2007年9月30日日曜日

ウエダ再興記⑤~ ホンモノ?の謙虚さ

しばらくの間イイ気になっていた私が、偉そうぶってはいけないと思う様になったのも悪達との付き合いからでした。
こういう付き合いをしていますと、色々な学校の悪達とも会うのですが、たくさん会っていく中である事に気づきました。

それは、どのグループででも、一番強いとされている人というのは、あまり偉そうぶらず、どちらかというと低姿勢とさえ感じさせる人が多いという事でした。

”粋がっているのは格好悪い事なんだ、ホンモノは謙虚な姿勢なんだ”と感じる事ができて、その後、自分の態度は大きく変わったと思います。
小学校二年の時の、社長は偉いのではなく役割が違うだけという事にいたく感動したのと、同じ種類の感覚だと思いますが、この経験が私の性格形成に大きく関わった二番目の出来事だと思います。

ヤンキー達との付き合いで勉強する時間は減りましたが、かえって集中できたのか、中学三年でも成績はまだ優秀で美術以外はオール5という成績でした。
当然、先生、親とも、有名進学校に行ったらどうだという話でしたが、ここでも進学校=坊ちゃんイメージが嫌だったのか、公立高校で良いと頑なに言って、府立高校に進みました。

この頃の京都は学区制で、住んでいる所で行く高校が自動的に決められ、私達の頃はそれも一校だけで選択の余地もなく、その高校に進みました。
ところが、この高校がとんでもなく、よく言えば自由、悪く言えば、勉強には全く向いていない高校で、休講はあるは、授業も一つの科目で、年間に何十時間と休める状態で、殆ど大学生の様な生活をしていました。
お陰で中学とは又違って、本当に楽しい高校生活でしたが、勉強はあまりしませんでした。
受験では辛うじて京都産業大学に入りましたが、その高校のレベルを表すかの様に京産大を70人受けて、受かったのが4人という惨憺たるものでした。

しかし、ここまでの経験は自分にとって大変良かったと思っています。
児童会長から、抗争や暴走に至るまで、その両極を知っている人自体少ないと思いますし、ずっとエリートで有名私立校、はたまた京大?と行けたとしても、これだけ面白おかしく経験もして来たことは大変良かったですし、学歴なんて関係ないと思っておりましたし、それでいて京産大なら充分だとも思っていました。

ところが京都との関わりを持っていき、色々な方々とお会いする様になって来てから、初めて学歴に対する劣等感を感じる様になりました。

中学時代の話もまだまだありますし、高校や大学時代でもとんでもない話もたくさんありますが、私の自叙伝を書いているのではありませんので、
又機会があればという事にさせて頂き、私の性格、仕事をやっていく上での考え方などに影響を与えた事として、次回からは少し社会人時代の話を書かせて頂きます。

2007年9月29日土曜日

京都創造者大賞

今日、京都創造者大賞2007の表彰式に行ってきました。
これは京都の都市格向上に繋がる素晴らしい取り組みを表彰しようという事で、京都府、京都市、商工会議所の主催で行なわれたものです。
応募総数219件から大賞1件と、もてなし部門、環境・景観部門、アート・文化部門、企業部門から京都創造者賞各1件の計5件が表彰されました。

実はこれに京都流も表彰!されれば嬉しかったのですが、応募しておりました。
が、見事に一次選考で落とされていました。

商工会議所からの出席要請もありましたが、どんなものが受賞されたのか直接見ようと思いましたのと、今までいつも都合が合わず入った事がなかった、会場の金剛能楽堂に入りたかった事、お祝いのお能、金剛流宗家の舞囃子”岩船”を見たかった事もあり、参加してきました。
1曲だけという事はあるでしょうが、文化度の低い私ですが、お能は意外に感じるものがあり、良かったです。

ちなみに受賞は大賞-NPO法人祗園町南側地区まちづくり協議会、京都創造者賞-もてなし部門は、鴨川を美しくする会、環境・景観部門はNPO法人KES環境機構、アート・文化部門は京都市交響楽団、企業部門が村田製作所さんでした。
それぞれの活動は年季が入っており、とても京都流の活動レベルではなく、審査結果には納得できました。

