2007年12月30日日曜日

ウエダ再興記⑱~ 共同物流センター

管理業務や商標料で潤っている本社に文具卸を入れ、暫くは会社として赤字が隠れた状態であったのが、それからも業績は悪化し、ウエダ本社としても赤字に転じる様になりました。
そんな状況であるのも関わらず、ここで大失政が発覚したのです。

それはこの頃、同業者で物流を協業化していこうとする流れがあり、国も物流倉庫を作る費用などを融資し支援していたのでした。
この時の京都の組合の理事長は私の父親で、同業者の物流を共同で行う会社を、組合の下に作っていくことになったのです。
しかし、この制度融資は取得した土地でないと受けられず、バブル絶頂期であったこの時期、土地を買う事ができず、計画は一旦頓挫しました。
ところが、二、三年後、定期借地の土地でも認められるようになり、ここが一番問題なのですが、この頃になるとバブルも弾け、物流自体も減っていたにも関わらず、事業計画はそのまま見直さず、進んだのです。
この時、父親は理事長を交代していましたが、ウエダの社長になっていた兄としては、父が理事長時代に決めた計画であったので、
途中で見直すという選択肢は持たず、粛々と進めていったようです。

しかし、この計画は元々、ウエダ本社という会社とすれば全く何もメリットのない話でした。
自社ビル内に倉庫も持ち、自社で運転手も抱え物流も行っていましたので、それをわざわざ移すとなると、自社ビルで倉庫も持っているのに、そこを空けて、運転手の人には辞めてもらって、物流会社のトラックを使うという馬鹿げた話でした。
ましてこの計画自体、シビアに数字面を見て作られたわけではなく、どんぶり勘定で設立する事優先で、設立資金が持ち出されていたのでした。

又、設立資金以外にも、毎年運営で一億円近い経費が出て行く上、その物流会社が赤字を出した分も、ウエダを中心として補填していかなくてはいけないという、底なしの様相でした。

この問題が発覚した事により、子会社代表が私をウエダに誘ってきたのですが、こんな経営を自分の身内が行っていましたので、切り離して欲しいという事自体は、その立場になると、当然の心情でもあると思いますし、一番悪いのはそんな大失政をしていた経営者(私の身内)であると思います。

これが一番大変な問題ではありましたが、永年のいきさつ、組合や同業者との関係など色々な問題が絡み合っているので、途中から入った私では理解に時間がかかる事や、ウエダ本社内では他にも多くの深刻な問題を抱えていましたので、他の問題は全て自分がやるから、兄には物流問題だけに専念し、ここから脱退する交渉だけをやってもらうよう頼みました。

私が同時に取り掛からないといけなかった問題は、物流問題を除いても大赤字の本業の建て直しと、単独では卸をやっていけない事から同業者との合併の模索、意味をなしていないグループの再構築と、それら思い切ったリストラを断行するに当たり、理解してもらえる銀行への切り替えと関係構築など、大雑把に言えばこんなところでした。

どの問題も一つだけに専念しても、大変時間の掛かる難問でしたが、何のノウハウも持っていない私がそれらを一気に行なっていかなくてはならなかったのです。

来年からは、それらの問題について長くなるのですが、一つの記録として書いていきたいと思います。
京都流には直接関係ないですが、ウエダの社員や関係者、経営を勉強しておられる方には、実録として役に立つ事もあると思いますので、辛抱強く読んでみて下さい。

来年につづく。

2007年12月29日土曜日

ウエダ本社も営業終了しました。

本日ウエダ本社も今年の営業終了しました。

特にこの1ヶ月強ほどはホントに忙しく、ずっとON状態で走っていた感じです。

この間、ワークライフバランスの関係から、父親が育児に参加する事に理解のある企業(OK企業)という事で、京都市の600数十社の中から5社が表彰され、ウエダ本社がその内の1社に選ばれるという、思わぬ出来事もありました。

これは弊社がオリジナルで考えて導入した、有給休暇を1時間単位で取得できるという制度が大変面白いという評価を受けたためです。


先日、のぶのブログにありました、小学校でのゴーヤの料理の様子は、京都市教育委員会で行なわれているゴーヤでの壁面緑化と、CO2削減などそれを行う意味や、植物(ゴーヤ)の育て方としてのコンテンツとして作成したものに、折角だから、調理して食べるところまで入れようとの事で、教育委員会さんや梅小路小学校さん、それに
ゴーヤの種から育てるところの映像を撮ってもらい、又この12月に調理するに当たり、沖縄からゴーヤを取り寄せて頂いた、京都青果合同さんなどの多大な協力により、環境問題から、植物の育て方、食育までを網羅した、意義のあるコンテンツを
作っている様子です。

こんな事も色々やりながら、夜は夜で日曜日以外では、殆ど毎晩予定があるという状態でしたので、最後までバタバタのハードな日々でした。
年末気分はまだ全くなく、プライベートの年賀状も明日からですが、休みの間は少しゆっくりしようと思います。

ブログだけは同じペースでは書きますが・・・

とりあえず、今日は仕事納めという事で・・・皆さん一年間お疲れ様でした!

2007年12月23日日曜日

ウエダ再興記⑰~ グループ経営とウエダ本社

非常勤で少しでも役に立てばという気持ちで入ったのですが、計算や話が違う事ばかりでした。

まず、私が入ってからすぐ、この人が居れば助かるとあてにしていた経営工学の博士である中国人が、実は辞めたいと言って来ました。
中国に居る一人娘さんが又優秀で、ピアノで引っ張りが来て、アメリカかカナダの大学に国の特待生で行く事になり、娘さんについて行きたいとの事でした。
そんな事を止めるわけにも行かず、いきなりブレーンを無くしたというか、大変な状況の中、一人残された感じでした。

何とか立て直して欲しいと言っていた人たちは、私が入ってからは一刻も早く血を止めないと総倒れになるので、本社を”名誉ある撤退をさせて欲しい”と早く言えば廃業させて欲しいとの事でした。
ここが一番残念なところでした。

この頃は卸(問屋)不要論という事が叫ばれ、どこも卸が苦しんでいる中、”ウエダさんは本体が卸でも時代を見据えて早くから直販(我々の業界の直販は、ユーザー企業に売る事)をする子会社を作り、グループで見事に展開されている”と世間からは見られていたにも関わらず、実体はこの様に全くグループとして連携されていなかったのです。

人から必ず聞かれる事で、”ウエダなのにどうして岡村なのですか?”という事ともう一点は、”本社までが会社名ですか?”という事です。
この本社までが会社名である理由に実は衰退の変遷をみる事ができます。

1984年に4つの子会社をつくり、それらを管理する今でいうホールディング会社として、ウエダ本社は出来ました。
ウエダ本社の役割は子会社全ての資金面、経理面の管理業務で、それらの代行料と子会社から受け取るウエダという名の商標使用料が収入となっており、ウエダ本社は放っておいてもきっちり利益の出る会社になっていました。
この仕組みを作ったのはタタキ上げの創業者の祖父であり、祖父は全ての子会社の役員に一切入っていなかったのですが、私の推測ではこれは祖父なりの計算であったと思います。
祖父は創業者ですから、自分が役員で居ようが居まいが、統治には殆ど関係なく、それよりは、子会社を全て自分の身内でもない社員に任したという事の効果を考えていたのだと思います。
ところが、祖父が亡くなり、父の時代になると、その関係も微妙なものになり、まして子会社が黒字で赤字の本体を支えているという構図になると、色々問題が出て、父達が役員で入っていなかったことで、次第にコントロールが利かなくなっていったのだと思います。


私は自分で創業して、いずれこういうホールディング会社が統治したグループ経営というものを作りたいと思っておりましたので、少しは勉強していましたが、ウエダに入って昔の仕組みを見た際に、自分が考えていた理想形をかなり前に作っていた祖父に感心しました。
何せこの頃はホールディング会社というものは認められていなかったのですから。
これがいつの時代になっても、グループで連携してグループの何処かが引っ張るという関係にしていっていれば、ウエダは安泰であったかもしれません。

そんな体制でしたが、その頃には既に本体の文具卸は赤字であったのですが、多分それでは対外的にも示しがつかないから、管理業務や商標料で潤っている本社に入れ込んだというのが、現在ウエダ本社という名前で残っている理由です。
しかし、この事で赤字が隠れてしまい、赤字なのに危機感が無いという状態がその後ずっと続いていたのでした。

2007年12月19日水曜日

門川大作氏 京都市長選に出馬!

京都市長選に門川大作氏が立候補されました。

京都流でも御馴染みの今では”前”になってしまった京都市教育長です。
京都流では勿論、政治思想を論議するものではありません。

ただ、あくまで文化に対しても伝統に対しても、京都やそして日本に対しても正しいと思う事を発信していく場であろうと考えています。
それが、京都流サイトでは広告なども含め一切の収益を得ず運営している理由です。

その前提をご理解頂きながら、京都流の運営責任者の私としては門川氏を支持したいと思っています。
それは、ここでも何度か書いた事がありますが、格好や口先だけの人ではないどころか、TOP自ら率先して動いていかれる姿勢、あんな事ができる人はなかなかおられないからです。

私は常々、”文句を言うなら自分でやれ、自分でやれないなら人がやる事に参考意見は言っても文句を言う権利はない”と言っていますし、全てにおいてそれが私の正しいかどうかの判断、人を信用するかどうかの判断の基準です。

そういう意味では、門川氏は民間企業のTOPでもこれ程、思い切った事をできないと思うくらい強力なリーダーシップで京都市の教育を向上させて来られた方で、私の基準からして最も信頼のおける方だと思います。

民主党は独自で推薦したかった様ですし、国政のねじれから、自民党は他の候補も考えていたりもしましたが、単なる、相乗りではなく、門川氏のやって来られた事を知っていれば、そうなってしまうと思います。

門川氏は京都流もよく見て頂いていましたし、その方が市長になられたら、京都流の真に京都を愛する皆様方の声が、市長に直接届くことになるという事になりますから、皆さんもこれから益々、心して京都流に参加して下さいね!

2007年12月16日日曜日

ウエダ再興記⑯~ 京都にウエダあり

ウエダ本社は昭和13年5月私の母方の祖父である上田安則が、資本金5万円を元手に自転車5台を買い文具卸としてスタートした会社です。

この祖父は派手な事新しい事が好きで、今でいうキャンペーンガールをトラックの荷台に乗せて宣伝したり、飛行機からチラシを撒いたりという、昔では考えられないド派手な事をやっていたようです。

文具や事務機という業種の代理店というのは通常、地域代理店制ですので、ウエダは京都、滋賀の代理店であり、他の地区には同じメーカーの代理店がいます。
それら全国の代理店を集め、メーカーに向けて発言力を高めていこうと、いくつかの団体も祖父の呼びかけで作られました。
又、今でも事務機のウエダという看板を掲げていますが、昭和三十年代に事務機というものを業界に先駆けて持ち込んだ様に、常に新しい事目立つ事を考えていた様です。

私がウエダに入ってから各トップの方々にご挨拶に伺った際、"ウエダは昔全国区だった”という事を何人かの方に言われました。
私はほんの二、三年前にこれが本当だと気づいたのですが、これは決してお世辞ではなく、昭和三十年代後半から五十年代頃までは"京都にウエダあり”という感じで本当に輝いていた様でした。
余談ですが、ウエダで代表になってから、ある時シャープさんの会合に行った際、並居る大手量販店トップの方々にひけを取らないというかむしろ、こちらの方が丁重な扱いを受けた事に驚きました。
これは、シャープさんやカシオさんは計算機が切欠となって飛躍していかれたのですが、それを最初に取り上げていたのがウエダを含む、二、三社であり、その事を当時のシャープさんの上層部は分かっておられたので、現在いくら売上が多い量販店より、黎明期から商品を取り上げた会社を重要視してくれていたのです。

しかし、そんな派手好きで他人には気前の良い祖父は、私達身内からすると、全く面白みのない、ある意味冷たい人でした。
仕事の為には、身内でも平気で利用するという人で、母が亡くなる直前に言っていた話では、ずっと私の父との結婚を反対していた祖父がウエダで事務機を導入しようと思った途端、手のひらを返した様に、機械に明るかった父との結婚を勧め、父をウエダに引き入れたぐらいです。
私も普通の”おじいちゃん”などという感覚は全くなく、元旦にだけ会ってお年玉をもらうだけの人でした。
しかもお年玉を孫に渡した瞬間から、父に仕事の話をする様な、愛想も何もない人でした。
そんな人ですから、一見派手好きで外では派手にお金もかけますが、ただ単に使っているのではなく、凄く計算されていたのだと思います。

私も今まで、叩き上げの創業者を何人か見てきましたが、こういう人達は皆お金の使い方が大変うまく、生き金というか、使ったお金を絶対に死に金にしないという感覚をお持ちだと感じます。

この創業者上田安則が亡くなったのは、私が瀧定入社した年でしたので、仕事の話というものをした事がなかったのですが、特に会社を経営する様になってからは、あの愛想もくそもなかった”おじいさん”と仕事の話がしたかったなと思いました。

そんな叩き上げ創業者の祖父から”二代目”の私の父に継がれていくのですが、二代目はお金の事、数字の事が備わっていないケースが多い事に加え、見栄、体裁に拘る父の時代になっていくと、全国区のウエダも変調をきたしていったのだと思います。
そして先代が亡くなり父の時代になってから、数年間殆ど新たな手を打っていなかったのではないかとウエダに入ってから感じました。

しかしただ一つ行っていた大きな事が、私がウエダに入る事につながり、その後ずっと苦しむ事になる大失政でした。

2007年12月12日水曜日

皆様本当にありがとうございます!

昨日から出張に出ており、しかも、ネットに接続できませんでしたので、先程帰宅し、サイトを見て皆様の活発なコメントを見て驚きました。

そして、これだけ京都を愛されている皆さんが、京都流を通じて知り合って頂き、その事で盛り上がって頂いていて本当に嬉しく思います。

全てのブログ、お一人お一人にコメントを入れるべき所ですが、皆様へのお礼として
この場で書かせて頂きます。

ふうりんさんや雅撫子さん、勿体無いお言葉頂き恐縮です。

私は、他の事でもそうですが、場だけ作って、人だけ集めて、そうすれば何か始まるかもしれない、何か問題提起もできるかもしれないと、枠作りだけしているだけで、
大した事は何もできていません。
実際は、のぶを始め、スタッフ達が他にも仕事を持ちながらやってくれているお陰
です。

又何よりも、他にたくさんの京都サイトもありながら、低予算で編集なども素人で行なっている京都流を、マニアックにも愛して頂いている皆様方が、支えて頂いているお陰です。

ろぷさん、毎年の設営有難うございます。

hickeyさん、hickeyさんを見つけて輪ができるなんて、凄い話ですね。

busさん mittsuさん 橘さん、いつも色々サポートして頂き有難うございます。

yoojiさん 楓さん きょうこさん kyoppeさん  そして最近メインのlaviemarieさんも有難うございました。

受験者数は減りましたが、これだけ熱い方々がおられるという事を、商工会議所の方々は再度認識して頂いて、今回の受験者減をバネに頑張って頂きたいと思いますし、我々も、しっかり伝えていきたいと思います。

皆様、お好きな事とは言え、試験が終ってお疲れの事と思いますので、どうかご自愛下さいませ。

2007年12月9日日曜日

ウエダ再興記⑮~ ウエダ本社取締役就任

ウエダの方では、子会社の代表とその後何度か話をしました。

"ウエダに入って本社を立て直してもらえませんか?”切り離して欲しいと言っていたのに、何で?と思いながら、私は”そんな立て直すなんて大仕事は無理だし、そんな気持ちでいてくれるなら、それこそ私は親父を説得して、あなたに全権依頼するから、あなたがやって下さい。
それがウエダにとっても一番良い”とその子会社代表に何度も言いました。

しかし、その人はあくまで自分は子会社しか見る事ができないと固辞しました。
私は大変悩みましたが、やはり身内の会社ではあるので、ここまでの状況になってそれでも知らないという事はできず、とりあえず、週一日だけ非常勤の取締役としてウエダに行くという事になりました。
1999年3月小さい時からウエダには入らないと言っていた私が初めてウエダに関わる事になりました。

しかしだいたいこれが変な話なのです。
私は身内の誰からも頼まれたのではありません。
当時のウエダ本社は、代表取締役会長が父親、代表取締役社長が兄という体制であったのですが、父親は会長に退き社長に任すと言いつつ、肝心な所で決定をひっくり返すという世間でもよくあるパターンでその数年経過していました。
社長の兄は、私と違って温厚で、父親の言う事に従おうとするタイプでした。
ですので、通常は社長である兄が運営していますが、肝心な所で父親が裏返し、何も進まないという状態が続いていたようで、成績も悪化の一途で改革が打てないので、子会社の代表達が本社のアドバイザーとして権限を持っていました。
しかしこのアドバイザー達も、中に入り込んで火の粉を被ってでもという事でやっているのではなく、口だけの介入でしたので、誰も責任を持って物事に当たらないという硬直状態が続いていた様でした。

私は、このアドバイザー達に”立て直して欲しい”という要請をされ、その後どう決定されたのか、給料は10万円で良いですか?いつから来てもらえますか?という話も全て、子会社代表がして来て、最後まで父親始め、身内から入ってくれと頼まれたことはありませんでした。

その時点で自分の身内に対しても、色々思うところはありましたが、週一日でもやる限りは成果は出そうと思ってそれ程、気にはしませんでした。

私は瀧定で鍛えてもらったお陰で、仕事に対してはプロ意識というものを持っているつもりです。
感情がどうであれ、与えられた仕事、役割に対しては、それ以上の成果を出すという事を当たり前と常に考えており、この時もそういう思いでありました。

しかし、いざ入ってみると、自分の考えが甘かったのに気づきました。
会社の実体は数年間ずっと赤字、社内はやる気のない沈滞ムードが蔓延、経理から出てくる毎月の試算表は翌月の25日くらいに出てきて、しかも素人の私が見て、簡単に検算しても分かる間違いが平気である様な状態でした。

外からみるとウエダは子会社もあって、ウエダグループとしてやっていますが、いがみ合っているくらいの感覚で、全く連携が取れていない。
これはとんでもない所に足を踏み入れてしまったな・・これが正直な感想でした。

2007年12月8日土曜日

いよいよですね♪

明日はついにですね。

皆さん頑張って下さい!

あれ、他人事?と思われた方、鋭いですねぇ~。
私はサポーターとして応援しております(笑)

先日、格闘家の佐竹さんと食事した際、佐竹さんから武士と忍者の違いを教えてもらいました。
以前もここで話しましたが、佐竹さんは武士道精神を復活させないと駄目だとの思いから活動されていますが、武士と忍者の違いは、武士はその精神を重んじるのに対して、忍者は結果だけ上げれば良いということだそうです。

今武士道精神がなくなり、結果だけを残せば良いという忍者ばかりがはびこり、世の中がおかしくなっているという話でした。
武士は刀を大切にしますが、忍者は刀を踏み台に使って壁をよじ登っていくという様に、同じ刀を持って戦うにしても全く考え方、姿勢が違うわけです。

我々京都流は、何度も言いますが、決して京都検定受験用のサイトではありません。
京都を知り、興味を持ち、文化や伝統を知り、そこにある教えや残していかなくてはいけない意味合いなどを知り、伝え、残していこうとするものです。

ですから当然、忍者ではなく武士スタイルですから、試験の結果ではなく、受験される皆さん、楽しんで下さいね!

2007年12月6日木曜日

門川教育長 お元気そうで良かったです。

昨日、門川教育長にお会いして来ました。

少し落ち着きましたが、時の人であり、マスコミにも追いかけられておられたので、
心配しておりましたが、いつもと変わりないご様子で安心しました。

お忙しい中でも、先日私が書いた、精華大の牧野先生についてのブログも読んで頂いており、いつも教育長に会うと、あのお忙しい中でのご配慮に恐縮してしまいます。

表面上、単独指名をしたい民主党、先を越されて国政の絡みもあり、民主にすんなり乗れない自民党と、政治には面子があるのは分かっておりますが、誰の為の首長かという事を、各党は考え、大人の対応をして頂きたいと思います。

私の方は、いずれお話しますが、最近はある事に向けて大変忙しい日々を送っています。
その関係で教育長にもお会いしたのですが、その他にも京都のVIPな方々の所を駆け巡っております。

誤解無きように言っておきますが、決して選挙に出るのではありません。(笑)

2007年12月2日日曜日

ウエダ再興記⑭~ 身の回りの変化とIT系との接点

ウエダの流れとは別に私の方も色々な事がありました。

エムズカンパニー設立後丁度一年経った頃、阪神大震災がありました。
以前、阪神大震災被災記をこのブログで書きましたが、一人で独立して間なしでもあったので、事務所としていた自宅マンションも半壊となり、何も身動きの取れない神戸には居れず、京都に避難して仕事を続けてました。
その時にブログにも書きましたが、全然関係ない他府県の人々がボランティアで神戸に入っているのに、神戸で被災した自分が、仕事の為に京都に避難して、暖かい所に居てテレビを通して神戸を見ているという事に大変嫌悪感を感じました。
しかし独立して一年の私はこの時期に仕事ができなくなる事=会社を諦めなくてはならないという気がして神戸に残る決断はできませんでした。

その後、震災の前日に結納をしていた現在の家内とその年の秋に結婚し、三年後には長男が生まれました。
一人で何とか食べられるかどうかの時期に結婚し、子供ができると、当たり前ですが二人分、三人分の生活費を稼ぎ出さなくてはならず、独立という字の通り、独りでやっていくという事の大変さを充分に体験しました。
瀧定時代には”何事も自分のお金と思って判断する”という事を叩き込まれましたが
この時ほど、その意味を実感できた事はありませんでした。

lunaparkさんとはずっと貿易のパートナーで殆ど毎日やり取りをしていましたが、彼女がパリに移り住んでから、”私がパリでつるんでいる日本人女性のご主人の会社が、飛ぶ鳥を落とす勢いのある会社らしいよ”との事でした。
”K”という会社で、”ユードラ”というメールソフトの権利を取って凄いらしい。との事でした。
私の事を前職がIT系だと思っていて、ITリテラシーも高い様に思われている方もおられるのですが、実は今でもとても苦手で、特にこの頃は”ユードラというメールソフトどころか、メールソフトって何?というレベルでしたので、この話には全く関心を示しませんでした。”

ところがウエダが大変だとか、何とかしてくれと言う話が耳に入ってくる様になって来て、lunaparkさんに"そう言えば、前から言っていた人の会社一度紹介してくれる?”という事で紹介してもらう事になりました。

これがIT系との繋がりの初めで、ウエダとIT系を繋いでいく切欠になるのでした。

2007年11月30日金曜日

京都流社説 1万人割れ

何人かの方も書かれていましたが、今年初めて、受験者が1万人を割りました。

1級の受験者は大幅に増えたという事ですが、やはりこの、取ったらどうなるの?という事に対して充実させていかないと、これからも難しいのではないかと思います。

1級は人気しているという事は、今年又多くの1級取得者を生み出すわけで、最初の36名の方から含めて同じ枠の中で良いのか、それだけ多くの1級者は、京都検定では”アガリ”になってしまって良いのか?などたくさんの問題があると思います。

京都流としても検定取得者の活動の場など、働きかけは行なって行こうと思いますが、もう一度京都検定は何の為に行なうのか?を見つめ直す必要があると思います。

2007年11月25日日曜日

ウエダ再興記⑬~ ウエダを廃業させてもらえませんか?

