2007年9月30日日曜日

ウエダ再興記⑤~ ホンモノ?の謙虚さ

しばらくの間イイ気になっていた私が、偉そうぶってはいけないと思う様になったのも悪達との付き合いからでした。
こういう付き合いをしていますと、色々な学校の悪達とも会うのですが、たくさん会っていく中である事に気づきました。

それは、どのグループででも、一番強いとされている人というのは、あまり偉そうぶらず、どちらかというと低姿勢とさえ感じさせる人が多いという事でした。

”粋がっているのは格好悪い事なんだ、ホンモノは謙虚な姿勢なんだ”と感じる事ができて、その後、自分の態度は大きく変わったと思います。
小学校二年の時の、社長は偉いのではなく役割が違うだけという事にいたく感動したのと、同じ種類の感覚だと思いますが、この経験が私の性格形成に大きく関わった二番目の出来事だと思います。

ヤンキー達との付き合いで勉強する時間は減りましたが、かえって集中できたのか、中学三年でも成績はまだ優秀で美術以外はオール5という成績でした。
当然、先生、親とも、有名進学校に行ったらどうだという話でしたが、ここでも進学校=坊ちゃんイメージが嫌だったのか、公立高校で良いと頑なに言って、府立高校に進みました。

この頃の京都は学区制で、住んでいる所で行く高校が自動的に決められ、私達の頃はそれも一校だけで選択の余地もなく、その高校に進みました。
ところが、この高校がとんでもなく、よく言えば自由、悪く言えば、勉強には全く向いていない高校で、休講はあるは、授業も一つの科目で、年間に何十時間と休める状態で、殆ど大学生の様な生活をしていました。
お陰で中学とは又違って、本当に楽しい高校生活でしたが、勉強はあまりしませんでした。
受験では辛うじて京都産業大学に入りましたが、その高校のレベルを表すかの様に京産大を70人受けて、受かったのが4人という惨憺たるものでした。

しかし、ここまでの経験は自分にとって大変良かったと思っています。
児童会長から、抗争や暴走に至るまで、その両極を知っている人自体少ないと思いますし、ずっとエリートで有名私立校、はたまた京大?と行けたとしても、これだけ面白おかしく経験もして来たことは大変良かったですし、学歴なんて関係ないと思っておりましたし、それでいて京産大なら充分だとも思っていました。

ところが京都との関わりを持っていき、色々な方々とお会いする様になって来てから、初めて学歴に対する劣等感を感じる様になりました。

中学時代の話もまだまだありますし、高校や大学時代でもとんでもない話もたくさんありますが、私の自叙伝を書いているのではありませんので、
又機会があればという事にさせて頂き、私の性格、仕事をやっていく上での考え方などに影響を与えた事として、次回からは少し社会人時代の話を書かせて頂きます。

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