こういう活動を見ても京都は奥深いと思いましたし、京都流も年季の入った活動にしていける様、頑張っていきたいと思います。

2007年9月26日水曜日

桜橘庵でお菓子作り

先日は、その前のお花体験に引き続き、何とお菓子作りを体験して参りました。

これは以前京都流でも何度か取り上げさせて頂いた、桜橘庵で何と老松の社長にご指導して頂いてという又々贅沢な話でした。

しかし、これも流石に難しく、ましてや元々手先が不器用な私は、和菓子の繊細さを
表現なんて、とんでもなかったです。


これも経験という事で、



こんな形ですが、



お許し下さい。



帰りに老松さんの袋に入れて持って帰ったので、もし置き忘れると老松さんの名前に傷をつけてしまうと思い、絶対忘れない様にしっかり持って帰りました。(笑)

2007年9月23日日曜日

ウエダ再興記④~あの時の経験に比べれば

私の中学では派閥的なものはなく、このヤンキーグループというのは三十人程の一つのグループでした。

琵琶湖疏水にも近く新設校であった小学校では、クラスも二クラスで、悪と言ってもヤンチャ程度であり、その上、優等生グループに所属していた私は、中学に入学してから、このヤンキー連中には驚きましたし、怖かったのが正直なところです。

ところが三年近く怖い存在であったグループに入ると、そのグループが一塊であったが故に、いきなり学校で怖いモノがなくなったわけです。
しかもグループの中心人物が何故か対等に扱ってくれたりしましたので、序列にも属さず、わりと偉そうにもしてられたのです。

振り返って考えてみますとその後もずっと、色々な集まりに参加しても、別にこちらから擦り寄って行っているわけではないのですが、いつも中心人物と親しくしていて、後から入ったのに、中心に居るという傾向が私にはあり、多分これは昔から持っていた特技なのだと思います。

学校の中で一気に怖いモノがなくなった私は、自分が強くなった様な錯覚を起こし、この頃は少しイイ気になっていたと思います。
ただ、グループに入ったとは言え、その中でも自分をしっかり持っていたのと、特異な存在である特権もあり、遊んでいても、”勉強するから帰る”という事もハッキリ言っていて、自分自身では一線はしっかり守っていたつもりです。

しかし、こういうグループに所属していると、よその学校の悪達とも会っていきますし、当然の様に抗争というものも起こりました。
この頃は第何次かは分かりませんが、校内暴力が全盛の時代で、私の中学でも三年の頃、隣の中学と大抗争が起こりました。

学校からの帰宅途中、グループのメンバーが一人づつ順番にやられていきました。(集団リンチというものです)
この事件は新聞でも大きく取り上げられ、この頃は、大げさでもなく、毎日帰宅途中に本当に殺されるのかもしれないと思ったものでした。

ここまで話すると驚かれた方も多いと思いますし、京都流にはそぐわない話だと思います。
又、大学以降の知り合いなどにも、こんな事は話した事もないですから、ましてや今お付き合いしている方々からすると想像もつかない話だと思います。

しかしこの時の経験も、それ以降何か問題に遭遇した際、あの時の殺されるかもしれないという経験に比べたら大した事はないとか、後にウエダに入って、たくさんの修羅場に遭った際も、腹の中で”あんたら殺されると思った経験なんてないやろ?”
”だからあんたらとは腹の据わり方が違うよ”と思って交渉に臨んだりしてましたので、この経験も馬鹿げた話の様に思われるかも知れませんが、私にとっては大変役立ったものでした。

私の性格に大きく影響した第二のポイントはこの時期でしたので、次回、もう一話だけヤンキー話にお付き合い下さい。

2007年9月22日土曜日

なかひがしの予約

先日、なかひがしさんに行って来ました。
これは3ヶ月前に行った際に予約していたものです。
ご存知の方なら察しはつくと思いますが、これは私の都合で3ヶ月後に取ったのではありません。
その時にたまたま空いた席があっただけなのです。

毎月1日から始まる電話予約の枠を残されていますので、1日の朝から電話をかけまくれば来月の予約も取れるとは思いますが、そんな事をしている時間もないので、前回行った際に予約をさせてもらったという事です。

今回は東京から仕事で関係している方々をお招きしたのですが、こういうお店だと呼ばれた方も、それだけでわざわざ新幹線に乗って来られるんですよね。
以前、京都流でもどなたかが、なかひがしさんの予約取れたので、京都に行きますと書かれていましたが、その話をご主人にもしていましたら、隣におられた女性グループの方も、私でも東京からでも来ますと仰っていました。