今回の再興記は久しぶり?の海外、ベトナムからの寄稿です。
又、いずれベトナム(サイゴン)日記でも書くようにします。


ウエダにはその後、たまに訪問するようになりました。
いくつかの商品を入れましたが、ウエダで売れた商品はなかったと思います。

ウエダには一時期大変優秀な中国人が居ました。
父親が身元保証人になっていた人で、京都大学の経営工学の博士を取得していたのですが、ビザを更新する関係から何処かで勤める必要があり、ウエダで雇っていたのです。

私が何度か訪問するうちに、いつも彼からウエダの愚痴を聞く様になりました。
愚痴と言っても建設的な話で、経営工学博士ですから、改善策を次々に提案したり、
中国とのビジネスの話をするのですが、父親に話しても当時社長であった私の兄に話ししても全く進まないので、私に何とかできないかという話でした。

私もウエダに色々提案しましたが、染み付いてしまっている体質、社内的な問題なども垣間見ていましたので、ウエダで新しい事をやるのは無理だと思っていました。
ウエダでは新しい事なんてできないから、”諦めて私の会社(エムズカンパニー)とやって行きましょう”と言っていたくらいです。
その頃まではそんな他人事でいれたのでした。

ところがある時、子会社の代表者から相談を受けました。
ウエダ本社はずっと赤字でどうしようもないのに、又大変な失政を行なっている。
このままでは倒産すると思うが、それでは自分達も共倒れにはなってしまうので、
自分達(子会社)を切り離して、ウエダ本社は廃業させて欲しいというものでした。

それを聞いた時は、まだ何も対策を打たない間から、それはないだろうと思いましたが、私はウエダとは株主でもない、全く関係のない人間ですから、私には何の権限もありませんので、”オーナーである父親と話してもらって、父親が納得すれば私はそれでいいですよ”と言いました。

エムズカンパニーを設立した時でもそうですが、常に私の考えには、会社は誰の物か?会社とはどういうものなのか?という事がベースにあります。
エムズカンパニー設立時には、規模の拡大をするつもりはなく、小さくて独自性のあるビジネス展開をしようと考えていましたので有限会社に拘りましたが、まず会社とはどういうものか、どうしていくのかを考えて運営していかないといけないと思います。

そんな考えがベースですので、たまたま会長が父親で社長が兄であっただけで、一株も持っていない私は、全くウエダには関係のない人間なのです。
この基本的な事を分かっていない人が世間には多いというか、殆どの中小企業は間違っていると思います。

しかしこの意味合いがなかなか分かってもらえず、この後揉める事になっていくのでした。

2007年11月21日水曜日

マンガ学科と京都国際マンガミュージアム

昨日、京都精華大学のマンガ学科の牧野教授にお目にかかってきました。

牧野先生はマンガミュージアムの研究センター長も兼務されており、マンガ教育ともいうべき分野を開かれておられる方です。

大変お忙しい中、長時間お話を聞かせて頂き、私のマンガに対する概念が全く変わりました。
その際も申し上げたのですが、お話を聞いて感じたのは、マンガを描くには、右脳と左脳が両方使われないといけないという事です。

勿論、感性が良くないといけないですが、それに加えて、ちょっとした絵や、短い一言、擬音語などでその状況を見事に説明するという事は、それを実現するためには、全体を体系的に掴み、論理的に解釈もできないといけないわけです。

牧野先生はマンガで色々な表現ができるという事を示し、色々な道を切り開いていこうとされていますが、その切欠となったのは、その後、精華大の教授に迎えられた
竹宮恵子さんが、エルメスの社史をマンガで描かれたいたのを見られたからだそうです。

こんな事も日本ではあまり知られてないと思います。
あのエルメスが社史をマンガで作り、パリの店においているそうですが、そんな凄いことを日本人はもっともっと生かしていくべきだと思いました。

ましてや京都には、世界に一つのマンガミュージアムもあるのですから、今後こういう資産も有効活用して行きたいと思います。

2007年11月18日日曜日

ウエダ再興記⑫~ 営業代行とウエダとの関わり

体系的に展開できるビジネスを作らないといけない、そう思って言わば繊維業界に見切りをつけた私は、商社に出入りするという事を強みに、色々なビジネスコーディネートを行なうようになりました。

世の中には、凄い技術力を持っているが販売力がない会社、ネタは持っているが商品化できない会社がある一方、縦割りの中の一つの業界しか知らず、その中だけで永年同じアイテムを、全く同じアイテムを持っている多くの競争相手と狭い世界で戦っている多くの会社があります。

それらをうまくコーディネートするだけで、埋もれている商品が陽の目を見たり、余計な競争をしなくて良かったりするという構図が理解できていましたので、販売力のない会社の代わりに営業代行という肩書きで商社などに提案する動きを行なっておりました。

いくつもの、又様々な商社に出入りしていると、面白い事に色々な商品、情報が集まる様になりました。
そんな動きをする様になったある時、文具・事務機ルートに売れないか?という商品があり、創業して2,3年目かにウエダと文具・事務機業界に出入りする様になりました。

小さい頃から父親の会社には絶対入らないと言っていて、必要以上に親の世話になりたがらず、会社も全くウエダと関係なく立ち上げて来た私が、少し角が取れたのか、この頃初めて、折角ある父親のルートやコネなども利用すれば良いじゃないか?と思える様になりました。

いくつか私の元に持ち込まれたネタを、ウエダに提案をしに何度か行きました。
何度か提案しても話が全然進まない、面白い商品を取り入れようというやる気というか、意欲を全く感じませんでした。

”あんな状態じゃ駄目だ”ウエダの事で父親に初めて意見しました。
しかしその時点の私は、ウエダを何とかするという事ではなく、私に持ち込まれたネタを何とかモノにする事が狙いでしたので、他府県の同業者(文具卸)を紹介してもらい、いくつかの会社を回りました。
ところが、何処へ行ってもウエダとよく似た感じでした。
売りたくないの?と思う程、その商品のあら捜しでもしているかの様に、後ろ向きな質問、逆にチラシや販促物はどれだけ提供してもらえるか?という要望ばかりでした。
そんな完璧でフォローもしっかりしている商品なら、何処でも売れるし、そんな商品を扱ってもメリットないでしょ?
大体そんな商品なら私が持ってくる必要もないし、あなた方に相談に来ませんよ。
そこまでになってないから、面白いし、御社にとって有利な商品に仕立てられるんでしょ?
どこへ行ってもこんな感情になりました。(実際言ってましたが)

この体質がこの業界全ての体質であり、ここからの脱却が会社の命題であるという事を実感する様になったのは、後にウエダに入る様になってからでした。

2007年11月15日木曜日

出井さん

先日京都に元ソニー社長の出井さんが来られ、食事を一緒にさせて頂きました。

出井さんはソニーで創業メンバー以外で初めての社長に14人抜きで抜擢され、その後10年間社長を務められたのですが、ソニーの社長ともなるとご経験されて来た事が国を動かすレベルの話ばかりで、そのスケールの大きさと、その前に居て、経営者としての自分の知識など、本当にレベルが低いという事を痛感させられました。

そのスケールの大きさに反して、本当に気さくにしてご対応して頂けますし、御歳の事を言っては失礼なのかもしれませんが、70歳なんて信じられない、パワーと何よりも単純にダンディーで格好良い方です。

執行役員制度や、確かカンパニー制という仕組みも日本で最初にされたのは、出井さんだったと思いますし、ある意味日本の会社のあり方を変えて行かれた方だと思います。

こういう凄い方に会えると、たくさんのパワーを頂けて、向上心が沸いてきます。
経営していると日々悩みだらけと言っても過言ではないですが、あの様にスケールの大きい人になるには、こんな事悩んでいては”小さいなあ~”と思いました。
そう言えば、経営者はいじめられっ子の方が向いていると言われていました。
というのは、それ位、大変な事だらけで、それでも耐えられる忍耐強さがないととても持たないという事です。

再興記で告白していた通り、私はいじめられっ子ではなかったので、ちょっとマズイ
ですね。。。忍耐強く頑張ります。

2007年11月11日日曜日

ウエダ再興記⑪~ 有限会社エムズカンパニー設立

繊維という業界ではありますが、流通の大元に居て物の流れていく様子を見て来た後、繊維業界にはあまり関係なかった特許というものも勉強し、平成6年1月6日有限会社エムズカンパニーを設立しました。

この頃は会社を大きくする事は全く考えておらず、むしろ自分一人でもやっていけるビジネスモデルを構築し、小さい会社でも決して弱い立場にならない様なビジネスを行なおうと思っていました。
当時、ウエダ本社の会長だった父親からは、”有限会社なんて格好悪いから、株式会社にしろ”と言われましたが、体裁なんて必要のない、オリジナル性の高いビジネスをやらないと意味がないと思っていましたので、あえてその意思を表す為に有限会社にしました。
一人でも存在価値を示して相手してもらえる会社にする為には、体裁なんて必要のないモデル、商品を展開できなければ生き残っていけるわけがないと考えていたからです。

独自性の高いビジネスを行う為にまずは、輸入ビジネスから始めようと思いました。
と言っても英語も大して話せませんし、貿易など全く知りませんでした。
又、いくら描いているビジネススタイルがあっても、何もなければ食べてもいけません。

学生時代のアルバイトで一緒だった女性が、神戸の大手アパレルに行っていたのを辞め、イタリアに行っているという事を知っていたので、彼女の連絡先を聞き、連絡を取りました。
彼女のバイト時代の仕事ぶり等を考えると、海外に渡っても絶対、成果を上げているだろうなと思っていました。
連絡を取ってみると予想以上に活躍していました。
当時円高が進み、後には1ドル79円もつけた頃でしたので、日本のアパレルがこぞってイタリアに買い付けに出ていたのですが、彼女とその友達の所に、いくつもの日本の大手商社が仕事を依頼していたのでした。
商社も商品その物の目利きできるわけではないので、専門知識を持っていて、言葉も貿易も分かる日本人が居れば任した方が良いという構図になっていたのでした。

私は彼女に私の専門のテキスタイルを扱ってもらう様に頼み、彼女らにイタリア側の管理をやってもらい、イタリアから入れた生地を私が居た瀧定に販売しようと考えました。
この彼女というのが、京都流でも御馴染みのlunaparkさんです。

貿易は全く知りませんでしたし、お金もありませんでしたので、いくら元居た会社とはいえ、そのままやれば迷惑をかける事になるので、瀧定で話を決めた後、貿易事務とLC(貿易決済)を伊藤忠商事で行なってもらう様にしました。

私は伊藤忠商事と契約して、そこからコミッションを頂くというスタイルでスタートする事になるのですが、この時には本当に、あの嫌になった時期に瀧定を辞めてしまわなくて良かったと思いました。
もしあの駄目社員と思われたまま辞めていれば、まず元居た会社に出入りできていないでしょうし、伊藤忠商事が私の話にのって簡単に契約を結んでくれることなど有り得なかったと思います。

今から考えると、すごい事をやっていたと思います。
いくら、瀧定時代の実績や、瀧定との関係を分かってもらっていたとは言え、私が書いたメモだけで、伊藤忠商事が貿易相手に決済を保証してくれていたのですから。

そんな取引をしていきながら、貿易というものを勉強し、流れが分かった後は自社で直接輸出入も行ったり、雑貨などの輸入元となったりもするようになりました。

2007年11月8日木曜日

京都流社説~ 小沢代表と宮崎から見るTOPのあるべき姿

安倍総理の際も社説として書いていましたので、今回の小沢代表の問題も触れさせて頂きます。

安倍総理の際と同じく今回も、一体何なの??という感覚だけが残った出来事だったと思います。
前回も言いましたが、政治の世界の事ですし、まして小沢氏の考える事は、周囲の人でも分からないのですから、私などが分かる筈はないですが、ただ、小沢氏を見ていて昔から以下の二点を感じます。

それは、自分の描いている結果を得る為には、どういう形でも厭わないという点と、それを達成する為に一番最短でできる方法を取るという事です。

その考えているレベルが周りの人と違うので、周りには分からず、そこが小沢氏から見ると、レベルが低く見えて呆れてしまい、投げ出してしまう様な行動(言動)になるのではないかと思います。

ただ、安倍氏の場合と同じくTOPである以上、レベルが違うからと言って、”もう止めた”では困るわけで、そのレベル差を埋めていくこともやってもらわないと困ります。

又、いくら良い政策であったとしても、それはまず大原則は国民の為の政治である
訳ですから、国民不在で行なわれていく事が最大の問題です。
そこを偉くなられた政治家の先生方は、はき違えていると思います。

先週末私は宮崎に行っていました。
そこでは相変わらず、東国原知事の人気が凄いのと、驚くのはタクシーの運転手さんや一般の県民が、彼を支持していて全く悪く言わない事です。
こういう状況をみて、偉い先生方は感じ入って欲しいと思います。
タレント議員が・・なんて思っている国会の先生方がおられたとしたら、宮崎に行って、その様子を見聞きして欲しいと思います。

まず、県民(国民)主体でものを考え、何の為にそれをやるのか?という事を原理原則に基づいて行動していけば、いくら難しい国政でも、こんな風にならないと思います。

安倍氏や小沢氏は、TOPのあるべき姿という事がずれているのだと思いますし、今後TOPを目ざす政治家は是非、政策は勿論ですが、TOPのあるべき姿を勉強して欲しいと思います。

2007年11月4日日曜日

ウエダ再興記⑩~ 一生居たいか居たくないか?

瀧定の儲かる理由の一つに、アパレル等の話や情報を聞き、先読みして自分の所でリスクを抱え商品を作るという事と、営業員に企画をさせて商品作りをするという事があります。
私は元々、自社の商品では相手にしてもらえない先に行っておりましたので、企画をし、商品作りを入社二年目から行っていました。

通常テキスタイルの場合、1年位前から商品企画をするのですが、ある頃から売れ筋を当てるという事がどんどん難しくなっていくのに対して、当たれば、猫も杓子もがそれに集中し、折角出た売れ筋も、そのシーズンで潰してしまうという繰り返しを行うようになっていきました。

毎シーズンこんな事やってられないなという思いを持っている頃に特許というものに興味を持ちました。
こちらの世界では、一個開発すると、ずっとその権利で商売が出来たり、収入を得たりするわけで、それまでやっていた事とは対極の世界でした。
ビジネスというものは、もっと体系的に考え、その体系を見ながら流れを作ったり、組み替えたりしていかなくてはいけない、そう思うようになりました。

その頃年齢も29歳になっていました。
30歳という歳は男性も先々を考える年齢で、私もまず一生この会社に居たいか、居たくないかという事を考えました。
そういう視点に立ってみると、答えは即座にNOでした。
この頃はもう、評価もしてもらっていましたし、仕事も面白かったし、収入面ではかなり貰ってましたし、それ程の不満事項もなかったですが、一生は居たくない、なら、早く辞めた方が良い。
辞めた理由の一番はこの事でした。

大変厳しい会社でしたので、60歳定年という事は50歳では勝ち組、負け組みがはっきり決まっています。
50歳がゴールという事は40歳から急に伸びるという人も少ないですから、40歳で勝負はついてしまいます。
そう考えると、何て人生短いんだと思いました。
そういう中で30歳近くになると、自分の位置というのも大体わかりますし、このまま行けば勝ち組には入るだろうとも思いましたが、そうなったとして収入面は良かったとしても、それで幸せなのか?とこの時生まれて初めて、自分の人生について真剣に考えた様に思います。

私はいくら収入があっても、うまくいっても50歳で”アガリ”の人生なんて耐えられない、体が元気な間、自分の好きな仕事をしていける環境にしたい。
と、いう事は自分で起業するしかない、それが会社を興そうと思った切欠でした。

満30歳になる年の5月、7年強勤めた瀧定を退社しました。

2007年10月30日火曜日

エリックさん in ノートルダム小学校

先週の金、土とエリックジェイコブセンさんのショーをノートルダム小学校で行ないました。(こちらをご覧下さい)

何故、私がそんな事を書くかというと、実は、ノートルダムさんにエリックショーを提案したのが私でしたので、二日間お手伝いをさせて頂いてきました。

ショーの後の本、CDの販売から、エリックさんの誘導なども行い、エリックさん、ノートルダムさんの両側から大変喜んで頂いたのですが、逆に私の方が大変勉強にもなり、パワーも頂いた時間でした。

プロ意識というものをエリックさんに密着させて頂いて大変勉強させて頂きました。

ショー前には、かなり集中して練習をされます。
多分、何回もやられている曲で慣れられていると思うのですが、それでも決して手を抜かれない所や、金曜夜に4人で食事に行ったのですが、その後も1人だけ明日に備えるからと、ホテルに帰られる所など、プロというのは、セルフコントロールもしっかりされるのだなと改めて感じました。

エリックさんのショーを見ている子供達や、その後サインなどを貰って喜んでいる子供達を見ていると、こちらもこういう場を提供できたという事が嬉しくなり、子供達からもパワーを貰えた時間でした。

2007年10月27日土曜日

ウエダ再興記⑨~ 開き直った瞬間

怒られていた時期は、ほんの二、三ヶ月だと思いますが、この時期は会社へ行くのが嫌でした。
毎日、今までやって来た事を否定され、それに対して説明をしても一切聞いてもらえませんでした。
ある時までは反論しましたが、ある時期からはそれも無駄だと思い、何を言われても一切反論しなくなりました。
会社から夜遅く帰ってからは、マンションのベランダで一人でよくボーっと考え事をしていました。

どう考えても納得いきません。しかし誰もわかってくれません。
ドンドン考える内に、自分のやって来た事、あれだけ一生懸命仕事して来た事が馬鹿馬鹿しくなり、もう辞めようかと思いました。

駄目社員になって二ヶ月位過ぎた頃か、ある晩ベランダで考えていて、明日にでも辞めると言おうと考えた瞬間、自分の考えが逆流し始めました。
このまま辞めたら、結局自分のやって来た事は、皆が言っている様に駄目であったと認めてしまう事になる。
自分は、あれでけ一生懸命にやって来たのに、これで辞めてしまうと負け犬で終ってしまう。
それこそ、悔しいのではないか?
そう思うと急に考えが変わり出し、よしそれじゃ一度徹底的に売りまくってやろう、そう思いました。
これだけの事なのですが、これが開き直った瞬間で、翌日直ぐに、課長(部長兼任)に、今までの動きを止めて、瀧定がメインとするターゲットの売り先に担当を変えてもらう様に頼みました。

それからは売る事に徹しました。と言っても、元々瀧定がメインとしている層(量販店)に向けて、その層向けに企画をした商品を売るわけですから、私にすれば、この方が全然簡単でした。
何せそれまでは、来て欲しくないと言う所に行って、そこに合う”センスの良い商品”などないので、そこに合わせる為の商品を自ら作って売っていかなくてはいけないのですから、それまでの方がどれだけキツイ事をやっていたか分かりません。

そんな調子で売りに回ると今までと比べてホントに簡単に売れ、翌年には年間優秀販売賞をもらう様になりました。
そうなると今度は、”岡村は変わった”とか”よく頑張っている”と言われる様になりました。
その時点になって、あの頃私は、こういう様に考え、こういう事をやっていたのだと言うと、他人は初めて、なるほど、そう頑張っていたのかと聞いてくれる様になりました。

私はこの時期の経験で、他人というのはこんなものなんだという事を痛感し、これ以降仕事に対して、他人に対して、どんな事でも全て自己責任で考えるという事ができる様になりました。
又、この売れないという経験をせず、初めから瀧定のメイン層を持ち、よく売れるという経験を最初からしていたら、私の性格からすると、大いに勘違いをしていたと思いますが、この経験があったお陰で、上辺の事で褒められても、有頂天にはならず、会社の力や看板など、そういう背景の要因で、物の売れ方も違うという仕組みを理解する事ができました。

