2007年2月24日土曜日

昨日までの東京出張と・・・

昨日、一昨日と東京出張で、大変ハードに動いて来ました。
色々あるのですが、一点だけ皆さんにもアピールさせて頂きたい事があります。

昨日、ホテルオークラで、富士ゼロックスの全国代理店の表彰式があり、ウエダ本社は昨年度、全国第一位の販売数で表彰されました。
いずれ、ウエダ本社のホームページでもUPすると思いますが、下から順番に表彰されて、一番最後に表彰された後の挨拶というのは、気分の良いものでした。

というトピックスだけ紹介させて頂き、実は今日から又しばらく日記かけないかも知れません。
私のアイコンは、京都流なのにいつも海外というのは、お気づきかと思いますが、又このアイコンが変わると思います。という事です。

今度はどこのどういう写真になるか・・お暇な方は楽しみにして下さい!
では、又!

2007年2月21日水曜日

中西美世さん

という名前でお分かりになる方は、相当の京都通?いや京菓子通の方だと思います。

京都流のおやかまっさんの第1回目に登場してもらった、鼓月現社長のお祖母さんというよりも、鼓月創業者である、その中西美世さんが15日にお亡くなりになられました。
通夜、告別式は妙心寺で行なわれ、大変な数と共に、錚々たる方々がお別れに参られました。

私も実は、京都流のおやかまっさんで取材させてもらうまで、この方が創業されたという事は知りませんでした。

終戦後、倉庫に砂糖しかなく、それで作った砂糖菓子の様なものが、鼓月のスタートで、その後、戦争で未亡人になった人を助けるためもあって、7人の未亡人で立ち上げていかれたのが今の鼓月です。
話を聞かせてもらって、その後、美世さんの事を書いた”京の華”を読み、本当に凄い方で、是非一度お目にかかりたいと思っておりました。
多分京都の中で、全て自分で立ち上げ、切り開いて来られたという女性経営者という方はそうはおられないと思いますし、まず女性経営者の第一人者と言っても過言ではないと思います。

本で読んだだけでも大変なご苦労をされたのがよく分かります。
全くの素人で始めて、和菓子の作り方も分からない、新参者に教えてももらえないという事で、東京に学びに行かれたのですが、今となっては、だからこそ、鼓月というのは、ちょっと違った商品開発で、今の存在を築かれたのだと思います。

聞いた話ですが、京都の中であまり教えてもらえない中、よくアドバイスをしてもらわれたのが、今、おやかまっさんにご登場頂いております、俵屋吉富さんの石原さんのお祖父様だそうです。

本当に縁というものは大事だと思いますし、そういう礎を作ってこられた中西美世様のご冥福をお祈り致しますのと共に、私もそれぞれのお孫様達との縁を大切にしたいと思います。

2007年2月18日日曜日

2月11日~17日の出来事って?

2月11日は建国記念の日で、旧起元節です。
日本書紀による神武天皇即位の日・紀元前660年1月1日を新暦に換算した2月11日を祝日と定められ、戦後、日本国憲法の精神にそぐわないとして廃止されたが、昭和41年に「建国記念の日」として復活したそうです。

2月13日は797年 菅野真道らの編による続日本記(40巻)が完成した日だそうです。
又、1591年 豊臣秀吉が千利休を京都から堺へ追放したという日であり、1875年には、明治政府が「平民苗字必称義務令」という太政官布告を出し、すべての国民に姓を名乗ることを義務附けた日だそうです。

2月14日はバレンタインデーですが、これは元々何の日だかご存知でしたか?
これは西暦269年、兵士の自由結婚禁止政策に反対したバレンタイン司教が、時のローマ皇帝の迫害により処刑された日だそうで、
それから、この日がバレンタイン司教の記念日としてキリスト教の行事に加えられ、恋人たちの愛の誓いの日になったという事です。
ヨーロッパでは、この日を「愛の日」として花やケーキ、カード等を贈る風習がある様ですが、チョコレートを贈るというのは日本だけの話です。

2月15日は釈迦入滅の日であり、この前後に亡くなることは仏教の修業をする者にとっての憧れ?だったそうです。

2007年2月15日木曜日

世直しの為に・・

今朝京都新聞で高さ規制についてのアンケート結果が出ていました。
約80%の人が概ね賛成との事でしたが、多くの人があまり詳しく内容を知らないとの事で、まだ市民の本音はどうかは分からないところです。

建設業や、デベロッパー等は、高さ規制なんてとんでもないという話だと思いますが、私個人は本当に京都の事を長い目で見た場合、こういう抜本的なグランドデザインから考えて行かなくてはならないと思います。