私の誘いで東京から来られた方がたも、大変満足されており、料理も想像力の世界で正にアートですね?と喜んで頂きました。

で料理も堪能させて頂き、次回はいつ来れますか?と恐る恐る聞いてみると、その答えはまたまた想像を超えていました。
女将さんの答えは、”昼でもよければ2月3日ですね。。”と。

私は思わず、えっ?2月って2月ですか???と訳の分からない事を言ってしまいました。
まだ誰と行くかとは決めてないですが、仕事関係で行きますので、平日の夜が良いという事で結局2月下旬に近い日を予約しました。

これが京都で1,2を争う予約の取れないお店の現状です。
とこんな事をi行った人が言ったりするから、余計にプレミアムもついて、ドンドン凄くなって行くのでしょうね?
こんな風な良いスパイラルに入れば、さぞ楽しいだろうなと思うのと同時にこういう様にビジネスを持っていかないと駄目だなと強く思いました。

帰りには、ご主人と女将さんに、”良いお年を!”と礼儀正しくご挨拶をして店を出ました。

2007年9月20日木曜日

第15回盛和塾全国大会

昨日、今日の二日間京都の国際会館で盛和塾全国大会が開かれていました。

昨年もここで書きましたので、ご存知の方も多いかと思いますが、盛和塾とは、京セラ、KDDI創業者の稲盛氏が、日本の為には素晴らしい考えを持った経営者が素晴らしい経営を行う事が重要との事から、ボランティアで指導されている経営者の会です。
創設は19年前ですが、今や海外を含め58塾約4500名の経営者が学ぶ会となっているものです。

その全国大会は年に一回、二日間に渡って、選ばれた経営者が自分達の経営発表を行い、稲盛塾長がコメントをされるというものなのですが、
これが本当に凄い話ばかりで、自分も頑張っているつもりだが、まだまだ全然だなとか、こんなに凄い経験をしているのかと考えさせられる事ばかりで、
よく経営者の甲子園と言われますが、経営者の禅寺という人も居る様に、経営者として心が洗われます。

今年は参加者も会場の定員(1800名)をオーバーする1836人の参加で、ブラジル、ニューヨーク、ロスアンゼルス、中国の海外からも
数十名が参加されましたが、体験発表の内容もいつもにも増してレベルが高かった様に思いました。

自分の会社を振り返って、まだまだだと思うという事は、結局は経営者の私が、こういう人達には追いついていないからだという事を改めて思いました。
盛和塾の教えはいくつもありますが、経営者(リーダー)たるものは常に、心を高めていかなくてはならないと思います。
こういうリーダーが一人でも多くなっていけば、日本にとって大きな財産になっていくと思いますし、まだまだ世直しもしていけると思います。

2007年9月16日日曜日

ウエダ再興記③~優等生グループと不良グループ

もう一つ私の性格に大きく影響を与えた事というか時期が、中学二年の終わり~でした。

今、私の事を知っている人からすると驚かれる話だと思いますが、実際この経験が私の性格には大きく影響を与えているのでカミングアウトしなくてはいけないと思います。

中学二年の終わり~どうなったか?それはその頃からヤンキーグループ、所謂不良グループと付き合うようになりました。

それまで新設であった小学校では、私が初代の児童会長でありましたし、その為中学入学時にも新入生代表の挨拶をした様に、真っ直ぐに優等生グループに所属していました。

その私が、何のキッカケかは忘れましたがヤンキーグループと遊ぶ様になったのですが、優等生グループでは友達なのだけれど、競っていて、何か本音を言っていない部分があるのに対して、悪グループでは、そんな所が全くなく、凄く温かい感じがして、こちらのグループにのめり込んでいっていました。

試験の際など、勉強した?と聞くと、優等生グループではまず、思い切りしていても”全然してない”と言います。
そういう所が私にはどうも好きになれませんでしたが、悪グループでは、本当に勉強を全くしてません。(笑)