よく特に大企業などにおられて大変よくやっておられた人が、独立して看板が外れると、その時初めて自分の力で売れていたのではないという事に気づかれたりしますが、私の場合は、こういう仕組みを会社の在籍中に勉強できたのは大変大きな事だったと思います。

ニ、三ヶ月の駄目社員を脱却し、又認めてもらえる存在になりましたが、同時に私の中ではこれで、”やっぱり自分のやっていた事は間違いではなかった”という、自分の中でケジメはつけられたので、逆にもう、いつでも辞められると思うようになりました。

2007年10月24日水曜日

文化情報部会

私は京都商工会議所で文化情報部会という所に入っております。

今、私が行なっていることからすると部会名はバッチリなのですが、今日
その部会名そのものの、視察がありました。

朝から京阪奈地区にある、NTTコミュニケーション科学基礎研究所という施設で、
人間についての最先端の研究についてお話を伺いました。
これは、大変興味深いもので、人間の情報処理には、色々な錯覚があったり
して、人間というものはホントに面白いものだなと思いました。

その後、奈良の春日大社へ行きました。



ここの境内には三千基の灯篭があるそうです。
新しいものと年数が経った灯篭が混ざって寄進されています。



本殿で正式参拝をした後、


(本殿から)

貴賓室で昼食に中旬の献(ちゅうじゅんのこん)を頂いて来ました。



これは、神様のお召し上がりになった御供には、尊い御神気が篭められていて、
それらのお下がりを頂戴することによって神様のご加護に預かるというものが
響膳と言われるそうで、宮中と春日大社でのみ行なわれる旬祭の際に頂戴した
響膳を中旬の献というそうです。

今日は京都流ではなく、奈良流になってしまいました。

2007年10月20日土曜日

ウエダ再興記⑧~初めての挫折

私は元来、人の好き嫌いもハッキリしていましたし、正しいと思う事は相手が誰であれ、言っていくタイプでした。
社会人になってから、これではマズイなと思った事もありましたが、途中からは開き直って、性格を直すよりも、それを生かした方が良いと思い、幾ら気に入らないと思われても、それを常に上回る位やろう、誰にも文句を言えない位にやれば良いのだと考える様になりました。

そんな考えで意見をドンドン言い、それをずっと認めてももらってましたので、私の事を面白くないと思っていた人は多かったと思います。
それをある時期から、一気に感じる様になりました。

私があるシーズンのヨーロッパ出張から帰って来た月曜日、その日は出社した段階から、何か周りの雰囲気も違っていました。
しばらくすると、その出張中に、私の所属している課が二つに分かれる事になったのを知りました。
9年連続TOPの課で、その時点で営業員9人で70億円を売り上げる課になっていましたので、課別独立採算で競わせる瀧定の特徴では、これを二つに分割し、又競わせる形にするのです。
9人で70億と言っても、その間の私は、数字は目を瞑るから・・と託されて新規の動きを行なっていましたので、確か年間で3億強しか売り上げていませんでした。

最大の課に居ましたので、そういう動きをする余裕があったのですが、二つに分割され、そんな余裕など無い状態になると、岡村のやっている事はどうなっているのだ、全然数字が上ってないじゃないかと、私が出張している間になっていた様です。

それで出社した際に、周りの雰囲気が何か腫れ物に触るような感じであったり、今まで先輩でありながら、私に気を使っていた様な人が、何か、とげとげしい態度で接して来たりしたわけです。
それ以降、私の境遇は一変しました。
それまでは会社のホープであったのが、全く売っていない、ダメ社員の様な扱いを受けましたし、上司に認められていた私に、今まで何も言えなかった人達から、面白い程、手のひらを返した様に攻撃を受けました。

勿論、社長にも言われてやってきた展開であり、必死にやって来た私は、納得いくわけもなく、上層部にも今までの経緯、どれだけ一生懸命にやってきたかなどを何度も何度も説明しました。
しかし、誰一人、聞く耳を持ってくれませんでした。
あれだけ一生懸命仕事をして来て、梯子を外された、この時の悔しさは説明しようのないものでした。
しかし、今から思うと、こういう経験もなければ、いずれ経験する事になる、ウエダに入ってからの悔しさにはうまく対処できていなかったかも知れません。

このヨーロッパ出張というのも私が直訴して、一部反対もある中、一般の営業員としては、初めて行かせてもらった事からスタートし、毎年春秋にパリとミラノで開かれる展示会にいくものでした。
それだけに特に最初などは、成果を出さないと何を言われるか分からないとの思いで、安ホテルに泊まりながらミラノ、パリという地でも必死に働いていておりました。
今では多分、毎年大人数で豪華な出張となっていると思いますが、この頃の私はこんな感じで、今まで無かった会社の流れを作る為に、最も働いておりました。

しかし、突然梯子を外され、初めて挫折というものも味わったのでした。

2007年10月18日木曜日

Do you Kyoto ?

この意味をご存知でしたでしょうか?
ご存知の方は、かなり環境問題の意識が高い方か、京都のニュースに詳しい方か、ディカププリオのファンの方ではないかと思います。

私は知りませんでした。
これは昨日、門川教育長の所にお邪魔した際、教えて頂いたのですが、”Kyoto”してますか?
つまり、環境に良いことしてますか?という事であり、ディカプリオ氏が言って広まったという事です。
又、8月の終りにドイツのメルケル首相が京都での講演の中でも使われたそうで、環境に取り組んでいる人々の間では知られた言葉になっているそうです。

ところが、教育長も仰っていましたが、なぜもっと肝心の日本人、京都人にこの事を知らしめないのだろう、マスコミも取り上げないのかと思います。

この言葉、大変良いと思いますし、私も広めて行きたいと思います。
Kyotoしてましすか?これは議定書から関連付けられ、発想された言葉ですが、京都的なおもてなしや心配りができる人や、その事について、京都流してますか?
Do you Kyotostyle?という事も併せて提唱していきたいと思いますが、どうでしょうか?

2007年10月14日日曜日

京都文化企画室 秋の園遊会

今日は、京都流ブログにもご参加頂いております、西川充さんが理事長を務められている京都文化企画室主催の秋の園遊会に参加させて頂きました。

京都文化企画室は、西川流師範の西川充さんが、京文化を広く一般の方にも知ってもらう、親しんでもらう事を目的に立ち上げられたNPO法人で、こちらも京都流で持つ問題意識に対して、色々な活動を実践されているグループです。

今日行なわれたイベントも、殆ど普段は入る事ができない南禅寺の大寧軒



で、園遊会というものでした。

立礼でお茶を頂き



その後、庭で瓢亭さんのお弁当を頂きました。



西川さんの活動は、何だかんだ言っても、入りづらい、分かりづらい京文化を、ご自身は色々な分野に造詣が深いのに、他の方々へはホントに入りやすく、とっつき易くされているところが素晴らしいと思います。

私は、その主旨を過大解釈し過ぎたか、やはり無作法者か、今日はカジュアルな感じで行き過ぎて、ちょっとミスったかなとは思いましたが、それでも、心良く受け入れて頂ける、イケズではない会ですし、真に京都を好きな京都流の方々にとっては、
大変お得!な会だと思いますので、ご興味ある方は、入会されてみてはどうでしょうか?

2007年10月13日土曜日

ウエダ再興記⑦~遮二無二働く

その頃は特に遮二無二働いていたと思います。

通常でも夜の10時には機械警備になるので、絶対に退出しないといけない様になっていましたが、仕事が終らない為、朝から夜10時まで悲壮感漂う形相で仕事をしていましたし、入社3年目頃に土曜日も休みになりましたが、瀧定を辞めると決めるまでは殆ど土曜日も休んだ事はありませんでした。
それに加えこの頃は、特に全く相手にしてくれないどころか、来てくれるなというアパレルを開拓しないといけませんでしたので、何とか話を聞いてもらう為に、日曜日は、その開拓したいアパレルの店の観察に費やしていました。

瀧定の厳しさを実感した出来事で、ウエダにも関係する話をしますと、丁度私が入社一年目にウエダの創業者である私の祖父が亡くなったのですが、その日は土曜日で3時迄の営業でした。
祖父が亡くなって通夜にいくのに7時迄仕事し、部長にすいませんが祖父が亡くなったので、お先に失礼しますと大変恐縮して帰りました。
会社を出た後、祖父が亡くなって帰るのに、しかも3時迄営業で7時に帰るのに、何故こんなに恐縮して帰らないといけないんだと思いましたが、それでも悪いと思うくらい、皆思い切り仕事をしていたのです。

ですので、他の会社に出入りしたり、今までウエダに来てからでも、忙しいという事を聞いたり、同じ10時までやらないと終らないと言っていたりしても、表情を見れば直ぐ分かるというか、瀧定では、皆何かに追われて仕事をしている様に切羽詰って10時迄働き、休日も働いていましたので、全然甘いな~と思ってしまいます。
これは社員に対して厳しくなってしまうマイナス要因かもしれませんが・・

課別独立採算であるので、どこの課も主には東京担当、名古屋担当、大阪神戸担当に分かれているのですが、東京や名古屋の担当は毎週火曜日の夜から出張に出て、金曜日の夜に帰ってくるという生活でした。
私はその商社の中で生地(テキスタイル)のレディース部隊におりましたので、生地サンプルを毎週持って販売しに廻っていました。
今の様にキャリーバックはありませんでしたから、15kgもある荷物を持ち、毎週数十人で新幹線で出張に行っていました。
毎週火曜日の夜の最終近くの新幹線は15kg程入ったカバンが車両の間に数十個も置かれ、東京に着けば夜中の12時過ぎに重い荷物を持った軍団が割と近距離でタクシーに乗るので、タクシーにも嫌われ、かなり有名な団体だったと思います。

毎週出張と言っても厳しい、泥臭い会社ですから、ホテルに泊まれるわけでもなく、東京の場合は浜町の明治座前にある連絡所という自社ビルで皆寝泊りします。
6帖の部屋に3人、他の課のおじさん方と布団を並べて寝泊りするのです。
営業も車などは一台もなく、交通機関かもしくは自転車、それも豆腐屋さん(と言っても若い人は分からないでしょうが)の様な黒い頑丈な自転車が各課で2台程割り当てられているだけ、表参道でもその黒い頑丈な自転車で疾走するわけです。

そんな調子で毎週金曜まで働き、金曜日の夜に新幹線で帰ってくるという生活なのですが、この頃は殆ど帰りも最終9時(東京発)の新幹線で、何度か階段を重い荷物も持って駆け上がったら、無情にも最終の新幹線が発車して行った事もありました。

それだけ一生懸命働いていた私ですが、ある時どん底に落とされてしまいました。
この経験が実際のビジネスにおいての考え方に大きく影響をしていると思いますが、
この話は次回にさせて頂きます。

2007年10月10日水曜日

宇治人形-知られざる茶の木人形の世界-

先日も私のブログで、中・高の同窓ですという人がおられて驚きましたが、以前も私の祖父にあたる岡村楽山と茶の木人形について書いていました所、それを研究されておられる方から連絡を頂いたという、ネットの威力を思い知らされる出来事がありました。

その方は宝鏡寺の学芸員で花園大学で非常勤講師を務められている田中正流さんという方ですが、その方の協力で今月22日~12月15日まで、花園大学歴史博物館第二展示室において、上記の展示会が開催されます。(詳しくは<a href="#">こちら</a>)

これは宇治の方でも、もうご存知の方が少なくなった茶の木人形を、今集めて残していかないと記憶からも途絶えてしまうという事から開催されるもので、その茶の木人形の中で、岡村楽山はかなり重要な役割を担った様です。

私にとって本当に有り難い話ですが、この楽山という祖父は私の親父が若い時に亡くなった為、会った事もなく、親父からも殆ど聞いた事がなかったのですが、本来なら全く途絶えてしまう筈であった情報を、研究していて下さる方がおられ、私が全く知らない事を教えて頂けるのですから、これも本当に不思議な感じがします。

全く、ウエダにも、京都にも、伝統産業にも無縁で過ごして来た私が、ウエダに来て京都流というサイトを立ち上げ、殆ど父親からも聞かされた事がなかった祖父の話を、両親が亡くなってから、自分が立ち上げたサイトを通して知る事になったという、本当にすごい話です。

もしお時間あられる方は、一度見てみてください。
この祖父である岡村楽山がいなければ私も生まれておらず、という事は京都流も出来てなかったわけですから、そういう意味では京都流のルーツがそこにあるかもしれません。

2007年10月8日月曜日

DREAM TOY'S チャリティーコンサート

6日土曜日に、以前京都流でもご紹介した、伊藤タカ子さんのコンサートに行ってきました。
これは、伊藤さんの活動である、白血病や他の血液難病に苦しむ方々を支援するというNPO法人DREAM TOY’Sの1周年記念も兼ねた、チャリティーコンサートでした。

この活動は約9年前から、伊藤さんが地道に積み上げて来られたとの事ですが、このNPOの発起人には、裏千家大宗匠の千玄室さんや、門川教育長、堀場会長(正式には最高顧問ですが、私はそのまま会長とお呼びしているので)なども応援される大きなうねりになっています。

これなどは本当に、真剣に動けば、どんな事、人だって動かせるんだという良い証明だと思います。
私は伊藤さんの活動をほんの少し前まで知りませんでしたし、伊藤さんとはまだ殆どじっくり話したことはありません。
しかし、以前もブログ(こちらでご覧下さい)で書いたような経緯で、何か昔からこの活動に関わっていたような感じがしています。

これだけ真剣な思いで、これだけの人を動かし、これだけの動きにして行かれた伊藤さんには敬服致します。
又、堀場会長は全然知らない伊藤さんの熱意を感じ取られ、お忙しい中、話を聞く機会を作られ、この活動が有意義だという事から、門川教育長始め、多分行政関係にも働きかけをされたのだと思います。

私などの立場でも、最近、色々頼まれごとをされます。
頼む側は得てして、良い主旨なんだし、金額的にも少額だし、これ位は応じてくれても良いでしょう?という位の気持ちを持たれて来られます。(私も頼む側になるときはそう思いますから)
ところが頼まれる側からすると、そういう話をたくさん持ち込まれており、一つ一つへの協力は時間的にも、金額的にも大した事がなくても、全部に対応していると大変な事になるし、こちらを受けて、あちらを断るというわけにもいかないので、実はかなり大変なのです。
ましてや、堀場会長の場合など、国レベルの事から、たくさんの役職を担っておられますので、色々な事があると思うのですが、そんな中でも、まず、聞いてあげようという姿勢と、良い事については、自らが動いて協力されているという事に、やはり人間の器が違うなと、大変感服致しました。
堀場会長は私も本当にお世話になった、大尊敬の、大好きな方ですが、その堀場会長が、いつも京都流でその凄さを紹介している、門川教育長を誘われたとの事で、他の地域の事は知りませんが、こういう素晴らしいTOPの方々がたくさんおられる京都は、大変恵まれた地域だと改めて感じました。

肝心のコンサートも大変良かったです。
シャンソンというものは私は初めてでしたが、なかなかしっとりと良い感じでしたし、ゲスト出演された黄金井脩というアーティストが又大変素晴らしく、コンサートとしても充実した中身であったと思いました。

皆さんも伊藤さんとDREAM TOT’Sの今後の活動を応援してあげて下さい。
京都の事でもそうですが、人に知らせるというだけでも、大きな役割だと思いますから。

2007年10月6日土曜日

ウエダ再興記⑥~瀧定入社

大学卒業後ウエダに入ることを考えてもいなかった私は、瀧定という繊維商社に入社しました。

瀧定という会社は繊維関係の方であればまずご存知である、繊維専門では最大手の商社です。
しかし誰にでも知ってもらっていますが、繊維関係の方に元瀧定ですと言うのは、良く思われるか、悪く思われるか極端ですので、難しい面があります。
何故、評価が両極か、それは良く言えば、大変厳しい会社であり、悪く言えば、"えげつない"(関西以外の方分かりますかね?)会社だからです。
ただ言えるのは、商売を覚えるという事については、私にとって大変良かったと思いますし、ここでの経験がなければ今とても社長なんてできていないのではないかと思います。
当時から、いくつかの商社で、何故瀧定は儲かるのか?という事について、プロジェクトを組んで研究していた事もありますが、いくら机上で研究しても、あの中で育った人間にしか、本質は分からないと思います。

この瀧定の特徴の一つは課別独立採算というものですが、私の入社当時、確か売上は1900億円弱だったと思いますが、それは約80程の課がそれぞれ一つの会社の様に運営されていて、しかも社内の隣の課がライバルという関係で競っていました。

私は自分でもずっとラッキーな人間だと思っていますが、就職自体この瀧定が第一志望だった上、配属も、この競い合っている80程ある課の中で9年連続全社1位の課に配属されました。
瀧定という会社は同族会社ですので、一族で運営されているのですが、私の配属された課長(現在は副社長)はこれだけの成績を納めている人でしたので、社内では数少ないオーナーにものが言える人でした。

私が瀧定で良かったと思う点は、学閥など何もない完全実力主義であり、何もやらない人は置いていかれるが、やる人間は引き上げていく出る杭は伸ばす的な会社であったことです。
そんな会社でしたので、上司へのお世辞なんてとんでもない、相手が誰であれ、自分が正しいと思えばハッキリ言う性格の私にはピッタリで、新人のうちからドンドン新しい事をやらせてもらいました。

当時はバブル期に向かっていく頃で世の中では高級物しか売れない状況になっており、量販店向けに展開してきていた瀧定では苦戦をしだしており、そこに偉そうに、”こうすべきだ”と進言していた私が、高級ゾーンでアンチ瀧定的なアパレルの開拓役に任ぜられました。

これは約1300人程社員がいる中、当時の社長にも認めて頂いていた動きで、数字に大変厳しい会社の中で、特例も特例で個人の数字は目を瞑るから新規開拓をやってくれと託されたもので、私は意気揚々と仕事に取り組みました。

2007年10月3日水曜日

伝統文化プロデュース連 と 無心庵

先日、老松さんの大原にある茶室”<a href="#">無心庵</a>”に行ってきました。

これは桜橘庵でお会いした濱崎さんの活動と、それを応援されている老松の太田さんにお話を伺う為でしたが、まず、老松さんが独自で、大原の三千院近くにこれだけの立派なお茶室を兼ね備えたゲストハウスをお持ちであるという事に感服致しました。

街中の喧騒や、会社内での色々な”悩み”も忘れ、約2時間半、太田さんと濱崎さんに連の活動についてお話を聞かせて頂きました。

話を聞いて正に又”感服”という言葉がぴったりで、京都の、日本の伝統文化に対する真摯な取り組み、しかも一つでも、どれだけのお金と時間とクリアしていかなければならないハードルがあるのだろうと想像する程、大変そうなプロジェクトを、いくつも手掛けられ、それを又驚く事に、決してメセナ的に慈善事業で終らせていない所が、”感服”としか言い様がなかったのと共に、ちょっと私にしては珍しく自信をなくしてしまいました。
(活動の一端はこちらでご覧下さい。)

今まで、伝統文化や産業について、知らないのを良い事に、それを生かして、色々出入りして行ったり、言って行ったりする事が自分の役割であり、そんな風に客観的に見れて動いていかないと、京都は動かせられないでしょ?という事を思ってやって来てましたが、この様な立派なお茶室を持たれ、しかも伝統文化の本丸におられる方々が、決して上から物を見た感覚ではなく、伝統文化に対して、真摯に残していく事、広めていく事を行なわれていることに、ある種、気恥ずかしさと、私などが軽々しく論じていて良いのかという怖さも感じてしまいました。

どんな事でもそうですが、知らないと偉そうな事を言ってられるのが、レベルが上ってくると、その事をやっている人の凄さやレベルを感じる事ができて、物が言えなくなってしまう様になりますが、そういう意味では、私の文化度も底辺から少しレベルアップしたのかもしれません。(と、又直ぐにポジティブに考えますが・笑)

あまりにも色々あり過ぎて、連の活動とどうリンクしていけば良いのかは、今後又相談させて頂いて検討していこうと思いますが、それも含めて、伝統文化や産業に対する自分の立ち位置を再度しっかり考えていきたいと思いました。

2007年9月30日日曜日

ウエダ再興記⑤~ ホンモノ?の謙虚さ

しばらくの間イイ気になっていた私が、偉そうぶってはいけないと思う様になったのも悪達との付き合いからでした。
こういう付き合いをしていますと、色々な学校の悪達とも会うのですが、たくさん会っていく中である事に気づきました。

それは、どのグループででも、一番強いとされている人というのは、あまり偉そうぶらず、どちらかというと低姿勢とさえ感じさせる人が多いという事でした。

”粋がっているのは格好悪い事なんだ、ホンモノは謙虚な姿勢なんだ”と感じる事ができて、その後、自分の態度は大きく変わったと思います。
小学校二年の時の、社長は偉いのではなく役割が違うだけという事にいたく感動したのと、同じ種類の感覚だと思いますが、この経験が私の性格形成に大きく関わった二番目の出来事だと思います。

ヤンキー達との付き合いで勉強する時間は減りましたが、かえって集中できたのか、中学三年でも成績はまだ優秀で美術以外はオール5という成績でした。
当然、先生、親とも、有名進学校に行ったらどうだという話でしたが、ここでも進学校=坊ちゃんイメージが嫌だったのか、公立高校で良いと頑なに言って、府立高校に進みました。

