2007年1月30日火曜日

阪神大震災 被災記⑧

何日後だったか、三田から有馬などを通っている神戸電鉄が開通したので、三田から廻ると新神戸までは行ける様になったので、京都からJRで三田へ行き、三田から神戸電鉄、北神急行を乗り継いで、新神戸まで行き、そこから兵庫まで歩いて行こうと思いました。

新神戸というのは三宮から北へ徒歩約20分、三宮から兵庫というのは、西へ向かって、三宮、元町、神戸、兵庫と三駅目で距離にしてどの位でしょうか、タクシーにして3000円位?という距離です。

勿論、歩いた事などなかったですが、これだけ迂回した経路でも当時では、かなり近い所まで、電車で行けるという感じでした。

カセットボンベ、ウェットティッシュ等、ニュースで不足していると聞いていたものを買い込んで、気の利いたキャリーバックが無かった頃ですから、カバンをタイヤのついたキャリー?にくくりつけ、詰め込んで丁度1週間後に行きました。

新神戸まで電車を乗り継いで約3時間程だったか、それから1時間か1時間半程歩いて
兵庫まで行きました。
当時はまだ一人で住んでいましたので、馴染みのご飯やさんや、ちょっと仕事で関係のあったお店があったので、気になって見に行きました。
最初に行った店は完全に潰れていましたが、貼紙があり、それを見ると、人は皆無事で親戚の所に避難しているとの事が書いてありました。
とりあえず、生きているのだと思い、その貼紙に、私も大丈夫だった事、又落ち着いたら連絡して欲しいという事を書いて、次にいつもおばちゃんが親切にしてくれた、ご飯屋さんに行って、そこで愕然としました。

その店はぺしゃんこと言ってもいい位完全に倒壊していました。
これは駄目だったか・・としばらく動けなく立っていると、”あ、お兄ちゃん大丈夫やったん!”という声がして、見るとそこのおばちゃんでした。

おばちゃんが一人だったので、恐る恐る”おっちゃんは?”と聞くと、”ちょっと体の調子が悪いけど大丈夫や”、”そこの公民館で避難している”と言うのでほっとしました。
私は”要るもんある?”と言って、京都から引きずって来たカバンを開けると、おばちゃんは遠慮しながら、”ボンベだけもらってもいいか?これで温かいものを食べれるわ”と凄く喜んでくれました。
ホントはたくさん欲しい筈なのに、”皆に配ってあげて!これだけで大丈夫や”と言って手を振って見送ってくれました。

何か淋しい気分で後ろ髪をひかれながら、マンションに向かいました。

つづく。

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