ることになり、
数々の問題を、四面楚歌の状態で切り盛りする中、父親にまで梯子を外され、馬鹿らしくて辞めようと思った頃には、私が引くと、社員達始め色々な人に迷惑がかかる状況になっており、自分だけ逃げるという事はできませんでした。

この時初めて、自分以外の人達の為に経営することになったのですが、この時から、会社は誰の物か?何の為に経営するのか?という価値観が自分の中で大きく変わった様に思います。
現在社員で共有を図っている、”ウエダの指針”や”ウエダベーシック”というものも、この再起業計画書をベースにしたものですが、この様な考えになって行った事が、その後、京都流を立ち上げる事にも繋がっていった様に思います。

2008年6月1日日曜日

ウエダ再興記(38)~ 合併と第二の創業

2002年10月期にウエダ本社は黒字転換しましたが、まだまだ勝負所は続きました。
子会社である、ウエダシセツがどんどんジリ貧になっていたのです。
この会社は、ゼネコンや工務店の下請け的な仕事で、オフィス内のレイアウト設計から、間仕切り、内装工事などを行っている会社で、長年、良く言えば堅実ですが、売上は約10億円で”少しだけ黒字”を続けていました。

前社長は、コンピュータ代表と共に親会社の”名誉ある撤退”を迫って来た人ですが、自分の意思というよりはその方が得策と踏んでいただけであろう事もあり、2002年1月に任期満了という形で退任してもらいました。

建築など又々、全く分からない世界でもあり、まだまだウエダ本社も立ち上がったばかりで他の事に時間を割く余裕もなかった事、この会社は別運営すべきと思っていた事もあり、後任は専務(現在、ウエダ本社専務)にお願いしました。
しかし、”現場は責任を持つが自分は社長はできない”との事で固辞された為、ウエダ本社の副社長兼、ウエダシセツの代表取締役社長に就任する事になりました。

この頃には長年10億と言っていた売上は7億に落ち込んでおり、その中身も粉飾や、不良債権も含まれていました。
建築業界では、受注時と中間期、完了時で3分の一づつ伝票を切るケースが多く、数字が苦しい際には、決まっているからと伝票を先切りし、それがその通りにならない事から、不良債権というよりは処理できずに、結果粉飾となっている債権がいくつか残っていました。
今後、”伝票の先切りはやらない”という事を徹底した事もあり、売上は5億に一気に萎んでしまいました。

10億で少しだけ黒字を”数字上”続けていた会社ですから、それが7億、5億と一気に萎むと、蓄えもある会社ではないので、こちらはこちらで一気に倒産か、廃業となる状況で、とても名前だけ社長で別運営などと悠長な事を言ってられる状況ではありませんでした。
私も正直な所、いつも自分の知らない事はやりたくないし、他にまだまだ問題に取り組んでいるので、誰かにやってもらいたいと考えるのですが、後退局面の時期は、強いリーダーシップで処理していかないと結局、傷を広げ手遅れになるので、自分で管理、指示できる様に、ウエダ本社と統合合併する事にしました。

この間、実際は2年前から全て舵取りは行なっていたウエダ本社の社長にも、2002年5月に正式に就任し、統合の準備を進めました。
決算期を変更する事もあり、合併後の新会社は創業と同じく5月1日からとすべく4月決算とし、2003年5月~本当に第二の創業というべき、新ウエダ本社をスタートさせる事にしました。
それ故、2002年に黒字展開したウエダ本社も、2003年4月の半期決算で又赤字では合併も認められにくくなるので、黒字は絶対の状況下で、何とか黒字を死守し、息つく間もなく、2003年5月~の新ウエダ本社はこれが失敗すると、今まで行なって来たリストラ計画全てがパーになると言っても過言ではない状況でスタートしたのでした。

2008年5月25日日曜日

ウエダ再興記(37)~ ウエダの存在価値を作る

ウエダ再興に向けて当初から行って来た事は、全て自分の経験に基づく事からです。

全く自由競争の繊維業界に身を置き、自社にアンチ的な先の開拓役を経験した事で、売れる仕組みについて勉強する事ができ、自分で創業して経費感覚を身につけ、色々な商社に出入りして、色々な業種を知り、IT企業の役員で、ネットバブルを経験し、IT系の世界、考え方を見て来たこれら全ての経験が、ウエダの存在価値を考える事に繋がっています。

ウエダに来た頃は卸不要論が叫ばれていましたが、卸が不要というよりも、どの業種の中間業者も総じて、商品を川上から川下に流しているだけで、何の付加価値も生んでないのですから、そんな仕事や会社が存在する意味がないと思っていました。
人間関係や既得権だけで商売するのではなく、実力本意でオリジナルのビジネスを構築しながら、地域に密着し、細かなフォローができれば、どんな時代になっても付加価値を持ち続けると思いますし、それがウエダを再興していく上でずっと考えて来た事です。

唯一他に誇れる、XEROX販売についても、そんな事で喜んでられない理由はそこにあったのと、それに加えて、コピー機ビジネスでは、設置後何年間かの保守、メンテで儲かるという仕組みであるのに、ウエダはその部門が外に出てしまっていて、コピー機業界の常識ではおよそ考えられない、”馬鹿じゃないの?”という構図だったのです。
しかし私には、この仕組みの方が一般ビジネスからすると特殊である様に感じるのと、私の場合、現状の戦力から発想、構築していくので、無いものを恨んだり、羨ましがったりする習性はなく、それがなくてもやっていける様にしなくてはいけない、それがウエダとしての特長になる、そう考えていました。

”XEROXでXEROXに勝つ”これはそんな発想を端的に示した言葉ですが、社内だけでなく富士ゼロックス京都の社長にも、こんな非常識極まりない事を、はっきり言っていました。

コピー機ビジネスは、通常、元々納入した販売店がそのまま継続して販売していくという、暗黙の了解があります。
極端な例では、XEROXをある先に、ある販売店が話を進めていると、まだ売ったわけでもないのに、他の販売店はその先にはXEROXを進められないのです。
そんな業界で私は、XEROX社が直接売っている先に対してまでも、堂々と、ウエダからXEROXも買った方が得ですよと話していきました。

ウエダという独立系の会社がXEROX商品もXEROXから買うより、総合力でウエダから買った方がメリットがあるという様にしないと付加価値(存在価値)はないと思いますし、そういう存在でないと、究極的にはXEROX社から見ても、ウエダはメリットのない会社になってしまうと思います。

”ウエダの存在価値を作る”これがウエダを再興するに当たり、私がずっと取り組んで来た事です。

2008年5月18日日曜日

ウエダ再興記(36)~ 本当の強み

青政研は30人程の会でしたが、頑張っている人が多く、今までずっと一人で悩んで来た事がまだまだ小さいなと感じる事ができたり、実際に皆同じ悩みを持つ社長であったりするので、業種や規模が違えど、腹を割って話する事ができ、大変刺激を受ける事ができました。

しかしこの頃は、経費は最大限に切り詰め絶対黒字転換を図らなくてはならない時期であり、しかも年収600万円の代表取締役社長としては、付き合いも大変でしたが、自分への投資だと思って、貯金を食いつぶして付き合っていました。
私は、特に若い間は自分への投資にお金をかけるべきだと思っていますが、まだまだ厳しい状況下でもあり、私はお酒も殆ど飲めないのですが、この時期に彼らと交流できたのは大変有意義でした。

先日の70周年式典では、多くの青政研関係のメンバーが会場の中ほどで集ってくれていた事も、嬉しい光景でした。

2002年の10月期に黒字転換しましたが、全く猶予はありませんでした。
リストラ前、ウエダはずっと連結で決算を出しており、売上は50億強でした。
大雑把に言って、ウエダ本社が約22億、コンピュータ子会社が約20億、ウエダシセツという子会社が約10億という構図でした。
売上50億で借入金が約8億で一応黒字の会社から、一気に、コンピュータ子会社は連結から外れ、本社内で約14億程あった文具卸を外に出したので、一時的にしろ、ウエダ本社の決算としては売上8億で借入金8億にもなりました。
まして世の中は貸し渋りの状況ですから、まず、リストラ後の黒字という事は最低限であって、そこからも目に見えて改善を図る必要はずっと続いていたわけです。

青政研に入るまでは、8億という借入も、”こんなの何時返せるのだろう?”と思っていましたが、凄い会社、同年代の凄い連中を目の当たりにしてからは、”頑張れば大した事はないな”と思える様になりました。

残ったウエダ本社での強みを構築していく事は急務でしたが、この時点でウエダで誇れる事と言えば、ゼロックスの販売が毎年全国で3位や4位であるという事くらいでした。
通常、これだけ売っていれば、儲かっていても良いのですが、ウエダには全く喜べない特殊事情がありました。
コピーというのは本来、メンテ部隊を自社に持ち、販売した後の保守メンテで儲かる仕組みであるのですが、ウエダの場合これも、30年程前、創業者の時代に、ウエダ本社は売る会社、メンテ部隊は事務機サービスとして独立しており、社長は叔父に当たる人ですが、法人的には全く別会社でした。

当初は、機械だけでも儲かったので、販売する会社と、メンテする会社の線引きが成り立ったのでしょうが、ドンドン機械では儲からなくなり、その線引きの交渉が長年、仕入先を巻き込んでずっと懸案になっていました。
仕入先を巻き込んでと言っても、仕入先からすると、卸売りで売っているだけの販売会社と、メンテをしっかりやってくれている会社では、メンテをやってくれている会社の方が重要であり、全く交渉になりませんでした。