昨年行った北欧を初め欧州では、建物の外観を持ち主が一切さわれないという所が結構ありますが、
その姿勢を永年貫いてきているからこそ、街全体の調和が図れているのだと思います。

日本の中でせめて京都ぐらいは、今からでも長い目で見たグランドデザインに基づく、街づくりをするべきだと思います。
当然痛みはありますが、誰かの時代から始めないといけないので、今回の規制については、色々な反対も予想される中、英断された事は凄い事だと思います。

京都流事務局のありますウエダ本社も、いわゆる田の字地区と言われる地域に含まれますので、今回の規制を受ける地域です。
我々のビルも近々建て替えを行なわなければならないと思いますが、規制後の投資効率を考えた場合、不利益を被ることになり、そういう意味では、我々も痛みを伴うと思います。
しかし、もうこれからは、自分の我だけを通している時代ではないと思いますし、企業においても、社会や地域との調和を考えていく事がより重要になってくると思います。
長い目で見てプラスになる為の痛みについては、企業はある程度背負っていかないといけないと思います。

しかし同時に、一般消費者の人々もこれからは企業をそういう目で選別し、そういう姿勢の企業を応援する事が、自分達の街や環境、生活を守る事になっていく事に繋がると思います。
不二家や関西テレビや、まあ懲りもせず次から次と、大企業が情けない企業体質で、
問題露呈していますが、おもてなし、ホスピタリティーの尺度を企業に持ち込むべきだと思います。

やっぱり京都検定の元々の理念を何とか推し進めたいと思いますね。。世直しの為に。

2007年2月12日月曜日

これが、茶の木人形-岡村楽山です。

先日、宇治の通圓さんに行って、写させて頂いた、楽山作の茶の木人形です。



ホンモノは茶の木を彫るので、大きな物でも10cm~15cmの物で、これらは貴重な物だと思います。



元々は根付けに使う物が多かったようで、色々な商品があったようです。
これはお香を入れる物で、



これは楊枝入れです。



別作家の物もありましたが、贔屓目を除いても、全然可愛いさが違いました。
楽山作は、絵の具もドイツ製の高級な物を使っていたらしく、今でも色落ちしていないのも特徴のようです。

2007年2月11日日曜日

ジュニア京都検定

発展コースの問題が届いております。

ちょっと盲点だったのではないでしょうか?
意外と問題は私でも分かるレベルであり、それに自宅でできるのでテキストも見れるわけです。
という事は、これこそ、試験で落とすなんて事ではなく、発展コースを受かった人にのみ受験資格を与えられる、名人コースがポイントで、それに受かると与えられるジュニア京都観光大使というのがミソなのかも知れません。

この試験の狙いについては又、聞いてみますね。

2007年2月10日土曜日

2月4日~10日の出来事って?

2月4日は1482年、足利義政が銀閣寺の造営を始めた日だそうです。
又1703年、赤穂浪士46名が切腹をした日です。

2月5日は職業野球設立の日です。1936年東京ジャイアンツ、大阪タイガースを含む7チームでスタートしました。

1877年2月6日、東海道本線が神戸から京都まで開通し明治天皇を迎えて開通式が行なわれました。

2月8日は京都流でもよく取り上げられていた、伊藤若冲の誕生日です。(1716年)

2月10日は何故か分かりませんが、左利きの日だそうです。
左利きの人はどうなるというのでしょうか??

2007年2月8日木曜日

京都新聞 人ありて

橘宗玄さんのブログにもあります様に、今日の京都新聞夕刊の一面”人ありて”という特集で、ちょこっと取り上げて頂いてますので、見てみて下さい。

府外の方、京都新聞じゃない方も以下サイトで明日以降はご覧頂けると思いますし、このサイトでは以前の他の連載も見れるので、面白いと思いますよ。

この”人ありて”は京都検定について5回シリーズで連載されるものですが、第1回目には京都検定の担当で、大車輪で活躍されている西川さんも載られていますし、我々にとっても、ゆかりのある方々がたくさん載られています。
勿論、この他でも色々な方が関われていますが、こんな方々の色々な思いもあって、京都検定も毎年継続されて来ているという事を
ご理解頂けると、ちょこっと関係させて頂いている私としても嬉しいです。

今年は、検定取得者の会も設立される様ですし、少し違う展開も出てくるかと思いますので、試験終わってゆっくりされている方々も、色々な意味で今年の京都検定に又、そろそろ目を向けて下さいね!

2007年2月5日月曜日

岡村楽山を探せ!

