2006年6月3日土曜日

茶の木人形って知ってますか?

NHKの取材もあることだし、たまには京都のトリビア的な話をしましょう。
と、言っても私は京都の事をほとんど知らないので、身内の話を出します。

茶の木人形ってご存知の方おられますか?
江戸時代の茶人金森宗和という人は千利休の子の道安に師事して直伝の茶人となり、後に宗和流茶道を開きました。
その宗和が茶の木で千利休や茶摘女の姿などを刻んでいたものが賞美されるようになり、宇治からの将軍への献茶の際に茶の木人形も一緒に献上されるようになり、宇治の土産として有名になって、年頭の縁起人形として朝廷にも献上されるようになっていったそうです。
徳川末期にはますます盛んになっていた茶の木人形は、明治維新の変遷で楽之軒という人のみが残っていましたが、明治末期にこの人が世を去ると、多くの模刻する人が居ましたがいずれもその技が遠く及ばず、いずれも廃業したそうです。


大正時代宇治の住人の岡村という人がこれを憂いて、茶の木人形の研究に取り組み、苦心の末にその刀芸を体得して、金森飛騨守宗和法師第4世の名義を踏襲し、名も
”旭軒岡村楽山”と号しました。

これが私の祖父にあたる人です。
しかし、私の親父が小さい時に亡くなっており、私は当然会ったこともなく、この話もほとんど知りませんでした。
この資料や人形までも数年前、創業がなんと西暦1160年というお茶の老舗宇治の通圓さんからご提供頂き、今私共の元にありますが、岡村楽山の後、その技術は継承されず、忘れられてしまいました。
大正時代にも皇后陛下が通圓さんでお買い求めになったという貴重な技術を、失ってしまっているのです。

一見京都検定に全く関係ない会社の私が、それも京都の事をほとんど知らずに来た私が、京都検定・ジュニア検定に関係している事や、伝統産業の技術継承問題に取り組もうとしている事なんかは、運命というかDNAを持っていたのかも知れません。

ちょっと今日は”へー”という話をしてみました。

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