唯一の販売上位のメーカーと言ってもこんな状況であり、上辺の強みから本当の強みに仕立てていかなくてはなりませんでした。
文具卸に入って来た時と同じく、私は”コピー機業界の常識は知りません”そう、内外に話していました。

2008年5月14日水曜日

京都流議定書 その後

今朝は皆和会という集まりの朝食会で、スピーチをする事になっておりましたので、先日の京都流議定書の件について話させて頂きました。
今月末には、私は入っていないのですが、ロータリーでも話させて頂きます。

折角行なった京都流議定書の問題提起を継続していく為に、機会があれば、本意ではありませんが、話もして回ろうと思っています。

今週はその他、式典でスピーチをして頂いた、柏原京都銀行頭取と、ワタベウエディングの渡部社長の所に御礼方々ご挨拶に行って来ました。
お二人とも先日の堀場最高顧問と同じく”あんな式典見たことがない”と大変お褒め頂きました。
それらも全て、京都流を運営してから感じてきた問題意識を、詰め込んだイベントであったからだと思いますし、その発信は、継続していかなくてはならないと改めて思いました。

2008年5月11日日曜日

ウエダ再興記(35)~ 経済同友会と青政研入会

イベントも終りましので、毎週日曜日のウエダ再興記復活させて頂きます。

2001年に文具卸をジョインテックスに移管しました。
そちらを選んだ社員は転籍し、定番に入る商品は原価に近い値段で買い取ってもらいました。
私の兄もこの時点でジョインテックスに転籍しました。
私が、代表権を持つ際に、”このままではウエダは倒産すると思う。それを防ぐには全面的に任せてもらうしかないがどうする?”という話で、この時から兄との間では、私が全面的にやり、その後ジョインテックスに文具卸を移管することになった際に、兄はそちらに移るという話もできていました。

勿論、任せてもらったからと言って、倒産が防げる保証はどこにもありませんでしたが、ただ言えるのは、私が思い切って手を打つしか、可能性はなかったのです。

その年10月の決算は約7200万円の赤字でした。
これは移管に伴う損などまだ言い訳できる面はありますが、この翌年は絶対赤字にはできません。
このリストラの成否を見つめる、銀行、仕入先からすると、リストラ後に赤字になる様であれば、まず強行な対応に変わるでしょう。
以前から、残ったウエダでの数字のシュミレーションはやり尽くしていましたので、残った事業が例年通りの数字を残してくれると黒字には転換する予定でした。
これは絶対死守しないといけない事でしたので、経費は勿論トコトン切り詰め、2002年10月の決算では2500万円の黒字にする事ができました。
多分、ウエダ本社独自の数字で黒字になったのは、10年近くぶりであったと思います。

この時期顧問で残られていた元役員二人から、”経済同友会だけは入られたらどうですか?あそこは一番まともですよ”と言われました。
勿論、ウエダは縮小して終りではなしに、これから再度、立ち上がっていく為にこの厳しい状況に入り込んでいるわけですから、実商売を考えても、顔を売っていかないと駄目である事は分かっていました。
しかし、数字に疎い私の父が足元を見ず、ロータリーや商工会議所の議員活動など身の丈以上の事をやって来たから、ウエダは倒産寸前の会社になり、社員にも多大な迷惑をかけ、私にしても、これだけの苦労を背負わなくてはならなくなったのだと、私は各種の会活動に対して大変悪い印象を持っていました。

ただ、たまたま二人が言われるので、2002年6月に経済同友会には入りました。
入会すると又たまたま瀧定時代の同期が、40歳以下には青年政策研究部会というのがあり、そこに入る様誘ってきました。
同友会の仕組みすら知らない私は、言われるまま入りましたが、そこは同友会所属の40歳以下の会で、多くは跡継ぎの人達でした。

当初私は、”どうせ老舗の坊ちゃん達が、会と称して遊んでるだけやろ”と色眼鏡で見ていました。
ところが、しばらくすると、このメンバーは、仕事でも私の比じゃなく凄い人が何人も居る事に気づき、自分は、ただひたすら切り詰めて展開してきただけで、彼らに全て負けていると思いました。
この青政研(青年政策研究部会)に入った事が、又私自身や考え方を大きく変えてくれたと思います。

2008年5月9日金曜日

イベントの意味合い~堀場最高顧問とウエダ再興記・番外編

今日、先日のウエダ本社の式典でご講演頂きました、堀場最高顧問に御礼に上りました。
部屋に入るなり、”良かったな~あの式典”から始まり、”よくあれだけの人を集められるところまでやったな”と言って頂きました。

3日間のイベントが無事終った事、うちの社員がやり遂げてくれた事も大変嬉しかったですが、堀場最高顧問に褒めて頂いた事は、大変嬉しい事でした。

堀場最高顧問が見て頂いても”あれだけの人”という方々が集まって頂いたという事も嬉しいのですが、実はこれには深い意味があります。

ウエダ再興記の方に書いた方が良い話なのですが、倒産に直面したウエダに来て、
八方塞、四面楚歌の状態の中、次々に重大な決断をしていかないといけませんでした。
ある時私は、多分100人居たら99人が下すであろう決断と違う決断、要は1人しかしないであろう決断をしようとしていました。
机上論ではどう考えても、99人の方の決断になるのですが、危機に直面しているからこその勘とでも言いますか、1人しかしないであろう決断でいくべきだと思っていました。

ただ、それこそ、間違うともう取り返しがつかないわけですから、迷いに迷っていました。
その時に、堀場会長(当時)に相談に行ったのです。

素晴らしい経営者の本はたくさん読んでいましたが、昔から堀場会長の考え方、価値観が私には”その通り”と思う事ばかりでしたので、その同じ方向性の考えをお持ちで尊敬する堀場会長がどう判断されるか、すがる思いで相談に行きました。

”私は、全く外部の方に、会社状況を話しし、相談に来るなんて、経営者としては失格です。しかし、それでも迷っており、勿論、会長が言われた通りにして失敗したから・・などという様な事は一切申しませんので、ご意見をお聞かせ下さい。”
そう言って、事情を説明しました。
約1時間、堀場会長はずっと黙って話しを聞いて頂き、私の説明が終ると、会長は、
”今1時間程の話だけでは分からないけれど、今の話だけで判断すると、こっちやな”
と私が決断を下そうと思っていた100人中1人の方を選ばれました。

その瞬間私は、これ以上ない味方を得た気持ちになり、”有難うございました”と飛んで帰りました。

それから約7年、そういう経緯があったので、”ようあれだけの人を集められるところまでやったな”と言うお言葉には深い意味があったのです。
最高顧問もそういう意味で、ホントに喜んで頂いていました。

そういう事もあってか、ご講演の演目もわざわざ”京都スタイル”として頂き、
式典後多くの方に、”堀場最高顧問の講演はいつもにも増して、素晴らしかったな”
と言って頂く様なお話をして頂きました。

これも70周年という節目を迎えるイベントの、誰にも言っていなかった私の一つの意味合いでした。

2008年5月5日月曜日

ウエダ本社70周年記念イベント

Do you Kyoto? Do you Kyotostyle?イベントについては、できれば写真なども入れてレポートを書いてもらおうと思いますが、
私の方からは、まずは報告を書かせてもらいます。

5月1日の式典の事はあまり触れていませんでしたが、これはこれで大変なイベントでした。
これを呼び水に、色々な立場の人を融合していきたいと思っていましたので、通常の
周年パーティーの様に、従来の取引先に来てもらってというよりは、知事以下、京都の政財界の方々にお越し頂き、問題提起を行なおうと考えておりました。

本当にお忙しい中、山田知事、門川市長、前原誠司衆議院議員、福山哲郎参議院議員、商工会議所を代表して、京都銀行の柏原頭取、経済同友会からはワタベウエディング社長の渡部代表幹事にそれぞれお越し頂き、ご祝辞を頂きました。
又、式典では堀場雅夫最高顧問から、”京都スタイル”と題して約40分のご講演を
して頂きましたのと、パーティーの方では、東儀秀樹さんに、ミニコンサートを行なって頂くという、ここからして盛りだくさんの式典でした。

ご祝辞を頂いた皆様方全員、用意された挨拶ではなく、ご自分の言葉でお話して頂き、しかも勿体無いお褒めの言葉ばかりで大変恐縮致しました。
5月1日と言えば、暫定税率復活した日でありましたが、そんな中、前原さん、福山さんも駆けつけて頂きました。

そういう方々が、駆けつけて頂いた事に感心されておられる方、堀場最高顧問のご講演の内容に感心されておられる方、東儀さんのコンサートで感動された方、色々な方がおられましたが、皆さん、総じて満足して頂けたと思います。

お土産も、通常の周年記念などではなく、このイベント用に作った”京都流議定書”のエコバックに、ウエダで作成した”岩上力の知って楽しい京都学”のDVD,
水谷さんとのセミナーの教本である、”ご機嫌指南書”だけであり、知事以下VIPの方々にも、エコバックを下げて帰って頂きました。

京都はまずもって、こんな政財界のTOPの方々も大きな資産であると思います。
これだけの方々が、ホントに気さくに良いことは良いというスタンスで感じ入ってもらえる、これはなかなか他ではないのではないかと思います。

しかしそれでいて、縦割りになる事が多い、ならざるを得ない構図のある京都に対してどうも歯がゆく、そこがまずもっての問題提起でした。

式典の前、VIP控えで使用していた部屋で、山田知事、門川市長、前原さん、福山さん、堀場さん、に山崎副市長も加わり、話されている光景を見て、何か京都に対して、少しでも一石を投じられた感じがして、大変嬉しい気分でした。

2008年5月4日日曜日

終った~!!!!