又、これも勉強しないからであるからなのですが、この温かみ?を表す象徴的な事がありました。
中学三年では、受験に備える為、クラブも一学期で終わり、皆授業が終ると真っ直ぐ帰るのですが、このヤンキーグループでは、やんちゃなせい?もあったのでしょうか、この時期に確か三人が入れ替わり立ち代り、脚などの骨を折って入院していました。
それを毎日、学校の帰りに皆一緒に見舞いに行くのです。
優等生グループでは考えられない話です。
勿論、勉強したくない、家に帰りたくないからが多くの理由でしょうが、それにしてもこの間3~4ヶ月あったと思いますが、殆ど毎日見舞いに行っていました。
それも馬鹿げた事ばかりしながら、楽しんで行っていました。

その一つは、病院に行く途中の道端に渋柿があるのですが、それをジャンケンして、負けた者が食べるという遊びを、飽きもせず毎日続けていました。
私も何度か負けましたが、渋柿を食べたのは、後にも先にもこの時期だけです。
その遊びが終って歩いていくと今度は甘柿が、ある家の庭に生えているのですが、はみ出している部分があり、これをちょっと頂いて、”ハイお見舞い”と毎日同じではありますが、律儀にお見舞いを持って行っていました。

こんな状態でしたから、大変楽しい毎日でした。
今思うと昔から、腹の中で思っている事と言っている事が違う様な事や人が嫌いであったと思いますし、ウエダに来る様になってからも暫くの間は、そういう事が京都を嫌いであった大きな理由だと思います。

この様な事が原因で、上辺の様な付き合いの優等生グループではなく、中に入ると大変温かいヤンキーグループにひかれたのだと思いますが、この頃の付き合いから色々な事に出会っていきました。

その一端は又次回に書かせて頂きたいと思います。

2007年9月12日水曜日

京都流社説~ 安倍首相辞任

安倍首相が突然辞任しました。

印象だけで言うと、完全な判断ミスの連続で滅茶苦茶にして行ったという感があります。
実は参院選敗退後の続投、政治と金の問題、テロ特措法の問題とあった中、ぞれぞれの問題で京都流社説として言いたい事だらけでしたが、政治ブログの様になってしまうので、我慢してました。

こうなったから言うわけではありませんが、私はずっと安倍首相の事は信用がおけないと思っていました。
安倍首相にはお会いした事もありませんので、信用がおけないというのは無責任かもしれませんが、私は昔から綺麗ごとを言う人を信用しません。

綺麗ごとを言う人には二つのタイプがあると思います。
一つは、綺麗な言葉のイメージを利用して本質を隠そうとしたり、騙そうとしたりする様な人ともう一つは所謂、人が良いタイプで、耳障りの悪い事を言えなくて、都合の悪い事の責任を取れない人です。

会社ででも良く言うのですが、所謂人間的に”良い人”がビジネス上ではとんでもなく”ひどい人”になる事がよくあります。
このタイプの人は、耳障りの悪い事が言えなかったり、その場をしのごうとするので、後手後手に回り、ドンドン問題が大きくなり、土壇場に追い込まれて、とんでもなくひどい事をしたりします。
こういうタイプを見るといつも私は、喧嘩の弱い子供が追い込まれて、最後は両手を振り回して、泣きながら、向かってくる姿を連想してしまいます。

何度も言いますが、安倍首相がどんな方なのかは知らないのですが、”美しい国”という事を連発して具体的な事を言わない様な人は、この二つのどちらかのタイプであると思っていましたし、特に参院選以降、やはりこの見方は当たっていたなと思いました。

赤城大臣の事務所費問題の際にでも、他に飛び火していく事を恐れてかばっていたと思うのですが、あの時に、”今までの政治のシステム、政治家はこういう事をしていた、悪い事であるが、それがこの世界の事実だ。
これを機に、システムを変え、全てを一新する事に全力を尽くします。”とでも言っていれば、しかも全力を尽くすという抽象的な事だけではなく、そのポイントでこれが実現できなければ辞める覚悟で徹底的にやりますとでも言ってれば、マイナスを一気にプラスに転じる事も出来たと思います。

それが引く所と頑なになる所のバランスが悪いので、結果滅茶苦茶に乱して行ったという印象になってしまったと思います。

一昨日、民主党の前原さんとご一緒させて頂いていました。
京都は独特だと思いますが、民主党の若手で素晴らしい方が多いので、経済界の方々も党は自民党を推していたり、会社では自民党を推していたりするのですが、個人では、前原さんを始め民主党の若手の方を応援している方が多いのです。

