2006年11月26日日曜日

この場をお借りして話させて頂きます(後)

苦境を脱して財務内容的にも恥ずかしくない様になった頃には、父は既にボケもあり、その介護も母がやっていました。
その際も、”あんたは会社の事だけしっかりやってくれたら良い、それが一番や”と言ってくれていました。
その言葉に甘えて私は会社の再建、発展に専念させてもらいました。

父は昨年自宅で亡くなりました。
これも死という事については突然でしたので死に目には会えませんでした。

その後も人に迷惑を掛けるのが嫌いな母は一人で住んでいました。
我々子供にも面倒をかけたがらなかったのです。

インドから帰ってすぐ、私が福岡出張中の朝、兄から電話がありました。
兄が迎えに行った時、母は心不全で亡くなっていたのです。
私が最後に話したのは、インドから帰国して、関空から電話したのが最後でした。
本当に全く突然過ぎて、親に対して何もできていなっかた事が悔やまれてなりません。
確かに会社を再建して仕事面では両親に顔向けできるとは思いますが、両親の死に目にも会えてないんです。
私も自分で創業してから結婚し、その後ウエダの建て直しに奔走していたので、自分に余裕も無かったのですが、ようやく少し余裕も出てきた段階だったのですが。

兎に角人の世話にはなりたがらなかったのと、派手な事を嫌っていた母ですので、会社の者以外には殆ど知らせず、本当に身内だけでの密葬ですませました。
それは母の性格を考えても良かったと思うのですが、今ウエダがあるのは、母の功労も大きかった事、父が良い格好ばかりできていたのも、母が裏で全て苦労していたお陰であった事を知ってもらう事で、少しでも浮かばれればという事と、何も出来なかった私の償いの少しにでもなればと思いこの場で書かせて頂きました。

京都検定や京都通の方々には全く関係ない話であり、検定の勉強をされている時に重い話になってすいません。

多分ウエダの幹部でも知らない話も書きましたが、ウエダに関係する人には、今ウエダがあるのは・・という事も再認識して欲しいと思いますし、京都流を通じて私と繋がりを持って頂いた方々にも、こんな背景もあって今京都流も生まれているわけですので、これも何かの縁という事でご容赦頂ければ嬉しいです。

インドから帰って今までと違う死生観とか、今まで全く興味もなかった宗教の事も少し勉強しなきゃと考える様になった途端の出来事でした。

この場をお借りして話させて頂きます(前)

最近、ブログにあまりじっくりと向かえてません。
ただでさえ、仕事が山積している上に、実は今月の8日に母が急死し、その絡みの事でも時間が取られ、やらなきゃいけない事だらけでちょっとキツイ状況です。
という事でこれからもブログに対して若干手薄になると思いますが、ご了解頂ければ幸いです。

今日はそのエクスキューズと共に、他人の手を借りるのを嫌い、ずっと人の事ばかりやって来て、苦労ばかりして来た母ですので、最後に陽の目ではないですが、皆さんにも知って頂く事で、少しでもその苦労が報われればと思い、ウエダの創業にも関わっていた母の事に触れたいと思います。

ウエダというのは私の母方の祖父、つまりこの母のお父さんの創業であります。
しかしこの祖父は私の母と血のつながりはありません。
上田の祖父は私の母の実父が亡くなった後に、祖母が再婚した相手で、思春期であった母は反発もしたらしく上田の籍には入らず、実父の中西という籍のままでいました。
上田の祖父からすると、自分に懐かない子供は可愛くなかったでしょうから、可愛がってもらったという感覚はなかったようです。

しかし、その養父がウエダを創業したので、青春時代は会社の配達から経理などを手伝っていたそうです。
後に私の父(岡村)と結婚をし、私の父が後に二代目となるわけですが、それも当初は養父から反対をされていたのですが、根っから商売人の上田の祖父は、ウエダに事務機部門を導入しようとの思いから、機械に多少明るかった岡村を入れる為に一転賛成して結婚する事になったそうです。

私の父は商売人タイプではなかったと思います。
2代目でもあり、お金(数字)にはあまり強くなく、義父との関係もあるでしょうが、
見栄・体裁が先走るタイプでした。
そんな父ですので、創業者である祖父が亡くなり、バブルが弾けると、業績はドンドン落ちて行っていました。

弟であり、小さい時からウエダには入らないと言い、繊維商社から30歳の時に独立をして別で会社をやっていた私が入らざるを得なかった時には、会社は問題だらけの大変な状況でした。
多分、2年程遅ければ倒産していたと思います。