昨日、お陰さまを持ちまして、Do you Kyoto? Do you Kyotostyle?イベントが無事終了しました。

この様子などについては、又、ブログで書いて行きたいと思いますが、まずは、ご関係頂いた方々に御礼申し上げたいと思います。

あと、手前みそですが、このイベント、私の頑なな思いから、イベントもやった事ない我々で、広告代理店も入れず、あれだけの面々を集め、ポスター、チラシ、看板からコンテンツまでほとんど全て社員だけで行いました。
この厳しい条件に社員達が本当によく応えてくれたと思います。

何故、そこまで拘ったのかについては又ブログで触れたいと思いますが、そんな中、
殆ど、大きな問題もなくやり遂げられたという事が、何よりも嬉しい事です。

少し残念であったのは、我々の力不足もありますが、本当にとんでもない、イベント、お値打ちもののイベントであったと思いますが、それぞれの価値に見合う集客が行き届いてなかった点であります。
それと、このイベントの全ての発端は、このサイトであり、京都流としてイベントを行いたいというところから考えていった事ですが、京都流ユーザーに向けて、そういう感じにできていなかったかなと思う事です。

でもそんな中、雅撫子さん、aoiさん、laviemarieさんにはお目にかかれて良かったです。

京都流議定書としては、今後も京都に対し問題提起をしたいと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。

2008年5月3日土曜日

Do you Kyoto? Do you kyotostyle?イベント 梅田陽子氏

ギリギリになってしまいましたが、完了しなくてはならないので、書かせていただきます。

セミナー最後は梅田陽子さんです。
梅田さんは、年末、年始にかけて教育テレビでエクセサイズの番組を持たれておりましたが、今や引く手あまたな方です。

と、言いますのも、エクセサイズですが、京大の研究室にも入られていたりしますので、エクセサイズで、メンタルヘルスの問題や、メタボの対策として、学術的とでもいうのでしょうか、色々な角度からアドバイスされておられます。

先日もワコールから、はくだけで痩せるという、エクサウォーカーというメタボ用パンツが発売されましたが、それも監修されています。

うちの会社では、梅田さんが研究されている、うつ傾向が簡単なエクセサイズで改善されるという事について、オフィスでできる簡単な体操の実験場となったりしながら、オフィス向けの活用を考えております。

その梅田さんには、3日の日は親子で来て頂くケースが高いので、お母さんはたまには母親を忘れて、女性として受けられるセミナーを行って頂こうと考えていて、
1時間のセミナーで、1時間後に会った子供が、”お母さん何か変わった”と分かる位の講座を行って頂く予定です。
(尚、その効果には個人差がありますので、効果についてのクレームは受付かねますが・・笑)

と、いう事で、女性必見ですので、今からでも明日お時間ある方は駆けつけてくださいませ。

2008年5月1日木曜日

Do you Kyoto? Do you kyotostyle?イベント 佐竹雅昭氏

イベントは今日からですが、佐竹さんは3日教育のところでお話頂きます。

何故、佐竹さんが教育?と思われた方は、以前の私のブログをご参照下さい。

このイベントの件をお願いして依頼、しばらくお目にかかれていませんが、相変わらず、自分の信念に基づき、活発に飛び回られている様です。

教育問題だけでなく、格闘ファン或いは、フィギアコレクターとしても有名ですが、
そんなお話も出るかも知れません。

お気軽にご参加下さい。

それと、昨晩の<a href="#l">毎日新聞(関西版)</a>夕刊でDO YOU KYOTO?の件が大きく取上げられました。
DO YOU KYOTO の流れについて、説明されていますので、ご覧下さい。
このイベントも開催中です!

2008年4月28日月曜日

Do you Kyoto? Do you kyotostyle?イベント 門川大作氏

市長にイベントの基調講演なんて良いの?と思ってしまいますが、この話をお願いした際は、まだ教育長でした。
実は、今だから言いますが、私は門川氏が市長選に出られるのをいち早く感じ取っていました。

それはこのイベントの基調講演の話を詰めに行こうとしてアポイントを取ろうとした際、秘書の方の対応がいつもとは違い、少し歯切れが悪い感じがしたからです。

その後、お話できたのは、市長選にご出馬されるとなってからでした。
その際も”無役で行かなくて良いように頑張るわ”と仰って頂きました。

とは言え、正直大変心配をしていました。
準備としては、来て頂けるという事ですから、印刷などを進めて行ってますし、しかし、そうは言っても市長になられたら、全く立場は違うので、どうなるか分からないな・・と思っていました。

秘書も市長担当の方に代わりますし、前市長からの予定もあるでしょうし、市長の秘書の方にまで予定を衆知してもらえないと安心はできませんでした。

しかし、その点においても、門川市長はしっかりと、この以前からの約束は遂行できる様にと予定を取って頂き、現職の市長が基調講演でお越し頂くという、我々からしますと、ビックプレゼントになったのです。

私が今までお話させて頂く限り、門川さんの場合、その場だけ取り繕って良い様に
言うという事は一度もありませんでした。
お話して、なるほどと理解して頂いた事には、その場から電話をかけて手配をして頂いたり、その実行力にはいつも頭が下る思いです。
そんな方ですから、約束が履行されないという心配はないのでしょうが、それでも
立場が変わって、ましてや大変なポジションになられたのですから、”ゴメン、無理になった”という事があっても当たり前だと思います。

そんな対応を一つ一つ目の当たりにしていますので、私としても、門川市長になって、少なくとも京都が悪くなる事はなく、必ず良くなるという事は自信を持って言えます。

教育については、実は市長となられて、勿論新たに教育長もおられますので、お話しされにくいので、教育についてズバリというお話にはならないと思いますが、市政全体のベースには教育が重要とのお考えが根幹にあると思いますので、そういうつもりで聞いて頂ければ、興味深いお話が聞けると思います。

2008年4月26日土曜日

Do you Kyoto? Do you kyotostyle?イベント 堀木エリ子氏

堀木さんには今回大変失礼な事をしています。

元々はある方の対談のお相手としてお引き受け頂いたのですが、その後、その方のご都合が悪くなり、堀木さんに見合う対談相手をコーディネートするのに時間がかかりずっと待って頂いていました。
すると又その間、岩上さんからこの時間しか無理と言われていた時間に堀木さんの予定を組んでいた事が分かり、対談で受けて頂いていた話を、講演に変えて頂き、しかも人の流れ的には、良くない時間に変更して頂いたという、大変失礼な話でした。

最近では東京ミッドタウンの作品が有名ですが、今や世界で活躍されるアーティストに何て扱いをするのだと、流石に厚かましい私も嫌悪感を抱いたくらいです。

それでも堀木さんは嫌な顔一つされず、講演を受けて頂く事になりました。

いつも言いますが、京都流で凄いという人は、権威、実力があるのに、決して権威ぶらず、ホントに気さくに対応される方々です。

それが京都流の一番発信したいポイントで、文化=権威というのは、京都流では賞賛しません。
堀木さんの理想形は、自分の作った和紙作品が一般庶民の暮らしの中に入り込む事ですが、これは京都流的に賞賛する方の共通する考えで、暮らしの中に溶け込んでこそ文化だという事です。

是非皆さんには、作品もさる事ながら、堀木さんの人間性に触れて頂きたいと思います。
あの、宝塚顔負けの容姿からは想像できない、”男前”な性格で、堀木さん作品を全くご存じない、ビジネスマンや経営者が話しを聞かれても、”経営者としても凄い”と関心されると思います。

”できる”か、”できないか”の選択肢から”できない”を消すと、後はどうやれば”できる”かしか考える事がない、これが堀木さんの名言です。
これはことある毎に私の説教ネタになっています。

そんな事で、建築、インテリア関係の方は勿論、何かをやりたい女性から経営者まで
幅広い方にお薦めの講演です。


毎週日曜日に書いているウエダ再興記はイベント終了まで休ませて頂きます。
楽しみにして頂いている方、申し訳ございませんが、イベントが終れば再開致しますので、又よろしくお願い致します。

2008年4月20日日曜日

ウエダ再興記(34)~ IT系の手法とリアルビジネス

しかしその後、何度か会議に出席していると、そんな賢い話より、もっとやるべき事があるのではないの?そう思う様になりました。

その頃、Kという会社は知られていましたので、こちらの業界でも色々な人に会う事ができました。
ところが色々な会社に出入りしてみると、Kという会社だけではなく、多くの会社で、夢と資本政策だけで上場を目指すという様な話ばかりで、実体がない状況でした。

実際あった話で、A4用紙一枚だけの企画書で4億円の出資を引き出したという人も居ました。
多くの会社が、凄く賢く、夢があるのに対して、”商売”という観点からすると、かなり幼稚な感じでした。
その後ライブドアの問題で話題になった様に、殆どのところが、上場自体が目的であり、上場して一攫千金を狙っているだけで、事業を展開する為に資金が必要だから上場するという事ではありませんでしたし、会社を使命感で運営するとか、会社は
世の中の為に・・などという感覚は全く持っていない感じでした。

皆、夢とアイデアを脚色し、それをビジネス感覚なしに賢い資本政策だけで上場まで持っていくというスタイルで、上場してお金を集めて、そのお金でリアル(実体のある)のビジネスを買っていくというスタイルでした。
後に堀江氏が近鉄球団買収に乗り出したり、衆議院選挙に出たりという際にも世間では時代の寵児と持て囃していましたが、私は、その頃のIT系の考え、手法を分かっていましたので、”近鉄買収”と出た瞬間から、狙いは直ぐに分かりました。
要は、実体がなくても、上場して時価総額を上げ、その作ったお金で、実際のビジネス(往々にしてこちらの方が市場での価値が低いケースが多い)を買っていき、実際の売上を作っていくという手法であり、皆が持て囃している頃からずっと私はこの手のやり方は納得いきませんでした。
それが法に触れるか、触れないかは別として、それをやりたいのなら、投資家としてやればいいのであって、株式会社という本来は自分のビジネスを行う為に資本を集めるというスタイルを利用して、行なっている事に腹立たしい思いを持っていました。