この頃の京都は学区制で、住んでいる所で行く高校が自動的に決められ、私達の頃はそれも一校だけで選択の余地もなく、その高校に進みました。
ところが、この高校がとんでもなく、よく言えば自由、悪く言えば、勉強には全く向いていない高校で、休講はあるは、授業も一つの科目で、年間に何十時間と休める状態で、殆ど大学生の様な生活をしていました。
お陰で中学とは又違って、本当に楽しい高校生活でしたが、勉強はあまりしませんでした。
受験では辛うじて京都産業大学に入りましたが、その高校のレベルを表すかの様に京産大を70人受けて、受かったのが4人という惨憺たるものでした。

しかし、ここまでの経験は自分にとって大変良かったと思っています。
児童会長から、抗争や暴走に至るまで、その両極を知っている人自体少ないと思いますし、ずっとエリートで有名私立校、はたまた京大?と行けたとしても、これだけ面白おかしく経験もして来たことは大変良かったですし、学歴なんて関係ないと思っておりましたし、それでいて京産大なら充分だとも思っていました。

ところが京都との関わりを持っていき、色々な方々とお会いする様になって来てから、初めて学歴に対する劣等感を感じる様になりました。

中学時代の話もまだまだありますし、高校や大学時代でもとんでもない話もたくさんありますが、私の自叙伝を書いているのではありませんので、
又機会があればという事にさせて頂き、私の性格、仕事をやっていく上での考え方などに影響を与えた事として、次回からは少し社会人時代の話を書かせて頂きます。

2007年9月29日土曜日

京都創造者大賞

今日、京都創造者大賞2007の表彰式に行ってきました。
これは京都の都市格向上に繋がる素晴らしい取り組みを表彰しようという事で、京都府、京都市、商工会議所の主催で行なわれたものです。
応募総数219件から大賞1件と、もてなし部門、環境・景観部門、アート・文化部門、企業部門から京都創造者賞各1件の計5件が表彰されました。

実はこれに京都流も表彰!されれば嬉しかったのですが、応募しておりました。
が、見事に一次選考で落とされていました。

商工会議所からの出席要請もありましたが、どんなものが受賞されたのか直接見ようと思いましたのと、今までいつも都合が合わず入った事がなかった、会場の金剛能楽堂に入りたかった事、お祝いのお能、金剛流宗家の舞囃子”岩船”を見たかった事もあり、参加してきました。
1曲だけという事はあるでしょうが、文化度の低い私ですが、お能は意外に感じるものがあり、良かったです。

ちなみに受賞は大賞-NPO法人祗園町南側地区まちづくり協議会、京都創造者賞-もてなし部門は、鴨川を美しくする会、環境・景観部門はNPO法人KES環境機構、アート・文化部門は京都市交響楽団、企業部門が村田製作所さんでした。
それぞれの活動は年季が入っており、とても京都流の活動レベルではなく、審査結果には納得できました。

こういう活動を見ても京都は奥深いと思いましたし、京都流も年季の入った活動にしていける様、頑張っていきたいと思います。

2007年9月26日水曜日

桜橘庵でお菓子作り

先日は、その前のお花体験に引き続き、何とお菓子作りを体験して参りました。

これは以前京都流でも何度か取り上げさせて頂いた、桜橘庵で何と老松の社長にご指導して頂いてという又々贅沢な話でした。

しかし、これも流石に難しく、ましてや元々手先が不器用な私は、和菓子の繊細さを
表現なんて、とんでもなかったです。


これも経験という事で、



こんな形ですが、



お許し下さい。



帰りに老松さんの袋に入れて持って帰ったので、もし置き忘れると老松さんの名前に傷をつけてしまうと思い、絶対忘れない様にしっかり持って帰りました。(笑)

2007年9月23日日曜日

ウエダ再興記④~あの時の経験に比べれば

私の中学では派閥的なものはなく、このヤンキーグループというのは三十人程の一つのグループでした。

琵琶湖疏水にも近く新設校であった小学校では、クラスも二クラスで、悪と言ってもヤンチャ程度であり、その上、優等生グループに所属していた私は、中学に入学してから、このヤンキー連中には驚きましたし、怖かったのが正直なところです。

ところが三年近く怖い存在であったグループに入ると、そのグループが一塊であったが故に、いきなり学校で怖いモノがなくなったわけです。
しかもグループの中心人物が何故か対等に扱ってくれたりしましたので、序列にも属さず、わりと偉そうにもしてられたのです。

振り返って考えてみますとその後もずっと、色々な集まりに参加しても、別にこちらから擦り寄って行っているわけではないのですが、いつも中心人物と親しくしていて、後から入ったのに、中心に居るという傾向が私にはあり、多分これは昔から持っていた特技なのだと思います。

学校の中で一気に怖いモノがなくなった私は、自分が強くなった様な錯覚を起こし、この頃は少しイイ気になっていたと思います。
ただ、グループに入ったとは言え、その中でも自分をしっかり持っていたのと、特異な存在である特権もあり、遊んでいても、”勉強するから帰る”という事もハッキリ言っていて、自分自身では一線はしっかり守っていたつもりです。

しかし、こういうグループに所属していると、よその学校の悪達とも会っていきますし、当然の様に抗争というものも起こりました。
この頃は第何次かは分かりませんが、校内暴力が全盛の時代で、私の中学でも三年の頃、隣の中学と大抗争が起こりました。

学校からの帰宅途中、グループのメンバーが一人づつ順番にやられていきました。(集団リンチというものです)
この事件は新聞でも大きく取り上げられ、この頃は、大げさでもなく、毎日帰宅途中に本当に殺されるのかもしれないと思ったものでした。

ここまで話すると驚かれた方も多いと思いますし、京都流にはそぐわない話だと思います。
又、大学以降の知り合いなどにも、こんな事は話した事もないですから、ましてや今お付き合いしている方々からすると想像もつかない話だと思います。

しかしこの時の経験も、それ以降何か問題に遭遇した際、あの時の殺されるかもしれないという経験に比べたら大した事はないとか、後にウエダに入って、たくさんの修羅場に遭った際も、腹の中で”あんたら殺されると思った経験なんてないやろ?”
”だからあんたらとは腹の据わり方が違うよ”と思って交渉に臨んだりしてましたので、この経験も馬鹿げた話の様に思われるかも知れませんが、私にとっては大変役立ったものでした。

私の性格に大きく影響した第二のポイントはこの時期でしたので、次回、もう一話だけヤンキー話にお付き合い下さい。

2007年9月22日土曜日

なかひがしの予約

先日、なかひがしさんに行って来ました。
これは3ヶ月前に行った際に予約していたものです。
ご存知の方なら察しはつくと思いますが、これは私の都合で3ヶ月後に取ったのではありません。
その時にたまたま空いた席があっただけなのです。

毎月1日から始まる電話予約の枠を残されていますので、1日の朝から電話をかけまくれば来月の予約も取れるとは思いますが、そんな事をしている時間もないので、前回行った際に予約をさせてもらったという事です。

今回は東京から仕事で関係している方々をお招きしたのですが、こういうお店だと呼ばれた方も、それだけでわざわざ新幹線に乗って来られるんですよね。
以前、京都流でもどなたかが、なかひがしさんの予約取れたので、京都に行きますと書かれていましたが、その話をご主人にもしていましたら、隣におられた女性グループの方も、私でも東京からでも来ますと仰っていました。

私の誘いで東京から来られた方がたも、大変満足されており、料理も想像力の世界で正にアートですね?と喜んで頂きました。

で料理も堪能させて頂き、次回はいつ来れますか?と恐る恐る聞いてみると、その答えはまたまた想像を超えていました。
女将さんの答えは、”昼でもよければ2月3日ですね。。”と。

私は思わず、えっ?2月って2月ですか???と訳の分からない事を言ってしまいました。
まだ誰と行くかとは決めてないですが、仕事関係で行きますので、平日の夜が良いという事で結局2月下旬に近い日を予約しました。

これが京都で1,2を争う予約の取れないお店の現状です。
とこんな事をi行った人が言ったりするから、余計にプレミアムもついて、ドンドン凄くなって行くのでしょうね?
こんな風な良いスパイラルに入れば、さぞ楽しいだろうなと思うのと同時にこういう様にビジネスを持っていかないと駄目だなと強く思いました。

帰りには、ご主人と女将さんに、”良いお年を!”と礼儀正しくご挨拶をして店を出ました。

2007年9月20日木曜日

第15回盛和塾全国大会

昨日、今日の二日間京都の国際会館で盛和塾全国大会が開かれていました。

昨年もここで書きましたので、ご存知の方も多いかと思いますが、盛和塾とは、京セラ、KDDI創業者の稲盛氏が、日本の為には素晴らしい考えを持った経営者が素晴らしい経営を行う事が重要との事から、ボランティアで指導されている経営者の会です。
創設は19年前ですが、今や海外を含め58塾約4500名の経営者が学ぶ会となっているものです。

その全国大会は年に一回、二日間に渡って、選ばれた経営者が自分達の経営発表を行い、稲盛塾長がコメントをされるというものなのですが、
これが本当に凄い話ばかりで、自分も頑張っているつもりだが、まだまだ全然だなとか、こんなに凄い経験をしているのかと考えさせられる事ばかりで、
よく経営者の甲子園と言われますが、経営者の禅寺という人も居る様に、経営者として心が洗われます。

今年は参加者も会場の定員(1800名)をオーバーする1836人の参加で、ブラジル、ニューヨーク、ロスアンゼルス、中国の海外からも
数十名が参加されましたが、体験発表の内容もいつもにも増してレベルが高かった様に思いました。

自分の会社を振り返って、まだまだだと思うという事は、結局は経営者の私が、こういう人達には追いついていないからだという事を改めて思いました。
盛和塾の教えはいくつもありますが、経営者(リーダー)たるものは常に、心を高めていかなくてはならないと思います。
こういうリーダーが一人でも多くなっていけば、日本にとって大きな財産になっていくと思いますし、まだまだ世直しもしていけると思います。

2007年9月16日日曜日

ウエダ再興記③~優等生グループと不良グループ

もう一つ私の性格に大きく影響を与えた事というか時期が、中学二年の終わり~でした。

今、私の事を知っている人からすると驚かれる話だと思いますが、実際この経験が私の性格には大きく影響を与えているのでカミングアウトしなくてはいけないと思います。

中学二年の終わり~どうなったか?それはその頃からヤンキーグループ、所謂不良グループと付き合うようになりました。

それまで新設であった小学校では、私が初代の児童会長でありましたし、その為中学入学時にも新入生代表の挨拶をした様に、真っ直ぐに優等生グループに所属していました。

その私が、何のキッカケかは忘れましたがヤンキーグループと遊ぶ様になったのですが、優等生グループでは友達なのだけれど、競っていて、何か本音を言っていない部分があるのに対して、悪グループでは、そんな所が全くなく、凄く温かい感じがして、こちらのグループにのめり込んでいっていました。

試験の際など、勉強した?と聞くと、優等生グループではまず、思い切りしていても”全然してない”と言います。
そういう所が私にはどうも好きになれませんでしたが、悪グループでは、本当に勉強を全くしてません。(笑)

又、これも勉強しないからであるからなのですが、この温かみ?を表す象徴的な事がありました。
中学三年では、受験に備える為、クラブも一学期で終わり、皆授業が終ると真っ直ぐ帰るのですが、このヤンキーグループでは、やんちゃなせい?もあったのでしょうか、この時期に確か三人が入れ替わり立ち代り、脚などの骨を折って入院していました。
それを毎日、学校の帰りに皆一緒に見舞いに行くのです。
優等生グループでは考えられない話です。
勿論、勉強したくない、家に帰りたくないからが多くの理由でしょうが、それにしてもこの間3~4ヶ月あったと思いますが、殆ど毎日見舞いに行っていました。
それも馬鹿げた事ばかりしながら、楽しんで行っていました。

その一つは、病院に行く途中の道端に渋柿があるのですが、それをジャンケンして、負けた者が食べるという遊びを、飽きもせず毎日続けていました。
私も何度か負けましたが、渋柿を食べたのは、後にも先にもこの時期だけです。
その遊びが終って歩いていくと今度は甘柿が、ある家の庭に生えているのですが、はみ出している部分があり、これをちょっと頂いて、”ハイお見舞い”と毎日同じではありますが、律儀にお見舞いを持って行っていました。

こんな状態でしたから、大変楽しい毎日でした。
今思うと昔から、腹の中で思っている事と言っている事が違う様な事や人が嫌いであったと思いますし、ウエダに来る様になってからも暫くの間は、そういう事が京都を嫌いであった大きな理由だと思います。

この様な事が原因で、上辺の様な付き合いの優等生グループではなく、中に入ると大変温かいヤンキーグループにひかれたのだと思いますが、この頃の付き合いから色々な事に出会っていきました。

その一端は又次回に書かせて頂きたいと思います。

2007年9月12日水曜日

京都流社説~ 安倍首相辞任

安倍首相が突然辞任しました。

印象だけで言うと、完全な判断ミスの連続で滅茶苦茶にして行ったという感があります。
実は参院選敗退後の続投、政治と金の問題、テロ特措法の問題とあった中、ぞれぞれの問題で京都流社説として言いたい事だらけでしたが、政治ブログの様になってしまうので、我慢してました。

こうなったから言うわけではありませんが、私はずっと安倍首相の事は信用がおけないと思っていました。
安倍首相にはお会いした事もありませんので、信用がおけないというのは無責任かもしれませんが、私は昔から綺麗ごとを言う人を信用しません。

綺麗ごとを言う人には二つのタイプがあると思います。
一つは、綺麗な言葉のイメージを利用して本質を隠そうとしたり、騙そうとしたりする様な人ともう一つは所謂、人が良いタイプで、耳障りの悪い事を言えなくて、都合の悪い事の責任を取れない人です。

会社ででも良く言うのですが、所謂人間的に”良い人”がビジネス上ではとんでもなく”ひどい人”になる事がよくあります。
このタイプの人は、耳障りの悪い事が言えなかったり、その場をしのごうとするので、後手後手に回り、ドンドン問題が大きくなり、土壇場に追い込まれて、とんでもなくひどい事をしたりします。
こういうタイプを見るといつも私は、喧嘩の弱い子供が追い込まれて、最後は両手を振り回して、泣きながら、向かってくる姿を連想してしまいます。

何度も言いますが、安倍首相がどんな方なのかは知らないのですが、”美しい国”という事を連発して具体的な事を言わない様な人は、この二つのどちらかのタイプであると思っていましたし、特に参院選以降、やはりこの見方は当たっていたなと思いました。

赤城大臣の事務所費問題の際にでも、他に飛び火していく事を恐れてかばっていたと思うのですが、あの時に、”今までの政治のシステム、政治家はこういう事をしていた、悪い事であるが、それがこの世界の事実だ。
これを機に、システムを変え、全てを一新する事に全力を尽くします。”とでも言っていれば、しかも全力を尽くすという抽象的な事だけではなく、そのポイントでこれが実現できなければ辞める覚悟で徹底的にやりますとでも言ってれば、マイナスを一気にプラスに転じる事も出来たと思います。

それが引く所と頑なになる所のバランスが悪いので、結果滅茶苦茶に乱して行ったという印象になってしまったと思います。

一昨日、民主党の前原さんとご一緒させて頂いていました。
京都は独特だと思いますが、民主党の若手で素晴らしい方が多いので、経済界の方々も党は自民党を推していたり、会社では自民党を推していたりするのですが、個人では、前原さんを始め民主党の若手の方を応援している方が多いのです。

前原さんとも色々お話させて頂きましたが、ハッキリとした考え、信念をお持ちで、政治家独特?の綺麗ごとの話はされません。
多くの方に実際、言われておられる様ですし、私も直接お願いしましたが、この様なホントに日本の事を考えておられる政治家の方々が結集して、政界再編を早く起こして頂く事を節にお願いしたいと思います。

2007年9月9日日曜日

ウエダ再興記②~可愛げない子

私の考えの源となった出来事の後からか、その以前からそうだったのかは分かりませんが、この頃から私は父親が社長であるという事が嫌で嫌でしょうがなかったのです。
変な子供だと思います。

当時父親は外車に乗っていました。
これには、創業者の祖父が珍しい(新しい)もの好きで、外車を乗り換えていたのですが、そのお古に乗っていたという事であったり、商売上色々な取引があるので外車の方が、出入りする所に気を遣う必要が少ないなどの理由はあった様なのですが、
これが又嫌で、一緒に出かける時など、私は車酔いをするので助手席に乗るのですが、友達に外車に乗っている姿を見られるのが嫌で、近所を抜けるまで座席の下に潜り込んでいました。

又、今色々な社長さんとお付き合いさせて頂いていると、私の実家などはホントに大した家ではないのですが、周りの友達の中では平均より多分、家も大きい方だったので、これを友達に言われるのが嫌で、高校まで友達を家に呼んだ事もありませんでした。

何故、そんな変な子供だったのかは分かりませんが、一つ強く持っていたのは社長の子=お坊ちゃんのイメージが嫌だったのだと思います。
しかしその変な子であったお陰で、その環境にありながらこの頃から自立心は強い子供であったと思います。
そして又、可愛くない子供であるのですが、この頃からハッキリと、父親の会社(ウエダ)には入らないと言い切っていました。

2007年9月8日土曜日

初体験!華道池坊

昨日は、凄い経験をさせてもらって来ました。
生まれて初めて、華道を体験してきたのです。

これは経済同友会の有志メンバー十数名で、京都流でも以前インタビューさせて頂いた華道池坊時期家元池坊由紀さんに直々にご指導頂くという厚かましい事をさせて頂きました。

華道池坊では立花、生花、自由花とあるそうですが、全員素人のメンバーでは勿論、自由花でです。
しかし、自由花と言っても何でもいい訳ではなく、やはり立体的な発想で、陰陽などのバランスを考え、空間をどう見せるかなどを考えないといけません。
又、枝モノなどで空間の広がりを作ろうとしても、うまく倒していける様に挿すのはなかなか難しく、自分の思う様には行きませんでした。

写真もうまくないですが、私の初体験のお華はこんな感じでした。



その後、由紀さんに直々に手直しして頂き、最終の出来上がりがこの作品です!



元々は男性が行なっていた華道も今では、上の先生方は男性らしいのですが、一般的には男性が入りづらい環境であると思います。
やってみると結構面白く、はまると思いますが、男性がお華を習いに行って恥ずかしくない環境を作るべきだと思いますね。
今回でも30代40代の男性ばかり十数名がお華に悪戦苦闘している光景は客観的には面白かったです。

しかし、特に海外を含む京都以外で華道池坊を学ばれている方々にすれば、由紀さんにご指導いただくなんて何と贅沢な厚かましい話だと思いますが、これも華道の広報という事で堪えて(笑)下さいませ。

2007年9月5日水曜日

必然って絶対あると思います。

私は本来京都流なんてやる資格ない位、無宗教的人間で、しきたり等からも縁遠く過ごしてきた人間です。
ただそう言いつつ、自分では本来宗教観を強く持っていると思うのですが、以前から不思議な程、人生においてのポイントの際、この人に会うべきだと思う人に街でバッタリ会ったりします。
(それは見事なくらい、しかも考えられない所で・・)
そんな事なので、必然性という事を重んじるというか信用します。

ところが最近、私以上に凄いと思う人に会いました。

まず7月に商工会議所のとある会合で、ある女性を紹介されました。
お名前は伊藤タカ子さんでシャンソン歌手です・・と。

名刺交換をし、しばらくすると、その彼女が”以前神戸におられませんでした? 奥さんは手作り時計を作ってられませんでした?”と言うのです。
私は、どうしてそんな事を知っているのかと驚きました。
確かに家内は10年程前、本当に短期間、家で手作り時計を作っていたのですが、それを見に来たというのです。
徐々に記憶が蘇ってくると、確かに知り合いの紹介で、家に見に来た女性が居ましたが、それが彼女でそれを直ぐに、10年程前の事を、まして京都で指摘されたのです。

紹介された際、彼女はご主人が白血病で亡くなられ、それ以来、白血病の方や家族を支援する為のNPO法人(ドリームトイ)を作られ、コンサートなどで基金を募っているので、又協力して欲しいという事でした。

その後8月の盆前に、営業と同行している際、烏丸駅でバッタリ会いました。
会った瞬間、彼女が気づいたので、”良く分かりましたね?”と言うと、”丁度お願いに行きたいと思ってましたから”という事で、その際も又連絡させて頂きますとの事でした。
同行していた営業から、あの女性は誰ですか?と聞かれ、シャンソン歌手である事、ご主人が亡くなられ、NPOで活動されている事を話しました。

お盆明けにその同じ営業が、コンサートのチラシを持って帰って来て、”社長がこの間会った女性はこの人ですよね?”と言ってきました。
又、”何でこんなの持ってるの?”と聞くと、その営業が担当しているエステの女性社長がこのNPO法人の理事も務められているとの事で、私に協賛頼んでと言われて出されたのが、伊藤さんのコンサートだったという事で、このつながりに又大変驚きました。

うちの会社への協賛の依頼は、このエステの社長が私への挨拶もしたいとの事で、本人に代わって来られる事になりました。
8月30日(そういえば私の誕生日)の5時半に来社頂く事になっていました。
夕方時間が空いたので、私はまだ通っている眼科と、中央郵便局に行きました。
時間にまだ余裕があるから郵便局にも行ったのですが、窓口で手間取り、5時半間際になったので、手続きが終るやいなや慌てて郵便局を出て行こうとした瞬間、なんと又伊藤さん本人が入って来たのです。
エステの社長と私が会う事も知らない彼女は、”良く会いますね!”と一言。
私の方があまりのタイミングに驚きながらも、正に今、うちの会社で待ってもらっているので、直ぐ行きますと言って別れました。