しかし、外で良い格好ばかりしていた父の功罪?もあり、ウエダは外から見るとまだ良い会社に思われており、それを変えて行かなくてはならない私は業界内では勿論、社内でも社外でも悪役でした。
お父さんはそんな事しなかった・とかお父さんはもっとこんな風にしてた・とか、そりゃ父はお金の事、会社の事、社員の事などを考えずに、良い格好ばかりしていたわけですから気楽なものですよね。

この頃には一番母の苦労が分かりました。
この私のやっている役回りをずっと母はやっていたんだとこの時初めて分かりました。

2006年11月21日火曜日

インド日記⑥

インド日記⑤が抜けましたが、タージマハルが⑤でしたので今回は⑥です。
ですが、今日も日記というより、ちょっと風景写真でお茶を濁させてもらいます。

見ていると綺麗でおいしそうに見えるんですがね・・



デリーよりももっと雑踏で、マスクを持って行っていたのですが、マスクをしていても苦しかったです。



インドのスクールバスならぬスクールチャリです。
セレブの子供達なんでしょうね。





でもこんな野良牛も多いです。



仕事柄、こんな所も気になりました。
街角のコピー屋さんです。



ベナレスの雑踏をバックに一枚

2006年11月18日土曜日

タージマハル

国威が最盛期にあったムガル帝国の第 5代皇帝シャー・ジャハーンは、 その王妃ムムターズ・マハルに先立たれると、国中が 2年間の喪に服すことを命じ、20年以上の歳月をかけてこの墓を作ったとの事で、タージ・マハルとはムムターズ・マハルの名前が変化したものとの事です。

これを聞いてもその壮大さが分かると思いますが、実際これは実物を見ると壮大そのものでした。
名前は知らない方でも、この写真などは見た事あるんではないでしょうか?



赤砂岩の南門



をくぐると、正方形の庭園があり、その奥に約 100メートル角で高さが 7メートルの大基壇があり、高さ65メートルのドーム屋根の建物となっている。
これが全て純白の大理石でつくられているという口では言い表せないものです。



近くにいくとたくさんの象嵌の装飾が埋め込まれており、



以前サイトにも登場してくれたアミタさん(網ちゃん)は来たら良かったのに・・と思いました。

この建物の後ろ側は川が流れており、遠くまで見渡せる様になっています。
この後ろ側に回った時、インドの赤ちゃんが可愛いかったので、写真を撮らせてもらったりしていると、抱っこして撮れという事で撮らせてもらいました。
これは、お金の請求はなかったですよ(笑)

2006年11月16日木曜日

桜橘庵

今日は以前にこのブログでもお話した事のある桜橘庵(HPはこちら)という所にお邪魔しておりました。
京都ツアーというブログに出てくる、主に外国人向けのゲストハウスという事で紹介していた所です。

ここは御所近くの、元は江戸時代の儒学者皆川淇園の私塾である弘道館であったという所で、とてもこれが京都の街の真ん中にあるとは思えない、広さと静けさと佇まいです。
それが、会員制のゲストハウスとして11月からプレオーオープンされており、私の紹介した方との今後の展開の話があり、私もお邪魔していたというわけです。

元々は、外国の方をお招きして色々な文化をお見せする様な場所を造りたいとのコンセプトであった様ですが、私はこの話を聞いた時から、日本人いや京都人にでもすごくニーズのある話だと思っていました。

お茶やお香など敷居が高いと思いがちなものでも、こちらでは、最初は誰でも知らないんだという事から、その人のレベルに合わせてご対応頂けるので、私の様な文化度が低い者には大変ありがたいと思います。

このポイントが多くの伝統産業や文化には欠けているのだと思います。
それで、一部の方だけで行なわれていて、京都人ですら知らないという事が問題なんだと思います。
それで文化度の低い私が、もっと知らしめるべきじゃない?との思いから、こんなサイトまでやる様になったわけですが、レベルは全然高いですが、この桜橘庵さんも
決して迎合したり、レベルを落とす事はする必要はないが、知らしめる、そして文化に触れる、体験する、という事が重要だし、そんなコンセプトの場所がなかったという事で始められたわけです。

てな事で、京都流のコンセプトに共通する部分もありますし、何よりも私が勉強させて頂いて、文化度を高める為にも、今後桜橘庵さんについても微力ながら応援していきたいと思います。

法然院

今日、経済同友会の例会で法然院のご住職のお話を聞きました。

大変、分かり易く宗教についてお話頂き、宗教を身近に感じる事ができました。
まず、日本には約75000の寺院があるそうですが、それだけ残っているのは、今までの日本の殆どの寺院が先祖供養に重点を置いて来たからで、それはそれだけの寺院があるにもかかわらず、日本人の多くが無宗教であると答える事とも関係があるとおっしゃってました。
というのは、言わばビジネスになる先祖供養にばかり力を入れて来て、本来の大きな寺院の役割である、聞法という様なそれぞれの仏教の意味合いを説くという事を行なっていなかったからだという事です。