しかしこれらの世界を見れた事は私にとって、大変大きな事でした。
ウエダの置かれている状況と、このIT系の対比を見ていると、逆にリアルのビジネスを持っているという事の価値観を改めて感じる事ができ、一つ一つをしっかり売るという事の大切さ、難しさを見る事ができ、それ故、倒産寸前の局面があったウエダも、実感として再生はできる、どんなに縮小しても採算さえ合わせば、それは実体のある数字であり、そこに新たな夢のあるネタ、商品を乗せていけば、これは強みになる、そう確信を持てたのでした。

これが言わばウエダ再興におけるホントの意味のリストラ(再構築)の意味合いでした。

2008年4月14日月曜日

Do you Kyoto? Do you kyotostyle?イベント 畑 正高氏

ご存知お香の老舗、松栄堂さんの社長さんです。

畑さんも正に伝統と革新をうまく展開されておられる典型の方だと思います。
畑さんに”香道”という言い方をすると、それは”香道”ではないと仰る事があります。
香道にはお家元がおられるし、自分はそういう立場ではないとの事で、”香道”に対して、畏敬の念をしっかり持たれながら、その普及に役立つ事なら、協力は惜しまないというスタンスをお持ちで、今回のイベントについても、”一つの話に限定せずに、一日でいくつものテーマについて、お香を話しても良いよ?”とまで仰って頂きました。
大変ありがたいお話でしたが、セミナーがお香だけに偏ってしまう面もあり、今回は一コマだけをお願いする事にしました。

それだけに伝統の守るべき所、それを広めていくべき所と、リスンを展開されている様に、全く斬新な違う切り口も見事に展開されており、京都流で考える、伝統産業のあるべき姿を体現されている会社だと思います。

セミナーは一コマだけですが、課外ワークショップとして、松栄堂さんの香房見学と
桜橘庵での聞香体験をセットにした、メニューもご用意しております。
これはイベント一日券にプラス2000円はご負担頂かなくてはいけないのですが、
この桜橘庵という場所も、私が以前、ブログにも書いていた様に聞香体験や、老松さんのお菓子作りをしていた所で、一般の方にはなかなか入って頂ける機会は少ないと思います。
この場所は、儒学者・皆川淇園が日本で最初の大学と言われる、弘道館を建てたという由緒ある場所で、吉田松陰も門下生であったことから、彼も通っていたかもしれないという場所です。

尚、松栄堂さんの香房体験だけご希望の方は無料でご覧になれます。
2日も、ホントに休む時間がない程、びっしりのメニューですが、お香だけを勉強されたい方は、この香房見学、聞香体験をされた後、ハイアットで畑社長のお話を聞いて頂くのも、有意義な一日になると思います。

悩ませてすいません!

2008年4月13日日曜日

ウエダ再興記(33)~ IT企業での役員

同時にいくつもの後ろ向きの処理ばかりを行なっていましたが、本来のリストラ(再構築)という意味からすると、それだけではなく、新しい展開もしていかなくてはいけません。
文具卸の連携先の模索、子会社株の売却、物流事業からの撤退交渉、残る事業の立て直し、銀行交渉、という難題を抱えながら、望みをかけてIT系企業の非常勤役員を引き受けていました。

この頃はネットバブルの真っ只中で、この会社も上場する準備を進めていました。
このオーナーは日本のみならず、世界的にみて、インターネットの黎明期から開発に関わっていた人で、後にネットスケープというウェブブラウザ-の前進であるモザイクにも関わっていました。
このモザイクというのは、後に出て、今や殆どの人が使っているインターネットエクスプローラーと同じ役割をするもので、これがなければインターネットにつなげないのですから、本当にインターネットの世界に革命をもたらしたと言っても過言ではないものです。
そんな実績が認められ、これもWindows95が出る以前には、世界で圧倒的シェアと取っていたユードラというメールソフトの日本での権利を、たくさんの大手会社と争そって権利取得していました。

このオーナーD氏と、彼が米国シリコンバレー時代に知り合ったN氏とで運営していた会社Kというのが、私が関わった会社でした。
このN氏という人も大変な経歴を持っている人で、家族全員日本人ですが家はパリにあり、この当時パリに住んでいたlunaparkさん(京都流ユーザー)から紹介してもらったという経緯で、丁度、一つ一つを売っていくというノウハウを持っていなかった
Kという会社で、繊維ではありながら一応、流通を川上から見てきた点と、独立して色々な業種に向けて出入りし営業をかけていた点を期待され、非常勤役員に迎えられたのでした。

ウエダ内での暗い事だらけの話とは対照的に、ネットバブル真っ盛りのこちらの業界では、正に夢の様な話がゴロゴロしており、これらネタをウエダが販売するという様な事ができれば、”苦境から脱却できる”これに望みをかけて、ウエダ内の事だけでもとても時間が取れる状態ではない中、優先してこちらの会社にいく時間を作りました。
今から考えると、ホントに唯一、夢を見れる時間であったので、これがあったから、モチベーションも続いたのかもしれません。

しかし経営会議では、ベンチャーキャピタルや、証券会社、信託銀行など上場に向けて関わっている会社も入って、MBAでも取得していないと分からない様な、賢い話が喧々諤々行なわれ、海外企業との交渉などにも何度か同席しましたが、
参加者は、それぞれが二ヶ国語以上話すので、通訳なしで当たり前の様に英語で行なわれ、こんな所で役員になっていて良いのか?
と初めは戸惑いました。

2008年4月7日月曜日

京都流議定書イベント 広報活動

”Do you Kyoto? Do you Kyotostyle?”イベントの広報活動が活発になって来ました。

4月5日土曜日の京都新聞朝刊で”京都観光や文化を考えるイベント”という事で紹介してもらいました。
主催は国際日本ホスピタリティー学会となっておりましたが、あれは今回、行政なども協力頂くに当たり、うちからお願いして主催に座ってもらった所です。

今日7日からFM京都でスポットCMを流していただいてます。
私は早速今日、2回も聞きました。
こちらはいきなり、”ウエダ本社70周年併設イベントでは・・”と始まりますので、お聞きの逃しなくお願いします。

又、本日京都リビングFMという局の”ワカバン”という番組で12時~12時半まで、生出演でイベントの案内をさせて頂きました。

これからもちょこちょこお耳にして頂ける事もあるかと思いますが、一番強いのは
”口コミ”です。
京都流の皆様方は是非、こういうイベントに興味ある方には、勧めて下さいます様
お願い致します!

2008年4月6日日曜日

ウエダ再興記(32)~ 色々な経験があればこそ

私も、株式の価格は勿論ですが、それ以外にもいくつかの具体的な条件を出しました。
株式の価格も今であればデューデリジェンス(資産の評価)を行ってという事になるのですが、この頃はそんな知識もなかったので、全て自分で考え、算出しました。

この頃の全ての交渉に言える事ですが、難しい事は分からなくても、原理原則に従い、ホントに死ぬ気になって取り組めば、凄く難しい事を勉強した専門家が出す結論と、かけ離れたものにならず、逆に実際身になる結論を出せると思います。

ディスカウントキャッシュフロー、当時でも言葉は知ってましたが、そんな算出方法よりも、単純に、唯一利益を出していて、しかも毎年コンスタントに見込める収益がある子会社が、グループから外れるわけですので、毎年見込まれる収益がなくなる、という事から考えれば、それを手放す場合は、どの位の見返りが必要か?という話になります。
三年~五年の間には、ウエダ本社を子会社からの収入などに頼らない、自社の本業だけで独り立ちさせないといけない、そう考えると自ずとディスカウントキャッシュフローなど知らなくても、常識的な線は計算できると思います。

株価以外にも、こういう視点でいくつかの条件を出しました。
中でも一番神経を使ったのは、子会社が離れる事により、数字を連結で出す事はできなくなるので、その事により銀行が一気に回収を図って来るであろう事でした。

その為、まず初めに、もし銀行がそういう態度になった場合、U社から借り入れをできる様に話しをつけていました。
(銀行対策の話も以前書きましたが、最悪の事態も想定して、その前にこの話を取り付けていました。)
その後、数ヶ月に渡り、何度も東京へ行き、交渉を重ねました。

この頃同時に進めていた他の問題への取り組みもそうですが、どの問題も半年以上かかっていた事ばかりですので、一つ一つの問題でも本当は十話以上の話は書けると思いますが、話が重くなるのと、公には言えない事もありますので、この交渉についても軽く結論だけにさせて頂きます。

色々な攻防がありましたが、株式の価格、売却後のウエダ本社の懸念される事に対するいくつかの補填の条件等については、私がほぼ考えていた通り、飲んでもらいました。

しかし、今回の売却の目的に一つには、グループ内にあっても無法状態であった子会社とルールの通じる上場会社に入ってもらう事によって、ウエダ本社との連携を図る事がありましたので、売却後の元子会社にも、役員で入れてもらうか、会議への参加を求めていましたが、それは却下されました。

又U社からすると、支配権が取得できれば総額は低い方が良いので、70%の取得にしたいという事で、こちらとしては30%を持っていても、議決権など何の効力もない事は分かっていましたが、あくまで連携が取れるならという事でそれ以上主張しませんでした。