以前、ここでもお話しましたが、宇治の茶の木人形という物があり、私の祖父にあたる人が、岡村楽山という事で、天皇、皇后陛下にお持ち頂いたという第一人者であったらしいのです。

私の父も楽山についてはあまり詳しく知らず、私なども殆ど聞かされた事はありませんでした。
ところが、一昨年、昨年と続けて、両親が亡くなり、法事で親戚と会う機会が増え、今まで聞くことがなかった岡村楽山の話も聞く事があり、そのタイミングで、宇治人形(茶の木人形)を研究されている方とも会う等、何か運命的なものも感じ、これは
両親から、自分のルーツを調べなさいというメッセージにも思え、もう殆ど断片的にしか残っていない情報を集めて行こうと思います。

今後私のその取り組みをブログで書いて行きたいと思います。
これは実は今年の正月から考えていて、題して”岡村楽山を探せ”という事で長期的に追いかけて行きたいと思います。

皆さんも何かご存知の事あれば、教えて下さいね!

2007年2月3日土曜日

1月28日~2月3日の出来事って?

1月28日はおすすめでも案内しておりましたが、初不動の日です。
1月30日は1949年にマハトマガンジーが暗殺されました。
1月31日は京都で日本初の路面電車が開通した日です。塩小路から伏見の区間で営業は翌日からです。1895年の事です。
2月3日は節分です。節分は本来、立春、立夏、立秋、立冬の前日のことを「季節を分ける」という事で四回あります。
かつては大晦日的に行なわれた、「鬼やらい」の行事が今では「節分の豆まき」として伝わっています。

2007年2月2日金曜日

阪神大震災 被災記⑩

京都から通っていた際のもう一つの忘れられない光景は、神戸港から大阪港まで船で帰った事です。
と言っても勿論、優雅な話ではなく、通常は観光で使っているルミナス等の豪華客船の座席を全部取っ払い、そこに大人数が乗れる様に、ビニールシートを敷き詰めて、床に座り、大阪港までいくのです。

この光景も、まるで戦後の引き上げ船の様で、多分何千人かのグレーの集団が、足の踏み場も無い状態で、床に体育座りして殆ど笑い声もなく揺られて乗っているのです。

私は震災で味わった感覚で、それまで味わった事のない感覚というと”もの悲しい”という感覚です。
もの悲しいというのを辞書で調べると、何となく悲しい、という事や類義語で淋しいとあるのですが、単に悲しいのではなくて淋しいのでもなくて、そういうのが複合した何とも言えない”もの悲しい”という光景を何度も味わいました。

あと、”そんな事ってあるんだ”という信じらなれない様な話を良く聞きました。

その中でもその本人が経験した話を直接聞いたのは、私が心配で見に行った”全員無事で親戚の所に避難しています”という貼紙をしていた、そのお店の人の話です。

その家では猫を飼っているのですが、地震直前に猫がやたら鳴いて、その鳴き声で起されたその人は、あまりにうるさいので、猫を部屋の外に出そうと思い、布団から体を起して窓を開けた瞬間にグラッと来たという事でした。

地震で、周りにあった重いタンスは、寸前迄自分が寝ていた布団の上に倒れており、正に猫が鳴いてなければ、又鳴き声を気にせずそのまま寝ていれば、間違いなくタンスの下敷きになって、死んでいたかもしれないとの事でした。

6400名強の方が亡くなられたので、この様な話は一杯あります。
今回、ひょんな事から私の被災記を書く事になり、思い返してみると、私自身も日々の中では忘れてしまっている事に気づきました。
こんな経験をした事のある者が、忘れているというのは、とんでもない話だと反省しました。
そんな事から、京都流なのに、阪神大震災という事をあえて書かせて頂きました。
ホントは、ここから復興に至るまでも色々な事があり、半壊であった私のマンションも補修工事を終えられたのは、地震から2年近くかかったと思いますが、一旦これで被災記を終わりにさせて頂きます。

文化を論じられるのって、凄く幸せな事だと思います。
いじめ問題や、自殺問題、若い人のやる気や感動の無さ、これら全てどう考えてもおかしいと思います。
猫の鳴き声一つで生死が変わるんですから。。

大惨事の際には、瞬時に行なわなければならない、少しの判断の違いで天地の差がついてしまうのですから。。

我々は、もっともっと真剣に、仕事に対して、生き方・人生に対して考えるべきだと思います。(こういう経験をしながらでも忘れてしまっている私を含めてです)

そういう意味では、京都検定受けられた皆さん楽しまれたと思いますし、それが一番幸せな事だと思います。
受かられた方は勿論、残念ながら受からなかった方も、素晴らしい事だと思いますし、幸せな事だと思います。

それが京都流と阪神大震災被災記の落としどころですかね?

おわり。