又ご住職曰く、全ての仏教で教えが違うわけで、本来はそれぞれの教えを知り、自分にあった宗派を選ぶべきであり、自分が楽になる考えの宗派を選ばないと、本来の意味がないとも言われていました。

又、昔は農業であったり、狩猟であったり、同じ事の繰り返しで生活をしており、単純であった為、あの世に生きがいを見つけようとしたが、今は常に決断を迫られる時代であり、そうすると、この世で生きがいを見つけられる人、決断力、発想力を持っている人には素晴らしい時代だが、生きがいが見つけられない人には苦しい時代である。
又それだけに現代において、同じ事を繰り返している寺院の空間はより重要性を増してくるのではないかという様な事も話されていて、大変興味深いお話でした。

最後に現代における京都の寺院の役割は、それぞれの宗派の事をしっかりと説き、拝観する寺から聞法する寺となり、自分の人生を考えて頂く上で切欠となる寺院になれないか?という事を考えて行動されているという事でした。

こんな風に考えてくれる寺院が多くなれば、そして75000もある中の多くがこの様な考えの寺院になってくれれば、道徳感、人生感から教育の問題まで一気に改善され、正しい、立派な宗教観を持った日本人が出てくるようになってくると思うのですが・・

法然院の梶田ご住職の事は今後も注目したいと思います。

2006年11月14日火曜日

インド日記③

今クリックボタンに使っている写真は、デリーからアグラという街に移動する際に乗った現地の特急列車の前で撮ったものです。
朝6時過ぎの電車で2時間弱乗車してアグラに行きましたが、特急列車!!につき車中ではお菓子



とチャイのサービスがありました。
しかし、今回の旅行中もそうですが、帰国後も原因不明の腹痛で即入院!という様な事もしてられないので、歯磨きもミネラル、生野菜を含め生の物は一切食べず、使うものも除菌!と注意しているだけに、こんな所で気を許しては元も子もないので、念には念を入れチャイには一口もつけませんでした。
熱しているので大丈夫とは思いますが、これ、やばそうでしょ?



途中の通過駅の線路近くで、多くの人が、しゃがんでいる光景がありました。
何で皆こちらを向いて座っているの?と見ていると、何とそれは朝のお勤めをしていたのです。
京都流ではふさわしくないかも知れませんが、これはインド日記ですので、下品でも何でもなく、本質のまま分かり易く言うと、”野グソ”をしていたわけです。
この光景は、へび遣い以上のインパクトがありましたが、さすがに写真を撮る気にはなれませんでした。

アグラに着き、こんな光景を抜けて、世界遺産タージマハールに向かいます。

2006年11月13日月曜日

九州国立博物館

先週の9日に福岡に行っておりました。
これはウエダの仕入先で金剛という会社があり、そのディーラーの会があったからです。
何故福岡であったかというと、九州に日本で4番目の国立博物館が出来て1周年が経ち、その会でここの本田博物館科学課長にお話をして頂き、翌日視察するというものであったからです。
残念ながら私はそれには行けなかったのですが、ウエダとの関係、京都流との関係にちょっと触れてみたいと思います。

この日本で4番目の博物館は、およそ100年ぶりにできた、21世紀初めてものであるので、環境建築という事であったり、自然との共生や市民と共に歩む開かれた博物館、
生きている博物館を目指すというものです。
又、従来の博物館の役割というのは、収集保管、調査研究、展示公開、教育普及という事であったのですが、ここではそれに加えて、文化財との関わり、地元の伝統技術等との交流の拠点になれというミッションがあるそうです。

これなどは京都流のミッションとも共通することもあり興味深く聞かせて頂きました。
色々なイベントなどの効果もあり、驚いた事に1年間で230万人が訪れたという事で、
日本の博物館では考えられない集客だと思います。
ちなみに京都で私も見に行った伊藤若冲と江戸絵画展が来年1月1日~3月11日まで開かれます。

又、このウエダのメイン仕入先の一つである金剛というメーカーは、この博物館でも収蔵庫を担当しているのですが、書架、移動棚などのTOPメーカーで日本の多くの博物館、図書館等に納めています。
ウエダも書架等は納めたりしているのですが、京都流ともつながりもある事だし、もっと博物館、美術館にも絡める様にしたいと思います。
そうすると、京都流とウエダ本社のビジネスをうまく繋げていく事になりますからね。。