ただ、一番納得はいかなかったのは、様々なルールを無視した子会社代表には、けじめの意味でも、完全に降りてもらうという事を入れておりましたが、U社も色々切れない事情があり、子会社がウエダ本社に内緒で作っていたその子会社の、株主として加わらせ、実際は経営にも関与させるという事でした。

上場会社であるU社がこういうグレーな決着をする事には大変憤りを覚えましたが、私は、その元代表個人を潰す事を目的としているわけではありませんので、これも目をつぶりました。

瀧定時代から含め、梯子を外されたり、裏切られたりという経験を何度もし、ウエダに入ってからはそれこそ命がけで色々な交渉を経てきましたので、この頃には自分がいくら正しくても、大きな視野に立ち、感情を押し殺す事ができる様になっていたのかも知れません。

瀧定に入社二年目位の血気盛んな私に上司が言ってくれた言葉があります。
”お前な、理屈で勝っても商売に負けたら、ビジネスマンとしては0点や”
逃げずに苦労して来た経験は、必ず役に立つと思います。

2008年4月3日木曜日

Do you Kyoto? Do you kyotostyle?イベント 岩上力氏

京都流の皆様には御馴染みの、今や京都検定では唯一の講師である岩上力さんの
セミナーは5月2日の14時10分頃から15時10分頃の予定で行ないます。

岩上さんのお話は本来、試験という側面の京都検定ではなく、京都の心を知るという、京都検定の元々の理念に沿ったものです。
しかし、それが検定向け講座では、本来の伝えるべき話ではなくなってしまう面がありますので、今回は、検定とは離れた、京都の心についてお話頂く予定です。
検定向け講座では聞けない、背景的な事についてのセミナーを、是非、お見逃し無くお願い致します。


又、ウエダ本社では岩上さんと、京都のくらしの12ヶ月として、京都で残すべき、伝えていくべき、1月~12月の京都の暮らし、行事を、分かりやすく解説して頂いたDVDを制作、販売していく予定です。
こちらも合わせて楽しみにして下さい。

決して、専門ではないので、画像などでも素人っぽい部分もあるかと思いますが、
だからこそ、伝えたい話をしっかり押さえた、映像のプロではできない物に仕立てていきましょうと、岩上さんとは話しています。

2008年3月30日日曜日

ウエダ再興記(31)~ 株式の売却交渉

U社とは具体的に子会社の株式売却に向けての話を進める事になりました。
U社は、役員が担当として交渉役になりました。

最近はM&Aも一般的になり、小口の案件でも手掛ける所が多いのですが、この頃はまだ一般的ではなく、どこかに頼むという事も分からず、これも勉強しながらの交渉でした。
ただこの頃、私は上場を目指しているIT系企業の役員にもなっており、周りにもビジネスプランを立て、実像がないビジネスでありながら、高値で株式を売っていくというIT企業が多くありましたから、株の試算方式にもいくつかの方法があり、見方によっては、全然違う価値になるのだという知識はありました。

U社の担当役員には、ウエダグループの背景と、以下の様な、株を売却する理由と懸念点を話しました。

売却する理由としては

①グループでありながら全く統治されておらず、このままではウエダの改革が進まない事。
②グループ内では感情的や自分達の思惑ばかりの話で、”会社”としてのルールが通用していなかったので、却ってU社に入ってもらう事により、”会社”としてのルールは通じる様になると思った事。
③このままいけば子会社も分裂するであろうが、分裂後は残った方の業務に私も忙殺されるであろう事から、この場合もウエダ全体の改革には時間がかかるであろう事。
④株式を売却したお金で、物流事業の負債(ウエダの責任分)を一掃しようと考えた事。
そして、
⑤社員約100人という中途半端な規模のコンピュータ子会社や社員達にとっても、U社の傘下に入るという事はウエダの傘下でいるよりは、長い目で見た場合、この時点での選択肢としては得策であると考えた事。

などで、懸念としては、

①グループ連結で数字面の公表をしていたが、このコンピュータ子会社が殆ど利益を出していたので、これがなくなると一気に赤字になる事。
②借入金もグループ全体で行なっている形なので、その売上からすると低いが、実際は長年赤字のウエダ本社の借金で、単体になると、全く売上に対して多すぎる借金となる事とそれが皆に衆知になる事。
③一期が赤字になるだけではなく、グループでの今後の継続的な収益も見込めなくなる事。
④子会社から業務委託費的に上げていたウエダ本社の実際の収入もなくなる事。
⑤これらから銀行から、一気に貸し渋り、貸しはがしの対応をされる事が予想される事。
⑥唯一ウエダ本社の優位点であるXEROXの販売も、子会社が離れると、販売数が落ち、ウエダ本社の優位点は全くなくなってしまう事。

これらを話し、何度かの交渉の後、U社の条件の提示をもらう事になりました。

しかし、出て来た数字は、いくつかの評価の中で、この時の状況下では低くなる方式でのものでした。

2008年3月26日水曜日

Do you Kyoto? Do you kyotostyle?イベント 千宗屋氏

5月2日のお昼から、武者小路千家若宗匠の千宗屋氏にお話頂きます。

今回お願いに行った際、初めて官休庵に入らせて頂きました。
私は、”伝統文化、伝統産業を決してその価値を下げずとも、もっと色々な人々に知らしめる方法がある筈で、色々な立場の人々に草の根的に参加して頂けるイベントにしたい”そう説明させて頂いた時、若宗匠がすぐさま仰ったのが、私は、”伝統文化””伝統”と言われる事自体に、あまり心地よさを感じていないのです、という事でした。

これを聞いただけで、今回のイベントに是非ご参加頂きたいと思いました。
私などの様な不躾者が、それだからこそ、色々な事を気にせず、単純な問題意識から、京都流~そして今回のイベントまで展開してきたのですが、若の様な、本流のど真ん中におられる方が、自ら、伝統と言われていては駄目なんだという事を言われるのですから、大変心強く思ったわけです。

お茶も昔は、生活に密着していたもので、それが今では、別世界のものになってしまった。
本来文化というものは、生活に密着しているもので、祭り上げられるものではない。
かと言っても、今の茶道をそのまま生活に密着させるというのも無理があり、その辺りをどういう折り合いをつけていくのかが、茶道や、伝統文化と言われるものの、
考えていかなくてはいけないところだという事をお聞かせ頂きました。

本流の真ん中におられて、この様なお考えで、展開していこうとされている方々が、垣根無しで集まっていく事ができると、面白いと思いますし、このイベントがそういう切欠になればと思っています。

若宗匠を評しては、大変博学な方で、どんな話でもお話頂けるという事でしたが、今回はまず三千家の成り立ちから、お話して頂く事になるかと思いますので、皆様どうぞお楽しみにして下さい。

2008年3月23日日曜日

ウエダ再興記(30)~ それぞれの選択

具体的に話が進んでいくと、最初の話とは違う事も出てきました。

全員受け入れてもらうという社員も、営業は地元に残れますが、仕入れや営業サポートなどは、東京に一本化される為、女性社員はこの時点で辞めなければないのが、実質的な話でした。

途中から、営業譲渡ではなく、あくまで商品を買い取り、各社で契約を終えた社員を引き継ぐだけという事になっていましたので、移行する社員にはその時点で、退職金を用意しなければなりませんでした。

社員達に話しても良いとなったのは、移行する社員の名前を提出しなくてはならない
1週間前でした。
全社員を集め、この間の経緯、P社が作る新会社の概容、残るウエダ本社のこれからの方針を説明しました。
社員達に酷であったのは、その時初めて説明を聞かされ、人生のかかった決断を1週間以内に、結論を出してもらわなくてはならなかった事、東京でしかポストがない業務についている人は、その時点で、東京に行くのか、辞めるかの選択しかできなかった事です。

私の方もきつい事はありました。
退職金については、遅かれ早かれ払わないといけないので、大きな問題ではありませんでしたが、残るウエダ本社も、順風どころか、いばらの道でした。

大幅な規模縮小と、今までグループ経営などと言ってベールに覆われていた(隠していた)数字が表に出るので、瞬時に立て直さないと、倒産に追い込まれるであろう事は予測できました。

しかしそういう状況の中でも後の体制を全く組めませんでした。
ホントは、こちらから何人かに向けて、ウエダに残ってくれと言って、その人達を起点に早急に組織、運営を考えていかなくてはならないのですが、皆にとっても大きな人生がかかっているので、変に勧誘などせず、自分の考えだけで選んでもらう様にしました。
1週間しか、選択の余地を与えられなかった、せめてもの償いでもないのですが、こちらの希望など言える権利はないと我慢しました。
ただ、猶予はありませんから、この1週間の内には、誰が残った場合はどうする、という何十種類ものシュミレーションを考えていました。

何も策の打てない1週間というのは大変長く感じました。
その間に、東京でしか受け入れのない、設計を担当している社員と、営業サポートをやっている女子社員が付き合っていて、しかも結婚を考えているという事を聞き、この二人が行くというなら東京で採用してくれる様交渉したり、P社には一人でも多くの人が良い形でいける様にいくつかの交渉をしていました。
文具担当の中堅社員が新会社には行かず、辞めようとしている事を聞き、よく考える様に説得したり、この間は社員の行く先の事で奔走していました。

金曜日夜だったと思います、皆の希望が出揃いました。
新ウエダ本社では残す人数も言っていた事もあり、人数についてはほぼ予定通りでした。
残る事を希望した名前を並べ体制を考え出していた頃、事業部を統括していたS部長から電話がありました。
彼は”自分は上司として失格です。皆に期限を切っておきながら、自分は新会社に希望を出しましたが、まだぐらついています。
自分だけ抜け駆けしている様で心苦しいですが、もう一日だけ待ってもらえませんか?”というものでした。