会社に戻り初対面の挨拶もそこそこに、今伊藤さんに会いました!とエステの社長に言うと、その社長も、あまりのタイミングの良さに怖い程ですねと言われました。

こういう必然性を信じる私は、これは協力しなさいという事だと思って、会社的には最低限の協力しかできませんでしたが、個人でチケットを買わせて頂きました。

私以上に彼女の引きは強いと思いますし、人気の江原さん的に言えば、きっとご主人が彼女の活動を見守られているのだと思います。

ご興味ある方は、コンサートも行ってあげて欲しいと思いますし、今後の活動に注目してあげて下さい。

2007年9月1日土曜日

ウエダ再興記①~私の考えの源

何の為に会社をするのか?何の為に生きるのか?に関わる私の価値観について、
私が初めに意識したのは小学校二年の時でした。

その日は、父親の帰りを心待ちにしていました。
平日の夜は、いつ帰って来るのか分からないので、寝てしまっていることも多かったのですが、その日はあることを言いたくて、待っていたのでした。

あることとは、その日学校で担任の先生から、”人間は平等であり、社長だから偉いということはなく、それは単に役割の違いだけであって偉いのではない”ということでした。
その話に、いたく感動した私は、その話を言いたくて、普段夜には顔を合わす事の少ない父親の帰りを待っていました。

するとこの日は、運よく宴席もなかったのか、私がギリギリ起きていられる時間に帰宅してきました。
帰ってくるやいなや、私は勢い勇んで父親にこの話をしました。
”社長っていうのは、役割の違いだけで偉いのではないねんて”と。
すると、父親は”そんなことはない、社長というのは責任が重いから、それだけ偉いのだ”と一蹴しました。
私はこの瞬間に父親との価値観の違いを感じ、それには反論もぜず、自分のベットに潜り込んで行ったのを鮮明に覚えています。

何故、先生の"人間は平等であり、社長や大臣や先生などというものは役割が違うだけ"という話にそれだけ感動したのか、父親との価値観の違いをそれ程鮮明に感じたのか、自分の中にどういうDNAが刻み込まれているから、そうなったのかは分かりませんが、これは私の人生において大きなウエイトを占める考え方になっていくのと共に、今までの私の考えの全ての源となる出来事であったように思います。

2007年8月30日木曜日

嬉しい出来事

STAFF BLOGにありました通り、本日は誕生日でした。

朝出社した際、女子社員が会うなり”お誕生日おめでとうございます”と言ってくれました。

午前中外出し、午後会社に戻り席に着くと、営業事務の女の子が電話の用件を伝えるメモに、誕生日おめでとうございますと書き添えてくれていました。

3時頃には、屋上緑化で京都新聞TOPに載った女子社員二人が、変わった飲み物を作って持って来てくれました。
それはオレンジジュースと紅茶を混ざらない様に二層に分けた飲み物で、大丸にあるカフェにあるそうで、お洒落な飲み物だったので、誕生日用に特製で作ってくれたとの事でした。

そして、夕方というか7時頃に京都流事務局のあるフロアに降りた際の写真がブログにあるもので、これも来客が終わるのを待ってくれていた様でした。

全く皆に感謝!の一日でした。

私は別に皆から慕われているでしょ?なんて自慢しているのではありません。
何が嬉しいかと言うと、ウエダ本社に来て約7年、社員から誕生日を祝ってもらったのは初めてですが、その事自体より、誕生日におめでとうと言ってくれる関係の会社になってきたという事、会社の中で、他の人の誕生日をおめでとうと祝ってあげれる社員が育っていっている事が何よりも嬉しいです。

ウエダ本社では、こんな雰囲気を大事にしながら、社員達が働いていて人間力を向上していける様な会社になりたいと思っています。

会社経営をやっていると、人の事に関する悩みは尽きませんが、お陰で今日は良い気持ちにさせて頂いた日でした。

これで満44歳、もう完全に厄年も終わってますから、これからはアゲアゲで行きますよ!

2007年8月28日火曜日

京都市動物園 壁画

この度、又一丁がみしております、京都市動物園を何とかするプロジェクトで第一弾のプロジェクトがあり、今朝の京都新聞で紹介されていました。

それは青蓮院の襖絵も手掛けられた、木村英輝氏に類人猿舎の床から天井までの範囲で壁画を描いて頂いたという凄い企画です。



9月2日にプロジェクトに参加しているメンバーにお披露目がありますので、多分それ以降は普通に動物園に行ってもらっても見られると思います。
是非、お近くへ行かれた際はご覧下さい。

という私もまだ見ていませんし、残念ながら、2日のお披露目の会にも出席できないので、又別途見にいくつもりです。

今後又、この動物園プロジェクトも報告していきますので、又お楽しみに!

2007年8月25日土曜日

予告編~ ウエダ再興記

以前から言っておりました様に、今後、京都流ブログから本にも仕立てられる様にしていくに当たり、私も一度今までの経緯を纏めようと思っておりましたが、それを来月から毎週末にウエダ再興記(仮称)として書いていこうと思います。

これは会社内では、ウエダの指針というものを作って、その研修なども行いながら、
経営理念の浸透を図ろうとしておりますが、うちの会社も数十年間ウエダ一筋の人も居れば、最近は中途採用で入って来た人も多いので、何に対してもバラつきがあり、
皆のレベルを合わせる為に、一から背景的な説明から行いたいと考えておりました。

又、ウエダの指針などの研修では、まず私は何の為に会社を経営するのか?から説明していますし、それにはまず何の為に生きるのか?人は何故生きるのか?などの死生感から話し、皆にもそういう事から考えて欲しいと話しています。

以前から、何故、こんな京都流という本業と関係ない事をやるの?とか、団塊の世代向けの無料オフィス”ナレッジサロン”でも、何の為にやるのかという事について、
なかなか理解を得られなかったりするのですが、こういう事も私の考えの背景(何の為に生きるのか)から話しないとうまく説明し切れないと思います。

そういう意味でも一度考えのベースから纏めないといけないと思っていましたので、
どういう展開になるか分かりませんが、一度纏めてみようと思います。

私のブログを読んで頂いている取引関係の皆さんには、私の考えが分かって頂くと今後の展開も考えやすくなりますから、多分有益なものにはなると思いますし、
京都流、ナレッジサロン、屋上緑化や先日立ち上げた女性伝統工芸士の会"和美作美”など、私の行っている展開について、何の為に?やどこで儲けるの?など疑問に思っておられる方々も、読んで頂ければ、展開の意味はご理解頂ける様になると思います。

京都検定やジュニア京都検定には直接関係ありませんので、関係ない方はどうぞ読み飛ばして下さい。

何分こんな事は初めてですので、途中でペースが変わっていったり予測のつかない事ばかりですが、まずは週一で週末に連載していきますので、しっかり続けられるのかも含めて、お楽しみ頂ければ幸いです。

来月からの予告でした。。

2007年8月22日水曜日

門川教育長から学ぶTOPのあるべき姿

今日は午前中門川教育長の所にお邪魔しておりました。

まず、のっけから”体大丈夫か?”と私のブログを見て頂いてのお言葉を頂き、大変恐縮致しました。
いくつか相談させて頂き”面白い”と乗って頂いたかと思うと、その場から色々な方に携帯で電話して頂く素早さ、その後も食育の話から、昆布サミット参加の為滞在十数時間の為に礼文島まで行かれた話、昆布ダシから見つけ出されたという”うま味”が発見されて来年100年を迎えるに当たり、京都でうまみサミットを開催しようという思い、畳や北山杉の利用の話など、それぞれ一日話ししても話題満載の様な話を凝縮して二時間強、色々お話を聞かせて頂きました。
又、それだけに止まらず夕方にも教育長自ら、朝電話して頂いて繋がらなかった先に再度連絡して頂いた後、ここに連絡したら?とお電話頂き、本当に恐縮するばかりでした。

いつも門川教育長にお会いすると、勉強させて頂く事ばかり、反省する事ばかりになるのは、あのお立場でありながらの気さくさ、あのお忙しさでありながらの行動力と親身にご対応頂く懐の深さです。
民間企業の大社長でも、あれだけTOPのあるべき姿というものを感じさせて頂ける方は少ないですし、私などはお会いさせて頂くだけで大変勉強になります。

帰りがけにも、”体気をつけてね!”と私などより圧倒的にハードな仕事を精力的に行なわれておられる教育長にそこまでお気遣い頂くと、私などが体の調子が悪いと言っていては情けないなという気になり、元気まで頂いた日でした。

2007年8月17日金曜日

今までで一番間隔開けてしまいました・・

京都流ブログも長い間休ませてもらいました。

以前もお話しましたが、眼(角膜)のヘルペスというものにやられてしまい、もう1ヶ月半程経ちます。
ヘルペスというと、イカガワシイ病気の様に思う人も多いのですが、実は殆どの人が小さい間にうつっているそうです。
症状が出ない人も居ますが、熱の華であったり、帯状疱疹もそうですし、意外と経験している人も多い様です。
ところが、これが角膜に出ると厄介で、治るのに数ヶ月もかかり、失明の危険性もあるそうです。

それもさる事ながら、疲れ、ストレスが一番悪く、少し疲れると見事に潜んでいるウイルスが角膜に広がる事と、逆に一日仕事をしていると、夕方くらいには大変疲れてしまい、夜にパソコンに向かう元気がなくなるのが困った問題です。

そんな状態が続いていますので、この盆休みはメールチェックも一日一回にして殆ど仕事の事は頭から外してゆっくりしていました。
取り合えずの優先事項は体調を整える事でしたので、遠出はせずに、子供を納得させる為にホテルで一泊してプールで遊ばせてたのと、墓参り以外はずっと家に居ました。

お陰で今朝”出社する際”は、調子が良かったです。が、帰る頃には、ちょっと又ウイルスが活動しているのか、状態がさえなくなりました。

これはどうやら良くなるには、皆が頑張ってくれて、ストレスを減らしてくれるしかない様ですね。
久しぶりのブログは、京都流の皆さんというよりは、社員向けのものになった様です。(笑)

2007年8月11日土曜日

女性伝統工芸士の会 和美作美発足!

京都流からこんな会が小さく生まれました。

伝統工芸や文化に関わる仕事をされている女性だけの会で”和美作美”と名づけられました。

これは伝統産業、文化側では継承者が居ないという危機がある事に対して、日本人、京都人がその産業や技術自体を知らないというミスマッチに納得いっていなかったので、まずもっとそれぞれの伝統産業や文化にスポットを当てられないかと考えてきたものです。

又、それぞれの産業には、若手女性も職人さんとして入られていたりするのですが、
いくら高い意識で入られていても、その業種の中でたった一人で頑張っていたのでは
継続していくのはかなりキツイのではないか?それぞれの業種で一人であっても、同じ伝統産業、文化の中で頑張っている女性が集まれば、モチベーションも切れずに
折角入って来られた方々が辞めるていかれるのを防げるのでないか?
又、そこで新たなコラボもできて新たなモノも生まれていくかも知れないとの思いから、この京都流で知り合い、意識が同じで意気投合した、圓塾の澤野ともえさんに
話し、会を結成し会長としてこの会を引っ張っていってもらう様にお願いしたというわけです。

まず始める事優先で、少人数でスタートしましたが、何せ京都流と同じ問題意識を持ち、京都流の出会いから生まれた会ですので、是非京都の為に、日本の伝統産業、文化の為に応援して下さい。

2007年8月8日水曜日

京都館に京都流

最近又気分的にゆっくりとブログに向かえる時間がなく、更新できていませんでしたが、久しぶりにお知らせを兼ねてUPします。

ずっと以前から思っていながら時間がなく行けていなかったのですが、今日初めて東京駅前にある京都館へ行ってきました。
東京駅前の一等地の1階で、結構広いスペースを取られているのには驚きました。
所長さんにも挨拶し、京都流フリーマガジンもしっかり見て頂いた上で、今後置いて頂く事になりました。
もっと早くに行けば良かったのですが、今後は少しではありますが、京都流の情報も置いて頂けると思いますので、東京方面の方にも京都流の情報を手にして頂けると思います。

今度東京に行く際は、京都館でも京都流がもっと何かできないか、考えて行きたいと思います。

東京方面の方、何かご意見あれば、アドバイス下さい。

2007年8月2日木曜日

京都市動物園 キリン誕生!

どうしてそんなに一般の人と感覚がズレてしまうの?と思う人達が国を司っていて、
腹立たしいというか嘆かわしい事が多い中、ホットする話題を一つ。。

京都市動物園で先月末キリンの赤ちゃんが生まれました!!



何で又、そんな事言ってるの?とお思いでしょう?
実は、京都市動物園を何とかしていこうとするプロジェクトに、又々参加しているというか、混ぜてもらっているのですが、メンバーにも入られている動物園の方から写真を送って頂いていたのです。



生まれてから40分後に赤ちゃんは立ち上がったそうですが、写真だけで見ていても
動物が一生懸命に生まれてくる姿というのは、何か感じ入るものがありますね。

こういうのを見て、同じ領収書を二回使っていたりとかする、みみっちい感覚の政治家しかも国務大臣までやる様な人は、どう感じるのでしょうかね??
ちょっと生命の誕生のところから考え直して欲しいものです。

2007年7月30日月曜日

京都流社説~ 自民惨敗の分析

昨日の参議院選挙では、苦戦が予想されていた自民党が、その予想よりもさらに酷い惨敗に終わりました。

各報道を見ていて、その原因は、年金問題や、閣僚の失言やそれにも絡む政治と金の問題などが上げられています。
勿論、それは全て正しいでしょうが、私はそれ以上に、安倍総理始め、自民党執行部のあまりにも世間感覚から離れた感覚というか、自分達の立場でしか物事を見ない体質の問題だと思います。

企業の不祥事や事故が起こった際の、政治家達のコメントでは、偉そうな事を言っておられますが、自分達の時には、本当に情けない程幼稚な対応です。
不思議なのは、いつも自分達の非を認めず、もっともらしく正当化しようとしていますが、ああいう事が人(有権者)から見て、どう見えるか、どう取られるかについて、全く分からないのでしょうか。

誰だって、年金問題で安倍さんが悪いのではない事くらい分かっていますし、政治と金の問題だって、殆ど皆叩けば埃の出る身だという事も、想像していると思います。
そういう中で出て来た、赤城大臣の事務所費問題でも、言うと皆が都合悪いから、一切話できないのでしょうが、何も説明もせず、あれ位の額は大した問題ではないという様な対応は、反感買うに決まっているのが、何故、分からないのか不思議でなりません。
それよりは、今までの政治の枠組みでは、こうで、だからこれからの自民党は、こう変えて行きます!とか言えば、結果は逆にだってなったのではないかと思います。
何故、吹き出物の説明くらいできないのか、そんな事までも、心配要りませんの一辺倒で力づくで押し切ろうとする態度で、皆が好意を持ってもらえると思っているのでしょうか?

以前、この場でも話した事ありますが、マーケティングの手法に、マーケットインとプロダクトアウトというのがあります。
マーケットインとは企業が商品、サービスの調達・開発・提供・販売を行うに際して、市場や顧客のニーズを汲み取った上でそれらの事業活動に取り込んでいく考え方であり、プロダクトアウトとは、企業の有する技術や優位性などを基本にそれらの事業活動に取り込んでいく考え方を言います。

これらは手法なので、どちらが正しいという事ではなく、自分達の立場、環境などによって、戦略が変わってくるのですが、ただ基本的には、物が足らなく、右肩上がりで来ていた時代には、プロダクトアウトの方が良いケースが多かったのですが、バブルが弾け、物が溢れている時代になってからは、マーケットインでないと世の中についていけないというのがビジネスの世界です。
それ故、今の時代、企業は顧客スタンスに立ってとか、顧客志向を標榜して、顧客のニーズを掴もうと必死なのです。
それはそうでないと変化についていけないし、生き残っていけないからなのですが、
自民党一党政治で来た、政治の世界だけは、まだ未だに、物が足らなく、物を作れば売れるという様な何十年前かの高度成長時代の感覚でいるのだと思います。
だから誰が考えても、良く思われるわけがない対応を、堂々と偉そうにできるのです。

企業の不祥事や事故においても、大問題になったり、倒産の危機にまで追い込まれる様になるのは、その事自体よりも、それに対する対応の仕方の問題です。
マスコミがそこに焦点を当てないのが不思議なのですが、私は今回の自民大惨敗は、問題が起きた(発覚した)後の、およそ時代遅れになった頭で考えた対応のまずさが最大の原因だと思うのですが、皆さんはどう思われますでしょうか?

2007年7月26日木曜日

庭園のおもてなし

今日は平安神宮の迎賓殿で”京都迎賓館に生きるおもてなしの心と伝統文化”のセミナーに参加して来ました。
四回シリーズのうち第一回目の今日は、庭園のおもてなしという事で、植芳造園の井上社長というよりも、迎賓館プロジェクトで佐野藤衛門棟梁の下、副棟梁を務められた方、同じく迎賓館の灯篭を担当された西村石灯呂店の西村会長をゲストに京都造形大の尼崎先生のコーディネイトで話が進められた。

庭は、造った様に見えては駄目なので、”造らないで造る”とか、建物が勝っても庭が勝っても駄目で、お互いが助け合うバランスにしないといけないとか、深い話が
盛りだくさんでした。

そんな話の中でも印象に残ったのは、大変厳しい現場であったけれど、終わった後、若手の職人さん達が、もう一度こんなプロジェクトをやりたいと言っていたという事でした。
というのも、今まで経験した事のない、技やノウハウに触れ、使った事のない道具を使ったからだそうですが、それを聞いて、今まで迎賓館というのは、京都の伝統の技を世界のVIPに見せる為、日本らしさを紹介する為に、技を集めたという事しか見えてなかったのですが、それだけではなく、こういうプロジェクトがなければ、匠の技を発揮する機会がなく、それゆえ、技術を見る事もできず、技術継承がされないという事が大きな問題であるという事に気付きました。

そういう意味でこの迎賓館プロジェクトは、各伝統技術に携わる担い手達が、その分野の匠の仕事を見れたという事に大変大きな意味があったのだと思いました。

2007年7月23日月曜日

佐竹雅昭さんと平成武師道

先日も少し書きましたが、格闘家の佐竹雅昭さんと最近何度かお会いしてます。

佐竹さんは私の二つ下、大阪生まれで、ずっと東京でお住いでした。
その佐竹さんが4年程前京都で佐竹道場を始められていましたが、私はずっと、総合格闘技の佐竹流的な道場を全国に作られていて、京都にもそのフランチャイズ的なものがあるのだとばかり思っていました。

ところが、お会いして初めて知ったのですが、そうではなく、わざわざ京都に作られたもので、現在京都にしかありません。

佐竹さんと言えば、格闘技ファンならご存知かと思いますが、KIを石井館長と共に立ち上げていかれた方で、しかもプレーヤーとして参加されていた方です。

その後KIも後に逮捕される事になる石井館長との運営方法の違いから、脱退されましたが、ずっと以前から、格闘技で体を鍛えていく中で、やはり精神も磨いていかなければならないが、なかなかその両立がうまくいってなく、特に昨今の問題を見るにつけ、武士道精神を再度教育していかないと日本は大変な事になる、何とか世直しの為に、肉体的にも精神的にもタフな人材養成をやっていく事に、残りの人生をかけていこうと思われたそうです。
その中でもまずは、小さい子供を持つ30代、40代の親世代からしっかり教育して行こう、その為にまず、同年代でこういう主旨を理解してくれる経済人を集めていこう、そういう事であれば、やはり東京からでなく、まずは京都からではないか?との思いから、平成武師道~京都百人組というものを作り、まず京都で100人を目標に集めていこうとされています。
武師道を武士道ではなく、あえて師としているのは、武士道というと、愛国心だとか道徳だとか曲解されてしまい、本来の主旨が歪められても困るので、心の師を意味して、武師道にされたとの事です。

私は京都流を立ち上げてから、想定もしていなかった、教育の問題に関わる様になり、佐竹さんと同じ様な問題意識を持つようになりました。
私の場合は、そこまで大それた事はできないのですが、駄目なものは駄目という教育、愛国心という問題ではなく、日本人としての本来あった躾けを戻す事、受験式勉強ではなく、人間性を高める教育を行う事などに注力したいと思っています。

門川教育長の行なわれている事をいつも賞賛しているのも、ジュニア京都検定応援サイトだから、お世辞を言っているわけではなく、本当に日本の教育で私も必要だと思う事を追求されているからですが、佐竹さんについても、真剣に世直しをして行こうという熱い思いをお持ですので、是非その活動を応援したいと思っています。

京都流の皆様も、今後佐竹さんのこの活動を目にされたり、耳にされた際には、是非、応援してあげて下さい!