2006年11月9日木曜日

インド日記②

私も行く前に勉強しなきゃと本も読みましたが、古代からの流れは複雑で殆ど頭に入りませんでしたので、難しい話はさておき、今のインドで特徴的な事は、人口が11億という事。
でもこれは中国と同じで、数えられっこないんで、確実にそれ以上いるという事。
中国と違ってそこが正に今後インドは凄く成長すると言われているのですが、若者の比率が圧倒的に高い事。
でもその中で、3000万人程しか税金を納めてない、要は払える層はそれだけしかいないという事。何せ1日1ドルで生活している人々が圧倒的に多いそうです。
カースト制は表向きなくなっているという事だが、無視しては考えられない事。
それと何よりも特徴的なのは、たくさんの宗教があり、それを複雑に混立させながら、バランスと取っている事です。

日本人のよく持つ間違いの一つに、インドは仏教の国という錯覚がありますが、全人口の0.8%だそうで、ヒンドゥー教が約80%、イスラム教が約13%です。
又、インド人のイメージでターバンを巻いているというのがありますが、あれも、西欧からすると日本人はちょんまげを結っているという程の間違いではないかもしれませんが、シク教徒のみでこれも全体の2%だそうです。

首都はデリーです。というと、ニューデリーじゃないの?と思われる方もおられるかと思いますが、デリーの中にニューデリー、オールドデリーという地区に分かれているので、特に現地ではデリーという様です。
で、首都と言ってもこんな感じです。



で、この中をサイクルリキシャと言われる乗り物に乗って走りました。
京都の人力車みたいなもんでかねぇ~。



車やバイク、自転車、歩行者、歩行牛、等色々な物?が同じ道路で一緒に動いており、横から抜いていくわ、反対車線から抜くわ、後ろからバスにクラクション鳴らされまくりだわ、まず声を上げずに乗る事は無理だと思います。

どんなジェットコースターも怖くないと言われる方は一度乗って見られたら良いと思います。
これは怖い筈ですよ。だって、レールは無いわけですから、しかも色んな角度から色んな物がこっちに向かってくるわけですから。。スリリングです。

そんな中、インド人の人懐っこさを表わしているかのように、前の方に乗っていた女の子がずっとこちらを見て微笑んでました。



これなんかもズームで撮ろうとしていると、振り落とされそうになるので、これでも良く撮れた方なんですよ。

もの凄い街の喧騒とこの女の子の可愛い微笑みのギャップがよかったです。。

2006年11月7日火曜日

インド日記①

今回は会議などは外して、毎日分というよりは雑感として書いていこうと思います。

10月29日に関空を出発し、シンガポール航空でまずシンガポールへ約7時間、そこで
約2時間のトランジットがありました。
シンガポールの空港はとても大きく、免税店もたくさんあったのですが、それも見ず、この間をぬって、ラウンジで今度今月の古都技にご登場頂く、パゴンの亀田さん
に、UPする内容をみてもらいチェックをしてもらってました。

てな事で今月UPの古都技は、友禅をアロハにして大成功を収めてられている、和と洋をうまくミックスされたパゴンの話を、古都技に載せるのに、シンガポール航空のラウンジで校正を受けていたというグローバルなものです。
そんな思いで見て下さいね!

で、シンガポールから約6時間弱かかってデリーへ到着したのが、現地時間の23時過ぎ
(日本時間では26時半)、ホテルに入ったのは、自宅を出て、丁度21時間後といういきなりの長旅でした。

翌日、スズキの工場に向かうバスの中でいきなり出くわしたのが、予告編でUPした
へび遣いの光景です。
うまい具合に、車が止まる所でやっていて、皆が写真を撮ったのを見て、きっちり、
”マニー”と請求していました。

これについては、きっちり”仕事”しているわけだし、皆写真撮って楽しんだわけですから、ガイドがチップを払っていました。

こんな感じでインドの旅はスタートしました。

2006年11月5日日曜日

帰国しております!

昨日インドより無事帰国しました。
という事で本の出版記念パーティーにも参加する事ができなかったのですが、なかなか面白かったようですね?

流石につかれていたのか今日は多分数年ぶりに10時間以上寝てました。
公式行事で回った部分は京都流ではあまり関係ないと思いますので、省略しますが、
今日はまじめにやっているという所の写真だけ入れておきますね。

インドで一番大きい日本企業であるスズキ自動車の工場視察に行った所です。
ヘルメット姿イケてます??



デリーの商工会議所との意見交換会風景



私もしっかり参加していました。



皆さんがご興味ある風景は明日以降ボチボチと・・

2006年11月2日木曜日

インド日記 現地より

実はこちらで普段出来ない仕事をやろうとしていたり、インド日記もUPしようと思っていたのですが、時間が全然無く、まずはこんな所だけで許して下さい。。



思っていた以上に何も無い所なのと、思っていた以上に飯もおいしく食べられて元気で居ます。
明日も朝からベナレスという街に移動して、明後日は早朝から沐浴を見に行きます。
詳しくは、帰国後ゆっくりまとめていきます。