私は特例という事が嫌いですが、文具業界の常識は知らないと言って展開していく私と、文具屋さんの間に入って、辛い役割もやってくれていた事、私の何倍もウエダへの愛着を持っていてくれていた事などを考えると、”Sさんは特例ではなく
ウエダへの貢献を考えると、一日長くする事は不公平ではないと思いますから、明日まで考えて下さい”そう言いました。

翌日S部長は、”一日頂きましたが、やはり新会社の方へ行かせて頂きます”と連絡がありました。

”ウエダの都合で行なった事であり、それぞれの人生だから、やむを得ない、ウエダを選択してくれたメンバーで考えよう”と思っていましたが、やはり皆が去っていくという事を目の当たりにするのには、寂しい思いがありました。

2008年3月19日水曜日

Do you Kyoto? Do you kyotostyle?イベント 山折哲雄氏

今回のイベントでご出演、ご協力頂く方々の横顔について、イベントに向けて綴っていきたいと思います。

まず、第一回目は、5月2日の伝統文化、地域産業の日に基調講演をお願いします、山折哲雄先生です。

今回のイベントでご出演頂く方の共通項は、凄い方なのに、決して権威を振りかざさず、我々にも目線を合わせて頂ける方という事ですが、これは、私自身の、人を尊敬できるかどうかのポイントで、いくら凄いという人でも権威ぶって、偉そうにしている人は、尊敬できません。

京都流のベースは、権威かどうか、格がどうかという事ではなく、真に京都や、文化、伝統産業、そして日本について、自分の私心からではなく、考えておられる方々を支持するというもので、そんな方々ですので、今回のイベントも二つ返事でご協力頂いたのだと思います。

山折先生などはその代表で、あのお立場でありながら、色々な事に対して、寛容に受け入れられる度量を持たれた方だと思います。

以前、先生のご講演で聞いて、深いなあと思った話があります。

それは、先生が”私は京都タワーに上るのが好きでね・・”と仰ったのです。
色々景観で言われる京都タワーがお好き??と思って皆が不思議に思った後、先生は
”京都タワーに上ると京都の景色から京都タワーが消えるのです”と言われました。
思わず、うまいブラックユーモアだなと思ったのですが、続けて”京都タワーに上ると、これだけの人が住む都市で、山に囲まれ、川が街中を流れ、これだけ風光明媚な都市は世界でもここしかないという事に気づかされるのです”と続けられ、思わわず、”深い!”と感嘆の声を上げたくなる様なお話しをされました。

このイベントのご説明に上った際も、Do you Kyoto?の話をご存知なかった様で、環境に取り組まれている人の間でKyotoが動詞的に使われているという説明をさせて頂くと、先生は、”これは今日は勉強になった”とホントに気さくに
仰っておられました。

2日はどんなお話をして頂けるのか?今から楽しみです。

2008年3月16日日曜日

ウエダ再興記(29)~ 極秘裏での準備

P社に行くと確かに、その様な動きがあるとの事でした。
それは簡単に言うと、インフラはアスクルと同じく、物流、受注センターなどを全国で一本化するものですが、アスクルと違うのは、営業を地元の各卸が行い、フェーストゥフェースで展開すると言うものでした。

当然、ウエダには声をかけたがったが、U社と密接な関係なので、最初から諦めていたとの事で、大変驚きと共に喜んで頂きました。
既にこの時点では、近畿エリアで二社が話を進めているとの事で、ウエダが入れば、近畿地区はこれで募集するのは終りになるだろうとの事でした。

条件的には、合併ではなく、営業譲渡であり、全面的に譲渡しても良いが、自社で残したい事業は残してもらっても良い、最低文具部門だけを持ち込んでもらいたいというものでした。
合併ではないので、負債は引き継いでもらえませんが、持っている在庫の内、新会社でも扱う商品は、買い取ってもらえる事、文具に関わる人は皆取ってくれるという事で、リストラのポイントの一つである、文具卸を外に出し、小さくなっても
採算を合わせ、その地盤、ネットワークを生かして、新たに構築して行こうとしていた私に取っては、大変良い条件でした。

”これしかない”、そう思い、二回目か三回目かの話の際に、この新会社に入るという事を意思表示しました。
その後、新会社入りの表明をしている会社を集めたミーティングが行なわれ、そこで初めて、全国の卸でどこが参加するのかを知りました。
ウエダとも大変馴染みのある会社、ウエダと同じくU社と大変深い付き合いをして来た卸もありました。

参加する会社に向けて構想がドンドン明かされて行き、作業も具体的に行なっていかなくてはならない状態になりました。
各社の移行する売上、在庫(商品)を登録し、想定される社員の年収など色々な数字資料を提出していかなければなりません。
これらの作業になってくると、現場のメンバーに関わってもらわなければ進まない為、この時点で、営業部長と経理部長の二人に事情を説明し、極秘でP社移行への準備を行いました。

私の方でも残るウエダ本社のシュミレーションをしました。
勿論、今までこんな事を勉強した事はありません。
いつもカバンの中には、色々な数字資料を入れ、移動中は殆ど、売上、利益、経費などのシュミレーションを自分なりに色々な角度で考えていました。

当時ウエダ本社にはまだ50名程の社員がいましたが、私が考えた計画では、残る新ウエダ本社は、営業8名、営業事務の女性1名に経理などを加え計15名程のものでした。

果たして皆が理解してくれるか?
後に誰が残ってくれるか?
残ったメンバーでどう構築していくのか?
これだけ一気に規模を縮小する事(グループ全体だと、4分の1程の規模になる)について、銀行、仕入先は本当に理解してくれるのか?
何から何まで誰にも相談できない事ばかり、一人で決断を下さなくてはいけない事ばかりでした。

2008年3月9日日曜日

ウエダ再興記(28)~ 合併先の模索

全てが難題ではありましたが、リストラ計画も何も、全てはウエダ本社を再生する為ですから、その根幹は永年続いていた赤字から、脱却させる事です。

ウエダに来た頃は、ウエダ本社単体の売上は約22億円程でしたが、子会社からのロイヤリティー等を除いた本業では、最大時には2億円弱の赤字でした。
以前にも書きましたが、文具卸では、数十円のものも多くある中で、在庫も2億円程あり、時代遅れのオフコンで管理していて、在庫数字は合わなくて当然という状況でした。
倉庫などにある机の引き出しを開けると、いつの物か分からない伝票が出てきたり、処理されていない返品があったり、在庫が合わない事をしょうがない等としていると、全てがルーズになり、初めは悪気のない行為から、不正などにも繋がっていくのだと思います。

会社には沈滞ムードが蔓延していて,”皆こんな所で仕事してると健康な人でも体悪くなるやろ?”と、社員達に言いましたが、ホントにそう思った程、実際、空気が ”よどんでいる”という状況を、生まれて初めて経験しました。

そんな状況から脱却する、しかも、時間をかけている余裕はないとなると、私は文具卸は合併させるしかないと思いました。
世の中は卸不要論が叫ばれ、業界ではアスクルが登場し、文具卸を単独でやって行っても生きていけない、そう思いました。

初めは、物流事業を行なっている5社で合併するのが、一番実体にも合い、良いと思いましたが、後に2社が倒産した様に、それぞれの懐事情もかなり違っていましたから、5社が一緒になるというのは、早々に無理だと分かりました。
この頃は、全国的にも色々な再編の動きがあり、永年守られて来た流通三段階も崩れようとしていました。

その頃、子会社株の売却の交渉に行っていたU社会長から、色々な動きがあるが、ウエダは物流事業のお荷物があるので、それを含めても面倒を見てもらえる可能性があるのは、一つのグループしかないのではないか?というアドバイスを受けました。
と、当時に、もしくはP社が全国の卸を束ねる様な新業態を考えているらしいので、それ位しかないであろうと言われました。

P社というのはこのU社とは、仲が良くないのは業界では皆知っている会社です。
しかし、この話が面白そうだと感じた私は、瞬間的にU社会長に対して、ウエダ(業界ではU社の昔からの代理店として知られている)がそんなP社が立ち上げる事業に参加して良いのですか?と聞きました。
すると、U社会長は、”そりゃまず、ウエダが生き残れる事が先決だろう”と言われました。

後から聞くと、このP社の動きに参画したU社と懇意の他の卸は、これに参画する為にU社の上層部に相当根回しに通われたそうですが、私の場合、この瞬間の話で、根回しは一切行う事もありませんでした。

それで堂々とP社の門を叩いたのでした。

2008年3月6日木曜日

Do you Kyoto? Do you kyotostyle? イベント

各界のTOPの方々を集めて、京都流議定書として京都流とウエダ本社が、問題提起として行うイベントですが、現在確定しているイベント(ゲスト)だけでも以下の通りです。

1日はウエダ本社の周年イベントを行いますので、これはご案内させて頂いた方のみですが、この日の午前中からは、雑誌ソトコトさんによる環境セミナーなどが開催され、これについてはどなたでも参加して頂けます。

この周年イベントは、従来の会社周年事業とは全く異なり、山田知事、門川新市長を始めとした行政の方々、商工会議所、経済同友会などの経済界の方々にお集まり頂き、このイベントの問題提起を知って頂こうとするものです。
又、ゲストには基調講演で堀場雅夫氏、
パーティーでのショーには東儀秀樹氏と、
ご案内させて頂けない方からはお叱りを受ける様な素晴らしい方々にお越し頂き、
花を添えて頂きます。