前原さんとも色々お話させて頂きましたが、ハッキリとした考え、信念をお持ちで、政治家独特?の綺麗ごとの話はされません。
多くの方に実際、言われておられる様ですし、私も直接お願いしましたが、この様なホントに日本の事を考えておられる政治家の方々が結集して、政界再編を早く起こして頂く事を節にお願いしたいと思います。

2007年9月9日日曜日

ウエダ再興記②~可愛げない子

私の考えの源となった出来事の後からか、その以前からそうだったのかは分かりませんが、この頃から私は父親が社長であるという事が嫌で嫌でしょうがなかったのです。
変な子供だと思います。

当時父親は外車に乗っていました。
これには、創業者の祖父が珍しい(新しい)もの好きで、外車を乗り換えていたのですが、そのお古に乗っていたという事であったり、商売上色々な取引があるので外車の方が、出入りする所に気を遣う必要が少ないなどの理由はあった様なのですが、
これが又嫌で、一緒に出かける時など、私は車酔いをするので助手席に乗るのですが、友達に外車に乗っている姿を見られるのが嫌で、近所を抜けるまで座席の下に潜り込んでいました。

又、今色々な社長さんとお付き合いさせて頂いていると、私の実家などはホントに大した家ではないのですが、周りの友達の中では平均より多分、家も大きい方だったので、これを友達に言われるのが嫌で、高校まで友達を家に呼んだ事もありませんでした。

何故、そんな変な子供だったのかは分かりませんが、一つ強く持っていたのは社長の子=お坊ちゃんのイメージが嫌だったのだと思います。
しかしその変な子であったお陰で、その環境にありながらこの頃から自立心は強い子供であったと思います。
そして又、可愛くない子供であるのですが、この頃からハッキリと、父親の会社(ウエダ)には入らないと言い切っていました。

2007年9月8日土曜日

初体験!華道池坊

昨日は、凄い経験をさせてもらって来ました。
生まれて初めて、華道を体験してきたのです。

これは経済同友会の有志メンバー十数名で、京都流でも以前インタビューさせて頂いた華道池坊時期家元池坊由紀さんに直々にご指導頂くという厚かましい事をさせて頂きました。

華道池坊では立花、生花、自由花とあるそうですが、全員素人のメンバーでは勿論、自由花でです。
しかし、自由花と言っても何でもいい訳ではなく、やはり立体的な発想で、陰陽などのバランスを考え、空間をどう見せるかなどを考えないといけません。
又、枝モノなどで空間の広がりを作ろうとしても、うまく倒していける様に挿すのはなかなか難しく、自分の思う様には行きませんでした。

写真もうまくないですが、私の初体験のお華はこんな感じでした。



その後、由紀さんに直々に手直しして頂き、最終の出来上がりがこの作品です!



元々は男性が行なっていた華道も今では、上の先生方は男性らしいのですが、一般的には男性が入りづらい環境であると思います。
やってみると結構面白く、はまると思いますが、男性がお華を習いに行って恥ずかしくない環境を作るべきだと思いますね。
今回でも30代40代の男性ばかり十数名がお華に悪戦苦闘している光景は客観的には面白かったです。

しかし、特に海外を含む京都以外で華道池坊を学ばれている方々にすれば、由紀さんにご指導いただくなんて何と贅沢な厚かましい話だと思いますが、これも華道の広報という事で堪えて(笑)下さいませ。

2007年9月5日水曜日

必然って絶対あると思います。

私は本来京都流なんてやる資格ない位、無宗教的人間で、しきたり等からも縁遠く過ごしてきた人間です。
ただそう言いつつ、自分では本来宗教観を強く持っていると思うのですが、以前から不思議な程、人生においてのポイントの際、この人に会うべきだと思う人に街でバッタリ会ったりします。
(それは見事なくらい、しかも考えられない所で・・)
そんな事なので、必然性という事を重んじるというか信用します。

ところが最近、私以上に凄いと思う人に会いました。

まず7月に商工会議所のとある会合で、ある女性を紹介されました。
お名前は伊藤タカ子さんでシャンソン歌手です・・と。

名刺交換をし、しばらくすると、その彼女が”以前神戸におられませんでした? 奥さんは手作り時計を作ってられませんでした?”と言うのです。
私は、どうしてそんな事を知っているのかと驚きました。
確かに家内は10年程前、本当に短期間、家で手作り時計を作っていたのですが、それを見に来たというのです。
徐々に記憶が蘇ってくると、確かに知り合いの紹介で、家に見に来た女性が居ましたが、それが彼女でそれを直ぐに、10年程前の事を、まして京都で指摘されたのです。