2007年7月18日水曜日

中越沖地震

又起こってしまった、あの光景を見て、阪神大震災の事を思い出しました。

やはり、体験していると体に記憶されている様で、色々な事が思い出せれます。
しかし人間というのは愚かなのか、うまく出来ているのか、被災者である私などでも、普段は忘れ去っています。
ましてや、今年の1月に阪神大震災を振り返ってブログを書いた際、当時の事が蘇って来て、その体験をしっかり記憶し、備えをすべきだと言っていたのに、そこからでも忘れてしまっている自分に気付きました。

神戸の際でも電気は復旧していましたが、水道、ガスの復旧には時間がかかりました。ここからは、これが多分一番のストレス、問題をはらんで来ると思いますので、
この問題に全力を上げて、一刻も早い普及を目指して欲しいと思います。

京都流ではmittsuさんが新潟の方ではなかったでしょうか?
大丈夫でしょうか?
とてもこんなサイトを見ていられる状況ではないと思いますが、もし見られたら、是非ご一報下さい。
又、他にも新潟の方がおられたり、お知り合いに新潟の方がおられる方も大変だと思います。
もしこのサイトを通じてでも、呼びかけたりできる事があれば、言って下さい。

神戸で実際言われていて、そう感じた事、それはこういう時に頑張って下さいという言葉は冷たく感じるという事。
頑張って下さいという言葉はこういう場合、被災した人からすると他人ごとで、一線引かれている感じがします。
それよりも何ができますか?と言う方がマシだと思います。
それはそれぞれで出来る事で良いとおもいます。
私に何ができますか?と言われる方が、被災した人からすると関係を切られた感じを受けないのです。

微力ですが、京都流でも要望などがありましたら是非発信していきたいと思います。

2007年7月16日月曜日

昨夜は神戸におりました。

祇園祭りのはらわた二日目で宵々山であった昨夜、私は神戸におりました。

京都流的には、おかしいでしょ?という事だと思いますが、大の阪神ファンの私としましては、京都に居る事はできませんでした。
その理由は、何と!昨年まで阪神におられた片岡さんとの食事の席に呼んで頂いていたのです!



最近、別に狙っているわけでもないのですが、芸能人やスポーツ選手など有名な方々にお目にかかれる機会が多いのですが、芸能人にはさほど、ミーハー的にならない私も野球選手には駄目で、特に阪神の選手となると、ホントはミーハー的な質問攻めにしたい所でしたが、そこはぐっとこらえて、紳士的に話させて頂いてました(笑)

最近、実は格闘家の佐竹さんともよくお話をさせて頂いています。
わざわざ京都に佐竹道場を開かれている佐竹さんの話は、又京都流で書かせて頂きますが、めちゃくちゃ熱い人ですが、この片岡さんも大変ハートフルな方で、礼儀正しいし、気も使われますし、全然偉そうばらずに気さくに応じてもらえるし、現役を辞められても、残っていかれる人というのは、この方々の様に人間性が素晴らしく、周りから持ち上げられていくのだと思いました。

昨日はアピールできなかったですが、片岡さんも京都の方ですので、次回は是非京都流のアピールもしたいと思います!
京都流の阪神ファンの為にも!

そうでもしないと怒られそうな気もしますので・・(笑)

2007年7月15日日曜日

祇園祭りのはらわたと京都流フリーマガジン

今日、私も祇園祭りのはらわたに参加して来ました。
しっかり勉強する為に、ちゃんとお客さんとして行きました。

と、いうのも実家が山科で育った私は、町衆ではなく、又大学卒業後~ウエダ本社に来た7年前迄、京都から全く離れておりましたので、鉾町に入り込んで祇園祭を見るなんて事を殆どしたこともありませんでした。
それだけに、本当に体験させて頂こうと思い、参加したわけです。

澤野さんのお陰で、単に見て回っているだけでは、見る事ができない、聞くことができない、祇園祭りのはらわたに触れる事ができ、大変有意義なセミナーであったと思います。
セミナーの様子は、スタッフや他の方のブログに任せるとして、今日私は、大変嬉しかった事を書かせてもらいます。

初めてふうりんさんにお目にかかれた事も嬉しかったですし、busstopさんともお会いしました。
busさんは以前にもお目にかかっておりましたが、そのbusさんから、今回のフリーマガジンに対する大変な賛辞を頂きました。

それは今回の編集が大変素晴らしいという事で、神幸祭・還幸祭から神輿会にスポットを当て、錦神輿会会長さんから興味深い話をしっかり引き出しているという事でした。
なかなかこの様な視点で書いた物は今まで無かったし、色々なフリーマガジンもあるが、これは秀逸だという事でした。

先日もmaruさんやhickeyさんが褒めて頂いていましたが、皆さん京都流を凄く応援して頂いている方なので、私はお世辞もあって言って頂いているのだと思っていたのですが、そうではなく、1級の方々だからこそ分かるポイントというか、これはなかなか良い所に着眼したよ、よくここまで取材して来たよ、という事だった様です。

私など何も分からず、ただ学生達がよくやってくれたという事で喜んでいたのですが、そんなどころではなく、こんな”通”の方々が認めて頂く、フリマガジンを作ってくれたのだという事を知り、大変嬉しかったです。

これから、見かけた方はどうぞ手に取って、大事にして下さい。
京都流のフリーマガジンは、よくある、見て終わり、クーポン取ったらゴミ箱行きのものではなく、京都好きの方々に保管して頂く、集めて頂くフリーマガジンにしていくつもりですので、今後も楽しみにして下さい。

関わってくれたスタッフにはありがとうと言いたいですし、特に編集からやってくれた静香ちゃん、かわいちゃん、これだけ認めてもらえる物ができて本当に良かったですね!
次号、どうしよ!!!

2007年7月14日土曜日

一瞬の出来事

ウエダ本社がドラマ(女刑事みずき)に出るという事で、楽しみにしていましたが、一瞬の出来事でした。。
実際うちの会社で撮っていたのは4カットでしたので、1分くらいかなとは思っていましたが、結果はもっと短く数十秒でした。
又、番組終わりの協力の所に名前を出してもらうのも、録画画面を停止して思いっきり見ないと分かりませんでした。

まあしかし、全国ネットのドラマで、オフィス向けのビジネスをしている会社が、いくつか検討された中で、うちのオフィスを気に入って頂き、使用して頂いたというだけでも、良しとしなければなりませんね。
又、うちの社員が仮にも全国ネットで浅野ゆう子さんと共演したわけですから、喜ばしい事です。

先日も京都新聞の一面トップで屋上緑化を取り上げて頂いた際、うちの女子社員二名が写っていましたし、又KBS京都テレビで、その新聞記事を大きく取り上げて頂いていましたので、その娘達も見事?デビューを果たしました。

オフィスやオフィスに向けてビジネスを展開している我々?(まだ社員にまで浸透できていませんので)、少なくとも私は、働く環境を楽しいもの、活き活きとしたものにしていく必要があると思ってます。
そういう意味で、それを進めるまずウエダ本社が、中小企業なのに何か存在感があるね?とか、面白い事やるね?とか思って頂ける存在を目指していますし、その為にはまず自社の社員が、ウエダ本社に居るとマスコミにも取り上げられるし、何か最近、有名人も出入りしてたりもするし面白いね・・とか、面白がってもらって、愛着を持ってもらって、誇りをもってもらえる職場作りを目指したいと思っています。

そんな考えですので、一瞬の出来事でしたが、会社内が沸いていたので、良かったと思います。。
でも、、もうちょっとオフィスも出して欲しかったなぁ。。

2007年7月11日水曜日

キッザニア

キッザニアについては以前、京都流でもlunaparakさんが書いて頂いていましたので、
詳細は<a href="#">そちら</a>をご覧頂ければと思います。

私も話には聞いていましたが、このキッザニアの発想を元に、京都市にもできた、スチューデントシティーができたのだと思っていましたが、違うもののようです。

コンセプト的にはほぼ同じで、子供達がそこに出ている企業やお店で実際売り子となったりして、職業を体験するというものですが、キッザニアでは、より本格的というか、アミューズメント要素もあるというのか、実際に子供達がそこで仕事をし、稼いだお金(キッゾ)でキッザニアに出ている三越百貨店で買い物が出来たりします。
二つほど仕事した位では消しゴム位しか買えなく、物を買う為に働く、お金を稼ぐというのは大変なんだな・・と子供達が少しでも体感するというわけです。

医者になって手術をしたり、消防車に乗って火事を消しに行ったり、エイベックスでタレントになったりもするのですが、何をやりたいよりも、この仕事だと立ってるだけで8キッゾもらえるなら、この仕事の方が楽だな・・とか、そんな事を言っている子も居たりで、4~5時間の内にある意味人生も体感する機会を得るわけです。

又驚いたのは、平日にもかかわらず凄い人で、しかもスチューデントシティーの様に、学校から来ている感じでもないので、皆学校を休んで来ているであろうという事と、かなり本格的であった事です。
多分、出ている企業は相当な費用負担をしているのだろうと思います。

京都市のスチューデントシティーには、若干ながらウエダ本社も備品などの提供をしていますが、消費者向けのビジネスをしている会社からすると、マクドナルドじゃないですが、子供の内から自社の企業名を覚えてもらう、親しんでもらうという事を考えて、協賛されているのかも知れません。
そうでもないと企業側がかなり大変だと思いました。

そんな中で先日も言いましたが、エリックさんがショーをされ、キッザニアで行なわれたイベントの中で一番お客さんが入ったとの事で、イベントとしても成功であった様です。

エリックさんとは、まだUPできてないのですが、今月初めにも貴船の右源太さんに行ったりしているのですが、何の関係?とかエリックさんと何をするの?とお思いでしょうが、又それは後日にでも・・引っ張っているわけではありません(笑)

2007年7月10日火曜日

東京ミッドタウン

久しぶりに東京に泊まりで行ってました。
週末には展示会があり、今日月曜日には、キッザニアで教育テレビの”英語で遊ぼう”などで御馴染みのエリックジェイコブセンさんのショーがあり、それに招待も受けていましたので、何ヶ月ぶりかに東京で泊まってました。

ミッドタウンも初めて行きましたが、東京の凄まじさも痛感させられました。
通常、商業施設などは投資効率を考えるので、空間スペースにしても、素材にしても
実商売に結びつかない所は、お金を掛けたくないのですが、ミッドタウンを見ていると、どう回収できるの?と思う程、お金が半端でなく掛けられています。

又、関西だと、お洒落だけど・・結局は売れなくて、直ぐ潰れるであろうと思われる様なショップもたくさんあり、でもここだと成り立つんだろうなと思いました。。

そんな様子を見ながら、最近京都から出ていない自分に気づいて、これではいけないと反省していました。
私が京都流をやっているのも、ある意味、格式の高い京都、伝統のある京都だけでは、一人よがりになってしまい、その良さを守るにも、もっと客観的な眼、外からの眼を入れて行かないと駄目ではないか?という提起があるのですが、その自分が、最近忙しさにかまけて京都に漬かりすぎていた事に気づきました。

ミッドタウンにもメイドインジャパンプロジェクトという事で、日本の物作りに視点を当てたショップもありましたが、これが多分、各産地で見ると、古く見えるかも知れない物が、こういうセレクトショップで見ると非常に良く見えて、その事からも京都に入り過ぎずていた自分に気づいたというわけです。

京都や伝統や文化の良さを残して行く為には、その良さを伝える為に、日本全体や、海外などからも、客観的に見れて、それをうまくコンバインさせる事ができる存在が必要だと思います。
伝統や文化一辺倒、京都にだけどっぷりと浸かっていては駄目だと言っていた自分が、ちょっと京都に浸かり過ぎていた、そう感じた出張でした。

キッザニアも面白いし、エリックさんの事も書きたいし、最近、忙しいのと、眼の調子があまり良くなくて直ぐ疲れるので、書く事が溜まっているのですが、又、おいおい書いていくという事で勘弁して頂いて、今日はこの辺で休ませてもらいます。

2007年7月6日金曜日

京都流フリーマガジン

京都流フリーペーパーを以前発行しましたが、今回祇園祭に合わせて第二弾が出たのをまだ、お知らせしていないですよね?

今回は事務局の学生達が企画から、広告枠などのレイアウト、テレアポから営業まで大活躍をしてくれました。
歴代もそうですが、何だかんだ言われる中、うちに出入りしてくれる学生達は本当によくやってくれますよ。
やっぱり、モチベーションの持ち方なんだと思いますが。

で、私は今日、ブライトンホテルにこのフリーマガジン(今回からペーパーではなく、マガジンというそうです。)を置いてもらいにお願いに行きました。
企画TOPの方を紹介してもらって行ったのですが、まず最初に京都流の説明をしたら、”ああ、知ってますこれ、見た事ありますよ”との反応で、嬉しかったのですが、それが又、このホテルのお泊りになられる方から、このサイトの事を聞いて、
見てましたとの事でした。

どなたかは分かりませんが、そんな宣伝をして頂いていて、大変ありがとうございます!
そういうお力添えのお陰もあり、すんなり置いて頂く事になりましたし、ブライトンさんとも何か連携を今後考えて行きましょうとなりました。
今後は、ブライトンにお泊り頂いたら、京都流のフリーマガジンが設置されていますので、言って頂いた方は、自分が設置したのだと思って下さい!

又ハイアットリージェンシーにも設置というか、こちらはコンシェルジュの所で配って頂く事になりますし、紙媒体でも京都流を今後広めていこうと思います。
京都流はこんな風に皆様の地道な推薦などで支えられていますので、是非是非、口コミお願いしますね!

2007年7月4日水曜日

屋上緑化

ちょっと又ブログ更新できておりませんでしが、今日は又皆さんにウエダ本社の取り組みを知って頂きたかったので、お付き合い下さい。

今日の京都新聞夕刊の何と一面に、京都流事務局もありますウエダ本社北ビルの屋上が掲載されました。(<a href="http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007070400090&genre=H1&area=K10">こちら</a>)
京都新聞では松坂の10勝目よりも上のTOP記事で取り上げて頂いています。
一面でありますので、ウエダの取り組みとして書いて頂いているわけではないのですが、弊社ではこのビジネスを今、積極的に展開しています。

これはいつも?の様に無料で展開しているわけではなく、ビジネス目的ですが、しかし、特に京都の企業は自社の屋上にこれを導入すべきだと思います。
勿論、コストはかかる事ですが、環境に取って、全く良い事づくめで、しかもやはり
緑があるので、無味乾燥した屋上が、社員や出入りする人達の憩いの場になります。

考える仕事の多い私も、考えに煮詰まったら、部屋を出て、ここで考える事にしています。
実はうちの会社からは南の方が開けていて、京都タワー、駅ビルがズドンと見えてなかなかの景色なんですよ。
今は隣に高いビルが建って塞がれてしまったのですが、ニ、三年前までは清水、東山方面も視界が開けていて気持ちの良いロケーションでした。

この屋上緑化ビジネス、オフィスやオフィスで働く人向けにビジネス展開し、京都流を運営するウエダ本社が今一番力を入れるべきビジネスだと思っていますので、京都流に来て頂いている皆さんにも今後の展開を見守って頂ければ嬉しいです。

施工させてもらえる先をご紹介頂ければ、もっともっと嬉しいですが・・

2007年6月29日金曜日

言い訳込みの近況報告

ブログが更新できていませんでしたが、先週木曜日に40度という高熱を出していまいました。
普段私は風邪をひいても熱は出ないので、こんな高熱は小学校5年の頃おたふく風邪にかかって以来のおよそ30年ぶり位の出来事でした。

その日の晩は殆ど食事も取らず、布団に包まって汗をかいて、翌朝には7度8分迄
熱を下げ、仕事も休まず消化しているのですが、熱が下がった後、ヘルペスが眼にまで出てしまい、今も眼帯をしてという状態です。

子供の頃からヘルペスというものを持っている様で、風邪をひくと、口の周りにはできたりしますが、眼にまで出たのは初めてで、これが結構見づらくて不自由で、ブログもサボっていたといわけです。

今や殆どの仕事をパソコンで行なっているので、従来の様に家に帰ってから夜中にブログを書くという元気はさすがに無かったです。

そんな中、思いついて、京都流ホスピタリティーというコミュニティーを作りました。
これは皆さんがビジネスとして受けたサービスで、感動したというサービスをここで語ってもらおうというものです。
ビジネスで・・というのは、友達や親戚からこんなに親切にしてもらった・・という事ではなく、仕事の上において受けた事という意味です。

そんな素晴らしい会社や人を京都流では応援して行こうと思いますので、感動をするようなサービスを受けたご経験をお持ちの方は是非、投稿して下さい!

2007年6月23日土曜日

京都流出版を目指して

以前にも京都流で書いてもらっているブログを本にできる!という新企画の話をしましたが、それを目指して私自身も書き綴っていこうかな?と考えています。

京都流ってちょっと不思議なサイトだと思います。
ブログに書いていても、コメントを入れて頂けるのが少ないなと感じる事が私でもあります。
ところがその割に見て頂いている方は多いんです。
ブログ書いて頂いている方々は是非、モチベーション切らさず書いて下さいね!意外と見てくれてますから。。
私などは、思いもよらない方からよく、ブログ読んでますと言って頂けます。
最初は仕事などで関連があるので見ていたのが、段々クセになってハマッテますとまで言ってくれる方もおられます(笑)

嬉しいのですが、私の場合、色々な立場から見て頂いているので、いつも書く事に困ってます。
(そんな迷いもあり、企画を途中で止めたりもしていますが・・すいません。)

そんな中、新企画(ブログを本に・・)の宣伝と、社員始め仕事で関係する方々には、何故会社を経営するのか?や、何を目指しているのか?そもそも何の為に生きてるのか?仕事をしているのか?等、私自身の基本的な考えを、一度整理して話したいと思っていましたので、京都流ブログでそれらを纏めていきたいと思います。

私の場合、色々な事をやっているので、何故そういう事をやっているのか?どう考えているのか?という事に興味を持って頂く方も多いのですが、普段なかなか充分にご説明もできませんので、ここで書いていく事で、多少なりともご理解を頂ける様になればと思います。

又、本当に毎日毎日、政治家や経営者の理念欠如による情けない問題ばかりが報じられていますが、私と仕事上関係のない京都流ユーザーの方々も、騙されたり、利用されたりされない様、会社とは?経営とは?について何か感じて頂く事ができれば幸いです。

という事で、来週から書いていこうと思いますが、実際の話で書いていきますので、書いてみないと、どれ位の量になるやら見当もつきませんが、かなりの長編になると思います。
一杯書いた中で、いい所を纏めていずれ本にでもできたらと思います。

題名は今から考えてみます・・

2007年6月20日水曜日

ナレッジサロン 面白そうです。 

先日から主に団塊の世代に向けた無料オフィスの説明会に来て頂いた方々の面接というと偉そうなのですが、それぞれ1時間半程お話を聞かせて頂きました。

やはり、それぞれ何十年とやって来られている方々だけに、私自身お話を伺っていて大変興味深かったですし、面白い展開になるような気がします。
何人かの方は、話をさせて頂いた後、元気が出て来た、アイデアが膨らんだと言って帰って行かれましたが、それは正に今回の狙いの一つでした。

企業に勤めて何十年と同じ事をやってこられていると、当然、その分野しか分からないという事もありますし、それ故、その知識があまり役に立たないと思われているケースがあるのですが、やはり何十年とやって来られていると、それなりのノウハウはあると思います。
ただ、確かにそれだけでは、活用できるケースは少ないと思います。
そこに、ちょっとした他の情報、刺激が加わると、違う角度からスポットが当たり、
いけるかも知れない・・となるわけです。

そんな事をあまり堅苦しくなく行なおうとしたのがナレッジサロンです。
片側で学生達と行なっている事があり、又片側で団塊の世代の方々とコミュニティーを作り、もうすぐすると、又別のコミュニティーを作る事になると思いますが、
色々動いているのが好きなのか、結構人生楽しみながら仕事やってます。

所詮一人でやれる事なんて知れてるわけですから、多くの人と関わりを持って、色々な角度から色々な事象を見て、多くの人と楽しみながらビジネス展開したいです!

2007年6月18日月曜日

公式ブログが変わってます。

お気づきの方もあるかと思いますが、公式ブログがマイナーチェンジしております。

固定的なものでなく、更新した順番に上に上ってくる様になり、今の所は、数が少ないので大丈夫なのですが、これから人数も増やしていくので、更新しないと画面に出て来なくなります。

私などはかなり危なくなると思います。知らぬ間にフェードアウトしてたり・・

それと、MIYUKIという方に登場して頂いています。
以前から知っていた方ですが、協会?に登録されている占い師で一番若いらしく、しかも立派に京都駅前で場所も構えておられます。

どういう話をしてもらえるのか分かりませんが、占い師の面白いインスピレーションで色々発信してもらえればと思います。

いずれ京都流の運命でも占ってもらいましょうか?(笑)

2007年6月15日金曜日

掃除に学ぶ会世界大会in台湾

この様な大会が今月2日~3日台湾で開かれたそうです。
私もこの会の存在は知りませんでした。

今まで、断片的にイエローハット創業者の鍵山氏が掃除を通した人間教育を行なわれていたり、門川教育長が小学校でトイレ掃除を行なわれていたり、という事を知ってはいましたが、これらが全てつながっていたとは知りませんでした。

と言うのも、鍵山氏が”日本を美しくする会 掃除に学ぶ会”というものを作られていて、その活動に9年前から関わられていた門川教育長が、児童に掃除を通して心を磨くことを伝えようと作られたのが”便きょう会”という関係であったらしく、その掃除に学ぶ会の第二回世界大会が台湾で開かれ、日本から517名、現地台湾では約13600名、他にも中国、ベトナム、フィリピン、ブラジルからも参加されて開かれたそうです。
門川教育長はこの会で講演もされ、台湾の新聞では大きく採り上げられていたようです。

私が驚いたのは、この世界大会に、日本からもそうですが、皆が自腹で旅費までを出して、掃除をしに行くという事や、この鍵山氏が作られた掃除道的なものが、ほんの10数年の間に世界にも広がっているという事でした。

又、門川教育長が小学校で休みの日にトイレ掃除を自ら率先して行なわれているという事は知っていましたが、それは、小学生達にそういう精神を教えたい為に、TOP自らが模範となる為に行なわれているのだと思っていたのですが、そうではなく、教育長になられる以前から、まずこの掃除道に感銘を受けられ、その素晴らしさを、教職員や保護者、そして子供達にに伝えたいとの事で、この掃除に学ぶ会の傘下に”便きょう会”というものを作られ、休みの土曜日に小学校のトイレ掃除を行なわれていたという事だったのです。
しかもこの鍵山氏の掃除道では、基本的に素手で行なうので、教育長も小学校のトイレを率先して素手で掃除されているのです。

私など比べられるレベルではありませんが、一応同じ組織のTOPとして、とても真似できませんし、ただ敬服するばかりです。

美しい日本と言うのは良いけれど、鍵山氏の様な事でないと、実際は動いていかないと思います。
又、門川教育長に対しても、公的教育に色々な事を持ち込んで問題があると、裁判も起こされたりされていますが、そういう人達は、こんな姿についてはどう言われるのかと思います。
ホンモノの使命感がないととてもここまでの事はできません。
踏ん反りかえっていたり、自分の利益しか考えていないTOPの多い中で、偽善やポーズでは、休みの日に素手で便器掃除なんてできることではないと思います。

色々、ことを興していくには、失敗や問題もあると思いますが、先日も京都流社説で書いてます通り、その人の言動、行動を見て、ホンモノかどうかを見極め、ホンモノを応援していく事が全てを変えていく事に繋がると思います。

私の持論は、”人がやる事に文句があるなら、自分でやれ!自分でできもしないなら、人のやる事に文句言う資格はない”という事です。

ジュニア京都検定も色々問題を言われてますが、間違いは訂正してお詫びしなければならないでしょうが、それはそれとして、その意義自体がおかしいという人はそれに変わる、それ以上の事をやるという事が原則だと思います。

京都流としては、ここまでやられる教育長がおられる京都市教育委員会さんには期待していますし、京都の子供達から日本の子供達の為にも、改めて応援して行きたいと思いました。

2007年6月13日水曜日

西川充さんありがとうございます!