しかし、一般の方向けの2,3日のイベントも大変豪華で、2日は伝統文化、地域産業のテーマですが、この日の基調講演は山折哲雄氏、
講座では武者小路若宗匠の千宗屋氏、
松栄堂の畑正高氏、
京都検定の岩上力氏にお話頂きます。
又、和紙アーティストの堀木エリ子氏には、素晴らしい方との対談を予定しております。
イベントでは、茂山正邦氏による狂言ワークショップ、
今様謌舞楽会グループによる、今様源氏物語なども行なわれます。
又、職人さんによる技の実演、映像コンテンツやお茶席なども用意し、”普段縁のない人や京都を知らない人にも京都を感じてもらう日”をコンセプトに行ないます。

3日は教育(親子)をテーマに門川大作京都市新市長に、前教育長としてのお立場から、基調講演を行なって頂きます。
この日は親子でそれぞれで楽しんで頂く事もコンセプトに、
お父さんには格闘家の佐竹雅昭氏のセミナー、
お母さんには、教育テレビでエクセサイズなどを担当されている梅田陽子氏のセミナーを開催致します。
イベントでは、英語で遊ぼうで御馴染みのエリックジェイコブセン氏による
エリックショー、
マンガミュージアムで人気の紙芝居の第一人者安野侑志氏による紙芝居ショーも行なわれます。
又、漢検、英検などのDSを含めた紹介や、DSを使った教育事例紹介など、民と官、公立と私立、府と市が一体となり、”子供達が教育や文化、環境に触れる事をサポートする日”です。


これらはそれぞれ一日券として、大人3000円、中学生以上1000円、小学生500円
の有料イベントですが、この料金にはエコバックが含まれ、決定ではありませんが、バスの一日券もつけようかと考えています。

ハイアットさんでは、小学生未満のお子様はランチ無料にして頂く企画もあります。
これだけのイベントですので、有料でも黒字になる事は無いと思いますが、もし黒字となった場合は、その全額を京都の森林保全活動に寄付させて頂きます。

伝統文化や産業、教育を考えるイベントに参加する事が、エコバックを持つ運動を広げる、森林保全に興味を持って頂くという環境運動にも繋がり、その事が自然豊かな京都のコンテンツを守り、観光に繋がるという循環を考えておりますので、そういう意味でも多くの方にご参加頂きたいと考えております。

この他、この日に合わせて、同時開催して頂く、体験学習講座など、まだまだご協力頂いているところ、企画はたくさんありますがとても書き切れません。

今後逐一、京都流とウエダ本社HPなどでも発信して参りますので、是非チェックして頂きたいと思います。

2008年3月5日水曜日

京都流議定書

ウエダ本社では、創業70周年イベントと併設して、
Do you Kyoto? Do you kyotostyle? イベントを、平成20年5月1日~3日の3日間
ハイアットリージェンシー京都で開催致します。

周年事業を絡めることにより京都の経済界の方々にお集まり頂くのと共に、京都流の関係から、伝統文化、伝統産業、そしてスポーツも含めた教育関係の方々が、草の根的に関わって頂くという、他には類のないイベントです。

今年に入ってから、このイベントの件で、駆けずり回っており、実は大変忙しい日々を送っております。

ホントは、このイベントの事で、色々な方々にお会いしておりますので、ブログにも書けることはたくさんあるのですが、時間がないのと、決定事項ではないので、書けませんでした。

各界の方々のご協力により、大変凄いイベントになって来ましたので、どうぞ楽しみにして下さい。

1日はウエダ本社の周年事業と環境セミナーなどですが、2日は伝統文化、地域産業、3日は教育というテーマで、有料ですが、一般の方々も入って頂き、大いに楽しんで頂けるイベントですので、是非、京都流の皆さんはお越し下さい!

今の企画全体を書いた方がインパクトがあると思いますので、参加メンバーなどにつきましては、次回まとめて書かせて頂きます。

じらしているのではないのですが、今から書く元気がありません。すいません。

2008年3月2日日曜日

ウエダ再興記(27)~ 退路を断っての筈が

私はよく、綺麗ごとを言う人を信用しないと言います。
口では何とでも言えるのですが、実際にやる事が大変であり、口だけの人は大抵、自分が困ると人を裏切ります。
又、人間的に良い人がビジネス上悪い人になるケースが多いと言うのも私の持論です。

この物流事業脱退交渉の中でも、忘れられないワンシーンがあります。

前回も書いた様に、他の4社からすると、心情的にも、実質的にもウエダが脱退するなど認められるわけはありませんでした。
その立場は、私にも理解できていましたが、私の仕事は、ウエダを再生させる事であり、まずは会社と社員を守る事です。

4社の内、組合の理事長も務められた社長が、”我々5社は、退路を断ってこの事業を行なって来た、それなのにその中心であるウエダが、それを脱退するとは何事だ”と言われました。
私はその瞬間に非常に腹が立って、言いました。
”あなた方が、ご自身の退路を断って行うのは勝手です。
しかし、それぞれの会社には社員が居るのに、会社の退路までを絶つという権利は、いくら社長でも 無い筈です”

一番の若僧に言われ、憎憎しかったと思いますが、誰も反論はありませんでした。

その後、中心のもう一社(S社)の社長が、ウエダの立場を認めてくれて、ウエダの負担分を払い脱退させてもらう事になるのですが、ウエダが抜けてから、1社は倒産し、1社は廃業しました。

倒産した1社の社長は、中心であったS社社長には散々世話になっていたと思いますが、前日の夜まで普通にS社社長と会って話していたのに、一言の相談もなく、別れた後直ぐ、倒産手続きをしたそうです。

廃業したもう1社は、創業が奈良時代とも言われる老舗の会社で、私に”退路を断って”と言った社長です。
その”退路を断って”とまで言った社長は、自分は海外に持つ個人資産を残して、創業千年以上とも言われる会社をあっさり廃業させて逃げて行ったのです。
ウエダ以外の4社は退路を断って、一心同体で結束していた筈なのに、連携していた残りの2社に迷惑をかけてあっさり逃げて行ったのです。

これなどは本当に綺麗ごとを言う人は、信用できないという典型だと思います。

S社社長が認めてくれた事から、ウエダはその時点までの責任分とウエダが撤退して事業縮小になる事に対しての補填金を含め、億を優に超える違約金を払う事で、ウエダの連帯責任を外し、脱退をさせてもらう事になりました。

私は、キツイ事をはっきり言いますが、それは特にビジネス上では、裏切りたくない、嘘をつきたくないから言うのです。
この問題では、皆からは嫌われていたでしょうが、最低限、裏切らない為には、会社を潰さない事、その為には多大な違約金を払ってでも、脱退させてもらう事が損失が少ないと判断したのです。
(実際、倒産すると、その会社の負債も、残りの会社に割り振られる事になるのですから。)

ただ、これが出来たのは、同時に進めていた、コンピュータ子会社の株式の、売却交渉の目処が立ってきていたからではありました。

残られた2社については、ウエダは責任分を払ったのだからと、違約金を払った後は不問にしてくれましたので、感謝もしておりますし、その後うまく縮小化され、設備も貸しながら返済もされておられるので、本当に良かったと思っています。

2008年2月29日金曜日

新・京都迷宮案内

パキラのブログでも既にコメントを入れて頂いたりもしていますが、28日の”新・京都迷宮案内”でウエダ本社が出ておりました。

前回の浅野ゆう子さんの”女刑事みずき”の時よりも、オフィスがしっかり映って
いましたし、何よりも、五条通り北ビルにある営業部の商談スペースから、窓を通して、京都タワーと共に、南ビルの事務機のウエダの看板が結構しっかり映っていました。

私は会社で、仕事をしながらテレビを見ていましたが、映った瞬間に、ある懇意にしている会社の社長さんから、メールが入りました。

流石テレビの効果って凄いですね。

そう言えば、先日の京都市長選で門川さんが当選を決められ、事務所に入って来られた際に、私が結構アップで映ったらしく、その際も、新市長が入って来られ、会場が盛り上がっている際に、私の携帯にはたくさんのメールが入って来てました。

これだけ効果があるなら、テレビ、映画関係の方、京都でオフィスを映す際は、いつでもをウエダを利用して頂いたらと思います!

2008年2月27日水曜日

XEROX表彰式

先週金曜日は、富士ゼロックスの表彰式が帝国ホテル東京で開かれました。

以前もアピールさせて頂きましたが、これは昨年度の年間販売の表彰で、ウエダ本社は2年連続日本一を達成する事ができました。

驚いたのは、4社の方が、日本一の名刺を下さいと来られた事です。
会社全体では悩みだらけで、全然大した事はないのですが、やはり一番というのは
それだけ価値があるのだと再認識しました。

又、以前コメントをお寄せ頂いた方も挨拶に来て頂きましたが、最近、再興記をご覧頂いている方も多くて、私の知らない方々が、私の考えなどを知って頂いているケースも多くて、何か不思議な感じがします。

そんな風に色々注目して頂くと、改めてしっかりやらないと、という気になる良い機会をであったと思います。

2008年2月24日日曜日

ウエダ再興記(26)~ 物流事業からの撤退交渉

いくつかの難問を同時に、しかも四面楚歌の状態で対していかなくてはいけませんでしたが、その中でも大変難問であったのが、共同物流センター事業でした。

これは国の制度融資を得る為に、卸組合の土地を担保にし、組合の事業として行なったのですが、ウエダを含む5社が実際、資金も出し、事業運営を行なっており、その他の数十社はユーザーとして物流会社を利用しているだけの構図でした。

その5社の中でも、規模で負担金などの比率を決めており、ウエダともう一社で半分以上の負担をしており、約1億近い運営費を年間払う事になっていました。
しかも怖ろしいのは、その物流会社が赤字になれば、その損失をこの5社が、その比率に基づき追加負担をしなくてはならない構図で、ユーザーとして利用しているだけの会社は、他が安ければそこに代えれば良いだけですが、この5社は、自社に損失が返ってくるだけなので、この物流事業からは抜けられない蟻地獄の様相でした。