紹介された際、彼女はご主人が白血病で亡くなられ、それ以来、白血病の方や家族を支援する為のNPO法人(ドリームトイ)を作られ、コンサートなどで基金を募っているので、又協力して欲しいという事でした。

その後8月の盆前に、営業と同行している際、烏丸駅でバッタリ会いました。
会った瞬間、彼女が気づいたので、”良く分かりましたね?”と言うと、”丁度お願いに行きたいと思ってましたから”という事で、その際も又連絡させて頂きますとの事でした。
同行していた営業から、あの女性は誰ですか?と聞かれ、シャンソン歌手である事、ご主人が亡くなられ、NPOで活動されている事を話しました。

お盆明けにその同じ営業が、コンサートのチラシを持って帰って来て、”社長がこの間会った女性はこの人ですよね?”と言ってきました。
又、”何でこんなの持ってるの?”と聞くと、その営業が担当しているエステの女性社長がこのNPO法人の理事も務められているとの事で、私に協賛頼んでと言われて出されたのが、伊藤さんのコンサートだったという事で、このつながりに又大変驚きました。

うちの会社への協賛の依頼は、このエステの社長が私への挨拶もしたいとの事で、本人に代わって来られる事になりました。
8月30日(そういえば私の誕生日)の5時半に来社頂く事になっていました。
夕方時間が空いたので、私はまだ通っている眼科と、中央郵便局に行きました。
時間にまだ余裕があるから郵便局にも行ったのですが、窓口で手間取り、5時半間際になったので、手続きが終るやいなや慌てて郵便局を出て行こうとした瞬間、なんと又伊藤さん本人が入って来たのです。
エステの社長と私が会う事も知らない彼女は、”良く会いますね!”と一言。
私の方があまりのタイミングに驚きながらも、正に今、うちの会社で待ってもらっているので、直ぐ行きますと言って別れました。

会社に戻り初対面の挨拶もそこそこに、今伊藤さんに会いました!とエステの社長に言うと、その社長も、あまりのタイミングの良さに怖い程ですねと言われました。

こういう必然性を信じる私は、これは協力しなさいという事だと思って、会社的には最低限の協力しかできませんでしたが、個人でチケットを買わせて頂きました。

私以上に彼女の引きは強いと思いますし、人気の江原さん的に言えば、きっとご主人が彼女の活動を見守られているのだと思います。

ご興味ある方は、コンサートも行ってあげて欲しいと思いますし、今後の活動に注目してあげて下さい。

2007年9月1日土曜日

ウエダ再興記①~私の考えの源

何の為に会社をするのか?何の為に生きるのか?に関わる私の価値観について、
私が初めに意識したのは小学校二年の時でした。

その日は、父親の帰りを心待ちにしていました。
平日の夜は、いつ帰って来るのか分からないので、寝てしまっていることも多かったのですが、その日はあることを言いたくて、待っていたのでした。

あることとは、その日学校で担任の先生から、”人間は平等であり、社長だから偉いということはなく、それは単に役割の違いだけであって偉いのではない”ということでした。
その話に、いたく感動した私は、その話を言いたくて、普段夜には顔を合わす事の少ない父親の帰りを待っていました。

するとこの日は、運よく宴席もなかったのか、私がギリギリ起きていられる時間に帰宅してきました。
帰ってくるやいなや、私は勢い勇んで父親にこの話をしました。
”社長っていうのは、役割の違いだけで偉いのではないねんて”と。
すると、父親は”そんなことはない、社長というのは責任が重いから、それだけ偉いのだ”と一蹴しました。
私はこの瞬間に父親との価値観の違いを感じ、それには反論もぜず、自分のベットに潜り込んで行ったのを鮮明に覚えています。

何故、先生の"人間は平等であり、社長や大臣や先生などというものは役割が違うだけ"という話にそれだけ感動したのか、父親との価値観の違いをそれ程鮮明に感じたのか、自分の中にどういうDNAが刻み込まれているから、そうなったのかは分かりませんが、これは私の人生において大きなウエイトを占める考え方になっていくのと共に、今までの私の考えの全ての源となる出来事であったように思います。