2007年11月4日日曜日

ウエダ再興記⑩~ 一生居たいか居たくないか?

瀧定の儲かる理由の一つに、アパレル等の話や情報を聞き、先読みして自分の所でリスクを抱え商品を作るという事と、営業員に企画をさせて商品作りをするという事があります。
私は元々、自社の商品では相手にしてもらえない先に行っておりましたので、企画をし、商品作りを入社二年目から行っていました。

通常テキスタイルの場合、1年位前から商品企画をするのですが、ある頃から売れ筋を当てるという事がどんどん難しくなっていくのに対して、当たれば、猫も杓子もがそれに集中し、折角出た売れ筋も、そのシーズンで潰してしまうという繰り返しを行うようになっていきました。

毎シーズンこんな事やってられないなという思いを持っている頃に特許というものに興味を持ちました。
こちらの世界では、一個開発すると、ずっとその権利で商売が出来たり、収入を得たりするわけで、それまでやっていた事とは対極の世界でした。
ビジネスというものは、もっと体系的に考え、その体系を見ながら流れを作ったり、組み替えたりしていかなくてはいけない、そう思うようになりました。

その頃年齢も29歳になっていました。
30歳という歳は男性も先々を考える年齢で、私もまず一生この会社に居たいか、居たくないかという事を考えました。
そういう視点に立ってみると、答えは即座にNOでした。
この頃はもう、評価もしてもらっていましたし、仕事も面白かったし、収入面ではかなり貰ってましたし、それ程の不満事項もなかったですが、一生は居たくない、なら、早く辞めた方が良い。
辞めた理由の一番はこの事でした。

大変厳しい会社でしたので、60歳定年という事は50歳では勝ち組、負け組みがはっきり決まっています。
50歳がゴールという事は40歳から急に伸びるという人も少ないですから、40歳で勝負はついてしまいます。
そう考えると、何て人生短いんだと思いました。
そういう中で30歳近くになると、自分の位置というのも大体わかりますし、このまま行けば勝ち組には入るだろうとも思いましたが、そうなったとして収入面は良かったとしても、それで幸せなのか?とこの時生まれて初めて、自分の人生について真剣に考えた様に思います。

私はいくら収入があっても、うまくいっても50歳で”アガリ”の人生なんて耐えられない、体が元気な間、自分の好きな仕事をしていける環境にしたい。
と、いう事は自分で起業するしかない、それが会社を興そうと思った切欠でした。

満30歳になる年の5月、7年強勤めた瀧定を退社しました。

0 件のコメント:

コメントを投稿