知らぬ間にブログに登場頂いていて誠にありがとうございます!

西川さんにはこちらからブログに書いて頂くようにお願いしておりました。
皆さん西川さんのプロフィールをご覧下さい。
京都の文化についての思いは私共以上にお持ちの方ですし、私共の京都に対して足らない知識を補って頂ける方だと思います。

実は公式ブログも、今月中には少し形が変わるのですが、その際には公式の方でお願いしていた方です。

西川さんのブログも楽しみにして下さい!
又西川さんどうぞよろしくお願い致します。

2007年6月11日月曜日

京都流社説~コムスンと会社経営

堀江氏や村上氏の事は何度か話していますので、折口氏についても書かないといけないかと思い、コメントさせて頂きます。
とは言っても、折口氏については間接的にも全く知りませんので、個人についての無責任な見解は控えさせてもらいます。

テレビを通しては折口氏個人にも思う事はたくさんありますが、マスコミについては、偏った報道をするので、私が実際知らない事は同じ様に言うべきではないと思いますので。
それを思うもう一つの理由は、コムスンは悪いですが、社保庁の問題は民間のビジネスでは有り得ない、とんでもない話です。
しかし、報道を見る限り、コムスンの方がむしろ大きく取り上げられている事に、何がしかの政治的なものも感じるのですが・・

ともあれ、折口氏の個人的な事はさておき、私が言える事は、やはり何の為に会社をやるのか?という事であり、その面では折口氏は、まず利益ありきの考えだと思います。
それは企業としては当然だという人もあるでしょうし、価値観の違いでしょうが、少なくとも介護とか、病気(健康)に関わる事をビジネスにする会社は、自分さえ良ければ良いという感覚では、やってもらっては困るという事です。
しかし、現実はこういう所が多いです。
人の病気や、困っている事に対して、それを利用して儲けようという所が多いと思います。

世間もそれをよく見極めるべきだと思います。
何処で見極めるかは、経営者の考え方で分かると思います。
勿論ビジネスですから、利益を考えるのは当然の事ですが、自分だけが良ければ良いという考え方の経営者や会社が、介護とか病気などを助けるという様な事を訴える資格はないと思います。

京都流・・いつも言われますが、何処で儲けるの?又今度、団塊の世代向けにオフィスを無料開放しますが、これも民間企業でどうして?と言われます。

私の場合は自分で持った問題意識に対して、自分の所の立場でどうできるか?を考えるだけです。
京都流について言えば、京都の事、良さを知らない、私を含めた多くの京都人(日本人)と、このままでは消えていく伝統や文化、それなのにそれぞれの世界で頑張っているだけで、もっと知らしめようとしていない事などに対するミスマッチな部分、団塊向けサロンにしても、大量退職が問題になっていながら、中小企業ではスキルが足りないというミスマッチ感について、何とか自分の所で出来る事は?と考えて、できる事をやっているだけです。

ボランティアと違うのは、無償の奉仕ではなく、自分の所の立場でできる事をやっているという事であり、問題意識を持った点に対して自分の会社がどうできるか?を考えるという順番です。
その姿勢でいくと、儲からなくても、世間の為になるし、ボランティアではないので、動かしている間に、そのうちに儲かる事に繋げていく様に考えるという事です。

昨今の問題になる企業はそういう順番ではなく、問題点をどう利用して自分の所が利益を上げられるか?を考えているからおかしくなるのだと思います。

そういう意味では、政治でも何でもそうですが、世間がしっかり見極めるべきだと思います。
経済界でも経団連が堀江氏を入会させた途端逮捕されたり、折口氏も理事に就任していましたが、会社が大きいから良いという価値観を改めるべきだと思います。

もっと理念的に素晴らしい会社を賞賛し、いくら大きくても、利益を出していても自分さえよければ良いという様な会社を軽蔑するくらいの世の中になるべきだと思います。

そういう事を言っていくと、結局倫理観から教えていく、教育に変えていかないとという事になってくるのだと思います。
最近もっぱら教育に関わる様になってきてますが、これも定めなのかも知れません。

2007年6月7日木曜日

京bizでウエダ本社を取り上げて頂きました!

昨夜21時25分~KBS京都テレビの京bizという番組で、ウエダ本社を取り上げて頂きました。

内容は先週京都新聞にも掲載された、団塊の世代を中心とした無料オフィスについてでしたが、TVだけにしっかり今度開設するオフィス”ナレッジサロン”を映して頂き、様子はよく分かって頂いたと思います。

ただ本当の主旨、ミッション(使命)的な部分がカットされているので、どこまで分かって頂けたかな~という懸念はあります。

私の考えは実はシンプルなもので、会社というものは、社会的な責任、社会貢献を行なう責任があると思っています。
団塊の世代の大量退職が問題となる中で、オフィス向けに商売をしていて、色々な企業に出入りしているウエダ本社が、できる事は何か無いか?と考えたことが起因になっているだけなのですが、マスコミからすると、何故無料なの?その裏には何があるの?何に繋げるの?という事を引き出したいようで、使命的な話はどうもカットされる様ですね。

基本的な考え方の話になってしまうのですが、私は事業にはミッション性が必要だと思っています。
又企業というものは法人という人格を有するものなので、個人と同じく子孫繁栄し、未来永劫残っていかなくてはならないと思っています。
そういう考えに立つと、自分だけ儲かれば良いという考えでは、幾らその時儲けて凄い会社と言われても、絶対に永続しないと思いますし、ミッション性が無いと続けていけないと思っています。
ですので常に考えているのは、ミッション性がある事で自分の会社が合わせていける事を事業化していこうという事です。

今回のケースでは、大量に退職される団塊の世代の知識、ノウハウをそのまま埋もれさせていくのはあまりに勿体ないという側面がある事、反対に我々の様な中小企業では、足らないスキル、ノウハウだらけで、そのミスマッチを何とかできないか?
ところが中小企業では一つのノウハウを継続的に必要とするケースは少ないので、色々なノウハウをお持ちの方に集まって頂けないか?その為には、無料にすれば良いのではないか?と思ったわけです。
又退職された方には毎日通える場を設けるだけでもお役に立てるのではないか?
一人のノウハウでは何ともならなくても、何人か集まられると新たな事が生まれるかもしれない?
そんな発想から生まれたものであって、それが動いていけば、そこからビジネスに繋がる事もあるだろうと考えています。

勿論そんな事を言っていられるのは、ベースになるビジネスがあって皆がしっかりやってくれているからですが、仮にそれ自体でビジネスにならなくても
社会の為、地域の為になる事であれば会社としての存在価値はあると思っていますので、極端に言えばそれだけでも良いのではないか?
とも思っ取り組んでいるのですが、それだけではマスコミうけしないのですかね?

それと、テレビに映った自分を見てガッカリしました。
実は前日(というか正確には当日ですが・・)家に帰ったのは、夜中の3時でしたので、スッキリとしない顔だったのと、今まで怒っている事も多かったせいか(社員は頷いていると思いますが)
口角が下がっているのにドキッとしました。
水谷さんの笑顔のレクチャーをしっかり受けないと、ヤバイです。。

2007年6月3日日曜日

若冲展 最終日

最終日、ついに行って参りました!

先日の会場に行きながら、時間的に断念したというブログのお陰もあり、何人もの方から、メールで若冲展の情報を頂いておりました。
又、ウエダ本社の方にバイトで来ている造形大の学生がバイトをしているという情報を得ましたので、彼女からもメールで状況を得ていました。

元々は、前回のプライスコレクションにも子供を連れて行っておりましたので、今回も連れていくつもりでしたが、金曜日の夜から具合が悪く、結局一人で行きました。

そんな事もあり、前回駐車場にも苦労しましたので、今回は電車で行き、かえってスムーズに行きましたので9時前には並んでいました。
今日はその頃には既に開場しており、列では約30分程待ったでしょうか?思っていた以上に早く入れました。

場内は勿論一杯で、じっくり見ようと思うと、かなり時間を掛けて、人をかき分けて前に行く必要がありました。
第二会場に入る前も少し制限がありましたが、ここも5分程で、120年振りの再会、しかも釈迦三尊像の三幅を中心にその両サイドに十五幅ずつ並べる為に設計されたという会場に入る事ができました。

偉そうに言ってますが、買って帰った図録を読んで、その為に設計されたという事を知ったので、その時は知らなかったわけですが、それでも、たくさんの人が各作品に群がっている中ででも、入り口付近から全体を観たいという思いに駆られ、しばらく全体を観ていました。

どの作品も素人の私が見ても素晴らしいのですが、何故こんなに質感、立体感が出るのだろう、雪などの白も本当に重さを感じる質感で描かれているのには驚きました。

こういう芸術に疎い私ですが、実は意外に、世界の著名な美術館、博物館には行っています。

勿論、会場の大きさの違いはありますが、ここまで、美術館がひとだかりになった光景をあまり見たことがありませんのと、私の様な全然分かっていない者が見ても、単純に面白い、凄いという事を感じさせる若冲さんは単なるブームの人ではないと改めて感じました。

今日でもそうですが、京都流をやっていなかったら、まず展示会には行っていなかったでしょうし、未だに若冲も知らなかったかも知れません。
ふうりんさんには大感謝ですし、こういう事(知る事、興味を持つ事、体験する事そして、その事を好きになって、その事について問題意識を持つ人を増やす事)が、本当に京都流をやっている一番の意味合いなのだと思いました。

私が展示場を出たのは10時半過ぎですが、その頃は既に120分待ちとなっていました。
午後などは一体どうなっていたのでしょう?

2007年5月30日水曜日

京都流社説 安倍内閣の指針と松岡大臣

昨日松岡前農相、今日は森林開発公団元理事が自殺されました。
二人も亡くなられるという事はとんでもない事があるのだと想像しますが、真相はもう分からないと思います。

報道の中には、安倍首相が松岡氏をかばわなければ、大臣を降りて、死ななくて済んだのではないかという様な言い方もありましが、それは分からないし、その事では首相をどうこう言う問題ではないと思います。

ただ、安倍首相はずっと、松岡氏は能力をお持ちなので、職責を果たしてもらうと言われ続けて来ましたが、私はその点については大いに疑問を持っておりました。
それは松岡氏うんぬんではなく、安倍内閣というものの、目指しているもの、所謂指針というものに対してです。

前にも他の問題で言いましたが、政治の世界は、我々などが想像できない様な事だらけで、軽々しく言える事ではないと思うのですが、内閣という国を動かしていく最高機関であれば、はっきり指針を示して欲しいと思います。

うちの会社ですら、ウエダの指針というものを作り、社員に配って、その共有化を図ろうとしています。
その為うちの会社では、いくら能力が高くても、ウエダの指針に合わなければ、辞めて下さい、或いは、辞めるべきだと言っています。

国を動かす組織であれば、当然、指針、方向性ははっきりしていると思いますし、その中で幾ら能力があったとしても、指針に合わなければ、それは辞めてもらうべきだと思います。
逆に言うと、色々問題もあった閣僚をカバイ続けたという事は、首相はそういう人達と同じ価値観、同じ指針を持っているのか?という様に思います。

一見自分の選んだ閣僚を擁護して、親分肌的に感じるかもしれませんが、それは間違いだと思います。
クラブサークルではないのです。
国を動かしているのです。
何度も言いますが、政治の世界なんて、私などには想像もできない様な、綺麗ごとだけでは済まない事はたくさんあると思います。
しかし、首相であれば、一国のTOPであれば、指針はしっかり掲げて、その方向で進めていく、その枠からはみ出たら、例え、能力があろうと、仲が良かろうと、毅然とした態度で臨んで頂きたいと思いますし、それであれば、違った結果にもなっていたのではないかと思います。

2007年5月27日日曜日

若冲をなめてました・・

今日、相国寺に3時半過ぎにつきました。
閉館は5時だし、1時間半あれば観れるだろうと思って行きました。

が、とんでもなかったです。
まず、相国寺の様子が普段とは全く違って、凄いな~と思いました。
そして、次の瞬間愕然としました。

入り口に出ていた看板に”入場制限中・ご入場まで約100分”と書かれていました。

という事は待って入っても、どれだけ観れるの?と共に、夕方から予定もあったので、待って入るのは無理でした。

若冲人気恐るべしです。

土日も色々予定があって、スケジュール的にキツイのですが、後1週間ですので、何とかしたいと思います。

まだまだ価値を分かってないですね・・と反省した日でした。

2007年5月25日金曜日

京都新聞掲載とKBS京都

先日の浅野ゆう子さんの”女刑事みずき”の撮影以来、取材が続くと言っていましたが、ネタとしては今朝の京都新聞に載せて頂いた件でした。

京都以外の方は<a href="#">こちら</a>を参照下さい。

記事でいくと人材紹介がメインの様な感じに見えなくもないですが、実際は、多くの団塊の世代が退職されるのに対して、我々の様な中小企業では、足らないスキルだらけなので、色んなスキル、経験をお持ちの方々を集められないか?という事を思ったからです。
まだまだミスマッチだらけで、このままでは、ベテランの方々が大量に退職された後、どこかで歪みが来ると思います。
そんな思いから、またまたこんな事を始めた訳ですが、今朝KBS京都テレビも取材に来て頂き、6月5日21時25分~の京bizという番組で取り上げて頂きます。

しっかりインタビューもして頂きましたし、事務所の様子もよく分かると思いますので、KBSが見れる方は、どうぞご覧下さい!

尚、ここの名前はナレッジサロンで、予定では6月21日から利用して頂こうと思ってます。

2007年5月23日水曜日

女刑事みずきin ウエダ本社

実は今日、ウエダ本社でドラマ撮影がありました。

以前もあったそうですが、浅野ゆう子さん主演の”女刑事みずき”というドラマで、この夏から再び始まるそうです。

ほんの少しのカットなのに、スタッフは20人以上おられたと思います。





京都流もアピールできる様にうちのスタッフがポスターを作って貼ってくれていますが、さて本番では映っているでしょうかね?



それと、うちの社員が2名登場しました。浅野さんと同じカットに入って見事に浅野さんと共演してました。
私もこの役で出る事はできたのですが、私はいずれ、会社を大成功!!させて大きく出る時の為に残しておいて、京都流スタッフのyoshikoにその役を譲りました(笑)。

又、放送日が近づけば告知しますので、楽しみにして下さい!

それと又書きますが、今週、うちの会社は取材が続くのですが、今回のドラマで一番嬉しかった事は、浅野ゆう子さんも見れたし、上原さくらさんも見れたし・・というミーハーな事ではなく、東映のスタッフの方が、オフィスを探された際、オフィスという事で、ウエダ本社を思って頂き、監督さんも含め何社か見られた結果、うちを選んで頂いたという事です。

しかも今回の設定は広告代理店ですから、そんなイメージでドラマで取り上げて頂けたのは、オフィス空間を生業としている我々としては、大変嬉しい出来事でした。

京都流関係の皆さんもウエダ本社と言って、京都検定やジュニア京都検定と連想して頂くのと共に、オフィスという事でもインプットしておいて下さいね!

今日はちょっと変わったお知らせでした。

2007年5月20日日曜日

鴨川をどり

先日、鴨川をどりに行ってきました。

もう今だから、何でも言えますが、これも初めてでした。

今年都をどりを初めて見て、大変綺麗で優雅なもので堪能しましたが、鴨川をどりは、第一部が舞踊劇、第二部が舞妓らの出演による尾上流で純舞踊の二部構成で、こちらの方は、舞などの知識がなくとも単純に楽しめるものでした。

パンフレットも購入しましたが、会社においてきているので、今日はひとまず、
報告と、写真だけ載せさせて頂きます。













2007年5月16日水曜日

京都市新景観政策

今日は経済同友会での例会で、大島京都市都市計画局長が新景観政策についてのお話を聞きました。

共感できるのは、50年後100年後に、立派な景観を残したいという思いで取り組んで行かれた事、高さなどで競うような価値観は東京、大阪、名古屋などに任せて、京都は違う価値観で生きていくべきだという点です。
又、どう考えても袋たたきにもなりそうな事を、桝本市長が一切揺るがず、最後まで通されたという点は、大変素晴らしいと思います。

私は常々、綺麗ごとをいう人をあまり信用しません。
むしろ、こんな事やると絶対良く思われないのに・・という事をやる人は、自分の利益から行動しているわけではないケースが多いので、信用できると思います。
そういう意味でも、今回の京都市長始め議会も大英断だったと思います。

今回の決定では、むしろ京都以外の方からは絶賛されたと言われていたのと、もう既に、木屋町辺りから違反している看板・サインなどの修正を求めて歩かれているらしいのですが、そのビルの施主や、運営をしているのが、東京の会社が多いという話が印象的でした。

利害関係がある京都の人たちは、反対をする気持ち、実際困ることもあるというのは分かりますが、お金だけ持っている京都の事を何とも思っていない人達が、京都の景観を崩して行っている事にもっと危機感を持つべきだと思います。

又、今回の政策に京都の人が諸手を挙げて賛成しているわけでもないのに、京都以外の京都を好きな人達が、絶賛されているという所が、皮肉でもあり、そういう所にも京都の問題がある様に思うのですが?

2007年5月12日土曜日

京都流社説 立石京都商工会議所会頭

ご存知の通り、昨日オムロンの立石会長が京都商工会議所の新会頭に就任されました。
まずは村田前会頭の残りの任期までという事ですが、次期三年も普通には継続して頂けるものと思います。

立石会頭は、私も昨年、村田会頭のミッションで、北欧・ロシアに行かせて頂いた際にご一緒させて頂きましたが、あれだけの規模の会社のオーナーであり、会長であられるにも関わらず、本当に気さくなお人柄で、皆、直ぐにファンになってしまう
様な方です。
勿論、私も大ファンです。

会社の方も”企業は社会に役立ってこそ存在価値があり、利潤も上げることができ、存続していける”という創業者・立石一真氏の信念を経営に貫かれている素晴らしい会社で、そういう意味では、京都流的な粋な会社であり、大いに期待できると思います。

又、村田名誉会頭は、ワコールの塚本会長、京セラの稲盛会長(当時)の後という、普通だと、逃げたくなる様な重責を見事に務められ、実績ベースではむしろ、この二大会頭よりも上げられたのではないかと言われる程、本当に京都の為に貢献されたと思います。

先日も言いましたが、そんな村田名誉会頭の現役会頭時代の多分最後のインタビューが、この京都流の古都技で展開しています!
どうぞお楽しみ下さい。

ちょっと、リニューアルで導線がうまく行っていない面がありますが、順次改良していきますので、落ち着くまでしばらく我慢して下さい。スイマセン!