時代はバブルが弾け、バブル絶頂期に作成した甘い事業計画での物量など見込めず、逆にドンドン減っていく状況で、当初据え置きでスタートしていた融資の返済もスタートしていく時期でした。

問題があまりにも複雑である事、私が全く知らない業界の組合の事であり、色々な関係性が私では分からない事、他にたくさんの難題に取り組まなくてはならない事などから、この物流事業からの脱退交渉だけは兄の方で行ってもらう様にしていました。
しかし、しがらみもあり、かなりの腕力の要る交渉でしたので、全く進んでいませんでした。

私の進めるいくつもの難題の一つは、当然の事ながら、真っ赤な赤字会社を黒字化する事であり、しかも前回までに書いていた様に、この頃の貸し渋り、貸しはがしの状況下では、一刻も早く達成しなくては間違いなく倒産に追い込まれるという状況でした。
それを考えると、結局は私がこの問題も解決しないと、他の解決に繋がらず、この交渉も私が行う事にしました。

初めて、5社の社長との交渉に出ました。
それまでに兄を通じて、ウエダは撤退させて欲しいと言っていましたから、皆私の意向は分かっています。
又、撤退の決断を出しているのは、社長の兄ではなく私である事も、皆分かっていますので、ここでも私は悪役でした。

しかもこの場合は、他の4社からすると、一番メインのウエダが撤退するとなると、余計に苦しくなるのは明白である事、又この事業は、ウエダの社長であった私の父が組合の理事長時代に、決めた事業でもあるので、ウエダが脱退など許せる筈のない話であり、初めから予想通り、”ウエダが脱退するなど何事だ”、”今抜けられると完全に立ち行かなくなる”、”止める為には、融資返済など多額の現金を用意せねばならず、そんな事ができるわけがない”など一斉に言われました。

私は一通り話を聞いた後、”確かに厳しいかもしれないが、この状況を考えると今日が一番損失が少ない、それは各社とも状況は同じ筈だ”と訴えました。

2008年2月20日水曜日

旧暦びより

和美作美ブログにもありましたが、19日は雨水という二十四節気の一つの日です。
立春の次の節気で草木の芽が出始める頃だそうです。

と珍しく、もっともらしい話をしておりますが、実はKBSさんが出されている
”旧暦びより”という本を頂いたので、知ったかぶりをさせて頂きました。

この本、らくたび文庫を出されている桜風舎さんが編集されており、見やすい
本になってますので、私の様な者でも見易いですし、残念ながら京都の事に関心を示さないうちの子供も見ていました。

なかなかlaviemarieさんの様にはいきません。。。
やはりそれは親の問題ですね。(笑)

2008年2月18日月曜日

門川新市長と京都流

皆様、ご声援有難うございました。

基本的には政治を云々するサイトではない京都流ではありますが、まず、京都流はジュニア京都検定の理念を応援するサイトでもあり、それを作って来られたのが門川前教育長である事、我々は色々な問題意識から京都流を展開する様になったのですが、その主旨に門川さんは、バッチリ当てはまる方である事、又、それもポーズや、口だけの人ではなく、実際に自分で動かれて、皆を引っ張って来られた方である事などから、今回は、門川さんを推薦するという立場を取らせて頂きました。

私自身も、選挙で個人的に協力したという事は初めてでしたが、それは門川さんのやって来られた事や、お考えを知っているだけに、こんな人が落ちたら、京都にとっては大変な損失だという一念からでした。

しかし、問題だと思うのは、新人候補4人の選挙だというのに、投票率37%というこの京都市民の白けぶりです。
そういう様にしか仕向けられなかった、候補者達に魅力がなかったと書いている記事も見ましたが、私はそんな問題ではないと思います。

自国の事、自分の住んでいる地域の事ですから、誰が出ようと、立候補者の問題ではなく、まず関心を持つのが人間としては当たり前の事だと思います。
自分の事に関心がないというのと同じ事だからです。

京都ほどの都市で(東京でも大阪でもあまり変わりませんが)、37%しか投票に行かないなんて、外国からすると、まず、”品格”どころか、軽蔑される話です。
そういう風潮が、確かに政治は悪いと思いますが、国民自体が大いに問題で、こういう白けた、自分の事にも興味を持たない国民にして来たのは、教育にも大きな問題があると思います。

その問題に対しても、まともに取り組んでこられたのが門川さんだと思いますが、そういう本当の所が伝わらず、単に、庁内候補だから改革ができないとか、政党相乗り
だから駄目だとか、そんな話で予想以上の大苦戦でした。

この2,3日何度か門川さんと電話のやり取りをさせて頂きました。
いくらお疲れでも大変なハードスケジュールの中でも必ず、かなり酷使されたのが分かるお声で、お電話を頂きました。
そんな事一つとっても、信用のおける方だと思います。

と、同時に京都流の皆さんにとっても、より、親近感のある市長の誕生です。
何せ、京都流の存在を知っておられるどころか、気にして頂いているのですから。
以前にも言いましたが、これからは皆さんの京都への思いが、今までは思いだけで終っていたのが、市長にだって届くという事になるのです。
そういう意味では、京都流も、京都流の方々も、心を引き締めて、京都に対して、より建設的に考えていかなくてはならないと思います。

最近、皆様のお陰で、小さいながら、ある種の存在感を持って来ている様に感じますが、これから門川新市長の下、より一層盛り上がっていきたいと思いますので、
よろしくお願い致します。

2008年2月17日日曜日

ウエダ再興記(25)~ どんでん返しのメインバンク

取引変更の交渉も、永年お世話になった所に対して、いきなり明日から変更しますというわけにもいきませんから、実際は、同じ様にリストラ計画を説明する事から始めました。

しかし予想した通り、都銀の態度は目に見えて、変わりました。
当座貸越という契約で、殆ど実際は利子だけ払っていて、元金は張り付いたままで返済していないという状態で来ていたものを、1年の証書貸付に変更してくれと言ってきました。
1年の証書貸付という事はその間に元金も返済し、1年後には完済しなくてはならないわけですから、実際できるわけのない話です。

この都銀ともこの後何度も怒鳴りつける様な交渉をしながら、その間に地方銀行にメインになってもらう交渉を進めました。
怒鳴りつける交渉をしてはいましたが、腹の中ではこうなる事は予想していました。

ところが、計算違いであったのが、都銀を切りにかかり、険悪なムードになった所で、リストラ計画大いに賛成と言って、メインになってくれる筈であった地銀の態度が変わった事です。
今までずっと、都銀のサブで居た為、その地銀からすると大変不利な条件であったのを、ここぞとばかりに条件変更を言って来たのです。

この地銀に対しては、リストラの事業計画も提出し、年間2500万円しか返済原資がない形で、それに基づいて計画を立てていましたが、そんな事はお構いなしで年間5000万円返済、しかも同じく当座貸越から証書貸付に変更して、利率も1%近く上る話でした。
”あなた方、地銀が都銀と同じ様なスタンスで、事務的に、役所的に、そんな対応をしていて良いのか?”交渉役の部長に、又腸が煮えくり返る思いで怒鳴っていました。

と同時に、この交渉も大変シビアなものでした。
メインであった都銀とは既に決裂していて、カバーをしてくれる筈の地銀とも揉めるわけですから、間合いを少し間違うとやはり倒産という可能性もある局面でした。

この時、救ってくれたのが、新規でサブに入ってもらった京都信用金庫です。
当時の本店長に流れを話すると、一度うちで肩代わりする提案をしましょうか?との事でした。
しかも数日後、京信から出て来た提案というのは、この頃の状況を考えると尋常ではない破格の条件でした。
私が驚いて本店長に、どうしてここまでやってくれたのですか?と聞いたところ、
本店長は、予想される御社の返済原資から考えると、これくらいの条件にしないと無理でしょう?と言ってくれました。

地銀には、事業計画、返済計画もしっかり出していたにも関わらず、こちらの事など一切考えない案であったのに、京信の方は、事業計画も出していないのに、状況を類推して、うちを生かす為に、こちらの返済余力から逆算しての、条件を出してくれたのでした。

意気に感じた私はその場で、ずっと話して来た地銀に代えて、京信をメインに据える約束をしました。
メインになってもらうべく話して来た地銀には、今度は新規で入って来た信金のサブにつく事を、納得してもらう交渉をしなければなりませんでしたが、そんな交渉くらいはやらないと申し訳ないと思いました。

納得の行かない事は相手が誰であれ、主張して行きますが、相手が腹をくくって考えてくれた事に対しては、こちらもそれに応えなくてはいけない、それが私の全てに共通する基本的なスタンスです。

2008年2月13日水曜日

月桂冠370年

今日、経済同友会の会合で知ったのですが、月桂冠さんの創業は1637年で昨年でなんと創業370年だそうです。

ウエダ本社は今年70周年とか言ってますが、こういう話を聞くと京都ではまだまだ、ひよっこですね。。

1637年に伏見で創業されたのですが、1635年には参勤交代が制定されたとの事で、その事により、伏見が宿場町として繁栄したそうで、江戸時代の初めには一説によると人口1000万人、明治の初めには3000万人との事ですが、この参勤交代を行う事によって、当時東海道の通行は何と、片道年間200万人であったそうです。

又、1902年には既にハワイにお酒を輸出されていたそうで、海外展開(進出)も100年以上前に行なわれていたわけで、京都企業、京都の奥深さを感じた日でした。

今日は、日記風にあっさりと終わります。