2007年2月2日金曜日

阪神大震災 被災記⑩

京都から通っていた際のもう一つの忘れられない光景は、神戸港から大阪港まで船で帰った事です。
と言っても勿論、優雅な話ではなく、通常は観光で使っているルミナス等の豪華客船の座席を全部取っ払い、そこに大人数が乗れる様に、ビニールシートを敷き詰めて、床に座り、大阪港までいくのです。

この光景も、まるで戦後の引き上げ船の様で、多分何千人かのグレーの集団が、足の踏み場も無い状態で、床に体育座りして殆ど笑い声もなく揺られて乗っているのです。

私は震災で味わった感覚で、それまで味わった事のない感覚というと”もの悲しい”という感覚です。
もの悲しいというのを辞書で調べると、何となく悲しい、という事や類義語で淋しいとあるのですが、単に悲しいのではなくて淋しいのでもなくて、そういうのが複合した何とも言えない”もの悲しい”という光景を何度も味わいました。

あと、”そんな事ってあるんだ”という信じらなれない様な話を良く聞きました。

その中でもその本人が経験した話を直接聞いたのは、私が心配で見に行った”全員無事で親戚の所に避難しています”という貼紙をしていた、そのお店の人の話です。

その家では猫を飼っているのですが、地震直前に猫がやたら鳴いて、その鳴き声で起されたその人は、あまりにうるさいので、猫を部屋の外に出そうと思い、布団から体を起して窓を開けた瞬間にグラッと来たという事でした。

地震で、周りにあった重いタンスは、寸前迄自分が寝ていた布団の上に倒れており、正に猫が鳴いてなければ、又鳴き声を気にせずそのまま寝ていれば、間違いなくタンスの下敷きになって、死んでいたかもしれないとの事でした。

6400名強の方が亡くなられたので、この様な話は一杯あります。
今回、ひょんな事から私の被災記を書く事になり、思い返してみると、私自身も日々の中では忘れてしまっている事に気づきました。
こんな経験をした事のある者が、忘れているというのは、とんでもない話だと反省しました。
そんな事から、京都流なのに、阪神大震災という事をあえて書かせて頂きました。
ホントは、ここから復興に至るまでも色々な事があり、半壊であった私のマンションも補修工事を終えられたのは、地震から2年近くかかったと思いますが、一旦これで被災記を終わりにさせて頂きます。

文化を論じられるのって、凄く幸せな事だと思います。
いじめ問題や、自殺問題、若い人のやる気や感動の無さ、これら全てどう考えてもおかしいと思います。
猫の鳴き声一つで生死が変わるんですから。。

大惨事の際には、瞬時に行なわなければならない、少しの判断の違いで天地の差がついてしまうのですから。。

我々は、もっともっと真剣に、仕事に対して、生き方・人生に対して考えるべきだと思います。(こういう経験をしながらでも忘れてしまっている私を含めてです)

そういう意味では、京都検定受けられた皆さん楽しまれたと思いますし、それが一番幸せな事だと思います。
受かられた方は勿論、残念ながら受からなかった方も、素晴らしい事だと思いますし、幸せな事だと思います。

それが京都流と阪神大震災被災記の落としどころですかね?

おわり。

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