2007年5月11日金曜日

遅れておりますが・・今後のリニューアルで

色々な意味で遅れておりますが、この週末には、村田前会頭のインタビューもUPできると思います。

今までの読み物を古都技2.0という事で集約しますと言っておりますが、従来のおやかまっさん企画的な読み物は、今後は皆様から募集しようと思っております。
それも、素晴らしい人は勿論、物であってもお店であっても、イベント取材記的なものであっても、所謂、残したい、伝えたい”京都”に関する事であれば、何でもOKで、皆さんが書かれるご自分のブログとは別に、京都流の企画記事として取り上げさせて頂こうと思ってます。

又、京都流で書いてもらっているブログには、大変中身の濃いものもありますので、これだけで終わるのも勿体ないので、簡単な新機能を加えて、自分で書き綴って頂いたブログを、後から抜き出して簡単な本に仕立てるというサービス(サービスと言ってもこれは有料です。。)を行います。
多少、形式は気にして頂く事はあるかと思いますが、今まで単なる日記的に書いて頂いていたものが、書き溜めていった段階で、本にしてまとめる、知り合いに配って自慢する、私などの場合ですと、社員などに言いたい、伝えたい事をここで書いて、
いずれ本にして纏めるなど、色々な活用が考えられます。

その事によって、他で書いているなら、京都流で書いておいた方が・・という方を少しでも増やして、集客UPにつなげて行きたいと思ってます。

詳しくは企画がUPされた際に御説明すると思いますのと、あと少しある新企画ネタは後日また・・

2007年5月8日火曜日

もうすぐ1周年!ということでのリニューアル

京都流は今月10日で1周年を迎えます。

追々ではありますが、新企画も登場致します。
一挙に説明もしにくいので、その考えるところを説明したいと思います。

今まで読み物企画は、古都技、おやかまっさん、京師とありましたが、それらを集約して古都技2.0としてリニューアル致します。

今までの読み物は、古都技が伝統産業、文化に関わるという様な方中心、おやかまっさんが京都の産業に関わる若手経営者、京師は京都学的な事を展開されている先生という感じでしたが、それら読み物は古都技2.0として集約致します。

古都技2.0では、京都という事に対して熱く行動されている方々であれば、伝統文化であろうと、経済人であろうと取り上げ、京都に対して何か行なわれている方という事でここに収れんさせていきます。
勿論、京都流の主旨に沿った方というのが前提ではありますが。

その第一回目として、以前ブログでも書きましたが、村田会頭のインタビューをUP
させて頂きます。
ところが!!タイミングの悪い事に、通常我々の更新は10日なのですが、先日発表されました通り、村田会頭が任期を残して、オムロンの立石会長にバトンを譲られるのですが、その日が11日なのです。
実は、立石会長に代わられるのは、分かっていましたが、タイミングがこの日という事は予想できませんでした。

という事で、現在サイトUPをいつにするか、村田現会頭の表記をどうするかという事を商工会議所さんの指示を待っているという状況です。

しかし、村田会頭の特に京都検定についてのインタビューとしてはこれが最後のものとなる、ある意味貴重なものとなったわけでもありますので、京都検定を立ち上げて来られた、村田会頭のお話をどうぞ楽しみにして下さい!

又、古都技を収れんした後の他の企画については、後日にお話します。。

2007年5月6日日曜日

雨は私のせいかも?

京都は朝からずっと雨です。
ホントはこんな時間にブログなんて書ける筈ではなかったのですが、雨につき時間ができてしまいました。

雨は私のせいかも?というのも、あまり好んでゴルフをやらない私が、昨日、今日の二日連続でゴルフの予定があったからではないか?という事なのですが、今日は朝からけっこうな雨で、ハーフだけまわって止めになり、一旦戻って来たので時間ができたというわけです。

一旦というのは夜には今日のゴルフの会の食事会があるので、又出て行くという様に、全くのプライベートではなく、昨日は、私も参加させてもらっている稲盛さんの
勉強会である盛和塾のゴルフコンペ、今日は、今年ドバイへ行った商工会議所のメンバーでのゴルフという事なのですが、去年までは、ゴルフと言えば、いつも何年ぶりと言っていたような私が、二日連続ですから、雨も降るでしょう?って感じです。

しかし、昨日、稲盛塾長(盛和塾ではこう呼ぶ)は今朝からアメリカ出張にも関わらず、楽しみにしている塾生の為に、参加して頂き、夜の懇親会にまで出席して頂いておりました。
もう確か74歳くらいだったと思うのですが、あのバイタリティーはどこから出てくるのか、頭が下がるばかりです。

成績は私が15位で稲盛塾長は20位でした。ゴルフくらいは勝たないとね(笑)

雨で一旦戻った時間での取りとめもない話ですが、雨の連休のたまたま空いた時間を利用してという事ですので、ご勘弁下さい。

2007年5月1日火曜日

創立記念日で・・ウエダ本社という会社

今日5月1日はウエダ本社の69回目の創立記念日です。
と、言っても何もなく、思い切り通常営業でさっき帰ってきたばかりですが・・

お陰様で69年が経ったという事です。
京都では、69年なんてまだまだ新参者と言われると思いますが、ただ、こういう事も
一緒に見るのではなく、業種ごとに見ないと駄目だと思います。

現在ウエダ本社では、オフィスの事をワンストップで・・という事で、オフィスに関する事を設計から施工、備品から、システムはたまたWEB迄ワンストップで請け負うというスタイルで、喜んで?頂いておりますが、京都の中で少しばかり知られているのは、オフィスというよりも事務機のウエダとしてです。

いわゆる、事務機屋という業種であったわけですが、そういう業種だと69年というのはかなり老舗であると思います。

又創業は文具の卸からスタートしたわけですが、文具業界に初めて、コンピューターを導入したのもうちの会社だったらしく、昔は色々な事を先駆けてやっていたようです。

それ故、自慢の様になりますが、実際の話で、京都のそんな規模も大きかったわけでもない弊社が、全国的にも知られた存在であった様です。
私は、そんな栄光が殆どなくなって入って来ましたので、そんな事は全く知らないのですが、その事を感じたのは、シャープさんやカシオさんでの扱いが別格であった時です。
今をときめくこの両社も、飛躍していったのは、計算機からであり、その黎明期にうちの会社などは尽力したとの事から、凄く丁重に扱って頂けたというわけです。

何年か前にシャープさんの会合に行った際、現在ではウエダなんて殆ど商売は微々たるものなのに、並居る大手電気量販店等のTOPの方々と対等の様に扱って頂いたり、先日社長を交代された町田社長さんなども気安くお声掛け下さいました。

又シャープさんは、私の父の命日には必ずTOPの方から担当者に、お供えを持っていくよう指示をを出して頂いているようです。

カシオさんでは先日電卓10億台を突破した記念に、黎明期に販売していた販売店の社長の名前を入れ、全国を回ってそれぞれに配られ、私も頂きました。

これから70年に向かっていくわけですが、ウエダ本社は再び輝きを取り戻して行って、こういう凄い会社にいつまでもしっかり認めて頂ける会社でありたいのと共に、
シャープさんやカシオさんの様にあれだけ大きくなっても、あの時があったから今があるというような事をしっかり継承して行ける会社を目指したいと思います。

またまた決意表明の様になりましたが・・創立記念日という事でお許し下さい。

2007年4月30日月曜日

京都の人材

先週の27日は京都経済同友会の総会が開かれ、4年間代表幹事を務められた、堀場代表幹事が大役を終えられました。

新年度からは2年前より、代表幹事に就かれておられる、渡部氏(ワタベウエディング社長)に加えて、村田氏(村田製作所会長)が代表幹事に就かれます。

又別途ブログでも書かせてもらおうと思ってますが、商工会議所の会頭には、立石オムロン会長が、来月11日から就かれることになっています。

こういう顔ぶれをみても、京都って素晴らしいなと感じます。
これだけの顔ぶれを次々に送り出せるなんて、140万の都市ではありえないと思います。

皆さん知名度だけでなく、京都を良くしてもらえそうな、思いをお持ちの方々であり、そういう方々をしっかり選んでいるところが京都の経済界は捨てたものではないと思います。

京都の方は、そういう面でも恵まれているという事を思っていて欲しいですね。

ちなみに新年度、同友会での私の担当は、教育問題です。
是非、京都流での色々なご意見を参考に活動していきたいと思います。

2007年4月23日月曜日

XEROX販売全国1位販売達成宴会!

一昨日(4月21日)から一泊でレイクフォレストリゾートという所に社員皆で旅行?
宴会?に行っておりました。

京都流では言っていませんでしたが、昨年度、富士ゼロックスの代理店の販売で、ウエダ本社は全国1位を達成していました。(<a href="#">こちら</a>もご覧下さい)

半年位前でしたが、今年は1位が取れる可能性があるという段階で、1位達成したら、何か皆で行おうという事を言っていたところ、本当に1位を達成してくれ、何が良いか諮ったところ、”1泊旅行で温泉&カニが良いですね!”という事でした。

ところがその時点から私の予定で土日連続で空いているというのが、4月の中旬までなく、カニは諦めてもらい、ゴルフする人もしない人もそれなりに楽しめそうな上記の所へ行っていたという事です。

本来、オフィス向けディーラーであるウエダ本社が、京都流というサイトをやっていて、どこで儲けるの?無料でやっていて、広告も取らず大丈夫なの?とよく心配して頂くのですが、この様にしっかり本業も皆がやってくれていますので、ご安心下さい!大丈夫です。
(という社員が読んだ場合の軽いプレッシャーも与えながら・・笑)

うちの会社の場合も、なかなか皆で行くような機会をあまり持てなくなっていましたが、皆普段の疲れを発散させていましたので、やはりこういう事はコンスタントに行いたいと思いました。

花見の時にはゲストハウスを持てる会社にしたい・・と言っていましたが、それも含めて、研修・保養施設を持てる様に頑張りたいと思います。。
(という社員が読んだ場合の、もう少し高いレベルの目標も持ってもらうプレッシャーを与えながら・・笑)

5月1日には創業69年目を迎え、ウエダ本社では新年度が始まります。

2007年4月18日水曜日

京都流社説~温首相来日と中川政調会長

先日中川政調会長が、温首相の来日について、外交上失礼だというコメントを出されていました。
日本側はNO1の安倍首相が行っているのに、中国側はNO3の温首相が来られた事について失礼だという話です。

政治の世界、まして外交となると色々な思惑、戦略も絡んでの発言であるので、意図は分かりませんが、全くの本心だとしたら、大変ナンセンスだと思います。
無責任な事は言えませんが、ただ、うちの会社ででも社員に言っている事は、自分の評価がどうとか、他人と比べてどうとか不満を言う前に、何故そうなるのかの背景を考えなさいと言っています。

このケースでいうと、相手に失礼だという前に、日本はNO1が行っているのに、相手からはNO1を行かそうとは見られていないという事が問題なのです。
相手に怒る前に、自分達が、そう重要視されていない点を謙虚に受け止め、どうすれば他の国から認められる存在になるか、中国からでもNO1が是非とも行かなくてはならないと思われる国にするかという事を考えるべきだと思います。
勿論、それは軍事力に頼らなくても、そう思われるようにできる方法はいくらでもあると思います。

詳しい事は分かりませんが、私などの身近な例で考えてみると、自分がそう認められていないのを棚に上げて、相手のせいにして怒っているとしたら、余計に情けない話だと思うのですが、どうでしょうか?

2007年4月15日日曜日

第135回都をどり ③

第六景嵯峨野紅葉

この辺りの小倉山一帯は小倉百人一首に由縁深いところですが、近年は任天堂創業者の山内氏の寄付で時雨殿が建てられました。



第七景越後雪野寒晒(別踊)

越後平野の伝統織物がつくられる過程の寒中の布晒しを、雪の景で取り上げたものです。



第八景金閣寺桜満開

最後は会場がぱっと明るくなる程華やかに金閣寺が桜で満開になりました。



約1時間にこれだけ盛りだくさんに繰り広げられ、をどり鑑賞初心者の私も充分堪能できましたし、セインさん達にも喜んで頂けました。

これも京都に居るメリットですよね。
こんなおもてなしをできるわけですから。。

2007年4月12日木曜日

村田会頭インタビューと京都サミット

昨日(10日)は、京都商工会議所の村田会頭にインタビューさせて頂きました。
このお話は、来月、京都流の1周年の特別インタビューとして、掲載させて頂きます。

会頭に出て頂いたなんて、本当はサプライズで、黙っておきたかったのですが、サミットのお話もされていたので、これは皆さんにもお伝えしたいと思い、先にお知らせすることにしました。

2008年のサミットも、もう一、二週間で開催地が決定されるようです。
京都は有力ではあるのですが、洞爺湖もかなり有力なのです。
村田会頭は、このサミットの件も本当に色々奔走されておられました。

ご存知だとは思いますが、村田会頭の会社は繊維機械の村田機械さんで、京都の観光だとか、景観だとかは本来全く関係の無い会社です。
そこで会頭というお立場を受けられて、奔走されておられるのは、私が京都流をやるどころの話ではなく、真に京都が良くなればという思いでやっておられます。

サミットについても、まず、日本で開かれる国際会議がドンドン減って行っており、世界の中での日本の魅力が薄れていっている事に危機感を持たれています。
日本の中の京都をアピールしていきたいという事は勿論ですが、日本をアピールするには、世界に誇れるコンテンツである京都を全面に立てて、アピールすべきという強い思いで動かれています。

私は今までサミットについて、そこまでの視野で考えていませんでした。
単に京都で開催されれば、それだけ潤うという程度でしか見れていませんでした。

洞爺湖も確かに、狭苦しい日本や、日本人からすると素晴らしいですが、世界でみると、ああいうロケーションはあるのではないか?と思います。
しかし、京都は世界にはなく、やはり日本が誇れる最適のコンテンツだと思います。
そんな視点を会頭からご説明を受けるまで、持ててませんでしたので、もう決定まであとわずかとの事ですが、ここで書かせて頂きました。

安倍総理は、京都流見てもらえませんかね?

京都流の事を知って頂いていて、安倍総理ともご関係がある方が私の知っている中でもおられますが、安倍総理に是非京都流を見て頂ける様お伝えて下さい!!

2007年4月11日水曜日

通圓さんの古都技

今日、古都技は通圓さんをUP致しました。

お店ですので、従来の古都技とは少し違いますが、創業から約八百五十年という信じられないようなお店です。
豊臣秀吉、一休さん、宮本武蔵なども実際のお店に関わりがあったなんていう、俄かに信じられない話ですが、全て事実であり、読んで頂けると、凄さが分かりますし、古都技でご登場頂いたのも分かって頂けると思います。

こんな由緒正しいお店で、以前お話した私の祖父岡村楽山は独占販売して頂いていたとの事です。
私のルーツにも関わる、通圓さんのお話、読んでみて下さい!

2007年4月10日火曜日

京都流社説~サミット開催地決定

以前にもここで話していましたので、開催地決定後直ぐ書かないといけなかったのですが、ちょっと忙しくて遅くなりました。

予想通り?洞爺湖に決まりましたが、贔屓目を外しても、何となくすっきりしないと思います。
大阪の太田知事も言われていたらしいですが、決定の基準を最後に言うのではなくて、初めから言うべきであったと思います。
関西だけでなく、他の地域も含めて、誘致活動にもそれなりの費用を使ってやって来て、最終段階で、警備が・・とか、美しい国・・だからとかというのであれば、もっと前の段階で分かっていて、それだと、各地無駄なお金も使わなくて済んだと思います。
しかも、美しい国というイメージに合う候補地がなかったのか、政府側から働きかけて、洞爺湖に名乗りを上げてもらっての決定という事が、それなら初めから指名すればいいのでは?と思います。

又、外相会合は京都で開かれるとか、各地に分散させるようですが、警備の問題や、
美しい国という事であるなら、北海道に集中すべきではないか?と思います。

京都の関係者コメントで、中途半端に一部の会合が開かれると、サミット誘致という事に対して、中途半端な実績だけが残って、サミット開催が遠のくので、分割開催は止めて欲しいというのがありましたが、これは村田会頭に先日お聞かせ頂いた、大きな視野から見た発言ではなくて、情けなく感じました。

京都を見てもらう、京都のコンテンツが日本の誇りだという事を分かってもらうというその観点だけで考えれば、外相会合だけでも開かれた方が良いのではないかと思います。

国レベルの事なので、私らが知らずに軽々しく言える事ではないと思いますが、皆さん賢い、お偉い方々は、何の為にやるのか?という原則で考えて欲しいと思いますね。

2007年4月9日月曜日

京都流社説 東京都知事選

予想に反して、石原氏が大勝しました。
これには正直意外な感じを受けたのと、今回は自民党に助けをもらったとはいえ、東京都の人は、あれだけ支持して良いのか?と思います。

政治家というのものは、しっかり自分のポリシー、主義主張を持っていて欲しいと思いますし、そういう意味では石原知事は何と言われようと自分の主義を変えない、政治家の資質を持った方であると思います。

他人の顔色、旗色ばかり見て、大勢に流されるタイプの政治家が多い中、そういう面では、政治家というのはこうあって欲しいと思う面はあります。

しかし同時に、国民、都民、市民から選ばれる政治家というもの、しかも東京という大都市の知事という大変な立場の人は、ポリシーを持つのは良いけれど、自分の価値観を押し付けるのではなく、色々な価値観を吸い上げ、公の為に尽くせる人でないと駄目だと思います。

石原氏はよく、あえて、三国人という言葉や、シナという言葉を使われます。
いくらこれに訂正を求められても、彼は、これらは差別用語ではないのだからと訂正するどころか、あえて使う場面を良く見ますが、その行動は、ポリシーというより、
私には単に自己中心的で偉そうとしか見えません。

そういう言葉の元々の意味が、差別的な意味合いであったかどうかという事ではなく、現実にそう言われて、不快に思われる方々がおられる事は事実で、それをあえて、元々は差別用語ではないからという自論で、わざわざ使うという神経が、あれだけの大きな立場のTOPとして適切なのか?と思うのです。

あれでも東京では、きっぷが良いから、粋(イキ)となるのでしょうか?
京都流的には、少なくとも粋(スイ)ではないと思うのですが?

2007年4月8日日曜日

お花見

今週末は毎日お花見に行ってました。





と言ってもプライベートで行っていたのではありません。
京都のある企業TOPの方々の会社やゲストハウスで、それぞれご関係のある方々を招かれてのお花見会というかパーティーです。



それぞれ、私がこんな所に呼んで頂いていて良いのだろうか?という様な凄い方々、
著名な方々がたくさん来られていて、大変刺激になりました。



こちらのゲストハウスは、ある銀行が持っていた保養所を買ったそうで、元々あった
この桜をどの部屋からでも見れる様に設計されたそうで、どこの部屋、設備もため息が出る素晴らしさです。



こういう場に呼んで頂けると、こんな設備を持って、こんな風に皆さんをお招きできる様な凄い会社になりたい!という意欲がふつふつと沸いて来て、大変良い時間を過ごさせて頂きました。

こんな方が来られてました!と言いたいところですが、プライベートで来られているでしょうから、控えさせて頂きます。残念ですが・・(笑)

2007年4月6日金曜日

第135回都をどり ②

第二景下鴨神社初詣



正式名称は、賀茂御祖神社といい、古い資料などでは、山城国一の宮下鴨神社と呼ばれているそうです。

第三景彦根屏風(別踊)





今年築城400年を迎える彦根城。
彦根屏風は、彦根藩主井伊家に伝来したことから彦根屏風といわれ、風俗画の代表として、国宝に指定されているそうです。
屏風の推定制作年代は1635年頃だそうです。

第四景清瀧川蛍狩(別踊)



清瀧川は愛宕山から流れ出て大堰川に注ぐ川です。

第五景昔物語かぐや姫(別踊)





この景は浄瑠璃で、帝の求婚の日、月に昇っていくという話の筋の部分です。
この竹取物語は、源氏物語よりも前に成立していたそうです。

続く。

2007年4月5日木曜日

第135回都をどり ①

京都流運営者として恥ずかしいカミングアウトを致します!

先日行った、都をどりは初めてでした!!
でも言い訳でもなく、こういう事を始めて、色々興味が出て来たので今年は行こうと思ってました。
お家元に出て頂いたりしているわけですから当然ですが、そこにセインさんと会う約束になったので、一緒に行ったのであって、決して、セインさんが来られたから行ったわけではありません!

私の親父は生きている間、毎年こういうチケットを買わされて?いて、行く人がない時には、社員までもが行かされていたりして、そういう金銭感覚の無さについて、母親がいつもボヤイテおり、それを聞いて育って来た私は、花街についても京都流のサイトをやるまでは、良いイメージを持っていませんでした。

こんな自分の事を顧みても、京都の文化と現代の京都人の感覚にズレがあり、知れば面白いし、守っていかないといけないという意識が生まれるのに・・という思いから、京都流というサイト運営をするに至ったのですが、そんな事ですので、都をどりに限らず、殆ど京都伝統文化を観た事がない、名所にも行った事がないというのが、私の偽らざる姿です。

それはさておき、都をどりに行ってみると、華やかで、想像していたより面白く、堪能させて頂きました。

自分の勉強と、ご存知ない方の為にも、写真も交えて、書こうと思います。

今年の都をどりは、都風流名所絵巻という題で、京都の歴史に根付いた名所でつづられ、全八景の構成です。

都をどりはヨイヤサアの掛け声から



第一景置歌という、都をどりの前景を説明するオペラの序曲の様なものから始まります。



続く。

2007年4月4日水曜日

セインカミュさんと京都探訪

一昨日の夕方から昨日の午後まで、タレントのセインカミュさんとご一緒させて頂き、京都を案内?でもなく、私自身が一緒に勉強しておりました。

以前に一度お会いした事があって、それ以来一度京都で・・と言っていたのが、漸く実現できました。

セインさんなどですと、京都でも色々な経験をされていると、こちらは勝手に思っていたりしますが、意外と、撮影でちょっと経験があるだけとか、ゆっくり食べたことがないとか、そんなにご経験がなかったりするそうです。

一昨日の夜は、以前京都流でもご紹介した、御所近くの桜橘庵へお連れし、そこで、
お茶や、聞香などを楽しみながら会席を頂きました。



その後、翌日はお昼に都をどりを観にいくことにしていましたので、この日は京おどりの練習で忙しい宮川町のお茶屋さんに行きました。

毎日練習、お座敷と忙しくされてる中、セインさんが来られていることもあり、芸妓さん、舞妓さんも逆に帰りたがらなかったりで、遅くまで楽しませて頂きました。



翌日の都をどりなどについては、また続きで・・